星野奈菜美さん/ニース夏期国際音楽アカデミー
井上智さん/ジャズギタリスト/アメリカ・ニューヨーク
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでトッププレーヤーとしてご活躍中のジャズギタリスト/コンポーザーの井上智(イノウエサトシ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ニューヨーク・ギタリストが歩む道」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年9月)。
ー井上智さんプロフィールー

神戸出身。同志社大学在学中から関西を中心にライブハウスやコンサートで活躍。1989年、ニューヨークへ渡りニュースクール大学ジャズ科でジム・ホールに学び音楽的・精神的に影響を受ける。同校卒業後、ニューヨーク市立大学院でロン・カーターに学ぶ。以後、ニューヨークのジャズシーンで、ジム・ホール、ジュニア・マンス、フランク・フォスター、バリー・ハリス、ジョン・ファディスなどのトップ・ミュージシャン達と共演。教則ビデオ「ジム・ホール/ジャズギター・マスタークラス」全三巻、「マジカル・ギター・テクニック/ビル・フリーゼル」の音楽監督を務める。現在、ニューヨークで最も注目されているギタリストの一人として活躍中。ニュースクール大学ジャズ科講師。ジャズライフ誌に「毎月増えるスタンダード」を好評連載中。現在までにリーダー・アルバムを 4枚発表。
— 最初に、音楽に興味をもったきっかけを教えていただいてよろしいですか?
井上 家に音楽が、レコードが普通にかかっていて、兄貴がフォークソングを聞いたり、親が音楽好きだったので普通に家に音楽が流れていたんですね。それで普通にレコードを聞いたりしていました。オルガンは習いに行っていたかな。ヤマハ教室に。そんなにまじめにやって無かったですけどね。
— 勉強みたいな感じでしたか?
井上 お習い事という感じ。子供の頃に。小学生三年の話ですね。すぐやめちゃったけど。
— すぐやめちゃったんですか (笑)
井上 ほんま二、三年で辞めたかな。それから、高校行きだしたぐらいでやっぱりロックに目覚めたかな。親戚のいとこが同じ高校に行っていて、僕が一年の時、文化祭の体育館でロックバンドとして演奏したんです。それがすごくてがーんとショック受けて。それ結構大きいですよ(笑)。
— 本当ですか (笑)
井上 それで高校二年の時ロックバンドやりはじめたんです。
— 音楽に目覚めたけれど、井上さんは音大とかではなく、いわゆる総合大学に行っていますよね。
井上 同志社行きましたね。
— その時は音楽のプロになる気だったのですか?
井上 全然、そんなまさに今自分がやっていることをやろうという計画は全然無くて。
— 本当ですか。
井上 なんか僕らの頃って、勉強させられてとりあえず大学行けみたいな感じあるじゃないですか。あまり将来の事考えずに。まあ行ってから考えろみたいな。で、同志社行ってそこで軽音楽同好会に入りました。そこでロックやりだして。
— そこでもロックだったんですか?
井上 ロックですよ。
— ずっとロックですね。
井上 ずっとロックです。ロックなんですよ。
— それは面白いですね。
井上 面白くないですよ。昔はもう大体一緒。ロックからみな入ります。ロックギタリストが多かったんです。今はそんなにロックギターは人気ないかもしれないけど。その頃は若者がバンドやるし、ハードロックとか。まあぼくがやってたんはブログレ。
— ブログレですか。
井上 ちょっとクラッシックも入ってたり、ジャズの要素も入ってたけどいろいろ面白い感じで。
— なるほどなるほど。その時も作曲とかもされていたんですか?
井上 いや。してないですね。
— じゃもう完全にコピーバンドという感じですか?
井上 コピーバンドですね。
— でその後にずっとこうだんだんジャズに興味をもっていくと思うんですけど。
井上 ええ。それでなんか大学四年ぐらいの時かな。なんか音楽やりたいなというのがあって。
— それは、プロとしてですか?

井上 プロとしてです。普通に就職したくないなというか、反抗期がその頃から。なんか、ちょっとこのまま就職してはいかんのではないかなと思って。そして、まじめに音楽やギターをやってみたいなと思って。で、その頃にジャズスクールに行きだしのかな。
— そうですか。
井上 なぜジャズスクールかというとやっぱりその頃クロスオーバーが、今でいうフュージョンかな。クロスオーバーが流行っていて、興味をもったんです。それは結局ロックとジャズのクロスオーバー、ロックとジャズのフュージョンだった。それで、これはちょっとジャズを勉強しなきゃ理解できないと思ったんです。京都のジャズスクールに行きだして、そうこうしているうちになんか演奏の仕事が入ったんですね。
— いきなりですか。相当優秀ですね。
井上 とんでもないです。ジャズスクール一年くらい行って、その一緒に行っている人がキャバレーで演奏してて、ちょっとやると言うので僕が一緒について行ったら、君明日からおいでって他のバンドで言われてしまって。そのまま就職せずに大学は卒業してしまったみたいな感じですね(笑)。
— 就職活動もせずに。
井上 全然してないです。そのまま卒業してしまった。
— その後、どのように渡米しようと思ったんですか?
井上 京都でいろいろライブハウスみたいなところでやったりしてて、まあジャズに、フュージョンよりもジャズそのものに興味を持ったんですね。まず25歳くらいのとき1ヶ月だけニューヨークにひたりに行ったんです。
— 音楽にひたりにですか?
井上 音楽にひたりに行ったんです。ジャズを聞こうということで友達と行きました。30日滞在のうち毎日毎日、よなよな出かけてのジャズ三昧でした。それはもうジャズクラブとかコンサートとかいろいろです。
— 毎日。30日間ですか?
井上 30日あったから、40回くらい聞きにいきましたね。昼間もライブ聞けたりするから。観光客ならではのパワーですね。
— どうでした?その時。
井上 いやもうすごかったですよ、カルチャーショックが。結局外国も初めてだったからそういうのも全部含めて文化の違い、言語の違い、音もすごいし。
— それはやっぱりもう自分には持ってないというものがやっぱりあったんですか?
井上 いやもうそれは全然持ってない。
— なるほど。
井上 すばらしいプレイでしたね。
— 本当にそうですよね。すばらしいプレイヤーが目白押しでいますもんね。ニューヨークというところは。
井上 日常でやってますから。
— なるほど。
井上 まあショックを受けて帰ってきたんですね。
— その後どういうふうに?
井上 また関西でずっと演奏ライブやってましたね。また、ギター教えたりしながら。その後再度、ニューヨークに6ヶ月行ったんですよ。4年くらいたってからかな。
— ずいぶん時間があいたんですね?
井上 そうですね。85年やったかな。日航機が落ちたときかな。阪神が優勝したときです。その頃だと思います。その時に当時の観光ビザで最高が6ヶ月だったかな。ちょっとまあ6ヶ月だから生活になりますよね。
— ええそうですね。

井上 その6ヶ月でまたいろんなハプニングがあったというか。1回目行ったときはわりと聞くばっかりだったけど、2回目は実際、ブルーノートで演奏する機会とかあったんです。
— へえー。
井上 ストリートミュージシャンをやったり。ブルーノートにちょっと日本人フェスティバルみたいなのやっていたり、ハーレム行ったり、いろんなところで演奏で花開いたというか。
— それはどうやってこう、なんと言うんですかね。自分を…
井上 売り込んでいったかということですか?それはもうジャムセッションとかありますから。当時ブルーノートのジャムセッションに入っていましたしね。特に楽器を持ってジャズをやる、そういう場所が今でもありますけども、今より多かったかもしれませんね。そういう所に行くと同じ志の人達が集まっているわけですよね。世界中から。で、いろいろ情報交換して、そしてまた仕事でギターが要るからお前やれとか、そういうことが結構ありました。それでなんか俺ひょっとしたらニューヨークでいけるかも。なんかいけんじゃないかな、みたいな、そういう幻想をいだかせてくれたというか。
— へえー。すごい。
井上 ラッキーだったんです。
— ラッキーだったんですか?
井上 はじめに一ヶ月行ったときの下見があったから立ち回りもよくて、それなりにできましたしね。最初の1ヶ月、その後の6ヶ月のニューヨーク滞在の間に京都で自分でも演奏していましたからね。
— それをニューヨークで再現ですか?
井上 ニューヨークで通用したこともあるし、通用しなかったこともある。まあそれでもいろいろ演奏の機会はあったんですね。
— それで音楽でいけるなというふうに思ったんですね?
井上 通用するというか、まあ、ここで何とかアルバイトしたりとか、何とかなるんじゃないかみたいな感覚でしたね。生活して音楽勉強していくことが出来るんじゃないかみたいに思っていました。ただ、6ヶ月行って帰って来た時は、そんな計画は無くて、またやっぱり行きたいなというだけでしたけど。
— そうなんですか?
井上 ニューヨークで生活しようなんか、そういう発想はなかった。
— そうなんですか。
井上 ただ6ヶ月行って、なんとかなりそうなんかな、とかそんな気がしたんですね。そしてその後やっぱり関西に戻って演奏してました。しばらくして、もう一度、行こう。アメリカに行くなら今のうちだぞ、みたいな。どんどんいろいろ関係が出来てきてだんだん動きにくくなってくるでしょ。若いうちかなということで。
— 渡米をしたいと決めたのはどんなことですか?
井上 やっぱり6ヶ月のニューヨーク滞在がすごい自分の中にあったんやろうね。そこでいろいろな何かがパンと開いたんです。チャクラが開いたというか。やっぱり自分を鍛えたいというか、多分6ヶ月いたときに、短期間の6ヶ月しかいないというふうに自分で決めているから、すごい自分で動き回ったんだと思う。
— 生活でだらだらするのではなくて、音楽活動することを決めているから。もうがーんと来たわけですね。
井上 さあ行くぞ。やるぞ。みたいな。気合が入ってたんでしょうね。結局そういう新しい自分を見たのもあったのかもしれん。自分で自分に驚いたというか。自分がそういう環境にあると頑張る。ニューヨークで頑張る。ちょっと逆境といったらおかしいけど、言葉もそんなに流暢に通じるわけじゃないし。そういうところに自分を置くと、逆にこう頑張るというのがあるのかみたいな。そういう性格というかね。そんなこともあって、ニューヨークにもう一回行きたいというのは持ってたわけです。行くのだったらはやめに2、3年行って勉強して、帰って来ると。2年という事やったんだけど、これが今引き継いで16年(笑)
— なるほど。最初は音楽学校に行かれたんですか。
井上 いや。それが行ってないんですよ。
— 音楽学校に行ってないのですか?
井上 行ってない。一年くらいは。ビザが丁度、切れる頃にやっぱりこれは音楽学校でビザ出してもらおうかということになって、ニュースクールに行ったのですね。
— ジャズを学ぶには非常にいい学校ですよね。
井上 ビザだけのためにいったんですよ(笑)。
— ビザだけのためとは思えない位、いい学校ですけどね。
井上 僕も良く知らないから(笑)。行ったらとても良かったですね。それでこれはもう卒業しようと思いました。
— そこで恩師に会われたわけですか?

井上 そこで恩師に会いました。ジムホール大先生に。
— なるほど。そうやって、だんだんアメリカ人を中心に外国人と演奏活動を主にやり始めるわけですよね。日本人と演奏する場合と、外国人と演奏する場合の違いはありますか?
井上 あんまり違いないですよ。
— ないんですか?
井上 ない。相手が日本人だったら日本語でコミュニケーションするだろうし、アメリカ人だったら英語でする。それだけの違い。
— ニューヨークに住んで、一番受ける音楽的な影響というのはどういうものでしたか?

井上 いい影響も悪い影響もあるでしょうね。都会ですから。結局たくさんミュージシャンが集まっている所でやるわけですよね。他の分野のアーティストも含めて、結局層が厚い。たくさんのミュージシャンが切磋琢磨しておる。となるといろんな所でいろんなミュージシャンがいて、又レベルも高いし。まあ低い人もいるんですけれども、結局上から下までのレンジが広い。層もジャンルも。本当にそこらじゅうで日常に音楽が溢れているというかね。だからそういうところに自分を置くことによって、自分で自分のケツをたたくことが出来るかなみたいな。もともとレイジーな性格ですから。それに、学校に行って、ジャズギターだけでなく総合的な音楽の歴史とか、理論もそうですけれども勉強しなさいと言われないとしない科目ってありますよね。例えばコンポジション(作曲)だったり、イヤートレーニングだったり、ミュージックヒストリー、ジャズヒストリー、アンサンブル、アレンジメント、編曲ですね、そのような科目も良かったですね。ジムホールとかそういういい先生に出会えたというのも、ニューヨークでないと実現しない影響というのでしょうか。それと、もっと練習しないといかんなみたいな(笑)。
— ニューヨークに行くミュージシャンの方はもっと練習しなきゃいけないと思うようですね。
井上 なんかミュージシャンは一日じゅう音楽の話をしてるみたいなところがある。人のライブ聞きに行ったりとか、自分で演奏したり。歴史的にジャズの大きなムーブメントが起こった町ですからね。そういうのが残っているんでしょうかね。雰囲気、空気がね、ジャズの。
— 日本にいたら受けにくい刺激ということはあるのでしょうか?
井上 わかりやすい話で言えば、アメリカ人がお琴を学ぼうとしたら、たぶん日本に行くみたいな。アメリカでも邦楽は学べるやろうけど、日本にいったらその周りにある文化や背景や歴史もね。
— なるほど。文化とか言葉とかそういうもの全部すべてを一緒に学びに行かないと分からないということですもんね。
井上 そうですね、ジャズの場合アメリカで生まれた音楽ですし、まあ層が厚いですよね。層が厚いというかほんと豊富ですよね。そこらへんにあるわけだから。そういうところにミュージシャンが集まるし、世界から集まってくるし、そこでこう刺激を受けるんかな。
— 一番影響を受けたのはジムホールですか?
井上 いやもうジムホールのレッスンは目からうろこですね。もともと自分がジャズ、やりだすようなきっかけになった人ですから。
— 井上さんは、音楽というもので自分を見出していったと思いますが、その音楽やジャズというのは井上さんにとって何でしょうか?

井上 自己表現の手段。自己表現の手段やし、それはまた自分が演奏したり作曲したり演奏する時にミュージシャン、他のミュージシャンと美の追求を楽しむというか、何かを作りまたオーディエンスとも一緒に作り上げるという楽しみでもありますよね。いまや自分にとってそれが生活の糧でもありますけど(笑)。
— そうですよね。
井上 そうはいっても結局、音楽に出会えてよかったと思いますね。ジャズに出会えて。
— 音楽は言葉で言えるようなことではなく、お客さんに聞いていただいて、こういうことを自己表現したいんだなというふうに分かって欲しいということですよね。
井上 そうですね。結局メッセージがあっても音で伝えるわけですから。小説家は小説で表現するし、ミュージシャンは音楽で表現するんですね。
— 一流のプロになられて、今後の人生まだまだありますけれどもどういうような夢をもっていらっしゃいますか?
井上 ミュージシャンとして、ギタリストとしてもっともっと成長したいですね。あと作品発表したいし、アルバムも作りたい。今の自分のバンドでもっと活動したいですね。
— なるほど。海外でミュージシャンをやって活躍する秘訣、成功する秘訣ってあるとお考えですか?

井上 成功する秘訣があったら教えて欲しい(笑)。まあ自分がやっている経験から言うと、そうですね、いいものをよい形でプレゼンし続けたらいいんじゃないですかね。結構、日本でもそうだと思いますけど、頑張るというか、すぐ結果は出ないけども、やっぱり長く続けることじゃないですか。長く長く続けられるような環境に自分を置くことが大事ですね。あとやっぱり、実力社会でははったりのないところでの実力がいるし、また一人だけでは音楽はできないので人間関係もあるし、そのへんをクリアしつつ、自分を積極的に動かす。特にニューヨークなんかでは積極的に動けば割とレスポンスがあると思います。なんかいっぱい若い人が来て、まあ僕もまだまだ若いと思っているんですけど、いっぱい20代の人が来て良く相談や、ギター教えてくれとか来るんですけどね。でも頑張って自分の殻打ち破ってそこに行こうという人はやっぱり、そういうパワーを逆に俺がもらっている気がする。友達ばかりで集まってしまってなんかするんじゃなくて、知らない人とも出会って新しいネットワーク作ったりすると良いでしょう。
— なるほど
井上 やっぱりニューヨークは人に会う場所でありますよね。僕も学校に行ってよかったのは、同じような事考えているいろんな人に会うことでしたね。
— なおかつその学校以外でもいろいろな所にジャムに行ったりですよね。
井上 そう。ジャムに行ったりとかね。学校に行っていると、まあ忙しいですけどね。宿題とか。それに、秘訣というのは多分自分のスペシャリティーというのを知ったらいいんやろうね。
— スペシャリティー?
井上 自分しかないこととか、自分の切り口といったらおかしいけど、そういうのあるでしょ?
— 他のミュージシャンと差別化するということですか?
井上 差別化というかミュージシャンだけではなく、例えば自分が映像の得意なミュージシャンだったらそういう切り口とか流れとか、コンピューターの操作が得意とかそういう自分のスペシャリティーを何かみせれるということだと思います。
— 海外で勉強したい留学をしたい、短期も長期もいらっしゃると思うんですけど、そういう方に何かアドバイスみたいなものがあれば教えていただいてよろしいですか?
井上 すごい応援しますよね。やっぱりいいことだと思います。見聞を広めて。アドバイスとしては、その留学する国の言葉を事前に出来る限り勉強しておくと、時間的に得なんじゃないかな。行ってからね。英語だけを学びに行く人は英語を学ぶだけでいいのかもしれませんが、音楽を学びにいく人でも英語はいるわけだし、例えばクラシック音楽をドイツに学びに行くのであればドイツ語をしゃべったほうがいいだろうし。言葉でコミュニケートするわけだから。それが苦手で引っ込み思案になりたくないよね。それに出来が悪くてもやたら先生に食ってかかるとか。お前もういいというような(笑)。日本の子はおとなしく聞いてる。まあ今の日本知らんけども、やっぱりクラスルームをアクティブにしたほうが先生も喜ぶし。意味の無い質問することは無いけど、やっぱりなんか食い込んだほうがいいんですよね、アメリカの学校は。
— 日本人って授業では結構おとなしいですか?
井上 かもしれませんね。
— 言葉ももちろん出来ないでしょうし。
井上 相手が私のこと見てくれないの。みたいに待っている場合があるから。待ったら駄目ですね。
— 実際井上さんもニュースクールで教えている立場としてそういうことを感じるということですね。
井上 そうですね。やっぱりインパクトを先生に残す生徒はなんとなく分かりますよね。気合出しているなと。
— そうするとやっぱりこいつはかわいがってやろうと。
井上 かわいがってやろうかというか、まあなんでしょうね。やっぱりインパクト残したほうが得やろうね。何かとね。
— そうですよね。頭に残りますもんね単純に。
井上 先生もうれしいしね。
— やっぱりうれしいですか?
井上 そりゃやっぱり授業終わって話しかけてきてくれるとね、質問とか。
— いわば質問はどんどんしたほうがいいと言うことですよね。意味の無い質問は先ほど言ったように止めた方がいいでしょうけど。
井上 質問だけじゃなくて積極的に参加するとかね。クラスルームをアクティブにすることが大事ですね。
— わかりました。本日はありがとうございました。
---------------------------------------------------------------------
【井上智カルテット~メロディック・コンポジションズ・ツアー 2007】
6月11日(月)京都:ルクラブ 075-211-5800
6月12日(火)神戸:サテンドール 078-242-0100
6月13日(水)大阪:ロイヤルホース 06-6312-8958
6月14日(木)石川:西田幾多郎記念哲学館 076-283-6600
6月15日(金)福井:響きのホール 0776-30-6677
6月16日(土)鈴鹿:どじはうす 0593-83-5454
6月18日(月)今治:ジャズタウン・プレイベント 会場ジャムサウンズ 0898-33-3023
6月20日(水)大分:ネイマ 097-567-1517
6月21日(木)熊本:エスキーナ・コパ 096-322-5353
6月22日(金)宮崎:Cafe B-flat 0985-28-8456
6月23日(土)東京:金魚坂 03-3815-7088予約制
6月24日(日)甲府:コットンクラブ 055-233-0008
6月25日(月)東京:Body&Soul 03-5466-3348
6月26日(火)舞浜:イクスピアリ 047-305-5700
尚、詳しい時間や料金などは各会場に直接、お問い合わせ下さい。
ツアー全体のお問い合わせはS&J ASSOCIATES(076)222-5960
ドイツ連邦共和国

気候 ドイツの気候は比較的温暖で、北海道に似たような感じ。四季の区別がはっきりしている。夏場は暑いと30度を超えることもあるが、天気の悪い日には気温がかなり下がるので、対応できるように羽織れるものが必要。地域にも夜が、冬はかなり冷え込み、雪もよく降る。氷点下まで下がることも多いので、防寒対策はしっかりとしておこう。 |
|
現在の天気 |
大使館などの在日政府機関 | |
ドイツ連邦共和国大使館 | Embassy of the Federal Republic of Germany in Japan 〒106-0047 港区南麻布4丁目5-10 Tel:03-5791-7700 |
在大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館 | Consulate-General of the Federal Republic of Germany in Osaka-Kobe 〒531-6035 大阪市北区大淀中1丁目1-88 梅田スカイビル東楝35階 Tel: 06-6440-5070 |
在札幌ドイツ連邦共和国名誉領事館 | Honorary Consulate of the Federal Republic of Germany in Sapporo 〒060-8677 札幌市中央区大通東1丁目2番地 北海道電力(株) Tel: 011-251-1111 |
在仙台ドイツ名誉領事館 | Honorary Consulate of the Federal Republic of Germany in Sendai 〒983-8622 仙台市宮城野区榴岡(ツツジガオカ)4-1-4、(株)ユアテック内 Tel: 022-791-8042 |
在名古屋ドイツ連邦共和国名誉領事館 | Honorary Consulate of the Federal Republic of Germany in Nagoya 〒461-8680 名古屋市東区東新町1番地 中部電力(株) Tel: 052-951-8211 |
在神戸ドイツ連邦共和国名誉領事館 | Honorary Consulate of the Republic of Germany in Kobe 〒651-0087 神戸市中央区御幸通8−1−6 神戸日独協会事務所内 Tel: 078-230-8150 |
在広島ドイツ名誉領事館 | Honorary Consulate of the Federal Republic of Germany in Hiroshima 〒730-8610 広島市中区東千田町2-9-29、広島電通(株)内 Tel: 082-242-3511 |
在福岡ドイツ名誉領事館 | Honorary Consulate of the Federal Republic of Germany in Fukuoka 〒812-8707 福岡市博多区千代1-17-1、西部ガス内 Tel: 092-633-2211 |
ドイツ政府観光局 | 〒107-0052 東京都港区赤坂7-5-56 ドイツ文化会館4階 電話03-3586-5046(テープ案内) 月曜‐金曜 13時‐17時(ただしご質問等の受付は16時までとさせていただきます) 土・日・日本の祝祭日、5月1日、10月3日、12月25日はお休み。 |
現地日本大使館 | |
在ドイツ大使館 | Germany Botschaft von Japan Hiroshimastr.6, 10785 Berlin, Bundesrepublik Deutschland Tel: (49-30) 210940 Fax: (49-30) 21094222 |
在デュッセルドルフ総領事館 | Dusseldorf Japanisches Generalkonsulat Immermannstr. 45, 40210 Dusseldorf, c/o Deutsch-Japanisches Center, Bundesrepublik Deutschland Tel: (49-211) 164820 Fax: (49-211) 357650 |
在ハンブルグ総領事館 | Hamburg Japanisches Generalkonsulat Rathausmarkt 5, 20095 Hamburg, Bundesrepublik Deutschland Tel: (49-40) 3330170 Fax: (49-40) 30399915 |
在フランクフルト総領事館 | Frankfurt Japanisches Generalkonsulat Taunustor2 23. OG, 60311 Frankfurt am Main, Bundesrepublik Deutschland Tel: (49-69) 2385730 Fax: (49-69) 230531 |
在ミュンヘン総領事館 | Munchen Japanisches Generalkonsulat Karl-Scharnagl-Ring 7 80539 Muenchen, Bundesrepublik Deutschland Tel: (49-89) 4176040 Fax: (49-89) 47-05-710 |
ダンス留学アメリカ特集 vol.17. 2014-12-10 04:00:00
【連載中!長期留学のコツが満載!】音楽留学メールマガジン≪長期留学特集Vol.3≫
磯田小波さん/ニース夏期国際音楽アカデミー
★12/5・木 18:00-【☆ ブリティッシュアイルミュージックフェスティバル☆】ディレクター、スーザン・ミラン先生が講習会について解説致します!★
British Isles Music Festival BIMF
Information Session
~ブリティッシュアイルミュージックフェスティバル、オンライン説明会~
参加費無料・完全予約制・オンラインでの参加も可能です
ゲストスピーカー:Susan Milan先生 ARCM Hons, FRCM, PGDipGSMD
日時:12月5日(木)18:00-18:30
場所:≪アンドビジョン・東京オフィス≫
〒101-0052
東京都千代田区神田小川町3-8 神田駿河台ビル2階
JR御茶ノ水駅御茶ノ水口から徒歩7分、東京メトロ半蔵門線神保町駅から徒歩5分程度
♪参加ご希望の方は、こちらからオンライン予約フォームを送信して下さい。
※説明会予約を選択→その他ご要望等に“BIMF”とご記入下さい。
お電話・FAX・メールでのご予約も承っております♪
電話:03-5577-4500 FAX:03-4496-4903 メール:このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。
坪井悠佳さん/ヴァイオリン/チューリッヒ国立高等音楽院ザハール・ブロンアシスタント/スイス・チューリッヒ
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はスイス、チューリッヒ国立高等音楽院で世界的名教師ザハール・ブロンのアシスタント兼講師/演奏家としてご活躍中のバイオリニスト坪井悠佳(ツボイユカ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ヨーロッパで学ぶバイオリン」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2005年9月)
ー坪井悠佳さんプロフィールー

東京生まれ。4歳よりヴァイオリンを始める。14才でイギリスのユフディ・メニューイン・スクールに留学。メニューインに認められメニューイン指揮フィルハーモニア・ハンガリカとモーツァルト協奏曲第三番を共演。メニューインの80歳記念コンサートやウィグモアホールでのコンサートに出演。メニューイン設立の慈善財団に所属し病院や施設などでコンサート活動を行っている。そのほかスイス、イタリア、スペイン、イスラエル、オーストリア、シンガポールなどで演奏会を行う。スペインのサラサーテ国際ヴァイオリンコンクール第二位、チューリッヒ、キヴァニス・コンクール・ヴァイオリン部門第一位、パドヴァ国際音楽コンクールソロ部門、室内楽部門共に優勝、ヤマハ奨学金、マイスター奨学金受賞など数々の国際的な賞を受賞。ロンドン王立音楽院を経て現在スイス、チューリッヒ国立高等音楽院で世界的名教師ザハール・ブロンに師事しアシスタントを務める。また弦楽四重奏GALATEA QUARTETを結成しヨーロッパ各地で出演予定。ウィーン・マスタークラスとモーツァルテウム夏期アカデミーで教える。現在最も優れたバイオリストであると同時に後進を育てる教育者でもある。
ー 坪井さんの経歴をごく簡単にご紹介していただけますか?
坪井 最初桐朋学園の子供のための音楽教室に行っていたんですね。それからイギリスのメニューインスクールというところへ14歳のときに行きました。それは全寮制の音楽学校でした。そのあとに卒業はしなかったんですけども、3年間英国王立音楽院に行きました。そして現在チューリッヒの国立音楽院でザハール・ブロン先生のアシスタントをしています。
ー ずいぶん早い時期から海外にでているのですが、何か興味を持ったきっかけがありましたか?
坪井 小学校卒業した時は日本にいたんですけど、そのあとシンガポールにうちの父が転勤になったんですね。それでシンガポールに中学校から2年間行っていたんです。小学校は桐朋だったもので、そのあと中学校に戻って桐朋の高校の音楽科を受ける予定だったんですが、外国にかなりちょっと興味を(笑)。
ー もうもっちゃったんですね(笑)。
坪井 はい。いろいろ知り合いの方に聞いてもらって、イギリスに全寮制の音楽学校(*注:メニューインスクール)があるというのでそこに行きました。
ー それは音楽をやりたかったんですか?
坪井 そうですね。私から行きたいと言いました。
ー 何かきっかけみたいなのはありましたか?
坪井 桐朋の高校の音楽科を受験するつもりだったので、夏期講習を受けに日本に帰ってきたんですね。そのときに昔ついていた先生にお願いしたんですけども、その方にずいぶん日本にいた時と変わっているし、もう帰ってくる必要ないわよって言われて(笑)。もう私が留学しているということは伝えてあったんですけれども、その学校を先生もご存知で、行ってみたらということになって、イギリスに行くことになりました。それで母がお友達でドイツに住んでいる方に聞いて手紙を書いたらオーディションに来ないかという返事が学校から来まして、すぐイギリスに行ったんです。
ー 音楽というといろいろジャンルがあって、通常、若い時期って、若い時期というか子供の時期って、結構ポップとかロックとかに惹かれていくと思うんですが、そうではなかったんですか?
坪井 そうですね。イギリスの学校は寮で、いつも部屋をシェアしていたんですね。同世代の女の子たちと一緒に生活していたんですけれども、その子の影響でラジオや今はやりの音楽は聞いていましたけど、クラシックが小さい時から自然なものになっていたのでそういうほうに興味がありました。もちろんポップスなど聞くのは楽しかったですけれども興味は湧かなかったですね。
ー ご両親は音楽家でした?
坪井 そうですね。うちの母は音楽学をやっていてピアノも弾いていたので小さい時は一緒に弾いていたりしました。
ー じゃ、本当に小さい頃から音楽が身近にあったのですね。
坪井 そうですね。割とそうかもしれない。うちの家族は音楽を聴くのは好きです。
ー 坪井さんはイギリスとスイス・チューリッヒの2ヶ国に留学されていますよね。実際に留学するにあたってそれぞれいい点と悪い点とあると思うんです。イギリスだったらこういう所とか、スイスだったらこういう所とか、そういう事があると思うんですけれども、それぞれ簡単にこういう所が良かったなとか、こういう所が悪かったなとかそういう所があったら教えていただいてよろしいですか?
坪井 メニューインスクールというのは全寮制の学校で、みんな一緒に生活するんですね。その中で普通の授業もありますし、大学などの機関もその中でやっていたのですけども、とても密度の高い留学生活というかみんないつも一緒にそこにいるので。
ー ずっと一緒ですもんね。
坪井 そうですね。だから普通、留学したらどこかに住んで大学に通うとかそういうことですよね。ここは全寮制なので本当に密度の高い、いつもなんというか音楽に触れているという感じですね。最初の頃は、本当に良かったなと思います。友達も音楽をやっているので。
ー もう音楽づけという感じですか。
坪井 づけですね。
ー そのあとに行かれたロンドン王立音楽院はどうでしたか?
坪井 ロンドン王立音楽院に行ったのは、先生についていった形でした。それ以外は、私はそこにあまりいい思い出はないのですけれども(笑)。メニューインスクールというのは本当田舎にあるんです。ロンドンから電車で3、40分行ったところなんですね。そこの駅からずいぶん遠いところで本当に田舎なんですね。王立音楽院というのは街の真中にあって、コンサートに行くにも美術館に行くにも何をするにも近いところでした。そういう意味ではカルチャー的にいい環境だったと思いますけれども、そこでは普通の音楽大学生活を送ったと思います。
ー メニューインスクールでは日本人はいらっしゃいましたか?
坪井 私が行った当時は全部で50人くらいの学校でした。8歳から18歳までの。日本人の方はあと3人くらいいました。
ー その方はどうやってこの学校を選んだりしたのですか?
坪井 大体親御さんが誰かを通じてこの学校を知ったという、そんな感じでしたね。
ー ロンドン王立音楽院は、いい思い出が無かったというのはあんまり学校に満足しなかったのですか?
坪井 そういうわけではないですけれども、留学期間が長くなってきて、このままイギリスにいるのか、それとも他の国に行くのかというのを迷った時期だったんですね。イギリスは、大体10年間いると労働許可を申請できるんです。5、6年いたところでこのままイギリスにいるか、また先生のことも悩んでいてもうちょっと違う先生にしたいなと考えていたんです。それでイギリスで探すのか、どこか違う国で探すのか迷っていた時期でした。
ー スイス・チューリッヒの学校が浮かんできたのはどうしてですか?
坪井 ドイツの夏期講習に一回行ったときに習いたい先生に会ったと感じました。その方が新しいクラスをチューリッヒの音楽院でするのでよかったら来ないかということで、そちらに行きました。私もあともう一年でロンドン王立音楽院を卒業ということだったんですけども(笑)。三年間行ったんですが、結局それも無視して(笑)。
ー もったいないといえばもったいないですよね。
坪井 そうですね。でもチューリッヒのほうで卒業できたらしたいなと思ったので。王立はやっぱりあんまり好きじゃなかったんでしょうね。それで教師の資格をとって、そのままチューリッヒに今もいます。去年の9月にやっとソリストディプロマをチューリッヒで取りました。その前の学歴は小卒だけだったんですよ (笑)。
ー 師事する先生を選ばれたのは、知っている先生がいて夏期講習を受けたのですか?
坪井 メニューインスクールで会った先生で、いい先生だなとその時も思っていました。王立に行くときについていった先生が、前にお世話になった、すごいいい先生だという話をしていてそれで夏期講習に行ってみようかなと思いました。
ー スイスを留学先とすることで何か重要なことはありますか?
坪井 先生をやっぱり見極めることが大事かな。私がチューリッヒで習った先生はもともとミュンヘンで教えていたらしいのです。本当に気に入って教えてくれるのならミュンヘンに行こうかなと思っていたんですけど、たまたまその先生がチューリッヒに行ったのです。夏期講習などを利用して先生と知り合うなり、友人を頼りにしてどういう人がいるのかを知るのが一番いいですね。
ー スイスには、日本人の方は結構いらっしゃいますか?
坪井 チューリッヒと隣のウィンタートゥーアという町があるんですね。そこの学校がオーケストラなどで一緒にプロジェクトをしたりします。チューリッヒには、日本人は20人くらいですね。結構チューリッヒに住んでない方もいらっしゃって、他の国から時々通っていらっしゃる方もいますし、ウィンタートゥーアのほうはちょっとよく分からないのですけど20人近くいるんじゃないですかね。
ー スイスいいですものね。
坪井 中都市なりにもいろいろな催し物があるのでその点はいいです。
ー ヨーロッパは音楽的に盛んな国、例えばウィーンやドイツなどがあると思うのですが、特にどこかの国でやれば良いとか、どこかの町でやったほうが音楽的に有利とか、そういうのはあるのですか?
坪井 もちろんウィーンなどは本当にいろいろコンサートもたくさんあり、代々音楽家が活躍した場で、もちろんそういうのに触れて音楽活動するというのは夢のようですね。ただ、留学にあたっては、私にとってはいい先生についてそこから音楽活動するという事が重要でした。そういう意味でオーストリアやドイツもちろん魅力的ですけれど、別に国や街はあまり関係なく、音楽的に密度の高い環境にいる事が重要だと思います。
ー 現在は、スイスが主なお仕事の場所でしょうか?

坪井 それがまた元の話に戻るんですけれども、スイスへ師事したい先生についていたのですが、彼女が1年後に突然病気になってしまったんです。それで彼女についていた9人の学生もみんな路頭に迷っている感じになってしまいました。それでどうしようかウィーンに行こうか他の国にもあたってみようかと思っていた最中に、非常に有名な今の先生のザハールブロン先生がチューリッヒにいらっしゃることになったんですよ。
ー それはすごい。もちろん、今までザハールブロンはいなかったのですよね。
坪井 はい。彼はケルンとマドリッドの音楽院でずっと教えていたんですけども、結局友人の方の紹介で今度スイスにいらっしゃることになったということです。今までメニューインスクールにもいらしてたし、お友達も先生に付いていたので、先生のお話はもちろん聞いていました。ただ、有名な先生なので私にあうかかなり心配だったんです。ロシア流のなんとかとか、いろいろどうなるか心配だったんです。でも実際ついてみると、本当に基本を極めるじゃないですけど、音楽の原型を崩さずにどうやって教えるかというのを極めていらっしゃる先生だったのですごく良かったです。
ー じゃ本当に基本を忠実にして土台作りをしっかりしようという教え方なんですね。
坪井 そういう教え方ですね、基本的に。なんというかな、音楽のエッセンスをどうやって伝えるかという教え方だったので。もちろん自分の理論を押し付けるという面はまあちょっとありましたけれども(笑)。でも、それを自分で選択できるという形にはなっていたので、先生が言っていることでいいなと思っていることはやるし、別に必要ないと思ったことはあえてやらなかったし。
ー ディスカッションをしながらやっていく感じですね。
坪井 そうですね。先生も日本に何回も何回もいらした方だし、日本語もかなり達者なので。その中でいろいろ楽しみながらディスカッションという感じですね。それで現在は、先生のアシスタントなんですね。
ー 通常オーケストラや室内楽などもスイスで行っているのですよね?
坪井 私は弦楽四重奏をかなり積極的にやっていて、スイス人の方と結構頻繁にしています。
ー 留学をする方は、留学することが目的の一つであると思うのですが、その後に仕事をしたいと思う方は多いと思うのです。スイスで仕事をするにあたってどういうふうにすればプロとして活動できるのですか?
坪井 そうですね、私のカルテットの場合で言ったら結成した後すぐにコンクールを受けました。そういう機会を与えてくれるコンクールなどに入賞すると結構連絡があります。また、新聞に載るのでそれを見てもらうなどですね。でも、結構人づても多いですよね。もしかしたら大体人づてかもしれません(笑)。
ー やっぱり人なんでしょうか、一番は。
坪井 クラシックを好きな方は結婚式とかパーティーでクラッシック音楽をやってくれないかというのがあるのです。チェロの人が、そのような仕事をやっている仲間だったんですね。それが延長して、コンサートなどの連絡を受けて契約書作ってというようになっていきましたね。やっぱりスイスではかなり人づてが多いと思います。
ー スイスで仕事をするにあたって、日本人が有利な点もしくは不利な点はありますか?
坪井 日本人の方はだいたい時間に遅れてきたりするなどはまずありません。皆さん、一生懸命練習してくるので、変な演奏をしないというように信頼さていることもあります。演奏の面でなくても、まじめさという面で日本人というのはだいたい信頼されていますね。
ー 僕のイメージだとスイス人も含めてドイツ系というのは結構硬いですよね。それでも遅れてくるような人がいらっしゃるんですか?
坪井 スイス人は大体時間どおりに来ますね。スイス人は本当にそういう面ではきちっとしてます。でもその他の人種がねー(笑)
ー ラテン系ですか(笑)
坪井 そうですね。すごいですよ。人によるんでしょうけど(笑)。
ー 坪井さんはクラシック音楽を小さい頃からやってきたと思うのですが、そういう方にとってクラシック音楽ってなんでしょうか?
坪井 小さいときから慣れ親しんだのですが、クラシックはいろいろな事がまざって人が作り出したという感じがすごい好きですし、本当に出会ったことに感謝しています。
ー 少し話をもどさせていただくのですが、いろいろな国があってスイスを決めるという部分。先ほどウィーンなども引き合いに出しましたが、スイスを留学先に決めることで何か良かったと思うところはありますか?
坪井 学校からいろいろ頼まれたり、本当にいろんな事をさせてもらったのでそれはすごく良かったと思います。イギリスでは私はあんまり大学でそういうことをさせてもらったことはなかったので。メニューインスクールでは何でもやったんですけど、そういう面でも人づてというのはあるんでしょうけどね。
ー なるほど。
坪井 人を通して知り合ってそこからいろいろ始まるというのが。
ー あるということですね。ところで坪井さんの将来の夢を聞かせていただいてよろしいですか。
坪井 学校で先生のアシスタントという教えることを始めて、それが意外なことにすごく好きになっています。今はアシスタントなので、先生がいないときに補助をするという形です。自分がいろいろな方の役に立てるのは本当にうれしいと思っていますので、今後、自分でもこの部分を伸ばしていきたいと思っています。将来的にどこにいるにしても、今と同じように大学などで教えることを基本にやっていきたいと思っています。
ー 演奏活動をメインにするよりは、教えることをメインにしていくということですか?
坪井 両方ですね。でも教えることは本当に興味があります。二つの夏期講習会に先生と一緒に行ったのですね。そこでかなり興味も沸いたし、いろいろな人と知り合えるのは良かったです。
ー 先ほどから聞いていると人と知り合うことがお好きなようですね。どういう形であれいろいろな人と知り合っていくことで自分がどんどん面白くなっていくという事ですね。
坪井 そうですね。でも人と知り合うには、やっぱり語学力も必要ですね。最初にスイスに来た頃は知り合いも少なかったですし。
ー ドイツ語ですもんね。
坪井 ええ。だんだん慣れていって信頼を得るというか。信頼関係ですからね。
ー だいたいどのくらいかかりました。ずいぶん友達も多くなってきたなと思ったのは?
坪井 そうですね。最低2年ですね。
ー その位は必要ということですね。
坪井 スイス人は、イギリス人も同じところありますけど、最初はあまり信用しないですよね。遠めで見ていて、ああ、あいつは大丈夫だ、みたいになっていくと思います。そうやって試しているのでしょうね。多分。ラテン系の人だともうちょっと最初からフレンドリーだと思いますけど、ドイツ系の方はちょっとまあ離れて見ていますね。
ー 坪井さんにとって海外で、ヨーロッパというのですか、ミュージシャンで活躍する秘訣みたいなもの、成功する条件みたいなものはあるとお考えですか。日本人として。
坪井 海外ならもとの話になりますけど人と知り合うことですね。人脈を他の面でも広げていきたいのだったら本当にインターナショナルな環境に恐がらずにいることです。いろんな方と知り合うというのにはいろんなプロジェクトに参加するなり、面倒くさいことでも色々やってみて友達になって、その輪を広げていくとか。そういうことも大切だと思います。
ー やっぱり輪を広げていかないと物事って何も進まないですもんね。いろんなところから仕事も入ってこないだろうし、人間的にも大きくならないですよね。
坪井 電話番号回してもらうじゃないですけど、いろいろなところに可能性を広げていくとか、本当にそういうのがうまい方っていらっしゃるんですよね。でも押し付けているんじゃなくて、わきまえてちゃんとやっている方というのがいらっしゃって、見ていてすごいなと思います。まあ、あんまりやると….ですけど(笑)。でも面白いと思います。
ー 面白いですよね。どんどん人が広がっていくのって。スイスの場合でもイギリスの場合でも能動的でないと、自分のコネクションを広げられませんか?
坪井 それはそうですね。もちろんその場にいることも大切です。その場というのはいろんな事があると思うのですけど、コンクールなり、集まりなりそういうことに自分から働きかけていかないと、来てくれるわけでもないですからね。来てくれる場合もあるでしょうけど、いろんな方に話しかけたり、まめな方がかなりいいですね。
ー まめな方でないと結局いろんな人を知ることはできないですからね。最後に今後留学される方にアドバイスを頂いてよろしいですか?
坪井 とにかく自分ということをしっかり持って留学することが一番だと思います。いろいろな失敗をしても自分で選択したことだと思うと後悔しないと思うのですよね。何かやり遂げたときは自分でやったと思うと成長したなと感じるでしょうし。留学する時点になって友達などに頼る面があっても、それからは自分でやっていかなきゃいけないので、まず自分からというのが一番大切だと思います。
ー 分かりました。日本人は性格的に、消極的になりがちで、それが美徳になっています。坪井さんはスイスで教える側の立場に立って、そういうのが見えていると思うのですが、典型的に見て日本人はヨーロッパでは消極的な感じがしますか?
坪井 やっぱりそうですね。向こうの子達というのは本当に良く質問してきますし、そういう意味では違う性格だとは思います。しかし、それを無理に積極的にするように押し付けるようになっても日本人のいいところはいいところだと思います。そういうところが外国人の方達に気に入ってくれるかも知れないですしね。そういうものは結構大切にした方がいいと思います。でも、そればっかりだと何にも出来ないですけれども。控えめなところは控えめにして、それでも自分でちゃんとやっていくということでしょうね。
ー 今後の演奏会の情報を教えていただいてよろしいですか。
坪井 パドヴァというヴェネチアの近くの町でリサイタルがあります。(2005年)11月、12月は結構カルテットのコンサートがあります。一つがドイツのシュトゥットガルトです。来年の1月にはチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトをアルメニアで弾きます。1月に施設のコンサート、2月、3月はピアノとデュオのリサイタル、4月はチューリッヒトーンハレで室内楽のコンサートがあります。
ー わかりました。本当に最後に留学する方にこれだけは言っておきたいなというところはありますか?
坪井 将来のビジョンって自分の中でいろいろ変わってくると思うんですけど、私なんかも全然変わってきちゃったんですね。でも細部は変わったけど大きいビジョンはあまり変わっていないように思います。そういうことを思い描くことも大事かと思います。例えば何年留学したいのか、日本かもしくは海外の活動を広めていくのか、演奏でやっていきたいのか教えるのかそれとも両方か。この二つでなくとも色々な可能性はあります。私がシンガポールにいたころは大きい夢だけを頭の中で描いていたような気がします。
ー ビジョンが大切ということですね。ありがとうございました。
ノルウェー王国

気候 日本よりもだいぶ北にあるノルウェーだが、気候は比較的温暖。これは、貿易風と暖流のおかげで、海岸に近い割には大陸的な気候といえる。南北に長く、起伏の激しい地形のため、地域によって気候がだいぶ異なる。夏は雨が多い。一年でも最も寒いのは1月、2月で首都オスロだと−5度前後、山間部だと−まで冷えこむ。 |
|
現在の天気 |
ビザ | シェンゲン条約加盟国の15ヶ国合計で、滞在日数が3ヶ月以内の場合は、ビザは不要。学生ビザについてはこちら。 |
パスポート | 必要な残存有効期間は3ヶ月+滞在日数。 |
大使館などの在日政府機関 | |
ノルウェー王国大使館 | Royal Norwegian Embassy in Japan 〒106-0047 港区南麻布5丁目12-2 Tel:03-3440-2611 開館時間:月〜金 (9:00〜12:30/13:30〜17:00) |
在神戸・大阪ノルウェー王国名誉総領事館 | Royal Norwegian Honorary Consulate-General in Kobe-Osaka 〒650-0046 神戸市中央区港島中町5丁目1-1 Tel: 078-303-1786 |
在札幌ノルウェー王国名誉領事館 | Royal Norwegian Honorary Consulate in Sapporo 〒060-0004 札幌市中央区北四条西11丁目 株式会社札幌オーバーシーズ・コンサルタント内 Tel: 011-231-6547 |
在長野ノルウェー王国名誉領事館 | Royal Norwegian Honorary Consulate in Nagano 〒380-0935 長野市中御所5丁目1-18 吉田興産株式会社内 Tel: 026-228-3163 |
在福岡ノルウェー王国名誉領事館 | Royal Norwegian Honorary Consulate in Fukuoka 〒810-8629 福岡市博多区中州2丁目6-10 (株)ふくや内 Tel: 092-281-0468 |
スカンジナビア政府観光局 | スカンジナビア3国の情報提供 |
現地日本大使館 | |
在ノルウェー大使館 | Norway Embassy of Japan Wergelandsveien 15, 0244 Oslo, Norway. Tel: (47) 2299-1600 Fax: (47-22) 44-25-05 |