田島高宏さん/ヴァイオリン/フライブルグ音楽大学/ドイツ・フライブルグ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

田島高宏さんプロフィール
仙台生まれ。4才よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て、桐朋学園大学を卒業。2001年4月〜2004年3月まで札幌交響楽団コンサートマスター。退団後、渡独。フライブルク音楽大学にて、ライナー・クスマウル氏に師事し、同大学卒業。イフラ・ニーマン、和波孝禧など各氏に師事。全日本学生コンクール東京大会奨励賞、日本室内楽コンクール第2位など多数受賞。ハンガリー放送響などと協奏曲を共演。小澤征爾氏率いるサイトウキネンオーケストラなどに出演。ヴィオリストのヴォルフラム・クリスト氏が音楽監督を務めるKKO(Kurpfälzisches Kammerorchester)に出演。室内楽でも、JTアートホールでのアフタヌーンコンサートや皇居桃華楽堂御前演奏、フライブルクやスペイン・マヨルカ島でのリサイタルなどに出演。和波孝禧夫妻らとフランクのピアノ五重奏をCD録音(アートユニオン社)。現在、ドイツ・フライブルグにて演奏活動中。
― 簡単な略歴を教えていただけますか?
田島 高校から大学にかけて桐朋学園でヴァイオリニストの和波孝禧先生に師事し、大学を卒業と同時に札幌交響楽団にて三年間コンサートマスターを務めさせて頂きました。その後、九月からドイツのフライブルク音楽大学でヴァイオリニストのライナー・クスマウル先生(編集注:フライブルク音楽大学教授、元ベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)に二年間お世話になり、2006年7月にフライブルク音楽大学を卒業しました。今は、ドイツでいろいろな仕事をしたいので、職を探しつつ、これから先の進路を考えています。
― ドイツに行かれるきっかけはどのようなことですか?
田島 高校生の時からずっと海外に憧れがありました。高校を卒業してから留学しようと考えたこともあったのですが、周りの人に相談した所「日本で勉強する事はもっとたくさんある」ということで、それでは大学卒業後に留学しようと思っていました。桐朋で仲間たちと切磋琢磨しながら勉強して、そろそろ先の進路を、と考えていたちょうどその頃、大学四年生の五月に札幌交響楽団の方から招待コンマスというお話を頂きました。和波先生に相談した結果、そんな話はなかなかないということで、その招待を受けさせて頂く事にしました。その後、大学を卒業して三年間、皆様にいろいろ教えていただきながら札幌交響楽団で演奏を続けていたのですが、だんだん自分の経験、技術などの「貯金」の少なさを思い知らされるようになってきました。それと同時にヨーロッパで生活してみたい、あわよくば職業としてヨーロッパに残ってみたい、という想いも一層強くなってきました。「何事も石の上にも三年」の一念で、札幌交響楽団で頑張っていたその二年目頃に、つきたかったロンドンの先生が亡くなってしまいましたので、その後の進路を迷っていました。しかし、仕事を辞めないと動けないと考え、札響三年目の四月頃、留学したいので退団しますというお話をしました。その時点では、つきたい先生がまだ決まっていなかったので、全くの見切り発車でした。僕は、毎年夏に和波先生の講習会でアシスタントをやらせて頂いているのですが、その年の講習会に、フライブルク音楽大学の元教授の方がいらして講義をして頂きました。その方とたまたまお話をする機会があったので「フライブルクにいい先生はいないのですか」と何気なく何の期待もなしに聞いてみると、「ああそういえばクスマウル先生がいるよ」と言われました。その時にはクスマウル先生がどのくらい凄い方か知らなかったので、軽く「そうなんですか」と言ったら、「僕は彼の友達だから彼に言っておいてあげるよ」という話になりました。後でクスマウル先生の事を調べてみると、以前ベルリンフィルで七年間コンマスをなさっていた方だということを知り、びっくりしました。クスマウル先生は、毎年日本に一、二回、演奏旅行でいらっしゃいます。たまたまその年の十一月にクスマウル先生が来日したので、ホテルに行って彼の前で弾きました。そして先生に「来年の九月からフライブルク音楽大学のあなたのクラスで勉強したい」というお話をしたら、「ぜひどうぞ」と仰ってくださいました。

― とんとん拍子にお話が進んでいますね。
田島 悩んでいた頃や先生が見つからなかった期間は不安で不安で仕方なかったですね。当時、留学された方にお話を聞くと「留学する時はポンポンと話しが進むものだから何の心配もしなくていい」と仰っていましたが、本当にその通りになりました。ご縁があったということでしょうか。
― 先生の前で演奏して、学校としても了解という事ですか?
田島 入試はやはり受ける必要があって、学校としてはOKではありませんでした。ドイツの場合は、先生に面通しをして演奏を聞いて頂き、その先生が生徒をとる気があるか、そしてそのクラスに空きがあるかどうか、という事がまず一番重要です。先生が取るとなったらほぼ確実だと思います。後は、入試を受けてよほど変なことをしない限り大丈夫だろうということを聞きます。
― 先生が来て良いと仰ってからドイツに試験を受けに行かれたのですよね?
田島 はい。ドイツはだいたい年二回の入試があります。ゼメスター(学期)は、四月から七月までの夏ゼメスター、九月から二月までの冬ゼメスターと二回に分けられていて、入試は七月と二月にあります。それで僕は七月に入試を受けました。
― フライブルク音大の場合、ドイツ語の規定は何かありますか?
田島 他の大学ではよく聞きますが、フライブルク音大はないみたいですね。
― ドイツ語は、お勉強されて行かれましたか?
田島 高校の時から第二外国語をとらないといけなかったので、第二外国語としてドイツ語を七年間取っていました。全然まじめにやっていなかったので当初はほとんど話せませんでした。なんとなく数字が読める程度です。留学直後にドイツで最初の三ヶ月間、語学学校に行って勉強したのですが、全然だめですね。いまだに(笑)。それからは、忙しさにかまけて放っていたのですが、やはりドイツ語を話さないといけないなと思い、この九月から毎日語学学校に行きだして、昨日終わったばかりです。

― 語学が出来ないと大変ですか?
田島 大変というか毎日がつまらないですよね。語学ができなくても、フライブルクには日本人が結構いるし、僕の場合は桐朋の同級生や知り合いもチラホラいます。僕は、和声や理論など、普通の授業を受ける必要がなかったので、ドイツ語が必要なのはレッスン、オーケストラ、室内楽の時くらいです。つまり、ほとんど必要ない。もちろん生活のための最低限のドイツ語というのはありますが、それ以外は触れないようにすることも出来ます。ただそれではつまらないし、留学の意味もないですよね。例えば、学校外でオーケストラの仕事を頂いた時に、指揮者の言っている最低限の事は理解できるのですが、逆にこちらがパートリーダーとして指示を出す時に、一言二言の表現しか出来なくて、実際にこちらの考えが伝わっているかどうか、疑心暗鬼になる事もしばしばあります。また、練習以外の休憩中の談笑など、人間としてのコミュニケーションをしていく事が出来ないとつまらないですよね。コミュニケーションを取ることが人間として大事だと思いますし。
― 日本人が多いと仰っていましたが、外国人はどの程度いるのですか?
田島 韓国の方が一番多いです。ロシアや日本人も多いですね。スロベニアやポーランドなど、東ヨーロッパ出身の方も少なくありません。オーケストラの授業で、それは二十人くらいの小さな編成だったのですが、この中にドイツ人は何人いるのと聞いたら、二、三人しかいなかったですね。学校全体では、もちろんドイツ人が一番多いと思いますが、だいたい四割くらいだと思います。その次に、韓国人やロシア人が多いと思います。
― 学校の授業は週にどの程度あるのですか?
田島 僕の場合は、オーケストラとレッスンと室内楽だけでした。オーケストラは、一つのゼメスターに四〜五のプロジェクトがあり、一つのプロジェクトがリハーサルを含めて約一週間程度。そのプロジェクトを一ゼメスターにつき、最低二つはとらないといけないので、約二、三週間それにかかりっきりになります。それ以外は毎週基本的にレッスンに行っていました。更に、室内楽ではそのグループの都合に合わせて、リハーサルやレッスンがありました。

― 時間的にゆとりがありそうですね。
田島 相当ゆとりありますよね。暇といえば暇です(笑)。でもそれがいいというか、桐朋の七年間と札響の三年間はただただ突っ走ってきたので、この留学は自分を見つめ直すいい機会になりました。こちらに来てから、逆にたくさんの日本語の本を読んだりもしました。フライブルクは音楽的にもベルリンやパリ、ロンドンのように刺激的な演奏会が続く所ではないのですが、人間的な何かを取り戻すには良い環境です。僕は田舎出身なので本当に合っていると思います。同じ日本語の本を読む場合でも、日本にいた時に読む場合とでは心の中の響き方が違うし、日本語のかみしめ方が違います。また、じっくり料理を作る時間がある事は、こんなに素晴らしいのかと思います。他にも、外から冷静に日本を見る事ができる事、自分の生活を振り返ることができる事など、いろいろと本当に良かったですね。暇と感じる事もあるのですが、そんな生活も悪くないと思いますし、音楽の見方も変わってきますね。
― 音楽的にはどういうふうに変わっていかれたのですか?
田島 自然体になったのかな。これは他の方に当てはまるか分からないのですが、僕の場合は、ただただがむしゃらにやってきたので、音楽を味わう余裕があまりありませんでした。そういう意味で今は、一つの作品と向かい合う時間が出来たわけですからいいですよね。心のゆとりをもって作品と向き合うことは幸せだということを感じています。僕はモーツァルトやブラームスが好きなのですが、特にモーツァルトの感じ方が違います。何が変わったのかよく分かりませんが、もしかしたらドイツ語の持つリズムとモーツァルトの音楽がシンクロしたのかもしれない。例えば日本にいた時は、モーツァルトに限らず、こういうパターンの時はこう弾く、とある意味自分自身の狭い範疇でしか考えられなかった。でも最近は、こういう弾き方もいいけど、こういう方法もあるかもしれないなと、少しずつですが、いろいろな可能性を感じることができるようになってきたかもしれません。
― ご自分の幅は広がっているのですね。
田島 まだそこまでは分からないです。ただ、可能性は一つではないなと思うようにはなってきています。例えばオーケストラで、弓の上げ下げを決める時に、日本での自分だったら「このパターンだったらこういう感じかな」と何となくやっていたところもありましたが、今はそうではなく「ここはこういう考え方だからこういう方法もある」というディスカッションが入るので大変です。「それじゃ試してみよう。」「これいいねぇ!」でも結局、「やっぱり元の弓の方がいいかな」となる事も多いのですが(笑)。外国の方が議論好きな事や、時間にゆとりがあるから出来る事なのですが、本当にそういう事の一つ一つが勉強になります。
― ドイツでのレッスンと日本でのレッスンは違いますか?
田島 和波先生とクスマウル先生は違うタイプの先生です。僕は中学二年から和波先生について勉強してきました。それまで基礎的なことをほとんどやってこなかったので、ヴァイオリンの弾き方や音楽との接し方など一から和波先生に教えていただきました。和波先生には本当に細かくいろいろな事を習ったので、言葉を教わった感じです。基本的なクラッシックの語法を習い、その語法を持ってクスマウル先生のところに行ったのでドイツに来てもそれほど大きな違和感はありません。ただ、僕が未熟なせいか、和波先生のレッスンでは少しでも変な弾き方をするとそれは違うと指摘される事がありました。クスマウル先生の場合は逆に何でも許容するところがあります。自分の可能性について頭ごなしに否定しないで「なるほど、そうかもね。でもここは違うんじゃない」とか、「ここはこういうやり方もあるかもね」というレッスンです。もちろんこの違いは自分の段階によるものも大きいとは思います。クスマウル先生のところでは、基礎的なものはもちろんの事、レッスンごとに自分で研究した成果に対して、他にこういう弾き方もあるし、こういう表現もあるよ、という助言を頂いている、というレッスン内容ですね。
― 逆に言えば自分の考えがないといけないのでしょうね。
田島 そうですね。クスマウル先生は最初のオーディションの時点でそういう所まで見ていると思います。彼は基礎的なことを教えるタイプの先生ではなく、音楽を楽しみたいタイプの先生だと思うので、その生徒の音楽との接し方などもその時点で見ていられるのでははないでしょうか。
― 先生の所は今もレッスンに行かれているのですか?
田島 卒業してからまだ行っていないのですが、そろそろ連絡をとろうかな、と思っています。ただ基本的に、プライベートの生徒をとらないようなのでどうなるか分かりません。実は卒業した時に、もう二年勉強しようと思ってソリストコースを受験して落ちちゃったんですね(笑)。実質プーみたいになってしまいました(苦笑)。フライブルク音大では、例えば夏ゼメスターの場合、1480ユーロ、日本円だと24万円程度お金を払って、担当教師の許可が下りれば、入試なしにその先生のレッスンを受けられるという制度があるのですが、次の学期に再度ソリストコースを受験しようか、その制度を使って勉強を再開しようか迷っています。僕はピアノとのデュオが凄く好きで、まだまだやっていない名曲がたくさんあるので習えるうちにもっとやっておきたいと思っているのですが、お金の問題もあります。今、円安ですし、こちらで働きながらもう一回勉強出来ないか模索中です。

― オーケストラに入るということですか?
田島 オーケストラに入ってしまうと時間が取られてしまうので、期間限定の仕事、例えばエキストラとして演奏しながら臨時収入を得て、自分の事が出来ないかと思っています。今度、初めてドイツのプロオケ、室内オーケストラにエキストラで出ることになりました。それをステップに何らかの形で広がっていけばいいなと願っています。
― どういうきっかけでエキストラ出演をすることになったのですか?
田島 ドイツは、オペラハウスから普通のオーケストラまで少なくとも200以上のオーケストラがあるのですが、それらのオーケストラの空き情報を掲載している雑誌やインターネットサイトがあります。たまたまそれを見ていたら、フライブルク音楽大学のヴィオラの先生が指揮者をやっているオーケストラがあり、コンサートマスターの席が空いているとのことだったので応募してみようと思ってメールを書いてみました。すると既に席は埋まってしまったものの「試しに履歴書を送って下さい」とのことだったので履歴書を送りました。札響時代のコンマスというのが功を奏したのか「一月二日から仕事があるから来てくれないか」とのこと。本当ここ一週間の話です。
― 一日の練習時間はどの程度ですか?
田島 日によって違います。僕は朝型なのですが、学校に通っていた頃は、朝八時から十二時頃まで練習。そのあと、買い物をして家に帰ってご飯を食べてお昼寝。実は毎日15~30分ほど、お昼寝をしているんです(笑)。そうすると本当に頭がスッキリします。そうやって朝の睡眠時間を取り戻して、午後三時頃から六時頃までまた練習。
― 練習はお家ですか?
田島 午前中は大体学校で練習し、午後は家で行います。たまたま練習できる家だったので本当にラッキーでした。でもフライブルク音大では24時間練習できるんですよ。地下室があって、いつでもその学校の学生であれば入れる仕組みになっています。だから本当に最高の環境です。

― そんな遅い時間に歩いても安全ですか?
田島 フライブルクは基本的にとても治安のいい所です。人もいいし、外国人に対してもとても親切です。町も非常に綺麗です。フライブルクは、環境都市と言われていて、町の中心部に車が入れないような仕組みになっています。聞いた話ですが、フライブルクに原子力発電所を作ろうという計画が昔あったのだけれど市民運動で跳ねのけたとか、風力発電が盛んだとか、僕はそれ以上知らないのですが、凄く環境に対してもいい町です。
― ドイツの町はどこも綺麗ですが、そこまで力を入れていると本当に綺麗ですよね。
田島 たまに他の都市に行くと、少し恐いと感じることもあります。町自体もあまり綺麗ではないし、東に行くと失業率の問題もあってか、外国人に対して差別があったりするとも聞きます。フライブルクは経済的にもゆとりがある町なので、一度この街を知ってしまうとなかなか離れられないですね。よくいろいろな人に、このフライブルクがドイツだと思っちゃいけないよと言われます。僕は、ベルリンに行っても街自体にあまり魅力を感じません。刺激的なものはたくさんあるだろうけど。フライブルクは自然が適度にあり、フランスやスイスに近く、ドイツの中で日照時間も一番長いようです。自然の美しい所は人間もいいと思います。僕は長野で育って、今は実家が茨城にあるのですが、ここはそんな自分にうってつけな環境ですね。
― 留学先としてフライブルクはお勧めですか?
田島 人によると思いますね。ここはベルリン、ウィーン、パリ、ロンドン、あるいは東京のように、毎日のようにすばらしい芸術家が来て、ひっきりなしに演奏会が行われている、という環境ではないので、そういう観点から見ると、刺激を求めている若い人にとってフライブルクが良いかは、ちょっと分からないです。でもフライブルクには、人口18万ですが、オケは三つもあります。一つは放送局のオーケストラである、南西ドイツ放送交響楽団。それから劇場オーケストラである、フライブルク市立フィルハーモニー。そしてフライブルガーバロックオーケストラです。それぞれ個性のあるとてもいいオーケストラです。ここでは刺激的なものに振り回されないので、自分と向き合え、落ち着いて勉強ができます。人間的な生活や音楽を、ゆとりをもって勉強したいならフライブルクは凄くいいと思いますよ。

― 学校以外でのコンサートの機会はありますか?
田島 フライブルクには、アマチュアの合唱団が多いのですが、そんな合唱団にもランク分けがあって、それぞれのランクに合わせて市から助成金が出ているそうです。それらの合唱団の演奏会で必要な時には、弾かせて頂いています。それから、知り合いの教会音楽家の方からのお誘いで教会での演奏会の機会が増えましたね。自分自身はカトリックなのですが、こういう時に内なる喜びがあります。あとは和波先生のご紹介もあって、ハンガリー放送交響楽団とブラームスのコンチェルトをソロで弾かせて頂いたり、茨城の地元の知り合いがスペインのマジョルカ島にいらっしゃる関係で、その方にお招き頂いて、マジョルカ島で2回もリサイタルをやらせて頂きました。それからフライブルクにも日本ドイツ文化協会のような所があって、リサイタルをピアノと一緒にやらせて頂きました。
― 学校以外でもお忙しいですね。
田島 幸せなことにいろいろやらせて頂いています。僕は、なるべく多くの分野で活動していければ、と思っているので、すばらしい経験をたくさんさせて頂いていますね。
― 周りの人からいろいろなお話が来るのですね。
田島 僕は、本当にいつも周りの方から助けてもらっています。例えば、フライブルクは、家探しが非常に難しいらしいのですが、たまたま僕の先輩が僕と入れ違いに出るので、その後に入らせて頂きました。学校の手続きもその時にいた僕の同級生がものすごく手伝ってくれました。自分でやって一番大変だったのは、滞在許可申請をフライブルクの市役所で行う時や、家に電話を繋げたことです。本当に、今の生活は周りの人の助けなしにはありえません。フライブルクは、日本人同士の関係も良いです。近づきすぎず、遠すぎず、家族みたいな関係でみんな親切にやっていて、その親切な伝統がずっと続いている感じです。それぞれのペースを守りながら困った時には手を差し伸べあっています。まあこういうことは、本来当たり前の事かも知れないのですが。こちらにいると、例えば日本と同じ親切をされても、よりありがたく感じます。僕も今度はその伝統を受け継いでいきたいと強く思っています。特に、留学は、最初が一番大変で肝心です。
― 最初というのはどの位ですか?
田島 最初の一ヶ月くらいが特に大事だと思います。本当にまだ言葉も体も食にも慣れていない中で、役所に行ったりしないといけないので大変です。
― ホームシックにかかる方も多いようですが、そんなことはなかったですか?
田島 ホームシックはないですね。でも最近出てきました(笑)。お金がかかるから日本には頻繁に帰れません。この間帰ったのは夏ですが、お正月には、おせちが食べられない、箱根駅伝が見られないとか(笑)。札響時代は舞台の上だったし、もう五、六年いわゆるお正月を堪能していないですね。
― フライブルグの生活は、ひと月どのくらい生活費がかかりますか?
田島 物価は安いです。例えば、牛乳が一本で八十円程度。卵も百円前後。野菜も凄く安い。肉も安い。五百グラムで豚は二百円位です。外食は高いのでほとんどしないです。一ヶ月を家賃、電気、電話代を含めて頑張って五百〜六百ユーロで過ごしています。日本円にするとそれでも十万円弱になってしまいますから、決して安いとはいえないです。演奏会は、学生券で十ユーロ前後です。ウィーンは五ユーロで聞けたりするようですけど、日本みたいに三千円、四千円するわけではないのでいいと思います。

― 留学して良かったと事はありますか?
田島 自分を見つめ直すことが出来たことです。演奏会で良い演奏をして、いい拍手をもらう事はありがたい事に日本でもドイツでも味わうことが出来ました。もちろんその瞬間は幸せで、ドイツでも自分のやろうとしている音楽や語法が、ある程度喜んでもらえることも分かりました。ただ僕にとっては、表舞台で脚光を浴びることよりも、今はとりあえず自分と対話出来ることが本当に幸せなんです。自分の性格や今まで見えなかった自分も見えるようになってきました。今まで悩んできた事が一つの言葉になって出て来たりもしました。それに凄く苦労していることが楽しいです(笑)。札響に入っていきなりコンサートマスターをやらせて頂いたので、急にお金ががっぽり入って、もうお金の使い方が分かりませんでした。とりあえずお金を使おうと思っていつも外食をしていました。北海道だったので二週間に一回くらいは回転寿司を食べてタクシーに乗って帰りました。また、イギリスに演奏旅行をしたり、たくさんの人と触れ合えたり、経済的に不自由することは無かったのですが、どこか心がすさんでいました。別に仕事や音楽ということではなくて、自分の心が満たされませんでした。今は逆に明日食うお金も本当にない。このギャップがたまらないのですが、苦しくなると札響時代はお金もあったし、寿司も食べたし、日本酒もいつも飲めたということを思い出します。弱気になるほどあの時辞めなきゃ良かったとか、やっていれば何の苦労もなかったと考えるのですが、実際は、今の不自由な環境を心のどこかで望んでいたと思うのです。だから、いろいろな問題に直面して一つ一つそれを解いていく楽しみがあります。それが今は本当に嬉しいですね。いい事も悪い事もたくさんあって、それが一つ一つ心に刻まれていきます。ドイツにいると小さい喜びが大きい喜びに変わります。困難も大きいのですが、困難があるから次に進めると思います。乗り越えられない試練は無いと思いますし、困難や課題を与えて下さっているのでしょうね。その課題を一つ一つ乗り越えて、今、人間的な生活が出来ていると思います。日本だったら、僕は忙しいことでごまかしちゃうんですよね。だけどドイツでは、暇だし刺激がないから、ごまかせるようなものがない。だから逆によく考えられるし、自分と対話が出来ます。自己対話が出来る事がいかに幸せかと思っています。僕の人生があとどのくらいあるか分からないのですが、この時の苦労はちゃんと覚えておきたいし、この苦労はお金にはかえられないです。札響の時は、コンサートマスターとしての責任感や音楽的には凄く苦労しましたが、今は本当に自分自身に突きつけられた課題を一つ一つ丁寧にこなしていっています。また、僕は、どこに行っても周りの人が助けて下さるので、自分も手助けをできれば嬉しいし恩返しをしたいと思っています。演奏というかたちになるのかもしれませんが、ヨーロッパで活動したことをいつか日本に持って帰りたいと思っています。僕は、三十代、四十代には日本に帰りたいので、その時までにたくさん苦労をして、自分の出来る音楽で何か力になれるのならなりたいと思います。
― ヨーロッパや日本でまたオーケストラに入りたいのでしょうか?
田島 どんどんすばらしい演奏家が出てきているので、簡単にいくとは思わないのですが、ご縁があればオーケストラに入れれば幸せだと思います。僕の強い希望としては、最終的に日本で何か還元できればと思っています。
― 今後留学する方にアドバイスはありますか?
田島 語学はやっておいたほうがいいと思います。人と心から打ち解けるためにはやはり言葉なんですよね。語学に対して全くなめていました。僕は、人間と人間のコミュニケーションとして誰とでもうち解ける自信があります。でも、それは日本語だったからという事だったんですね。その自信からドイツに行けば何とかなると思っていました。もちろん何とかなるのですが、それだけではつまらないですよね。本当に良い留学をしたいなら、語学は必要だと思います。ただ語学を勉強した方がいいというのではなく、「ああしたいな」「こういうふうになりたいな」「こう話したいな」「こういう話を聞きたいな」と頭に描きながら勉強すると凄く良いと思います。実際にいろいろ人種の方々がいて、コミュニケーションがとれると本当に面白いです。その人達と心から打ち解けたいなら語学は必要です。僕の場合は語学からずっと逃げてきていたので、語学が出来ないというコンプレックスもあります。だからシミュレーションをしておけばすっと入っていけると思います。僕が言うのも説得力が無いのですが、ドイツ語で「Viel Spaß!!(楽しんで!!)」という表現がありまして、 楽しんでいろいろなシチュエーションを思い描きながらドイツ語を勉強すればいいのではないでしょうか。
― ありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【スペイン留学情報 vol.344. 2015-02-10 04:00:00】
杉山由美子さん/声楽/イタリア語と声楽・カリアリ夏期国際音楽アカデミー/イタリア・フィレンツェ・カリアリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

杉山由美子さんプロフィール
尚美学園短期大学声楽科、東京コンセルヴァトアール尚美研究科声楽専攻卒業。学生時代よりオペラ、ミュージカルに出演。ミュージカル劇団「音楽座」に在籍し、その後、フリーで音楽活動を始める。2001年初のソロリサイタルを開催。堅苦しくないクラッシックを広める為、意欲的にコンサートを行っている。第1回オペラアリアコンクール入賞(全日本音楽協会主催)。2006年イタリアフィレンツェにイタリア語+音楽で6ヶ月留学。イタリア留学中に、フィレンツェ夏期国際音楽キャンパス、カリアリ夏期国際音楽アカデミーのマスターコースに参加。
— 簡単な略歴を教えていただけますか?
杉山 高校時代から合唱をやっていて、その合唱を通じて歌うことは楽しいなと思っていました。日本人では第一人者である声楽家、伊藤京子さんという方が高校の先輩で、毎年高校に歌いに来てくれたんですね。その方の歌を聞いて「声楽家って凄い」と思っていたんです。それで、自分もあんなふうに歌えるようになりたいと思い高校三年の冬に音楽大学に行きたいと思いました。通常の音大受験をする人達に比べたら全然準備が遅いので間に合わないと言われたんですが、音楽短期大学声楽科に入れました。短大卒業後、専門コース研究科に進みました。その後は、働きながら細々とレッスンに通ってミュージカル劇団に入りました。劇団には歌のうまい人やダンスが上手な人が一杯いて、とても刺激になり勉強になりました。その後、アルバイトをしながら自分のスタイルで何かやっていこうと思っていろいろなオーディションを受けました。結局都内のライブハウスやホテル、クラブなどでクラッシック歌手として歌うことを始めました。また、自分の力を試してみようと思って、2004年にオペラアリアコンクールを受け、たまたま入賞しました。地道にやっていけばなんとか認めてくれる方もいらっしゃるのかなと思いましたね。それで、本場イタリアで勉強してみたいという気持ちがどんどん強くなってきました。年齢も年齢だったのでこの辺で留学しておかないと一生行けなくなると思い、イタリアで暮らしながらイタリアの夏期講習やマスターコースに参加してみようと決心しました。
— イタリアを選んだ理由はありますか?
杉山 イタリアは二回行ったことがありました。一回はプライベートで、もう一回は、私が所属していた東京の合唱団が優秀でイタリアに招待され演奏旅行をした事があるんです。その時に食べ物はおいしいし、人は陽気だし、風景も素晴らしく、そして時間がゆったり流れていて皆人生を楽しんでいる感じが凄くしました。イタリア人には、いろいろ親切にしていただいた事もあり、イタリアは本当にいいなと思っていたんです。
— そこで留学するならやっぱりイタリアだと?
杉山 いろいろ考えたんですが、イタリアは歌の本場ですし、カンツォーネにも興味がありました。以前行った時の印象も良かったので、それで住むならイタリアがいいかなと思いました。
— 実際にイタリアに住んでみていかがでしたか?
杉山 フィレンツェに住んだのですが、住むとこんなにも違うのか、というのが正直な感想です。日本は何もかも便利なので便利さに慣れていました。ところがフィレンツェでは、例えば夏でも、ほとんどの家庭にクーラーが無いんですね。なので、ものすごく暑いんです。光が入ると夜、気温が上昇して余計暑くなると言われていたので、昼間はブラインドを閉めてモグラみたいに生活をしていました。それでも夜は、ものすごく暑くて寝むれません。蚊もすごく多く、五、六十カ所くらい刺されましたね。
— 一晩でですか?
杉山 もちろん一晩ではないです(笑)。それにフィレンツェは日本みたいに交通網が発達していないので、自宅からフィレンツェ中心の学校まで行くのに歩いて片道三十分くらいかかりました。バスもいいかげんでよくストライキもあり、時間になっても来ないので、往復歩いたりしていました。そのうち自転車を借りて通うようになりました。
— 最初はイタリアの慣習に戸惑いましたか?
杉山 そうですね。コンビニのように二十四時間やっているお店も無いので、何か足りない時は困りますね。飲み物でもなんでも買いだめしておかないといけないです。
— スーパーなどは土日がお休みですか?
杉山 日曜日が休みです。スーパーやバールは全部休みになってしまいますね。私がフィレンツェに着いた日がたまたま日曜日だったので、買い物も行けず、一緒の家に住むギリシャ人の方が自分の食べ物を与えてくださいました(笑)。
— ご留学するまでに準備期間はどのくらいかかりましたか?
杉山 猛スピードで三ヵ月半ですね。日本でイタリア語の語学学校も三ヶ月通いました。特に私は会話を中心に習っていたので買い物やちょっとしたイタリア語は多少役に立ちましたが、イタリアに行くと会話の速度が速いので、耳が慣れないとダメですね。それにイタリアの学校では、文法をものすごくやらされます。その文法をいかに私は知らなかったのかと思いました。結局イタリアでは一から勉強したのですが、毎日学校もあって日常でイタリア語を使うのでやはり身につきますよね。語学学校では、四週間毎に試験があり、その試験にパスすると次のクラスに上がれます。上のクラスにいけないと恥ずかしいのでそこでも頑張りますよね。
— フィレンツェの語学学校に行かれて、イタリア語が分かってきたと思ったのは何ヵ月目くらいですか?
杉山 三ヶ月くらいですかね。長い文章は言えないのですが、耳が慣れる感じです。
— 宿題はありましたか?
杉山 毎日ありました。
— 学校の生徒さんはどこの国の方が多かったですか?
杉山 日本人も多かったのですが、ドイツ人やアメリカ人も多かったです。世界のいろいろな人達とお友達になれました。日本人スタッフが学校にいたので何かあった時は日本語で相談が出来るのでそれは大変助かりました。
— 緊急事態は何かありましたか?

杉山 学校で緊急事態は特にありませんでした。個人的にみんなで夕食を食べに行ったり、ディスコに行ったりすることがあるんですが、一度、大酔っ払いをしちゃいました(笑)。夜中三時くらいだったのでバスは無いし、自転車も恐かったのでタクシーで帰りました。その時、財布に50ユーロが一枚ポンと入っていたのを今でも覚えています。タクシーの運転手は、私が酔っぱらっているし、日本人だということを見ているんでしょうね。家まで9ユーロだったので50ユーロを出したら、お釣りが1ユーロしか返ってこなかったんですね。「え?50ユーロ出したんだけど」と言ったら、「見て。ここに10ユーロしかないでしょう」と言って、10ユーロが置いてあるんです。その時、私は、10ユーロを持っていたのかもしれないと思ってしまいました。でも、後で財布を見たらやっぱり50ユーロが無いので「ああやられた!」と思いましたね。次の日学校に行ってその話をしたら「今お金をとっさに、すり替える手口がはやっているんだよ」と言われ、まんまとひっかかったと思いました。あとは食中毒ですね(笑)。
— 食中毒?夏場ですか?
杉山 冬場だったんです(笑)。11月だったのですが、たまたま日本から友達がフィレンツェに来たので一緒にレストランに行きました。フィレンツェは、海の幸はあまりおいしくないので勧めなかったのですが、ムール貝のワイン蒸しを食べたいというのでそれを頼みました。おいしくないし、変な感じがしたんですが、もったいないし、他の料理もみんなに食べてもらいたかったので私が頑張ってこれを食べるしかないと思ったんですね。みんなは二、三個しか食べてないのに私のお皿はムール貝の貝殻でてんこ盛りになっていたんですよ(笑)。そしたら三時間後くらいに、いきなりきまして....、もうずっと朝まで、熱もでました(笑)。
— 災難でしたね(笑)。
杉山 そうなんです。でも私の友達と一緒に来た方が医療関係の方で、「食中毒に間違いないから、薬を飲まないで全部出したほうがいい。下痢止めを飲んじゃうと止まっちゃうから、とにかく悪いものは出すように」と言われました。そのようにしたら金曜日夜に発症して、一日寝込みましたけど、日曜日にはだいぶ良くなりました。
— その時は、学校のスタッフに連絡したのですか?
杉山 発症したのが、金曜の夜で友達のホテルだったんですね。久しぶりに友達に会ったのでみんなでホテルで話をしていたのですが、そこで具合が悪くなって、結局そのホテルに滞在しました。ホテルにたまたま日本人のスタッフがいて、薬は出せないと言われたのですが、ハーブティーなどを出してくれました。それに、お友達がいたので安心でした。学校には、土、日とお休みなので特に連絡しませんでした。
— 日本とイタリアでは何が違うと思いましたか?

杉山 日本にいる時は、人間対人間が殺伐としているなと感じる事もありました。留学生だからかもしれないのですが、イタリアでは、日本や韓国、その他世界中からデザインや料理の勉強に来た人など音楽以外のいろいろな人と知り合いました。その方達と絆が強くなって助け合う事がよくおこりました。例えば、私が日本に帰るときに荷物を三箱くらい日本に送らないといけなかったんです。日本のように便利ではなく自分で荷物を持って行き、重さも測ってもらう必要があって、結構面倒くさいんです。荷物を運ぶだけでも大変です。その時に友達が四人くらい来て、パーと運んでくれました。もちろん、私も他の方の時には、何かあったら助けます。そういう絆がとても強いと思いました。
— 学校で知り合った方達ですか?
杉山 そうですね。あとは知り合ったお友達のお友達。お友達のお友達はその学校に行っていたわけではないですね。
— フィレンツェは狭いですよね。みんな知り合いみたいな感じですか?
杉山 みんなではないかもしれないけど、どこかでつながっていますよね。
— 学校の授業ですが、スケジュールはどのような感じでしたか?
杉山 私はイタリア語と音楽コースを受講していました。九時に学校が始まって一コマ目が、九時から十時半まで。十時半から十一時までが休憩で、十一時から十二時半まで二コマ目の授業があります。一コマ目の授業は、テキストを使った文法中心の授業でした。二コマ目は、会話を中心とした授業でした。十二時半には、語学の授業は終わります。私はほとんど十二時半から学校でお昼を食べていました。みんなでバールに行ったり、トラットリアに行ったりすることもありました。歌のレッスンは週二回、イタリア語の授業の後にあり、レッスンに備えて大体五時くらいまでは毎日学校にいました。学校にパソコンが6台あり無料で使えるので、午後はパソコンをしたり、その他ピアノがある練習室が5室あるので、練習を毎日しました。
— 学校では宿題や練習をしていたのですか?
杉山 練習が主でしたね。練習の間、一時間休んでメールやパソコンをし、そのあと、また練習をしていました。友達も結構残っていたので、いろいろおしゃべりしたり、情報交換したり、バールにコーヒーを飲みに行ったりしていました。
— 週に二回の歌のレッスンは別々の先生でしたか?

杉山 最初は、歌の先生にしかついていなかったんですね。コレペティトールという伴奏専門のピアニストがいるのですが、その先生についているお友達がいてレッスンを見学させてもらいました。そうしたら歌の先生とは違う視点から音楽全体の事や音楽性をいろいろ教えてくださるので、後半からはそのコレぺティの先生と歌の先生と二人の先生につきました。
— イタリア歌曲が中心ですか?
杉山 オペラを中心に、イタリア歌曲、オペラアリアを勉強しました。
— 一曲にどのくらい時間をかけるのですか?
杉山 この学校の良いところは、必ず月に一回のコンサートがあるんです。私は8月から参加したので、8、9、10、11、12と5回コンサートに出演しました。
— 毎回コンサートに向けて曲をやっていくのですか?
杉山 そうですね。『夢遊病の女』というイタリアの作曲家ベッリーニのオペラがあるんですが、その中のアリアが、ずっと歌えなくて半年かけてやりました。先生が、「そのアリアがとてもあなたにあっているから勉強したらいいわ」と言ってくれたのですが、ものすごい難しいです。
— 完成しましたか?
杉山 まだ、熟成中ですね。「ちゃんとできるには二年かかるわよ」と言われています。
— 日ごろの練習はほとんど学校ですか?
杉山 そうですね。学校には、練習室があるのでそれを使っていました。三十分毎の予約制になっているのですが、誰もいない場合は自由に使っても良かったので結構使っていましたね。
— 月一回のコンサート以外に、自分たちでコンサート企画などはしましたか?

杉山 自分でコンサート企画はしなかったのですが、私は夏にフィレンツェで講習会にも参加しました。その講習会の最後に、教会で終了コンサートがあってそれに出る事ができました。お客さまも、ものすごくたくさん入りました。観光客などコンサートをやっているなら入ってみようという人も結構いました。学校のコンサートでも、十二月にものすごく大きい教会でやりました。響きもとても良くて礼拝の方もコンサートに来ます。その教会で歌ったことは本当に良かったですね。感動です。
— 学校ではコンサート以外のイベントはあるのですか?
杉山 映画、遠足など結構イベントがたくさんありました。海外の方は、ホームパーティーがとにかく好きで、夏は公園でその国の食べ物をそれぞれ一人一品ずつ持ち寄ってパーティーをやりました。世界の料理が食べられるんですね。その時はメキシコやスペインの方もいました。スペインの方は、バケツを持ってきてそこにワインをバーって入れて、果物を入れて、サングリアを作っていました。メキシコの方は自分でキュウイをリキュールでつけたものを家から持って来ました。私はおにぎり(笑)。学校では、クリスマスパーティーもあってその時も世界各国からいろいろ食べ物を持ち寄りました。
— お米などは普通にフィレンツェで買えるのですか?

杉山 アジアンマーケットがあってそこで結構買えます。イタリアのお米も買ったのですが、炊き方さえ間違わなければ大丈夫だと思います。でもイタリアのお米は芯が残ったりして難しいですね。三回失敗しました!火加減かな。リゾット風になっちゃいますね。
— 周りの方のお勉強の態度は日本の学校と比べて違いますか?
杉山 全然違いますよね。お国柄がでます。最後のクラスでは、日本人は私だけで、あとは、アメリカ人ばっかりでした。日本では椅子に普通は土足で上がったりしませんよね。だけどアメリカ人の人達は平気で土足のまま足を投げ出したり、椅子に登ります。それが一人だけじゃなくてみんなそうでした。日本人は靴を脱いで家にあがる文化なので随分違うなと思いました。お行儀が悪いように見えましたね。
— 授業以外はどのように過ごされていましたか?
杉山 午後は歌の練習をしていました。土曜、日曜は、近くの公園に行ったり、友達とフィレンツェから電車で行ける所に遠足に行ったり、テスト前は家で勉強ですね。
— テストは、厳しいですか?
杉山 厳しかったですね。テストで出来なかったということは、授業が理解出来ていないということなのでもう一回同じ授業を受けることになります。毎月どんどん次のレベルに進めるというわけではないですね。初めの頃は、音楽の講習会に行っていたのでテストはパスできなかったのですが、その後は、順調にパスできました。
— 日本人以外の人達と付き合うコツは何かありますか?
杉山 私は、ギリシャ人の女性とイタリア人の男性と住んでいました。イタリア人の男性は四十歳くらいの人で、ほとんど家で仕事をしていて考古学を研究している人でした。性格が日本人の男性より固い真面目な人で、良い人に恵まれたなという感じでしたね。ギリシャ人の女の子はフェラガモに勤めていました。私はそうめんを持っていたので、茹でてみんなで食べました。食べ物ですかね(笑)?そうすると今度は自分の作った物を食べさせてくれます。テスト前だとイタリア人の男性がスパゲティーを作ってくれたりしました。
— 生活費は食費を含めて一ヶ月どのくらい必要でしたか?
杉山 私は家賃が四百ユーロだったので月に最低六百ユーロは必要でした。
— 家賃以外は二百ユーロでやっていたのですか?

杉山 スーパーはものすごく安いんです。レストランやトラットリアに行くと高いのですが、スーパーで買い物をする場合は日本より安いです。お酒の話で申し訳ないんですが、イタリアの一番有名なモレッティーというビール350mlが、二つで0.8ユーロ。野菜は全部計り売りですが、ズッキーニを二、三個入れても40円くらいです。野菜、果物はとにかく安かったです。肉も市場で買うとものすごく安いです。スパゲティーも大体0.8ユーロくらいで売っていて安いですね。レストランやトラットリアは、ものすごい量の食事と、ものすごいお酒を飲んでいるので安いとは思うのですが、ユーロマジックにかかってしまいます。例えば、一人20ユーロかかったとして、日本の感覚だと2,000円位で安いと思うのですが、実際為替レートを計算してみると3,200円くらいですよね。「ああユーロだったか、この国は!」と思いました。レートで思い出しましたが、町の両替屋は1ユーロ200円位取られるので気をつけないといけないですね。とにかく銀行で換金した方がレートはいいです。
— オペラは見に行かれましたか?
杉山 フィレンツェで見に行きました。日本の感覚で比べたら本当に安いです。日本でオペラだと一番高い席で三万円前後、一番安くても五千円以上ですよね。でもイタリアだと安い席は、ものすごい悪い席ですけど10ユーロ前後、日本円で1500-1600円位です。夏は、野外オペラもやっていました。毎日コンサートをやっている教会もありました。パイプオルガンとフルートとテノール歌手の日やバイオリンの日など、いろいろな組み合わせで毎日コンサートをやっていました。フィレンツェという土地柄、観光客も多いので、町の広場で楽団が演奏したりしていました。
— 話しは変わりますが、夏期講習会についてお聞かせいただけますか?フィレンツェ夏期国際音楽キャンパス(編集注:2007年度の開催はなし)とカリアリ夏期国際音楽アカデミーにご参加されたのですよね?

杉山 フィレンツェ夏期国際音楽キャンパスは若い子が多かったです。一緒のクラスではドイツ人の女の子とメキシコ人の女の子とスペイン人の女の子、それと私でした。一番若い子は17歳のドイツ人で、日本人の参加者は私一人だけでした。私は、初めて海外でレッスンを受けるのでかなり気も張っていました。一人ずつレッスンがあるのはもちろんですが、全員でレッスンをする事もあります。その時それぞれの良い所や、注意点などのアドバイスをして下さいます。自分のレッスンが終われば帰っていいということではなかったので、その点が良かったですね。ヨーロッパ式のグループレッスンはずっと気が抜けない感じもあるのですが、一番日本と違うのは有名な凄い先生でもざっくばらんというか、壁をあまり作らないですよね。決して生徒を否定しないし、そう思うのなら、こうやったらもうちょっと良くなるかも知れないと生徒の可能性を高めてくれます。イタリアでは、自分の意見を言うことは本当に大事で、必ず「どうやってこれを歌っていきたいですか?」という自分の意見を先生に聞かれますね。
— 講習会の期間は一週間ですか?
杉山 本当は一週間でしたが、結局人数が少なかったので凝縮して五日間になりました。もう一つのクラスの先生はイタリア人の男の先生でした。イタリア人なのでイタリアの歌のことをものすごく良く分かっていて、その先生もいい先生だと思いました。期間中違うクラスのレッスンなど自由に聴講する事も出来るので、勉強になりますね。
— カリアリ夏期国際音楽アカデミーはいかがでしたか?

杉山 カリアリは、私がお会いしたかった、カーティア・リッチャレッリが体調不良のために来られなかったので残念でした。受講生は、日本人とフランス人が多く、有名な先生がたくさんいました。パリ国立高等音楽院などの先生がたくさん来るので、その先生についている生徒さんも多く来ていました。リッチャレッリが来れなくなった代わりに、ジュリオ・ザッパというコレペティの先生が指導をしてくれました。でも歌い手ではないんですよね。歌い手ではないので、「声楽」のレッスンとしては、疑問がありました。ピアノはすごいうまい方で、一流の声楽家と共演して引っ張りだこだそうです。だからこの方には、歌で習いに行くのではなく、コレペティの勉強をしている人がその先生に付いたらもの凄い良いと思います。日本人の女の子も一人コレペティの勉強として、オペラの伴奏をその先生についたけれど、ものすごい良かったと言ってました。
— 学校の施設はいかがでしたか?

杉山 学校の施設はものすごく良かったです。練習室もたくさんありました。カリアリ自体がもの凄くいい所で、景色も良く、カリアリの町はすごく好きですね。食べ物はおいしいし、物価は安いし、人ももの凄く温かいです。私にとっては、イタリアで一番人間的に温かい人が多かった気がします。
— 物価は安いのですか?
杉山 安いですよ。フィレンツェから比べると安いですね。カリアリ以外の北の街は高いらしいのですが、カリアリは安かったですね。景色もいいし海も凄くきれいだし、人も親切だし町自体も私は好きで、カリアリの音楽院の雰囲気も本当に好きです。
— 宿泊先は海の近くでしたか?
杉山 はい、海の目の前でした。学生寮でしたがなかなか良かったですよ。
— 学生寮からカリアリ音楽院まではバスですか?
杉山 バスですね。帰りはお店がいろいろあるので、歩いて帰ったこともあります。歩くと三十分弱位ですね。
— 講師演奏会はいかがですか?

杉山 二日間講師演奏会があるのですが、ブルーノ・カニーノ氏率いる室内楽は、感動しました。ルイ・サダはオリジナリティーがものすごくあって、クラッシックを一生懸命きちっと勉強した人は「何でこんなにリズムが変わっちゃうの?」と思った人がいるかもしれませんが、私は個人的に好きでした。このようなコンサートはありがたいですよね。これだけ著名な演奏家の演奏が、いっぺんに聞けるだけで本当に幸せです。生徒の優秀者コンサートもあるのですが、歌で日本人は出場できませんでした。
— 歌のコースは何人でしたか?
杉山 イタリア人が二人、スペイン人が一人、日本人二人でした。この中でコンサートに出場したのは一人だけでした。カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、いろいろな年齢の方が来ていました。私は、そこでピアノの先生をしている六十代の方に知り合いました。もう一人の日本人の声楽の方もお子様が大学生だと言っていました。受講生は、小学生からかなり大人の方まで幅が広いので面白いと思います。小学生は、韓国人のバイオリンの子でした。弦楽器は、お母様と一緒に来ている人が多かったですね。日本人もお母様が付い来ていて熱心な方が多かったです。私は、食事をしている所で声をかけて頂いたおじ様たちと仲良くなりました。その人達は町の名士で、カリアリのお城を管理していて、案内所もやっているらしいのです。毎晩ご飯を食べに連れて行って頂いたり、そこの社長さんのお庭のパーティーに呼んで頂いたりしました。毎晩飲みにも行きました。その中には町の警察官もいましたね(笑)。
— 講習会を含めて6ヶ月イタリアにご留学されましたが、留学して良かったと思える事はありましたか?
杉山 やっぱり視野が広がった。日本が改めて素晴らしい国だと思えました。それにイタリアの芸術文化が凄いということも分かりましたし、かけがえのない友人も出来ました。
— 留学して自分が変わった、あるいは成長したところはありますか?
杉山 もともとのんびり屋なのですが、いろいろな事が気にならなくなりましたね。留学前は、仕事など忙しく時間に追われていた気がします。今は心に余裕が出来ました。あまりくよくよしなくなりました。何とかなるかなと(笑)。
— 今後はどのようにしていきたいと考えていらっしゃいますか?
杉山 イタリア留学を経験したことは、本当に楽しく、人生観が変わり、心の栄養をたくさんもらった気がします。それを糧に小さい所からどこでも演奏活動をやっていきたいと思っています。日本ではクラッシック音楽は、どうしても堅苦しく考えがちです。イタリアに行って思った事は街中に毎日音楽が溢れていて、そんな中にも遊び心がありました。音楽は、本当に音を楽しまなければいけないと思っているので、堅苦しくない良い音楽を提供出来たらと思いますね。
— これから留学する人にアドバイスはありますか?

杉山 イタリア人の友達に聞いたのは、日本人はお金を持っているイメージが本当にあると言っていました。「ボロボロの格好をしても分かる?」「日本人、韓国人、中国人など顔だって似てるしどうやって区別するの?」と聞いたんです。でも、「私は、日本人で汚い格好をしているわよ」と思っていても、着ているものがやっぱり少し違うらしいんですね。少し小洒落ているというか、ボロボロの服を身につけても小物が良かったりするそうです。語学学校の日本人のお友達がフェラガモの裏に住んでいました。少し暗い通りですが、普通に街を歩ける夜の7時くらいでした。彼女は、斜めにバックをかけていたのですが、オートバイの人に後ろからバックを引っ張られたんですね。それで、30メートルくらい引きずられたんです。ブーツは、ボロボロ、青あざも出来た。鞄は持っていかれなかったので良かったと言えば良かったのですが、正直どちらが良かったか分からない。イタリア人に言わせるとあれはイタリア人ではなくて外国人がやっていると言うのですが、ジプシーもたくさんいるのでとにかく自分の身は自分で守る事が必要です。身なりは気をつけることが本当に大事です。それにタクシーに乗る時は気をつけないといけません。フィレンツェではないのですが南に行くとメーターが無いんですね。最初にいくらかということを交渉しないと莫大なお金を請求されます。それに暗い道には一人で入らない。フィレンツェで、私はそんなに危険な目にあったことはないのですが、そういう例はあるので用心に越したことはないと思います。それから、私は自分の友達や知り合いなどがたくさん留学を経験していたのですが、別に自分自身の問題だから留学しても留学しなくても自分できちんとやっていれば、どこにいても同じだと思っていましたが、決して同じではないと思いました。イタリアの空気に触れてイタリアで歌ってイタリアの先生に習ってイタリアでたくさんいいオペラを聞くことが大切だと思います。若い時になるべく長い期間留学した方がいいなと思いましたね。
— 現地の音楽性を吸収してまた活動していけますよね。
杉山 結局イタリアでいろいろな歌を歌い勉強すると視野も広くなり、心にも余裕が出来てくると思います。日本だと日々の生活でどうしてもカリカリしがちなので。歌そのもの全然変わると思います。
— 帰国して歌が変わったと言われますか?
杉山 言われますね。
— どういう点で変わるとお思いですか?
杉山 日本人は「ウ」や「オ」の発音がものすごく浅いとどの先生にも言われました。向こうで勉強してくると、イタリア語で普段会話をしているからかもしれないのですが、声が柔らかくなるというのでしょうか、根本的な言葉の発音の問題もあると思います。イタリアでは、体を使って喉の奥から厚みのある声を作るという感じでしょうか。
— ご自分でも体感しますか?
杉山 前は繋がらなかった音が繋がるようになってきたり、レガートが初めはあまり得意ではなかったのですが、体を使ってレガートが出来るようになってきたり、喉の位置が変わってきたような気もします(笑)。実際は、もちろん喉の位置は変わっていないのですが、今までもっと上にあった気がするんですよね(笑)。
— 楽器として定まってきたのですね。成果があって良かったですよね。
杉山 先生探しで半年終わってしまったり、二年いても先生が合わないという話を良く聞くのですが、私の場合比較的良い先生と出会えた思っています。最後のチャンスだと思って半年という限られた中で出来るだけのことをやっていたので、かえっていろいろな先生に教わって良かったと思いました。
— 一番長くついた先生が一番合いましたか?
杉山 バレッリアという先生が一番良かったですね。語学学校で紹介してくれたその先生が私にはものすごくあいました。教え方も上手だと思いますし、とにかく一生懸命です。バレッリアの場合はイタリア人には珍しいと思うのですが、とにかく片言で質問したら、それに対して納得するまで多少の英語を使って説明してくれたり、図に描いて一生懸命考えてくれます。私の時間は、とっくに過ぎて次の生徒が待っているのですが、一生懸命というのが凄く伝わってきましたね。「私を先生と思わないで」というような事も言っています。「私は自分がやってきたことを伝えていければいいし、あなたが持っている良いものを私も吸収すればいいわけだから」という感じです。
— そういう出会いがあると留学してとても良かったと思いますよね。
杉山 バレッリアにまた会いに行きたいなと思います。
— ありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【オーストリア留学情報vol.343. 2015-02-05 04:00:00】
栗山みなみさん/ピアノ/カリアリ夏期国際音楽アカデミー/イタリア・カリアリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

栗山みなみさんプロフィール
4才よりピアノを始める。桐朋学園大学4年在学中。クールシュベール夏期国際音楽アカデミー、カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加。全日本学生音楽コンクール東京大会入選、鳥栖フッペル平和祈念大学・一般の部優秀賞など多数。これまでに、山田富士子、ブルーノ・リグットなどに師事。2007年12月チェコフィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者オンドジェイ・ブラヴェッツとピアノデュオで共演予定(佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール)。
― 現在までの略歴を教えて下さい。
栗山 四歳からピアノを始めて、桐朋女子高等学校音楽科を経て、現在桐朋学園大学ピアノ科の四年生です。
― いつごろから留学したいと考えていましたか?
栗山 漠然と東京に来た時からいつかは留学したいと思っていたのですが、本気で留学したいと思ったのは、大学二年生になってからです。
― 何がきっかけですか?
栗山 大学二年生の十月に学校でブルーノ・リグット先生の公開レッスンを受けて、この先生の下で勉強したいと思ったのがきっかけです。
― 海外の講習会は、リグット先生がいたから選んだのですか?
栗山 大学二年より前は、ただ漠然と海外に行ってみたいと思ってクールシュベール夏期国際音楽アカデミーに参加しました。特別に先生をよく知りませんでしたし、この先生に習いたいという理由でクールシュベールの講習会に参加したわけではありませんでした。その後、カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加するときは、ブルーノ・リグット先生に師事する事が目的でした。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加するまでの準備期間はどのくらいかかりましたか?
栗山 十月に公開レッスンを受けて、その時に「次にいつ日本にいらっしゃいますか?」と聞いたら、「まだ予定はたっていないからサルデニアで開かれる講習会に参加しなさい。とても環境が良いから」と仰ってくださいましたので、公開レッスンが終わってすぐに準備をしました。約1年前からですね(笑)。その時にこの曲を勉強しなさいと言われたので、その曲を講習会へ持っていきました。
― カリアリは場所柄、行きにくかったですか?
栗山 すでにヨーロッパに留学している人は、クールシュベールなどは電車で行けるから楽だと言っていました。カリアリは、ローマからカリアリまで飛行機に乗らないといけないのですが日本からの場合、特別大変ということはないと思います。
― カリアリの空港はどんな所でしたか?
栗山 かなり小さい空港です。
― 送迎もきちんと来ましたか?
栗山 大丈夫でした。大体同じ飛行機にみんな乗っているみたいです。だからみんなで一緒に送迎バスに乗りました。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、どんな印象の講習会でしたか?
栗山 すごくいい講習会でした。パリ国立高等音楽院を受ける人や在学している人がたくさん来ていて、結構レベルも高かったです。

― 自信がない人はお勧めしない感じですか?
栗山 先生によると思います。リグット先生は厳しい方なので、きちんと練習していないとレッスンが10分で終わってしまったり、「君はバケーションで来たのか!」と言われたりします。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーの一日のスケジュールを教えて頂けますか?
栗山 朝七時くらいに起きて、すぐ学校に行って練習をしていました。レッスンがある日はレッスン受けて、レッスンのない日はずっと他の人のレッスン聴講していました。
― レッスン自体は何時からですか?
栗山 リグット先生は13時位からでしたが、ルイサダ先生は午前9時からでした。
― 何時頃終わりましたか?
栗山 七時くらいです。
― レッスンスケジュールはどのように決めましたか?
栗山 リグット先生は初日に全部のレッスンスケジュールが分かりました。最初の日だけ、「君何時がいい?」と言って希望を取り、その順番でレッスンをします。全部で60分のプライベートレッスンが四回ありました。ルイサダ先生はその日にならないとレッスンのスケジュールは分からないようでした。だから先生によって随分スケジュールの方法は違います。ルイサダ先生は、最後はグループレッスンのような感じでしたね。
― 自分で希望を出さないと最後の時間のレッスンになってしまいますか?
栗山 そうですね。最初にやりますという主張が大事だと思います。
― レッスンは何語で受講されましたか?
栗山 フランス語でやりました。
― フランス語はどのくらい勉強なさっていましたか?
栗山 学校の授業で高校からフランス語の授業をとっていますが、リグット先生に出会ったことで真剣にやらないといけないと思い、週一回程度語学学校に通っています。
― フランス語でのレッスンはスムーズでしたか?
栗山 レッスンは、大丈夫でした。ちょうどその頃、テレビでミシェル・ベロフのスーパーピアノレッスンを放映していたので音楽用語は確認しておきました。
― 講習会では、どのくらい練習出来ましたか?
栗山 毎日四時間練習出来ました。
― 毎日四時間、予約をするのですか?
栗山 イタリアらしく、毎回予約システムも変わります(笑)。基本は、当日に事務室に行って何時から何時までという形で、自分で予約します。でも、前日に突然予約が出来る日もあったりします(笑)。どうして予約が出来るようになるかは分かりません(笑)。
― 事務はイタリア人でしたか?
栗山 はい。でも一人日本語が出来るイタリア人がいて、その人はすごく日本人に重宝されていました。

― レッスン前に練習していく感じですか?
栗山 例えば、練習時間が四時間あったら、レッスン前に二時間練習して、レッスン後に二時間練習していました。講習会会場がカリアリの音楽院なので、グランドピアノもかなりの数がありました。でも、鍵盤が割れているピアノもありました(笑)。
― 日本人はたくさん参加していましたか?
栗山 クールシュベール夏期国際音楽アカデミーなど他の有名な夏期講習会に比べたら多分日本人は少ないと思います。カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、フランス人とイタリア人がとても多かったです。あと、韓国人は本当に多かったです。でも、今後はこの講習会も日本人が増えると思います。
― 韓国人も日本人と同じように固まっているのですか?
栗山 日本人よりももっと固まっていると思います。リグット先生はそういうのは良くないということで、最終日から二日目くらいにリグット門下だけでお食事会があったのですが、全部席を決めて、人種が固まらないようにしていました。
― 留学前にしっかりやっておいた方がいい事は何かありますか?
栗山 練習です!
― 講習会でコンサートはありましたか?
栗山 先生方のコンサートが三日間あって、夜九時ぐらいから始まって夜十二時くらいまでやっています。海外ならではですよね。本当に素晴らしい先生ばかりなので、コンサートは本当に感動しました。室内楽が多くて、ソロはルイサダ先生だけでした。あとは、デュオと室内楽。室内合奏団とピアノでコンチェルトをやっていた先生もいらっしゃいました。
― 宿泊先はどんな感じのところですか?
栗山 学生寮です。冷蔵庫、ベッド、シャワーバス付きで快適に生活できました。でも初日はシャワーの湯が茶色しかでずびっくりしました。キッチンは共同でした。何度か使かったのですが、すごく混んでいるので外食をしていました。
― 外食は、どのくらいのお値段でしたか?
栗山 夜を豪華にすると20-30ユーロ位だと思います。でもおいしかったです(笑)。ユーロが高いので日本円だと高くついてしまうかもしれません。物価はそんなに高くないと思います。
― 学校と寮は歩いて行けました?
栗山 歩けない距離ではないのですが、だいたいバスで十五分くらいだと思います。コンサートが夜の十二時くらいまであった時に、終バスが無かったので歩いて帰った事はありました。真っ暗でしたが、とても安全でした。カリアリの人もすごく暖かいと思いました。
― スリなどの被害にあうことはありませんでしたか?
栗山 なかったです。本当にみんな親切な人でした。
― バスは毎日時間通りに走っていましたか?
栗山 結構時間通りだったと思います。十分おき位にバスが来ていました。頻繁にバスはきます。
― 周りの人の勉強する態度が日本とは違いましたか?
栗山 西洋の人は、「ここはどういう練習方法でやればいいですか?」など、日本だったら「自分で考えなさい」と言われるようなことも聞いていました(笑)。外国の先生は結構親切に教えて下さるからそういうことも聞いていいんだと思いました。

― 海外の人達とうまく付き合うコツはありましたか?
栗山 それは一人でいることです(笑)。日本人同士で固まっているとなかなか他の人から敬遠されます。まずは同門の方達に自分から話しかけるようにしました。そうすることで、帰国後も連絡を取り合う仲間と出会えました。
― 今回講習会に参加して良かったと思える瞬間はありましたか?
栗山 もう全てが新鮮でした!いろいろ大変なことがあるけれど、小さい事に喜びを感じられました。素晴らしい先生方も多かったですし、パリ国立高等音楽院で学んでいる人たちの演奏も素晴らしかったです。本当にその場にいるだけで自分も変わった感じがしました。それにこの講習会のいいところはオーディションがないので早めに決めさえすれば希望の先生につけることだと思います。
― 行ってよかったですね。
栗山 本当に(笑)。
― 留学して、何か自分が変わったなとか成長したなと思う事はありますか?
栗山 辛抱強くなったことです(笑)。本当にいろいろな事が変更になったり、イタリアではうまく事務も機能していなかったりするのですが、臨機応変に対応出来るようになったかも知れないです。いい意味で広くなったような気がします。でも自分が納得できない時は相手にとことん言う必要がある事も分かりました。
― 留学してみて日本と大きく違う点は何がありましたか?
栗山 日によってシステムが変わったりすることです(笑)。でも自分が納得できないことをきちんと主張すれば対応してくれます。だから、主張は本当に大事かも知れません。
― 今後留学する人にアドバイスしておきたいことなどありますか?
栗山 本当に海外は日本と違って、一筋縄で行かないことがたくさんあるだろうけど、いつかは解決するだろうという心構えでいればやっていけると思います。すでに留学している日本人が夏期講習には結構参加しているので、先輩方にいろいろな話が聞けますから、これから留学したい人は絶対勉強になると思います。先生も、先生の一番優秀な生徒さんを連れてきますから本当に勉強になりました。それにカリアリは、気候がとにかく良かったので、先生達の気持ちも、おおらかでした(笑)。バイオリンの先生と一緒に海に行った人もいたようです。この先生に習いたいというのがあればすごい充実した講習会になります。
― 今後の活動は?
栗山 桐朋学園大学を卒業してパリに留学したいと思っています。でもその前に、今年(2007年)の12月、チェコフィルの首席ホルン奏者とデュオで共演することになっています。
― コンサート楽しみですね。ありがとうございました。
*チェコフィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者オンドジェイ・ブラヴェッツと栗山みなみさんのピアノデュオコンサートの情報はアンドビジョンまでお問い合わせください(佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール)。
日時:2007年12月7日(金)19:00予定
場所:佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール
主催:アンドビジョン株式会社
後援:チェコ共和国大使館、佐賀県、有田町教育委員会、日本ホルン協会、社団法人全日本ピアノ指導者協会、NHK佐賀放送局、佐賀新聞社、エフエム佐賀
コンサートの詳細
栗山みなみさんのプロピアニスト活動としての第一歩の応援をよろしくお願いいたします。
*チケットも残りわずかですが、ぜひ足をお運びください!
音楽留学アンドビジョン【国内レッスン間近!カール・バート特集】 vol.342. 2015-01-27 04:00:00】
美谷島百合子さん/ピアノ/モーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミー/オーストリア・ザルツブルグ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
美谷島百合子さんプロフィール
国立音楽大学付属小学校、中学校、高校を経て、現在国立音楽大学演奏学科ピアノ専修一年在学中。ニース夏期国際音楽アカデミー、モーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミーに参加。
― 現在までの略歴を教えて下さい。
美谷島 母がピアノを教えている関係で、3歳からはじたのですが、ちゃんと習い始めたのは、5歳からです。小学校4年生の時に国立(くにたち)の大学附属小学校に編入して、そのまま附属で大学まで来ました。
― 講習会に参加したきっかけを教えてください。
美谷島 去年フランスの音楽が好きでフランスのニース夏期国際音楽アカデミーにいきました。今年は、大学に入って、ドイツ圏留学の夢がふくらみ、ドイツ語圏で講習を受けてみたいと思いました。
― ドイツ語圏のコースの中で、モーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミーを選ばれたのはどうしてですか?
美谷島 ドイツ語圏のコースの中で単純に学校の日程に合うのがこの講習会でした。
― モーツァルテウムの講師はどのように選ばれたのですか?
美谷島 先生方の事はまったく分からなかったので、学校の先生や、アンドビジョンの方に相談して決めました。
― レッスンの雰囲気はどうでしたか?
美谷島 すべてのレッスンが公開だったので、たくさんのレッスンを聴講することができましたし、すごく雰囲気がよくて、勉強になりました。

― レッスンは何語で受けられたのですか?
美谷島 通訳さんもいらしたのですが、レッスンは全部ドイツ語でした。
― ドイツ語は少し話せるようになりましたか?
美谷島 (笑)いやぁ、もう挨拶が精一杯でした。
― 事前に語学の勉強はしていかれましたか?
美谷島 いえ、私、英語もほとんどできないので‥。でも、挨拶くらいは覚えて行こうかな、と。そのくらいです。
― レッスンは何時から行われたのですか?
美谷島 毎日決まった時間はなかったのですが、私は午前10時からが多かったですね。遅い方になると、5時からとか、6時からという方もいました。

― 先生は1日中教えているのですか?
美谷島 そうですね、先生は1日中で大変そうでした(笑)。
― 1人当たり何時間くらいですか?
美谷島 1人1時間です。だいたい最初は45分と先生は仰っていたのですが、結果的にいつも1時間くらいはみてくださいました。
― 日本人はたくさんいましたか?
美谷島 特に私のクラスはアジア人が多く、ほとんど日本人だったのですが、ほかのレッスンを聴講した時は、いろいろな国の方がいらっしゃいました。
― ほかの生徒さんとは日本語で会話ができたので不自由はなかったですか?
美谷島 私のクラスは、ほとんどが日本人で、しかも私より年上で留学経験も豊富な方が多かったので、色々とお話伺うことができました。
― 音大生の方は多かったですか?
美谷島 ほとんどが音大卒業生の方でした。
― 通訳の方はいかがでしたか?
美谷島 とてもお世話になりました。景色の良いところに連れて行っていただいたり、スーツケースの鍵をなくした時も、一緒に取りに行ってくださったりしました。
― 練習時間はとれましたか?
美谷島 はい、私の場合は6時間くらいだったのですが、もっと多く練習されている方もいらっしゃいました。

― 練習場所はレッスンを受ける場所にあったのですか?
美谷島 モーツァルテウム音楽院の中にありました。
― それは予約が必要ですか?
美谷島 初日に予約をして、すべてのお金を払う、という方法でした。
― レッスン以外の時間は何をされていましたか?
美谷島 レッスンの聴講と観光です。

― 良い観光名所はありましたか?
美谷島 自分が思っていたより小さい街だったので、2週間もいると隅から隅まで見ることができました。
― 先生のコンサートなどは行われましたか?
美谷島 私の先生のコンサートはなかったのですが、他の先生方の演奏は聴くことができました。また、ザルツブルグ音楽祭が開かれていたので、有名な演奏家の演奏も聴くことができました。私も受講者コンサートに出させていただけたので、本当に良い経験になりました。
― 受講者コンサートは1クラスから何人くらい出演できるのですか?
美谷島 先生の学校の生徒さんもいらしていたので、その方達も入れると5〜6人だと思います。
― 講習会での先生の門下生は何人位いましたか?
美谷島 20人位だったと思います。
― すごいですね、20人中の5、6人でしょう?
美谷島 いえいえ(笑)。
― 宿泊先はどうでしたか?
美谷島 私はフラットに1人で住んでいました。フラットには、家具など全部揃っていてすごく良い所でした。アイロンも全部ありました。スカートがシワシワになってもアイロンができました。目の前にスーパーが2つもあって、とても便利でした。

― 食事はどうされていたのですか?
美谷島 向こうでお友達になった方と一緒に食事をしたりしました。
― レッスン会場と宿泊先は近かったですか?
美谷島 バスで10分か15分くらいでした。
― バスはいかがでした?何か不自由はありませんでしたか?
美谷島 私の場合は1本で行けたので、大丈夫でした。
― ちゃんと時間通りに来ましたか?
美谷島 はい、ちゃんと来ました。
― 講習会中にスリなどの被害は大丈夫でしたか?
美谷島 はい、ありませんでした。みんなすごく優しかったので、過ごしやすかったです。
― 治安は良い感じでした?
美谷島 コンサートで夜10時近くまでかかったり、お食事して遅くなったりして夜1人で歩いていても大丈夫でした。

― 海外にお友達はできましたか?
美谷島 受講生の方が、日本人が多かったので‥。でも、知っている単語を並べて韓国人の方やいろいろな国の方とお話しました。
― ジェスチャーがあれば何とかなる感じですか?
美谷島 そうですね、ジェスチャーとあと単語だけで(笑)。
― 韓国人の方は英語が話せましたか?
美谷島 いえ、あちらの方も英語が得意なわけではなくて、お互い分からない同士です(笑)。
― 今回の講習会に参加して、良かったと思える瞬間はどんな時でしたか?
美谷島 コンサートに出た時です。日本では味わったことのないものでした。海外でのコンサートは初めてでした。1人1人が音楽に対して暖かくて。聴いてくださる方がとても暖かく迎えてくれました。いままでの演奏経験では、いつも張り詰めた空気があったので‥(笑)。
― どんな曲を演奏されたんですか?
美谷島 ドビュッシーのプレリュードの中から2曲弾きました。

― 留学して、何か自分が変わったかな、成長したかな、と思うことは何ですか?
美谷島 自分では、はっきり変わったというのは分かりませんが、ザルツブルグで先生や、他の国の生徒さん、そして音楽が生活に溶け込んでいるこの町(国)の人々に出会えたことによって、音楽に対する新たな姿勢を学べたとおもいます。
― 留学前にやっておいた方がいいと思うことはありますか?
美谷島 やはり留学するには語学の勉強は大切だなと痛感しました(笑)
― 日本とザルツブルグの違いを教えてください。
美谷島 気候で言えば、私が行ったのは夏だったのですが、寒かったです。日本の秋に近い感じでした。

― 今後の予定はいかがですか?
美谷島 きちっと音大を卒業して、さらに留学できたらいいな、と思っています。
― ありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【アメリカ留学情報 vol.340. 2015-01-20 04:00:00】
山本いぶきさん/声楽/シャロシュパタク夏期講習会/ハンガリー・シャロシュパタク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

山本いぶきさんプロフィール
昭和音楽大学声楽学科で声楽を学ぶ。大学卒業後ソロ活動と共に合唱団での活動を続け、現在に至る。ハンガリー・シャロシュパタク夏期講習会に参加。
― はじめに現在までの略歴を教えてください。
山本 ピアノは4歳頃からやっていたのですが、小学校5年生のときに合唱団に入り歌を始めました。その後、普通高校から音楽大学を受験し、昭和音楽大学の声楽学科に入学しました。卒業後も職に就きながら勉強を続け、混声合唱団に所属、その活動は現在も続けています。
― 今回の講習会に参加したきっかけは?
山本 以前から音楽留学をしたいと思っていたのですが、期間と費用がネックでした。まずは短期間の講習に参加して留学を経験しようと思いました。
― ハンガリーに決めたのはどうしてですか?
山本 はじめはチェコに行きたかったのですが、選んでいるうちに締め切りが過ぎてしまいまして……(笑)。ハンガリーは以前に個人旅行で行った事があり、とてもいい国だったので決めました。それから講習会に日本人が少ないだろうと思ったのも理由の1つです。

― ハンガリーの中でこの講習会にしたのはどうしてですか?
山本 もともとハンガリーで開かれる講習会は数が多くないので、選択肢が限られていました。それから他の国でもそうだと思いますが、首都は騒がしいので、地方に行きたいと思っていました。その条件で探していたら、この講習会を見つけて、歌のレッスン以外にもプログラムが充実しているという事で決めました。
― 先生を選んだ決め手を教えてください。
山本 今回の講習のメインの先生だったからです。
― レッスンはどうでしたか?
山本 アメリカ人の先生で教える事が好きな方でした。専門的な事もわかりやすく、教え方も上手でした。レッスンの雰囲気も良かったです。先生との相性もよく、楽しく学ぶ事が出来ました。通訳はいませんでしたが、レッスンで英語が妨げになる事はありませんでした。
― 山本さんは英語がかなりできるんですね。
山本 いえできません(笑)。でも勉強はしていきました。今回は、アメリカ人の先生が丁寧に話してくださったので、特に問題はありませんでした。

― レッスンは何時からだったのですか?
山本 時間はその回によって様々でした。受講者が何人もいるので、その中でシフトが組まれて発表されるシステムでした。私の場合、2週間の間に個人レッスンが5回ありました。だいたい1日おきで、午前10時からの日もあれば、午後2時からの日もありました。
― 1日おきというレッスンのペースはいかがでしたか?
山本 私にはちょうどよかったです。レッスン以外にも授業がかなりあったので、毎日だと大変ではないかなと感じました。
― レッスンの時間はどのくらいですか?
山本 45分です。時間はわりときっちりしていました。ただ、朝1番目のときと、お昼休み後、1番目のときは、先生が遅れてきたりして、そのときは運が悪かったな、とあきらめていました(笑)。
― 講習会に日本人の方はどのくらい参加されていましたか?
山本 声楽は私を入れて3人、オーボエが2人、全部で5人でした。地元のハンガリーの方が1番多かったですね。あとはドイツ、アメリカの方が多かったです。他にはルーマニアやブルガリアなどヨーロッパ各地からです。アジアから来ているのは日本人だけでした。東洋人は、めずらしかったのか、現地のオフィシャルのカメラマンにけっこう写真を撮られました(笑)。恥ずかしい事に、いまその写真がホームページに掲載されているんですよ(笑)。

― 練習はどのくらいできましたか?
山本 講習会が高校の校舎を利用して行われていたので、ピアノのある部屋は限られていました。なので、その部屋は早い者勝ちでした。ピアノがない部屋であれば、いつでも利用可能でした。練習をする時間的な余裕はけっこうありました。
― レッスン以外の時間は何をされていたんですか?
山本 授業や練習があったので、まとまった自由時間はあまりありませんでした。練習したり、洗濯や近所への買い物などに時間を使いました。
― 講習会中はセッションやコンサートは行われましたか?
山本 キリスト教の奉仕の精神に基づいて行われた講習会で、全員にきっかけを与える、という考えからでしょうか、講習会の参加者全員に演奏会で何らかの役割が与えられました。私は、オペラ実習でレパートリーを与えられて、振り付きで歌いました。あとCreative Church という教会でのコンサートと、「メサイア」公演でアンサンブルを演奏しました。プロムナードコンサートは期間中の2週間、後半毎日開かれていました。
― 宿泊先はどんなところでしたか?

山本 シャワー付きでトイレは共同の学生寮でした。新しくはありませんが、過ごしやすいところでした。ハンガーがないので、少し困りましたね。ただ、近所に大きなスーパーがあったので、必要なものはそこで購入することができました。
― ご飯はどうしていましたか?
山本 寮食が準備されていました。朝は、パン、ハム等、紅茶、とかなり質素、夕飯はメイン料理に小皿、とそれなり、昼はメイン、スープ、デザートと量もあり豪華でした。インスタント食品を準備していけばよかったな、と思いました。1、2回外食しましたが、ほとんど寮ですませました。
― 外食はどのくらいのお値段でしたか?
山本 外食すると、1人1000円くらいです。近くのレストランで、みんなで食べることもありました。
― 講習会の会場と宿泊先はどのくらいの距離でしたか?
山本 歩いて1分ほどの近いところでした。駅も学校から徒歩5分ほどのところにありました。

― スリなどの被害に遭う事はありませんでしたか?
山本 ありませんでした。夜は外出しなかったので分かりませんが、昼は静かな田舎町、といった、とても良い雰囲気でした。
― 海外の人とうまく付き合うコツはありますか?
山本 積極的な姿勢が大切だと思います。
― 言葉は壁になりませんか?
山本 ハンガリー人は英語がペラペラの人もいれば、全く出来ない人もいたのですが、英語ができる生徒さんや事務局の方が通訳をしてくれました。ハンガリー以外の国の方や先生は英語が堪能でした。言葉についてはどうにかなるので、やはりこちらから働きかけるようにすることが大切だと思います。

― 今回講習会に参加して良かったと思える事はありましたか?
山本 レッスンが充実していたことと、海外の方と共演できたことです。
― 留学を振り返っていかがですか?
山本 ヨーロッパに留学するのが夢だったので、行ってよかったなと思います。それから、今まで自分が日本で学んできた事と、今回の講習会で習った事が大きく違わなかったので、今までしてきた事に自信を持てるようになりました。
― 留学前にしっかりやっておいたほうがいい事はありますか?
山本 英語とイタリア語の勉強をもっとしておけばよかったと思います。それから、イタリア語の辞書は準備していくべきだったと感じました。日本以上にテキストを重要視しました。単語の意味を調べるのに辞書が必要になりました。重かったのでやめたのですが、やはり持っていくべきでした。あとはアリアだけではなく、ドイツ、イタリア歌曲も用意していって、先生に聞いてもらいたかったです。
― 向こうで新しい譜面が必要になることはなかったのですか?
山本 レッスン中に新しく課題曲をもらうこともありましたが、持っていない楽譜の準備は、事務局のスタッフがしてくれました。
― 日本と留学先で大きく違う点を教えてください。
山本 ハンガリーに限った事ではないと思いますが、積極性が強いと思います。自分から言わないと何も始まらないので、授業の参加の仕方でも、自分から歌い、質問していくという姿勢を求められます。

― 今後留学する人にアドバイスをお願いします。
山本 行ってみる価値はあると思います。日本人の少ないハンガリーでも、日本人の多い、例えばウィーンでも大切なのはやはり積極性だと思います。
― 今後の活動のご予定を教えてください。
山本 合唱やアンサンブルをしていますので、続けていきたいと思います。それから、1年や2年といった長期間留学するのは大変なので、機会があればこういった短期間の講習会にまた参加したいと思います。
― どういった講習会に興味を持ってらっしゃるのですか?
最初、チェコに留学したいと思っていたのは、興味がある講習会があるからでした。オラトリオを古楽器で演奏するのが目的なのですが、そういった演奏の目的を持つ講習会にも参加したいと思っています。

― 現在、活動は合唱やアンサンブルでされているんですか?
山本 目標はもちろんソリストですが、合唱での活動も続けていきたいです。
― 今日は、貴重なお話をありがとうございました。
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山本いぶきさんからのアドバイス
【留学先に持って行った方が良かったもの】
1 イタリア語の辞書
2 黒ブラウス→日本で合唱の舞台は白ブラウス・黒スカートですが、
あちらは上下「黒」でした。楽器の方は黒・黒が基本なので持っていましたが、
声楽の私はうっかりしてました。黒ロングスカートは持っていったので、黒ブラウスを借りました。
3 2007年夏は、シャロシュパタクで日本円の両替はできませんでした。
4 参考にした本。
「音楽家の英語入門〜レッスン・留学のために」
三ヶ尻 正 著