音楽留学アンドビジョン【ドイツで学ぼう! vol.353. 2015-03-31 06:30:00】
小寺佑佳さん/ピアノ/エコールノルマル音楽院/フランス・パリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

東京都出身。4歳からピアノを始める。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に在籍中、都内においてソロ、室内楽のコンサートを行う。2004年に高校を卒業後、ヴァイオリンやチェロを扱う弦楽器商に勤務。2005年、現在の師、パトリック・ジグマノフスキー教授と出会い、渡仏。パリ・エコールノルマル音楽院ピアノ科に在学中。
(インタビュー2005年12月)
ー 現在はパリのエコールノルマル音楽院にいらっしゃいますが、ご留学したきっかけというのは何かありますか?
小寺 きっかけは現在の師匠と出会ったことです。
ー それはどこでお会いされたのですか?
小寺 今年の夏に公開レッスンを受けてそこで出会いました。それがきっかけです。レッスン以降、先生とメールでコンタクトを取っていて、お許しが出たのが9月頭でした。
ー 今年の夏にレッスンを受けてもう10月にはフランスに行ったのですか?ビザはどうしたのですか?
小寺 ビザは先生の許可を頂いてから急いで準備に取り掛かったので発行までに1ヶ月弱かかりました。
ー 試験はどのように行われましたか?
小寺 エコールノルマルは少し試験が特殊で、ディレクターの前で任意の曲を2曲弾きます。異なった時代の。それを聞いてディレクターがその生徒の入学するレベル(階級)を決めるんです。なので落ちるということはありません。
ー 語学は1ヶ月間で集中して勉強したのですか?

小寺 何もやってませんね。急に留学が決まったので、準備に必死で。行けばなんとかなると思い込んでいたのもあって。これから大変です。一応英語は少ししゃべれるので、レッスンは英語で先生に教えて頂いてます。先生はフランス語と英語を話されるので。問題はないけどフランス人は基本的にはフランス語しかしゃべらないので...。
ー 別の先生だったらフランス語の勉強はしていったほうがいいですか?
小寺 はい。私の先生が特殊ですね。何もコミュニケーションが出来ないので意味がないと思います。
ー 学校の手続き書類も全部フランス語で書いてありますよね?それは誰かサポートしていただいているのですか?それとも自力でやっているのですか?
小寺 なるべく自分で辞書を引きながら四苦八苦やってはいるんですけど、ほとんど友人に頼りっきりですね。ついこの間なんて、書類と学費の提出が遅れてしまって私の名前が生徒登録から消されそうになったことがありました。その時は本当に助けてもらいましたね。こっちの手続きって時間通りにやってくれないんです、忘れてた〜とかそういう感じなんですけど。それに一緒になって私もだらだらやってたら、突然登録消去の警告をしてきたり。学費早く振り込めって感じで。お金に関しては結構厳しいと思いますが、とても外国人に親切な学校です。
ー レッスンはどのように進められていますか?
小寺 レッスンは基本的に週1回です。先生が忙しくてみて頂けない時は、次の週に2回入れて帳尻を合わせてくれます。
ー フランスで授業やレッスンを受けてみて日本と違うなという点はありますか?
小寺 人によりますね。意見の交換ももちろんそうですけど、あとはやっぱり演奏の中での映像のキャパシティーが広いと思います。
ー 自分としても勉強になるなと思いますか?
小寺 楽しんで勉強するようになりました。先生のする表現がまず面白くて。
リズム感が体にしみついているのも外人の先生の特徴だと思うんですけど、例えばショパンの英雄ポロネーズのタタタッタというリズムがあったとしたら、それをステップして踊ってくれるんです。横でわーって騒いでいるんです。それを隣でやってくれるとこっちもイメージが湧くんです。頭で考えないで体ですんなり感じることができます。
ー 先生のレッスンは週1回ですが、他に何か基礎的な授業はありますか?
小寺 はい。室内楽、楽曲分析、ソルフェージュ、初見などがあります。でも実技のみで学校に通っている人もいれば音楽科目の授業もちゃんととってやっている人もいます。
ー 日ごろ練習はどういうふうになさっているんですか?ピアノの付いている部屋を借りられましたか?

小寺 いや、ピアノは買いました。結構借りる人とか、ピアノを売って帰国しちゃう人のピアノを買ったりする人もいるんですけど。あとレンタル。私がフランスにいたい時間、こっちに滞在している時間がどの程度になるかわからないので、もしかしたら元を取ってしまうかもしれないので買ってしまいました。買ってもらいました!(笑)。
ー 練習はいくらしても大丈夫というアパートですか?
小寺 いえ。違いますね。音楽可能じゃない所です。こっちのアパートは音出し可能な所はないに等しいぐらいないんです。やっぱり隣人問題が多々あって物件情報誌に音出し可能と載っていても実際、音出しを許可するのは隣人なので、隣人と交渉なり、なんなりして物件を見定めるのが大変だと思います。私も最初は音出し可能と家主に聞いて入居したのですが、隣人から苦情が来て、駄目になってしまって。今は練習はサイレントピアノを使っています。ヘッドフォンオンリーで。
ー おうちを見つけるのは大変でした?
小寺 大変でしたね。困り果てていたところ、幸いにも知り合いのアパートを貸して頂くことになって、あとはトントン拍子でした。物件は日本にいる間に決まったんですが、不動産の関係で急遽11月からの入居になってしまったので、渡仏してから入居日までは友達のところで世話になっていました。
ー 学校はどういう国籍の方が多いですか?
小寺 アジア人ですね。日本人が特に多い。フランス人はもちろん、中国人、韓国人、イギリス、アメリカなど様々です。ノルマルは外国人が多い学校です。
ー 学校の掲示板は英語もありますか?
小寺 たまにあったりしますね。でもほとんどフランス語なので、必死です。英語でなんとか救われてる面も多いですが、実際暮らしてみてフランス語が読めなくてしんどいし、日本人以外の人とは会話ができないので、フランス語を真面目に勉強しようと思います。時間ができたらまた語学学校とエコールノルマルと両方やっていきたいですね。
ー いまおうちでは時間的にはどのくらい練習しているんですか?
小寺 日によって全くしない日があるんです。やる気がある時にはずっとトイレ以外はピアノにむかってます。間に合わなくて。レッスンの直前までかかってます。
ー そうすると先生にばれちゃったりしません?
小寺 ばれますね(笑)練習した?って言われて、返答にあたふたしてると、まぁ答えなくてもわかるけど!って言われたりしてびっくりします。
ー 学外コンサートなど学生さんはなさっていますか?
小寺 学生が学外でやる機会は多いと思います。試験でいい成績を取った人にはリサイタルをさせてくれたり、学生のコンサートも頻繁に行われたりしていて活気的です。
ー 1日のスケジュールはだいたいどんな感じですか?
小寺 何もない日はPCをいじって、語学勉強して、一通り終わったらピアノをさらいます。基本的にさらいだすのは毎日夜ですね。うちの環境は下の階が夜中から朝まで賑やかなバーなので、ガンガンうるさい時にヘッドホンをしてピアノをさらっています。レッスンがある日はたまにグループレッスンだったりするので、半日過ぎます。
ー グループレッスンはどんな感じですすむんですか?
小寺 みんなでそれぞれが受けるレッスンを聞き合います。その後、先生が聞いている生徒たちに質問をしたりして、意見を言い合います。人のを聞いて勉強するという感じですね。
ー そういうのは凄く勉強になりますよね。周りの人達の勉強態度は日本と違うことはありますか?
小寺 やる気のある人、ない人で違いますね。頑張っている人はやっぱり積極的に先生についていって反論したり自分の意見を言ったりとかします。悩んでいることを試してという形ですね。
ー 留学はずっと前からしたいと思っていましたか?
小寺 はい。漠然としたいと思っていましたが、進路に迷っていたのでそれがきっかけになって。音楽を続けることはお金もかかるし、色々考えなければいけないことがあったので、知り合いのところで働いていて、ピアノを一年半ほど休憩しました。
ー 今後はどういうふうになっていきたい思っていますか?
小寺 これから状況がどのようになるのかはわからないのでなんとも言えないのですが、できればこっちに拠点を置いて、できることを色々経験していきたいと思っています。ソロ以外にも室内楽、伴奏法など力をつけていきたいです。臨機応変に対応出来るように。
ー 留学して良かったと思う瞬間ってありますか?

小寺 以前より精神的にタフになりましたね。今まで日本にいて、実家暮らしだったので甘えがありました。母国にいれば文化の違いにショックを受けることも、言葉の壁を感じたこともなかったし、ただ生活することで苦労を感じたこともなかったですね。あとは留学してから、海外で勉強させてもらっている。という自分の立場に責任をもてるようになりました。あと、価値観が変わりますね。フランス人はルーズだし、気質も違うし、そういった点を受け入れないといけないですね。
ー フランス人と付き合うのは結構大変ですか?
小寺 そうですね。自己中でルーズでプライドが異常に高い人が多いので。中でも本当に勘弁して欲しかったのは、入学手続きのこと。、出願をしたら、学校側から送られてくる仮入学許可証があるんですが3、4週間待っても来なくって。それがないとビザの申請ができないので学校に連絡してみたら、「願書なんか届いてない」って言われました。その後、しつこく請求していたらやっと思い出したみたいで「あ〜、忘れてた!今から送る。」という返事。とても困りました。結局入学時期をオーバーしたんです。でも外国人だしビザの関係でしょうがないという感じで許可が下りました。
ー 学校の雰囲気はどのような感じですか?
小寺 凄く古くて、歴史ある建物です。そして世界的に有名な音楽家たちが創立し、輩出されている学校です。入学年齢制限がないので、子供から大人までいます。そういう意味で勉強したい者に対して壁はないですね。例えばパリ国立音楽院なんかは年齢制限が早いのです。ちなみに私はもうオーバーしています。確か入学当初、21歳未満じゃないと入学できなかったと思います。
ー じゃ今の選択はばっちりですか?
小寺 ばっちりですね。先生がどっか行っちゃわない限り。
ー ひょっとしたら、エコールノルマルに来た時には先生がいなかったという可能性もあったということですか?
小寺 ありますね。そこは先生とのコンタクト命です。留学する時に自分がつく先生とのコンタクトをまめにやらないと。つきたい先生がいる学校に行ってみたものの、その先生がその年、違う国の学校で教えるということになっていて、すれ違いになるということもありえますから。
ー 自ら動くというのが大事ですよね。
小寺 そうですね。きっかけはこっちからやらない限り何も起こらないとつくづく思いました。先生に呼ばれて留学したという話も聞きますが、生徒自身にやる気がなければ先生も呼び寄せられないと思います。先生も呼ぶならそれなりのケアをしなきゃいけないから、面倒なことですよね。もちろんやる気を見せれば喜んでみてくれますけど。
ー 自らアピールしていくことが大事ということですよね。
小寺 そうですね。外国に来て、日本人は少し遠慮がちな印象を受けました。こっちの人は我が強すぎて引いちゃうくらいです。やりすぎ?ぐらいがちょうどいいと感じるようになりました。
ー フランスに留学したいって人に何かアドバイスしておきたいことありますか?
小寺 日本と違って物事がスムーズにいかないので、手続きは早めに。待っていないで積極的に行動した方がいいと思います。あとは、ちゃんとした目的がないまま留学しても意味がないので、何のために留学したいのか、よく考えることですね。リスクも誘惑もあります。サポートしてくれる周りの期待を裏切らないよう、自分自身しっかりすることが大切だと思います。
ー これからも頑張ってくださいね。
音楽留学アンドビジョン【イタリア留学特集 vol.351. 2015-03-17 04:00:00】
後藤裕美さん/声楽オペラ/プライナー音楽院/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

大分県大分市出身。大分県立芸術文化短期大学卒業後、武蔵野音楽大学に編入学、卒業。2001年よりウィーン在住。現在、ウィーンのプライナー音楽院 (Prayner Konservatorium)、オペラ科に在学中。2005年、第7回『別府アルゲリッチ音楽祭』大分県出身若手演奏家コンサートに出演。
(インタビュー 2005年12月)
— 簡単な自己紹介をお願いします。
後藤 四歳からピアノを始めました。ずっとピアノの道で進もうというか音楽教師になりたくて、大学受験まで頑張りました。でも、音楽教育で国立の大学を受けるのは、ピアノだけじゃなくて声楽も必要だったんです。そこで声楽を始めたのがきっかけで、今声楽の道に進んでいます。結局、大分県立芸術文化短期大学に進みまして卒業後、3年次編入で武蔵野音楽大学に入り卒業。それから2年間くらいは東京でまだ声楽の勉強を続けていたんですけれども、やっぱり留学したいということで2001年からウィーンに留学してきました。
— もともとは先生になろうと思っていたのですね?
後藤 そうですね。ピアノをいかしていきたいとは思っていたんです。音楽の先生は、ピアノ弾きますから。
— 転機は大学に入ってからですか?
後藤 声楽という世界を知った大学受験です。高校2年から声楽の勉強を始めたんですけど、ピアノと違って、歌っているとストレス発散になります(笑)。ピアノというのは本当に何時間も練習して部屋にこもってやるというイメージだったので、音楽を楽しむというよりは、少しストレス気味な事もあったんですね。声楽を始めた時にああ音楽って本当に楽しいなというのを感じて、受験にしろ、声楽を始められるきっかけがあったのがよかったです。
— 声楽のほうが圧倒的にご自分にあっていたという事ですね?
後藤 はい。性格的なものなんでしょうか。基本的に目立ちたがり。もちろん舞台に立つ時は今でも緊張するんですけど、人前で歌うことの喜びというか拍手をもらった時の感動というのが病み付きになります。今までいろんな勉強をして、自分が楽しいと思えるものは他になかったですから。
— 留学したきっかけというのは特に何かありますか?
後藤 私の声楽の先生が、若いころウィーンで勉強されていて、ドイツなどの劇場で歌っていました。そういう話を聞いているうちに私もぜひ本場で勉強したいなと思いました。同じ門下生で留学した人の話も聞いて、さらに勉強したい意欲は高まりましたね。
— 日本で大学に入ったことから留学したいな思ったのですね?
後藤 入学した当初はまったく留学のことは頭にありませんでした。日本でずっと育ってきて、海外へ出たこともなかったので、日本から離れるのが怖かったんですね。ただ、卒業後も歌の勉強はもっと続けたい!と思ってはいました。そこで、先生の話や知人の話を聞いて留学のことを考えはじめたんです。
— 大学をご卒業してからしばらくはどうしていたのですか?
後藤 東京で2年間ほどアルバイトをしながら先生の家にプライベートレッスンに通っていました。勇気がなくて、なかなか留学するのを踏み切れなかったんですね。ドイツ語学校には通っていました。
— では語学も日本で勉強してその後にウィーンに行かれたのですか?
後藤 はい。留学する半年前にドイツ語学校に毎日通っていました。でも毎日だったので勉強はなかなか追いつかなかったですけど(笑)。復習も出来ていないうちに先進んでしまう。やっぱりゆっくり勉強したほうがいいだろうなと思いました。
— 日本で半年勉強してだいぶ力はつきますか?
後藤 文法を重点的に勉強したんですけど、聞き取りとかしゃべることは、なかなか上達しませんでした。学校の先生はドイツ人の先生だったんですけど、生徒はみんな日本人ですし、しゃべれなくてもそんなに困ることもなかったですから。
— 留学当初はかなり言葉などで戸惑いましたか?
後藤 戸惑いました。本当に語学学校の帰りは泣いて帰るみたいな日もありました。先生が何言っているか分からないし、語彙力もないので言いたいことも言えなくて。さらに、街にでれば、ウィーン訛りのドイツ語。まったく違う言語かと思いました。それに、外国に住む寂しさもあったんでしょうね。
— どの位たったら慣れましたか?
後藤 半年以内にはもう慣れていたと思います。私は幸いにも同じ時期に留学してきた日本人の方がいたので、その彼女と一緒にペンション生活して。ドイツ語もあまりしゃべれないのに、「なんとかなるだろう」と思うようになりましたね。
— 今通われているプライナー音楽院はどのように見つけられたのですか?

後藤 私のウィーンでの声楽の先生の門下生の方から教えていただきました。その彼女が通っていた学校だったので、見学させてもらったんです。それで自分も気に入りました。
— 最初は語学の習得を目指して、あと先生探しという形だったのですか?
後藤 語学の習得が目的ではなくて、やっぱりウィーンに来て何が問題って、意思疎通が出来ないと学校に行っても何も出来ないと思いました。それで、とにかく集中して語学を初めだけはやってしまおうと思ったんです。日本で私は、先生や学校の情報がなかったので、学校や先生を探す時間が長くかかったんです。もし日本で学校を知っていたらもちろんすぐ通えたと思うんですけどね。
— 学校は、試験は特になくて入れるものですか?
後藤 うちの学校はクラスの先生の前で歌うという形です。その先生がいいと言ったら入学できるみたいな感じです。このVorsingen(オーディション)で、入学は出来ましたね。
— 実力がないともちろん落とされる方もいらっしゃるんですよね?
後藤 私も一体何が基準か分からないんですけどね(笑)。ちょっとオペラをやるには早いんじゃないか、もうちょっと声楽の技術を身に付けてからもう一度いらっしゃいということで、落とされる人はいました。
— 学校のコースもいろいろ分かれていますか?
後藤 声楽だけでも、リート・オラトリオ科、オペラ科、声楽科と分かれています。作曲、ピアノ、楽器、演劇、ジャズなども学べます。
— 同じレベルの方をまとめてレッスンしているのですか?いろいろなレベルが混ざっているのでしょうか?
後藤 混ざっていますね。日本人の方も何人かいるんですけど、日本で大学を卒業してきた方ばかりですね。
— レッスンは大体どういうふうに進められていくのですか?
後藤 私の学校のオペラクラスでしたら週に3日ありまして、月水金の月曜日と金曜日が舞台稽古で、演出をつけて勉強する時間です。水曜日は、コレぺティションといって音楽稽古の時間です。
— 毎回何時間くらいですか?
後藤 月曜日、金曜日が3時から6時。水曜日が3時から7時です。あとはフェンシングと体操のクラスと演劇、オペラの歴史の授業が、2週間に一回あります。私は、日本の大学の単位が(プライナー音楽院で)認められたので、他の授業はなかったのですが、他にも和声などの授業もあります。日本の音大と一緒ですね。
— やっぱりオペラだからグループでやっていくのでしょうか?
後藤 そうですね。グループですね。
— ほとんどプライベートレッスンみたいなものがないのですか?
後藤 また別です。結局みんな他の人たちは声楽の先生は別にいて、学校の先生についている人もいれば、学校以外で声楽のレッスンに通っている人もいるし。声楽のテクニックだけは、みんな別で勉強していく形です。オペラクラスに限って言えば。
— 学校ではオペラの動きなどを勉強していくのですか?
後藤 そうですね。私はオペラクラスですから。声楽科(gesang)といって本当に歌のテクニックを勉強する科もあります。
— もし歌を重点的にやりたい方は声楽科に行ったほうがいいのでしょうね?
後藤 そうですね。学校に自分のつきたい先生がいればですね。
— 学校はどういう雰囲気ですか?日本とはやっぱり全く違いますか?

後藤 違いますね。本当に開けているというか、みんなが自由に音楽を楽しんでいる感じが伝わってきます。日本だと音楽と言ってもやらされている、これをや らなければならない、課題としてこなさなきゃならないという気がしていたんですけど、私の場合ですが(笑)。あとやる気のある人、勉強してくる人に対して すごく先生が熱心です。だから本当にやる気がない人とか、勉強してこないと、どんどんおいていかれる。自分からどんどん動いていかないと、勉強できないな と思います。
— 具体的にはどういうふうにしていったらいいのですか?歌を歌っている時にいろいろ意見を言う、ということですか?
後藤 オペラクラスの授業で、同じ役の人が何人もいるわけですね。それで例えばそこで自分から歌いたいと言わないと絶対歌えない。日本だと順番に、という ふうに大体なるじゃないですか。ここでは、そうじゃなくてたとえ同じ人が何回もやろうがやりたいといった人が勝ち、あとは演出の先生に対して、ただ「はい はい」と言っているだけじゃなくて、どう自分が思うかを言っていかないと相手に伝わらないんです。そうでないと、ドイツ語が分からないのね、と言われてし まうんです。あとは、日本人の遠慮は伝わりません。日本人はすべて、口で伝えなくても、『言わなくてもわかるでしょ?』という気持ちが常にあると思うんで す。でも、言いたいことがあるときは全部、直接口で伝えないと、誰も分かってくれませんね。
— それって最初はかなり戸惑いますよね。
後藤 そうですね。日本とかなり違うと思います。
— その辺は日本の美徳じゃないけど、遠慮がちな部分は捨ててどんどんアグレッシブにということの方がいいのでしょうね。
後藤 やりすぎくらいで丁度いいかもしれません。
— それでへこんじゃう人もいそうですね。
後藤 いそうですね。でも基本的に歌をやっている人というのは、そういうのは少ないんじゃないでしょうか。割と性格的にも明るい人達が多いですからね。
— 学校では主にオーストリアの方が多いのですか?
後藤 そうでもないですね。それはうちの学校だけではなくて全体的に言えると思うのですが、外国人が多いです。オーストリア人ももちろんいるんですけど、外国人の方が多いですね。日本人、韓国人は多いなぁと思います。
— アジアから来ている学生同士も、ドイツ語でコミュニケーションを取っていますか?
後藤 韓国人や中国人の友達とドイツ語で話していたら、周りの人がどうして母国語でしゃべらないの?っていわれますね(笑)。見た目は似ていても違う国なんですよーって言いますけどね。
— いろんな国の人達と交流していて、大変なことはありますか?
後藤 何を話していても、「あなたはどう思うの?」ってすぐ意見を求められることです。日本で、そんなに自分の意見を言う機会がなかったものですから、大変です。『同じです』って言えませんから。
— 視点も広がる感じですよね。
後藤 日常生活から学べることも多いです。いろんな国の友達と話したり、パーティしたり。感情表現が豊かになる気がします。毎日を精一杯楽しむっていう感じが好きですね。感情表現ってすごく大事だからそういう意味でも留学して良かったかな、と思います。授業で、怒る演技をやってみなさい、と言われてやったら、それじゃ何か分からないわと言われたんです。なぜかというと、やっぱり私達は、体で感情を表現することがないからだと思うんです。だから、とても難しい。普段、外国人の友達と話したり、遊んだりすると感情表現の仕方がオーバーアクションだなーとよく思います。でも、そこから日本人とは違うんだなと思って。勉強になります。
— そういう日常から学ぶことって多いですね。
後藤 気がついたら私もオーバーアクションになっていたりとか(笑)。うつっちゃうんですかね。日常生活がオペラです(笑)。
— 日ごろ練習はおうちの中でもするんですか?
後藤 私はピアノを借りていまして、オーストリアにいる日本人の調律師さんから借りて、家で練習できるようにしています。一応夜9時まで大丈夫です。
— 学校行く前にも練習して、帰ってきてからも練習するのですね?
後藤 そうですね。新しい曲だと音を取るのに時間がかかったりしますね。もちろん調子が悪い時には声を出さないで歌詞の意味を調べたりだとか。声を出すだけじゃなくてそういう時間も必要かなと思います。
— やっぱり歌の背景を分かっていなきゃいけないとか、そういう宿題みたいなものも出るのですか?
後藤 宿題はないんですけど、結局やっていないと自分が困るだけじゃないでしょうか。とにかく来週はこれをやるからと言われたらその時に出来なきゃいけないな、と思いますから。理想ですけど。
— 授業が発表の場ですね?
後藤 だといいんですけど。やっぱり一番勉強してくるのは日本人ですね。
— 他の国の人はどうなんですか?
後藤 家にピアノがないから練習できるわけないでしょ?と言われたときびっくりしました(笑)。ここで今音取るんですかとか、授業中ですよ。そういういいかげんさも日本人にないなと思いますね。すべての人がそうというわけではないですよ。本当にいろんな人がいるということです。だからおおらかでないとやっていけない。いちいちカチンときたりしていたら駄目ですね。暮らしていけないですね。
— ウイーンもそうなんですね(笑)。
後藤 うーんそうですね、ウイーンでも(笑)。もちろん学生だからというのもあるんでしょうね。仕事だと、もちろん通用しませんよね。
— でもそのほうが伸び伸び出来る感じがしますね。
後藤 そうですね。伸び伸びやっていますね。
— 学校以外でセッションやコンサートなどの活動もあるのですか?
後藤 割と気軽にみんなコンサートはやっていますね。区で持っているコンサートホールが安く借りられたりしますから。ちょっと何人かで集まってコンサートという形で結構やっています。
— チャリティーコンサートみたいな?
後藤 かごを置いておいて、お願いします、という形でやっていたりとか。もちろんお金をとってやったりする場合もありますね。
— 何か面白い事、良いことが起こった事はありますか?
後藤 私の学校の先生は、ウィーン国立オペラ座で現役で働いている方なんです。それで練習場がウィーン国立オペラ座ということがありました。そういう所でミーハーな私としては非常に嬉しい(笑)。あとは、プロの練習風景を見せてもらったりもしました。フィガロの結婚だったでしょうか。
— 話は変わりますが、ウィーンの物価は日本と比べてどうですか?
後藤 昔は安いと思っていたんですけど、ユーロになってから日本と同じ位なのかなと思う時もあります。
— 食費も同じ位ですか?
後藤 日本と安い物が違うんですね。野菜は安いです。でもレストランとかそういう所に行くとああ同じくらいかなと思うことが多いんですね。でもオペラのチケットとか演奏会のチケットは安いと思います。日本でこれを聞くとなると、いくらするんだろう?ってよく思いますから。オペラを見るのは、いつも立ち見ですが、2ユーロです。
— そんなに安いんですか!
後藤 もう本当に安いんです。毎日通っている方も多いみたいです。日本でいえば300円もしないくらいですよね。それで一流の音楽が聞けるというか、本当にありえないことですね。
— やっぱり音楽環境が圧倒的にウィーンの方がいいですね。
後藤 もう町に根付いているというか、誰とでも音楽の話が出来るっていう感じがするんです。日本だとクラッシックって一部の人たちがやっているものという感じじゃないですか。そういうのではなくて、音楽をやっていない普通のおじちゃんおばちゃんも、モーツァルトの音楽くらい知ってるよみたいな。みんなでそういう音楽の話が出来るというのがいいですね。当たり前に生活に根付いているという感じがします。立ち見でよく会う方におじいちゃん、おばあちゃんっているんですけど、この年でもやっぱり立ち見で頑張りますかと思う時あります。
— 今は大体どのくらいの頻度で行かれているのですか?
後藤 9月から(12月まで)3回くらいしか行っていないですね。ウィーンに来た年はそれこそ毎日のように見ていました。今は、見ていない演目とか、演出が変わった時に行っています。
— 留学して良かったと思える瞬間はありますか?
後藤 演奏会後などに、お客さんですが、知らない人に演奏を褒められたときでしょうか。
— 留学なさってみて日本にいた時よりもこんなところが成長したなというような事は何かありますか?
後藤 自分の意見が言えるようになりました。昔も言っていたと思うんですけど。というよりはイヤなことがイヤと言えるようになったことです。昔は、イヤというかそういう気持ちを出すことが良くないと思っていたものですから。自分ひとり反対意見だったら、どうしようと思うことがなくなりました。結局それで言ってみて、同じような意見の人がいたりとかもありますしね。あとは感情を出せるようになったことです。それはオペラを通じてだと思います。やっぱり恥ずかしさがなくなったということだと思います。
— いろいろ言えるようになったりすると生活自体も楽になってきますね。
後藤 そうですよね。いろんな考えが変わると思います。前向きにというか。
— 日本に戻って来たりすると周囲の人に変わったねとか言われますか?
後藤 どうなんだろう。昔からそういう傾向はあったのかもしれないですけど(笑)。でもやっぱり歌を歌うと変わったと言われますね。
— 歌の表現の仕方というか?
後藤 そうですね。何かそれで感動して泣いちゃったわと言われると、ああやってて良かったと思います。
— それは感情の表現の仕方とかそういうものが変わったということなのでしょうか?
後藤 ある意味楽に歌えるようになりました。
— 声楽だと声をつぶしてしまうというのが割と良く聞くのですが。
後藤 よく聞きますね。私も。私は今のところ大丈夫です。何が良かったと考えたとき、もしかしたら、語学を全部理解していなかった事が良かったのかなと思うときはあります。先生の出す声とかしぐさとかで自分が感じたことをやって、それでオッケーサインが出たらいいということじゃないですか。そういうのを例えば言葉で細かく説明されて、例えば横隔膜を開いて喉をちょっと開けてなんて言われていたらもしかしたら出来なかったかもしれない。そういうことがストレスで歌えないという人もいますから。そういう意味で、テクニックは。感覚で感じ取ったほうがうまくいくんじゃないですか。あくまで、私の場合です!(笑)
— そのへんは個人の差というかとらえ方ですよね。
後藤 自分の先生を信じるということですね。信じることの出来る先生を見つけるのが、難しいんですけど。新しい先生についた時というのは発声の仕方が今までと変わるということなので、絶対に一度は良くなると思うんです。それで、良くなった!と一瞬思うんですけど、それが持続するかはどうかはわかりません。半年位ついてみないと本当にその先生が良いかどうかは分からない、と私は思います。
— そうなると見極めが難しいですね。
後藤 そうですね。そういう意味で、大学のほうに聴講に行ったりたくさんしました。いい先生がいると聞けばその先生のレッスンに行きました。あと決め手になるのは先生のクラスの発表会です。そういう所でやっぱりいい生徒さんがたくさんいるということは、その先生のテクニックはいいんだなと思います。
— 他の人の演奏を聞くというのも非常に大事ですね。
後藤 本当に勉強になります。
— 今後の進路はどのようにお考えですか?
後藤 今職探し中です。これからいろいなオーディションを受けていきたいと思います。今はまだこっちでやれることをやりたいという感じです。いずれはもちろん地元に戻って自分の勉強したことを演奏の場で表していきたいんですけど。とりあえずはこっちで頑張りたいです。
— 最後にこれから留学する人にアドバイスをお願いできますか?
後藤 語学は勉強してきたほうがいいと思います。そして、やる気を維持させながら、海外でしか勉強できないことをたくさん学んで、音楽の幅をどんどん広げて欲しいです。
— 今日は有意義なお話をいろいろとありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【フランス留学特集 vol.350. 2015-03-10 04:00:00】
音楽留学アンドビジョン【オーストリア特集 vol.349. 2015-03-03 04:00:00】
仲田 晴奈さん/ピアノ/ミラノ・ヴェルディ音楽院/イタリア・ミラノ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

横浜生まれ。フェリス女学院中学校卒業後、渡伊。イタリア国立ヴェルディ音楽院を最高点及び最優秀賞で卒業。同大学院ピアノ演奏科を首席で合格し、現在同大学院在籍中。ヴァレンナ国際コンクール最高位、カルロ・ヴィドゥッソ ピアノコンクール第二位、マルコ・フォルティーニピアノ国際コンクール第三位、ラッコニージ国際コンクールピアノ部門優勝。イタリアのラジオ番組“il pianista”、 宮崎駿映画祭オープニングセレモニーにゲスト出演。現在まで濱口ゆり、前島園子、Olga Scevkenova、Sergio Marengoni、Silvia Rumi各氏に師事。
— イタリアに留学したきっかけを教えていただいてよろしいですか。
仲田 その当時東京音大で教えていらした前島園子先生の特別レッスンを桐朋学園・子供のための音楽教室で受講しました。そこで先生が企画したイタリア・サレルノの講習会に参加してみたら、という事で中学三年生の夏に二週間ほど講習会に参加しました。それでイタリアの気候や演奏会、雰囲気が私の肌にあっていたのが凄く印象的でした。
— 自分は日本ではないなと思ったんですね(笑)。
仲田 そうですね(笑)。前島園子先生から中学を卒業して一年間だけでもいいからイタリアに来ないかという話を頂きました。当時、私立ミラノ音楽院で教えていらしたのですね。絶対あなたにはイタリアが合っているからと言われました。親に相談したところ、すんなり、行ってらっしゃいになりました(笑)。
— それは珍しいですね。日本の親御さんはだいたい日本にいて欲しいと思うのですけど。
仲田 割とヨーロッパ的志向なのだと思います。私が四歳〜五歳頃、一年間ヨーロッパで過ごしていましたので抵抗感が全くなかったのも大きいですね。
— 親御さんは音楽家ですか?
仲田 父は数学者で母は国立音大の声楽を出ていました。歌手として活躍しているわけではないんですけど(笑)。
— 声楽の方であればイタリアは全く抵抗ないですよね。
仲田 ないでしょうね。
— ミラノ音楽院は先生の紹介ということですが、ヴェルディ音楽院はどういうふうに決められたのですか?

仲田 一年で帰る予定だったので高校も休学していたのですが、半年経ってもちろん気が変わりました(笑)。このままイタリアの学校で勉強したいなと思ったので日本の高校は退学手続きをしました。ミラノ音楽院には、ヴェルディ音楽院に入りたいので入学準備をしたいという話をしました。ミラノ音楽院ではヴェルディ音楽院の模擬試験などもやっているので、ミラノ音楽院で入学準備コースを取ってヴェルディ音楽院の入試を受けました。
— イタリアは5年、8年、10年制といろいろあるのですか?
仲田 というよりは、ピアノ科が10年制で、5年生の終わり、8年生の終わり、そして10年生の終わりに大きな実技試験があります。5年生の最後の実技試験を受けるには聴音、ソルフェージュ(記号がどんどん変わるもの、リズムが変わるもの、歌、そして移調のもの)、それと初歩的な音楽理論の試験(口答試験)を受かっていないといけないのです。5年生の実技試験を受けて、ある程度点数がいいと入学試験免除で特別編入できるので、私はそういう形で6年生に特別編入しました。
— 語学の試験はありましたか?
仲田 はい、私の年からありました。
— 難しいのですか?
仲田 そうですね。筆記試験というのが日本で想像するような語学の試験ではなくて、私の時はストラヴィンスキーが書いた「ロシア音楽に対する論文の読解」でした。
— それは難しいですね(笑)。
仲田 みんなで唖然としました(笑)。辞書も持ち込み禁止でしたので、とにかく何でも書いてみようと(笑)語学の勉強としてやったのは、三月にミラノに着いたのですが、夏休みに文法の動詞の部分を全部写して、自分で勉強した位だったので・・・。後はもう会話で実践という形をとっていました。
— 大変ですよね。何の知識も無かったんですもんね。
仲田 最初に寮に入ったのが良かったんです。イタリア人が周りにたくさんいたので。そこで会話もできるようになりました。それに馬鹿にされるのがすごく嫌というのもあったと思います。
— 馬鹿にされる?
仲田 イタリア人の若い子は、本当にからかうのが好きなんです。悪気はないんでしょうけど。日本語訛りだとからかわれてしまうので、なるべくイタリアの発音、発音と気をつけていました。
— 音楽家の場合、耳に音が入るということで少し早いようですね。
仲田 あと、語学で大切だと思ったのは演技ですね。
— 演技?
仲田 いかにその国の言葉を自分の言葉のようにみせて自分の表現をするかだと思います。本当は自分の国の言葉ではないので、うわべだけになってしまわないように気をつけないといけないですね。
— ヴェルディ音楽院は、毎年何名程度入学するのですか?
仲田 空いたポストの数だけ取るというシステムなので毎年違うみたいですね。
— 自分が師事する教授の空いているポストという意味ですか?
仲田 いや全体です。1年生から5年生、6年生から8年生、9年生から10年生という三つのグループに分かれていて、それぞれ下、中、上級コース。そのコースごとに空いた人数を補充していきます。それが大体各コース十名未満です。私が入ったときは3コース合計で20人くらいだった記憶があります。
— 100人とか200人とか入るものではなくて少人数しか入れないんですね。
仲田 一年生の入学は七歳くらいの子達です。そこは多分何十人も取ると思います。
— 年齢は関係ないのですか?
仲田 一応年齢制限はありますが、そんなにはっきりとはないと思います。中級コースは21、22歳まで、上級コースもたぶん年齢制限はあるのですけど、よく分かりません。年齢制限がある場合でもプライベートで試験だけ受ける方は年齢制限は全く関係ありません。だから40歳とか50歳で受ける方もいるみたいです。
— ヴェルディ音楽院のレッスンをプライベートで受講して試験だけ受けるのですか?
仲田 レッスンは関係ありませんが、自分のついている先生と準備して試験だけ外部受験するということですね。
— 最終的にもらえるディプロマもヴェルディ音楽院から出るのですか?基本は全く同じでしょうか?
仲田 ヴェルディの学生だと授業料は安いです。プライベートレッスンはそれと比べるとお金がかかると思いますので。大きな違いはそれですね。ただし外部受験は自分の好きなペースで受けられるのが魅力です。
— ヴェルディ音楽院に行きたいと思った場合どのように準備すればいいのですか?
仲田 ヴェルディ音楽院のシステムを一番良く分かっているのはミラノ音楽院です。そこで入試の準備をして受験するのも一つの方法だと思います。
— ヴェルディ音楽院の事務手続きはいかがでしたか?
仲田 大変でした。事務員とのかけあいの難しさと、英語が通じないのでこちらがヘコヘコしなければいけないところです。それに言うことが毎回違っていたり、急に怒ったりすることですね。
— それをうまく乗り越えられれば次のステップにいけるということですか?
仲田 乗り越えるまでが本当に大変です。
— 日本で音大を卒業している方は、通常は上級に行かれますか?
仲田 必ずしも上級に入れるとは限らないですね。入試で持っていく曲や学校同士の提携などにも関わってくると思います。そこで中級に入ってしまうと和声及び分析や音楽史などをとらないといけなくなってしまうんですね。すると二年間程度で留学を考えていらっしゃる方だと本当に大変だと思います。やる気があれば中級を一年でとってしまう事も可能ですけど、本当に死ぬ気で頑張らないといけないと思います。中級と上級を合わせて三年ぐらいだと思います。
— 死ぬ気で三年やったら、もう本当に死んじゃうでしょうね(笑)。
仲田 本当に大変なのは最初の一年ですね、語学の問題で。学科さえ何とか通れば後は演奏だけなのでなんとでもなります。
— 上級になれば音楽だけですか?語学などの試験はありますか?
仲田 語学試験は最初の入試のときだけです。でも今年から、入試面接で落ちてしまっても、提携している語学学校に通って一年後の確認試験で通ればオッケーになったと聞きます。音楽史も聞いた話によると韓国人専用クラスというのがあるらしくて、そこに入る勇気があれば入れると聞きました(笑)
— 入学試験はきちんと準備をしないと大変ですね。
仲田 そうですね。突然行っても語学の試験にパスするのは難しいかと。試験は筆記と面接です。日本でちゃんと勉強していれば筆記はそんなに問題ないと思います。ただし面接は対人試験ですのでイタリア語を話し慣れていないと戸惑ってしまうかもしれません。試験と言っても本当に雑談なんですけど(笑)。人によっては新聞の記事を読まされて感想を言えというのもあったそうですが、最初からフレンドリーな感じで話していれば、「ああ君はしゃべれるんだね、じゃあまたね」ですね。
— 本当にイタリア的ですね(笑)。
仲田 はい。雑談でした(笑)。緊張する感じじゃないですよ(笑)。
— ヴェルディ音楽院の学費はおいくらですか?
仲田 私が入った当時が年間五千円から一万円でした。リラだったこともあって安かったですね(笑)でもシステムがどんどん変わり始めた頃で毎年二倍二倍と変化していきました。現在はヴェルディ音楽院も大学システムが導入されました。8、9、10年生の三年間が大学システムとして選択可能となりした。学生は、その大学システムにするか、今まであったトラディショナルシステムにするかを選べます。大学システムを選ぶと大学卒業資格に当たるものがもらえます。例えば10年生を卒業した時点で、高校を出られない若い子達もいますが、そういう人たちは別に大学システムを選ばなくても今までのトラディショナルコースを続けることが出来ます。どのシステムを選ぶかで学費も変わります。大学システムコースだと年間800ユーロです。
— 日本だと年間200万円以上かかったりするので話にならないですね。イタリア全土的に教育システムが変わっているのですか?
仲田 はい。ただ現在、正式に認められているのはローマとミラノと聞きました。イタリアは地域によってシステムが随分違います。必要な教科も全然違います。大学システムを正式に一番厳しくやっているのはミラノだと思います。国の検査が入っても必ずパスする自信はあるというのが売りみたいです。なので、ピアノ科は本当に厳しいです。
— イタリアは、全体的に教育の制度改革しようとしているのですか?
仲田 今、真っ最中です。
— 他のヨーロッパやアメリカに合わせようということでしょうか?

仲田 以前にコンセルヴァトワール(音楽院)のディプロマが他の国で認められませんでした。それで、違う国に行った場合、もう一回ディプロマを取り直さなければいけないというのが問題になったようです。レベルが低いということではなくイタリアのカリキュラムが特殊すぎるらしいです。
— イタリアという国は、他の国とちょっと違いますよね(笑)。
仲田 それでやっぱり改革を始めようという話が出ているみたいです。特に実技のプログラムは1930年から改正されていないので。
— 1930年ですか? 70年以上してから改革ですか(笑)。
仲田 はい。そろそろ変えようかという(笑)。伝統があるといえば伝統があるんですけど。
— これから毎年変わる可能性がありますよね。
仲田 トラディショナルコースの試験が急激に変わるということはないと思いますが、大学システムは本当に毎年変わっています。
— 大学システムだと日本の大学を出ている人もしくは途中まで勉強した人がイタリアでうまく編入しやすくなる可能性があるということですね?
仲田 どうでしょうか。私はトラディショナルコースの方がいいと思います。
— どうしてですか?
仲田 大学システムでは180単位も取得しなくてはいけません。日本の大学は日本語で習うじゃないですか。日本語で教わった教科がどの程度、単位が免除されるか私にはちょっと見当がつきません。内容がかなり変わってくると思いますので。
— 180単位というのは日本などでは信じられない数字ですが一つの科目で何単位ですか?
仲田 学科によって変わるんですけど、一年間で実技が20単位です。
— それは大きな単位ですね。これも特殊ですね。
仲田 授業以外の自宅で練習する時間をかなり単位に足してくれます。だから室内楽も同じような扱いです。あと小さい学科は2単位、3単位、4単位という単位数もあります。
— 1単位から20単位まで結構幅があるのですね?
仲田 そうですね。例えば外部でマスタークラスや講習会を受講しても証明があれば単位をもらえます。外部で沢山コンサート活動をすれば単位が特別にもらえることがあります。外部の活動も結構単位と見なしてくれるので三年で180単位だったら何とかなる単位ではあると思います。ただ日本人にとって高度な語学力が必要な学科は大変だと思います。ピアノを練習する時間も少なくなりますし。
— ヴェルディ音楽院に行く場合は今までのシステムに入った方がいいということですね。
仲田 私はそう思います。皆さん、大学卒業の資格はあまり興味がないと思うので。日本の音大を出ている方は、ミラノ、ローマ以外でしたらコンセルヴァトワール(音楽院)の大学院に直接入れそうです。
— イタリアに行く前に先生と入学準備をした方がベストですか?
仲田 ベストですけれども、先生にもよると思います。有名であっても細かいことは面倒を見ない先生もいます。でも面倒見が良い先生はあらゆる限りを尽くしてくれます。
— 先生を知らなくても入学はできるということですよね。
仲田 全く問題ないと思います。そういう意味ではマフィアじゃないですね。ただ入学が決まった時点で事務所が先生を自動的に振り分けてしまいます。もしその事務所が信頼できないのであれば他の人に噂を聞くなどします。授業を見学というのはあまりできるわけではないので。
— 授業の見学をしてはいけないのですか?
仲田 そういう事ではないのですけど、事前に先生の所に行ったら「君はもうこのクラスに入るんだね」と思われるケースが多いと思います。入学後、違う先生の所に入ってその先生と鉢合わせたときに問題になってしまう可能性があります。もし意地悪な先生だったらマズイかなと(笑)例えばその先生が審査員になってしまった場合です。
— イタリアは面倒くさそうですね。
仲田 そうですね。本当に先生によるのですけど、派閥や先生同士の仲もあるので。
— どの先生につくかで入学試験や卒業に左右されてきますか?
仲田 入学試験は大丈夫だと思いますが卒業試験ではもめるケースもあるようです。そういう場合は先生と過去に何らかのやり取りがあった事が多いですね。例えば過去に自分の弟子にからい点数つけたから私も甘くつけないわよとか。先生の機嫌にもよります(笑)
— 最初に振り分けられる先生と馬が合わない時は、先生の変更は可能ですか?
仲田 可能ですが、今言った問題が生じます。それで本当にどうしよう、変えたいけれど後が恐いし、失礼だしと考えてしまうケースが多いですね。合わない先生と当たると大変です。もし先生を変える場合は、学長に手紙を出して変えてもらうことになります。ただ、本人が一切周りを気にしない人でしたら問題は全くないと思いますが。
— そうなんですか?
仲田 でも気にする人だと悩んでしまう・・・。
— イタリア人はどんどん先生を変えていきますか?
仲田 変えていく人もたくさんいます。日本人ほどは悩まないかと(笑)
— ヴェルディ音楽院には、今、日本人は何人ですか?
仲田 今はかなり減ってしまって全部の楽器、指揮を合わせても日本人は十人に満たないと思います。全校生徒数は、ピアノ科が十年制で各学年三十人未満程度です。ピアノ科のクラス数は、二十三クラスありましてそれぞれの人数制限が十名です。どうしても多くなってしまって特別許可をもらって十五人というクラスもあります。人気のない先生は十人に満たないというクラスもあります。だからピアノ科の生徒数は300人に満たないですね。人数としてはピアノ科が一番多いです。
— 全校生徒はざっと千人は超えるということですよね。
仲田 千人は多分超えると思います。
— 学校の雰囲気はどうですか?
仲田 雰囲気はいいと思います。先生の派閥に巻き込まれることもないですし、争い的なものは少ないです。先生方は演奏の好みがハッキリしているので割と生の声が届いてきます。
— たとえばどのような事ですか?
仲田 先生を通して試験の演奏の感想を聞けます。それに辛い点数が付いても、理由もちゃんとついてきますね。そのコメントからも趣向の違いが見えてくることもあると思います。
— イタリアではミラノ音楽院とヴェルディ音楽院に行かれていますが、イタリアはこういう所良かったと思う点がありますか?
仲田 日本に比べたら小規模なので融通が利きやすいと思います。日本のシステムをよく知らないのでなんともいえないのですが・・・日本とイタリアでは校舎の規模も全く違います。学生同士や先生との関係は非常にフレンドリーです。
— 先生との関係は目上の人となりますか?それとも対等ですか?
仲田 もちろん目上の人ですけれども、生徒も自分の意見を言わないといけません。先生によっては自分の言う通りに弾け、という人も少数ながらいますけれども、私の先生は個性をとにかく大事にすることをモットーにしています。だから自分が弾きたいように持っていくことが第一条件です。先生はこう言っているけど、私はこういう風に弾きたい、というのは大歓迎です。先生の言うとおり、「ハイハイ」と弾いていると、「弾いていてもつまらないだろうし、先生のコピーだけはならないで」といわれます。「あなた自身は何がしたいの?」と。
— それはいいところですね。イタリアではイタリアものが一番得意ということになるのですか?
仲田 そうではないですね。レパートリーが非常に幅広いです。特に大学システムの試験のうち1つは、作曲家が十四人必要となります。近現代まで本当に隙間無く選びます。十三グループありまして私はこちらを受けたのですけど、第一グループはバッハの平均率を六曲、もしくは五曲プラス他のバッハの曲、第二グループがモーツァルトもしくはハイドンの曲、第三グループがベートーヴェンのソナタ、それからシューベルトもしくはメンデルスゾーン、ショパンもしくはシューマン、リストもしくはブラームスという形で各グループ二択になります。それが近現代まで続きます。最後の14グループは自由曲。これ以上何を選べばいいのかと(笑)
— それは大変ですね。
仲田 そうですね。小曲ばかり選んでしまえばそんなに大変ではないのですが、ソナタばかり選ぶとか、大曲をたくさん混ぜて持っていく人ももちろんいるわけです。そうすると全部弾くだけで本当に三時間かかってしまいますね。それが一番重いといわれている試験です。
— 今言われた試験はいつ受けるのですか?
仲田 八年生の終わりです。(大学システムの1年生)
— 何年間でそこまでもっていくのですか?
仲田 六、七、八年です。
— 三年間で持っていくのですね。それは結構大変ですね。
仲田 そうですね。体力的にも一番辛いと思います。それぞれの作曲家の弾き分けだけでも難しいので。でもこのやり方を先生方も誇りにしています。ベートーヴェンだったらベートーヴェンの音を体に染み込ませるという事ですね。
— 日本からピアノ留学をする人で第一希望がイタリアというのは珍しいと思います。そういう意味で逆にイタリアだから良かったということありますか?
仲田 ありますね。競争社会でないことですね。聞く話ですと、他の国などでは日本人同士の競争もあるようです。イタリアはのんびりしてます(笑)
— 音楽的にはいかがですか?

仲田 他の国を知らないのではっきりは言えないのですが、非常にのびのびしていると思います。個性をとにかく大事にしていますし、キチキチしてはいないですね。現在世界的に活躍している人たちを校内でも見かけますし、そんな人達でも普通に友達感覚で話せます。ヴェルディ音楽院は、大学院が正式に通ったという事で音楽界で活躍している人達が今、学校に戻ってきているんですよ。前回のブゾーニ国際ピアノコンクールでの1位、2位はヴェルディの卒業生なのですが、彼らもまた戻ってきていて今年大学院の卒業試験を受けたということです。二十年前に卒業という人たちも戻ってきています。正式に大学院が認められたので今後、学校で教えるにあたっても資格を取った方が有利なようです。
— イタリアは、学歴社会ですか?
仲田 そんなことはないと思いますけれども、とにかくポストが無いのです。コンセルヴァトワール(音楽院)で教えるには採用試験があるのですが、もう何年も行われていないようです。ポストが全然ない状態だそうです。待機のリストが何百メートルにも及ぶんじゃないかと言われています(笑)。
— なるほど(笑)。
仲田 卒業をしてもその先十年以上はコンセルヴァトワール(音楽院)で教えるということは、まず無理だろうと一般的に言われています。ヴェルディ音楽院が大学システムになったのを契機に、新たに音楽高校を別に作るという方向に話が進んでいるみたいです。小さい音楽学校をたくさん作りたいみたいですね。
— そういう話になっているのですか?
仲田 そうなんです。だからコンセルヴァトワール(音楽院)自体のシステムが変わって一年生から七年生までが消えるかもしれないという話も聞きました。
— ここしばらくはイタリアの教育制度に注意していないと本当に分からないですね。
仲田 変動が激しいですね。それで今、賛成派と反対派に別れているようです。政治も関与しているので、首相が代わったのもポイントですね。これからどういう政策になっていくのか・・・でも皆、向上はそれほど期待していないみたいですけれど(笑)
— 学校の授業ですが、これはどのように進みますか?
仲田 私が今年1年でとった授業は、教育学と分析学と、伴奏学と初見及びオーケストラのスコア読みというもの、それに室内楽とピアノの実技、あとピアノデュオ専門コース、ピアノの歴史、これはピアノの作曲家のみの歴史です。それに英語です。
— 英語?
仲田 英語も単位に入っています。英語はブリティッシュカウンセルという語学学校と提携をしているので、かなりの割引がきいて十二月〜四月のコースで週に一回二時間で百ユーロでした。
— ヴェルディ音楽院は、基本的に大学と同じシステムと考えると一般科目はあるのですか?
仲田 音楽と全然関係ないのは語学のみです。教育学やメソッドの点で心理学や音楽療法が関与してきますが。一応コンピューターの授業もありますが、音楽ソフトが使いこなせるためにということです。
— 練習は家でやっています?それとも学校ですか?

仲田 家ですね。学校は本当に練習室が少ないのです。夜は予約制で取れるのですが、夜が駄目な時は昼休みのクラスの合間を狙って、もしくはどなたか先生の欠席を願うことになります(笑)
— 基本的に皆さん練習は家でやるのですね。
仲田 そうですね。家でやるのが主流、もしくは練習室がみつかるか運に任せる(笑)。
— 運に任せる人が主流ですか?その時になって練習できればいいや、ということですよね(笑)。
仲田 そうですね。学校の練習室が空いていないとバールに行って暇をつぶしています。練習室が空くまで一日中ブラブラしている人もいます(笑)。
— 時間をきちんと決めてやりたい人は家でやるしかないということですよね。
仲田 そのほうが確実です。
— 学外のセッションやコンサートの機会もありますか?
仲田 それも付いている先生が関係してくると思います。先生によっては自身でコンサートを企画されている方がいらっしゃるので、試験前に試したいと先生に言えばギャラなしですが弾かせてくれる場合もあります。それに学校が学外の音楽事務所と提携していますのでその学外コンサートのための学内オーディションを受けるということもあります。
— コンサートの機会はすごくあるということですね。
仲田 その気になればいくらでもあります。
— コンサートでお客さんは集まりますか?
仲田 時と場合によりますが・・・イタリアの良い所は、本当に音楽が聞きたい人が集まってくれるということです。なので、たとえ聴衆が数十人でも大変暖かいです。ある程度名前が通っている音楽事務所であればもう固定のお客さんがついていますので、日本のようにすごく努力をしてお客さんを集めるということはあまりしないですね。(個人での自主リサイタルはほとんどないですから)皆さん毎回足を運ぶことを楽しみにしていらっしゃいます。それにイタリアではコンサートで高いお金を払わないですから。もちろんスカラ座は全く違いますが、かなり良い大ホールでも本当に大物が来て25から30ユーロ程度です。そうすると、学生ではそんなにお金は取れないですよね。今年は毎週火曜日に学内の小ホールで昼時コンサートを無料でやっていました。
— コンサートに出たい学生は皆さんが出られるのですか?
仲田 一応取り仕切っている先生がいて、その先生に書類を提出すると、他の希望者と調節してプログラムを組んでいただけます。全部で一時間のコンサートです。例えば長いものを持っていくと、あいていれば全部弾かせてもらえますが、混み合っていれば何楽章のみとなります。このコンサートは弾く前に曲目解説を聴衆の前でしないといけないので、勉強にもなります。曲目紹介は本当にみんな嫌がっていますが(笑)それは義務になっています。その曲の背景などをよく勉強するので良い勉強にはなりますね。
— 一日の大体のスケジュールを教えてもらっていいですか?
仲田 私は学校の授業を、午前中になるべくいれるようにしていました。そうすると大体七時から七時半に起きて九時十五分には学校に着いています。九時半から授業が二時間あって十五分休みをはさんで次の授業が四十五分あります。そのあとすぐに次の授業があって一時に学校は終了して帰宅していました。
— 学校自体は午前中で終わってあとは自由になるということですね。
仲田 これは自分でスケジュールすることが可能です。遠くから来ている人たちが、なるべく少ない日数で終わらせるようにしたい場合、午前と午後の全部に授業を入れてしまって残りの日は家で練習するというようにスケジュールを作ることも可能です。
— ちなみに宿題は出ますか?
仲田 宿題は日本で考えているのとは違いますね。例えば初見のクラスでしたら初見と平行して、リード、アレンジが宿題に出るくらいです。分析のクラスも課題を出しても、やってくるのは半数くらいですね。先生達も全然厳しくないです。みんな忙しいのが良く分かっているので「君達は実技が命だから」と言っておおめに見てくださる先生もいます。もちろん意欲がある生徒はよく面倒見てくれますが、意欲がない生徒はそういう意味では放っておかれて、試験でも辛い点がつく場合も少なくないです。及第点は心配ないですけれど(笑)
— 学生さんは勉強熱心ですか?
仲田 勉強熱心というか、どちらかというと音楽家としての自覚を持っている人が多いです。自分のモットーというか芯が揺らがないですね。根本的に弾く時は自分のプライドというか、スタイルを持っています。
— 基本的に全員がプロになるという気でやっているのですか?
仲田 それはどうでしょうか。卒業の点数にもよると思います。プロフィールに書くことが多いので。点数が高得点でない場合、そこで低迷してしまう人もいます。それにディプロマは欲しいけれど、そのあとには考えていないという人も結構います。どれくらいピアノに重点をおいているかということで変わってしまいますが、皆が皆絶対にプロを目指しているというわけではないですね。逆に室内楽に興味のある学生はとても多いです!
— 伴奏の仕事などはいかがですか?
仲田 それはいくらでも転がっています。学内でも他の楽器の人はいつでもピアニスト探しています。私達の方が断わり続けているくらいです。他の学校ではどうか分かりませんが、ヴェルディ音楽院では伴奏奨学金というものがあります。それは伴奏をたくさんやる人たちに奨学金を与えるシステムです。そのシステムを利用すると学生が伴奏代を払わなくていいので学生にとってはありがたいシステムだと思います。
— 授業以外では通常どういう生活ですか?
仲田 かなり引きこもっています(笑)。出不精なんですよ(笑)
— 練習ばかりですか?
仲田 そうですね。練習と家の事と洗濯です。もちろん、たまには友達と出かけたりもしますけど。学校の大ホールで毎日というほどコンサートをやっているので、中心地に住んでいる場合はコンサートにも頻繁に行けますが・・・私は少し郊外に住んでいるので行きづらいです。
— 郊外というのはどのくらいの場所ですか?
仲田 ベッドタウンですか?中心地から地下鉄で二十分くらいです。
— それで郊外になるのですか?
仲田 そうですね。本当にある駅までは人が一杯いるのに、私の駅の4駅前まで来るとガラっといなくなっちゃうんですよ。夜九時以降は誰も歩いていない状態です。家族や老人が多いところです。
— ちなみにミラノの中心地から何分くらいのところまでがいわゆる中心地と言うのですか。
仲田 地下鉄で十分、十五分です。その五分の違いで私は早く帰らないといけないのです。
— イタリア人とうまくやるコツはありますか?
仲田 イタリアに興味があることをアピールすることですかね。こちらに興味があればイタリア人は喜んで受け入れてくれます。
— 外国人に関して日本人に限らず受け入れてくれるのですね。
仲田 日本人は特に受け入れてくれやすいと思います。日本の文化にものすごく興味がある人が多いですし。例えばテクノロジー系でも昔の日本の伝統的なものでも、言葉のことでも沢山の分野で日本には興味がある人が多いです。この前も宮崎駿さんの映画祭があったのですけど、満席で入れないという状態です。一部の人はトトロの歌詞を日本語で知っていたり(笑)。だから、こちらさえオープンに接していれば、本当に助けてくれるし、いくらでもうまくやっていけると思います。でも一般的に女の子は男の子の友達のほうが接しやすいですね。フレンドリーですから(笑)
— 日本人以外の外国人は結構いますか?
仲田 私の知人ではリトアニア人、ロシア人、クロアツィア人などがいますね。
— 日本人に対してはどういうイメージがありますか?
仲田 やっぱり機械的というイメージが抜けないですね。でも徐々にですが、日本人は時代の流れで機械的になってしまって、音楽をどう表現していいか分からなくなってしまっているだけで、本当はものすごい繊細な人種という意見も出てきています。もちろんそれは一般的なイメージですから、結局は人それぞれだとおもいますけれど。機械的に弾く人はイタリア人でもいますし、本当に凄いですよ。それこそマシーンそのものじゃないかと思うくらいです(笑)
— アパートは何回か変わられたことがありますか?
仲田 最初に知り合いの紹介という事で、ミラノから北に90キロほど離れたところのキリスト教の学生寮に一年半いて、その後ミラノの学生女子寮に移りました。そこは大学生がいろいろな所から来ていて全部で百二十人くらいいたと思います。
— そういう寮があるのですか?
仲田 そこは、いくつかある寮の中でもかなり大きい方だと思いますが、値段は月に800ユーロ程でした。そこは日曜日のお昼だけつかないのですが、三食付きで部屋もシングル、トイレとバスだけ二人で一つを共同というかたちでした。
— ピアノは置いたりすることは出来るのですか?
仲田 私がいた時は地下室があいていたのでピアノを置かして頂いていたのですが、その地下室が使えなくなってしまった事で寮を出る決心をしました。
— 一般的なアパートでピアノを置く事は可能ですか?
仲田 はい。でもご近所問題は常にありますけれど。私は雑誌からアパートを探したので大家さんに何回も念を押しました。「本当にテレビとは比べ物にならないほどの音量ですけど、それでもいいのですか?」と。そういう感じで何回も確認を取ったうえでそのアパートに入りました。それでも一回だけ下の階の人が「テレビが聞こえない」と言ってきました(笑)毛布などの詰め物を詰めて何とか改善してそれ以降は大丈夫です。
— いろいろなクレームの可能性はあるのですね。
仲田 イタリア人でもそれが一番のネックで裁判沙汰になることもあります。一番いいのは、以前に音楽関係の人がいたところに入ることですね。
— いきなり行って自分で探すというのは非常に難しいですね。
仲田 そうですね。ただし、外国人専用のアパートがコンセルヴァトワール(音楽院)から遠くない所にあって、音楽関係の人も沢山入っているとは聞きますが。そこは問題なく音を出せるとか。
— 大体の生活費はどの程度ですか?
仲田 私は一人暮らしでグランドピアノを置いているので一人には広い五十平方メートルです。キッチンは居間の一角で、他に寝室とシャワールームで月650ユーロです。マンションの管理費は、年間の暖房費全部込みでプラス120ユーロ。私は光熱費・ガス代を1ヶ月一定の料金で支払っています。大家さんと交渉して全部で一ヶ月800ユーロ支払っています。目の前がコープで買い物にも便利な、すごく恵まれた状況です。地下鉄も近いのでいい物件だったといわれます。
— プラスで生活費はいくらかかりますか?
仲田 食費はかなり浮かしていて、自炊が主なので月に150ユーロくらいです。節約しようと思えばいくらでもできます。交通費を含めても1100〜1200ユーロですね。
— 一般的に通常1000ユーロ前後ですか?
仲田 これは低い方だと思います。もちろん部屋などをシェアしたら家賃はすごく浮くと思いますが。私の生活費がこれで済んでいるのはヴェルディ音楽院の学費が安いということにあります。ミラノ音楽院やプライベートレッスンに行かれている方だと勉強費用がかなり出てしまいます。
— ミラノは一般的に安全ですか?
仲田 治安は良くなったと思います。ただし中央駅周辺は、女性の方の夜の一人歩きは避けた方がいいと思います。
— どういうふうに危ないのですか?
仲田 一歩を間違えると日中でもナイフ突きつけられてパスポートを出せと言われるという話も聞きました。でもまあ、運しだいですね(笑)
— 主に多いのはスリですか?
仲田 スリですね。でもいかにもな格好をしていなければ、ある程度は予防できます。それに歩き方ですね。とりあえず周りを見ないで早足で突き進むのが一番いいです(笑)
— 留学してよかったと思えることはありますか?
仲田 逆に後悔したことが全くないです。
— 留学したことによって自分が変わったことはありますか?
仲田 人からよく言われるのは音楽的にも人的にも垢抜けた?(笑)それまでは何事も真剣に考え過ぎて重くなっていた節がありますね。最近では何事もポジティブに考えられるようになりました。イタリアの単純さと明るさが良いように私の中でミックスされてきました。あとは人をすぐに頼らなくなりましたね。イタリア人は口先の人も多いので信用しないし、それを責めても始まらないので(笑)
— 卒業したあとはどういうふうにお考えですか?イタリアに残るのですか?
仲田 イタリアを中心に行ったり来たりしていければいいと思っています。演奏活動だけで生きていくというよりは、演奏活動をしながら他の仕事もしていきたいと思います。イタリアのアーティストを日本に紹介するということにも興味があります。
— これから留学される人たちにアドバイスをお願いしてよろしいですか?
仲田 最初から意志をしっかり持って、他人の意見に簡単に左右されないようにした方がいいと思います。とらえ方というのは人によって180度違うものだったりしますから、他人の意見を鵜呑みにしないで自分でなるべく見定めるように気をつけないと。あと、目的によっても変わってくると思うのですが、楽しむことも大切だと私もよく言われますね(笑)あまり勉強、勉強というふうになるよりも、ある程度ゆったり構えているほうがイタリアの本当のいい部分がわかることもありますし。
— 長い間ありがとうございました。
音楽留学アンドビジョン【ヨーロッパ留学情報 vol.347. 2015-02-24 05:00:00】
神田望美さん/フルート/王立モンス音楽院/ベルギー・モンス
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

フェリス女学院大学音楽学部卒。ベルギー王立モンス音楽院卒業。現在ベルギー王立ブリュッセル音楽院教職コース在中。
— 今までの略歴を教えていただけますか?
神田 フルートをきちんと始めたのは16歳の頃、高校一年の終わりからです。それからフェリス女学院大学音楽学部に入り、その後ベルギー王立モンス音楽院に留学して去年卒業しました。
— フルートを始められたきっかけは?
神田 小学校のブラスバンドにフルートがあって、かっこいいと思って小学校五年生の時から始めました。でも、きちんと学ばなかったのでそのまま卒業と同時にやめてしまいました。ブラスバンドが盛んな高校だったのでブラスバンド部に入って、一年目はホルンを吹いていました。でも、フルートで音大に行きたいと思うようになったのでフルートを本格的にやるようになりました。
— フェリスをご卒業してすぐにベルギーに行かれたのですか?
神田 そうですね。在学中からずっと考えていたので。
— 在学中にベルギーの学校の先生とお知りあいになったのですか?
神田 直接先生は知りませんでした。ただお名前だけは知っていて、こちらに来てからコンタクトを取りました。
— ベルギーに留学したきっかけはありますか?
神田 もともと海外交流や言語にとても興味がありました。私は、外国の人たちに囲まれて外国の中で暮らしたいと当時は思っていたので、日本人がたくさんいない所にしようと考えました。ベルギーはそんなに日本ではメジャーではないのでベルギーで先生を探してみたらいい先生がいらしたので、彼のところに行こうと決めました。
— 実際にベルギーはどうですか?日本人はそんなに多くないですか?
神田 日本人はいますけどそんなに多くはないですね。ブリュッセルには同じフランス語圏の学校でもブリュッセル音楽院、リエージュ音楽院、モンス音楽院と三つあるのですが私が行っていたモンス音楽院は、日本人が一番少なくて数人しかいませんでした。ピアノで二人、フルートが私一人でした。クラリネットとギターに一人いました。
— 学生は現地の人がほとんどですか?
神田 現地の学生と先生によっては留学生がいます。クラリネットの先生が有名な先生だったので、外国人の子がいっぱい来ていました。ピアノも歌もたまに留学生がいます。ギターの先生も有名な人で1-2名の日本人の方がいました。
— 授業は何語ですか?
神田 授業は全部フランス語です。レッスンは先生が英語ということもありますが、一般の音楽史などの講義の授業は全部フランス語でした。
— フランス語はずっと勉強されていたのですか?
神田 大学の授業で少しやった程度です。留学する前の半年位プライベートレッスンを受けました。あとはこちらに来てから一年半位語学学校に通いました。
— 語学学校は音楽院に入る前ですか?
神田 私は6月にベルギーに来たので2ヶ月間の夏休みに語学集中講義を受講しました。音楽院が始まってからは音楽院と平行して語学の夜コース、週2回の昼コースに行っていました。
— そうすると最初の音楽院のレッスンはいかがでしたか?
神田 全然分からなかったですね(笑)。先生とは英語でやりとりしていたので問題はなかったのですけれど、フランス語の普通の授業は作曲家の名前位しか分からなかった。全然分からなかったです(笑)。
— 大変ですよね。
神田 眠くなっちゃう(笑)。
— そういう分からない状況からどうやって乗り切っていかれましたか?
神田 一年目は本当に先生が優しかったです。一般の大学に比べたら話せなくても、まあまあみたいなところが音楽院にはありました。外国人の生徒には追試をしてくれるなど親切なことをしてくれたのでどうにか乗り越えることができました(笑)。
— 音楽院はどのようなシステムですか?
神田 音楽院には高等課程というのがあって最初はそれに入ります。高等課程では2年目から卒業の資格試験を受けることができ、4年目までにいつでも「私は今年資格をとります」と宣言して資格試験を受けることができます。私は4年間通って卒業し、今年は教職コースに入りました。教職コースは二年間で、音楽院のオプション授業みたいなものです。
— 「卒業の資格試験をとる」という宣言をするとどうなるのですか?
神田 「資格をとる」というと試験の曲数が変わります。普通の試験では4曲なのですが資格試験だと12曲になります。
— 試験は厳しいですか?
神田 そうですね。プルミエールプリ(一等賞)という高等課程の前のものだと、一回落ちても五回までチャレンジできるようになっているようです。しかし、高等課程では一回落ちたらそれでおしまいとだそうです。
— それは怖いですね。
神田 私は十二曲準備することに集中していたので落ちるという怖さを考えていなかったのですが、あとで落ちた人がいると聞いてびっくりしました。あとで聞いてよかったと思っています。先に聞いていたら落ちる事があるという恐怖にとらわれていました。
— 試験は公開で行われるのですか?
神田 公開です。コンサート形式です。
— 教職はどこで勉強されているのですか?
神田 教職コースはブリュッセル音楽院で受講しています。以前はブリュッセルからモンス音楽院まで通っていましたが、ブリュッセル音楽院の方が近いので教職コースはブリュッセル音楽院で受講することになりました。
— フルートの教職ですか?
神田 コンセトヴァトワール(音楽院)に入る前の音楽学校(公立の学校やヤマハとはまたちょっと違う)があるのですがそういう所で教えるための教職免許です。
— その教職免許があればいろいろなところで教えられるということですね。
神田 そうですね。ブリュッセルだと、区に一つ音楽学校があります。他の市でも町とか村に一つ程度は音楽学校があるみたいです。
— ベルギーの子供達はどうですか?
神田 一回産休の代理人をやったことがあるのですが日本の子とは違います。本当によくしゃべります。日本の子だとハイハイと聞いていると思うのですが、ベルギーの子は自分の意見もどんどん言ってきます。音楽的には日本の子供の方が一般的に練習するというか、親が練習させるところがあるみたいです。こちらの子はあまり練習してこないようです。きちんと親御さんが子供を見ているかどうかだと思いますけど、大きくなっても音楽を続けている子は楽しさが先行している感じですね。日本の子だとやっぱり音大受験など大変さの方が先行してくる気がしますが、こちらの子は楽しそうにやっている気がします。
— それは土壌の違いがあるのですか?
神田 そうですね。それにそんなに入学試験そのものは難しいわけではないからだとも思います。
— 音楽院の試験はどのようなものですか?
神田 音楽院の試験は最初から曲を二曲くらい提出しておきます。エチュードの曲と、それ以外を合わせて三、四曲準備します。当日、試験官より曲を指定されてエチュード一曲と曲一曲を吹きます。丸々じゃない場合もありますし、長い場合もあります。私はそんなにたくさん吹かなかったですね。
— 筆記試験はいかがですか?
神田 筆記は無かったですね。高等課程前の段階だとソルフェージュなどもあるみたいですが高等課程の試験では筆記はありませんでした。
— ベルギーのビザ申請は大変ですか?
神田 何度か大使館に行く手間はありましたが書類さえ準備すればそんなに大変なことはなかったです。
— 学校の入学許可証は必要ですか?
神田 学校の入学許可証、戸籍謄本などの類を揃えれば大丈夫でした。私は六月くらいにベルギーに行っていたので入学許可証はありませんでした。九月に入学試験がありすぐに入学なので音楽院の試験を受けてもいいよという紙を学校から送ってもらいました。そして仮ビザを出してもらいました。学校に入るとベルギーの区役所から滞在許可証がもらえるのですが、それはそんなに苦労なく取得出来ました。フランスにいる友人が半年経ってもまだ滞在許可証が来ないという話を聞いたことがあるのですが、私はそんなことは全然ありませんでした。朝早くから並ぶのが大変ですが、一年に一回なので我慢すれば全く問題なく出してもらえます。実はベルギーに来た時、保証人が必要でした。その当時、私はよく分かっていなかったのですが、先生が一緒に役所に来てくれて保証人になってくれたみたいです。後々、書類をよく読んだらそういうことでした。当時は良く分かっていなかったのですが、凄いいい先生でした。
— 凄いですね。
神田 本当に先生には面倒を良く見ていただきました。ベルギーの高等課程に入れたのも、先生が書類を全部やってくださったからです。
— 学校はどのような雰囲気でしたか?
神田 モンス音楽院は建物が非常に古く、雰囲気はいかにもヨーロッパの学校の雰囲気を持っています。先生によって生徒さんの雰囲気は全然違っています。ギターの先生は有名だったのでたくさん生徒がいました。クラリネットやピアノ、歌も同じです。私の先生も有名なのでたくさんの生徒さんがいました。例えばオーボエやファゴットは地元の子が中心でした。雰囲気は割とのんびりした感じだと思います。
— 競い合う感じではないのですか?
神田 多少は競い合いますが、ギスギスしているのが外に見える感じではないです。全体としてのんびりした感じです。
— 一クラス大体何人くらいですか?
神田 クラス数は先生によって全然違います。16人いるクラスもあれば、2名というクラスもありました。フルートは大体15人くらいだったと思います。全部で九年生になっているのですが、一学年13人〜15人くらいだと思います。
— フルート科の先生はお一人?
神田 一人の先生とアシスタントです。
— そうすると年間三、四人しか入らないということですね。
神田 そうですね。ベルギーは一千万人しかいないので、外国からやってこない限りは割とゆとりはあります。
— 日本とベルギーの学校で大きく違う点はありますか?
神田 カリキュラムで違う点は、室内楽の授業が日本だとない大学もありますがこちらは室内楽科の教授もいます。私の大学では室内楽は、半年間で一週間に一日90分の授業が一枠ありましたが公開授業でした。こちらでは室内楽の教授と何人かのアシスタントがいて、室内楽もレッスンです。室内楽の先生のところに行って室内楽の授業を受けます。試験も普通の試験と同様何曲か準備します(通常五曲くらい)。日本人が室内楽のクラスに行くと始めは他の楽器と合わせることを知らないというか、馬車馬的に演奏してしまう部分があるようです。いかにして他の音に混ぜるかという室内楽をベルギーに来て学んだと思います。
— いろいろな楽器と行いますか?
神田 一年目は、チェロとピアノとフルートの曲、それにビオラとフルートの曲、ビオラとフルートとコントラバスの曲などいろいろやりましたね。
— 先生がだれだれと組みなさいと決めるのですか?
神田 室内楽の先生のところに行ってどんな曲をやるのかということで決めていきます。
— 一番違うのは室内楽ですか?
神田 室内楽は相当違いますね。あとは学校の雰囲気が全然違います。私の時の授業は音楽史と分析と和声だけだったのですが、今はいろいろな科目を取らなくてはいけなくなりました。全部フランス語なので、それが結構大変だそうです。和声もすごい違いますね。私の受けた和声の試験はかなり厳しく五時間部屋に缶詰にされてしまいました。日本だと90分の枠の授業でぽんと入っているだけでしたがベルギーでは個人レッスンか少人数制で出来るようになるまでやらされます。
— なぜそこまでやるのですか?
神田 ピアノだと即興が出来るようになるようです。管の場合は下級コースだけでいいのですが、バイオリンは中級コースまで、ピアノは上級コースまでやらないといけません。上級コースになると寝泊りしてレッスンや試験受けたりするようです。
— 合宿状態ですね。
神田 合宿状態で試験を受ける位ごく徹底的なものになっています。
— 全然違いますね。
神田 試験が本当に厳しいところがかなり違います。日本は普段も厳しいけど、試験も同じような厳しさで通過していく感じですが、こちらは試験がいきなり厳しいです。
— 日常のレッスンはそんなの厳しくない?
神田 先生によって違いますけれども、普段なんとなくのんびりした雰囲気が流れているのに試験だけ非常に厳しいという感じです。一年目はのんびりしていたら、やられたという感じでした。
— 一年目は結構単位が取れないのですか?
神田 そうなんです。和声落としちゃいました。音楽史はそれでも追試で何とかなったのですけど、分析は全然だめで全く手が動かない。日本だと先生が説明してそこが試験に出る、という感じですが、こちらだといきなり全然違う曲が試験に出てきたりします。質問事項もなくて、「その曲について書きなさい」で終わりです。自分で分析できないと駄目なんですね。
— ベルギーに行く場合この辺のことはきちんとやっておかないといけないでしょうね。
神田 基本がきちんと分かっていればどうにかなると思いますが、和声が分かっていると結構いいこともあります。日本とは違うという事を試験前に分かっておくと良いとは思います。のんびりした雰囲気に飲み込まれて、そのままのんびりしているのは実は自分だけだったという感じで終わってしまいます。
— 周りは結構分かっているわけですね?
神田 そうですね。周りの方は、試験は大変だというのが分かっているみたいです。
— 学校の一日のスケジュールは?
神田 私の時は授業数がそんなになかったので週三回モンス音楽院に行っていました。一日が室内楽のレッスン、一日は和声や音楽史、室内楽のレッスンを兼ねてやっていました。もう一日がレッスンでした。他の日は家にいて練習をしていました。今の学生は授業数が増えたのでほとんど毎日学校があるようです。授業がある時は学校に行って、授業がないときは練習室を借りて練習したり、家に帰って練習していました。
— 学校の練習は何時まで出来るのですか?
神田 ブリュッセル音楽院は九時半までです。でもモンス音楽院だと早くしまります。モンス音楽院に行く場合は遅くまで練習できる家を借りることが大事ですが、ブリュッセル音楽院だと昼間家で吹ければ夜は学校で練習できますね。
— 学校のシステムはいつから変わったのですか?
神田 私が入った次の年から大学と同じように変わりました。フランスと同じで、昔は大学ではなくて高等専門学校のような感じでした。今は大学、大学院、博士課程というように他の国とほとんど同じなった分、哲学や社会学などの一般教養もとらないといけなくなりました。以前は学費も安かったです。
— ちなみにどの程度ですか?
神田 私が入った時は外国人で三百ユーロ程度でしたが、今は千〜千五百ユーロ位してしまうと思います。EUの人たちは三百〜四百ユーロ程度です。
— 神田さんはシステムが変わる前に音楽院に入っていたので、その後もずっと三百ユーロだったんですね。
神田 そうですね。日本の学費を考えたらベルギーの授業料は安いのですが、自分の料金と比較するとやっぱり高いと思います。
— 日ごろ練習はどこでなさっていますか?
神田 学校で練習室が見つかると学校で練習しますが、主には家です。1-2年目は先生がご自分の自宅の前にアパートを持っていらして、そこに入れてくださったので練習は問題なく出来ました。3年目は音大生専門のアパートに引っ越ししました。そこも練習出来ました。
— 音大生専用のアパートがあるんですね。
神田 凄く少ないですけどあります。学生用というとシェアでお風呂が共同になりますが、練習できるところは結構あるようです。
— 先生がアパートまで用意してくれるのは凄いですね。
神田 先生がたまたま前の年にアパートを買ってちょうど修理が終了した頃だったのです。「ここでいい?」みたいな感じで言ってくれました。私もどうやってアパートを探そうと思っていたので、「ここでいいです」と言いました。
— ベルギーに到着後すぐはどこに滞在していたのですか?
神田 二週間程度ですが、ホテルです。その後先生のアパートに移りました。
— アパートでの練習は何時までOKですか?
神田 法律では十時まで音を出して良いらしいです。ただ、大家さんによっては六時までなど時間が区切られる事はあります。万が一隣の家から楽器がうるさいと言われても法律上は楽器をやっている側の勝ちらしいです。
— 音のことで怒鳴り込まれたことはありますか?
神田 先生のアパートに住んでいた頃に一回だけあります。一つ上の階の人がアフガニスタンの人で、音楽と関係ない方でした。その方は始め音楽が好きだと言っていたのですが、ある日「六時くらいにはやめて欲しい」と言われました。困ったなと思って先生に相談したら、先生が大家なので「彼女は音大生だから六時にはやめられないんだよ」とその方に言ってくださいました。大家さんに言われたらどうしようもないので「分かりました」となりました。怒鳴り込まれたわけではないですが、もう一度そう言われると吹き辛い部分もあるので、先生に言って「来年引っ越します」となりました。その後引っ越したのですが、それ以後は他の人に特に音のことで注意されたことはないですね。
— 練習は一日何時間くらいするのですか?
神田 日によって違いましたけれども、学生の時だと気力があれば大体五時間くらい吹いていました。試験で十二曲やらなければならないときは六時間くらい吹かないと間に合いませんでした。日本にいた時はがむしゃらにやれという感じでしたが、ベルギーに来てからは要領を得て練習しなさいと言われました。先生は演奏会や試演会を準備してくれて、人前でどんどん吹いていくことによって内面に潜んでいる出来ない部分を自分自身で発見して練習していく方が効率がいいということでした。試演会といっても大々的な感じではなくて、次のレッスンは近所の人を集めておくからみたいな感じでした(笑)。
— そうやって人前で演奏する場数を踏んでいくと度胸もついていきますよね。
神田 緊張はするけど、緊張しても指が動くようになると思います。特に試験前などどうしても緊張で指が動かなくなってしまうのですが、そういうことをなくすためにガンガン演奏会をしていきました。
— コンサートは大体どのくらいの頻度で行っていますか?
神田 面倒見の良い先生だと試験前に小さい試演会から大きな支援会でだいたい五〜六回程度あります。ベルギーの方は全然知らない人でも、「あら若い子の演奏を聞きたいわ」と言って気軽に来てくださったりします。
— 学校でコンサートをやるのですか?
神田 学校や先生の家、それにどこか借りて下さることもあります。
— 家というのは凄いですね(笑)。
神田 そうですね。ホーム演奏会みたいです(笑)。
— ブリュッセルの生活費はどの程度ですか?
神田 家賃はシェアだと二百ユーロ程度からありますが、その料金だと家で練習できない場合が多いです。音楽の学生は、地区によりますが三百ユーロは最低で、五百ユーロ払えば結構いいアパートが借りられると思います。広くてキッチンもある場所で練習も可能です。
— 治安の悪い場所はありますか?
神田 南駅という駅があるのですけど、そこの周りは治安が悪いです。移民地区なので治安の良くない所で有名です。でもそこにはピアノ屋さんが一軒あって、そこの隣のアパートが音大生用です。シェアで二百五十ユーロでした。
— 生活費、食費はどうですか?
神田 食費は日本に比べたら安いです。月に家賃を入れて全部で五百ユーロ程度で生活できると思います。
— ベルギー自体の物価が安いのですか?
神田 物価は高くないです。レストランは税金(21%)が高いので日本と同じくらい取られます。食品は税金が6%なので、そんなに差はないと思います。
— ベルギーの音楽業界のツテはどのように作っていくのですか?
神田 これは本当に人格によると思います。どこかの演奏会でいろいろな方と出会い、コミュニケーションを取っていくことがよくあります。やはり社交性や積極性、あとは感じがいい人間であることが重要なことです。
— そういうふうにしているとお仕事が入ってくるのですか?
神田 そうですね。好かれるのが重要というと聞こえが悪いのですが、好かれないような性格だとやっぱりどこ行っても難しいと思います。たまに付き合っていくのに難しいタイプの方がいます。そのような方だと自然とみんな離れていきます。すごく上手くていい経歴もあるのだけれども意外と演奏会がないという方がいますね。
— では誰にでもチャンスはあるのですね。
神田 よく言えば割と誰にでもチャンスがあります。
— ベルギーの人たちとうまく付き合うコツはありますか?
神田 おしゃべりが得意だといいと思います(笑)。本当に良くしゃべるので。社交性は本当あったほうがいいと思います。それに日本のことをよく聞かれるので日本の事は知っているといいと思います。
— 演奏うんぬんよりも本当に人柄が結構大きいのですね。
神田 演奏が全然駄目ならもちろん全然駄目だと思いますが、きちんと演奏が出来ていればチャンスはあると思います。
— 留学して良かったと思える瞬間はありますか?
神田 演奏会をやる時は聴衆が暖かく、本当に音楽を楽しみに来ていると感じます。日本だと演奏会は何か観察しに行くみたいなところがあったり、有名な方が来たりすると、見に行くという雰囲気があると思うのです。ベルギーでは別にそういう感じでもなく、純粋に音楽を聞きに来て楽しんでいます。そういう時には、「ああ良かったな」と思います。それにいろいろな国の人に出会えて、今まで自分の知らなかった世界を知った時にこういう世界もあるんだと思う時に留学して良かったと思いますね。
— ベルギー人だけではないのですね。
神田 例えば隣人さんがアフガニスタン人だったので始めの頃はアフガニスタンの話を聞いたり、ギリシャ人からはギリシャの話、トルコ人からはトルコの話、イスラエル人にはイスラエルの話などいろいろ聞きました。また、ベルギー社会の表面から見ただけでは分からないことを聞いて、自分の心の持ちようも変わりました。そういう部分から音楽が変わるとこともあると思っています。
— 留学というのは音楽以外の意義がたくさんありますよね。
神田 日本の試験では、出来なかったら駄目、出来なかったら終わり、という感じでした。でもベルギーでは自分自身が出来るかどうかを自分自身に試して楽しんでいるところがあります。そういう心の持ちようが日本とベルギーでは随分違うと思います。出来なかったら出来なかったで「いやー残念だったね。じゃ次回」という、気軽といえば気軽な心の持ちようがあります。
— そういったところもご自身の中で影響されてきましたか?
神田 そういう人たちに囲まれているので影響されますね。変わらない部分もあるし、変われない部分もあるし、影響受ける部分もあるしという事でしょうか。
— どういった点が変わったと思いますか?
神田 一番変わった点は、一度出来なかったら終わりという考え方ではなくなったことです。前より人生を楽しむという気もあります。私の場合、日本の先生も追い込むようなタイプの先生ではなかったので、そういう意味では自由にやらせてもらっていました。しかしベルギーでは本当に自由に出来ると思います。私がこういう事をやりたいと言った時に、日本だと私の先生と周りの子だけが頑張ってね、という感じでしたがベルギーでは全体的にみんな聞いてくれます。曲目についてもスタンダードをやらなければならないというのもありません。各自がやりたいという事を追求できるシチュエーションにあります。こういうことをしなければいけないというのがあまり無いのです。
— 逆に自分のやりたいことがないとかなり大変ということですよね。
神田 ベルギーでも特にやりたいことがなくて淡々と過ごしている人がいないわけでもないんです。でも、やりたいと思っている人がそういう人たちに飲み込まれていくということは日本より少ないんじゃないかなと思います。
— ご留学してご自分が何か成長したと思う点はありますか?
神田 言葉は成長しましたね。それに前より言いたいことが言えるようになったと思います。ベルギーでは本当にきちんと言葉で伝えないと駄目なのです。そういう意味では隠さないで物事を言えるようにするのは私にとって成長という気がします。それに前はこうじゃないと駄目だと思っていた部分が、そうじゃない生き方もあるんだと視野が広がりましたね。演奏面では、舞台に立った自分がどう相手に印象を与えるかをよく考えるようになりました。日本では演奏面だけですが、ベルギーでは演奏面だけではなく舞台の立ち方から考えます。
— 今後はどういった進路をお考えですか?
神田 演奏活動もやっているのですが、それと並行して教えることをやっていこうと思っています。オーケストラに入るチャンスがあれば入りたいと思っています。
— オーケストラに入る事は結構大変ですか?
神田 大変ですね。一席の空きに対して、百人くらい来るので大変ですね。ベルギーでは室内楽が本当に盛んなので、アンサンブルを組んでやっていくことも可能です。ちょっと大きめなアンサンブルやったり、小さなアンサンブルやったりしていろいろ楽しめると思います。
— これから留学する人にアドバイスがあったらお願いします。
神田 言葉は何かしらできたほうがいいと思います。留学先をまだ決めてない場合はとりあえず英語を勉強しておいた方がいいと思います。ベルギーの人は言わないと何もないのと同じ意味になってしまいます。日本の場合のように言わなくても察するという能力をみんな持ってはいるのですが、察する能力が日本人よりは低いみたいです。きちんと口で言わないと何もないと思われる部分があります。何か言うためには語学が助けになると思います。私はこう思う、思わない、私はこうしたい、こうしたくないなど単純なことでいいのですが、そういうのが言えると言えないでは他人が自分を見る眼が変わります。音楽留学だと何もしゃべれないで留学される場合も多いとは思いますが、しゃべれた方がいいと思います。
— 結構その点で苦労されました?
神田 モンス音楽院では英語をしゃべる人がそんなにいませんでした。私は一応話をしていたつもりだったのですが、当時ノゾミは何を言っていたかよく分からなかったと言われます。英語が話せたので先生とコミュニケーションも取れたし、友人とコミュニケーションが取れたので、それで少し助かっていました。言葉が通じないと恐い部分もありますし、ストレスになったりすることも多いと思います。小さな事でストレスになると演奏に使うエネルギーも少なくなると思います。言葉そのものを習うのは楽器を習うのに似ているので言葉は話せた方がいいと思います。
— ありがとうございました。