奈良希愛さん/ピアニスト/ドイツ・ベルリン
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はヨーロッパ各地、アメリカに留学経験があり、現在ベルリンと東京を中心に大活躍されているピアニスト奈良希愛(ナラキアイ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学をすること」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年12月)。
ー奈良希愛さんプロフィールー

東京藝術大学卒業。ベルリン芸術大学首席卒業。同大学院国家演奏家コース首席修了。マンハッタン音楽院大学院プロフェッショナルスタディーコース修了。マンハッタン音楽院室内楽科助手を務める。全日本学生音楽コンクール全国第1位、シュナーベルピアノコンクール、ブゾーニ国際コンクールなど多数のコンクールで上位入賞。ロベルトシューマン国際音楽コンクールピアノ部門、日本人初の第1位金メダル優勝。ドイツ学術交流会、文化庁芸術家在外研修等奨学生。ドイツ国営放送局主催アイゼナハ/ヴァルトブルグ城演奏会、ボローニャ国際ピアノフェスティヴァル、NHK-FM名曲リサイタルなど、世界各国の音楽祭から招待。ベルリン響、ツヴィッカウ響、新日本フィルなど内外のオーケストラと共演。ソロ活動の他にトーマス・ティム(ベルリンフィル第2バイオリン首席奏者)、アンドレアス・ティム(ベルリン交響楽団首席チェロ奏者)とピアノトリオを結成し、各地の音楽祭から招待。現在、日本とベルリンに主な拠点を構え、世界各国で演奏活動を展開。指導者としても各地で公開講座、コンクールの審査を行う。音楽雑誌『ショパン』にエッセイを連載中。2006年4月より相愛大学音楽学部専任講師に就任。
— 簡単な略歴を教えていただいてよろしいですか?
奈良 東京藝術大学を卒業後、ドイツ政府の奨学生としてドイツ・ベルリン芸術大学に行きまして、そのまま大学院まで行きました。その間にスペインの音楽院やイタリアでプライベートレッスンを受けた後、1年間ほどマンハッタン音楽院で実習をやりながら大学院に通って留学は昨年終わったところなんです。
— いろいろな国に行ってらっしゃいますが、ドイツ以外の所にもいろいろ行きたかった、ということですか?
奈良 最初はヨーロッパに留学したいなという漠然とした気持ちがありました。そして、先生とのご縁や奨学金をいただけることでドイツに行きました。ドイツものを勉強しているうちにスペイン音楽に興味を持ちました。スペイン音楽というのは、ヨーロッパ内とはいえドイツとは社会や文化が違いますので。そこでピアニストの熊本マリさんにお手紙を出してお返事を頂き、彼女の先生をご紹介いただいて、スペインに行くことになりました。また一方ではイタリアのカトリックな宗教的なものにも興味がありまして、カトリックの聖地であるローマに行きたいなということで先生のご縁があってイタリアに行ったのです。アメリカは最初そこまで希望していたわけではないのですけれども、ヨーロッパでは勉強させてもらったと思っていましたし、アメリカの先生がずっと前から大陸の違う国でも文化があるということを肌で感じたほうがいいよ、というふうにおっしゃっていましたので。でもアメリカは学費も高いし、あんまり乗り気でもなかったしちょうどテロもありましたが、大学の方から奨学金が出るということでそれでは行って来ようかなと1年間行きました。
— 一番最初に音楽に興味を持ったきっかけというのを教えていただいてよろしいですか?
奈良 年の離れた姉がいるのですけれども姉がピアノを弾いていまして、家に楽器はあったんです。音楽一家ではなく、代々法律一家でした。ただ楽器に対して興味を持って、よく自分で作曲までいかないけれど歌詞を付けながら音を鳴らしてピアノをおもちゃとして遊んでいました。そこが音楽との出会いの最初かもしれません。
— 2歳くらいからピアノをやっていらっしゃるのですよね。
奈良 母が一応バイエルだけは一緒に弾きながら教えてくれたのですけれども、それ以上は、母は全く素人ですので限界が生じました。幼稚園の先生がどうも私は耳がいいらしいというようなことを感づいて音楽教室にでも連れて行ったらどうかというふうに言ってくださったのです。それで私を音楽教室に連れて行ったら楽しんでやっていたということで音楽を習い始めたのです。
— それではクラッシックから入っていったということですか?
奈良 バーナムとかトンプソンというのがありまして、一応姉が習っていたからかもしれないですけれども古い楽譜があってそれを始めて、バイエルから取り組みました。
— 例えばポップスとかジャズとかそういうものに小さい頃は興味は持たなかったんですか?
奈良 もしかしたら答えになっていないかも知れないんですけれど、ピンクレディーとか良くそういうレコードなどは聞いていたんですけど。ピンクレディー以外は歌えないかな(笑)。
— いろいろな国に行かれていますが、音楽をやるにあたってそれぞれ良い点悪い点というのはありますか?
奈良 これは人それぞれなのでご縁があるかによりますし、それを私のところで強く言うことはないのですけれども、私はヨーロッパのほうが長かったのでアメリカよりヨーロッパの方が、相性が合うタイプではありました。世の中にはアメリカの方に先にご縁がある方もいるし行きたいと思う方もいるから私は比べる気はないんですね。要は行きたいと思った所にタイミングよく習いたい先生がいるということが大事だと思うのです。みんなが行くからというよりは、自分が行きたいという理由が本心である場所を選ぶべきだと思います。
— 本当に縁がある場所に行くのがいいのではということですね?
奈良 縁とあと相性ですね。行きたいという気持ちがなければいけないと思います。とりあえず行ってみるだったらとりあえずの結果になると思います。
— スペインやイタリア、ドイツと比較してなにか個人的にここは良かったな悪かったなという点はありますか?
奈良 私は比較的いい先生にお目にかかったものであんまり悪い点はなかったのです。そういう意味でどこの国でも補う形であったのは確かですね。長所がそれぞれ違うので。ドイツで習った先生はすごく学者的、教育者的なタイプであり、ピアノという音楽、クラッシック音楽はそれだけが幹のように生えているわけではなくて、宗教的なものが背景にあり国民の感情とか過去の歴史があるという事を私は学んだんですね。日本だったら次々にエチュードをこなしたり試験に向けてやっぱり練習したり、何かにつけてピアノのソロばかりに頭がいきがちでしたけれど、クラッシック音楽というのは何かから派生しているものなのだなという事を、ヨーロッパに来て初めて納得したというのがあります。理論的なことはすごく強くドイツから学んだのですけどスペインやイタリアはラテン系なのでどちらかというと感情に結びつけるという、頭だけではいけないものを補ってもらう形で学べたと思います。アメリカはまた大陸が違うと、こんなに違うのかという感じでした。やや日本に似ているのかもしれないけどクラッシックに関しては歴史がヨーロッパと比べるとそんなに深くないので、また違うエンターティメント的な華やかさをアメリカは持っているのだなというふうに思いました。
— ヨーロッパは過去の歴史・文化の中から出てきたものがあるけれどもアメリカはエンターティメント性が強いというのが一番印象的な事でしょうか?

奈良 アメリカはどちらかというとアメリカナイズされているなと私は思いました。アメリカはもちろんヨーロッパを高く評価していますけれども、自分は強い国だということを分かっていますから自分達は決して間違っていないというのを信じています。だからちょっとギャップがありますよね、正直。
— ヨーロッパからアメリカに行かれるとちょっと引いちゃうところがあるのですか。
奈良 私はちょっとじゃなくて、「・・・ああっ」というような。
— かなり。
奈良 好みの問題もあるのですけど、アメリカはどちらかというと最後にワーッて華やかに終わるほうが好きで、ヨーロッパはどちらかというと演奏が終わった後でも余韻を楽しんでからやっと拍手が出るほうが好きという感じです。私はヨーロッパが長かったのでヨーロッパタイプの音楽の方が好きなだけです。
— 海外で仕事をすることで日本人が有利な点、不利な点はありますか?
奈良 私は、個人的には、就職はかなり不利ではあると思うのです。クラッシック音楽を学ぶのにどうして日本人から学ばなきゃいけないんだ、と。ヨーロッパ人には誇りがありますし現にそれはそうですよねと思う時はあるのです。だからかなりの覚悟で行かなくてはいけないと思います。コンサートについては、良かれ悪かれ日本人でもヨーロッパのお客様は音楽が好きな人が来てくださるので、自分達でプログラムを考えて日本的なこの曲を弾いたらお客様が集まる、とかそういうビジネス的な世界を考えなくていいというのがありますね。
— そうなんですね。
奈良 ホールは大きい所はないのですけれどもヨーロッパの音楽活動はそういうところはありがたいです。演奏活動だけに集中できますし、それで音楽好きなお客様が来てくださるので。日本でいうとお客さん来るかしらとか大丈夫かしらとかそういうのありますけど、そういう精神的負担が全くないんですね。
— それはすごいいいことですね。
奈良 そうであって欲しいのですけどね日本も。
— そうですね。
奈良 だから日本人だからという心配はなくコンサートは行えます。
— 演奏の演目でも日本だったら明らかに受ける曲というのが結構あってそれをプログラミングされる場合が多いと思うのですけれど、ドイツだと、例えば現代曲でもお客さん集まるのですか?
奈良 そうですね。そんなにたくさんは来ないかもしれないですけど、ある程度は来てくださりますね。私は一応主催者と相談しますけど9割5分問題があることはなかったですね。問題があるとしたらちょっと長すぎるとかそれ位でしょうか?
— それはいいですね。先日、チェコの音楽家と話しをしていたのですけどチェコでは新しい曲は難しいと話していたのですよね。だからやっぱりドイツはまた違うのでしょうね。
奈良 もしかしたら私がベルリンだったからかもしれません。オペラを初演するのにベルリンが会場としてまず第一候補になりますから。実際音楽に関しては敷居が高くないのかもしれない。
— お客さんも本当に音楽が好きな方が普通にいらっしゃる。通常自分の生活の中で音楽があるという感じなのですね。

奈良 そうですね。音楽が好きで逆にチケットもそんなに高くないので、街に音楽が溢れていますし何か音楽に対する近さはあるんでしょうね。
— ドイツの方たちはいわゆる大音楽家であれ、中堅であれ、まだ一番下の人たちであれ、威張って俺は音楽家だぞ見たいな感じではないのでしょうか?
奈良 人それぞれでいらっしゃると思うのですけど、教師にしろそうかもしれないのですけど、海外の先生というのはまず1度は演奏を聴いてくださるので、敷居は高くはないと思いますね。とにかく自分がやっている仕事に対して誇りを持ちますからプライドはあるかもしれませんけど、変なプライドはないかも知れないですね。
— 生徒がやりたい事を非常に受け入れてくれるということですよね。
奈良 そうですね。
— 奈良さんにとってクラッシックや音楽とは何でしょうか?
奈良 私は結構あんまり模範になるタイプじゃないのですけど。何度もやめようと思ったタイプですので。私は大学も本当は音楽大学に行く予定じゃなかったんですね。まあ音楽嫌いじゃなかったのですけど、どうしても練習練習というのが嫌になって。高校3年生まではそれで悩んだりして続けてはいたのですけど、高校3年生の時に我が家が代々法律一家だった事も手伝って、法学の道に進もうと決めたんですね。そちらの方が実力がはっきり出るから楽かなと。頑張ったら頑張った分比較的すぐ結果が出るかなと思いまして。それで音楽を専門的にするのはやめようと思って記念にと、全日本学生音楽コンクールというのがあるんですけどそれを記念受験したんですよね。最後どこまで頑張れるかって。本当は東日本大会本選の奨励賞というのを狙っていたんです。奨励賞取るのでも大変だったので。そうしたら賞状はいただけるんですけど、本選受賞者演奏会に出なくていいんですよね。そしたらセンター入試にかかれるのでそれを狙っていたら、ちょっと頑張りすぎちゃって全国1位になっちゃったんです。それで音楽をやめるのを断れない環境があったんですね。
— もうやれよと周りからでしょうね。
奈良 嬉しかったんですけどちょっととまどいがあって、それがかなり長い間続いていました。やっぱりどの道を行くにしても悩みますよね。何かあった時にああやっぱり法律の道に行った方がいいかなと、去年位までずっと悩んでいたので。
— まだ悩んでいるのですか?
奈良 分かりませんね。私にとっては音楽も魅力でしたけれど、18才の時に決断した法律の分野というのはそれなりに魅力や憧れがあって、将来の確定は言えませんけどかなり悩んでいたのは事実です。法律の分野は『正しいのはこれだ』というのがハッキリしていて、周りからの評価が確実で楽ではあるんですよね。自分のやりたいことをやっていても評価が比較的複雑ではないというのがあって。音楽などの文化というのは何か経済的な問題が社会であると最初に消されてしまうものだと思うのです。その中で無理して生きるのもどうかなと、そういう現実的なことも考えちゃったりして。それだったら資格をとるという意味で法律を勉強しようかなと思っていたんです。でも音楽は今まで続いていて、何かそういう仕事があって喜んでやる自分がいるんだから続けられるまでは自分のテンポで続けようかなと思っています。
— 今はまだ音楽のほうが魅力的なのですか?
奈良 音楽がまだ運良くご縁が切れてないんです。切れたら辞めようと思っています。今のところ細々と続いていて喜んでやっている自分がいるのでやっているという感じではあるんですね。法律も難しいですから。
— どちらも難しいですね。そういった方に次の質問をするのは非常に変な感じがするんですが、今後の音楽家としての夢というものがあれば聞かせていただいてよろしいですか?
奈良 私は運良く素晴らしい先生方にご指導いただきました。その先生方はいろいろな意味で人間としても評価が高く尊敬される方ばかりなんです。皆さんやっぱりお年ならではの人格です。私は自分にあったテンポで足りないところを勉強しつつゆっくりでもいいから人間として上を目指すような人生が送れたらな、音楽的にもそれは焦らずに人との出会いに関係していけたらいいなと思っているんです。あとは必要に応じて、私が学んできたことのいくつかを次の世代に残していければいいなと思うんです。
— 演奏家という部分ももちろんありますけど、教育者という部分をかなり思い描いているのですか?
奈良 教育はかなり。演奏家一本で絞ろうとはゆめゆめ思っていませんし、そういう活動だけにこだわっているつもりはないんです。教えるというのは教わることでもありますから教えるのは大好きです。ただ教える立場になるにはやっぱり自分の器が必要なので常にそっちを求めていくというのはありますね。
— マンハッタン音楽院でアシスタントとして教えていた経験というのはかなり役に立つのでしょうか?
奈良 そうですね。いろんな意味でとても勉強になりますよね。楽ではないということを学びましたし、面白いということも学びました。
— プロのミュージシャンとしていろいろと演奏活動をされていると思うのですけれど、プロになる理由や条件、それは精神的にでも技術的にでもいいのですが、そういうものはあると思いますか?

奈良 私もよく分からないのです。どうして今まで続いているのだろうと思っているんです。ある種人生いろいろ勉強する段階、いろいろ補填する段階、プロとしてやっていく段階というのは何かそういうフレーズがあると思うんですね。その切り替えの時に立ち止まらないで進んでいくということの方が大事なのかなって思います。留学して学生生活ってやっぱりすごく楽ですし魅力的ですし、特に海外で勉強だけに集中できるのは良いのですけれど、次のステップに行くというのもタイミングが大事なのだと思います。私もコンクールを過去にたくさん受けていましたが、コンクールをあまり長く受けているよりはある程度で見切りをつけて次にシビアな演奏活動で揉まれるという方が大事だと思いますね。私は個人的には5年も10年もずっとコンクールに出ていたら、それまでに取っていたコンクールの価値もなくなってしまいますし、取りすぎというのは逆にどうかなと思います。コンクールが全てだと一生懸命頑張っても、何年か後にはまた同じコンクールで次の優勝者が出てしまうわけですから難しいと思います。
— いくらコンクールで優勝したとしてもそれが全て仕事につながるか演奏活動につながるかというのはもちろんないわけですよね。
奈良 またコンクールって微妙な曲目でいけちゃうんですよね。基本的に演奏活動として求められるのはどれだけレパートリーがあるか、代役などの話があった時にどれだけ準備が短い期間で出来るか、訓練ではなくて先生のそういう鍛えられ方が大事になってくると思います。コンクールというのは準備入念にしていけますが、そこから先はすごく人間的な社会が待っているというか、そこから先をどうするかが問題になると思いますね。
— 最後になりますが、海外で今後実際に勉強したいと考えている方がたくさんいらっしゃるのですがそういう方に対して何かアドバイスみたいなものがあればお願いしてよろしいですか?
奈良 語学は必須だと思います。語学は足りない、余るということは絶対ないです。語学はあんまり甘く見ないほうがいいです。1回目のレッスンから、また次のどこかの公開レッスンに行くという時もやっぱり英語プラス母国語というのは最低でも出来たほうがいいと思うのです。それとあまり人と自分を比べるのではなくて人の努力は人の努力として評価してまた自分でまた別の孤独な作業も我慢できること。敵を作れという意味ではなくて、あんまり人に頼りすぎるのはどうしても一歩出す勇気が半減してしまうと思います。ある程度本当に自分のやりたい道が見つかったら割り切って自分が進んでいかないといけないのではと思います。特に留学って期間が限られちゃうからそれはあんまり怖がらずに向かう方向に行ったほうがいいかなと思います。
— 留学するということに関してはどうお考えですか?
奈良 ご縁があれば構わないと思います。ただ本人が留学したいという気持ちが強くなかったら、周りや親が留学というレールを敷き詰めると、留学してから一人でくずれてしまう子も多いので。
— 実際に留学して現地でくずれていく方というのを見ていますか?
奈良 偉そうな言い方かもしれませんけど、留学してきて有名で天才少女とか言われて出て行った人は世間にもまれることに慣れていなくて、すぐしょげちゃうし、「何でそんなところで?」というのはありました。やっぱりどうしても周りのガードが強かったのだなというのが。だから世間にもまれる時に、自分で対応が出来ない、あまりにも出来そうにない時は本当に親離れ子離れじゃないですけど自分でやるということを強めにしていかないといけないと思います。いつまでも親はいませんし恩師はいませんからやっぱり自分で出来る余裕がないと。すごくシビアな言い方かもしれませんけど。
— 本当にそのとおりだと思います。奈良さんは、現地でくしゃんとなって日本に帰っちゃうという方も結構見ていらっしゃるのですね。
奈良 日本に帰れればいいのです。帰れない方がいらっしゃるんですね。私は日本を捨ててという気持ちはさらさらなかったし、いずれは日本でも活動をと思っていたので。日本で大学まで行きましたしいずれは日本のためにと思ってましたので。私はすごい希望を持って海外に行くのは大事だと思うんですけど、ただそれが意固地になるようだったらあんまり意味がないと思います。ある程度人間挫折のあとに頑張ってまた這い上がるというのが本当の勉強だと思うので、そういうところは自分に厳しく自分に甘くというのをうまくやったほうがいいかなと思います。
— 本当にありがとうございました。
奈良希愛さんのオフィシャルホームページ
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霧生貴之さん/トランペット/イタリアフィルハーモニー管弦楽団/イタリア・ピアチェンツァ
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はイタリア・スイスでご活躍中のクラシックトランペット奏者・霧生貴之(キリュウタカユキ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「イタリアでクラシックトランペットプレーヤーとして活躍するには?」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年8月)。
ー霧生貴之さんプロフィールー

桐朋学園大学トランペット科卒業。G.二コリーニ国立音楽院卒業。チューリッヒ国立高等音楽院卒業。桐朋学園大学在学中から国内のオーケストラにエキストラとして出演。第5回カザルツァ・リグレ国際コンクール管楽器部門及び独奏部門総合1位、第10回リヴィエラ デッラ ヴェルシリア国内コンクール2位。イタリア音楽院在学中からピアチェンツァのイタリアフィルハーモニー管弦楽団で演奏するようになる。現在はミラノ・ジュゼッペ・ベルディ交響楽団、パルマ市立歌劇場オーケストラ、チューリッヒ交響楽団などのオーケストラで演奏する一方、ソロやアンサンブルなどでもイタリア・スイスを中心にヨーロッパで活躍中。今秋(2005年)より北イタリアを代表する金管五重奏団Golliwogg Brass Quintettoメンバー。現在最も有望なクラシックトランペット奏者である。
ー 音楽に興味をもったきっかけは?
家は音楽家の家庭で、母がピアニストで父もトランペット奏者だったものですから、僕の場合は母がトランペットをやらせたかったというのがありますね。僕も周りの環境で音楽家になるんだと小さい頃から自然に思うようになりました。だからすごく必死にやるとかそういうのはなかったですけど、英才教育で天才少年とかいうのでも全然なかったんですけど、小さい頃からなんとなく、いずれ音楽家になるんだろうな、と思いながら育っていましたね。僕は一番最初にトランペットという楽器を手に持って試したって言う記憶がないんです。気がついたら楽器が家に転がっていて、気がついたら吹いていたという感じですよね。だから最初吹くのが大変とかそういう記憶もないんです。
ー 最初からクラシックだったんですか?
父親がクラシックのトランペットプレーヤーだったので、ジャズなどは個人的には好きですけど、僕は一度もそちらの方に関心を持ったり、プロフェッショナルとして興味を持ったことはないですね。ピアノなんかもわりと小さい頃から始めましたけど、それはもう音楽大学に入るためにピアノをやっておかないといけないからという事でやっていたような感じでした。あんまりまじめにやってませんでしたけど(笑)。
ー 日本の大学にいかれたんですか?
最初日本の音楽高校、桐朋学園に入って、大学まで卒業しました。その後、大学の先生がドイツで勉強をしていたので、その影響を受けて留学するつもりでドイツのほうに行きました。でもコネクションがなかったので、僕の興味のあった人が、来日したときに楽屋に駆けつけてあなたの元で勉強したいんですけど、と言ったら、じゃあとにかく住所を渡すから、演奏のテープを送ってくださいと言われてました。それで、演奏テープを送った後に連絡を取り合っていたんですけど、ドイツのカールスルーエというところで、入学試験を受けたんですけど、受からなかったんです(笑)。
ー なにか受かりやすいとかあるんですか?
今言いますと、そのドイツのカールスルーエというのは多分ドイツの中でも一番入るのが難しいと思うんですよ、トランペットのクラスになると。本当にドイツで一番有名な学校で、僕はそのときまだそこまで難しいものだというのは理解していなかったんですけど、まあ、自分が好きだというのの一心で行ったんです。その人に師事したかったので。その後、日本に帰ってきたんですけど、親と喧嘩をして僕は家を出ることになったんです。大学在学中からフリーランスで日本のプロフェッショナルのオーケストラのエキストラの仕事や、他の仕事はあったので、一人暮らしをしながら生活を続けていたんです。ただ僕にとっては留学というのは僕にとっては必要なことで、親とは喧嘩はしましたけど、親も僕もその点については意見は同じだったので、1年半ぐらいたって、親が「そろそろもし留学をしたいんだったら、もう一回チャンスをやろう」という話になりました。それで、もう一度何とか勉強できるところを探そうということになりました。
ー すでにプロでやっているのに再度留学したいと思ったのはなぜですか?
僕の場合、トランペットを吹くという点で根本的に問題があって、それがどうしても日本では解決できなかったんですね。音を出すということに問題があったんです。日本では、いままで勉強したやり方で何とか仕事はこなしてましたけど、そのやり方では何年も伸びてなくて、限界があったんですよ。トランペットの奏法って言うのはいろんな方法があるわけです。簡単に言えば正しい吹き方をしていれば伸びますけど、どこかに問題あるわけですよ。それを修正するためには一度やりなおさないといけない。仕事をしながらというのは難しいですね。仕事での失敗は許されませんから、必然的に今までやった奏法のほうが安全なわけです、リミットがあったとしても。仕事をするためにはある程度吹ければ良いですけど、自分の音楽性をもっと伸ばそうとしたらそれ以上のものを要求しますので、そこの壁にあたっていたのですね。
ー 仕事では挑戦ができないということですよね。
そうですね。いい奏法に挑戦するというコンディションは日本で仕事をしながら作れなかったわけです。それが一つの理由であるのと、母親が音楽家でやっぱり留学をしていましたから、ヨーロッパに来ることが、音楽家として勉強にもなるし、欠かせないのでは、と言うことでした。
ー 実際留学しようとしたときはどこに決められたんですか?
そのときはまだちゃんと決めていなくて、まずは先生探しの旅行をしました。旅行にあたって、何人かの人を訪ねて、ドイツのトロッシンゲンの音楽大学の先生とコンタクトが取れて、そこに夏に来てもいいよということになったんですね。その後に人生を大きく変える出来事がありまして、母親が教えている音楽学校がイタリアのピアチェンツァという町の音楽学校と交流を結んだのです。母親がその音楽学校の校長先生がいらしたときに会食をする機会がありまして、ある日突然母親から「イタリアのコンサルバトーリオ(音楽院)に校長先生を知っているんだけど、イタリアというのはどうなの?行ってみたらどう?」といわれたんですね。その時点で僕にとって留学のスポンサーは母親です。ここで「いや、でもイタリアっていうのは知らないし、いいよ」と言って、機嫌を損ねるとまたこの話がおじゃんになるかも、というのが頭を掠めたんですよ。そこで「うん、わかった。じゃあとりあえず行ってみようか」と思わず言ってしまったんです(笑)。そういうことってないですか(笑)?子供は子供でプロジェクトを立ててるけど、でも、そういうときに限って親が全然違うプロジェクトを持ってくる。日常でもたくさんあると思うんです。それで、ドイツに行く前にイタリアに行くということになったんです。ここでもすごく不思議なケースだと思うんですけど、その校長先生に連絡をとって、音楽院にいい先生はいらっしゃいますか?と聞いたら一人先生を紹介してくれたんですね。その先生にコンタクトとったら、その先生というのが自分で金管アンサンブル(トランペット、トロンボーン、ホルンとチューバ)を自分で持っていて、自分で演奏会を企画したりして、すごくアクティブに活動している方だったんですね。それで、何月に来るんだといことで、8月の何日と何日、9月の何日と10月にはベルギーで演奏旅行があるので、今トランペットが足りない状況だから、是非それに出て欲しいと突然いわれたんですね。一回プロフィールみたいなのは送りましたけど、僕はそれまで演奏テープを出してもいなかったので当然驚きます。ただイタリアなので、どこまで本当か分からないけど、行ってみる価値はあるんじゃないかと。あんまりひどいようだったら、イタリアに絶対いなきゃいけないわけではないし、ピザでも食べて、オペラでもみて、また移動すればいいだけの話だ、ぐらいに思っていたんです。
ー 実際に行かれたんですよね?

ええ。そうしたら、逆にとても興味深くて、最初のうちは演奏会とかありましたけど、やっぱり時間がとても自由でリフレッシュする時間がすごくありましたね。イタリアはある意味何もないので、頭の中を真っ白にして、もう一回立て直すというか、僕にとってもそういう時間がとても必要だったんですね。
ー イタリアは良かったんですか?
そうですね。とりあえず僕にとっては良かったですね。この状況を続けることは悪いことではないな、と。すごく将来のことが見えていたわけではないんですけど、今のコンディションがすごくいいので、続けることは悪いことではないなと。その間にいい友人にたくさん出会ったりしましたし、イタリア人の友人と出会って、すごく助けていただきました。僕の先生にあたる人が、面倒見てくれよということで少し英語の話せる人を何人か紹介して頂いたんです。今の一番親しい友人になっていますけど。
ー 最初にかなり多くの人に助けていただいたんですね。
日本人の方は全く知り合いがいなくて、一人イタリアに長く住んでらっしゃる方がいて、コンタクトを取るときにいくつか手伝っていただいた程度で、後はほとんどイタリア人の方に助けて頂きました。ピアチェンツァの街には日本人がほとんどいなかったので、周りのイタリア人たちも初めての経験なわけですよ、外国人を助けるというのは。
ー 珍しかったんですか?
そうですね。しかもトランペットというのは僕もイタリアに長く留学していますけど、まず聞きませんから。
ー 通常トランペットというのはドイツが多いのですか?
間単に言いますと、オーストリア、ドイツ、フランス、アメリカですね。いろんな派があって、メソッドがありますので、日本でどんな先生についていたかとか、どういう影響を受けたかによっても変わってきます。だからイタリアというのは非常に珍しいですね。イタリアのコンサルバトーリオは4月に入学願書を出して、試験が6-7月ないし9月にあるんです。僕は8月に来ているので当然入学願書も出してないし、入れなかったので、一年待つことになったんです。ただそこで、校長先生が許可を出してくれました。聴講生システムというのはイタリアのコンサルバトーリオではありえないんですけど、校長先生の許可というレベルで、授業やレッスン、その他の全てのものに参加する許可を出してくれたんです。次の年に入学するという条件の下に。ただ。ここでちょっとしたハプニングがありました。一年間待って準備した入学試験の日にその頃仕事をしていたウディネフィルハーモニー管弦楽団の仕事と重なってしまったんです。ウディネはピアチェンツァから400キロ以上離れています。それを先生に話したら“しょうがないな、何とかしてみるよ”と言ってくださってなんと無試験で入学させていただきました。(笑)
ー 結構とんとん拍子に進んでいますね?
そうですね。ただ警察のことで大変だったりしました。僕はツーリストビザでイタリアに入国していたので、滞在していい期間が3ヶ月なんです。それで警察にもう3ヶ月イタリア人からの招待があったので、伸ばしたいという事を申告しようと思ったんです。それをやるのに、ピアチェンツァから朝4時半の電車に乗って、6時から8時半に警察の門の前に並んで中で再び並び終わるのが12時、イタリア語もほとんどわからない状況で、それを3回やる羽目になったんです(笑)。蓋をあけてみると、やらなくても良かったんじゃないかという気もしますが、あの時点で不法滞在になる可能性を考えるとやるしかなかったんですよね。
ー その後音楽院に入られて、どのくらい通われていたんですか?
イタリアの音楽学校というのは科目によって通う年数が違ってくるんです。イタリアの音楽学校は音楽大学ではなくて、音楽院なので、ピアノだったら10年、ヴァイオリンだったっら8年という年月を勉強しないといけないんですが、飛び級ができるんですね。トランペットに関しては5年ですね。歌は6年かな。でもそれはどういうことかというと、学校入学時に楽器が演奏できる状態じゃない人も入るわけです。逆に言えば5年でトランペットが吹けるようになって、卒業しないといけないんですね。
ー 最初に演奏できない方も来ているてわけですね?
イタリアのシステムでそこに問題があることもありますが、そこで天才的に伸びる人も中にはいますよね。
ー 人によって、年数は違うということですね。
そういうことですね。僕は結局長くいたいということで、3年で卒業したのかな。(トランペットのコースは)5年のところを3年で卒業しましたね。
ー その後卒業されてオーケストラに入ろうということだったんでしょうか?
98年の11月から今のオーケストラの仕事をいただくようになりました。ドイツなど場合は、システムがイタリアに比べてすごくしっかりしているんですね。どんな街にもオーケストラがあって、まあ就職先ということになると思うのですが、給料がもらえて、そこに就職したら、生活ができるということになります。でも、イタリアはそういうシステムがほとんどないに等しいんですよ。ピアチェンツァのオーケストラに所属してますが、毎月の給料としてはもらえないんですね。要するに歩合制ということです。もちろんオーケストラのメンバーなので、何か用事があって演奏ができないときは自分がこの日はいけませんと事務局に言いに行かなくてはいけなんです。すごく簡単にいうとフリーランスに近いので学生でも実力があれば可能なんですね。
ー オーケストラの仕事を取るためにどういうアクションを起こしたんですか?
団長というか、一番偉い人が、ピアチェンツァのファゴット科の教授をしていました。彼はオーケストラの中ではもう演奏はしていないんですけど、オ−ガナイズをしていて、彼のコンセプトの中にでピアチェンツァ出身の人で集めるオーケストラというのがあって、ピアチェンツァのコンサルバトーリオの中でめぼしい人がいると、必ずチャンスを与えてくれるんですね。たまたますぐにチャンスがあったわけではなかったので、あなたのオーケストラで仕事をしたいのですがオーディションの機会はないですか、と自分からインフォメーションをしました。彼はオーディションはないけれど君がいることは知っているから、電話番号を残してくれれば、もしかしたら機会があるかもしれないと言われたんです。しばらくそのままだったんですけど、チャンスがあったとき話を下さったんです。
ー 実際に日本とか他の国のオーケストラでの仕事を考えたりはしますか?
もちろん世の中何があるか分からないですから日本の事は常には考えていますが、現実的に日本に今すぐ帰るかというと難しいですね。実際今ピアチェンツァのオーケストラで仕事をしていますけど、他のもたくさんのオーケストラで仕事をしてるんです。有名なオーケストラだとミラノ・ジュゼッペ・ベルディ交響楽団からよく仕事を頂きますね。この間お辞めになったのですが、リカルド・シャイーが指揮をしていた楽団です。97年の11月に新国立歌劇場のこけら落としで、ワーグナーのローエングリーというオペラをやったときに1ヶ月エキストラでオーケストラに戻ったんですが、それを機に日本に帰らなくなってしまいました。97年から今まで(2005年8月)、唯一帰ったのは2003年10月にベルディ交響楽団日本ツアーがあったときに連れて行ってもらっただけですね。
ー 日本よりイタリアの方がやりやすいというのがあるんですか?
良く分からないですが、仕事でもコンクールでも自分で取るものではないと思うんです。コンクールに勝つ、と言いますが、頑張ったから勝ったわけではないと思うんです。自分の意思ではなくて他の人があなたが勝ったんだよ、って言うわけですよね。仕事だって、あなたに仕事頼みますよ、って他の人が言うわけです。結局普通に生活している状態で、もちろんただ家で練習していたら、電話がかかってくるという単純な問題ではないですけど、そういう部分があると思うのです。結果として僕にはイタリアにいれば仕事は確実にありますから、今日本に帰るよりも確実にイタリアにいるほうが仕事があるわけですね。
ー イタリアのオーケストラに外国人はかなりいるのしょうか?
イタリアの場合、外国人の多いオーケストラと、イタリア人ばかりのオーケストラとに分かれます。外国人がオーガナイズしているオーケストラもあるわけです。これは変り種なんですが、ある時期ミラノにたくさんのロシア人の人が来る時期がありました。そういう人たちが地元に根をつけていくと、ロシア人で演奏会を企画するようになって、彼らの所に直接仕事が来るようになります。僕がそのようなオーケストラに行った時はイタリア人の優秀なバイオリン奏者が一番後ろの方にいて、コンサートマスターとか、チェロのトップの人などの主要な人は全員ロシア人で、練習中もみんなロシア語という感じでした(笑)。イタリア人もここは一体どこなんだという感じで、その中ではおとなしくしているしかないですよね(笑)。
ー そういう風にいろんな国の人と演奏してきてイタリア人に一番影響を受けたことはどのようなことですか?

一番大事なことは、どのようなスタイルで演奏するかという事です。キャラクターが演奏する作品にあっているかどうかということが彼ら(イタリアのオーケストラ)にとって一番最初にくることなんです。一番最初に来るのが、音程でもリズムでもないのです。僕たちがやっているのは音楽です。ということは、どういう音楽を演奏するかというところから始まるわけです。楽譜に書いてあることを正しく演奏するというところから入るのではなくて、どういうキャラクターの音楽をこれから演奏するのかというところから入るんです。
ー 日本の場合はどうでしたか?
日本は楽譜に書いてあるとおり正確にという感じですね。正確というのはメトロノームがいくつ、シャープがいくつ、十六分音符があったらそのとおりの音をとります。でもそうじゃなくて、どういう音楽だからこの十六分音符を詰まらせなきゃいけないとか、そういうところから判断するわけです。
ー みんなでディスカッションするのですか?
まあ、それをまとめるために指揮者がいるのですが。でも、そのオーケストラの癖もありますし、ベルディはみんながうるさくなります。特に僕の住んでいる所からベルディが生まれた所が近いのということもあると思います。パルマでの仕事もありますが、パルマはほんとにベルディにうるさいですね。パルマのベルディは、ウィーンでいうウィンナワルツみたいなものですから。
ー 日本にいる時とイタリアにいる時と大きく違うのは気持ちの部分から入るということですか?
基本的にいろんなことが違いますけが、仕事をしていて一番違うなと思うのは、日本のオーケストラは練習の1回目の時がものすごく良いんです。そのあとに指揮者がいろいろ言い出すとだんだん悪くなっていく(笑)。要するにみんなが集中して完璧を目指した時が一番良くできるわけです。それが何回も繰り返していくうちにだんだん新鮮味がなくなっていくというのでしょうか。イタリア人は初日の演奏は本当にひどいですよ。1回目にうまくいかなかった人が2回目も同じように悪かったりしますから。音を間違えてメージャーの和音のところを1回目にモールで吹いて、2回目もまたモールで間違えることもあります。その代わり 1日目から2日目へ行くときに全然良くなりますし本番の時に一番良くなるようにみんなもって行きます。
ー やっぱりそこを目指して山が上がっていくという感じですか?
それは意識的なものではないと思います。彼らがそこまで意識的に考えているとはとても考えられません(笑)。やっぱり音楽を演奏するというのはとてもエネルギーのいる作業です。それは本番で出すもので、練習のときはあまり出さないものなのでしょうね。自分が演奏するという段階と練習しているという段階との意識の違いだと思います。
ー 音楽活動をしていく上でこだわりを持っていることはどのような事ですか?
一番大事なのは、音楽に対してどういうコンセプトを持ってやっているかということが自分の頭の中でクリアかどうかだと思います。バロックをやるときはバロック、ロマンティックをやるときはロマンティック、モダン音楽の時はモダン音楽のようにそれぞれどういうものが必要かということです。例えば、ウィーンの音楽をウィーン風にウィーンの人たちが納得するように演奏することができるかどうか分からないのですが、そういうことではなく自分の中でウィーンの音楽はこういうコンセプトなんじゃないかということが自分の頭の中にそれがあることが重要ではないかと思います。 霧生貴之さんトランペット奏者
ー 音楽活動しているときに最も興奮することがどういうことでしょうか?
オペラが好きなのでいい歌手と演奏しているときで、特にイタリアオペラの盛り上がるときは興奮しますね。オーケストラの中でトランペットを演奏しない時間もたくさんあるので、そんなときはピットの中にいならがものすごい興奮してますね(笑)。聞き入っています(笑)。
ー お客さんの拍手はそんなに影響はないですか?
オペラなどのピットにいる状態というのは、あまり影響はないですね。
音楽家として僕はこういうふうに考えているんです。オーケストラももちろんやっているのですが、トランペットとオルガンや金管五重奏などのソロや室内楽の活動を行うときが結構あります。音楽家としての演奏活動というのはそういう所でやる音楽なんです。オーケストラというのは、プロフェッショナルなものだと思うんです。仕事なわけです。オーケストラで演奏する事に対して思い入れがありすぎると、破綻がくることがたくさんあるんです。例えば、指揮者の要求と自分の好みがあわなかったり、同僚がよく吹けなかったり、いろんな場合があります。自分の調子が悪いとか、そんな場合に破綻がくるんです。
ー オーケストラの場合は一人でやるものではないですからね。
そうですね。オーケストラというのは本当に会社と一緒だと思います。役割があってそれをいかにちゃんとこなせるかということです。一番重要なのはオーケストラでは他の人達と同じ感じ方が出来ているかということだと思います。自分がうまく演奏できたかどうかというはそんなに重要ではないんです。全体的なものなのでそれがうまくはまっているかどうかということだと思うんです。全員が同じように感じれなかったらオーケストラはうまく機能しないと思います。
ー やっていて面白いのは、オーケストラというものはないんですね?
やはり留学などをして何を勉強しているかというのは、オーケストラではなくてソロのレパートリーに対しての音楽的解釈を高めるとか自分の新しいレパートリーを広げていくとか、新しいジャンルの新しいスタイルを身につけるとか、そういうことを僕はやりたかったんですね。ソロやグループの時は音楽的なディスカッションができるんです。オーケストラというのは時間も限られているし、人数もたくさんいますからそう簡単に自分の意見を言うべき場所でもないと思うんです。そういうことをまとめるのが指揮者の仕事ですから。もちろんパートをまとめるに当たって言わなければならないこともたくさんありますけど。
ー 霧生さんにとってクラシックや音楽とは何でしょうか?
トランペットを演奏して音楽を感じて音楽を楽しめるということは、自分の人生の中で「生きる」ということの一つだと思います。「生きる」というエネルギーの中に含まれる一つのパーツだと思います。これが全てではないですけれどもね。
ー 将来の夢というのを聞かせていただけますか?
夢というのは難しいですよね。僕はあまり夢というふうには考えたことないんです。どうしてかというとまず最初はここ半年、数年やらなくてはいけないプロジェクトがありますよね。そういうことを考えるという事が僕が夢を考えるという事と繋がります。夢というのは動かないものではないわけです。ある場所にいるときに、その方向で一番遠くにいけるのはどこかなって考えるのです。そして一番のびそうなところを伸ばしていきます。だからその場その場によって変わってくるわけです。そこに行った時にどうするかということが大切だと思うのですね。僕にとって一つの所を目指してそこに行くというのはかえって進むのが難しいことになるんじゃないかと思います。夢というものは物事を固定してしまうのでは、そのような固定するという観念が僕にはなんじゃないかと思うんです。
ー なるほど。遠くに何かを持って進むというのではなく、今この場で一番遠くに飛べる場所をたえず選んでいるということなんですね?
そうですね。それが僕にとって音楽活動をするにあたって現実的なことなんです。自分にとって自分が満足できることが夢の最終的なコンセプトではないのかなと思います。夢はなんのために持つのかというと夢に到達できたら幸せになれるとることや満足できるということなわけですよね。ということは何が夢かということではなくて、自分がその活動によって満足できるかということだと思うんです。
ー 海外でミュージシャンとして活躍する成功する条件というのは何かあるとお考えですか?
海外かどうかは分からないんですが、音楽家というのは人間的に成熟していない方が多いのではと思うのです。僕が言いたいのは、音楽家も社会人じゃないですか。音楽家だろうが画家だろうが警察官だろうがペンキ塗りだろうが社会人なわけです。ペンキ塗りだから社会性がなくていいというわけではないわけです。社会人であれるということがやはり仕事に繋がると思います。音楽家は、すごい欠けてるわけではもちろんないのですが、いろんな小さな所でどこかが抜けているということはあると思います。それぞれ抜け加減が違うのです(笑)。演奏活動をするということですが、音楽的演奏の追求とは全く違います。演奏会というのは企画しないといけないわけです。エージェンシーが常時ついてくれるわけでもなければ自分がそこに行って演奏だけすればいいわけではないんです。そうなったときに他の仕事の事も自分でできないと仕方ないです。誰もやってくれませんから。例えば伴奏する方を探して呼ばなくてはいけません。それでどういう人がいいかという時に、いい演奏家でもその日にくるかどうか分からない人を呼ぶんだったらきちんと来てくれる人を呼びたいわけです(笑)。来ない人と言ってしまうと語弊がありますけど。まあ、実際には、来ない人もいると思いますけど、本当に来ない人というのはあんまりいないですよね。仕事に関するディスカッションにしても自分が思ったことをいつも正直に言うということも都合が悪い場合がたくさんあるわけです。自分が思っていることを言ってはいけないという意味ではなくその時に必要な事をみつけてきちんと言えなくてはいけないと思います。仕事をとるために、仕事をくださいとあちこちで言えとは全然思わないのですが、自分に仕事を下さったときにその仕事はできますよという回答ができて、この人に仕事を頼んだらこの人は仕事ができそうだな、と相手に思わせることが必要だと思います。やはり人と人とはコミュニケーション、話すということでしますからね。ヨーロッパは特にそういう社会人であるということは厳しいのではないかと思います。イタリアで学校を卒業したあとスイスのチューリッヒにある高等音楽院に3年間勉強しに行ったんですね。現在もスイスにも仕事でよく行きます。その時に思うことは、イタリアとスイスはどちらも社会のルールが違います。そういうのを敏感に感じるとれるということは非常に大事だと思います。
ー 海外で留学したいという方にアドバイスはありますか?
留学した人をたくさん見ましたけれど、留学すること自体は大いに結構だと思います。しかし、勉強するのは自分ということを忘れないで欲しいと思います。それは、どんなにいい先生でも、どんなに悪い先生でも結局やるのは自分なんです。先生達がうまくしてくれるのではなく、先生達はよくなるアイディアはくれるかもしれないですが、自分がどうやってやるかということをまず見つけることが大切だと思います。それが分からなければどこにいても何をやっても空回りしてしまうと思います。大事なのは自分がみつかっていればその先はどんどん見えてくるのではないかなと思います。留学ということに関しても留学をしないということを選択した時でもそうじゃないかなと思います。
ー 単純に音楽は留学したほうがいいとお考えですか?
それは非常に難しいです。日本で何をやっているのかもありますしね。ただ僕が一つ言えるのはせっかく生きているのですから、地球があるのだったら、地球のいろんな場所に行ってみることは人生経験として悪いことではないんじゃないかなと思います。もちろん人生経験が豊かでなくていいという人がいるかもしれませんが(笑)、いろんな所にいくのは簡単で非常にいろんな経験ができることではないかなと思います、単純に。
ー 今後の演奏活動を聞かせてください。
8月はバカンスになるのですが、8月の後半から演奏会がクレモナの教会であります。金管五重奏もあります。9月・10月はオペレッタの演奏がスイスであります。その間に室内楽の演奏会がいくつか入っていますね。イタリアはスケジュールが入ってくるのが遅いので、今の段階だとまだ早いのです(注:インタビューは2005年8月1日に行われました)。オペレッタはスイスの仕事だから早いのですけどね(笑)。例えば、4月に友達から電話のメール(SMS)が来ました。11月30日と12月3日と5日空いていないか、教えて欲しいと言われたんですね。ああ、メッセージが来たなと思っていたら15分後に、またメールが来て、できれば今すぐ知りたいんだけど、と言われましたよ(笑)。
ー 本当にお国柄ってありますね(笑)。イタリアはそんなことないでしょうね(笑)。
そうですね。イタリアのスケジュールはまだだからよく分からないんです(笑)
デンマーク王国

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