小川原佐知子さん/ソノマ州立大学付属英語学校マーケティング/アメリカ・ソノマ
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はいつもとは趣向を変えて、音楽家ではなく、「英語と音楽コース」を企画している、アメリカ・ソノマ州立大学付属英語学校小川原佐知子さんにお話をお伺いしました。高名な先生を登場させた、「グラミー賞受賞ボーカリストクリストファー・フリッチー先生のボーカルワークショップと英語レッスン」についてお聞きしました。裏方さんがどのような思いや秘話でコースを企画しているのでしょうか?
(インタビュー:2008年2月)
小川原佐知子さんインタビュー

アメリカ・ソノマ州立大学付属英語学校コース企画等のマーケティング担当。「グラミー賞受賞ボーカリストクリストファー・フリッチー先生のボーカルワークショップと英語レッスン」のコース企画を行っています。
― ソノマ州立大学というのはどんな所にあるのですか?
小川原 ソノマ州立大学は、北カリフォルニアにある、サンフランシスコから車で1時間から1時間半ほど行ったところにある大学です。この辺りはカリフォルニアワインの産地なので、ぶどう畑が広がる、とてものどかで美しい場所にあります。
― 治安はどうですか?
小川原 治安はとても良いです。
― どういう人種の方が多いのですか?

小川原 ほとんどが白人の方です。ときどきスペイン語圏の方もお見かけしますね。
― 小川原さんのお仕事について教えてください。
小川原 ソノマ州立大学附属の英語学校で特別プログラムを作って、各国にプロモーションを行っています。
― 英語学校にはどのような国の方々がいらっしゃいますか?
小川原 学期によって差はありますが、平均すると、65%がアジア、15%がヨーロッパ、15%が南アメリカ、残り5%が中東から、という構成になっていますが、最近は中国からの学生さんが多いです。
― 日本人の学生さんはどのくらいいますか?
小川原 日本人は、今学期は3名です。
― 3人というのは、英語を学ぶ環境としては最適ですね(笑)。

小川原 そうですね、日本語を話す相手がいないので最適だと思います(笑)。
― ところで、今回御校で「英語と音楽」というコースをご企画されました。英語だけではなく、音楽をプラスされたというのはどういった理由からですか?
小川原 最初は、この英語学校のディレクターが、「何か特色のある英語プログラムはないか」と本当は音楽と全く関係のないプログラムを考えていて、私がそのマーケティング調査を担当したんです。結構見込みのあるプログラムだったのですが、結果的にまだ時期が早いと判断し、報告書を提出しました。しかし、同じ「英語と別のものを組み合わせる」という枠組みを使って声楽のプログラムが作れそうな気がしたので、簡単な企画書を作って提出したら、通ってしまって、今回担当することになりました。
― どういったきっかけで声楽を選ばれたのですか?
小川原 私と声楽との出会いはまったくの偶然だったのですが、企画を提出する2ヶ月ほど前の冬休みの間に、自分自身が今まで学んでいなかったことを学んでみたくて、大学の冬休みのクラスを取ろうと検討していたんです。心理学か声楽のクラスが面白そうだと思っていたんですが、どちらの分野もそれまで専門的に勉強したことがなかったので、先生方に「初心者ですが、何か問題がありますか?」とメールを出してみたんです。そうしたらたった1人だけ返信してくれた先生がいて、しかも「welcome!」と書いてありました。それでその先生の声楽のクラスをとることにしたのですが、それが今回のコースの先生であるクリストファー・フリッチー先生だったんです。実は私は歌うのは好きだったのですが、ずっと「私には大きな声は出せない」と思っていたんですね。高校のクラス対抗の合唱コンクールなどでも、いつも指揮者に「もっと大きな声で歌って」と言われるくらいでした。でも、どうしても出ませんでした。それで声楽のクラスの一番はじめにクリス先生から「このコースでマスターしたいことは?」と聞かれたので「大きな声で歌いたい」と答えました。声楽の授業は4回あったのですが、その最後のレッスンの時に、リハーサル室全体に響き渡るような大きい声が、本当に、突然出たんです!ワークショップ形式のグループレッスンですから、実際に個人個人が指導を受けられるのは、1回の授業で一人あたり10分足らずなんですが、ちょっとずつ声が変わっていって最後に自分でも驚くほど大きい声が出たので、とても面白かったですね(笑)。びっくりしてしまいました。
― このコース企画には実体験がおありになったんですね。

小川原 そうなんです。本当に、先生から「こんな風に意識して」とか「ここを見て」とか「身体の使い方はこう」とか色々と指導されるままにやっただけで、突然バーンと大きい声が出たので、私もびっくりしたんですが、見ている周りもびっくりして(笑)。
― 自分でもどうして大きい声が出たのか分からない、という感じだったんですか?
小川原 そうです、今ではもちろん理論的なメカニズムも分かってきて、どうして大きな声が出たのか分かるんですが、その時はメカニズムについては教わる時間がなく、ただ先生の指導のままにやったら出来たので、まるで「マジックみたい」と思いました。
― それではもしも、小川原さんがご経験したように、メカニズムが分かっていない生徒さんが声楽のレッスンを受講されたとしても、先生の指導の通りにやっていれば、独りでに声が出てしまうということでしょうか?
小川原 声が出てしまうんです、これが(笑)。
― 不思議ですね(笑)。
小川原 そうですね、それがあまりにも不思議な体験で面白かったので、このクラスが終わったあとにも少しずつレッスンを受け始めたんです。そうしたら、やはり声がどんどん変わるんですね。今まで表現出来なかったことが、テクニックが付いて出来るようになるんです。本当に楽しくて。何が1番楽しいかというと「自分でも気付かなかった全く専門外の分野でさえこんなにどんどん成長できるんだ!」と思うと、毎日がより刺激的に感じられるようになったんです。
そういう体験が自分であったので、私は声楽の初心者だったんですけれども、声楽の初心者の方にも体験していただきたいと思いました。また、声楽の上級者への指導を見ていても、科学的でとても論理的に説明されているのが印象に残ったんです。ほんの2,3音歌っただけでも、すっと止めて「今の2音目が違うよ」と言われるんです。それで「こんな風に違う」と理由も言ってくれるんです。「こんな風に意識して、こんな風に身体を使ってごらん」と指導されるんですが、それで出来なかったら、「じゃあ、こんな感じで」「じゃあ、こんな感じはどう?」と次々に引き出しから出てきて、その人に合った指導にあった時に、声がガラッと変わるんですね。
― それは初心者の方でも、上級者の方でも変わるのですか?
小川原 はい、声が綺麗に響く一線があって、その線を越えた時に周りで見ていてもはっきり分かるくらい変わります。私は物事を論理的に理解したい方なんですが、先生に質問をすると、必ず的確で科学的な答えが返ってくるんです。
例えば「歌ったその時に発声器官で何が起こっているんですか?」と質問すると、「身体をこんな風に使うと発声器官にこんな影響を与えて、こんな声が出るんだよ。それをするためにはこんなエクササイズが必要なんだ」って3段階で答えが返って来て、「この人は凄い指導者だな」と思って、それでこの声楽レッスンを他の方にもぜひ経験して欲しくてプログラムを作りたくなったんです。
― なるほど。受講した人が何か問題があった時に、論理的に理解ができるので、自分で工夫できるということですね?
小川原 はい、そうですね。でも自分で工夫するというよりは、言われたとおりにやっていると自然に出来てしまう感じです。声楽を習っている人と話をすると、(先生に)「違う」と言われて、でもどうすれば出来るのかわからなくて、フラストレーションがたまったりするということがあると聞いたりします。私の場合、クリス先生のレッスンで求められたことを出来ないままに帰ったことがなかったので「そんなことがあるんだ」と逆に不思議でした。
― 凄い先生ですね。この先生はどんな方なんですか?

小川原 クリス先生は、2歳で初舞台に立たれました。ピーターパンというミュージカルのウェンディの弟が持っているテディベアの役で舞台を引き摺られる役だったのだそうです(笑)。その後7歳でギターを初めて、普通高校に通いコーラスで歌い始められました。その時に歌の楽しさに目覚められて、ソノマ州立大学の音楽学部で声楽を学ばれました。その時はテナーを歌われていて、色々なミュージカルでリードロールなどをされていたらしいです。卒業後、それまで遊びで使っていたカウンターテナーを、ある人に「貴方のカウンターテナーの音域はプロとしても通用するよ」と言われたのがきっかけで、レベルの高いアメリカのクラシック界のアカペラで最高峰にあたる、男性12人のアンサンブルグループ『シャンティクリア』のオーディションを受けて見事合格されたそうです。
以来11年に渡って、世界各国で1000以上のコンサートに参加されました。この間、来日公演も行われています。日本の歌で「さくらさくら」とか、「ソーラン節」とか歌われます(笑)。これらの音楽をクラシック的に歌われますので、とても面白いです。また、先生はシャンティクリアでグラミー賞を2回受賞されています。日本でも何枚かCDが発売されていますし、中世の古典曲から、ゴスペル、ポピュラー、スピリチュアル、ジャズまで、ほとんど何でも歌いこなすんですが、このシャンティクリアはそのハーモニーの完璧さから、「声のオーケストラ」と呼ばれています。私も初めて聴いた時に、「これは人間の声じゃなくて、楽器だな」と思いました。
― クリス先生の現在の活動というのはいかがですか?
小川原 2003年からはソロのアーティストとして活動される傍ら、ソノマ州立大学音楽学部声楽科で教えてらっしゃいます。また、2年前から新しいアンサンブルも結成されて、そちらでも歌われています。
― ますます活躍の場が広がっている感じですね。
小川原 そうですね、この間も新聞に写真が大きく載っていました。
― それは凄い方ですね。カウンターテナーの方なんですね。
小川原 はい。ソプラノの音域ですね。
― カウンターテナーと言えば、日本では米良美一さんですよね。
小川原 そうですね。カウンターテナーは特別な人だけが出せるという印象が強いですが、実は男性はだいたいその音域の声を持っているんですよ。気づいていないだけで。なので、クリス先生に習っている声楽科の男子学生はわりと平気でカウンターテナー音域を出しだりします。でも、先生はバリトンやテナーでも歌われます。音域によって全く違う音楽表現をされるのも面白いです。新聞の評論でクリス先生の声について「クリスタルのようなソプラノと叙情的なバリトン」と書いてあるのを見たことがあるのですが、うまい表現だなと思いました。
― クリス先生はどんなお人柄ですか?
小川原 とても穏やかな方です。声楽科の中でもとても人気のある先生ですよ。「クリス先生に習っている」と声楽科の生徒に言うと、大概の人から「あぁ、彼はいいよね!」と返ってくるくらいです。生徒がクリス先生への評価として共通して挙げるのは、「一人一人の生徒をきちんと尊重する姿勢をいつも崩さない」とか、「温かいユーモアのセンスが抜群であること」、「どのレベルの生徒に対しても、その生徒が理解して覚えていられるような指導の仕方をしているところ」こういうところが生徒の尊敬を集めているのだと思います。
― 例えば、レッスンの時に生徒が出来なくて怒ったりということはありますか?

小川原 怒ったりとかいうことはまるでないです。出来ないことはつまりその人にとっての課題点なので、どういう風にアプローチしよう、というのを一所懸命考えられるんです。出来ないのは別に私のせいではないし、そこは次のステップに行くために解決すべき問題だから、解決するにはどうしたらいいのか、一所懸命にアプローチされているのが分かります。
― 先ほど、初心者から上級者まで、と言われたのですが、例えば音楽をはじめたばかりとか、音大に行っていないという方の受け入れというのはどうなんでしょうか?
小川原 私が受け入れられたぐらいですから(笑)。
― このコースを受講したいと思った時に気を付けるようなことはありますか?
小川原 はい、失敗を恐れないことだと思います。初心者も上級者も、新しいことを学ぶ時というのは、試行錯誤は付き物だという風に思うんですね。コツを掴めるまでやり過ぎて失敗したりも当然します。変な声が出ちゃったりとか、声が裏返っちゃったりとかする時もあります。でも自分が無難にできる失敗しない範囲にとどまっていて思い切ってやってみることをしないと、次のステップにつながるような新しいことはなかなかマスターできない。このクラスでは失敗や間違いがどんどんできるようにとてもサポーティブな雰囲気が保たれています。それは、失敗や試行錯誤が必要だと考えられているからです。だから、思いっきり試行錯誤して、間違いながら学んでください。
― 日本人は「間違うのは怖い」という気持ちが強いと思うんですが。
小川原 そうですよね。でもよく見ていると、アメリカ人でもやっぱり間違うのは怖いと思っていることがわかります。だからちょっとひいてしまう様なところは誰にでももちろんあるんですけれど、クラスでは間違った人を笑うようなことはないし、がんばって間違ってください(笑)。
― そのほか、気をつけることはありますか?
小川原 英語力を問わないで参加してはもらえるんですが、先生の話をきちんと聞き取ったり、聞きたいことを伝えたりするには、英語力があるに越したことはないです。なので、出来るだけ英語力は付けて来られることをお薦めはします。
― 参加可能期間はどうですか?
小川原 5週間完結プログラムなのですが、最短1週間から参加できます。
― レッスンは週に何回ですか?
小川原 週1回、1時間50分のワークショップと、週2回のプライベートレッスンです。
― それでは日本の受講生の方に一言お願いします。
小川原 このプログラムは未経験者から音大以上のレベルまで受講者のレベルは問いません。また、音楽のジャンルも問いません。参加条件は歌うことが好きで、能力を伸ばしたいと思っていること。先日、「このクラスを通じて伝えたいことは?」とクリス先生に聞いてみました。「歌うこと、歌のテクニックを伸ばすことというのは、レベルとか年齢に関わらず誰にでも出来ることです。貴方がやりたいと思っているのであれば、貴方のこれまでの音楽や声楽の経験に関わらず、とてもやり甲斐があるものだと思います」と言われていました。
― ながい間ありがとうございました。
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場所:≪アンドビジョン・東京オフィス≫
〒101-0052
東京都千代田区神田小川町3-8 神田駿河台ビル2階
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お電話・FAX・メールでのご予約も承っております♪
電話:03-5577-4500 FAX:03-4496-4903 メール:このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。
ルクセンブルク大公国

気候 ルクセンブルクの気候は海洋の影響で温和な気候。日本と同様に四季がある国だが、天気が変わりやすいので、常に雨具は必須。夏は23度程度で夜の9時ごろまで明るい。朝晩の温度差があるので、羽織れるものを持っていくべき。冬は曇りの日が多く、霧雨にも見舞われる。気温は0.5度程度。夕方4時ぐらいには暗くなってしまう。 |
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現在の天気 |
ビザ | 観光目的で、90日以内の滞在なら不要。学生ビザについてはこちら。 |
パスポート | 日本帰国時まで有効なパスポートが必要。 |
大使館などの在日政府機関 | |
ルクセンブルグ大使館 | 東京都千代田区四番町8−9 ルクセンブルグハウス1F TEL:03-3265-9621 FAX:03-3265-9624 会館時間 月曜日〜金曜日 午前 09:30 - 12:30 午後 14:00 - 17:00 |
在東京ルクセンブルク大公国名誉総領事館 | Honorary Consulate-General of the Grand Duchy of Luxembourg. 〒103-8272 東京都中央区日本橋1-13-1 TDK内 Tel:03-5201-7111 |
在大阪ルクセンブルク大公国名誉領事館 | Honorary Consulate of the Grand Duchy of Luxembourg in Osaka 〒530-8341 大阪府大阪市北区芝田2−4−24 Tel: 06-6375-8995 |
ルクセンブルグ政府観光局 | - |
現地日本大使館 | |
在ルクセンブルク大使館 | Luxembourg Ambassade du Japon 62, avenue de la Faiencerie, L-1510 Luxembourg, Grand-Duche de Luxembourg (B.P. 92 L-2010) Tel: (352) 4641511 Fax: (352) 464176 |
石川政実さん/ジャズギタリスト/アメリカ・ニューヨーク
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はアメリカ・ニューヨークでジャズギタリストとしてご活躍中の石川政実(イシカワマサミ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2008年3月)
ー石川政実さんプロフィールー

1965年東京都出身。11歳で、はじめてギターを手にし、ロック、フュージョンを経て、大学時代に、ジャズ演奏を開始。1990年、ニューヨークのニュー・スクール大学ジャズ&コンテンポラリー・ミュージック科に留学、ジム・ホール、レジー・ワークマン、ジョー・チェンバース、ジョン・バッシーリらに師事。その後、ニュー・スクール、ジャズ科のファウンダーでもあるアーニー・ローレンス・グループに起用される。自己のグループでも55バーや、アングリー・スクワイア等に出演、NYのローカル・シーンで注目される。1993年に一時帰国、自己のグループ、井上信平、岩瀬竜飛らとも首都圏のライヴ・ハウスを中心に演奏をした。2000年、再度ニューヨークにて活動を再開する。現在、ゴスペル・シンガー/ピアニストのL.D.フラジァーのグループ、ロニー・ガスペリーニのグループ、田井中福司トリオなどを中心に活動しており、2007年12月に発表されたロニー・ガスペリーニのニュー・アルバム「North Beach Blues 」(Doodlin Records www.doodlinrecords.com)における演奏が好評を博している。
— 石川さんとジャズの出会いを教えてください。
石川 大学時代にジャズ研に入り、ジャズを始めました。卒業後、1990年に趣味が高じてニューヨークに渡り、ニュー・スクール大学というジャズプログラムのある学校に入学しました。
— そこでジャズを学ばれたんですか?
石川 ニュー・スクールでは、ギターはジム・ホール、セオリーはケニー・ワーナーやギル・ゴールドスタインといった有名な先生からジャズの基本的な教育を受けました。結局、4年間のコースのうち2年間通って大学は中退しまして(笑)、その後1年間くらい、ニューヨークで演奏をしていました。学校を辞めたあとにニュー・スクールを創ったアーニー・ローレンスという人のバンドに誘われてそこで演奏しをしていたんです。その後、1993年に一度帰国しました。
— 帰国後、再度渡米されるまでどのくらい日本にいらっしゃったのですか?
石川 5、6年活動していました。演奏ではなかなか食べられなかったので、教えて生活をしているところがありましたね。
— その後、またニューヨークに?
石川 ええ、1999年にまたニューヨークに戻り、それからはこちらを拠点に活動しています。
— ニューヨークに戻られたきっかけは?
石川 実はあまり深くは考えてないんです(笑)。正直にいうとかっこ悪いんですが、女房が留学したいといったのがきっかけだったんです。当時は、だらだらとですが、教えることで生活できていたので、ニューヨークへ戻るのということは批判的な気持ちのほうが強かったんですね。ニューヨークで音楽で食べていくのは大変だし……、と思っていたので。でも、配偶者ビザが取れるということもあって、じゃあ、また行ってみるかなくらいの軽い気持ちでした。ところがニューヨークに戻ってみると、やはりこっちがいい、と思ったんです。忘れていた血が騒ぎ出したといいますか、音楽をやる気になったんです。
— ニューヨークのほうが音楽ができると思われたんですね。
石川 昔の知り合いからトラの仕事をまわしてもらって、到着2日目くらいから病院のギグなどをさせてもらいました。これがすごく楽しくて、やはりこっちでやろう、ニューヨークでやっていこう、と思いましたね。
— ところで、日本での大学は音楽の学科ではないですよね?
石川 ええ、慶応大学の法学部法律学科です。
— 優秀な大学ですよね。そのままいけばエリートになれる可能性もあったと思うんです。それでも音楽を選んだのには何かあったんですか?
石川 好きだったんでしょうね。でも、実は1年間だけサラリーマンをしたことがあるんです。大学卒業後、印刷会社に勤めました。大学卒業のときに、ジャズギターなんかで食べられるわけがないと思って、諦めて就職したんです。でも、忘れられなかったんでしょうね。それで会社を辞めたんです。
— 周りからの反対はありましたか?
石川 はははは、そうですね(笑)。でも、もともとミュージシャンになりたかったのに、親の反対もあって就職したんです。それでも働いてみたら、やっぱり無理だったんですね。
— 自分の魂が捨てられなかったんですかね?
石川 そうですね。音楽ってやっぱりそういうところがありますよね。一回やってしまうと、やめられなくなってしまう。非常に危険だと思いますよ。危険な人、いっぱい見ています(笑)。日本のミュージシャンの中にも、大学でジャズ研の盛んなところ出身の方は多いですよね。東京大学、一橋大学、早稲田大学、といったところの人もたくさんいますよね(笑)。
— そもそも石川さんは音楽への興味は大学に入る前からあったんですか?
石川 ええ。子供のときから音楽は好きでした。小学生くらいからロックを聞くのが好きで、ギターを買ってもらったのが小学5年生、11歳くらいのときです。
— ロックとジャズというのは、似て非なるものだと思うのですが、大学時代にジャズに傾倒していったのはどうしてですか?
石川 楽器を始めたのが人より早かったこともあって、うまい!なんて周りから持ち上げられてね(笑)、ギターを弾くのは好きだったので、「これを究めていこーう!」と思ったら、難しいことをしてみたいとおのずとジャズに興味を持ち始めました。それにロックだとどうしても歌の伴奏をするような形になると思うんですが、そうではなく楽器をメインにした音楽へと自然に流れていった感じです。
— 楽器をメインにしたジャンルといえば、クラシックやフラメンコなど他にもあると思うのですが、そこでジャズだったのはどうしてですか?
石川 そうですね。急にジャズを始めたわけではなくて、高校生くらいのときにインストゥルメタルのフュージョンをやり始めたんです。フュージョンというのはジャズっぽい要素もありますから、そういうのを演奏しているうちに元のジャズのほうをきちんと勉強したほうがいいかなと思ったんですね。
— アメリカでジャズをしてみて、日本と違う良い点、悪い点はありますか?
石川 ジャズの表面的なテクニックというのは、日本でも勉強出来るし、日本のミュージシャンもそうやって演奏していると思うんです。でも、アメリカに住んで、黒人の人、いわゆるオールドスクールの人たちに接することで、ジャズのルーツの部分であるブルースやゴスペルを肌で感じることができるし、黒人の人たちのライフスタイルも学んでいくことができます。
— やはりライフスタイルからなんですね。
石川 多分、そうだと思います。だから、アメリカ、特にNY以外で本当の意味でジャズを勉強するのはある意味難しいのではないかと。。表面上のテクニックは身につけることができても、ジャズ独特のフィーリング、ブルース、ソウルを身につけるっていう意味では、ここで学ぶことは幸せな事だと思います。
— やはりフィーリングがないと自分のやりたいこととは……。
石川 まったく別のものになってしまう。口ではなかなかうまく説明できないんですが、そこが重要ですよね。
— 例えば、ボストンにはバークリーなど有名な学校がありますが、そういう街ともニューヨークは違うものですか?
石川 ニューヨークにいれば、例えばそのへんにいる楽譜も読めないミュージシャンたちと一緒に演奏して肌で接して、身につけていける部分が非常に大きいんです。
— 楽譜が読めない人とでもジャズでは会話ができる、ということですね。
石川 本来のジャズは聞いて耳でとらえて演奏するという音楽だったので、そういう部分が非常に大切だと思うんです。
— ちょっと学術的な感じになってしまっているということですか?
石川 そうなんですよ。だからジャズが本来もっているエネルギーが失われつつあると思います。
— アメリカでもそういう傾向が見られるということですか?
石川 見られますね。
— どういうところに行けば、そういうソウルを感じられる演奏を見ることができますか?
石川 現在、非常に少ないと思います。ベテランのミュージシャンたちが次々と亡くなってしまっているので。だから、最近の売れている人たちの演奏を聴くよりは、ベテランの人たちの演奏を聴くのがいいと思います。日本ではあまり有名ではない人とかね。あとは、僕はまずはゴスペル・チャーチに行くことをお勧めします。
— ゴスペル・チャーチですか?
石川 そこでルーツを感じることができると思います。黒人の人しかいないようなゴスペル・チャーチに行ったら、ものすごいエネルギーを感じて、衝撃を受けると思います。ハーレムとかブルックリンとか、ブロンクスとかですね。僕はそうでした。昔のミュージシャン、例えばセロニアス・モンクにしてもゴスペル・チャーチ出身ですし、そういう人たちは根本的に違うと思います。
— ジャズミュージシャンというのは、もともとはそういう人ばかりだったんですよね。
石川 本来はそういうところから来ているものですからね。僕は、ゴスペルの人たちと演奏していて非常に厳しく教わったんですよ。“Young jazz musicians are missing something”って。彼らは演奏中に叫んでいるんです“Feel,You gotta feel more!”って。だから、上っ面で弾いたりしたら、怒鳴りつけられる。そういうのはやはり学校ではできない経験ですよね。日本でも“feeling”とか“feel”っていうけれども、なかなか本当の意味がわからなくてね。それはやはり口ではなかなか説明できないんですけれど、そういう独特の部分がジャズという音楽の力になっている。原点ですよね。
— そのフィーリングというのは、だいたいどれくらいでわかってくるものでしたか?
石川 それは……。いや、まだわかってないかもしれないですね(笑)。それは、一生をかけてどんどんどんどんより深めていかなければいけないものだと思いますし。
— 現実的なことをお聞きしたいのですが、アメリカで仕事をするときに日本人に有利な点、もしくは不利な点はありますか?
石川 普通の仕事であれば、日本人は真面目で時間に対してきちっとしているので、信頼される部分はあるかもしれません。でも、もう少し高いレベル、例えばジャズクラブで仕事をしていこうとすると、同じ実力であれば日本人であるということで偏見の目で見られることはありますよ。
— なるほど。
石川 日本人がジャズをやっているということが向こうの人にとってどういうことかといえば、アメリカ人の寿司職人のところにわざわざ食べにいくか、という話ですよ。だから、よほど実力をつけて質の高い演奏が出来なければいけないと思います。こっちでやっている日本人はみんなそうやって頑張っていると思いますね。
— 日本で頑張る以上のことを求められているわけですね。
石川 日本には日本人しかいませんからね。ニューヨークは本当にミュージシャンが多くて、世界中から集まってきていて、とにかく数が違いますから。こっちでやろうと思ったら大変ですし、とても鍛えられます。
— 石川さんにとってジャズとは何でしょうか?
石川 ジャズとはですか……、うーん、難しいですね(笑)。やはり、パッションとかそういうことになると思います。
— 身体の内にあるものということでしょうか?
石川 そうですね。学校では、いかにクリエイティブになるかという話が中心であったように思います。そういうアイデアは、ジャズを面白くするための1つの要素として取り入れるべきものですが、それだけではないと思います。
— それよりも大事なことがあると。
石川 一番大切なのはフィーリングですよね。ジャズの元をたどれば、アフリカの奴隷たちがアメリカに渡ってきて、最初はほとんどリズムだけで鼻歌を歌っていたわけです。それに西洋のハーモニーを少し取り入れて、それがだんだんと洗練されておしゃれになってきたわけです。つまり、西洋のハーモニーを取り入れたというのは、あくまで付随的なものですから、いかにクリエイティブにやったところで、クラシックの完成度にはかなうわけがないんです。即興でやっているわけですから。
— なるほど、なるほど。
石川 ですから、ジャズ特有のリズムがジャズという音楽の命、力の源になっていると思うんです。それが表現されていれば、質の高いクラシックにも負けない芸術性の高いものになると思います。だから、ジャズは根本的にクラシックと違うものとして、聴かなければいけないし、演奏しなければいけないと思っているんですよ。それがいま、世界的に誤解されているので、そこと戦っていますね。一番大切なことはそこではないということを伝えたいですよね。いかにフィーリングを感じ、こめるか、そこが大事ですよね。
— 技術的になってしまって、元の本質を忘れていってしまうということはありますよね。
石川 ええ。ジャズに限らず、フィーリングが失われているとは思いますね。やっぱり音楽というのは時代を反映しますから、デジタル〜、デジタル〜(笑)となってくると、やっぱりみんな忘れてしまうんです。フィーリングの深いところを求めなくなってしまう。iPodで音楽を聴いて、と、世の中とにかく簡単になりすぎちゃっているから、創られる音楽も演奏される音楽もそういうものになってきてしまっていると思います。そこにいかに立ち向かうかというのが僕の使命だと思っています。
— 石川さんはそういった想いで演奏されていて、やはりお客さんの反応は違うと思いますか?
石川 やはりぜんぜん違うと思いますよ。先月も日本に帰って三重県で演奏したのですが、すごく喜んでもらえたと思います。ジャズを余り聞いたことがない多世代の人達が手拍子をしてくれてね。ドラムの人は田井中さんといって、もうこっちで25年くらい黒人の中にまじって演奏してきた人なんですが、その人がまたみんなにわかりやすい、みんなが感じられる演奏をするんですよ。それはジャズを知っているとかではないんですね。知らなくても聴けば分かることなんですよ。
— 知っているかどうかなんて関係ないんですね。
石川 ええ。そこで、もし上っ面の演奏をしていたら、ジャズって難しいんだな、ふーん、で終わってしまうと思うんですよ。コードとかアイデアとか、アルペジオとかね(笑)。そうすると、みんなやっぱり聴かなくなってしまいますよね。
— そうですね、クラシックを聴いているのと、同じ感じになってしまいますもんね。
石川 かといって、本物のクラシックのような完成度はない。中途半端な音楽になってしまう。力の弱いものになってしまうんですよ。
— 本来はもっともっと力強い土着の音楽だったのに。
石川 ええ、みんなが感じられる。それが私の目指すところです。みんなをハッピーにすることが私の目標です。
— 次に音楽的な目標を聞かせてください、と言おうとしたんですが、今ので十分ですね。
石川 そうです、そうです(笑)。そういうことです。
— アメリカでプロの音楽家として活躍する秘訣、成功する条件はなんでしょうか。
石川 これは、成功してないだけに難しいですね(笑)。最近痛感していることは、ビジネスといい音楽をするっていうことは、まったく別のことだなということです。別の才能がいるんです。例えば同じミュージシャンでも、メールやホームページの更新にやたらと時間をかけたり、電話をかけることに命をかけたりと一生懸命売り込んでいる人がいます。僕自身、本当はそういうことにも時間をかけなければいけないんだろうけど、やっぱりそれよりも音楽のことを考えたり、楽器の練習に時間をかけてしまいますね。でも、一生懸命やっていれば、最低限の仕事は入ってきますよ。それは成功とは言えないかもしれませんが(笑)。
— きちんと音楽で食べていけるということですよね。でも、そこが難しいところですよね。
石川 そうですね。やっぱりニューヨークは厳しいと思います。人に呼ばれて演奏することが多いんですが、やはり自分がバックアップに入ったからよくなったっていう状態にしないと、次に仕事は来ませんよね。様々なスタイルの人たちを上手に伴奏することは、経験も必要だし、非常に難しい。だから、僕はひたすら練習して、いい演奏ができるようにしていますね。
— 最後にジャズを勉強したい人やニューヨークに行きたい人にアドバイスをお願いします。
石川 いままでのことと重なるんですが、あまり理論にこだわらないことです。例えば、音を間違ったなんて気にすることないんです。ジャズはクラシックと違って、そういう音楽ではないんですよ。基本的にジャズに間違ったことなんてない。それよりももっと大切なフィーリングをつかんでほしいと思います。
— それはやはりニューヨークに行って、感じたことですか?
石川 そうですね、オールドスクールの方から得るものが大きかったです。レコードを聴くにしても、さかのぼって昔のジャズやブルース、ゴスペルを聴いて参考にしたほうが、いまの難しいことをやっているものを聴くよりは、いい結果が得られると思います。
— 今日は本当にありがとうございました。