竹内律子さん/ピアノ/プラハ室内楽マスターコース/チェコ・プラハ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

竹内律子さんプロフィール
作陽音楽大学音楽学部教育音楽学科卒業。くらしき作陽大学音楽学部音楽専攻科修了。現在中学校教員。2008年プラハ室内楽マスターコース&フェスティバル参加。
-初めに簡単な略歴をお願いします。
竹内 4才からピアノをはじめました。作陽音楽大学のピアノ専攻を卒業しまして、くらしき作陽大学音楽学部音楽専攻科ピアノ専攻を修了しました。卒業後は就職して、合唱団にピアノで所属したり、ソロで演奏活動をして、仕事をしながら音楽を続けています。
-講習会に参加された経験はありますか?
竹内 全然ありません。今回が初めてです。
-いつごろから参加を考えていましたか?
竹内 前々から、漠然とですが海外に留学したいなとは思っていました。室内楽をちゃんと勉強したいという思いがだんだん強くなっていて、今回の講習会は、一人でも参加できて、室内楽を勉強できるし、ソロもみてもらえる、というので参加を決めました。仕事の日程がついたのも参加を決めた理由です。
-これまで室内楽を勉強されたことはありましたか?
竹内 ちゃんとしたかたちで勉強したことはありません。ただ、オーケストラにバイオリンで所属していたこともあり、弦の方や管の方とアンサンブルをさせてもらう機会もあって、楽しいなって……。それで、ちゃんと勉強したいなと思いました。

-講習会にはどういった方が参加されていましたか?
竹内 学生の方が多かったですが、私のような社会人もいました。
-同じ期間にどれくらいの人数の方が来ていましたか?
竹内 今回は53人でした。
-どこの国の人が多かったですか?
竹内 一番多いのがアメリカで、次は台湾でした。あとは、イタリアやフランス等から来ていました。
-日本人は何名でしたか?
竹内 自分を含めて6人でした。

-それだけ日本人が少ないと、ヨーロッパの雰囲気は味わえましたか?
竹内 そうですね。日本人の方は各国に留学されている方が3人でした。日本から参加したのは3人だったんですけど、皆さん英語も堪能で、分からないときは教えてもらったりしました。
-レッスンで通訳がいなくて、大変なことはありましたか?
竹内 レッスンで困ることはなかったですね。英語だったんですが、難しい単語でバーッと話されても、こちらがあまり理解していないようだと、簡単な単語に直して、ゆっくり話してくれたりしたので、英語で困ることはなかったです。
-すごくやりやすかったんですね。
竹内 そうですね。

-今回、2名の先生のレッスンを受けたかと思いますが、それぞれの先生のレッスンについて教えてください。まず、テレサ・エールリヒ先生はいかがでしたか?
竹内 テレサ先生には、ピアノクウィンテットをみていただきました。エイミー・ビーチのピアノ五重奏でした。グループのコーチだったんですけど、目をかけて下さり、個人的にも見てあげるよ、と言ってくださり、個人レッスンでも教えていただきました。テレサ先生はとてもやさしく温かい人です。
-レッスンはいかがでしたか?
竹内 運動や手の運びなどのテクニックや曲の解釈など、とても熱心に指導して下さいました。一つ一つを丁寧にみて下さり、理論的でとても分かりやすかったです。どうしてうまくいかないのかとモヤモヤしていたところがスッキリしました。先生に教えていただいた後は、自分の音(音楽)が色彩をもった響きに変わっていったような気がします。
-弾き方を提案してくれたり、説明して教えてくれるんですね。
竹内 そうですね。
-先生の教えで印象に残っていることはありますか?
竹内 「ここの音は、こういう気持ちの持っていきかた」と、言われたことです。
-「気持ちのもっていきかた」というのは、曲全体を通してですか?
竹内 全体の時もあるし、基本的に……小さなまとまりの時もあります。
-大きくも細かくも見てくださる感じなんですね。
竹内 そうですね。

-もう一方のフランティシェク・マリー先生の進め方はいかがでしたか?
竹内 マリー先生は、まず自分が思うように弾いてみなさい、と。その後に先生が弾いて下さいました。表現方法など、いろいろなアドバイスを下さりトライしてみるように言われました。それで、やってみるんですけれど、なかなかすぐに対応できませんでした。それでも根気強くじっくりみて下さいました。個人レッスンはだいたいの時間が決まっているみたいなんです。先生はとてもお忙しい方だったのですが、時間が許す時は、2時間ぐらいみっちり教えて下さることもありました。
-先生はどんな印象の方ですか?
竹内 穏やかな印象です。私は、英語が堪能じゃなくって、先生もどちらかといえば英語よりは独語の方が良かったそうですが、お互い英語で頑張っていました(笑)。でも、伝えられないっていうときには、弾いてくださるんです。ペダリングの速度やタイミングとか、弾きながら教えてくださいました。
-先生の弾く音楽はいかがでしたか?
竹内 オーラがかかっていました(笑)。重厚でそれでいて繊細なんですけど、包み込むような音でした。オープニングのコンサートがあって、そのときにマリー先生も弾かれたんですが、それを聴いて、受講生みんなファンになりました。
-その時は何の曲を弾かれていたんですか?
竹内 シューマンのピアノ五重奏だったと思います。
-レッスンの中で弾いてくださることはありましたか?
竹内 もちろんありました。まず先生が弾いてくださって、そのあと私にやってごらん、と。
-テレサ先生の演奏はどうでしたか?
竹内 スッキリしていて、音がクリアな感じで、でも、人間的温かさを感じる音でした。
-二人の先生の音や音楽観は異なっていましたか?
竹内 曲のタイプが全然違う感じだったので、なんとも言えないですけれども……。でも、どちらもすばらしい演奏でした。お二人とも音楽も、音楽に対する姿勢も、人間としても、とても尊敬できる方々です。
-講習会で複数の先生にみてもらって大変なこと、よかったことを教えてください。
竹内 今回はマスタークラスだったので、基本は、グループのレッスンでした。自分は4グループ持っていたので、ハードでした。でも、せっかくの機会なので、個人レッスンも受けることにしました。忙しかったけれど、すごく充実していてよかったです。室内楽のマスターコースは個人レッスンを絶対とらないといけないというわけでもないんです。自分で選択して、自分で受けていくかたちでした。
-自分次第なんですね。
竹内 そうですね。

-室内楽のグループの人たちとの交流はありましたか?
竹内 同じグループの人だと、レッスンや空き時間に会ったりしました。たまに食事もしました。
-レッスン以外で、それぞれ個別で練習することはありましたか?
竹内 そういうグループもあったと思います。私も4つのうちの1つ、プーランクの曲では、一度、個別練習をしました。ファゴットの方が日本人でオーボエの方がアメリカ人、あとは私、というメンバーでした。
-練習のときは何語で話されていたんですか?
竹内 英語です。私はそんなに長く話せないので、簡単な会話なんですけど、もう一人の方はわりと英語が大丈夫だったので、困った時はその方をかいして伝えていただきました。
-協力してやりとりしながら、練習されたんですね?
竹内 プーランクは1週目はマリー先生が見てくださったんですけど、2週目からは、フランス人のフランク・ルブロワ先生について教わりました。フランスの音楽をフランス人の先生に教わるというのはとても刺激的でした。フランス音楽について熱く語ってくれたことも印象的でした。最初は1音出した瞬間に「それはフランスの音じゃない」と言われたり弾き方やタッチも変えられたりして、大変でしたけど。グループレッスンでExtraレッスンをどんどん入れてみてくださったり、とにかく情熱的な先生でよい勉強になりました。
-いろんな国の先生にそれぞれの曲を教わる感じだったんですね。
竹内 そうですね。
-難しい曲がたくさんあったと思いますが、準備は大変ではありませんでしたか?
竹内 大変でした! 曲をいただいてから出発するまでの時間が短いのであせりました。向こうに行ってからは、けっこう練習もしっかりできたので、最終的にはやりきった感じでした。

-練習はどこでされたんですか?
竹内 講習会場にそれぞれ練習室を割りふられていました。そこの部屋を使わせていただきました。
-どのくらい練習できましたか?
竹内 3人で一つの練習室を使いました。弦の方や管の方はホテルの部屋でゆっくり練習したい・・というのをよく聞きました。自分の場合は他の二人がチェコに住んでいる人だったので、ゆずってもらったりして、部屋が結構使えたんです。日によって違うんですけど、1~2時間くらいから多い日は6時間ぐらい練習しました。
-練習室の施設はいかがでしたか?
竹内 ペトロフというメーカーのピアノがあって、調律が必要な部屋もあったようです。でも自分は、4階の部屋ですごく日当たりがよくて、恵まれた部屋でした。ただ、窓は響くからで開けられなかったので、暑かったです。扇風機はありましたけどね。
-何時から何時の間、使えたんですか?
竹内 朝はたしか8時くらいから、夜は9時まで使えました。
-たっぷり練習できますね。
竹内 そうですね、部屋が空いていればけっこう使えます。

-レッスンの他にはどんなスケジュールがありましたか?
竹内 ベルトラムカ荘や、ブランディース・ナド・ラベム、チェスキークロムロフなど、講習会場以外の場所で演奏したり聴いたりする機会がありました。先生方のコンサートを聴く機会も多く、すごく勉強になりました。
-オペラは何をご覧になりましたか?
竹内 ドン・ジョバンニを全幕観ました。講習会に参加された方でまとまって観に行ったんですけど、座席が一番前から2列目と3列目だったんで、けっこう前よりだったんですけど、すごく近いので、迫力がありました。
-舞台装置もきちんと作られている感じでしたか?
竹内 エステート劇場というで、こじんまりはしているんですけど、ちゃんとしている所でした。
-日本で観に行くオペラとの違いは何かありましたか?
竹内 日本でもそんなに観に行ったりはしないんですけど、客席とステージが一体になったような感じがあって、楽しかったです。
-他にどこか観光はされましたか?
竹内 講習会中は時間がないので、観光は講習会が終わってからしました。

-どこかお勧めはありますか?
竹内 プラハ城です。お城の中に大聖堂があって、その中のステンドグラスがとても美しく、荘厳な感じでした。チェスキークロムロフという所も町中がおとぎの国のようで美しかったです。
-プラハの街の治安はどうでしたか?
竹内 安全で、別に怖い思いもしませんでした。プラハは段々治安も悪くなってきたとガイドブックには書いてあったんですけど、そんなこともなく、みんな親切な人たちばかりでした。
-親切にしてくださったんですね。
竹内 どの人も笑顔で接してくれましたね(笑)。そういえば夜の演奏会後に日本の受講生の人とバスで帰っていて、降りなきゃいけないバス停を乗り越して、二つ先で降りたんです。そこからはもう二人とも迷子です。そんなときにたまたま犬の散歩をしていた方にあいまして。こちらが困っているらしいっていうのを感じ取ってくれたみたいで、道を教えてくれました。チェコなまりの英語だったのでこちらもうまく聞き取れなくて。結局、地図やバス停の名前をペンで紙に書いて教えてくれました。バスに乗ったら車掌さんにこの紙を見せて、目的地で泊めてもらいなさいって。

-ホテルはどんなところでしたか?
竹内 こざっぱりしていて、きれいなところでした。
-食事はどうでしたか?
竹内 朝はビュッフェでした。7時からだったので、余裕をもって登校できました。
-居心地はよかったですか?
竹内 そうですね、不満はないといえばないので。
-シングルルームでしたか?
竹内 ツインの部屋を一人で使いました。
-そうすると、広く使えましたか?
竹内 すごく広い感じですね。
-何か持っていったほうがよいものはありましたか?
竹内 アメニティグッズがなかったです。ポットみたいなお湯を沸かすものがないので、温かいものが飲みたいと思われる方は、準備してもよいですね。あと絶対持っていた方がよいのが「製本テープ」です。向こうへ行ってから曲の変更や追加がよくあるのですが、楽譜はA4サイズでコピーされます。その他のサイズはあまりないようで。周辺へのショップにもセロハンテープは見かけなかったので、持っているといざという時便利です。

-外食はされましたか?
竹内 夜はたまにしましたね。カフェテリアのランチが食べられ、毎日日替わりで3種類から選ぶものでした。
-楽しみですね
竹内 そうですね。
-どんなメニューでしたか?
竹内 ランチは基本的に肉料理で、副菜がパスタなのか米(タイ米)なのかポテトなのかという具合です。味はちょっと濃いめだったり薄めだったりしましたが、大丈夫でした。サラダバーまであったので驚きでした。講習会場やホテルの周りにもわりと飲食店はありましたね。
-お値段はいくらくらいでしたか?
竹内 一食が日本円で千円ちょっとくらいで食べられるんですけど、ボリュームがあるので、おなかいっぱいになります。
-他の受講者の方とご飯を食べに行ったり、交流はありましたか?
竹内 タイミングがあえば行くこともありました。
-今回の留学で、友達はできましたか?
竹内 はい、そうですね。親切にしてくださって、日本に帰ってからも連絡を取り合っています。
-どこの国の方ですか?
竹内 フランスの方です。

-海外の人とうまく付き合うコツはありますか?
竹内 自分から積極的に話すことだと思います。笑顔で会話をすればいいと思います。
-笑顔は大切そうですよね。
竹内 そうですね。
-宿泊先とレッスン会場の移動はどうしましたか?
竹内 だいたい600メートル弱くらいしかないので、歩いて10分もかからないくらいでした。
-会場の近くに落書きがあって怖かったという話を聞いたのですが……。
竹内 講習会場があった周辺は、落書きが多かったです。プラハ中心部のほうに行くとあまり多くありません。日本でよく見かける落書きが多くある感じと似ています。犬のフンも多かったです。

-講習会から交通の定期が出たんですよね?
竹内 簡単な身分証明書のようなものと交通定期をいただきました。地下鉄、トラム、バスの共通券です。バスはだいたい時間通りに来て、わりと便利なのでよく使いました。
-地下鉄はどうでしたか?
竹内 地下鉄のホームへ降りるときが、エスカレーターだったんですけど、すごく長くて急なんです。スピードが日本ではありえないくらいの速さで、戸惑ってしまいました。
-疲れているときは怖いですね。
竹内 ちょっとびっくりすると思います。それから、自分たちは定期を使っていたので大丈夫でしたが、トラム内では観光地域で検問をしていることが多かったです。明らかに観光客という人をターゲットにして検問していました。
-検問されましたか?

竹内 はい。プラハ城周辺へ行っているときに、検問にあいました。紺のポロシャツに紺のパンツという格好で、一見一般人かなと思いました。
-講習会中に演奏会があったかと思いますが、演奏会ではどの曲を演奏されたんですか?
竹内 全部のグループで出させてもらえたので、4曲で出ました。
-演奏会は皆さんが出演するかたちだったんですか?
竹内 だいたいどれかの演奏会に出してもらえた感じですね。
-会場はどんな場所でしたか?
竹内 音楽学校ホールもあるし、町のホールのときもありましたし、ベルトラムカ荘で演奏させてもらったときもありました。ベルトラムカときはビバルディーの曲を演奏しました。
-これはプラハに行ってからもらった曲なんですよね。
竹内 そうです。少しアレンジして、ボーカル、オーボエ、ファゴット、チェンバロで演奏しました。

-普通のホールとは違う場所で演奏するのはどうでしたか?
竹内 音の響きも全然違いました。そんなに広い場所じゃなくて、サロン的な感じなんで、なかなか日本ではそういう感じのところでは演奏しないので、新鮮でした。
-留学中に何か変わったことはありましたか?
竹内 特にないですね。チェコはEUに加盟したのでユーロが使えるかなって思ったんですけれど。学校の周辺や町でもほぼコルナしか使えない状態でした。あと学校の中に自販機があるんですけど、コインしかダメなんです。お札しか持ってなかった時は不便でした。
-スケジュールで困ったことはありませんでしたか?
竹内 困ることはなかったです。
-ヨーロッパの講習会だと、日本と違って事前に分かることが少なくて困った、といった話を聞きますが、そういった点はいかがでしたか?
竹内 向こうへ行くまでは、事前に分からないことがたくさんあったので不安もありました。スケジュールの変更はよくあるのですが、その都度掲示板に張り出されるのでチェックしていれば、特に困ることはありませんでした。

-今回、講習会に参加されて、よかったと思えた瞬間はありますか?
竹内 体力的にはすごく厳しかったんですが、終わってみると、もう終わったのか、という感じでした。グループのレッスンも、ソロのレッスンも充実していたので、それがすごくよかったです。そして素晴らしい師や受講生との出会いです。音楽も広く深く学ぶことができ、本当に幸せな時間を過ごすことができました。
-今回の留学で成長したなと思えるところはありますか?
竹内 いい意味でおおらかになりました(笑)。今までだったら、演奏している途中にいつもどおりできないと微妙に思うことがあったんです。でも、そういうことがあっても、全体を通して流れがあってまとまっていたらいいんではないか、と思うようになりました。
-そういう気持ちって、精神力が強くないと持てないですよね。
竹内 そうですね。
-音楽観が成長したんですかね。
竹内 どうでしょうか。

-ほかには何か今までと違うところはありますか?
竹内 グループレッスンでよく言われていたのが、お互いをもっと見て、聴いて感じて、一緒に呼吸を合わせて、ということでした。自分たちはしているつもりだけだったんですね。それ以降今まで以上に意識して、お互いを感じて演奏するようにしました。すると、ある演奏会で、演奏が終わった時にすごくみんなと気持ちが合って終わったと思える瞬間があって、今までとは違う気持ちの良さを経験することができました。
-それができたのは、やはり意識の問題だったと思いますか?
竹内 どうだったんでしょうね(笑)。気持ちひとつということですかね。
-日本で勉強されてきたことと大きく違う点はありましたか?
竹内 日本で勉強してきた方向も、そんなに違ってなかったかもしれません。今までやってきたことの延長線上にある感じでしょうか。ただ、聴衆が違うと思いました。日本では、たいがい微妙にピリピリとした雰囲気があるじゃないですか。向こうはすごくおおらかというか、温かい感じなんです。全然知らない演奏家であっても、どんな演奏でも受け止める、感じてくれる、そういう雰囲気がありました。
-拍手や歓声も違いましたか?
竹内 拍手でもう一回呼び戻されたりとか、ブラボーとか。日本では、そんなことってあまりないじゃないですか。自分では「なんで?」と思いながらも(笑)、とてもありがたかったです。

-聴いていたのは受講生ですか?
竹内 受講生の他に、多分、一般の人もいたと思います。
-そういう人たちも音楽に対しておおらかな感じなんですね。
竹内 多分、音楽が身近にあるんですよね。
-良い土地で、よかったですね。
竹内 そうですね。緑が豊かで、山や川もあって、坂もたくさんあって、日本に似ていると思いました。
-今後、留学を考えている人にアドバイスをお願いします。
竹内 自分は何をしに来ているのか、自分はどんな音楽をしたいのか、そういったことをしっかり持っていたほうがいいかなと思います。
-目標をしっかり持ったほうがいいということですね。
竹内 そのほうが、得ることが多いと思います。それから、受身ではなくて、積極的に自分から働きかけるようにすれば、返ってくるものも多いと思います。せっかく日本を出て勉強できる機会なので、多くのことを経験して帰ってくるのがいいと思います。

-なるほど。では、留学前にしておいたほうがいいことはありますか?
竹内 絶対に語学です。あまり話せなくてもなんとかなるんですけど、話せればもっと深く話ができたりもするので、話せたほうがより良いと思います。それから、練習をとにかくしっかりやっていくことです。向こうに行ったら、環境が変わるので、なかなか落ち着いて練習ができないっていう部分もあるし。しっかり練習していくと、教えていただくことも、より深いものを教えてもらえると思います。なので、練習はしっかりなさっていったほうがいいと思います。
-最後に今後の活動のご予定を教えてください。
竹内 今、合唱の伴奏をさせていただいていて、演奏活動もしているので、それを続けていこうと思っています。機会があれば、またこういった短期の講習会に参加できたらいいなと思っています。
-一生音楽は続けていきたいですか?
竹内 はい。
-今日は本当にありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【オーストリア留学情報 vol.326. 2014-11-04 05:00:00】
布施あづささん/ジャズピアノ/ピート・マリンベルニ教授・アンドビジョン特別プログラム/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

布施あづささんプロフィール
フェリス女学院音楽学部卒業。レナートバイリンガル(語学学校)とピート・マリンベルニ先生のジャズピアノレッスンを受講。
-はじめに自己紹介をお願いします。
布施 フェリス女学院の音楽学部を3月に卒業しました。ジャズピアノを4年間勉強していました。ピアノは3歳から始めて、高校まではクラッシックピアノを習っていました。
-クラッシックからジャズに変わったきっかけは何かあったんですか?
布施 高校の3年間、音楽科に通っていて、クラッシックだけをびっちりやっていたので、もっと他の世界に飛び込んでいきたいという気持ちがあって、ジャズを始めました。
-これまでに講習会に参加したり、海外の先生のレッスンを受けたことはありましたか?
布施 一度もないです。
-海外に旅行されたことはありましたか?
布施 はい、ハワイなどに行く機会がありました。
-今回、語学レッスンと音楽レッスンがセットになったご留学をされたわけですが、受講しようと思ったきっかけは?
布施 大学生活の集大成として、ジャズピアノの本場であるニューヨークで勉強したかったということと、自分の語学レベルを少しだけでも上げたいと思ったことです。
-語学レベルを上げたいと思ったのは、将来的に何か目的があるのですか?
布施 将来、また留学したいと考えているんです。そのためにも会話ができるようになりたいと思っていて、今回は、下見もかねてニューヨークに行きました。
-下見はできましたか?
布施 街の雰囲気などはばっちり下見してきました!(笑)しかし、会話はなかなか難しいと感じました。文法がわかっていても、自分の考えていることを会話にして発するというのは、すごく難しいんだな、と感じました。
-頭ではこういうことを言いたいな、と思っても、なかなか言葉にできない感じですか?
布施 そうですね。言えない悔しさともどかしさをすごく感じました。

-それぞれのレッスンの感想をうかがいたいのですが、まず語学レッスンはいかがでしたか?
布施 レナート(語学学校)は7〜8人の少人数にレベル分けされたクラスで、ほとんどが会話の授業でした。
-日本人は何人かいましたか?
布施 私の他に1人だけいました。スペイン人が多くて、他に、メキシコ、ブラジル、フランスの方がいました。
-他の受講生とは仲良くなりましたか?
布施 はい。友だちになることができました。現地では、一緒にご飯に行きましたし、帰国後もメールを交わしています。
-では、学校以外でも英語を交わす機会があったのですね。
布施 そうですね。なかなか難しかったですが……(笑)。
-ジェスチャーを交えて……といった感じですか?
布施 そうですね。ジェスチャーや指差しをたくさん使って、コミュニケーションをとっていました。こちらが一生懸命に伝えたい、と思って話すと、たいてい向こうも分かってくれますね。「あ! 分かる、分かる!」って感じでした。
-では、音楽のレッスンはいかがでしたか? 今回は、語学学校が紹介してくれた音楽レッスンと、弊社が紹介したピート・マリンベルニ先生のレッスンを受講されたんですよね。
布施 2人の先生に共通していたのは、感性から入っていく、ということでした。具体的に言うと「とにかくまず、好きなように弾いてみて」といった感じで、そこが日本とは違うなと感じました。やはり日本は、形から入るというか……、わりと自由がきかなくて「こう教えたらこう弾いてね」という感じなんですが、ニューヨークでは「自由に弾いてみて」というところから入って、ちょっとでも弾けたらすごく褒めてくれるので、本当に楽しく弾けました。
-それぞれの先生にはどんなことを教わったのですか?
布施 レナードで紹介してもらったフォーノ先生はラテンジャズが専門の方なのでボサ・ノヴァを教えてもらい、マリンベルニ先生からはスタンダード・ジャズを教えてもらいました。
-マリンベルニ先生のレッスンはどのように進んだのですか?
布施 スタンダード・ジャズの本に載っている曲を自分でアレンジして流して弾いて、先生にコメントをいただく、といった感じでした。
-難しそうですね。
布施 けっこう大変でした(笑)。あとは、先生と一緒に弾いたりもしました。
-レッスン中はピアノを弾いていることが多かったですか?
布施 そうですね。もうずーっと弾いていました。私が弾いていると、先生が入ってきて、音で会話をしている感じでした(笑)。なので、本当に楽しいレッスンでした。
-マリンベルニ先生はどんな方でしたか?
布施 まず、すごくハンサムでした(笑)。すごく優しくて、穏やかでおもしろい方でした。それがレッスンにも表れていました。
-1回のレッスンはどのくらいでしたか?
布施 1時間です。そのときの雰囲気でちょっと延びることもありました。
-今回のレッスンで新しく学んだのはどういうことですか?
布施 いろんな人のピアノの奏法をもっと聴かなければいけないと感じました。聴いて、コピーして、そこから自分の音をつくっていく、ということをレッスンを通して学びました。アドリブに関しても、今までは好き勝手に弾いていいと思っていたんですが、「話すように弾いて」と言われて、実は言葉のフレーズのように音を繋げていくものなんだ、ということを学びました。
-それは、新しい発見でしたね。
布施 そうですね。ですので、帰国したこれからも具体的にどういった練習をしていけばよいのか分かったのも大きな収穫です。先生からも具体的に練習法のアドバイスをいただきました。
-他に何か印象的なことはありましたか?
布施 マリンベルニ先生はいろいろと喩え話をしてくださいました。「いろんな生き方があって、みんな理想に向かって頑張るんだけれども、それはピアノにも共通していて、自分の理想とする音を奏でるために毎日練習しなきゃいけないんだ。でも、忘れてはいけないのは、必ず楽しむということだよ」と言ってくださって、その言葉が深くて、ズキンときました。
-なるほど。そういえば、レッスンのときに通訳さんはつけていなかったと思いますが、特に問題はありませんでしたか?
布施 意外となんとかなりました。先生も1対1だとゆっくり話してくださったり、なんとか伝えようとしてくださるので、理解することができました。
-向こうでピアノの練習はどうされていましたか?
布施 ホームステイ先のお家でしていました。玄関を入ってすぐの廊下にピアノがあって、それをお借りしていました。学校から帰って夕方までの間しか弾けなかったので、その時間で練習していました。だいたい毎日1時間くらいです。
-レッスンでやった曲を復習で弾くような感じでしたか?
布施 はい、そうですね。次のレッスンで前に習って練習した曲を聴いていただくこともありました。

-レッスンや練習、語学学校以外の時間は何をされていましたか?
布施 買い物に行ったり、ジャズ・バーに行ったり、バレエを鑑賞しました。ニューヨークでしか味わえないことを実感したかったので、いろんなところに出かけました。
-それは一人で行かれたんですか?
布施 いえ、語学学校でニューヨーク在住の日本人の女性の方と知り合って、その方と一緒に出かけていたので、本当に心強かったです。38歳と年上の方だったので、頼れるお姉さんという感じでした。
-バレエは何を観に行かれたんですか?
布施 ニューヨークシティバレエ団です。毎週月曜日に90ドルのチケットが25ドルになるので、わざわざ並んで観に行きました。
-ジャズ・バーというと、行かれたのは夜ですよね?
布施 いえ、ブルーノートのブランチ・ライブというものに行きました。日曜日のお昼にやっていて、値段も少しリーズナブルなんです。ジュリアードの学生の演奏を観に行ったのですが、同じくらいの年とは思えないくらいレベルが高くって、感動しました。
-ニューヨークに住んでいる人など街の様子はどうでしたか?
布施 みんなすごく忙しそうで、いろんな言語が飛び交っていて、「ここはどこ!?」って感じでした。
-ニューヨーク以外のところに観光はされましたか?
布施 他にもボストンやワシントン、ニュー・ジャージーなど、行きたいと思っていたのですが、行かずじまいで惜しかったなぁ……と思います。
-ホームステイ先はいかがでしたか?
布施 お部屋は本当にキレイでした。ベッドも「今まで、こんなベッドに寝たことない」っていうくらいフカフカで、サイズもキングサイズでした(笑)。ホテルの一室のようで、本当にラッキーでした。家族も優しくて、ホストマザーが一度、イタリアンのレストランに連れていってくれました。かわいがってくれて、私が若いからか「ベイビー」と呼ばれていたんです(笑)。最後も「また来てね」と言ってくれてうれしかったです。
-ホームステイ先と学校までは、どうやって移動されていたんですか?
布施 地下鉄を利用していました。乗り換えも、同じホームで向かいに来る電車に乗り換える感じだったので、わりと迷わずに利用できました。看板を見れば分かるようになっているので、大丈夫だと思います。
-道に迷ったりはしませんでしたか?
布施 もう初日から迷ってしまって大変でした。人に聞いて無事にたどり着けたんですが、そういうことがあったので、毎日家を授業の2時間前に出るようにしていました。
-えー! 大変ですね。
布施 それを1週間続けて、道を完璧に覚えてから、1時間くらい遅く出るようにしました。
-お食事はどうされていましたか?
布施 ランチは学校帰りにお店に寄って、夜はデリを利用したり、ホストマザーが作ってくれたものをいただいていました。
-外食のときの値段はいくらくらいでしたか?
布施 ランチは10ドルくらいでした。夜はデリで6ドルくらい使っていました。向こうは量が多いので、6ドルでもけっこうお腹いっぱいになりましたね。
-向こうでは、語学学校やレッスンなど海外の方とお話する機会が多かったと思いますが、そういった方とうまく付き合っていくコツは何かありますか?
布施 シャイにならないことだと思います。思ったことをはっきり言う人たちなので、自分もそうしないとその会話に入っていけないんです。
-最初から自分の意見を言うことはできましたか?
布施 いえ、出来ませんでした。徐々に徐々に……という感じです。何気ない会話でも授業でも、自分の意見を求められることが多いと感じました。積極的にいくのが本当に大事だと思います。
-留学中に困ったことはありましたか?
布施 やはり、道に迷ったことですね。あとは、ドライヤーがなくて、大変な思いをしました。それから、日常品に不便を感じることが多かったです。例えば、ティッシュを買ってもゴワゴワしていたり……、といった細かいことに不便を感じて、向こうに行って、日本の環境って本当に恵まれているなと感じました。
-ご留学されてよかったなと思ったのはどういう瞬間ですか?
布施 考え方が変わりました。今まで自分が正しいと思ってきたことを、また別の視点から見ることができました。こういう考え方もあるんだ、と視野が広がりましたね。あとは、日本を離れて日本の良さを知ることができたと思います。
-日本に帰って来て、成長したと思うことがあれば教えてください。
布施 今までは友だちを羨んだりすることが多かったのですが、それがなくなって、自分は自分なんだと思えるようになりました。たった3週間しか滞在していないのですが、向こうは、自分は自分で突き進む人が多いので、私も私で自分をちゃんと持ってしっかっりしていかなきゃいけない、と感じたんだと思います。

-日本と留学先でどんなところに違いを感じましたか?
布施 生活面で言えば、まったく干渉がないことです。多分日本だと、ホームステイに来ていても、かまってしまうと思うんです。でも、向こうでは、プライベートがきちんとあると感じました。私は干渉されない方がいいので、すごく楽でした。音楽面では、向こうの人たちは生まれたときからノリがある、と感じました。本当に音楽を楽しんでいるっていう感じでしたね。
-留学する前にしっかりやっておいたほうがよいことを教えてください。
布施 きちんと下調べをしておいたほうがいいと思います。さっきお話したティッシュとか……(笑)、本当に小さいことなんですけど、そういうことがすごく気になってくるんです。ハンドブックにもそういうことは書いていないので、留学をした人に話を聞いてみるのがいいと思います。
-今後は、どういう音楽活動をされていくんですか?
布施 4月からは社会人になって、音楽とはまったく関係のない仕事をしますが、早く蓄えて、また留学したいと思っています。今度は、ピアノだけで、もう少し長く留学したいと思っています。
-今日は本当にありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【アメリカ留学情報 vol.325. 2014-10-28 04:00:00】
堀江夕子さん/ピアノ/アルベルト・フランツ先生・アンドビジョン特別プログラム/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

堀江夕子さんプロフィール
1970年生まれ。ヤマハ音楽教室講師を経て、現在堀江音楽教室主宰。音楽教室・英語教室・クライミング教室・設計事務所を併せ持つクライミングジムロック・ジム ほりえ 代表。ウィーンでアルベルト・フランツ先生のピアノレッスンを受講。
-はじめに、簡単な自己紹介をお願いします。
堀江 5歳からピアノを習い始めました。高校2年生で進路を考えたときに、何をするか迷いまして、結局、音楽系には進まずにピアノも一度辞めてしまいました。そのあと、大学3年生の頃になんとなく指が寂しくなって、また弾き始めたんです。その頃、ちょうど就職をどうしようか考えていた時期でもあって、そしたら、当時のピアノの先生がヤマハの人だったんですが、「ヤマハを受けてみない?」って誘ってくれたんです。それがきっかけで試験を受けたら合格したので、ヤマハ音楽教室に入りました。
-それからずっとヤマハとの関係は続いているんですか?
堀江 いえ。25歳で結婚するときに、辞めました。主人の実家に引っ越しをして、そのあとは、クライミングを一生懸命したかったので、ピアノは、結婚式の教会で時々、弾くくらいでした。
-今回、ご留学されようと思ったきっかけは何かあったんですか?
堀江 子育ても一段落して、音楽教室の経営も安定したんです。そしたら、引き出しが空っぽになってしまったような感じがして、何かしたいな、と思ったんです。それで、ウェブサイトで探していたら、アンドビジョンさんのサイトを見つけて、資料を取り寄せたんです。
-それは8月の頃でしたよね? それまでは留学も考えていませんでしたか?
堀江 そうですね。クライミングをしながら、知り合った方たちに「ピアノをしていたの」って話をしたら、そこでだんだん輪が広がって、今は音楽教室の生徒も60人くらいいるんです。そういうのもあって、2年前くらいからちゃんと弾こうと思うようになりました。それで、自分自身、先生にもついていたんですね。先生はたくさんいらっしゃるので、弾ける先生にも来ていただいたりしていました。そういうふうに、ピアノへの思いはだんだん募っていて、今回、留学をしてみようと思ったんです。
-そうだったんですね。アルベルト・フラン先生を選ばれた決め手は何だったんですか?
堀江 ホームページでも最初の方に紹介されていたので、お勧めの先生なんだろう、と思ったことと、初心者でも大丈夫といったことが書かれていたので、フランツ先生にお願いしたいと思いました。
-レッスン場所がウィーンでしたが、惹かれる部分はありましたか?
堀江 そうですね。オーストリアというのは、クライミングの世界ではトップレベルなんです。覇者がオーストリアからたくさん出ていますし、情報もたくさん入ってくるんです。それで、オーストリアにどんなバックボーンがあるのだろう?と気になっていました。それだけではなく、やはりウィーンは音楽の街ですし、行きたいと思いました。
-そうすると、初心者でも大丈夫なフランツ先生だったこと、クライミングにも関係があること、音楽の街であること、と三拍子そろっていたわけですね。
堀江 そうですね。それから、音楽留学というとすごく志が高い人が行くのかな、という不安もあったのですが、同じくらいのレベルの方の体験談も見せて頂いたので、安心して申し込みました。
-それから、留学までにドイツ語を勉強されたりしましたか?
堀江 いえ。急なことだったので……。“指差しオーストリア語の本”を買ったくらいです。指を差してなんとか伝わるかな、と思ったんです。
-その本に載っていたことで、何か役に立ったフレーズはありましたか?
堀江 向こうでその本を開くこと自体、ほとんどありませんでした。英語が通じる国なので簡単な英語と“ダンケ”と“ブレス・ゴット”の2つで大丈夫でした。
-生活する上でも英語が話せれば問題ありませんでしたか?
堀江 はい、大丈夫でした。

-フランツ先生のレッスンは全部で3回でしたよね。いかがでしたか?
堀江 まず最初にモーツアルトの時代のブラピーアの話から始まりました。あとは、クライミングをしていて指が痛かったので、最後の頃は、弾くときの姿勢や手が痛いときの弾き方、指の動かし方、力の抜き方のストレッチなどを教えてくださいました。
-ただ単にピアノを弾く、ということだけではなかったんですね。
堀江 そうですね。私もいくつか聞きたいことがあったので、質問をいくつか用意して行ったんです。それに対して、先生がひとつずつ丁寧に答えてくださいました。あとは、第一次世界大戦前後で教則本が変わったことから、弾き方の違いで今は故障者が多いのだけれど、姿勢に気をつけることで君の痛みはとれるよ、と教えてくださいました。日本に帰って来てから実際にその弾き方にしたら、まだ違和感はあるんですが、確かに痛みは出ないんです。本当にびっくりしました。
-その弾き方が堀江さんに合っているのかもしれないですね。
堀江 肩を後ろにして、ひじを開きすぎない弾き方なんです。すごく恰幅のいいおじさんが弾いているような感じになるので、主人はそれを見て笑っているんですが(笑)……。
-でも、痛みが取れてよかったですね。フランツ先生のレッスンの中で一番大きな発見はそのことでしょうか?
堀江 そうですね!
-日本のレッスンだとあまり姿勢については言われないですよね?
堀江 そうですね。ひじや指の形については指摘されることがありますが、私の場合は、姿勢が悪く肩が出ていたようなんです。それをフランツ先生が見つけてくれて、肩が出ているから、ひじも出てしまうんだ、と気づくことが出来ました。
-実際のレッスンの流れはどういうものだったのですか?
堀江 最初にモーツアルトの話から始まって、弾いてみて下さいと言われて、弾いて、直されて、という普通のレッスンの流れでした。途中から「あれ、指が転ぶね」ということで話が始まり、いろいろとアドバイスをしてくださいました。私が何か質問をすると、その質問はおもしろい、と言ってメモをとったり、先生が何かを言ったりしたときの私の反応が珍しかったようで、それもメモに取っていました(笑)。私は普通の反応をしたつもりだったのですが、先生には新鮮だったようです(笑)。
-おもしろい生徒さんだな、と思われたんですね。
堀江 あとから通訳さんに「君はおもしろい題材だ」と先生がおっしゃっていたと言われました(笑)。
-なんだか楽しそうなレッスンの様子がすごく伝わってくるエピソードですね。
堀江 はい、とても楽しかったです。
-通訳の仕方やフランツ先生とのやりとりはいかがでしたか?
堀江 先生が話し終えるとすぐにバラバラバラと通訳してくださって、私の言いたいこともきちんと伝えてくださいました。1時間半という限られた時間の中でやりとりをしなければいけないので、言葉のストレスを感じるのは嫌だったんです。先生と二人で楽譜を覗いて、顔を突き合わせて、どうします? とやるとすごく疲れると思うんです。そういう意味で、3回とも通訳の方に来ていただいて、よかったと思います。通訳の方もピアノが弾ける方だったのも、すごくよかったですね。先生が私の反応のメモをとっている間に、「通訳さんはどう弾きますか?」、「僕はこうかなー」なんてやりとりをしていました(笑)。
-今回は、どんな曲を見てもらったんですか?
堀江 フランツ先生はモーツアルトがご専門だと聞いていたので、モーツアルトのソナタを持って行きました。
-他には何か用意して行かれましたか?
堀江 簡単なもので、メンデルス・ゾーンを持って行きました。メンデルス・ゾーンの1番をもっと意味があるように弾いてみたいと思っていたんです。でも結局、メンデルス・ゾーンまで行かずに、ソナタも1曲で終わり、「はっ! もう時間だ!」という感じでした(笑)。
-その分、1曲を濃く教えてもらった感じでしょうか。フランツ先生のレッスンを受ける前と受けた後で、そのソナタを弾いて何か変化はありましたか?
堀江 帰ってきてから、日本の先生に見ていただいたのですが、「左手がきれいにまとまっていますね」と言われました。フランツ先生と左手の連打を練習するのに、バスケットボールのようにやろうということで、ピアノから降りてバスケットボールの練習をしたんです(笑)。それの効果があったのかもしれませんね。
-それも楽しそうですね。さきほどストレッチの話をされていましたが、どういうストレッチを教わったのですか?
堀江 力の抜き方のストレッチで、肩から腕を水平に上げて、ひじを90度曲げた状態から、糸がぷつんと切れたようにマリオネットのように落とすんです。その状態で、私は肩が前に出てしまうんですが、前に出ないようにと何度も注意されましたね。

-ウィーンでは、練習室を予約されていたかと思いますが、練習室はいかがでしたか?
堀江 アンドビジョンさんから送っていただいた用紙に部屋の番号まで書いてあったので、何の問題もなく部屋を使えました。部屋は7部屋くらいあって、ピアノも5台くらいあったと思います。
-けっこう練習時間を取られていましたよね。みっちり練習されたんですか?
堀江 1日目は一生懸命弾きましたね。着いた最初の日にレッスンがあったので、レッスンの後、4時間くらい練習しました。お水を飲んで、スーパーで買ったハムをかじりながら、練習しました(笑)。
-ハム、ですか?
堀江 はい。けっこうおいしいハムが売っていたので、それをそのままかじっていました(笑)。
-お食事はどうされていたんですか?
堀江 最初にスーパーで食材を買い込みました。それで、朝はトーストにトマトとチーズとハムのサンドイッチを作って食べていました。ラップにくるんで持って行って、お昼もそれで済ませることも多かったです。あとは、アンケルというサンドイッチのチェーン店で食べたり、ウィンナーシュニッツェル屋さんで食べたりしていました。
-ウィンナーシュニッツェルはおいしかったですか?
堀江 おいしんですけど……、すごく大きいんです。適当に頼んだら、自分の顔より大きなものが出てきました(笑)。薄くてペラペラなんですけど、それでも顔以上のサイズなのでボリュームはあって、ウィンナーシュニッツェルを食べた日は、それしか食べられませんでしたね。
-夕飯はどうされていましたか?
堀江 1日目は、普通の個人のお店で外食したんですが、ちょっと量が多くてびっくりしました。ヒドリという日本食のお店があったので、そこに入り、一度行ったらおいしかったので、あとは毎晩、通っていました(笑)。からあげや定食、焼き鳥、巻き寿司、などいろいろありました。日本人のスタッフさんばかりだったので、その方たちに現地のお話を聞いて、毎晩、楽しく過ごすことができました。
-やはり日本食が恋しくなりますか?
堀江 若い頃は、外国に来てまで日本食を食べる人の気がしれない、なんて思っていたんですが……(笑)。向こうの食事もおいしいんですけど、ウィンナーシュニッツェルやパンを食べていると、やはりお米が食べたいな、と思いますね。スーパーにもお米は売っていたのですが、朝ご飯やお昼ご飯は自分で作ることがほとんどだったので、夕飯くらいいいや、と外食していました。

-レッスンや練習以外の時間はどのように過ごされていましたか?
堀江 仕事に関することですが、クライミング・ジムの視察に行っていました。向こうの建物や規模を見て、肌で感じていました。それから、オペラを日本から予約して行ったので、「フィガロの結婚」を観ることができました。
-えー! いいですね。やはり、本場のものは違いますか?
堀江 はい。日本でもよく観るのですが、全然違いますね。建物が円形で上の方に席がある会場でした。1万4、5千の席がありましたが、それでもすごく臨場感があって、周りの人たちも口ずさんだり、鼻歌を歌ったり、知っている曲では歓声を上げたり……、そういう空気を体験できて、すごく良かったです。
-そういうのって、日本ではあまり体験できないですよね。
堀江 そうですね。日本ではそういう体験はしたことがありませんでした。
-他にも観光はされましたか?
堀江 小さいところに見所がギュギュっとつまっている街だったので、レッスン会場から練習室に行く間にも、観光名所がちょこちょこありました。あとは、ステファン寺院や旧市街のあたりを観光しました。でも、どこかに行かなくても、電車に乗っているだけで、すごい建物がたくさんあるので、それを見ているだけでも楽しめましたね。
-向こうでは日本人以外の現地の人や他の国籍の人と話す機会も多かったかと思いますが、何か話すコツなどはありますでしょうか?
堀江 しかめっ面はいけないと思っていたので、笑顔で“ダンケ”と“ブレス・ゴット”と言っていました。通りすがりの人でも、すれ違ったら挨拶をしていましたね。挨拶をすると、向こうの人も笑顔で返してくれました。

-今回はフラットにご滞在されていましたが、いかがでしたか?
堀江 すごくおもしろかったです。ホテルやキャンプではわからない、ウィーンの人の生活の実態が見られたのが良かったです。
-大家さんと話す機会はありましたか?
堀江 最初の日に鍵を渡すのに待っていてくれて、英語でわーっと、ガスや鍵の説明をしてくれました。どうやら日本びいきの大家さんだったようで、仏像がお部屋の角にありました(笑)。けっこう大きい仏像で、大人が座っているより少し大きいくらいのものだったので、すごくびっくりしました。あとはたぬきの置物もあって、おもしろいお家でした。
-部屋の広さはいかがでしたか?
堀江 ダブル・ベッドが2つもあって、家族で借りられるな、というくらい広かったです。主人は設計の仕事をしているので、現地でスケールを買って、いろいろと測っていましたね(笑)。そして、その広さや色使いに感心していました。そのセンスの良さは、他のお家も同じで、そのセンスというのは、街をきれいに保とうという精神から来ているのかな、と感じました。主人も日本に帰って来たら、「やっぱり信州の町並みって変だよね」とか言っていて、この前も「もうちょっと、もともとあるものでできることを、提案していく必要があるよね」なんて、お友達に話していました。
-今回、レッスンを受けて良かった瞬間があれば教えてください。
堀江 やはり、百聞は一見に如かず、だと思いました。これまで、書物や楽譜でいろいろな先生方に教えていただいたのですが、その場所に行かなければ分からない目に見えない空気や雰囲気、クラッシック音楽が培われて来た社会風土のようなものを感じることができたのが、良かったと思います。また、そういうのに触れて、日本に帰って来た今、視野が広がったと思いました。小さなところに詰まっていたものが外に出て、上から見られるようになった気がします。
-なるほど。
堀江 弾くこともすごく楽しくなって、ピアノの先生からも「堀江さん、楽しそうだね」と言われました。あとは、自分が教えるときも、行く前は、あまり弾けない子たちに対して、こんなんでいいのかなとブレがあったのですが、自分が留学したことで変わりましたね。音楽留学ってすごい人たちが行くんだろうなと思っていたのですが、そんなことはなくて、フランツ先生もその中で出来ることを教えて下さったんですね。そんな経験をして帰って来てからは、30分のレッスンの中で15分は歌って弾いてもいいかな、とか、その時間の中で曲のレパートリーを増やして、とか楽しいレッスンをしてあげようと思えるようになりました。
-堀江さんご自身は今後はどうされていきたいとお考えなんですか?
堀江 先生がモーツアルトを研究されているので、ウィーンなので、という理由から何となくモーツアルトを教わったのですが、これも何かのご縁なので、せっかくだからちゃんとモーツアルトのソナタを弾けるようになろうと思いました。

-またフランツ先生のレッスンを受けたいですか?
堀江 はい、そうですね。先生が嫌がらなければ(笑)。
-いえいえ、そんなことはないかと。きっと先生も覚えてらっしゃいますよ(笑)。最後になりますが、これから留学を考えている方にアドバイスをお願いします。
堀江 自分もそうだったのですが、まずは迷う前に失敗してもいいから、行きたいときに行くのがいいと思いました。いつか時間が出来たら、とか、お金が貯まったら、とかではなく、まず、出てみることが大事だと思いました。そうすれば、自然に次のことが浮かんでくると思います。そのときには、簡単な中学校レベルの英語を話せれば日常生活は十分だと思います。先生とのやり取りも長期滞在だと事情が違ってくるかもしれませんが、1週間くらいの短期の滞在でしたら、通訳さんをつけて、言葉のストレスをなくすことで、限られた時間を有効に使えると思いました。
-なるほど。今日は貴重な体験談を本当にありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【フランス留学情報+冬・春講習会情報 vol.324. 2014-10-21 04:00:00】
佐藤暁彦さん/ジャズドラム/シエナジャズサマーコース/イタリア・シエナ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
佐藤暁彦さんプロフィール
中学時代に、吹奏楽部のパーカッションでドラムを始める。大学でジャズ研究会に入部し、ジャズドラムを開始。2007年、シエナジャズサマーコースに参加。講習会では、選抜のビックバンドのメンバーに選ばれる。2007年、横浜ジャズプロムナードにコンボバンドで参加。
― はじめに略歴を教えてください。
佐藤 中学生のとき、ドラムをやりたくて吹奏楽部に入り、高校でも引き続き、吹奏楽部でした。大学でコンボ主体のジャズ研究会に入部して、興味があったジャズをやり始めました。同時にポップスのバンドも結成し、大学卒業後も続けて、インディーズでCDを出したりもしたんです。一方、大学卒業後、ヤマハ音楽院で、ジャズに限らず、ポップス、ロックといろいろ学びました。卒業後は、ポップスの活動がメインだったのですが、だんだん、またジャズを本格的にやりたいなと思うようになって、ジャズクラブやライブハウスに行くようになったんです。
― 今もポップスは演奏されているんですか?
佐藤 頼まれたら演奏しますが、今は本格的にジャズに絞ってやろうと思っています。
― どこか決まったライブハウスで演奏されているんですか?
佐藤 地元の横浜や横須賀のライブハウスで演奏することが多いですね。横浜はかなりそういうお店が多いんです。
― 講習会に参加したのは何がきっかけですか?
佐藤 演奏の仕事があまりなかった時期に、何かしようと思い立って、以前から覗いていたこちらのサイトでこの講習会に興味を持ったんです。普通、イタリアにジャズしに行くヤツいないだろうと思って(笑)。
― アメリカとは迷わなかったですか?
佐藤 最初は、アメリカも考えたのですが、日本の人がジャズを勉強しようと思ったら、普通、アメリカに行くじゃないですか。だから、他の人と違うことをやってやろうと(笑)。
― それでイタリアに?
佐藤 もともとイタリアのジャズに興味は持っていたんです。講習会には、エンリコ・ラバというトランペットの先生もいたんですが、その方はイタリアジャズの中では、世界的に有名な人です。東京のブルー・ノートに来たときに観に行ったのですが、それもこの講習会に参加したきっかけになっています。そのときにイタリアのジャズをおもしろいと感じたんです。アメリカのジャズと比べても、泥くささがないというか…。ヨーロッパのジャズというのは、クラシックの影響が強いとよく言われています。やっぱりイタリアのジャズも、クラシックをジャズに昇華したような感じがしますよね。
― それでは、シエナジャズ講習会の全体の様子を教えてください。
佐藤 今回の講習会はシエナジャズという大きなイベントの一環でした。全体で200人くらいが参加していました。各パート30人くらいですね。楽器の他にも作曲のコースで来ている人が数人いました。
― レッスンはどのように進められたのですか?
佐藤 最初に選抜試験がありまして、それで2クラスに分かれて、クラス別に1人ずつ先生がつきました。
― 選抜試験というのはどのような試験だったのですか?
佐藤 基礎的なことができるかどうかをみる試験です。1人ずつ呼ばれて、「こんな感じのできる?」「これやってみて」という感じで行われました。
― レッスンはどんな内容でしたか?
佐藤 ドラムを2つ並べて、2人がセッションをするといった内容です。基本的には生徒2人がセッションをしましたが、場合によっては先生が叩くこともありました。例えば「早めのテンポで」とか「こういう拍子で」といったテーマが出されて、それにそって2人がセッションをします。それを先生が聞いていて、指導してくれます。
― ずっとグループレッスンだったんですか?
佐藤 そうですね。短期間の講習会なのでそういう形なんだと思います。
― 他の生徒の皆さんは上手でしたか?
佐藤 講習会を受けた人の中には、若い人もいたし、これからジャズやりますっていう人もいたんですが、ラッキーなことに僕は上級者のクラスに入ることができたので、皆さん、上手でしたね。音楽のレベルはとても高かったです。
― 講習会のスケジュールを教えてください。
佐藤 朝の9時から始まって、夕方の5時までのスケジュールですが、だいたい5時半くらいまででした。間に1時間くらいお昼の休憩がある程度で、あとはずっと講習です。実技のレッスンだけでなく講義もあったのですが、それも含めて本当にみっちりでした(笑)。
― 講義はどんな授業でしたか?
佐藤 音楽理論と聴音(ヒアリング)、ジャズの歴史、それから楽曲分析の授業がありました。理論の授業では、コードや音階のことを学びます。ドラムでもそういうことは知っておいた方がいいので、ためになりました。楽曲分析ではある曲を聞いて、その曲の構成、リズム、進行がどういうものかを分析していきます。
― 何語でやりとりされているんですか?
佐藤 基本的にはイタリア語ですが、実技のレッスンのときは僕が分からないと、先生が英語で言い直してくれました。理論の授業のときは、いちいち先生が言い直していると時間がかかってしまうので、英語が堪能な生徒さんを紹介してくれて、その人が英語で教えてくれました。僕はそんなに理論は詳しくないのですが、自分の持っている音楽のボキャボラリーで考えていけば、理解することができました。
― 参加を決めてから、事前に語学の勉強はされたんですか?
佐藤 英語はもちろん、イタリア語も音楽用語などはそれなりに勉強していきました。結果的にそれはすごく役に立ちました。おもしろいもので、耳が慣れてくると、音楽用語であれば、イタリア語でも大まかにわかるようになってくるんです。
― すると、言葉にはほとんど困らなかったですか?
佐藤 いや、困りましたね(笑)。勉強もしていたし、なんとかなるだろうと思っていたんですが、いざとなると、緊張してしまって聞き取れないこともありました。指示を間違えて受け止めて演奏してしまったこともありました。それから、受け身の姿勢ではなくて、「こう表現したいんだけどどう演奏したらいいのか」とか、もっとこちら側からアプローチできる語学力があればよかったなと思いました。
― では自分から質問されることはあまりなかったのですか?
佐藤 そうですね。そこが悔やまれますね。あとから冷静になれば、英語でこう言えばよかったな、とは思うのですが、なかなかその場では言葉が出てこなかったです(笑)。
― 日本人は参加していましたか?
佐藤 いえ、僕1人でした。ほとんどがイタリア人で、あとは何人か他のヨーロッパの国から来ていました。ある程度予想はしていたのですが、まさか本当に一人とは…(笑)。そういう意味では、すごく目立ちましたね。最初の説明会に行ったときも、視線を感じました(笑)。
― 講習会中は、個人練習はどのくらいされたのですか?
佐藤 実質、やる時間がなかったですね。ファイナルコンサートというのがあって、選抜のメンバーでビックバンドを結成したのですが、そのメンバーに選ばれたんです。それで、その練習が講習のあと、夜の7時くらいまであって、個人の練習をする時間はなかなか取れませんでした。
― 選抜メンバーに選ばれたんですね。すごいですね。
佐藤 クラス分けの選抜試験のときに同時に見ていたらしく、ラッキーなことに先生が推薦してくれたようです。
― 選抜メンバーとの練習はどうでしたか?
佐藤 最初の練習のときに1人ずつソロを回していって、最後に僕もドラムソロをしたんですが、ソロが終わったあとにみんなが「お前、いいじゃん」って拍手してくれたんです。それですごく楽になりましたね。これなら楽しくやっていけそうだなと思いました。
― そのバンドの練習も事前に個人練習はしなかったんですか?
佐藤 そうですね。譜面だけ見ておいて、あとは全体の練習のときにその場で演奏しました。ただ、昼休みを削って(笑)、生徒同士で他の楽器と組んでセッションしていました。
― セッションをする部屋は用意されていたのですか?
佐藤 昼休みなので、開いている部屋を使いました。あとは、もともと使われていない部屋も事前に予約すれば使うことができました。
― イタリアの事務局はどうでしたか?
佐藤 中には適当な人もいましたが(笑)、けっこう親切にしてもらったと思います。根本的なシステムが日本と違うので、戸惑うことも多かったんですが、優しく教えてくれました。
― 宿泊先はどうでしたか?
佐藤 シエナにある大学の寮に泊まりました。二人部屋でした。講習会に参加した人は、けっこうバラバラに振り分けられていたようで、大学の寮に限らず、中にはホテルの人もいました。
― 宿泊先と講習会の会場は近かったのですか?
佐藤 僕の宿泊先はけっこう距離があって、歩くと40分くらいかかるところでした。朝はバスがあるので利用していました。
― 帰りは歩いていたのですか?
佐藤 シエナジャズという大きなイベントなので、講習会の会場や特設ステージで、インストラクターの方やイタリアのプロミュージシャンたちがライブをしているんです。練習後にそれを見ていると、帰りが12時半位になってしまうんです(笑)。もちろん、バスは終わっているので、帰りは、歩いて帰っていました。せっかくなので、ライブも観ておきたかったんです。
― 治安はどうでしたか?
佐藤 よかったですね。周囲でも危険な目に遭ったというような話は聞きませんでした。宿泊先までも離れていたので人通りの少ないところもあったんですが、危険そうな感じはありませんでした。小さい街なので、治安はよいと思います。
― 食事はどうされていたのですか?
佐藤 お昼は近くにあったバールでパニーニをつまんで、夜はピザ屋さんで食べる、ということが多かったです。食事はどこのお店もおいしかったですね。
― 海外の人たちとうまくつきあうコツはありますか?
佐藤 イエス・ノーをはっきり言うことですかね。はじめのうちは日本人的な曖昧な返答をしていたのですが、それで相手を怒らせてしまいました。年下の16歳くらいの子に「日本人にはノーという言葉がないのか!」って言われました(笑)。向こうの人たちは、はっきりしていますね。でも、ノーと言っても、失礼にはならないのでイヤならイヤと伝えるのがいいと思います。あとは、こちらから話しかけてコミュニケーションをとっていくのがいいと思います。
― 講習会に参加して良かったと思える瞬間はありましたか?
佐藤 それはやっぱりファイナルコンサートに出られたことですね。シエナにすごく大きな聖堂があるんですが、その前の広場に大きなステージを組んで、そこで演奏したんです。メンバーとは、ずっと一緒に練習していたので、信頼関係ができて、向こうも自分のことを受け入れてくれて、それが伝わってきたんです。そういう瞬間はすごく良かったです。
― 留学して成長したなと感じる部分はありますか?
佐藤 演奏面では、向こうで友達に「もっと楽しもうよ」と言われて、あぁ、楽しむのが大事なんだな、と思いました。その友達は、僕が演奏すると苦しそうに見えるって言うんです。そういえば、日本にいるときから立ち向かうぞという気持ちでいて、楽しむということをあまり意識していなかったことに気づかされました。それから、留学する前はテクニックを身につけたもののどう表現すればいいのか、と行き詰まっていた部分があったのですが、レッスンの中で「どうしたら音楽的な対話ができるのか」という内容も多かったので、とても勉強になりました。「最初にどう表現したいかを考えなさい」と言われたのが印象に残っています。
― 音楽以外のところではいかがですか?
佐藤 何でも自分でなんとかしないとどうにもならないんだということを痛感しました。 例えば、講習会中も、若い人でも自分で様々な手配をやっているわけです。日本だと、手取り足取りという感じですよね。
― そのあたりが日本とイタリアの違いでしょうか?
佐藤 そうですね。自己責任の部分が強いと思います。講習会をどう消化していけばいいのかという基本的な部分ですら教えてくれないんです。本来は講習会の中でいろいろなことが出来るはずなんですが、こちらから聞かないと分からないままです。例えば、資料を借りられるということは、聞いてみてはじめて、出来ると知りました。講習会を最大限に利用しようと思ったら、そういう自ら働きかけていく姿勢が大事になってくると思います。
― 留学前にしっかりと準備したほうがいいことを教えてください。
佐藤 語学です。語学を学んでおけば、理解の仕方がちがってくると思いますよ。確かに言葉がなくても通じ合える部分はあるのですが、やはり講習会なので、深く質問していこうと思ったら、語学を学んで行くことが必要です。
― 今後留学する人にアドバイスをお願いします。
佐藤 シエナに行きたい人は、イタリアに興味がある人だと思うんですが、今の時代、日本でもアメリカでもイタリアでも同じ情報はシェアできますよね。そんな中、どうしてイタリアまで行きたいのかをはっきりさせてから行った方がいいと思います。「どうしてイタリアまで来たの?」とイタリア人に言われるくらいですから(笑)。これは、他の国でもそうだと思うのですが、自分の意思をはっきり伝えれば、向こうも受け入れてくれると思います。
― 最後に今後の活動予定を教えてください。
佐藤 横浜・横須賀のジャズクラブを中心に、複数のグループでライブ活動しています。
― ビックバンドはもうやらないのですか?
佐藤 機会があれば、今回の経験を活かして、ビックバンドもやってみたいな、と思っています。
― 実現したらぜひ教えてください。楽しみにしています。ありがとうございました。
佐藤さんの近況は以下のホームページで!
http://www.geocities.jp/pacifico_sato/
音楽留学アンドビジョン【締切間近!講習会特集&ヨーロッパ留学 vol.330. 2014-11-25 04:00:00】
吉原未穂さん/ピアノ/モーツァルテウム音楽大学夏期国際音楽アカデミー/オーストリア・ザルツブルグ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

吉原未穂さんプロフィール
東京学芸大学G類芸術文化課程音楽科ピアノ専攻卒業。同大学大学院修士課程教育学研究科ピアノ専攻修了。修了時に、「特に優れた業績を挙げた奨学生」に認定され奨学金を授与される。大学院修了演奏会に出演。第7回日本ピアノ教育連盟オーディション入賞者演奏会出演、第45回・第46回全日本学生音楽コンクール東京大会入選。2008年日本シューマン協会設立35周年記念「ローベルト・シューマン音楽コンクール」ピアノ部門第2位(優秀賞)。2009年ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学国際サマーアカデミーにてフランク・ウィバウト氏に師事。同講習会で、選抜者演奏会(アカデミーコンサート)、修了演奏会出演し、ディプロムを取得。
-まずはじめに、吉原さんの簡単なご経歴を教えてください。
吉原 東京学芸大学芸術文化課程ピアノ専攻を卒業後、同大学院修士課程を修了しました。
-今までに、海外の講習会に参加された事はありましたか?
吉原 いえ、今回が初めてです。
-今回、モーツァルテウムの講習会に参加してみようと思ったきっかけを教えてください。
吉原 フランク先生が日本にいらした時、マスタークラスを受講したのですが、とても素晴らしいレッスンを受けさせていただくことが出来たので。
-フランク・ヴィバウト先生とは、どうやって出会ったのですか?
吉原 鎌倉で、先生のマスタークラスを受講させていただいた事がきっかけです。
-日本で一度、レッスンを受けられたとのことですが、海外で講習会に参加されてみて、違いはありましたか?
吉原 ザルツブルクという自然に恵まれた素晴らしいモーツァルテウムの環境でしたので、いつも以上に音楽へ対して真剣に向き合うことができたと思います。

-今回の講習会は、だいたいどのくらいの人数が参加されていましたか?
吉原 ピアノだけではなく声楽や他の楽器の方もいらっしゃいますので、全体としては何千人という単位でしょうか。私が受けたクラスは15人でした。
-この講習会では初日にオーディションがあると思うのですが、15人中合格されたのは何人ですか?
吉原 先生のクラスは、今年は全員合格したようです。
-オーディションの様子はどんな感じでしたか?
吉原 先生のお部屋の前に全員集合して、呼ばれた人から一人ずつ中に入り、面接を受けつつ曲を弾くという形でした。
-オーディションは、どのくらいの時間でしたか?
吉原 人によっては、2曲弾いていた方もいらっしゃいましたが、だいたい1人10分程度でしょうか。
-1曲全部弾くという形ですか?
吉原 はい。先生から何を弾くか聞かれまして、その曲を最後まで弾かせていただきました。
-緊張しましたか?
吉原 そうですね。でも、先生が笑顔で迎えてくださったので、思っていたよりは、リラックスできました。
-オーディション合格後、レッスンのスケジュールはどんな感じでしたか?
吉原 まずオーディションが終了した直後に、レッスンスケジュールが貼りだされました。私は1番目だったので、心の準備も出来ないまま、オーディションが終了して1時間後にすぐレッスン開始でした(笑)。これが月曜日で、火曜日にアシスタントの先生のレッスンが入り、水曜日にもう一度先生のレッスンを受けました。そのときに、アカデミーコンサートに出てみないか、とお声をかけていただいたんです。そして、アカデミーコンサートのため、金曜日に特別レッスンを入れていただきました。
-では1週目から、先生のレッスンが3回もあったんですか!お忙しいスケジュールだったんですね。
吉原 そうですね。1週目でアシスタントの先生のレッスン1回も含めて計4回もあったので(笑)。次の週の月曜日が、アカデミーコンサートだったので、その午前中にも先生がレッスンをしてくださいました。そして、1日置いて水曜日にももう一回。
-レベルに応じて、アシスタントの先生のレッスンのほうが多くなることもあるんですか?
吉原 たぶんそうなると思います。
-レッスンの内容は、どんな感じでしたか?
吉原 先生が、今日は何をもってきたの?と聞いてくださるので、今日はこれですと、用意していった曲を1曲ずつ見ていただく形でした。だいたい、1回のレッスンで1曲1時間です。ソナタのときは半分ずつに分けて、今日は1楽章と2楽章を、という感じでしたね。
-レッスンの雰囲気はいかがでしたか?
吉原 先生は穏やかで、温かいアドヴァイスをくださいます。豊かなイマジネーションをお持ちの先生ですので、「こんな弾き方もあるよ」と、たくさん提案していただいた感じですね。その中から自分に合うものを取り入れていくという形でした。

-ピアノの弾き方など、基礎なことで指導を受けられたことはありましたか?
吉原 とにかく、「脱力」のことをおっしゃっていました。音楽に沿った体の使い方をしなさいということですね。音のイメージに合った響きを出すために、こういう体の使い方をしてみたら、とか。
-なるほど。先生は、どんな方ですか?
吉原 穏やかで温かく、すごく優しい方です。生徒想いの先生で、アカデミーコンサートに生徒が出る時には、必ず聴きにきてくださりアドヴァイスをくださいました。
-素敵な先生だったんですね。クラスは、どの国の方が多かったですか?
吉原 日本人は5人ですね。その中にはロンドンで先生に習っていらっしゃる方もいました。あとは、アシスタントの先生がスペインの方でしたので、スペイン人がすごく多かったです。
-スペイン人の方のレッスンは聴講はされましたか?
吉原 はい、皆すごく熱心でしっかり準備されていました。
-外国の方の演奏を聴くことは、刺激になりましたか?
吉原 はい、皆それぞれ素晴らしい個性を持っているので、それが音楽として伝わってきまして大変勉強になりました。
-先生のレッスンは、何語で受けられたんですか?
吉原 英語です。
-期間中は、皆さんどこで練習されるのですが?
吉原 モーツァルテウムの練習室を予約して使っていました。
-練習室は何室くらいあるんですか?
吉原 正確な数はわかりませんが、新校舎、旧校舎と、それ以外の場所にもそれぞれ練習室がありました。
-かなりたくさんあったんですね。では、予約が全く取れないということはなかったんですか?
吉原 それはなかったのですが、常に誰かが使っている状態でしたね。
-吉原さんは、1日どのくらい練習されましたか?
吉原 わたしは4時間確保しました。うまく調整して、レッスンの時間と重ならないように使っていました。
-練習時間は確保できたんですね。レッスン以外の時間は主に何をされましたか?
吉原 主に聴講ですね。
-ピアノ以外にも聴講されたりしましたか?
吉原 いえ、ピアノ以外は残念ながらできませんでした。自分の先生のレッスンの聴講がほとんどでした。ただ、他の先生のクラスの修了コンサートを聴きに行くことはできました。また、アカデミーコンサートも、何日か聴きに行きました。

-他には何をして過ごされましたか?
吉原 近隣の観光を少ししました。旧市街にお買い物に行ったり、学校のすぐ裏がミラベル庭園だったので、お昼ご飯を持って、ベンチに座って食べたり・・・。とにかく環境がすごく良かったですね。
-治安はどうでしたか?
吉原 悪くないと思います。怖い思いをしたことは、一度もありませんでした。
-街の人たちは、英語で話しても大丈夫でしたか?
吉原 はい。どこのお店に行っても大丈夫でした。日常生活で、困ることはほとんどなかったです。
-現地の食べ物はいかがでしたか?
吉原 基本的においしかったです。あと、スーパーでも何でも買えますし、マックも便利でした。
-マクドナルドですか。日本のものと味は違うのですか?
吉原 サイズが大きかったですね。でも、意外とリーズナブルに食べられたので良かったですよ。練習で遅く帰ってきたときには、スーパーが閉まっていることもあったので、便利でした。
-スーパーが早く閉まるということを、他の方からもよく聞きますが、実際いかがでしたか?
吉原 詳しくは分かりませんが、8時には完璧に閉まっていたと思います。
-日本とは違いますよね。生活面で何かびっくりしたことはありますか?
吉原 特にびっくりしたことはなかったですね。バスなども、遅れるものだと覚悟していたんですが、意外とちゃんと時間通りに来てくれましたし。
-では、日本人にとって住みやすい所なのかもしれませんね。
吉原 ええ、私にとっては、とても居心地がよかったです。
-宿泊先は、どういうところだったんですか?
吉原 わたしは学生寮に滞在していました。
-寮の中は、どんな雰囲気でしたか?
吉原 練習室もついていますから、モーツァルテウムに参加している生徒さんで、あふれているという感じでした。いろいろな国の方がたくさんいて、にぎやかでしたよ。
-お部屋はシングルルームですか?
吉原 はい、一人部屋で、お風呂もちゃんとお部屋の中にありました。驚いたのは、廊下をはさんで部屋のすぐ向かい側に、キッチンも一人ずつ完備されていたことです。まさに、ロッカーのような感じですね。ロッカーを開けると、冷蔵庫とコンロが出てくるという感じです。好きな時間に気兼ねなく料理が出来るので、とても便利だと思いました。

-それは便利ですね!では、ずっと自炊されていたんですか?
吉原 はい、少し・・・(笑)。なかなか忙しくて・・・。
-他の方とご飯を食べに行ったりはされましたか?
吉原 ええ、同じクラスの生徒全員で、先生と一緒にご飯を食べに行ったりもしました。
-他の国の方とも交流する機会があったと思うんですが、日本人以外の方とお友達になったりしましたか?
吉原 そうですね、話す機会はありました。同じクラスのスペイン人の子達と、英語でお話したりしました。
-外国の方と接してみていかがでしたか?
吉原 やはり、同じ目的を持って集まってきているので、親しくできました。でも、自分の英語力が不足していたと痛感しました・・・。
-語学力の必要性を感じた、ということですね。
吉原 はい、すごく感じました。勉強しよう!というきっかけになりました。
-頑張ってください!海外の方とコミュニケーションをとるにあたって、うまく付き合うコツなどはありますか?
吉原 やはり恥ずかしがらずに、自分から話しかけていくことでしょうか。
-他の国の方は、どんどん話しかけてこられましたか?
吉原 ええ。みんな温かい人たちで、良く話しかけてくれました。でも、何せ私が英語が少ししかできないので、うまく返せなかったりして・・・。もっと話したかったな、と思います。
-年齢層としては、若い方が多かったんですか?
吉原 そうですね。やはり大学生が多かったです。下は18歳くらいからですね。
-期間中は何か困ったことはありましたか?
吉原 特になかったんですが、一度熱を出してしまって・・・。2週目のアカデミーコンサートが終わった後、ホッとして気が緩んだのか、体調を崩してしまいました。その日が、ちょうどクラスの修了コンサートの日だったんです。でも、日本から持っていった薬を飲んで、いったん部屋に帰り横になっていたら、良くなりましたけど。やはり、薬は持っていってよかったな、と思いました。
-大事にいたらなくて良かったですね。
吉原 はい。海外で一人だと、いろいろ不安になりますからね。意外とハードな2週間でしたし(笑)。

-アカデミーコンサートに出演された感想は?
吉原 コンサート会場が、旧モーツァルテウムの校舎の中にある、「ヴィエナ・ザール」というホールでした。ここは、白が基調で金色で装飾されている、いかにもヨーロッパの宮殿という感じの、とても素敵なホールで、とても感動しました。そして、皆さんが本当に上手でしたし、すごく勉強になりました。
-クラスから何人くらい選抜されるのですか?
吉原 クラスによって全然違うんです。私のクラスは5人くらい選出されました。アカデミーコンサート総出演者数はピアノだけで20人くらいでしょうか。コンサートは、数回開かれました。たとえば1日目はピアノは何人、バイオリンは何人というようにプログラムされていました。私が出演した日は、ピアノばかりの日でしたけど。
-他の方の演奏を聞いて、どんなことをお感じになられましたか?
吉原 やはり皆さん、きちんと準備して来られているな、ということを感じました。皆さんすごく熱心でしたし、自分に合った先生をきちんと選ばれていましたね。
-やはり先生との相性は大事なんですね。
吉原 はい。2週間、その先生とのレッスンがメインになりますので、相性は本当に大事だと思います。
-吉原さんは、良い先生と出会えてよかったですね。今後、ヴィバウト先生に師事されたいという、ご希望はありますか?
吉原 そうですね。また先生の日本でのマスタークラスを受講させていただきたいです。またモーツァルテウムにも参加できたら、と思っています。
-今回初めて参加されてみて、ご自分が一番変わったと思うことは、どんなことですか?
吉原 まず、私は、日本では知らない人にはあまり積極的に話しかけたりしないタイプですが、いろんな人に話しかけるようになりました。やはり、わからないことが多いので、自然と積極的にならざるを得ませんよね。
-音楽面だけでなく人間的にということですね。
吉原 やはり、黙っていても何も進まないので、自分から、とにかく動かなきゃという感じになりました。
-なるほど。音楽面ではいかがですか?
吉原 自分の目指していく音楽の方向性が定まったということが大きいですね。あと、他の生徒さんが演奏していた曲を聴いて、自分もこの曲をレパートリーにしたいと思ったり、こういう演奏の仕方いいなって思ったりして、新たな目標もできました。

-今後、海外でレッスンを受けてみたいと希望されている方々に、準備しておいたほうがいいことや、アドバイスがあればお願いします。
吉原 まずは、しっかり語学の勉強をしておいたほうがよいです。あとは、事前につきたい先生の情報を、出来る限り集めておくことが必要です。音楽観が合わないと困るので、前の年に行かれた人がいたら、その方からお話を聞いて情報収集をしておくべきですね。どんな曲を持っていったらいいかなど、そこまで調べられたら、安心してレッスンを受けられると思います。
-では、生活面で、これは持っていったほうがいい!というお勧めグッズは?
吉原 やっぱり薬ですね。あと、簡単に食べられるレトルト食品や加工食品もあると便利です。私は一応、ある程度は日本から持って行ってたんですよ、いざというときのために。体調を崩して外に出られないときとか、レトルトものなどがあると安心でしたよ。あと、スーパーが早く閉まってしまって、何も買えなかったときなどに便利だと思います。
-周りにお店はありましたか?
吉原 寮の近くにはスーパーがありましたし、学校の近くにはパン屋さんがありました。あと、学校の中にも学食があるので、食べるのに困るということはありませんでした。
-では、最後になりますけど、吉原さんの今後の音楽活動の目標をお聞かせください。
吉原 やはり、たくさんレパートリーを増やして、演奏会などをしていけたらいいなと思います。実は、来年リサイタルをやるんです。今回教えていただいた曲を中心に、プログラムを組んで演奏していこうと思っています。今回の経験を生徒の指導にも生かせていかれたらと思っています。
-素敵ですね!ご活躍をお祈りしております。今日は本当にありがとうございました!
---------------------------------------------------------------------
今後のコンサート予定
2010年5月4日 千葉市美浜文化ホール・音楽ホールにて「吉原未穂ピアノリサイタル」
日本シューマン協会(ムジーク・ミルテ)主催を開催予定。
プログラム: シューマン 「森の情景」
シューマン ピアノソナタ第1番
シマノフスキ「マスク」よりドン・ファンのセレナード
ドビュッシー 前奏曲集第2集より 「花火」 他