原知恵子さん/イタリア語留学/イタリア・ペルージャ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

原知恵子さんプロフィール
東京音楽大学音楽学部声楽演奏家コース卒業後、同大学大学院声楽専攻修了。第5回日本演奏家コンクール大学の部 奨励賞、第5回大阪国際コンクール大学の部第3位(1位・2位なし)、第23回江戸川区新人演奏会にオーディション合格し、演奏会出演。江戸川区主催「サロンコンサート」出演、婦人民主クラブ主催「クリスマスコンサート」「ジョイントコンサート」出演、その他様々なコンサートに出演。これまでに、中澤桂・大川隆子・釜洞祐子・吉田恭子・横山修司の各氏に師事。2009年4月よりイタリア・ペルージャにて語学留学中。
-まずは簡単なご経歴を教えてください。
原 東京音楽大学を卒業して、同大学院に進みました。その後アルバイトや派遣の仕事をしながら音楽活動をして、去年の4月にイタリアのペルージャに来ました。
-会社勤めをされていたんですね。
原 フリーターのような感じですけど。コンサートや音楽活動もしていましたので。
-どのようなお仕事をされていたんですか?
原 テレマーケティングなどもしましたし、ここに来る前の2年間は、発展途上国に鉄道や道路を作る建設コンサルタント会社の事務として働いていました。

-面白そうですね。
原 仕事も面白かったですし、とても良くしていただきました。
-声楽は、ずっとイタリアやドイツのものが中心ですか?
原 大学にいた頃は、ドイツ、日本、イタリアの曲などを歌っていました。大学院の修了演奏はドイツ歌曲でした。卒業してからは、イタリアものが多いですね。先生がイタリアの曲を中心に教えてくださる方なので。
-今はイタリアにいらっしゃると言うことですが、演奏活動などはされていますか?
原 全くの留学ですね。しかも、音楽留学ではなく語学留学です。
-そうなんですか!それはまたなぜ?
原 音楽活動だけでは生活していくのは難しいですよね。両親の理解もあって、20代のうちは、音楽を続けさせてもらっているんですけど、早く自立しなくてはと思っていて。なので、大学院を卒業してから、さらに音楽で留学するということは考えていなかったんです。そこで、音楽以外に自分に何ができるかを考えたときに、イタリア語に行き着いたんです。声楽をやる上で、イタリア語を理解することが重要になって来たのもきっかけですね。読んで意味を調べて歌うことは出来るんですけど、イタリア語の独特の響きや、リズムを勉強するほうがいいと思いまして。語学を勉強するのは好きでしたし、イタリア語も興味がありましたので。とにかく、これを仕事に活かせるものにしようと思いペルージャに来ました。
-大学院まで卒業されていると、その先も勉強を続けていくっていうのは難しいですか?
原 オペラ団体に入るっていう方法もあるんですけど、そこも結局、お金を払ってまた専門学校に行くような感じなんですね。そのお金があるなら、思い切って留学してみようかな、と。

-イタリア語を学ばれているということですけど、レッスンは週5日ですか?
原 はい。クラスのレベルによっても授業数は違いますけど基本は週5日です。レベルが6段階あって、私は、最初は上から3番目のクラスから始めたのですけど、こういう下のクラスは、文法中心にやっていくのでそんなに授業はないんです。文法が週に12時間、会話が4時間程度。ワンターム3ヶ月なんですが、一番上のクラスだけが6ヶ月なんです。今、私はそのクラスにいて、あと3ヶ月というところです。上の2つのクラスは、イタリアの文化や歴史という授業が入ってくるので、週に28時間くらいは授業があります。
-文化の授業などは、準備というか、調べものをしたりすることもあるんですよね?
原 はい。音楽は大丈夫なんですけど、歴史や文学などは大変です。ヨーロッパ圏の人は基礎知識がありますが、私はゼロからなので。インターネットを駆使して、いろいろ調べものはしています。
-将来、音楽活動をされる上でも刺激になりそうですね。
原 直接関わってこなくても、美術・音楽・文学は、常に関係していますからね。
-それにしても、中級クラスから始まったのはすごいですね。
原 いえいえ、こちらに来たばかりの時は全然ダメでしたよ。日本で勉強していたといっても話す機会はありませんでしたから。

-日本でも文法などは勉強されていたんですよね。
原 はい、学校でも授業がありましたし、卒業してからもイタリア語の学校に通っていました。
-やはりそういう準備をしておくべきですか?
原 そうですね、ゼロの状態で来てしまうと、まず生活するのが大変なので。旅行会話が出来るくらいには、語学は勉強してからの方がいいと思います。基礎の部分に時間をかけると、せっかくの時間が無駄になると思うので。
-なるほど。今はどういうところに住んでいるんですか。
原 学生アパートというか、共同アパートです。ここに来る前に、インターネットで不動産屋に頼んで決めました。私はイタリアに住む以上、イタリア人と暮らしたかったので、その希望を出しました。それで今の家を紹介してもらったんですけど、イタリア人の女の子3人と住んでいます。
-楽しそうですね!
原 はい。すごくラッキーでした。家もきれいだし、みんなすごくいい子たちなので。
-その方々は学生さんですか?
原 国立ペルージャ大学に通う子たちです。経済・生物などみんな専攻はバラバラなんですけど、ひとり語学系の勉強をしている子がいて、よく助けてもらっています。

-最初から意思の疎通はうまくいきましたか?
原 必要最低限のことは言えたんですけど、それ以外の日常的なおしゃべりになると、最初はなかなか入りにくかったですね。テンポもすごく速いし。でも、だんだんその人のしゃべり方に慣れてきて、向こうも慣れてくれたのもあって、一緒に買い物に行こうとか、誘ってくれるようになってきました。
-話す機会がないと覚えませんもんね。
原 語学留学で、イタリア人の友達を作るのは難しいじゃないですか。なので、家でもずっとイタリア語を話さなければいけない環境に自分を置けたのは、とても良かったと思います。学校で習っているだけじゃ、絶対にここまで来れなかったと思います。
-今の学校はどこの国の人の方が多いんですか?
原 この学校は、イタリアの国立大学が、外国人に向けて語学や文化を教えるために作った学校なので、世界中から学生が集まっています。EU圏の学生は、短期で来ている人が多いですね。あと、大学と中国の間で交換留学をさせるプログラムがあるみたいで、中国人専用のクラスがあります。
-ほかの学生さんと話す時もイタリア語ですか?
原 下のクラスだと、英語だったりします。あと、中国人は固まって中国語でしゃべってますね。日本人も同じです。今のクラスでは、日本人は私一人だけなので、私は必然的にイタリア語だけですね。
-語学留学するからには、その国の言語を話すべきですよね。その点、原さんはイタリア語漬けの生活を自ら選んだということですよね。素晴らしいです。
原 私も日本人が周りにいたら集まってしまうと思うし。やはり、この生活で良かったなって思いますね。
-細かい話ですけど、みんなでご飯を作ったりはしますか?
原 はい。基本は自分のものは自分で作るんですけど、みんな私よりもお料理が上手なので、よく作ってもらっています(笑)。ごくたまに私も日本の料理を作ってあげることがあるんですけど。イタリア人はトマトソース・サラミ・チーズ・ワインなど、なんでも自分の地元のものを一番と思って食べるんです。帰省したり彼女たちの両親が来る度に、食料をごっそり持って来るので、それをご馳走になったりします。
-本場の料理が楽しめるんですね!イタリアだと、やはりパスタですか?

原 パスタは多いですけど、一日に2回はないですよ。昼はパスタで夜は肉料理とかが普通です。
-日本食を作って食べたりしますか?
原 はい、材料を集めるのが難しいですけど。中国人が経営しているところで、おしょうゆやうどんを買ったりします。お好み焼きやカレー、焼うどんなどを作りました。
-やっぱり、日本の味が恋しくなりますよね。
原 恋しくなりますね。日本の食材は、来る時にたくさん持って来ましたし、先日も両親に送ってもらってたりして、けっこう充実してはいるんですけど(笑)。
-生活費は、月にどのくらいかかりますか?
原 家賃なども入れて、だいたい10万円くらいでしょうか。家賃がそんなに高くないので。光熱費はシェアですしね。
-シェアしたほうが安上がりですし、いい経験も出来て良いですよね。
原 こちらでは、ルームシェアが基本です。一人住まいもありますけど、料金が高いので、大抵みんなシェアしています。
-今、ペルージャにお住まいということですが、オペラを観に行ったりはしますか?
原 ここからだとフィレンツェまで電車で約2時間、ローマまでは3時間くらいで行けるんです。なので、そこに行った時は、オペラにも行きますね。泊りがけでヴェローナまで行って、野外オペラを観たりもしました。ペルージャでのオペラ公演は、年に一回しかないんですよ。それは残念なんですけど、オペラ以外のコンサートは頻繁にあります。
-声楽に触れる機会もあるんですね。ちなみに、生のオペラはいかがでしたか?
原 やっぱりすごく素敵でしたね。日本で観るのとは違うし、安い料金で気軽に観にいけるのが魅力ですね。あと、観ている人たちもノリが違うというか、心から楽しんでいて、その雰囲気も味わえるので、すごく楽しいです。
-劇場も大きいんですか?
原 基本的にイタリアの歌劇場は日本のように大きくはないです。馬蹄型の劇場で内装やシャンデリアもすごく素敵な劇場です。
-安く観られるんですか?
原 ペルージャで観た時は、10ユーロでした。普通料金は15ユーロなんですけど、学生料金があるので。
-それはいいですね!たまに歌いたくなったりしないんですか?

原 大学の授業で音楽史の授業があって、そこに教えに来ている先生がペルージャ音大のピアノの先生なんですよ。その先生が、学校のホールを使ってピアノを弾き、私たちに歌わせてくれるんです。そこで、たまたま先生が、私の声を気に入ってくださって。何度かコンサートを企画してくださったりしたんです。あと、学校の校舎が貴族の宮殿を使っているため、この建物の歴史に関する本が出版されたとき、セレモニーがあったんですが、そこで歌わせてもらったりもしました。なので、本当に私はラッキーだったんですが、歌う機会はあるんです。まだ帰国するまでに2回ほどコンサートの予定があります。
-それは素敵な縁ですね!
原 あとは、大学にある合唱団でソプラノが少ないから、ソプラノの声を厚くするために助けてくれないかって言われたりして(笑)。12月には合唱団の演奏旅行に付き添って南イタリアのバーリまで行ったりもしました。
-充実してますね!
原 本当に充実しています。
-今年の3月以降は、日本に帰国されるんですか?
原 3月の末日までテストがあって、バタバタ帰国するのはいやなので、滞在としては4月末までのつもりです。
-イタリアで音楽活動と言うわけではなく、とりあえず帰国なんですね。
原 音楽活動は考えていなくて、きちんとした仕事があれば、イタリアに残りたいと思っています。難しいことですが、今色々な人に話を聴いたりしていて可能性を模索している最中です。何もしないと後悔すると思うので、自分が納得できるところまで挑戦して帰るつもりです。
-イタリアは原さんに合っていましたか?
原 そうですね、生活のリズムや考え方とか、日本とは全然違うので、来たばかりのときは戸惑いましたけど、私の性格にはイタリアの方が合っているかなと思います。電車が遅れても待たされても別にいいやみたいな感じで(笑)。食べ物も好きですしね。

-それでも最初は戸惑ったんですね。
原 はい。イタリア人と一緒に生活していく上でけっこう戸惑いましたよ。最初に言ってたこととことが、いつも間にか変わってたりとか。キチンキチンとはしてないですからね。この前言ってたのと違う!っていちいち気にしてると、ストレスたまりますよ。
-手続きなどをしていても、適当だという話は良く聞きますよね。
原 学校の事務も警察なんかも、大体いいかげんですね。行くたびに言われることが違うし…。慣れるといつものことだって思えますけど。
-環境に自分を溶け込ませていくのは大事ですね。
原 イヤになってしまう人は1ヶ月でイヤになるみたいです。イタリアは好きだけど、生活は出来ないって。
-外国に住む場合は、うまく対応しないとストレスたまりますもんね。
原 そうですね。根底はしっかりとした考えを持って、細かいところは状況に対応出来るようにしていたほうがいいかもしれないですね。自分の中に一本柱がないと、いろんな方向に流されてしまうこともあるので・・・。麻薬とかも簡単に手に入りますから、自分ををしっかり持っていないと、流されてしまうと思います。
-信念は強く持つべきですね。イタリア語はもう問題なく話せるんですか?
原 日常会話は、だいたい大丈夫です。
-英語であれば、日本の学校での積み重ねがありますけど、イタリア語はなかなか基盤がないので、難しそうですけど。
原 響きだとか、イタリア語自体が好きだったというのもあるかもしれないですね。最初は私も英語が話したくて勉強していましたが、発音は英語のほうが難しいんです。ただイタリア語の文法は英語の何倍も大変です。
-自分に合う言語っていうのもあるのかもしれませんね。さて、そもそも原さんが声楽を勉強しようとしたきっかけは何だったんですか?
原 長くなりますが・・・。母親が音大卒だった関係もあり、私もピアノをやったりしていたんですが、興味はなかったんです。高校に入るときまでは、医学部に行こうと思っていましたし 。それが、中学卒業くらいの時に、テレビで宝塚を観て一気に魅了されてしまったんです。そこから、どんどんあの世界に入り込んでしまい、ついには宝塚歌劇団に入りたい!という所まで行ってしまったんです。親には大反対されたんですが、母の声楽の先生に、「やりたいようにやったらいい。でも本当にやりたいなら、明日からレッスンやり始めなさい」って言われたんです。そこで「じゃあ始めます」って宝塚の予備校に通い始めたんです(笑)。今までダンスなんかやったことなかったのに。

-最初は宝塚志望だったんですか!?
原 はい。ところが、その予備校の優秀な先輩たちが、全員試験に落ちちゃったのを見て、あんな優秀な人たちがだめなら、私にはとうてい無理だろうって、妙に納得しちゃったんです。そして、ちょうどそのとき、今度は劇団四季のミュージカルを観る機会があって。劇団四季は、ダンス部隊と歌部隊に分かれているんですよね。そして歌部隊には、音大出身の人も多いんです。ミュージカル自体が大好きだったので「こっちなら出来るかもしれない!それなら音大に行かなければ!」と思い、音大受験の勉強を始めました。
-ミュージカル歌手志望に変わったわけですね。
原 はい、ですから、東京音大に入った当初はクラシックに興味がなかったんです。私はミュージカルをやりたいんだからって。でも、大学3年のときに声楽演奏家コースのオーディションに受かり、本格的にオペラの勉強をしていくうちに、クラシックって面白いんだなって思うようになったんです。そして、実は4年生の時に、四季のオーディションに受かったんですけど、大学院に行くか四季に行くかすごく迷ったんです。そして、「今ここでミュージカルをやったら、クラシックの声にはもう戻れないだろうな」と思いまして。本当にやりたかったら大学院を出てからでも出来るだろうと。
-クラシック一本ではなく、変化して来ているんですね。だから視野が広いんですね。それにしても、宝塚にあこがれる気持ち、分かりますよ。
原 あれで大きく変わりましたね(笑)。
-きっかけって人それぞれですよね。今、ミュージカルに対する気持ちは?
原 コンサートなどで歌う機会があれば歌いたいですけど、ミュージカルはリズム感やセンスも必要なので難しいですよね。私もミュージカルはすごく好きですけど、心からミュージカルに惚れている人じゃないと続かないと思います。大変な世界ですからね。
-今後は、音楽を続けていかれるんですか?
原 はい、そうですね。音楽は音楽で続けていって、あとはどういう仕事をしていくかっていうのが問題ですね。イタリア語だけだと日本では活かすのは難しいので、やはり英語も使えるようにしないと・・・。どの仕事も英語があってこそと言う感じなので。
-次から次へと目標があって素晴らしいですね。
原 実際に活かしていかないといけないから、どうやってこの先につなげていこうかいつも迷っています。
-いろんな可能性を考えられるのは素晴らしいことですよ。
原 音楽だけでやっていくのはすごく大変なので、他に可能性を見つけていかないといけませんから。音楽をやっている多くの方は、おうちも裕福で、いつも親の援助が得られる感じですよね。私もそういう家庭で育ってきたので、甘えることは可能なんですが、私はそれがいつも重荷になっていて。ちゃんと自立するためにはどうしたらいいんだろうと悩んでいます。

-今やっていることは、将来を作ってくれると思いますよ。原さんの今の夢は何ですか?
原 イタリアで仕事をするか、いつもイタリアと関わっていけるような仕事が出来ればいいなと思っています。
-イタリアとの出会いは、大きかったんですね。応援しております。では、海外で勉強したい人にアドバイスをお願いします。
原 まずは思い切りが大切だと思います。行きたいなら思い切って挑戦してみるべきだと思います。あとは、きちんと下準備をしてから来ることも大切。自分でできることはなるべく自分の力でする、というのも大事だと思います。
-今日は本当にありがとうございました!
音楽留学アンドビジョン【行ったことない国にいってみよう! vol.316. 2014-09-02 04:00:00】
桂真也さん/オーボエ/クールシュベール夏期国際音楽アカデミー/フランス・クールシュベール
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
桂真也さんプロフィール
中学校のとき吹奏楽部でオーボエを始める。
和歌山大学教育学部に入学し、オーボエを専攻。大学院では音楽教育を専攻。2009年夏、クールシュベール夏期国際音楽アカデミーを受講。現在、和歌山大学大学院教育学研究科音楽教育専修在籍。
-最初に、桂さんのご経歴を教えてください。
桂 中学生のときに吹奏楽部でオーボエをやっていたことが始まりで、高校では部には入らず、個人的に先生について習っていました。大学は音大に行っても、音楽一筋では食べていけないだろうと思ったことと、それでもオーボエを続けられる学部を、ということで教育学部に進学し、音楽を専攻しています。ここで米山先生という方に師事して今に至っています。
-今回、オーボエを学びに海外へ行くきっかけは何だったのでしょうか?
桂 日頃から大学の先生に、西洋音楽は西洋のものだし、現地の雰囲気の中でやる音楽を、一度生で聴いたほうがいいと言われていたのが一つです。そして、今回担当されていたジャン=ルイ・カペツァリ先生が、米山先生のお知り合いということも、もう一つのきっかけです。カペツァリ先生が日本に来られたときに、米山先生が通訳をされたこともある、というご関係だそうです。
-では、師事されている先生のご紹介で、ということが大きかったのですね。
桂 そうですね。
-桂さんご自身も、もともとジャン=ルイ・カペツァリ先生にご興味があったのでしょうか?
桂 いえ、言われるまでは知らなかったですし、フランスのオーボエ自体、全然知らなかったんです。日本ではドイツ系に触れることが多いですから。ただ、もうひとつのきっかけとして、和歌山市の海外派遣制度っていうのがあって、その存在を知ったことも大きかったです。
-それは助成金が出る制度ですか?
桂 そうです。講習会費用や、現場での滞在費の半額を、市が負担してくれるという制度です。
-素晴らしい制度ですね! 志望された方全員が、受け入れてもらえるものなのですか?
桂 今年は、4人受験して3人が合格しました。音楽だけでなく、美術の方もいましたね。芸術分野に限られているんですけど。
-実際、クールシュベールに行くにあたって、不安はありましたか?
桂 やっぱり、フランス語が全然出来ないっていうのが一番でした。それと、海外に行くこと自体が初めてだったので、不安でした。
-実際にフランスに行ってみて、行く前に思い描いていた印象と、どう違いましたか?
桂 フランス人は、外国の人に対して冷たいとか、プライドが高いって聞いていたんですけど、そんなことはなかったです。空港でも、わからないことがあったとき親切に対応してくれたし、迎えに来てくれた方も、フレンドリーでした。
-英語は通じましたか?
桂 英語は普通に通じましたよ。でも、やっぱり話していると、いつの間にかフランス語になっていくってことも多かったですけど(笑)
-では、思っていたよりみんな親切だったんですね。
桂 はい。でも、最後に泊まったホテルは治安の良くない場所にあって、ちょっと怖い感じの人が多くてドキドキしましたけど。
-そうだったんですか。講習会についてお伺いしますが、全体の人数はどのくらいでしたか?
桂 全体の数は把握していないのですが、オーボエだけで25人でしたから、今年は非常に多かったようです。
-レッスンのペースは、どのような感じでしたか?
桂 先生がジャン=ルイ・カペツァリ先生とジェローム・ギシャール先生の二人だったんですが、前半、カペツァリ先生がいらっしゃらなかったので、ギシャール先生のレッスンが2日に一回くらい。その後は、二人の先生に一日おきに交代で指導してもらったので、毎日レッスンでした。
-二人の先生が、交代で毎日指導してくださるっていうことなんですね。それではけっこうお忙しかったのではないですか?
桂 そうですね。
-室内楽などには参加されましたか?
桂 参加してないです。
-レッスンで、先生方に見てもらった曲数は、どのくらいですか?
桂 3曲です。
- 一曲一曲を、しっかり細かく指導してもらうという感じですか?
桂 そうですね。伴奏も、あちらで用意してくださって。伴奏専門のピアニストの方とも合わせたりしました。
-二人の先生に指導していただけたということですが、お二人の指導法の違いはありましたか?
桂 お二人は非常に仲が良くて、それぞれ教える分野をわけていたようです。ギシャール先生からは、主に、曲の解釈の仕方やリード作りなどを、カペツァリ先生からは基礎的な呼吸法や力の抜き方などを教わりました。
-レッスンの雰囲気はいかがでしたか?
桂 基本的にグループレッスンで、笑いが絶えず、わきあいあいとしてました。僕以外はフランス語だったので、細かいことはわかりませんでしたが。
-どこの国の参加者が多かったのですか?
桂 フランス人ですね。先生の門下生が、そのまま来ているという形で。
-日本人は、桂さんだけでしたか?
桂 いえ、去年、クールシュベールに参加してから留学されている方がいて、二人でした。あと、台湾人が一人で、他は全部フランス人でした。
-基本はグループレッスンなんですね?
桂 そうですね、5人ごとのグループに分けられて、そのメンバーでレッスンを受けていました。
-練習は、皆さんどこの場所で、どのくらい練習していたのですか?
桂 ピアノの人達は、練習室を割り振られていて、決められた時間しか練習できなかったようですが、僕たち器楽チームに関しては、練習場で朝の8時から夜の8時まで、自由に練習ができました。なので、練習時間には困らなかったです。
-練習以外の時間は主に何をされてましたか?
桂 まずは練習でしたけど、それ以外は、リードを作り変えたりしていました。日本のリードが全く使えなかったので。あとは、洗濯とか...(笑) コインランドリーがすごく高かったので、部屋で手洗いしてました。
-街には遊びに行きましたか?
桂 けっこう行きました。でも、現地はスキー場なので、夏は閑散としていて、お店の営業時間が短かったんです。スーパーなんて、お昼前後と夕方少ししか開いてなかったりして。それは、ちょっと苦労しました。
-水とか、必要なものをそろえるのは大変だったんですね。
桂 水はホテルのカフェで買えました。でも、部屋の洗面所のお水も飲める水だったんです。冷たくておいしかったですよ。山があったりしてキレイな場所なので、水もおいしいんですね。
-治安は問題なかったですか?
桂 全然問題ありませんでした。リゾート地なので、バカンスを楽しむ人々ばかりで。
-一般の観光客も滞在しているのですが?
桂 はい、観光されてる方もいらっしゃいましたし、スポーツを楽しまれている方も多かったです。夏場だけでしょうけど、自転車のコースがあったりしました。
-では、のんびりと、リラックスした感じの所だったんですね。
桂 はい。天気もよくてとても過ごしやすい、とても良い所でした。日本みたいに、蚊とかの虫もいないし、静かで快適でしたよ。
-日中は暑かったですか?
桂 全然! とても涼しかったです。朝晩は冷え込んで、息が白くなるくらいでした。毎年、この講習会は、天気が荒れると言われているそうなんですが、今年は全然雨も降らずに、いいお天気が続いてラッキーでした。山の上のほうでは、雪が積もったと聴きましたけど。
-宿泊先のホテルはいかがでしたか
桂 ホテルは、すごく良かったです。パンフレットを見たら、4ツ星で、冬は一泊最低でも500ユーロもするような所だったようで、とてもキレイでした。料理はちょっと残念・・・なものもありましたが(笑)
-主にどういった料理が出ましたか?
桂 基本フレンチばかりで。メインがあってサラダがあって、という感じです。朝晩の食事が出て、昼は自分で買う形でした。
-日本食はないですよね。
桂 お米は何回か出たんですけど、お米じゃなかったです・・・パサパサしてて、「何だこれは!?」みたいな(笑)
-街には、外食できるような場所はありましたか?
桂 はい。カフェや、簡単なご飯が食べられる小さい店がありました。でも、カフェは割高なので、売店でサンドウィッチとかを買って食べてました。
-ホテルのお部屋は、講習中は相部屋ということですが、ルームメイトはどんな方でしたか?
桂 韓国人の方でした。高校のときからリヨンにピアノ留学していて、今もリヨンの大学に通っているそうです。コミュニケーションは英語だったんですけど、同い年だったので、すごく仲良くなりました。普段の生活がだいたい一緒で、フランス語で書かれている掲示物を、英語に訳して教えてくれたり、とても親切でした。彼の友だちの韓国人とも仲良くなりましたね。
-それは良かったですね! 何か、文化の違いで驚いたことはありましたか?
桂 ヨーロッパのほうでは、携帯がすごい発達してるな、と思いました。メールをあまり打たないからか、i-phoneとか、高性能のタッチパネルの携帯が流行ってました。あと、多くのフランスの人が、日本にすごく興味を持っていることに驚きました。「これは日本語で何ていうの?」とか「日本のどこどこに行ってみたい。」とか、よく言われました。
-では、外国の方ともお話しする機会が多かったのですね?
桂 はい、日本人と一緒にいることは、ほとんどなかったです。そのほうが面白いですし、せっかく行ったんだから、外国の人と話したかったし。
-フランスのお友だちともコミュニケーションは英語で?
桂 はい。すごくしゃべりにくそうでしたけど(笑)。お互いカタコトの英語で・・・。
-楽しそうですね。だいたい同年代の方たちでしたか?
桂 そうですね。だいたいは。
-フランスの方や同室の韓国人の方もですが、言葉が通じないなりの、コミュニケーションのコツみたいなものはありますか?
桂 まずは、挨拶をすることですね。むこうの人たちは、全然見知らぬ人でも、すれ違ったら「ボンジュール」とか、挨拶しますよね。日本では、そういうことってあまりないから、最初は意識してたんです。でも慣れてきてからは、自然に出来るようになりました。あと、話しかけられて、うまく答えられなくても、頑張って答えようとしていれば、それを汲んでくれました。だから、全然会話が成り立たなくても、最後は笑いで終わったりするので、積極的に、些細なことでも質問したり答えたりってことが、うまく付き合うコツかなって思いました。
-なるほど。 語学の重要性は、改めて感じましたか?
桂 それはもう(笑) 日本の英語って、「読み・書き」ですよね。でもやっぱり口に出してしゃべって、誰かに話しかけないと、語学って伸びないなって思いました。今回、たった2週間でしたけど、今まで勉強した以上に英語の力が伸びた気がします。
-素晴らしい! フランス語を話す機会はありましたか?
桂 もう、挨拶くらいでした・・・(笑)フランス語は全然ダメで・・・、英語に頼りっぱなしでした(笑)
-出発前はフランス語の準備はしましたか?
桂 挨拶程度は、本を買って勉強したんですけど、それくらいですかね・・・。
-講習会の最終日に行われたコンサートはいかがでしたか?
桂 コンサートは最終日とその前日の2日間、町のホールで、先生に選ばれた生徒が出演するコンサートがありませいた。僕は選ばれなかったんですけど、オーボエは4人選ばれました。
-実際聴いてみていかがでしたか?
桂 やっぱりみんな、本当にうまいなぁーーって思いました。すごく刺激になりましたね。
-滞在中になにか困ったこととか、ピンチの場面等はありましたか?
桂 クールシュベールでは全然なかったんですが・・・。行きの飛行機が遅れて、乗り継ぎの飛行機を次の便に変更する手続きが大変だったのと、フランスに到着して、お迎えの人がいなかったことですかね。あと、帰国するとき、空港まで電車を利用しようとしたのですが、駅のホームが複雑で、どこにその電車のホームがあるか分からなかったことです。
-それは大変でしたね。 行きの飛行機は、台風で遅れたんですよね?
桂 そうです。ちょうど関西に近づいてて、1時間半くらい。なんとか英語で乗り切りましたけど。。
-それは焦りますね。 帰国日の電車も無事に乗れましたか?
桂 はい。電車のホームのほうも、周りにいた方に聞いて教えてもらえたので、何とか無事に辿り着くことができました。
-今後留学される方に、「これは準備したほうがいい」というようなアドバイスはありますか?
桂 そうですね。ある程度は、現地の天気や習慣のことを知っておいたほうがいいと思います。あと、ピアノの人は、練習時間がとにかくないから、曲をしっかり練習しておくこと。木管楽器に関しては、クールシュベールに限ってかもしれませんが、リードが全く使えないので、リードを作るセットは一式もって行ったほうがいいと思います。
-生活面で、「これは持っていくと便利」というグッズはありますか?
桂 洗濯用の、洗濯バサミがたくさんついた小さな物干し。実際、持っていったんですけど便利でしたよ。
-今回、このクールシュベールの講習会に参加されて色々な出来事があったと思いますが、参加して一番良かったこと思うことは何ですか?
桂 そうれはもう、やはり、生でフランスの演奏が聴けたことですね!レッスン中にも、先生が吹いてくれたりすることもあって、それだけで感動してしまって。先生方のミニコンサートでも、演奏が終わるたびに大きな拍手があがるくらい、すばらしい演奏でした。先生方のミニコンサートは4回あったのですが、そのうち1回、クラリネット演奏集団Les Bons Becsが来たんです。日本では、あまり知られてないんですけど、フランスではすごく人気があって。クラリネットを使って、面白いパフォーマンスを見せてくれたんですけど、本当に楽しかったですね。
-日本と海外での音楽の教え方の違いのようなものは感じましたか?
桂 むこうの人は、すごく褒めてくれるんですよね。出来た瞬間、絶妙なタイミングで褒めてくれるので、それが気持ちよかったです。あと、とにかく、「色を考えろ」と言われました。曲の色合いを考えてその音を出さないと、と。いくら曲の解釈ができていても、音色がしっかりしていないと台無しだと言われましたね。
-色を考えて吹く、ですか。
桂 はい。最初は、いまいち分からなかったんです。でも先生の演奏を聴いていたら、一本のオーボエなのに、いろんな音色が聴えるんですよ。「これがフランスのオーボエか!」って感動しました。
-確かにフランスの音楽は色彩的でキラキラしているイメージですよね。
桂 はい。本当に。あと、リードの作り方も全然違うんですよ。その作り方も参考になるな、と。
-今回のご留学で、フランスの音楽を身近に体感して、自分自身、成長したなって思うことはありますか?
桂 曲にあった音作りと言うのでしょうか、そのために、呼吸法を改善したりできました。
-それでは最後になりますが、今回の留学を経て、今後の音楽活動において何か新しい目標は出来ましたか?
桂 今、大学での僕の研究テーマは、「音楽のアウトリーチ」なんです。これは、学校や老人ホームなどの施設に出向いていって、普段、生の音楽を聴けない方に音楽を提供するというものなんですけど、今回の留学経験は、これに生かせると考えています。留学で得たことを表現できるように頑張りたいです。
-また留学してみたい、という思いはありますか?
桂 はい、行く前は全然考えてなかったんですけど、機会があればフランスに留学してみたいなって思いました。パリのコンセルヴァトワールなんて、学費が年間400ユーロくらいって聞いたので。
-ヨーロッパは本当に学費が安いですから。日本の大学と比べたら…驚きますよね。
桂 ですよねー!安くいけるって聞いたので、チャンスがあればぜひ行ってみたいです。
-将来の夢は? 音楽家になりたいとかありますか?
桂 いえ、小学校の教員を目指してます。中学校は教科担当ということで、音楽に接する時間はあるのですが、小学校のほうが子どもと触れ合う時間が多いですから。子どもたちとの距離も縮まると思うので、小学校の教員になりたいな、と。
-そうですか!桂さんならきっと優しい先生になると思います。クールシュベールの経験を生かして、これからも、勉強と音楽を続けて頑張ってください。
桂 はい、ありがとうございます。
-本日は、お忙しいところ、本当にありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【アメリカ留学&日本オーディション vol.315. 2014-08-26 04:00:00】
広瀬ゆう子さん/ヴァイオリン/ウィーン国際音楽ゼミナール/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
広瀬ゆう子さんプロフィール
二歳からバイオリンを始める。慶應義塾大学中退。ウィーン国際音楽ゼミナール参加。
— 現在までの略歴を教えて下さい。
広瀬 二歳の頃からバイオリンを始めて、はじめは鈴木メソッドに通っていました。本当にバイオリンが好きで、「バイオリンを続けるか、幼稚園に行くかどちらにする?」と両親に聞かれて、「バイオリン!」と答えたほどでした。途中体調を崩した事もあって、自宅近くのバイオリン教室に変わりました。ドイツから帰国されたばかりの有名な先生だったのですが、そうと知らずに入りました。中学生の時にジュニアオーケストラに入団したんですが、経営難で潰れてしまって‥それでシニアオーケストラに入りました。高校に進み、その後音楽大学へ進学したい気持ちもあったのですが、「堅実な人生を歩んでほしい」という両親の希望で慶応大学に入学し、その際ユースオーケストラに移りました。大学では室内楽のサークルで活動していました。
— 今までバイオリンを中断したことはないのですか?
広瀬 じつは高校の吹奏楽部の時に少しだけあまりやっていない時期があります。シニアオーケストラでドヴォルザークの『新世界』を演奏した時に、管楽器が素晴らしいと思ったんです。それで私も木管楽器をやってみたいと、浮気心がでちゃいました(笑)。中学校では少人数の合唱部に所属していたので、大所帯の部に属してみたかった、というのもあって、高校の吹奏楽部に入りました。でも実際に入部してみると、木管楽器はとても人気があって、経験者が優先されたので、チューバの担当になっちゃいました(笑)。今はもうチューバは演奏していませんし、マウスピースも高校に置いてきました。その間は部活動が忙しくて、バイオリンは週に一度程度しか弾けませんでした。それも親から決められて一時間だけだったんですが、まったく弾かない時期はないですね。
— いつ頃から留学したいと考えていましたか?
広瀬 高校時代からドイツにバイオリン留学したいという思いがありました。海外のディプロマコースの存在を知って、社会人になった後で、働いて貯めたお金で留学することができる、いつかは音楽で夢を叶えたいと思っていました。
— 何がきっかけですか?
広瀬 大学2年生の時に体調を崩して退学せざるを得なくなってしまい、それからは派遣社員として社会に出ました。その頃、よく悪夢にうなされていて‥。夢にバイオリンの先生が出てきたんですよ。音楽をやれと私に言っているようでした。それで音楽を志すことに決めました。そうしたら、たまたま友人がドイツ留学すると言うんです。私が前からドイツに行きたかったのに、「先にドイツに行くなんてずるい!私も行く!」と(笑)。バイオリンの先生がハンブルグ交響楽団の客演コンサートミストレスだったこともあって、ドイツには前々から興味がありました。ノイシュバンシュタイン城(シンデレラ城のモデルとなったミュンヘン近くの城)が大好きで、ドイツ語も好きだったんです。
— 実際にはオーストリアのウィーン国際音楽ゼミナールに参加されていますが?
広瀬 最初はドイツに行きたかったんです。ですが、ドイツのコースはオーディションで聴講生と受講生に分かれるような、レベルの高い講習会だったので、まずはウィーンを検討することにしました。いずれは長期留学をしたいのですが、これまで海外に行ったことがないので、まずは短期から、と考えて、アンドビジョンのスタッフの方に薦めていただいたウィーン国際音楽ゼミナールにしました。よく考えてみると、私は英語しか話せないので、ドイツだと田舎に行ってしまったら言葉が通じなくなるおそれがあるけど、ウィーンだと都市だから英語が通じて安心だな、と思ったんです。それに、ウィーンからだとミュンヘンも近いので、帰国する際にドイツに寄ることもできるかと。ゼミナール終了後、本当にミュンヘンやノイシュバンシュタイン城にも寄って帰って来ることができたんですよ。
— 準備期間はどのくらいでしたか?
広瀬 3ヶ月ほどでした。あっという間でした。
— 学費はどのように捻出されたのですか?
広瀬 派遣社員として働いていたお金と、子供の頃からのお年玉や入学祝などの貯金に、祖母からもらった成人祝いを足しました。
— ウィーンでは実際に英語が通じましたか?
広瀬 そうですね。ホテルや大きいお店、チケット売り場などでは普通に通じました。観光客が行くような場所では大概通じたと思います。ですが、バーなどに行くと、マスターは話せても、その奥さんは話せなかったり、常連さんが話せなくて通訳してもらったりしました。私自身、父親の薦めで英語は小さい頃からやっていて、これまでも読み書きはできました。ただ、英会話のチャンスが日本ではなかなかないので、ウィーンに行ってからコツを掴むまではたどたどしいものでしたが、2週間ほどでそれもスムーズにできるようになりました。
— ドイツ語(オーストリアの公用語)は特別に勉強して行ったのですか?
広瀬 もともと語学が好きなので、独学で少しかじってはいたのですが、留学が決まってからは仕事もしていたので、なかなか時間がとれなくて‥。でも英語が通じるということだったので、語学の勉強をするよりは楽器を弾いた方がいいかな、と、特に勉強はしませんでしたが、挨拶程度はドイツ語で会話することができました。
— ツィエンコフスキー先生のコースを選ばれたのはどうしてですか?
広瀬 ゼミナールのブロックⅡはポーランド人のツィエンコフスキー先生とロシア人のアレンコフ先生お二人の講師で、どちらに教えていただくか迷っていました。以前ツィエンコフスキー先生にレッスンを受けられた方が「ツィエンコフスキー先生はとてもよかったよ」と言われていたのと、バイオリンの先生に相談したら、どちらもお名前をご存知だったんですが、「ロシア人は厳しいらしいわよ」と言われたので、ポーランド人のツィエンコフスキー先生にしました(笑)。
— ツィエンコフスキー先生にレッスンを受けてみて、いかがでしたか?
広瀬 大変気さくな方で、レッスン中はもちろん真剣に教えてくださるんですが、普段はフレンドリーに接してくださいました。今まで習った日本人の先生達と違っていたのは、本場ヨーロッパ、ウィーンの、最先端の演奏を教えてくれたことです。たとえば、「チャイコフスキーの第2楽章はコンソルディーノ(ミュートを付けて)と楽譜には書いてあるけれども、作曲した当時は規模が小さい所で演奏していたからで、現在は大きなホールで弾くから基本的にはミュートは付けずに弾くんだよ」と。それが今回の留学で一番感動したことです。弓順も、カール・フレッシュ版よりも、ペーター版よりも、オイストラフ版の楽譜がいいよ、と教えていただきました。それに、私のレベルに合わせて、具体的に私のテクニックの悪いところを指摘してくれて、とにかく真剣に教えてくださいました。自分のレベルとはちょっと違うな、ということは一度もありませんでしたね。他の生徒さんにも一人一人のレベルに合った指導をされていました。
— それでは一時間はあっという間でした?
広瀬 はい、あっという間でした(笑)。
— レッスンは何人で行われるんですか?その中に日本人はどのくらいいました?
広瀬 十三人ほどで、日本人は三分の一くらいかな?韓国人と足したら半分くらいだったと思います。なかにはウィーン国立音大に合格して、ツィエンコフスキー先生の門下生としてこの後入学する、というポーランドの男の子もいましたが、アジアの方が多かったですね。音大生の方や音大浪人の方が多かったのですが、日本人で、音大卒業後に自分でお教室をされているという方も参加されていました。
— レッスンはどんな形で進められましたか?
広瀬 最初はコースごとにみんなで集合して、レッスン日と時間を決めました。ツィエンコフスキー先生の場合はその後すぐレッスンだったんですが、なかにはバイオリンを持って来ていない生徒もいました。時間は朝の9時から遅くても夕方の4時くらいには終わる感じです。自分の弾きたい曲を希望して教えてもらって、基本的にはレッスン一回に一曲、私は全部で五曲教えてもらいました。毎日レッスンを受けていた方は結構大変だったと思います。私の場合、途中体調を崩して入院してしまったので五曲でした。入院前後はアンドビジョンや講習会のスタッフの方がちゃんと連絡をとってくれて、意向を酌んで体調が回復した後半にレッスンを集中していれてくださり、臨機応変に対応してもらうことができました。
— 周囲の人の学習態度は日本とは違いましたか?
広瀬 そうですね、何分日本人が多かったのですが(笑)。それでも、韓国人の方などは先生がいらっしゃる前からピアノと合わせていたりして、レッスンに参加されている時点で意欲的な方が多いな、とは感じました。
— 現地でのレッスン以外の練習はどうされていましたか?
広瀬 ホテルの自分の部屋で練習していました。時間が決められていて、9時から12時と、14時から20時まででした。
— レッスン以外の時間はどうされていました?
広瀬 そうですね、練習以外の時間は観光を楽しみました。シェーンブルン宮殿からハイリゲンシュタット(ベートーベンゆかりの地)まで、くまなく周りました。駅の近くに、行きつけのバーまでできて、地元の方との交流を楽しみました。他のレッスン生も、どこにも観光に行かなかった、という人はいなくて、シェーンブルン宮殿だけには行ったとか言っていました。ちなみに、シェーンブルン宮殿よりも、私は王宮宝物館の方がお薦めです(笑)。
— どうやって現地の方と交流したんですか?
広瀬 高校の英語の先生から、「日本の5円玉は穴が開いていて、貨幣としてとても珍しいから、海外に行く時は持って行くといいよ」と聞いていたので、留学が決まってから一所懸命5円玉を貯めていました。でもホテルでは「これ、コインランドリーで見つけた」とか言われてあまり‥(笑)。
それから、千代紙を1セット持って行きました。電車の中とかで鶴を折っていると、周りの人が珍しそうにジーッと珍しそうに見てくるんで、差し上げるととても喜んでもらえました。日本のこと知っている方には「オリガミー!」って言われて(笑)。知り合った5歳くらいのイタリア人の女の子には作り方を教えてあげました。その子のお母さんが手伝って、お父さんがビデオまで撮って。そしたら、その女の子がお礼にと、左右の頬に唇を寄せる挨拶、あれをしてくれたんです。すごく嬉しかったです!折鶴はきっかけとしてとてもよかったですね。ホテルでチップを置くときに一緒に添えておくと、一緒に持って行ってくれていました。
— 宿泊先のホテルはどうでしたか?
広瀬 とてもよかったです。スタッフのみなさんとても親切で、ほかのレッスン生から聞いた話にだと、朝食が7時からと決まっていたんですが、それよりも早く出なければいけない時があって、フロントに相談すると、早い時間に合わせてお弁当を作ってくれたそうです。宿泊とセットになっている朝食がとても美味しかったです。ハムが何種類もあって、ズッキーニがシャキーンとしていて。蜂蜜やヘーセルナッツバターや、ジャムがたくさんありました。ジュースも何種類も用意されていたし。ホテルには共同ですがキッチンも使えますので、自炊できます。近くにはスーパーがありますし、部屋も、とびきり新しい、というわけではないんですが、ちゃんと綺麗に掃除されていて、広くて。ちなみに2人部屋より1人部屋の方がバスルーム広いです(笑)。
— バスタブ付きですか?
広瀬 バスタブはさすがにないです。
— ドライヤーはありますか?
広瀬 部屋には付いてないんですが、フロントに言えば貸してもらえました。
— 生活費はどのくらいかかりましたか?
広瀬 そうですね‥。食費の金額で変わってくると思うんですが、高級なレストランや日本食店は、それはもちろん高いです。でも、駅前とかにおっきなピザが2ユーロくらいで売ってるんですよ。焼いてすぐ切ってくれます。シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)は3ユーロで売っています。ちなみにマヨネーズとケチャップは別売りです(笑)。ウィーンにはねぎるという習慣はないんですが、たぶん、食費は抑えようと思えばいくらでも抑えることができると思います。朝食は宿泊費とセット料金なので、朝たくさん食べるようにしてタンパク質をそこで摂って、あとはパンとジャムで生活するとか(笑)。交通費はとても安いです。1回券は1.7ユーロですが、一週間フリーパス券があって、それが10.50ユーロなんですよ。それをよく利用していました。切符はクレジットカードでも買えます。今ユーロが円に対して高くなっていますけれど、もともと物価が安い国らしくて、私はそんなに高くは感じませんでした。
— 何か不便なことはありましたか?
広瀬 特別ありませんでした。レッスン生の中には英語やドイツ語があまりできなくてちょっと困っている子もいたようです。本はドイツ語のものしか売ってないので、よく分からない。それくらいですね。
— ホテルから学校まではどのくらいの時間かかりましたか?
広瀬 そうですね、30分かからなかったと思います。ホテルからシュネルバーン(郊外電車)の駅まで3分かからないくらいだったし、電車の本数は頻繁にありましたから。駅を出て大学まではすぐなので、20分くらいかな?
— 電車の中の治安はどうでしたか?
広瀬 よかったですよ。たまに、本当にたまにヘンな人はいましたが。
— 留学する際に持っていった方がいいと思うものがあったら教えてください。
広瀬 音楽面では、とにかく曲は多めに用意しておくことです。多いにこしたことはありません。生徒が少ない時とか、予定している曲数よりも多く教えてもらえることがあります。バイオリンの方はピアノ伴奏譜も持っていかれるといいと思います。ピアノ伴奏有りか無しかを選ぶことはできるんですが。楽譜に関することで言うと、もし同じ曲を日本でも習っていたら新しく楽譜を買っていかれると、書き込みが混ざらずにいいと思います。生活面では、ホテルのキッチンにはグラスや鍋やフライパンなどの調理器具は揃ってるんですが、お皿や食器がないんですよ。お皿1枚とスプーン1本、持っていくと便利だと思います。あと、ヨーロッパはシャンプーとコンディショナーに分かれていないので、気にされる方はご自分がお使いのものを用意されるといいと思います。それから、日本に電話やメールをする機会もあると思うんですが、日本の時刻が分かるように、世界時計とか、なければ腕時計を2つ持っていくと便利だと思います。
— 日本とウィーンでの違いは感じましたか?
広瀬 そうですね、音楽的なことで言えば、日本では譜面は暗記して弾くのが当たり前だという風潮がありますよね。実際私もプロなら覚えるのが当たり前だと思っていたんです。ソナタに関して言えば、ウィーンでは譜面を見ない方が逆に悪いイメージを持たれるそうなんです。ソナタはピアノと2人だけど室内楽だから、見るのが当たり前だと言われました。私が暗譜で弾いたらびっくりされました(笑)。そういった日本では知らない常識みたいなものがウィーンにはきっといっぱいあるんでしょうね。まぁ、私が特に音大に入ってないから余計それが多かったかもしれないんですけど。あとは、音の鳴り方が全然違うと思いました。空気が違うと感じましたね。文化面では、向こうではすれ違う人と必ず挨拶するんですよ。日本では絶対ないことですよね。みんなフレンドリーで、親切で。荷物を棚に上げるところとか必ず手伝ってくれるし。そんなウィーンの文化が好きでした。道路の幅ひとつにしてもすごく居心地よかったですね。生活面では、虫をね、あまり気にしない文化らしくて‥網戸が付いてない家がほとんどなんですよ。それでハエや小バエが入ってきたりはします。一度、ホテルに持ち込んだサワークリームに蟻がたかって大変だったことがありました。硬いんですよ、ウィーンの蟻って(笑)。日本でやるみたいにプチって指で潰そうとしても潰れないんで、ハウスキーパーの人に来てもらって取ってもらいました。都市部では人を刺すような蚊はいませんでしたね。たぶん山の方に行かないといないと思います。
— 留学して良かったと感じる瞬間はどんな時でしたか?
広瀬 今付いているバイオリンの先生も素晴らしい方ですし、日本でも十分音楽の勉強はできると留学する前は思っていました。まぁ、多少は違うのかな、とは思っていましたが。でも、留学してみると「全然違うな」と思いました。やはり、日本は狭いと感じました。さきほどお話したように、チャイコフスキーのコンチェルトにしても、最新の弾き方があるということが分かりました。ほかにもたくさんヨーロッパの新しい技術を教えていただいたので、もっと練習して自分のものにしていきたいと思います。音楽面以外では、ウィーンにはコソボから来て働いている人がたくさんいるんです。紛争で家族を亡くした方とも話をしました。自分がいかに井の中の蛙だったか思い知らされました。オーストリアという広い所に行ったおかげでそういう自分に気付くことができた時に、留学してよかったと思いました。お金を貯めてまたどこかに留学したいです。
— 留学をして、自分が成長したな、と思うところはありますか?
広瀬 私、お金を貯めてまた留学したいと思っているんです。最初はウィーンに行って、広い世界を見て、世界を知った気になったんですけど、よく考えてみると、ウィーンって世界的な観光地なので、そこで観光したり、住んでいる人達って『世界が100人の村だったら』風に考えると、世界のほんの一部のお金持ちの人達なんですよね。だから、これからは東南アジアとか、貧しい国の人達のこともちゃんと見なければいけないと思ったんです。それで、本などでいろいろと勉強するようになりました。そういうところに目を向けることができたところは成長したと思いますね。もともと私、僻地に学校を建てるのが夢なんです。それが一層強まりました。
— 今後の進路について聞かせてください。
広瀬 ウィーン国立音楽大学への入学を当面の目標に、私立の音楽院を踏み台にしても行きたいなと思います。将来的な目標としては、これは中学生くらいからの夢なんですが‥。葉加瀬太郎さんや、高嶋ちさ子さんみたいに、クラシックを身近に聞いてもらえる音楽家になりたいです。「ジュピター」のようにクラシック音楽が流行したように、ざっくばらんに一般の方にもクラシックを楽しんでもらえたら、と思います。ヨーロッパに移住したいという希望もあります。帰国したら、たとえ他の仕事をしながらでも、ファミリーコンサートみたいな、一般的な方が知っている曲だけを集めたコンサートがしたいな、と思っています。「これ好きだけど、題名が分からない」って曲、みなさんきっと多いと思うんですよ。そういう曲を集めて、青島広志さんみたいに自分でMCもしながらコンサートしたいんです。一人でも多くの人に、クラシック音楽に親しみを持ってもらえたらな、と思っています。いくらこれから技術を磨くと言っても、今からテクニカルな演奏家になるのは無理だと自分でも分かっているので、そちらの方面で活動できたらな、と思っています。教えるよりは、自分が弾きたい方なので、普段は教えながらでも、楽器を弾く友達はいっぱいいるので、そういうコンサートをやっていけたらと思います。
— これから留学する人に、心しておかなければいけないことを教えてあげてください。
広瀬 レッスンを受ける際は、曖昧な返事はなるべくしない方がいいと思います。先生もたぶん困っちゃうので。生活面では、いくら英語が通じるといっても、挨拶程度のドイツ語は覚えて行った方がいいと思います。「こんにちは」「ありがとう」くらいでいいと思いますが。それから、クレジットカードがレストランでもスーパーでも使えますし、切符とか小さい金額のものでも何でも買えて、領収書が一緒に出てきます。その領収書にクレジット番号や有効期限がきちんと書いてあるんです。それがあるとインターネットショッピングが出来てしまうので、万が一その領収書が他人の手に渡ると、クレジットカードが悪用される可能性があります。だからくれぐれも失くさないように注意してください。それからこれは女性限定ですが、ナンパ注意です(笑)。面倒くさいです。英語が分からないフリしていればいいと思います。他には、先ほどウィーンは治安が良いと言いましたけれども、いくら治安が良いとは言っても、日本より治安が良い国はまずないです。大学の教授から教えてもらったことですが、パスポートは首から提げるタイプよりも、お腹に巻くタイプとかの方が良いと。私はずっとスカートかズボンだったので、パスポート、額が大きいお金、電車のパスなどの貴重品は袋に入れてウェストに挟んでました。ウィーンで一度、私が駅のインフォメーションを探していたら、おばあさんが駆け込んできて、「バッグ盗まれました」って言ってるのを見たことがあります。だから置き引きにも十分注意してください。ウィーンはある程度英語が通じるといっても、それは日常会話程度のことなんですね。何があるかわかないので、私は医学用語を入れた電子辞書を持って行って、入院した時に医学用語をドイツ語で表示したりしてとても役に立ちました。あとは、常備薬は必ず携帯するとか、国際電話のかけ方は何があるか分からないのでマスターしておくとか、海外保険は入るとか‥。どこに留学するにしろ、「留学する際の注意点」ガイドはアンドビジョンでもいただけるので、必ず読んだ方がいいと思います。
— 今回の留学は入院されて大変でしたね。
広瀬 ちょうど行きの飛行機の中で『300』という映画を見たんですよ。ゲルマン民族の話なんですけど、救急車をホテルの方が呼んでくださったら、体格が良いドイツ人が2人来て怖かったです(笑)。ちなみに救急車は451ユーロでした‥(留学生保険でカバーされます)。
— 最後に一言、これから留学される方にどうぞ。
広瀬 ウィーンは世界的に有名な観光地で、いろんな国からいろんな人達が集まってくる所です。特に夏期講習の時期は観光の季節でもあるので、いろんな方と触れ合うことで、本当にこれからの人生を変えるだけの衝撃を受ける可能性は十分にあると思います。
— ありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【イギリス留学&日本オーディション情報 vol.314. 2014-08-19 04:00:00】
北村まりえさん/ピアノ/シュリッツピアノ夏期講習会/ドイツ・シュリッツ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
鈴木美緒さんプロフィール
愛知県出身。フェリス女学院大学音楽学部演奏学科卒業。同大学院音楽研究科在籍。第12回ペトロフコンクール奨励賞。アジア国際コンクール2007優秀賞。翌年マレーシアで開催された受賞者記念演奏会に出演。これまでに小栗多佳子、小山明子、堀由起子、黒川浩の各氏に師事。2009年シュリッツピアノ夏期講習会参加。
-まずは、北村さんの簡単なご経歴を教えてください。
北村 フェリス女学院ピアノ科を卒業して、現在、同大学院音楽研究科の1年生です。
-ピアノは何歳から始められたんですか?
北村 3歳からです。親もピアノの先生をやっていまして、その影響で始めました。
-今まで、講習会に参加されたことはありましたか?
北村 いえ、今回が初めてです。
-海外に行かれたご経験はありましたか?
北村 はい。去年、マレーシアに演奏旅行で行きました。講習会ではなく、コンクールの関係で。
-マレーシアはいかがでしたか?
北村 マレーシアの現地のツーリストが企画して、様々な場所に案内してくれました。日本人があまり行かない所が多く、とても面白い体験でした。少し危ない感じもありましたが。
-そうだったんですか。では、今回、講習会に行きたいと思ったきっかけを教えてください。
北村 卒業後の進路として、留学も視野に入れてみたいと考えていまして、それにはとりあえず行って、現地の雰囲気を味わってみないことには、と思ったんです。そこで、今回参加することにしました。
-候補地としては、ドイツとフランスでしたよね?
北村 ええ。でも、先生に勧められたこともあり、ドイツに決定しました。
-講習会の参加者は、どのくらいの人数でしたか?
北村 全部で24名で、日本人8人、スペイン、ドイツ、ブルガリア、韓国、イタリア、ロシア、ポルトガル・・・と、世界各国からのメンバーでした。
-楽しそうですね。講習会のスケジュールは、どんなふうに組まれていましたか?
北村 初日に行ったら、ファイルが置いてあり、月曜日から日曜日までの先生のスケジュールが書かれていました。時間割のように、その日ごとにレッスンが組まれていて、コンサートの開催日も書かれていました。コンサートは全部で7回あり、2日に1回くらいの割合でありました。でも、自分がどのレッスンを取れるか、分かるのは前日でした。
-レッスンは1時間くらいですか?
北村 はい。9時半から18時半までの間に、レッスンが行われました。昼休みをはさんで、①語学コースを取っている人は午後、それ以外の人は午前中という感じで、振り分けられていました。
-ハードスケジュールでしたか?
北村 いえ、けっこうゆっくりしていました。練習もしっかり出来ましたし。レッスンは、1日1時間見てもらうだけですから、①語学コースを取っていない人は、時間がありました。
-練習をしつつ、語学の勉強もしつつ、という感じですか?
北村 そうですね。午前中は語学、午後はピアノ、夜はコンサートとディナーという感じです。
-先生は、それぞれどんな感じでしたか?
北村 ナットケンパー先生は、ドイツ系の曲を丁寧に見てくださいました。リーガー先生は、とても優しくて、細かくペダリングも教えてくださいました。ウタ先生は、女性の先生で、細かく見てくれるので人気がありました。実際、ソリアーノ先生に習いたくて参加した人が半数以上でした。有名な方で、先生の授業は希望を出さないと受けられなかったんです。みんなが希望するので、時間がなくて5分で終わっちゃう人もいました。お年を召した方で、すごく優しかったです。先生も、けっこうペダルを使うように指導される方でした。ウタ先生は、ソリアーノ先生のお弟子さんなんですよ。この二人は、古典でもペダリングを入れる先生で、私はあまり使わないので、新鮮な感じでした。
-いろいろな先生のレッスンを受けられたんですね。レッスンで印象に残っていることは?
北村 リーガー先生のレッスンのときに、スキルチェックがあったんですけど、音の出し方がうるさいと言われました。日本の教室ではちょうどいいんですけど、ドイツでは部屋が広くて音が響きますから、耳を使うのが大事なんだな、と思いました。
-レッスンはドイツ語でしたか?
北村 英語オンリーでした。
-練習室が豊富にあるそうですが。
北村 はい、15室ほどありましたが、取り合いでしたよ。部屋の前に、2時間区切りで予約票が貼ってあって、そこに名前を書き込む形でした。でも、実は私が到着したのは、みんなが到着する1日前だったので、取り放題だったんですよ(笑)。なので、練習室の確保は心配ないはずだったのですが、しょっちゅう他の人たちから、代わってくれと言われました。、日本人は、英語が話せなくて何も言えないから、という感じで名前を覚えられてしまって。私の名前が書いてあると、勝手に入って使っている人もいたりして、それが大変でしたね。
-そのときは、ノーと言ったんですか?
北村 その人がコンサートに出て、自分は出ないというときには、けっこう譲りましたよ。全部で10時間くらいは譲ったと思います。それは別に良かったんですけど、もうちょっと英語が話せたらと思いましたね。
-レッスン以外の時間は何をされていましたか?
北村 必ず毎日1時間はお昼寝をしていました(笑)。あと、夕ご飯後、練習も終わった後は、カフェテリアでウノをしたり、ゲームしたり、お茶したり・・・。みんなで自由に過ごしてましたよ。トランプやウノは、英語が話せなくてもみんなと楽しめますから(笑)。
-街の様子はどんな感じですか?
北村 治安が良いのか悪いのか分からないくらい、人が少なかったです(笑)。でも、とにかくキレイな所でした。練習室から見える森林の風景なんて、3時間くらい眺めていられるんじゃないか、っていうくらいキレイでした。
-雰囲気としては、ドイツの古い街という感じですか?
北村 そうですね。たまに、おじいさんやおばあさんが散歩しているのを見かけるくらいの、静かな街でした。
-どこか遊びに行った所はありますか?
北村 日曜日に、サイトシーイングという企画があって、ウタ先生が車で連れて行ってくださったんです。フルダのお城に連れて行っていただいたんですが、ガイドも英語だったので、何を言っているか分かりませんでした・・・。それよりも、自分たちで歩いて行けるところまで行ってみようといって、お店屋さんを見て回ったのが楽しかったですね。薬局とかも、日本とは違うので面白かったです。
-宿泊先はいかがでしたか?
北村 すごくキレイで、何の問題もありませんでした。タオルも置いてあったりして。
-ルームメイトはどんな方でしたか?
北村 アルメニア人の方でした。とてもいい人で、ピアノもすごく上手な人でした。外人の方って、日本人ほど気を使わない人が多いですよね。それが逆に良かったです。こちらも気を使わなくて済みますし。
-会話は英語でしたか?
北村 はい。彼女はアメリカ人の旦那さんがいるので、英語はもちろん、ドイツ語、ロシア語、アルメニア語・・・なんでも話せる人でした。
-宿泊先と講習会場はどのように移動されたんですか?
北村 真隣だったんです。徒歩30秒くらいでしょうか。レストランと宿泊先が一緒で、その向かいのお城が練習室だったんです。
-お城ですか!?
北村 すごくキレイでしたよ。夢のようでした。
-レッスンをした場所は、どんな所でしたか?
北村 お城の中でした。聴講は可能なのですが、最初はみんな、自分の練習ばかりしていたんです。それを見たウタ先生が、「この講習会では、練習だけではなくて、他の人の演奏を聞く事も大事だ。」と言って、練習室を使用禁止ににしたんですよ(笑)。なので、他の方のレッスンも聴講してましたが、ドイツ語だと分からないのが辛かったですね。
-今回は言葉の壁が大きかったということですね。
北村 そうですね。レッスンのときは、先生が実際に弾いて見本を見せてくださったりするので、おっしゃっていることは分かるんですけど。
-聴講は、いい勉強になりましたか?
北村 はい。上手な人やファイナルに残った人の練習を見ていると、レッスンで先生に言われたことを、どのように本番に持っていくのか、というのを見られてよかったです。自分でどう納得して直していくのか、という部分も客観的に見られるので、「この人はこの先生に見てもらってよかったな。」というのが分かったりして、おもしろかったですよ。
-語学レッスンはいかがでしたか?
北村 1時間半すべて英語ですので、2週間だけでしたが、ずいぶん分かるようになりました。教材も200枚くらいもらいましたし、とても熱心に教えてくださいました。
-語学レッスンを受けられた人は少なかったそうですが。
北村 少なかったですよ。英語レッスンに2人、ドイツ語レッスンに4人だけでした。ほとんどプライベートレッスンという感じでした。でも、最初の数日間はABCからだったんです!それはさすがに分かるよ!って思いましたけど(笑)。
-最終的には何を勉強したんですか?
北村 途中先生が変わったんですけど、ある先生は、音楽の専門用語を教えてくださいました。西洋音楽の古典用語とか。
-海外で学ぶと、理論が分からないという方が多いですものね。
北村 そうですね。専門も英語で勉強できたのは良かったです。しかも少人数レッスンでしたから。
-講習期間中のお食事はいかがでしたか?
北村 バイキングだったんですよ。朝は、ずっと毎日パンとハムという同じメニューでした。お昼は、お肉料理が多くて、スープに、メイン、ポテトにデザートという感じでボリュームたっぷりでしたね。その代わり、夜はソーセージとポテトだけとか、チーズトーストだけとか、とても質素でした。でも、すごくおいしかったですよ。バイキングですから、量も自分で決められるし、好きなものを食べられたので、食事は問題なかったですね。もともと私は、好き嫌いなく何でも食べるタイプですから。でも、中には、全然食べられずにいた方もいらっしゃいましたね。
-外食はしましたか?
北村 最後の日にランチをしました。けっこう高かったですけど、チキンのグリルを食べました。あと、サイトシーイングのときは、ウタ先生が全員に、ケーキとお茶をご馳走してくれたんですよ。ケーキはすごく大きくておいしかったです。
-では、食べ物では、ホームシックにはならなかったんですね。
北村 はい。不安な人は、インスタントの味噌汁とか持って行くといいと思います。お湯も沸かせますし、電子レンジも使えますから。
-海外の人と上手く付き合うコツはありますか?
北村 笑顔を大事に、たくさんコミュニケーションを取ることでしょうか。言葉が分からなくて、内向的になってしまう人もいますけど、自分から話していかないと、何も始まりませんから。
-最初は戸惑いませんでしたか?
北村 ええ、最初はとても。 でも、日本人の方で6年間ロンドンに留学している方がいたので、通訳してもらったり、自分の言いたいことを紙に書いて、添削してもらったりしました。その方が助けてくれたので、本当に心強かったです。ドイツ語が堪能な方もいらっしゃったので、その方にも聞いたりしました。かなり皆さんに助けてもらいましたね
-その方たちとは連絡を取っていますか?
北村 はい。参加した日本人5人で、12月に神戸へ旅行しようという話をしています。とても仲良くなりました。
-そういう出会いも、留学の醍醐味ですね。では、留学中困ったことは何かありましたか?
北村 ガス抜きの水を探すのが大変でした。全部炭酸が入っていまして・・・。ご飯のときにもガス入りの水なので、スーパーに買いに行っていました。あと、レストランの人がドイツ語しか話せないこともあって、それもけっこう困りましたね。そんなときも、ドイツ語を話せる方の助けを借りました。
-講習会に参加して良かったことは何ですか?
北村 やはり、出会いですね。あと、同年代の人たちがとても上手で、刺激になりました。もう一度、頑張ってみようと思いました。
-講習会に行かれるまでは、悩みもあったようでしたが・・・。
北村 はい。でも、行って変わりましたね。海外で勉強するのはいいな、と思いました。
-自分では知らなかった、自分の良い点は見つけられましたか?
北村 課題はたくさん見つかりましたね、それはとても収穫でした。
-留学して成長した部分や、変わった部分はどんなところですか?
北村 演奏するときに、視覚で演奏する、ということを考えるようになりました。たくさんコンサートをしたからかもしれませんが、アピールすることは大事だと思いました。パフォーマンスも勉強になりましたね。
-それはいい経験でしたね。日本とドイツで大きく違う点は何でしょうか?
北村 練習室の大きさです。日本は6畳くらいの場所にグランドピアノが置いてありますが、ドイツでは40畳くらいのところに、アップライトピアノだったんです。天井も高く、すごく響きが良くて、小さめのホールという感じでしたね。グランドピアノを置いてある部屋なんて、まさにホールでした。
-ピアノのコンディションはいかがでしたか?
北村 良かったですよ。調律もしっかりされてましたし。
-それはよかったですね。では、今後留学する人に、何かアドバイスすることはありますか?
北村 もしドイツだったら、絶対的に古典を持って行ったほうがいいということですね。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどは、やっていて当たり前という感じです。今回、私は、ロシアやチェコの曲を持っていったんです・・・。それよりは、シューマンやブラームスなど、ドイツ出身の作曲家の曲を持っていくべきだったと思います。それだけは後悔しています。
-皆さんも参考になると思います。他の方は、ドイツ系で固めてきた方が多かったんですか?
北村 はい。それから、みんなレパートリーをたくさん持ってきていました。資料には少なくても4曲と書いてあったんですが、みんなリストに書ききれないくらい持ってきていましたね。4曲というのは、本当に最低4曲だと思っていたほうがいいです。
-留学前に、しっかりやっておいたほうがいいことはありますか?
北村 練習と英語ですね。練習に関しては、いつも以上に練習したほうがいいと思います。というのは、コンサートはお城の中で弾くことになります。それに出るには、選ばれないといけないですからね。お城の中で弾くチャンスというのはなかなかあることではないですから、せっかく行くなら、それに懸けて行ったほうがいいと思います。
-北村さんは、たくさん練習しましたか?
北村 4〜5時間です。多く感じますけど、もっとやっている人は、そんなものではないですからね。あと3時間くらいはできたかな、と思います。
-皆さん頑張ってらっしゃるんですね。
北村 そうですね、かなり刺激になりました。
-お話していて、講習会に行く前とは変わったなと感じますよ。では、今後の目標は?
北村 以前は、海外に行ったはいいが、帰ってきて仕事がなかったらどうしよう、ということが気になっていましたが、行くことに価値があると思うようになりました。やはり、海外に出てみたいですね。
-もし行くならドイツですか?
北村 はい。これから1年本気で頑張り、来年また講習会に行ってみて、行けそうなら行ってみようかなと思っています。まずは英語を勉強しないといけないですね。英語が出来なければ、先生にレッスンお願いすることも出来ませんからね・・・。
-今、英語は勉強しているんですか?
北村 週1回ですけど。やはり、話せないというのは悔しかったですからね。
-次行くときは、通訳なしですね。
北村 そうできるように頑張ります!
-頑張ってください!今日はお忙しいところ、ありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【オーストリア留学&日本オーディション情報 vol.313. 2014-08-12 04:10:00】
鈴木さん/ピアノ/ショパン音楽大学・モスクワ音楽院冬期講習会 /ポーランド・ロシア
鈴木さんプロフィール
東京音楽大学卒業。2010年現在、ポーランド・ショパン音楽大学在学中。2010年ロシア・モスクワ音楽院冬期講習会受講。
-まず、鈴木さんの簡単なご経歴を教えてください。
鈴木 東京音楽大学卒業後、ポーランドに渡り、現在ショパン音楽大学に留学中です。
-本科にいらっしゃるんですか?
鈴木 本科ではなく、外国人専用コースみたいなところにいます。
-なぜロシアに行こうと思われたんですか?
鈴木 昔からショパンが好きだったんですけど、勉強していくうちに、だんだんロシア音楽に興味が出てきたんです。また、コンクールなどで見かけるロシア人のテクニックの素晴らしさに感動して、ロシアに行ってみたいな、と思うようになりました。
-そういった経緯があったんですね、これまでに講習会に参加されたご経験は?
鈴木 4年前に、ワルシャワ音楽大学の講習会に参加したことがあります。
-それがきっかけで、ショパン音楽大学に留学を決意されたんですか?
鈴木 その時に今の先生に出会って、この先生に習いたいと思いまして。
-講習会での先生との出会いがきっかけという方は多いですね。今の先生はどんな方ですか?
鈴木 カジミエシ・ギエルジョド先生という方で、日本の大学で客員教授をされていたこともある先生です。
-ロシアの講習会のお話をおうかがいしたいのですが、参加者は何人くらいでしたか?
鈴木 10人はいなかった気がします。私以外は全員外国人で、イランとかイタリアとかからもいらしていました。
-基本的にはヨーロッパ系の方々ですか?
鈴木 いえ、インドやアメリカなど、いろんな国の人がいて面白かったです。
-面白そうですね。どんなスケジュールが組まれていましたか?
鈴木 レッスンの日にちが決められて、先生が決められてという感じですね。あと、希望者を募って、バスツアーみたいなのもありました。
-鈴木さんは行かれたんですか?
鈴木 集合場所に行ったんですけど、手違いがあったみたいで、連れて行ってもらえませんでした(笑)。スケジュールとしては、きっちりプランが組まれているわけではなく、自由な感じでしたね。
-ルームメイトはどんな方でしたか?
鈴木 ロシアの別の都市から来た、18歳の子でした。
-コミュニケーションは何語ですか?
鈴木 基本は英語でしたね。ほかの人とも英語で話していました。
-先生のことをお聞かせください。
鈴木 先生の指定をせずに行ったんですけど、たまたま教えてくださった先生が彼女だったんです。実は初めて会ったとき、あまりフレンドリーな先生には見えなかったんですよ。レッスン室に入ったら、足を組んで、肩肘ついてという感じで(笑)。一体どんな先生なんだろうって感じで最初のレッスンは始まりました。
-レッスンではどんなことを教わりましたか、印象に残っていることを教えてください。
鈴木 私がちょっと弾いたらストップ、ちょっと弾いたらストップなんです。もう、小節ごとにストップがかかるという感じで、ひとつひとつの音符を分析しながらレッスンが進んでいきます。私が今習っているポーランドの先生も、一つ一つの音に意味があるという教えの方なので、今は慣れましたけどね。それ以上に分析をする先生で、すごい説得力もあるし、そういう考え方があるんだなって勉強になりました。
-新しいことが学べてよかったですね。レッスンは何語で行われたんですか?
鈴木 先生はロシア語でレッスンしてくださいました。通訳の方は、日本人の生徒さんだったんですよ。4〜5年、むこうに住んでいらっしゃる人で、ロシア語が堪能な方でした。
-レッスン内容を理解するのは問題かったんですね。練習はどこでされたんですか?
鈴木 講習生用に1日5時間っていう練習時間を設けてくださっていまして、決められた時間内で、自由に使えるようになっていました。
-では、十分な時間練習できたんですね。他の講習会だと、一人2時間などと決められているようですからね。
鈴木 でも、せっかく講習会に来たのに、練習だけしてても・・・とも思いますよ。
-そうですよね。レッスンや練習時間以外は何をされていましたか?
鈴木 散歩が好きなので、ぷらっとクレムリン教会の方までいったり。
-寒くなかったですか?
鈴木 寒かったです(笑)。
-ポーランドも寒いんですか?
鈴木 ロシアほどではないですけど、今年は雪も降りましたし。でも、寒い国って暖房の管理がしっかりしているみたいで、室内では半そででもOKなくらいの暖かさなんですよ。
-外を耐え抜けば、中は暖かいんですね。治安など、街の様子はどうでしたか?
鈴木 大学の近辺は、人通りも車通りもすごく多くって、栄えてるなって気はしました。
-ロシアは人が冷たいという印象を持たれる方もいらっしゃいますが・・・
鈴木 ポーランドに来て思ったことは、ヨーロッパ近辺の人って、基本的に接客の態度が悪いですよ(笑)。お釣りをポンとなげるように置いてみたり。だからといって、人が冷たいと言うわけではないですね。
-気の持ちようもありますね。危ない目に合うということはなかったですか?
鈴木 全然ありませんでした。
-よかったですね。ロシアは学生会がしっかりしてますもんね。宿泊先は寮だったんですよね?
鈴木 私もそう思っていたんですけど、ゲストハウスっていう専用の棟があって、そこに泊まっていました。
-そうだったですか。そこのゲストハウスはどうでしたか?
鈴木 すごいキレイでした。初日に水が出なくて困りましたけど。しょっちゅう水は止まるみたいですね、またかって感じでしたから(笑)。
-大家さんはどんな方でしたか?
鈴木 彼女はロシア語しか話せないので、あまりお話は出来なかったですけど、優しい方でした。
-宿泊先と講習会場は近かったんですか?
鈴木 大学のすぐ近くで、歩いて2分くらいでした。
-それは良かったですね。ご飯は何を食べてましたか?
鈴木 毎食、学食で食べていました。
-ロシア料理なんですか?
鈴木 どうなんでしょう?ふかしたジャガイモやご飯とか・・・。肉料理も多かった気がします。バイキングで好きなものを食べるんですけど。おいしかったですよ。
-外食はされなかったんですか?
鈴木 みんなでビール飲みに行きました。地ビールというかロシアのビールを飲みました。あとはウォッカですね。
-講習会以外でも楽しめて良かったですね。では、海外の人とうまく付き合うコツを教えてください。
鈴木 日本人と欧米人では、顔かたちも違いますから、最初は話しかけにくいなって感じていたんです。でも、実際話してみると気さくだったり親切だったりするので、見かけで判断しないことですかね(笑)。
-友達になるチャンスですからね。鈴木さんは明るいから、すんなり仲良くなれるタイプじゃないんですか?
鈴木 これ言ったらどうなるんだろう?とか、あまり深く考えないようにしながら、勇気を出して話しかけたりはしてますけど。
-話さないと分かってもらえないですからね。講習会で困ったことはありましたか?
鈴木 特になかったです。
-今回、参加して良かったと思えた瞬間は?
鈴木 最近、ずっとピアノのことで悩んでいて、そのまま講習会に参加したんです。でも、最終日に先生が背中を押してくれるようなことを言ってくださって・・・。また音楽をがんばろうって思えたことですね。
-それを受けて、新たな目標などは生まれましたか?
鈴木 英語の必要性を感じましたね。コミュニケーションを取るのに必要ですよね、やっぱり。
-基本的に、話せる言語はポーランド語ですか?
鈴木 ちゃんと勉強しているのはポーランド語です。
-音楽家になるにしても、英語は話せて損はないものですからね。では、日本とロシアで大きく違う点は何でしょうか?
鈴木 偏見ですけど、日本って、一から十まできちんと型にはめられている印象があるんですよね。電車にしても1〜2分遅れただけで、アナウンスが流れるじゃないですか。完璧主義と言うか。レッスンにしても、生徒は完全に受身の状態なんですよ。こちらに来てから、日本は、ちゃんとしないといけない国なんだな、って感じるようになりました。
-こんなにきちんとしている国は日本だけって言われますものね。さて、鈴木さんがポーランドに留学されたのは、日本の先生の影響もあったんですか?
鈴木 ショパンがずっと好きで、ずっと憧れていたので、自分で決めました。
-反対はなかったですか?
鈴木 大学時代に教えてくださった先生が、ポーランドの同じ大学で1年間留学されたことがあったそうで、いろいろ教えてくださっていたんです。それだけに、私なんかが、その学校に留学したいというのが怖くて、こっそり準備を進めていました(笑)。卒業する間際に、先生と2人で食事をする機会があって、そこで告白しました。「ずっと秘密にしていたことがあるんですけど、実は来年留学をすることにしました。」って。先生は、頑張って来なさいねって応援してくださいました。
-先生も同じ経験をされていたから、好意的だったんでしょうね。ポーランドの大学に行く準備も、自力でなさったと言うことですか?
鈴木 そうですね。講習会の後も、先生にポーランドでレッスンをしていただいたことがありまして、こちらに来てみたら?と言っていただいて。あとは住む場所ですね。最初は寮に住もうということで、事務の人に手配をしてもらいました。
-苦労したことはありましたか?
鈴木 卒業してから1年間、留学費用を貯めるためにバイトをしながら準備をしましたから、やっぱり大変でしたね。大学からの返事が遅くて、どうしたんだろうと悶々としたり・・・。
-そういう時は先生に相談されたんですか?
鈴木 それは最終手段でしたね。なるべく先生にご迷惑をかけたくなかったので。現地に住んでる日本人の方にお話を聞いたりしました。
-留学準備は、だいぶ前から始めたんですか?
鈴木 1年くらいですかね。一番大変なのはビザの申請でした。入学証明書が必要なんですけど、なかなか作ってもらえずに。
-どこもビザの取得は大変ですね。申請は日本でされたんですか?
鈴木 日本の大使館でも申請できますし、現地でも可能です。ただ、提出書類が多いので、なかなか難しいと思いますよ。
-語学は今も勉強しているんですか?
鈴木 はい、語学の勉強とレッスンをしています。日本では全然勉強できませんでしたからね。ポーランド語はマイナーな言語なので、授業や語学学校がなかなかないですから。
-学校はどんな雰囲気なんですか?
鈴木 明るいですよ。みんな楽しそうにしています。
-日本人もけっこういらっしゃるんですか?
鈴木 日本人は20人弱ですね。今は日本人より韓国や中国の方が多いです。
-今、どこでもそうみたいですね。日本とポーランドはどう違いますか?
鈴木 ポーランドは、全てゆるいです(笑)。レッスンも時間通りに始まらないし、バスや電車も平気で10分20分は来ないし。一番びっくりしたのが、3両くらいある電車のうち、1両のドアが開きっぱなしで走っていたことです。
-怖い!
鈴木 日本じゃ大問題ですよね(笑)。そんなこともポーランドの人は、こんなもんだという感じで。よく言えばおおらかですよね。
-日ごろの練習はどうされているんですか?
鈴木 今はホームステイの生活に変わりまして、たまたまホームステイ先にピアノがあって、それで練習させてもらってます。
-どのくらい練習していますか?
鈴木 多い時は10時間くらい。だいたい7〜8時間くらいでしょうか?日本であまりやらなかった分、頑張っています。
-実りの多いレッスンだと予習復習が必要になるでしょうからね。学外でコンサートやセッションはありますか?
鈴木 コンサートはけっこうやってますね。今年はショパンコンクールの年ですので、いろんなホールでショパンのコンサートだらけです。けっこう行きますよ。
-普段の一日のスケジュールはどんな感じですか?
鈴木 私の入っているコースは、基本はレッスンのみなんですよ。なので週一回でレッスンが1時間半から2時間あるだけです。語学の勉強は、学校と別なところでやっているんですけど、そちらは週2回です。
-そうなんですか。授業以外は、友達と遊びに行ったりしますか?
鈴木 私の場合は練習で一日が終わっていくんですよ。あとは散歩ですね。散歩が好きなんです。
-ポーランドの街並は、歩いていて楽しいですか?
鈴木 とてものどかな国なので、自然も多いし公園もたくさんあるので素敵ですよ。
-リフレッシュするには素晴らしい環境なんですね。
鈴木 ワルシャワは一応ポーランドの首都ですけれども、都会って感じはしないですね。
-生活費は、1ヶ月どのくらいかかるんですか?
鈴木 それぞれの家賃にもよるんでしょうけど、私の場合は、全部あわせて7〜8万円くらいでしょうか、物価も安い国なので。
-ポーランドに留学して良かったな、と思える瞬間は?
鈴木 日本で勉強しているときは、完全に受身の状態だったんです。でも、こっちに来て、自分で音楽を作ろうという意欲が出てきたので、勉強する上では良かったと思います。
-レッスンは、先生と話し合いながら進めていく感じですか?
鈴木 私の先生は、こうしなさいああしなさいとは言わない方なんです。ベースはきちんと教えてくれるんですけど、表現方法や弾き方は、自分で音を聴いて自分で弾いてみなさいという感じなので。
-弾いた上で、先生が意見をくださるという感じですか?
鈴木 そうですね。そういうレッスンは今までなかったです。
-鈴木さんの気持ちも成長できますね。
鈴木 人として成長しないと、音楽も成長しないと思いますからね。
-そういう風に考えられるようになったことも、留学して良かったことなのかもしれないですね。今後はどういった進路を考えていらっしゃいますか?
鈴木 ここで演奏のお仕事が出来れば、やっていきたいなと思っています。
-ショパン音大には、あとどのくらいいらっしゃる予定ですか?
鈴木 2年です。その後、別の国に行って勉強できたらいいなと思っています。まだ全然決まってないんですけど、今回ロシアの先生に教わって、すごく勉強になったので。もっと勉強しなければいけないと思うようになりました。
-頑張ってください!では、これから留学する人に、心がけることやアドバイスがあればお願いします。
鈴木 逆に、心がけていかなきゃ!って思わないことですかね。気を張って、こうしなきゃいけないみたいに考えないほうがいいかもしれません。
-なるほど。ポーランドに留学される方は少ないので、とても勉強になりました。ありがとうございました!