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渡辺俊介さん/ジャズギター/ニューヨーク市立大学シティカレッジ/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学アンドビジョン【GWも営業中!カウンセリングのチャンスです☆ vol.359. 2015-04-28 04:00:00】
小野麻衣子さん/ジャズドラム/ニュースクール大学/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

今回はニューヨークのニュースクール大学、Jazz & Contemporary Music科にてジャズドラムのお勉強中の小野麻衣子さんにお話を伺いました。小野さんは日本でもライブ活動を行うなど、日本でも活躍中の彼女のニューヨーク生活は一体どんなものでしょう?
ー 改めて、まず簡単なご自身の紹介と、現在の学歴を教えてください。
出身は大分県大分市で、一人っ子です。熊本の大学を出た後、実家のジャズ喫茶を手伝いながら音楽活動をしていました。現在マンハッタンにあるニュースクール大学Jazz & Contemporary Music科にて勉強中です。
ー 今は、ニューヨークは何年目になりますか?
2004年1月に渡米したので、1年半になります。
ー 日本では何をなさっていましたか?
日本では実家のジャズ喫茶を手伝いながら音楽活動を行っていました。
ー 留学する前までの音楽の経験は何歳からなさっていましたか?
大学のビッグバンドに入部し、ドラムを始めました。父がドラマーであるため、小さい時から遊びでたたいていましたが本格的に始めたのは大学に入ってからです。
ー 留学したきっかけというのはなにかありますか?
友達のギターリストが渡米したのをきっかけに、私もニューヨークで勉強したいと思うようになりました。
ー どうして音楽を選んだのですか?お家の影響ですか?
そうですね。ジャズ好きの父の影響で小学生の時からジャズを聴くようになりました。いろんなライブハウスへ連れてってくれたのも父です。とても感謝してます。
ー 学校はどうやって選びましたか?

ニュースクール大学はジャズを勉強する場所としてとても有名な学校なので前々から興味を持っていました。旅行でニューヨークに初めて来た時に友達になったドラマーがニュースクール大学に入ろうとしていたところでしたので、彼からいろいろと話を聞いてますます入学したいと思うようになり、それがきっかけでニュースクール大学入学の準備を始めました。
ー 学校はどのような試験・出願書類が必要でしたか?オーディションはありましたか?
2003年の9月から3ヶ月間ニューヨークに滞在し、その間にオーディションを受けました。願書手続きもすべてニューヨークにて行いました。父から銀行の残高証明書をファックスで送ってもらい、大学の成績証明書も日本から送ってもらいました。あとは自己アピールのエッセイを制作して学校に提出しました。
ー エッセイの書き方のコツはありますか?
エッセイの書き方のコツは、とにかく自分の良い所をアピールすることです。日本人の性格からして、恥ずかしいと思いがちですがそれは間違いです。自分の良い所を自分で理解する事が大事ですし、それをアピールしていかなければ意味がありません。「謙遜」という文字はアメリカには無いのではないでしょうか。
ー TOEFL対策はどのようにしましたか?日本での英語勉強法は?
特に勉強していません。少しだけ語学学校に通ってただけです。
TOFELは受けていません。入学前に一ヶ月間ニュースクール大学の英語科で勉強することによってTOFELは免除されました。
ー 留学するまでにどのくらい前から準備しましたか?
本格的に準備しはじめたのは4ヶ月前です。
ー 出発前に不安に思っていたことは何かありますか?
英語が喋れるかどうか不安でした。
ー 実際は留学当時の語学はいかがでしたか?
留学してすぐは全くと言っていい程、喋れませんでした。
ー ニューヨークを選んだ理由というのはありますか?
やはり、素晴らしいジャズミュージシャンが生活して活躍している街だからです。
ー 学費はどのように捻出しましたか?学費の支払い方は?
父にサポートしてもらってます。
ー ニュースクール大学はどんな雰囲気ですか?ニュースクール大学ならではの特徴ってありますか?
そんなに人数は多くないので、生徒も先生もみんな家族みたいに仲が良いです。とても雰囲気が良いと思います。
ー 人種はどんな人たちが多いですか?

アメリカ人65%、イスラエル人15%、韓国人8%、日本人7%、ヨーロッパ人5%くらいでしょうか。
ー 日本人はどのくらいいますか?
15人くらいいます。
ー ジャズドラムをやっている人はどのくらいいますか?女性はめずらいしいですよね?なぜドラムをえらばれました?
ドラマーは学校に現在30人くらいいます。女性は私の他にもう一人です。ドラムは父の影響だと思います。
ー 日本と留学先では何が大きく違うと感じましたか?
他人が何をしていても気にしないところが好きです。日本だと、流行ったら誰もがそれを身につけ、携帯する。こちらにはそういった慣習がないように思われます。自分が好きなものを身につけ、好きなものを食べて、好きなものを聴いているような気がします。楽でいいですね。みんなが肩肘はらずに自分をアピールしながら生きているような気がします。
ー 専門用語はどのように勉強しましたか?
音楽の専門用語は学校で学びました。
ー 学校の授業はどのような感じですか?
音楽の理論やジャズの歴史、アンサンブル、ドラムのテクニック的なものの勉強などいろいろです。
ー 学校の音楽の実技レッスンはどんなことをしますか?
アンサンブルの授業で先生が持って来た譜面を見ながら演奏したり、生徒が持って来たオリジナルの曲を演奏したりしてます。演奏のあとに先生がコメントをしていくといった感じです。
ー 先生はどうやって見つけるのですか?
一応先生のリストがありますが、ニューヨークに住んでいるミュージシャンなら誰でも選べます.学校側からミュージシャンにコンタクトを取ってくれるのでとても安心です。
ー 先生の教え方はどんな感じですか?どのように教えてくれますか?
先生によっていろいろですが、私のプライベートレッスンの先生は私の質問に丁寧に答えてくれます。また、レッスンの後に教えてくれたことをすべてノートに書きうつしてくれるので安心です。
ー 練習はどのようにしていますか?
学校の練習室で練習してます。教則本をみながらの基礎練習が主です。たまに友達のサックスプレイヤーやベースプレイヤーを呼んで、練習室でセッションしてます。おウチでも昼間であれば練習できますので、たまにやってます。
ー 学外でのセッション、コンサートなどは行われますか?
毎日のようにあちらこちらでセッションをやっています。
ー 音楽のレッスンで苦労することはなんですか?
はじめは英語が理解できず大変でした。
ー 1日の大体のスケジュールはどんな感じですか?
朝から夜遅くまで学校に居ます。授業の合間に練習をするといった感じです。
ー 音楽業界へのツテってできますか?
私は日本のミュージシャンの知り合いがたくさんいますのでツテはあるほうだと思います。
ー 学習態度に関しては、日本とどう違いますか?例えばどのような点が?
お菓子をたべながら授業を受けても、寝転がって授業をうけても誰も何もきにしないのが面白いとおもいました。先生もコーヒー飲みながら教えてます。でも決して不真面目というわけではありません。みんな積極的に質問し、先生が間違っていると思ったら積極的に指摘してます。はじめはびっくりしましたが、そうでなければいけないのだろうなと思いました。
ー 授業以外はどのように過ごされていますか?
ライブを聴きに行ったり、映画を見に行ったり美術館に行ったりしてます。最近はお料理にもはまってて、料理本をみながらクッキングしてます。テキサス料理を勉強中。
ー 日本人以外の人たちと交流はありますか?付き合うコツなどはありますか?
アメリカ人や韓国人のお友達はたくさん居ます。とにかく自分の英語の下手なのを忘れて、話す努力をすることだと思います。
ー 宿泊はどのようにしていますか?
2ベッドルームの一部屋を借りてます。
ー 1週間の生活費はどのくらいですか?
$100くらいでしょうか。
ー 1日の平均勉強時間は?
3〜5時間ぐらいですね。
ー 現在の語学レベルは?
普通の会話なら困らず喋ってます。映画などの理解は、いまだに難しいです。
ー 留学先で苦労したことは?
勉強面ではとにかく英語です。生活面では困ったことはありません。
ー 留学して自分が変わったというところはありますか?
特に変わっていないと思います。
ー 実際のところ、治安はどうですか?
場所にも寄りますが、良い方なのではないでしょうか?
ー これから留学する人にアドバイスしておきたいことは?
日本のように学校側の管理がきちんとしていません。書類を送るといって忘れていたり、送った書類をなくされたり等々。信用してばかりいると手遅れになる事が度々起こります。早めの行動を!!!
ー 留学してよかったと思える瞬間は?
素晴らしいミュージシャンに、素晴らしい友達に出会えた事。
ー 今後はどのような進路を考えていますか?
学校卒業後もニューヨークを起点に音楽活動ができたら幸せです。
ー 今後も夢が実現するように頑張って下さい。今日はありがとうございました。
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東かおるさん/ジャズボーカル/ニューヨーク市立大学シティカレッジ/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

今回はアメリカニューヨークにあるニューヨーク市立大学シティカレッジ校にてジャズボーカルをお勉強中の東かおるさん(本名:川東郁さん)にお話を伺いました。大阪でも定期的にライブ活動を行う彼女がニューヨークで得たものとは?
− ご自身の簡単なプロフィールをご紹介いただけますか?
えっと、日本では理論とかは自己流で、短大のときからプロについてレッスンを受け始めました。そこの先生に本気でやりたいなら、一刻でも早くニューヨークに行くようにといわれて、それで留学をしようと思ったんですが、資金の面もあり、6年間日本のジャズバーで、ウェイトレス兼シンガーとして働いて、貯金しました。現場で生演奏できる環境で、ボイストレーナーにもついていました。あとはクラシックの基礎知識もつけようと、そういった学校でも習いましたね。
− 短大に行かれるまでは、音楽のご経験はなかったのですか?
3歳から10年間ピアノはやっていました。高校のときに歌手になりたいと思って、タレントの養成所で基礎の勉強をしました。音楽をいろいろ聴くようになって、ジャズにたどり着いた感じです。
− 歌手になりたい、というきっかけはありますか?
何か自分の気持ちを伝えたいというのがあって、あまり自分はしゃべるほうではないので、演奏とか歌を歌って、表現したいというのがありました。あとは、父が英語の教師で、英語のリズムに昔からなじんでいて、洋楽を聴くようになって、というのが大きいと思います。
− ジャズに関わってからは何年ぐらいですか?
19からレッスンを受け始めているので、8年になります。
− 現在はシティカレッジの何年生ですか?
学部の2年生にあたります。あと2年ありますけど、資金面が大変ですね(笑)とにかく近い将来の目標というのは、卒業するってことです。その後は1年間Practical Training Visaが出るので、ニューヨークにいながら、どこを活動の拠点とするか考えて生きたいと思います。
− ライブ活動を結構なさっていますよね?
毎年1回は日本でライブをしています。卒業後も年1、2回は日本でもやりたいし、ニューヨークか日本、どちらを拠点にするかというのはまだ考えていないですね。
− 学費についてですが、どのように準備しましたか?
6年間働いて貯めて、4年分の学費と1年分の生活費程度は準備できました。生活費に関しては苦しいですよ。アパートをシェアしたり、親にも工面してもらったりしながらやっています。
− 学校生活についてですが、やはりアメリカの大学はかなり宿題が多いですか?

そうですね、かなり多いです。編入なので、22単位は短大から移行できたのですが、あと100単位近くはこっちで取らないといけないですね。音楽学部の宿題は多いし、練習をしないといけないのがほとんどなので、学校が終わってから練習したり、学校の練習室でみんなでやったりしています。ボーカルのクラスは 1,2個で、後は理論中心なので、ピアノを触りつつ、頭で練習という感じです。
− 一般教養に関してはいかがですか?
専門外のことをやるので本当に大変です。今サマークラスで数学を取っているのですが、日本とやり方も違うし、テストとかちんぷんかんぷんで。大学レベルの数学で、分析みたいなこともしないといけないし、英語がずらずらと黒板に書いてあるので、国語みたい?な感じですね。語学力がもっとあれば、と思います。
− TOEFLはどのようにお勉強なさいましたか?
1 年半費やして勉強しました。ほんと思い出したくないぐらい悲惨な1年半でしたね。ライブの仕事もしつつ、学校にも通ったんですが、点数は入学基準ぎりぎりぐらいでしたね。そのときはとにかく基準値に達していればいいや、と思っていたんですが、あの時やっておけばいま苦労しなかったのに、って思います。
− 語学で苦労なさることありますか?
やっぱりさっきの数学とかでも一瞬のうちに言ってることを理解して、受け答えする、というのが難しい。音楽の面でも表面的にしか意味が理解できていないと、表現に厚みが出ませんし。大量に宿題があると、飛ばし読みして、大切なところだけ追っていくんですけど、短い文の中でも内容がぎっしりだと、どう深く問われているのかがわからなくなっちゃうんですよ。消化した上で、一呼吸おいてから答えを出すことならできるんですけど、キャッチボールのようには出てこないという感じです。1年経ってやっと慣れてきたところですね。私は語学学校とか一切行かなかったので。
− アメリカ入りして、すぐに大学の授業だったんですか?
そうなんです。だからクラスメイトとランチを食べに行っても話すスピードについていけず、答えようとしたらもう次の話題になっちゃっている、って言うような感じで、「かおるはなんて静かな子なんだ」って思われてましたね。
− 着いてすぐに学校だと、宿泊先探すのとか大変だったんではないですか?
宿泊先は、その前に観光ビザで3ヶ月滞在している間に見つけました。インターネットで見つけて、抑えておいたんです。インターネットとか、口コミとか、新聞なんかで物件自体はわりと見つかると思うんですが、ルームメイトの問題だとか、考えても見なかったようなことが起こるんで、なかなか気に入ったところを見つけるのは大変だと思います。
− もうすでに2、3回お引越しなさってるんでしたっけ?
そうですね。周りを見ていてもそのぐらいはしていますよね。それだけのエネルギーは蓄えておいたほうが良いと思います。(笑)
− いろいろと大変ですよね。ところで、学校ですが、どのように選ばれたんですか?
18 歳のときに歌の先生にニューヨークへ行った方がいい、と言われたときには、大学に行くつもりはなかったんです。最初は語学学校に行ければいいかなと思っていたんですが、シンガーの人に行くなら語学よりも、今からTOEFLの勉強だけやって、大学行った方がいい、ってアドバイスを受けて、その人もシティカレッジ卒業していたので。あと親友がちょうどシティカレッジに入って、「すごいいいよ」って聞いて、ここに決めたって感じですね。自分一人ではとてもじゃないけど、検索とかしてもCity Collgeにはたどり着けなかっただろうなと思います。
− 学校には満足してらっしゃいますか?
そうですね、もうちょっとボーカル系のクラスを作って欲しいと思いますけど、理論をやらないことには先に進めないので、楽器向けのカリキュラムもシンガーには難しいんですが、やっています。理論がシンガーにとってどれだけ必要なのか?って言われるとどうだろう?とも思うんですが、ジャズをやる上では、とてもいい学校だと思います。
− 先生はどのように見つけてらっしゃいますか?
ジャズのワークショップがあったり、公開レッスンに行ったりしています。個人レッスンも交渉したり、知り合いからの紹介や、お誘いで行きますかね。ほとんどが口コミなんですが、ホームページにもレッスンのお知らせがあったり、大学に来ている先生のプライベートレッスンを受けたりという感じですね。後は、別の学校のプライベートレッスンで、クラシックの声楽を勉強しています。
− クラシックとジャズ、どうして両方なさっているのですか?
まずボーカリストとしては、基本は発声になるんですね。ジャズとクラシックは別って言いますけど、ジャズであろうと、クラシックだろうと、ポップスだろうと、隔たりなく発声というのが基本なんです。どんな音楽も基本はクラシックからなので、クラシックをやっていると、音のクオリティといういのを求められるので、ちゃんと音が出ないと格好がつかない。まずクラシックの曲で発声をやって、声が出てきたらジャズを消化しながらやるというのが日々ですね。一日でも練習してないと忘れちゃっているので、毎日しないとなかなか声をキープしていくのが大変なんですよ。
− 授業はどのような感じで進められますか?
ボーカルは、アンサンブルとコーラスのクラスがあるんですが、みんなで歌う形ですね。ジャズシンガーというクラスはソロです。課題曲があって、練習しつつという形です。
− 先生はどのように教えてくれますか?
シティカレッジでも個人でクラシックボーカルをやっているのですが、その先生は、発声と発音について研究なさっている方で、主に歌よりも、発音を治してもらってます。日本人はまず発音を注意されるんですね。私も完璧に近くした上で歌いたいので、それには注意しています。シンガー向けの発音のクラスがあって、音声学をやるのですが、1つ1つの単語を研究していくので、とても役に立ちました。
− やはり日本人だと「r」や「th」の発音とか言われるんですか?
そればっかりじゃなく、数限りなく注意されますね。私なんかは逆に子供のころからやっていたので、「r」がまき気味で、too muchと注意されました。けどアメリカ人でも歌った後に、この発音が〜とか注意されているし、ヨーロッパ人でもそう。標準が何なのか、ちょっとわからないんですけど、とにかく発音は大変ですね。
− クラスの人数は何人程度ですか?
シンガーのクラスは定員があって、8、9名ですね。他のクラスは20人ぐらいかな。定員のあるクラスは登録をした後にオーディションがあるので、ドキドキものです
− お勉強している上で、日本と違う点ってなにかありますか?
日本で音大に行ったことがないのでわからないんですが、個人レッスンを受けていて思ったのが、日本だと、イタリア語、フランス語の歌はとにかく丁寧に‘発音する’と言うのに重点が置かれますが、アメリカの場合は、英語はもちろん、他の言語の曲でも意味をすごく問われます。一つ一つの意味をわかった上で歌いなさい、って。それは違うなと思いますね。英語の歌でも、より深く、なぜこの単語、この表現がここで出ているのか、わかって歌っているのか?と聞かれます。分からないというと、その場で教えてくれたり、勉強してきなさいといわれたり、まちまちですが、そう考えてみると日本のジャズシンガーというのがどこまで理解して歌っているのかな〜と思いますね。日本にもジャズの研究の本だとかスラングの本はありますけど、実際にこっちに来てみないとわからないことがたくさんあって、日本ではわからない、勉強できない部分がありますよね。それは日々の生活習慣だったり、習しだったりするわけですけど。生活してみて、肌で感じられるというのは大きいですね。
− そこまで理解を深められると、歌も以前とは違った感じになるのではないですか?
そうですね。日本に帰ってきたときに感じますね。ライブをやるとお客さんの反応も変わっていますし、アメリカでの勉強がこういうところで役立っているんだ、と実感できます。
− ニューヨークでもいろいろライブとかなさっていますよね?

今は話があるとお受けしている程度ですね。今年からはもうちょっと余裕が出てくるだろうから、やってみたいとは思っているんですけど。
− ニューヨークのクワイヤにも参加なさっているとか?
学校の先生が指揮をしているので、それのお誘いを受けて毎週1回やっています。
− 学校でのお友達はどんな方が多いですか?
留学生同士が多いですかね。アメリカ人の友達ももちろん多いのですが、シティカレッジはイスラエル人と日本人が多いのかな?助け合いの精神がみんなあってとてもいい雰囲気です。いろいろな国の人同士なので、価値観が違って、変なところで怒らせちゃうと収集が着かなくて大変ですよね。ラテン系はハッピーなときはいいけど、トラブルがあると大変なので、怒らせないようにするとか(笑)。日本人以外は結構時間にルーズだったりするので、そういう点では日本人同士が一番信用できます。
− 1日のスケジュールはどんな感じですか?
学校がばっちりある日は9時から夜の7時までとかですね。平均して、3,4コマ入っているので、だいたい毎日6時間弱ぐらいですね。
− 治安についてハーレムということでしたが、気をつけていることなどありますか?
ハーレムと言えども昼間は全く安全です。でも夜は、公園など人の少ないところまた慣れない場所には絶対に行かないことです。現に友人も襲われました。が、必要以上に怖がらず、でも隙は見せない、ということに気を付けています。
− 生活面や、お勉強の面で苦労したことって特にありますか?
毎日が苦労の連続です。。。いろいろあるんですけど、最近はアパートのガスが止まってしまって、大家にいっても管理人にいっても相手にされなくて、いまだにどうにもなっていないんですよね。泣き寝入りをする羽目になるかも。あとはハーレムに住んでいるんですが、新鮮な野菜が食べれない、とか?大阪出身なので、納豆とは縁遠い生活をしていたんですが、こっちに着てからは食べれるようになっちゃいました。食文化はいろんな国の人が着ているから見ていても面白いですよね。電話とか光熱費とか申し込みをしていても手続がうまくいかなかったりとか、勝手にプランを変更されていたりだとか、いろいろ苦労はあります。ほんと、いかに戦って、信念を曲げないかというのが日々の課題ですね。言われちゃうとそうかな〜って納得しちゃうんですけど、おかしい、と思ったことに関しては、貫き通していかないとダメだと実感しています。1年が過ぎるまではあまり文句とか言わないようにしていたんですが、最近は積極的に何でも言うようにしています。面白いことに、アメリカは自分が発言することによって、新しい道が見えてきたりするので、言った者勝ちというのがありますね。何でも口に出していわないと損です。一番悪いのは、ウダウダ考えて、抑えてしまうことですね。一番損しちゃうので。大学は人数が多いので、事務処理にすごい手間がかかるんですね。ミスとか結構あるので、そんなときは声を大にして、一つ一つ言っていかないといけないですね。
− 自分が留学して成長したと感じる瞬間ってありますか?
小さい問題にあたふたしなくなったというのがありますね。価値観の違うところに住んでいるので、一人一人の考えも違うし、ある程度聞き流しして、対応したりだとか、自分をしかり持っていないと、って言うのがあります。アメリカに来たことによって、自分が日本人だということを強く意識したし、日本人の良さを発見したというのもあります。ただ、良さは持ちつつ、アグレッシブになるところもないと、大変なので、日本人の規則正しいところとか、はんなりしたところ、周り家の気遣いも持っていこうと思うようになりました。
− 留学してよかった点は?
英語の歌やジャズが常に身近にあるというのがとてもいいです。例えば歌詞でMy love とかdarling というのが合って、日本にいるときは使わないじゃないですか。でもアメリカでは友人同士で言い合ったりとか、彼氏彼女の間で使ったりだとか、そういうのを聞くと歌詞の一つ一つの理解度が詳しくなりますよね。こういうときに使うんだとか、分かると常に英語の生活に溶け込んで言ってると思いますね。
あとはニューヨークは世界中から一流といわれるものや人が集まっているので、一流を安く見れたりというのがすごくいいです。友人の友人が有名な人だったりとか、刺激があって、それでまた頑張ろうと思えます。いろんな意味で自分が強くなってるかな〜と思います。道を切り開いていく大変さとかあるけれど、ふと振り返ってみると、一人で頑張ってきたんだ、と達成感、充実感がありますよね。日々の生活はいっぱいいっぱいなんだけど、これだけやったんだなと振り返ったときに達成感とか、良かった、っていう、日本では味わうことができなかった感触があります。勉強も量が半端じゃなくあって、泣きそうになりながらですけど、終わったときの達成感があるし、みんな学生同士助け合ってやっていこうっていう姿勢があってそれも楽しいし頑張ろうっていう気になります。音楽論で分からないことがあったら、わかる人がリーダーシップをとってみんなで課題に取り組んだりだとか、学校生活の醍醐味を感じますね。社会人だと個人個人のことになってくると思うんですけど、学生はもちろん個人は個人なんだけど、助け合いというのがとても良いと思います。とにかく達成感の一言に尽きますよね。
− これから留学を考えている方に一言どうぞ。
学校側との書類上でのトラブル、ビザ関係でのトラブル等、なかなか事が思うように進まず、ストレスを感じることは多々あります。そういう時の為に、時間と心の余裕も持つことです。それから、明確な目標を持つつことです。これさえあれば、どんなに大変な時でも道は見えてくるだろうと私は信じています。
− 今日はありがとうございました。後2年間でまたどれだけ東さんが活躍なさるのかが本当に楽しみです。頑張ってください!
東かおるさんのHPでは、現在の彼女の様子がわかります。是非チェックを!
http://www.kaorumusic.com
音楽留学アンドビジョン【オーストリア特集&説明会のお知らせ vol.355. 2015-04-14 04:00:00】
花岡由裕さん/合唱指揮/マネス音楽院/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

長野県出身。幼少からピアノを始める。国際基督教大学卒業。国際基督教大学在学中よりグリークラブ指揮者。ニューヨーク・マネス音楽院合唱指揮科在学中。
(インタビュー2005年10月)
ー 花岡さんの今までの簡単な経歴をご紹介頂けますか?
花岡 高校までは普通に地元の長野の高校を出て東京の国際基督教大学に進学したんです。その国際基督教大学というのが、いろいろな分野を幅広く勉強するところでした。人文科学学科の音楽学専攻でしたが、パフォーマンスクラスが無く楽典や歴史の勉強をしました。それと共に大学のグリークラブの指揮者を2年間勤めたんですね。それがきっかけになって本格的に音楽の指揮を勉強したくなって留学を目指しまし た。留学の準備を1年くらいしてから挑戦したんですけど、英語力が足りなくてその年は駄目になってしまいました。
ー それはご卒業後に?
花岡 卒業後です。その後、1度実家の長野県に戻りまして、知的障害者授産施設の事務員を1年弱勤めました。その時は音楽だけに興味があったわけではなくて、いろんな事をやってみたいと思っていました。障害者施設でずっと働いていくのも選択肢として考えていましたが、やっぱり音楽をもっと勉強して仕事として音楽をやっていきたいという思いが強くありました。それでその年の12月直前に仕事を辞めてアメリカに来たんです。渡米前に色々と調べたんですが、ニューヨークで合唱指揮を専門にやっている学校が音楽大学だと今僕が通っているマネス音楽院にしかなかったんです。それで様子を見るために訪れて雰囲気が良かったので受験の手続きをしに来たのが12月の頭です。それでオーディションが2月の終わりだったんですね。その間に幸運にもマネス音楽院でエクステンションディビジョンという一般公開している授業をとることができました。そこで必要な授業を受けながら英会話学校に行って、英語力の向上をはかりました。その結果オーディションで合格することができました。
ー 今は何年生ですか?
花岡 今は大学院の1年ですね。僕はちょっと変わった受け方をしたんです。最初は大学の3年に編入という形で。というのもちょっと英語力に不安があったものですから。大学院だとより高度な英語力が必要でしょう?特に指揮科だと人前で話さなければいけないので。とりあえず受かることが先決と思い、そういった選択をしました。けれども一度国際基督教大学で学士課程は取っているものですから2年大学に通って卒業する必要は無いと判断し、1年後大学院のほうに編入しました。
ー というとマネスのほうで勉強なさっているのは2年目ということですか?
花岡 そうですね。二年目です。
ー 今お話伺っていてオーディションを受けられたということですけれども、マネス音楽院のオーディションって難しそうだなと思ったんですが、これはどういうことを具体的に行うのですか?
花岡 まずオーディション自体が二日間に分かれています。一日目は基礎的な音楽能力を試されるんです。聴音や譜読み初見能力、ピアノ技術、音楽理論など、基本的なことがどれくらい出来るかを1日目に試験します。
ー セオリーは筆記でやるんですか?
花岡 セオリーは筆記ですね。あと英語のテストも一日目にありましたね。音楽の基礎用語をどれくらい英語で理解できているか等、授業をしていく上で差し支えの無い英語力があるかどうかを試されるんですよ。一日目で問題がなければ二日目の実演オーディションに進むことができます。僕の専攻は合唱指揮ですので、学校の合唱団の指揮を振りました。課題曲が3曲と自由曲が1曲です。20分間の中でその四曲を振って練習させるわけです。どのような指導をするか、音楽をちゃんと理解できているのか、リハーサルで何を達成できたかを三人の審査員によって審査されます。それとは別に担当教授と1対1で面接を行います。彼には色々な質問と要求をされましたね(笑)。「どういうことを考えながら振ったのか」、「この場面で音楽はどうなっているか」とか、分析もさせられました。「実際に声部を歌ってくれ。」と言われたり、「4パートあるうちの3パートをピアノで弾いた上で残りの1パートを歌いなさい。」とか。
ー 難しそうですね。
花岡 そうですね。難しかったですね。 それで会議を何度も開いた後、二日間の総合的な評価によって、合格者が決まるそうです。後日聞いた話ですが。
ー 実際同じ科で何人位いらっしゃるんですか?
花岡 大学と大学院合わせて5人ですね。中には2つ以上の専攻の人もいます。例えば歌と合唱指揮や作曲と合唱指揮などですね。
ー 花岡さんは指揮だけですか?
花岡 そうですね。僕は合唱指揮のみですね。
ー なるほど。こんな難しそうな試験をどういうふうに対策していたのですか?
花岡 先ほどお話しましたが、受験する前にエクステンションプログラムで勉強していたので、担当教授の指揮のレッスンを受けることが出来ていました。それでオーディションの課題曲は既に発表されていたので、その曲をレッスンに持っていくことができました。そして学校にいることで友達が出来てきたというのが大きかったですね。指揮は演奏者達といかにつながるかが重要ですから。他の受験生はまるっきり初めて会った人たちを教えなければいけないわけですからね。僕は彼らよりもリラックスして振ることができたのではないかと思っています。
ー 同じように指揮科に行きたいという人がいた場合は、そういうエクステンションプログラムを必ず受けたほうがいいということですかね?
花岡 必ずしもそうとは言えないとは思いますが、緊張して自分の力が出せないというのはマイナスですからね。人によってはその場に行って、すぐ雰囲気をつくれる人もいると思うんです。けれども事前に先生が音楽のどういうところを重要視するかとか、それで合唱団のレベルもどれくらいかということを分かっていたほうが準備はしやすいですよね。『オーディションの時にどういうことを言おうか』等、要するにプランが立てやすいわけですから。そういうプログラムがあればとってみることはプラスだと思います。
ー それはだいたい2ヶ月前に行かれて受けたという感じだったんですか?
花岡 そうですね。大体2ヵ月半くらい前に行って準備しました。実は大学滞在中に一度日本から受験したこともあったんですが、アメリカと日本ですから書類の手続きや郵送にものすごく時間がかかるんですよね。それでその年一次試験は受かったけれど、二次試験が受けれないといったハプニングがありました。オーディションの課題曲が何かという連絡を受けられず、郵便で送ってくれたんですがそれが着いたのがオーディションの3日前くらいでした。楽譜が手に入っていないくて準備もできていないのにアメリカに行くわけにはいかないじゃないですか。その後も連絡して「何とか受験日を変えて欲しい」と頼みましたが無理でした。それからやっぱり日本で準備して3日前くらいに行ってオーディションというのは日程的に辛いし、土地感も分からないし、英語も慣れないしというので精神的に疲れ果ててしまうと思うんですね。前年の経験もあったし早めに来てその土地に慣れて、英語も多少しゃべる習慣をつけて、心の準備をすませてから受けたかったので早めに来ることに決めました。
ー なるほど。それでばっちり成功したわけですね。
花岡 そうですね。心の準備と音楽の準備のおかげで緊張せずにすみました。
ー 日本でもずっと合唱団の指揮なさっていたり、小さい時からピアノをなさっていたのですか?
花岡 ピアノは小さい時から習っていました。それから歌にも興味があって。中学、高校時代にも合唱をやっていたんですよ。その時は指揮は振っていませんでしたが歌うことが好きでした。大学になって初めて指揮者をやって、はまっちゃいましたね。
ー どの辺が指揮をやっていて楽しいところですか?
花岡 色々な楽しみや喜びがあると思うんです。例えば練習をやっていてみんなと一体になって音楽をしていると思える瞬間があるんですよ。合唱団の全体対指揮者の関係ではなくて、指揮者と歌い手一人一人の関係と、歌い手同士の1対1の関係を感じられるような。それぞれ一人一人が表現しあって音楽がぶつかりあって本当に大きな渦ができる。歌うことを彼らがとても楽しんでいるのが分かる。そうするとどんどん音楽がいい意味で変わっていくのが分かりますね。それから僕自身、指揮を振っていてかなり快感ですね。大学のグリークラブでは春と秋、毎年2回のペースでコンサートを行っていたんですが、秋のコンサートは有料 だったんですよ。たかだか400円か500円位の入場料でしたが、ホールが満員になった時があって。
ー すごいですね
花岡 600人くらいお客さんが入ってくれたことがあったんです。人数が入ってくれたことだけじゃなくて、その時のコンサートでは練習もたくさんしたおかげもあって、音楽を心から楽しめたんです。コンサートまで沢山練習をしていくと、どうしても『ここではこうしなきゃ。』というのが出てくると思うんですけど、そういう限られた音楽を作り出そうとするんじゃなくて、そこにいる観客の皆さんと歌い手たちと一緒に新しい音楽というかをつくりだせた気がしたんです。音楽というのはその場、その場、その時、その時でしか出来ないものなんだと深く感じました。それですべてのステージが終わってアンコールが終わったあとに、観客の皆さんがものすごい拍手をして下さいました。本当は2曲でアンコールをやめるはずだったんですけど、急遽もう一曲やろうということになって、予定を無視してやってしまいました(笑)そういったことを含めてみんなの気持ちが高まって、音楽を中心にホールが一体化した感覚を覚えました。それこそ快感としかいいようのないような。指揮者が主役というわけではないんだけれども、指揮者は歌い手と観客の間にいるじゃないですか。
ー そうですね。
花岡 だからその雰囲気に包まれているのが一番分かる場所だったと思うんですよね。歌い手たちの表情を見るのも楽しかったし。お客さんの顔を指揮が終わって振り向いてみたときに本当に喜んでくれているお客様とか、必死に拍手をしてくれているお客様とかを見て『これ以上の幸せはないな。』と思いました。『ああ、これはやめられないな。この感動を何度もというかもう一度味わいたい。』と思って。
ー 音楽の醍醐味を知ったのですね?
花岡 そうですね。コンサートを通じて、日本ではクラシック音楽というと壁があるというか敷居が高いといわれていて、僕もそう思っていたんですが、本当はとても近くにあるんじゃないかと思いなおすことができました。どんな人にも来てもらって楽しんでいってもらえるよう音楽をもっともっとしていきたいと思ったし、音楽の敷居を下げてもっともっといろんな人に音楽の喜びを知って欲しいなと。特に歌の場合はほとんど誰もが持っているじゃないですか、声って。だからよりたくさんの人に触れて、その喜びを伝えることが出来るかなと思って本格的に勉強しようと思ったわけです。
ー 実際に勉強なさって苦労する点とか、難しいなという事はやっぱりあるものですか?
花岡 そうですね。やっぱりアメリカで勉強しているので最初は言語の問題が難しくて。「音楽には言葉はいらない。」といったこともよく聞きますが、やはり指揮者として練習を進めなきゃいけなかったり、歌い手たちと良い関係性をつくりには言葉は必然なものですからね。そのコミュニケーションがうまくいかなくて歯がゆい思いをした時がありました。それから指揮を振りながら、どうしても指揮が音楽と隔離して数学のようなものになってしまうと感じることがあるんです。要するに機械的になってしまって、どうしても自分の感情と結びつかないというか。拍や各パートの入り、強弱ははっきり振れていて分かりやすくても、音楽的には全然表現出来ていなかったり。いかに自分の腕、顔、全身を使って音楽を表すか。もちろんそれだけじゃいけないんですけれども、それが出なかったら指揮を人間がやっている意味があまり無いじゃないですか。僕がやっている意味というか。ただの拍とりに終始するだけだとむしろ指揮者がいないほうがいいことも出てきますし。指揮者としていかに演奏者達に影響を与えて彼らから音楽を引き出すかというのは、ずっとこれからも試行錯誤していくのだろうなと思います。それから、授業について。普通の授業は英語が分かってくるにつれてだいぶ楽になってきたんですけれども、理論の授業で日本ではあまり勉強されていない対位法が必修なんですね。ルネサンス時代やバロックなどの音楽は主にこの対位法という理論をもとに書かれていたんですけども、この勉強を一から始めたので、周りの生徒に追いつくのが大変でしたね。僕は日本で音大を出ていないので基本的な能力が他の人より劣っていたと思うんです。その能力をまず上げていかなければと思い、最初の1年間は基礎能力の向上と英語力の向上を中心にやって、何とか授業についていけるという形でしね。でもやっぱり毎日続けていると効果は出てくるもので、だんだん最初は追いつこうとしていたものが、いつのまにか他の人よりうまく出来ていたりするんです。そうすると毎日続けることがすでに習慣になっているから、それからは余裕をもって授業にのぞむことができています。事実、プロの音楽家の方たちは毎日10 時間以上練習をしているそうですから、まだまだ僕なんて甘いのかもしれませんが。
ー 練習というのは具体的にはどういうことをなさるんですか?お家で鏡を見ながらとか?

花岡 指揮の練習はですね。まず振る音楽の分析をするんですけれども、その曲が例えば合唱曲だったら歌詞がついているじゃないですか。基本的にその歌詞の読み方と歌詞の意味を調べて理解して、それがどういうふうに音楽と結びついているかを楽譜から読み取る作業をします。作曲家の意図というか、彼らがどういうふうに歌詞を解釈して音楽に表現しているか。それから楽曲分析ですね。どんなハーモニーが使われているか、どういう和声進行になっているか、どの旋律が重要なのか、どこで場面転換が行われるか等々。そういう分析をして、それから各声部を良く知るためにそれぞれの声部を歌ったり、ある声部を歌いながら他のパートをピアノで弾く練習をします。だからまずコーラスの練習に持っていく前にもうすでに音楽を誰よりも知っていなければいけません。練習のときにはすでに頭の中で音楽が鳴っていて、間違っている部分を指摘したり、自分がどういう音楽をつくっていきたいのかを伝えていくわけです。あと担当教授との個人レッスンでは教授がピアノを弾いてくれて、それを指揮しますね。それで先生がアドバイスをくれるわけです。自分では気付けなかった音楽的な解釈を気付かせてくれたりします。僕の担当教授は生徒自身に良く考えさせる人で、よく「何を考えて振るのか」とか、「何を感じるのか」という指摘をうけます。そのおかげで合唱団の前で振る時には自分らしさ、自分の音楽を表現できるようになってきます。
ー 本当に下準備がすごく大事ということですね。合唱団の人と一緒にやる時というのは学校の方ですか?
花岡 毎年オーディションが行われて、学校の歌専攻の生徒たちで合唱団を形成しています。各パート4人程ですから全体で15人くらいですかね。合唱団の規模としては決して 大きくないんですが、各歌い手が1人1人プロになりたいと思ってやっているから、すぐにうまくなりますね。時間があまりないのですが、練習のつけ方しだいで、あっという間に曲ができたりもするので、そこは 指揮者の腕の見せ所といったところですかね。
ー 曲はご自分で選ぶのですか?
花岡 昨年は自分で選べたんですが、今年は教授が決めましたね。いくつか曲をピックアップして、その中で自分がこれを振りたいというのは一応希望はとったのですが、他の生徒とやりたい曲がかぶってしまって、希望通りにはいきませんでしたね。
ー 今はどんな歌を勉強していらっしゃるんですか?
花岡 今は“グリーンスリーヴス”で有名なイギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムスの曲や、ヴォルフという歌曲を沢山作曲したドイツの作曲家、モンテヴェルディというイタリアバロック時代の作曲家などの曲を勉強しています。時代がかたよらないように、言語がかたよらないように教授が選んだようです。
ー なるほど。時代が違うと指揮の仕方も変わってくるものなのですか?
花岡 そうですね。やっぱり音楽が違うし、何を重要視するかも変わってきますよね。時代によって、さまざまな演奏法のきまりもあるのでそれも勉強しなければいけません。
ー いろいろな言葉の曲をなさると、当然語学も勉強しなきゃいけないのでしょうね?
花岡 そうですね。合唱指揮者は当然必要になってきます。言語を知らないと指導できませんからね。ただ意味を知るだけでなくて、その国の言語独自の響きをしることも重要です。言葉と音が一致して曲が成り立っているわけだから、言語の響きを知らないと作曲家の意図が全然つかめなかったりするんですね。自分でしゃべって聞くからこそ深い意味があると思います。
ー 大変ですね。
花岡 そうですね。といっても何十もの言語を勉強するわけではないので。音楽を勉強する上で必須となっているのが、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語くらいですから。ドイツ語とイタリア語が読むのは比較的楽ですが、フランス語は見ただけでは読めませんからね。必死で勉強しなきゃません(笑)。それでも言語というのは決して暗号ではなくて、音楽や文化と結びついているわけですからそれを知ることが面白いですね。そういう意味ではそれほど負担に感じたりはしませんね。
ー 今ニューヨークにいらっしゃるわけですけども、マネスしか合唱指揮科はないということだったのですけれど、他の国は全く考えなかったんですか?
花岡 そうですね。ドイツとかフランスとかやっぱりヨーロッパが中心じゃないですか、クラッシック音楽は。そこへの留学も考えないことは無かったんですよ。学費はヨーロッパのほうが断然安いですしね。ただなぜアメリカを選んだかと言うと一つは言語の問題ですね。ヨーロッパに行くと英語が通じるとしても当然現地の言葉を勉強しなきゃいけないから、そうなると最初の1年間は言語を勉強することで手いっぱいになって音楽に身が入らないのではないかと思ったことがあります。そうすると留学滞在期間も長くなってしまい、その分負担がかかるのでは、と考えました。最近クラッシック音楽を勉強するのも中心、つまりはいい先生がヨーロッパからアメリカに移ってきている、という噂を聞いていたせいもあります。それからヨーロッパというとどうしても内的、国にもよると思うんですけど、その国の文化の伝統を重要にして古来のものをというようなイメージが強かったんですよ。けれどアメリカ、特にニューヨークはいろんな文化や民族が交わっている所ですし、いろんなものが入ってきているし。音楽で言ってもクラッシックだけではなくて、ジャズにしてもロックにしても沢山のものが集まっている。音楽の勉強をする事というのは、人間を勉強することに等しいというか、音楽は人間が作ったものだし、いろんな人達と触れ合うことで音楽を勉強し解釈していく上でここは自分の感性を磨くというか、人間性を磨くうえでもいい環境だと思ったんです。といってもクラシック音楽が決して軽んじていられているわけでもない。カーネギーホール、ジュリアード音楽院等、世界のトップの音楽ホールや音楽大学がニューヨークにあって、チャンスも十分この国では与えられているんです。学業的な面で言っても、アカデミックな勉学、つまり基本的な音楽を勉強するのはアメリカはしっかりしています。大学の体制がしっかりしている。ヨーロッパだと技術的で音楽的なことは学ぶけれども、基礎的な勉強がアメリカほど体系化されてはいないと思うんです。僕は音楽の基礎的な能力のレベルアップとより多くの知識を得ることが必要だと思ったので、全体的に考えてアメリカがベストかなと思いました。
ー 実際ベストだったということですか?
花岡 他の国に行った事がないので比べようがないですけども、そうですね。新しい音楽もここでは作られているし、数多くの素晴らしい演奏会に行くことも出来るし、いろんな人がいるし。そういった意味で本当に刺激になっていますね、ここにいることは。ニューヨークはみんながI,I,Iと言います。自分が出て行かないとどうにもならないというか。たくさんの人の中で自己主張をしていかないと埋もれてしまいますから。他人を思いやる気持ちも必要だけれども、この中でどう自分をアピールしていくかをよく考えさせられます。そうしないとすぐに他から遅れをとっていってしまう所ですから。自分の考え方や行動が、ここへ来て変わってきたなと感じます。
ー 最初に皆さんにお話を伺うと、最初の3ヶ月とか4ヶ月は苦しんだというふうに伺うんですけど、そういうのを乗り越えて成長したという感じがご自分の中でもありますか? それとも、そんなに最初から苦労してなかったですか?
花岡 最初ニューヨークに来た時に知り合いがほとんどいなかったんです。知り合いにこっちの人を紹介してもらったけれど言語は思うように聞き取れないし通じないし、でも自分で知り合いを作ってかなきゃいけなかったんです。それでも英語に慣れるために、日本語をしゃべらない環境をつくりました。アメリカ人のみの合唱団に参加したり。最初はまあ孤独に感じて寂しく感じることもありましたけれども。やっぱりそういった期間は必要だったと思いますね。それでも自分が好きなことをやっていたから辛さよりも楽しさや希望のほうが大きかった気がしますね。僕は日本にいたときは親にしろ友達にしろ頼りすぎていたきらいがあったから、良い機会にもなりましたね。自分ひとりで動いて生活して誰も頼る人がいない。自分の新しい一面を知れて、充実した毎日を過ごしているなと自覚できましたね。最初の3ヶ月間くらいは特に。
ー 今はすっかりそちらの生活にもなれて楽しくやっているのですね。
花岡 そうですね。コミュニケーションがだいぶ普通に出来るようになってきたので、日本での学生時代のように楽しんでいますね。それにアメリカの学生のほうがストレートに物を言うのでそれが心地よかったりします。建前がなく交流できることが嬉しかったですね。
ー 学校の授業はだいたい週に何回くらい行かれているのですか?
花岡 月曜日から金曜日までの五日間ですね。
ー 日本の学校みたいに朝から晩まで?
花岡 そんなことはなくて、日によっては2時間程で授業が終わる日もありますし、朝九時から五時まで立て続けに授業という日があったり。日本の大学と比べたら少ないかもしれません。人によってもちろん違うんですが僕の友達は1週間に3日間くらいしか来ないという人もいるし。
ー そうすると、宿題が結構あるのですか?

花岡 宿題は結構ありますね。こちらは日本とは比べ物にならないくらい(笑)。毎日の勉強の半分くらいが宿題。ピアノの練習や指揮の準備をもっと練習したいんだけれども、宿題で結構時間がたってしまったりするんですよ。本当毎日毎日宿題におわれているというのが正直なところです。
ー それはまったく譜読みなんかとは別な宿題が出ているのですよね?
花岡 そうですね。理論の宿題や分析など様々ですね。それから譜読みの授業自体もあるんですよ。オーケストラや弦楽四重奏等の楽譜を見てそれをピアノで弾くんですがそれもかなり準備に時間が必要ですね。
ー じゃ結構ピアノにむかっている時間が多い?
花岡 そうですね。多いです。ピアノと楽譜がほとんどですね。
ー それはご自宅ですか?
花岡 学校でやることが多いですね。学校にはピアノがおいてある練習室がかなりの数ありますしね。
ー 一日何時間くらいピアノを弾いているんですか?
花岡 それも日によるんですけど3時間から8時間くらいまで。
ー 8時間!
花岡 それも授業があるとやっぱりそんなに時間が取れないことがあるのですが、休日はお昼に学校に行って学校が閉まる9時半〜10時半までとか。
ー 好きじゃないと出来ないですね。
花岡 そうですね。でも、ずっとやっていると疲れるので、休憩を入れながらやっていますね。まあ基本的には 楽しいからやっているんですよ。
ー 今学校以外にどこか合唱団の指揮をなさったりしているのですか?
花岡 僕の指揮の先生が振っている合唱団があるんですけれども、そこで歌い手として参加していて、たまに練習の時に「振ってみろ」と言われることはあります。彼はNY州の隣のニュージャージー州でも、合唱団を一つ持っているんですが、そこでも振らせてくれるようです。ただし自動的にコンサートで歌わなければいけないんですが。
ー 交換条件が。
花岡 ギブアンドテイクですね。
ー 来年2年生ですよね。その後はどういうふうに考えていらっしゃるのですか?
花岡 そうですね。日本に戻ろうと思っています。日本にはアマチュア合唱団が沢山ありますしね。東京と地元の長野の合唱団のいくつかを振れたらいいなと考えています。僕が日本でお世話になっていた指揮の先生が、「日本には沢山の児童合唱団や大学の合唱団、アマチュア合唱団はあるけれども、その橋渡しがない。小さい時からずっと音楽を勉強していけるような学校をつくりたい。」とおっしゃっていて、それのお手伝いが出来たらいいなと思います。
ー 面白そうですね。
花岡 そうですね。すでに長野県では何人かの知り合いと合唱団を作る話をすすめています。スケジュールやボイストレーナーの依頼等着々と準備はすすんでいます。僕が帰ったらすぐに合唱団が始動できるようになっています。最初は合唱団を振る機会が少ないかもしれませんが、いろんな指揮者の先生や合唱団を訪ねて団員として歌いながら下振りを続けていきたいと思います。その下振りによって認められていけるためにも今頑張らなくてはと思ってます。
ー 遠い将来なんだけれども近い将来みたいにいろいろ決まっていらっしゃいますね。
花岡 そうですね。でも見えない部分の方が多いので不安もありますが。
ー これからニューヨークにいられる間に更にどういうことを勉強していきたいですか?
花岡 出来るだけ多くの音楽にふれたいですね。アメリカは作曲家も沢山いますし、現代の曲がかなり演奏されているんですよ。フランスも多いと聞きますが現代曲が世界で一番演奏されているのはアメリカだと思うので、沢山聴いたり歌ったりしていきたいですね。それをやがては日本にも取り入れていきたいという思いもあります。今の担当教授が現代曲もけっこう振るのでレッスンでも教わっていきたいですね。現代曲以外でも絶えず音楽に触れる機会を作って自分の基礎能力を上げなきゃいけないし、自分のスタイル、得意分野を確立してそれを日本に戻ったときに売りとしていけるくらいにはしたいですね。
ー 毎日学ぶことが多いですよね。
花岡 そうですね。音楽だけでなくてアメリカにいること自体も勉強になっていますよ。
ー 日本で振っているときとアメリカで振っているときとやっぱり感覚として違うものですか?
花岡 そうですね。アメリカの演奏者は個が強い印象をうけますね。だから最初はあまりまとまらないんですよ。ただそのほうが面白い音楽が最終的に出来るのではないかなという感覚がしますね。日本の合唱団は割と最初にパッとまとまるんですけど、そこからがなかなかうまくいかない。演奏者それぞれが表現するまでいってないというか。枠組みを最初に作っちゃう気がするんです。こっちは枠なんてなくて、お互いがぶつかりあいながら音楽を作っていくのが振っていて楽しいですね。苦労もしますけど。
ー どういう点で苦労しますか?
花岡 そうですね。個が強くてぶつかったままというのは困りますね。歩み寄りがない場合。それぞれが自分の声を出そうとするから、音色がまとまらなかったりするんですよね。もちろん一人一人個性がある声でいいんですけれども、それをどう合唱団として、音楽として一つの方向性に持っていくか。やっぱり合唱で歌うのはソロで歌うのとはまったく違いますからね。個を尊重してそれぞれの歌い手を納得させて、それでも全体としてはまとまるようにうまく持っていくテクニックがいるんですよね。
ー すごい大変ですね。
花岡 でもやりがいはありますね。
ー 逆に日本だったら没個性というか一人一人が出てこないわけじゃないですか。それをどうするかというのがあるのですか? 例えば、もっと小さくまとまらずに自由にやりなさい見たいな。
花岡 そういうことは直接的でなくても言っていかなければと思いますね。日本では合唱団という大きな団体にいるとどうしても自分の存在が埋もれてしまう風に考えがちなので。僕が日本の大学時代、指揮者の時によくやっていたのは、アンサンブルですね。各パート二人くらいの少人数で歌わせていたりしたんです。そうすると自分がどう歌いたい、表現したいという事もはっきりしてきます。そのあと合唱に戻ると全体がかわってくるんですね。合唱団が50人いたとして、合唱というのは50分の1の感覚じゃいけないと思うんですよね。むしろ1×50で1の可能性がいっぱいあって、いろんな表現があって、答えが100にも 200にもなるようなそういうものを作っていかなきゃいけないと思います。
ー 何か面白そうなんだけど大変そうっていうのが伺っていて思うんですけど。でもやりがいはありそうですね。
花岡 そうですね。それをやりとげてコンサートで指揮を振り終わった時とか、本当に興奮でもう心臓の鼓動が聞こえるんですよね。快感ですよ。
ー 凄い。楽しそう。
花岡 はい。やりますか(笑)
ー あがり症なんでちょっと難しいと思います。
花岡 それの克服にもなりますよ(笑)
ー 今後留学を考えている方に花岡さんの方からアドバイスや気をつけたほうがいいと思うことがあればお願いできますか?
花岡 そうですね。まず言いたいのは「やりたいなら、とりあえずやってみろ。」ということですね。物事って何でも実際にやってみないと本当にどうなるかは分からないですから。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがずっと良いと僕は思います。僕もアメリカに来て、自分が何が足りないかが分かりました。それはまず動いた、アメリカに来たから見えてきた部分なんですよ。悩んでやらないで失敗しないよりやって失敗したほうが自分の糧になります。失敗したとしてもそれが次の成功につながります。僕も受験を失敗していますが、だからこそ学べたものが非常に大きかったです。最初は曖昧な道でも進んでみて、後でその道を進むためには何をどういうふうにやる必要があるか、その解決法を考察して作っていけばいい訳ですから。大きな目標、やりたいことに向かって恐がらずまずトライしていって欲しいということかな。英語にしてもやっぱり日本で勉強するのと、アメリカで勉強するのでは全然違いますからね。日々の生活の中で使わないと英語はなかなか身につかないですからね。日本のテストで高い点が取れても、こっちでは通用しないことばかりです。なぜなら日本の英語は日常では死んでいる英語だからです。最初が辛いとくじけてしまいそうになったりするかもしれないけれども,そういう時こそ、後になってあの時があったからと思えるはずです。死ぬほど勉強するとか死ぬほど辛いという時間こそ大切な時間だったと。だからもし本当に希望してやりたいと思うんだったら、ちょっとの事じゃ諦めないで欲しいですね。
ー なるほど。熱いですね(笑)
花岡 あと物事(手続き等)は何でも早め早めにやったほうがいいです。とってつけたようですが。
ー 今日は熱いお話をたくさんしていただいて、どうもありがとうございました。