Hさん/ウィーン国際音楽ゼミナール

―簡単な自己紹介と現在までの音楽歴を教えてください。 H様:現在高校2年生で、去年の4月から音楽高校に通っています。3歳からヴァイオリンを始めました。 ―これまで国内外で講習会に参加したことはありましたか? H様:国内の講習会はありますが、海外は初めてでした。 ―この講習会(ウィーン国際音楽ゼミナール)へ参加したきっかけや理由はありますか? H様:本場の音楽を学びたい気持ちが強く、これまで海外の先生から習ったことが1度もなかったため、参加を決めました。海外の中でもウィーンは有名な作曲家たちが生れた場所ということもあり、自分の中でとても興味があった街でした。 ―講習会の様子について教えてください。 H様:私が参加した期は全専攻で20名程度、うちヴァイオリンは5名ほどで、年齢も中学生から大人の方まで、幅広い世代がいました。日本人の参加者が多く、海外の方は数名ほどでした。 レッスン自体は、2週間のうちの4日間で、参加者コンサートの機会もありました。 ―なるほど。レッスンの様子はいかがでしたか? H様:レッスンを受けたエリザベート・クロプフィッチュ先生はとても親切で、私がわかるまで丁寧に教えてくださいました。バッハやモーツァルト、ブルッフの作品を持っていったのですが、まだ技術的に足りないことから、それぞれの作品の様式の違いまで深いところまで教えてくだり、とても勉強になりました。ウィーンということもあり、モーツアルトについては音楽史など特に詳しく教えていただき嬉しかったです。レッスンはドイツ語だったのですが、通訳がいらっしゃったので全く支障ありませんでした。 ―参加者コンサートはいかがでしたか。 H様:参加者コンサートは2回いろいろな会場で行われ、8月27日から9月7日までの期間中、8月31日は郊外の教会で、9月6日は校内のホールで参加者コンサートがありました。私の場合、先生に推薦いただき教会でのコンサートに出ました。バッハとブルッフを演奏したのですが、教会はよく響いてとても気持ちが良かったです。 ―それは貴重な経験ですね。 練習はどうされていましたか。 H様:ホテルでも練習して良いとのことだったのですが、想像以上に音が外に漏れてしまうので、地下のピアノ部屋を使っていました。ただ、学校の練習室が思ったよりも空いていたのでそこで練習することが一番多かったですね。 ―レッスンや練習以外ではどのように過ごされていましたか。 H様:シェーンブルン宮殿など有名な観光地を一通り巡りました。オペラ座にも行きました。交通の便や治安もよく、便利で安心して過ごせる街という印象が強かったです。 ―ホテルはいかがでしたか。 H様:部屋は少し狭く、設備も最低限でしたが、フロントの方もすごく親切で、過ごしやすかったです。講習会会場までトラムを使えば15分ほどで着けたのもありがたかったです。エアコンが無いため、気温の高い日は窓を開けない暑いと感じることもありました。洗濯機もあったのですが、使い方が少し難しいということだったので、持参していた洗剤で手洗いをしていました。宿泊先に同じ講習会に参加している日本人も多く、朝食などご一緒したこともありました。 ―食事はどうされていましたか。 H様:昼食は、現地のマックによく行きました。日本と異なりパネルで注文するので店員さんと会話しなくても注文でき、とても楽でした。あとはザッハトルテがとても美味しかったです。値段も日本と大きく違いは感じませんでした。 ―海外でコミュニケーションとるときに工夫されたことはありましたか H様:とにかく笑顔で挨拶して、話せなくても相手の方に伝えようとする気持ちが大事だなというのはすごく思いました。ドイツ語で少し話そうと思ったのですが、通じにくかったので英語が多かったですね。 ―現地で困ったことなどはありましたか。 H様:帰国日の二日前にパスポート盗難に遭いました。観光地の人混みを歩いているとき、ショルダーバッグを見たら、気づいたらすられていた、という感じです。すぐに日本領事館や日本の役所に連絡をとり書類の手続きをして、飛行機チケットの取り直しなどを行いました。新しいパスポートも想像よりも早く発行でき、最終的に予定の一日遅れで帰国できましたので今となってはいい経験だったと思います。 ―大変だったと思いますが、安全にご帰国できたようでよかったです。今回の講習会を通じての感想はいかがですか。 H様:技術的な面でも成長でき、何より本場の先生のレッスンが受けられたことがすごく自分の中でも嬉しく、これからまた頑張ろうという気持ちにもなれました。 レッスンも注意される点は、あまり日本の先生とは変わらなかったのですけど、音楽に対する気持ちや深さなど、現地で初めてわかるものがありました。 気候の面でも日本と違い空気が乾いていて、建物も石造りのためとてもよく響いて、楽器も鳴りがまるで異なり、弾いている身として気持ちがよかったです。 ―なるほど。それではこれから留学をする人に向けてアドバイスはありますか。 H様:一番困ったのは言葉の面だったので、語学をしっかり勉強しておいたほうが良いということです。私自身、これからもっと頑張って勉強しようと思いました。 ―最後に、今回の留学を経ての今後の目標を教えてください。 H様:今回のウィーン国立音楽大学の音楽環境がとてもよかったので、またレッスンを受けに行きたいと考えています。演奏だけではなく、語学の勉強も頑張ろうと思います。 ―応援しています。インタビューへのご協力をありがとうございました。

アンドリュース瑚彩さん/青少年のためのシュリッツピアノ夏期講習会 ピアノと語学レッスンコース

6歳よりピアノを始める。 ジュニアオーケストラのチェコ公演、ルーマニア公演、フィリピン公演でラフマニノフやグリーグのピアノ協奏曲のソリストを務める。 14歳からヴァイオリン、ヴィオラを始め、中学・高校と弦楽部に在籍。現在コンサートミストレスを務める。
-まず、簡単な自己紹介、今までの略歴を教えていただけますか? 瑚彩様:ピアノは6歳頃から始めました。弦楽器を14歳頃から、ヴァイオリンとヴィオラを新たに始めて。ピアノは習っている先生の主催する発表会で毎年コンサートをやっていたりしていました。コンクールに出たことはありません。 -弦楽器もされてたんですね。 瑚彩様:そうですね。クラシック音楽が好きで、弦楽器の音色にも惹かれて。ヴァイオリンもかっこいいな、と思って始めました。それと、友人がジュニアオーケストラのメンバーだったので、体験しに行ったら、その先生にヴィオラを勧められて。始めてみたらはまってしまったという。 -いろいろ多才なんですね。 瑚彩様:ありがとうございます。いろいろ手を出してしまっていますけれど。 -今回ピアノの講習会だったと思うんですけど、ほかにも何か講習会に参加されたご経験はあるんですか? 瑚彩様:海外へはないんですけど、音大の受験講習会があって、レッスンと楽典・聴音を、数回受けたことがあります。 -ドイツの講習会に行きたいと思ったきっかけって何ですか? 瑚彩様:ヨーロッパってやっぱり日本と違って、音楽が身近にあると思うんです。それと、ジュニアオーケストラの旅行で数回ドイツやオーストリアに行ったことがあったんですね。その時の街並みとか雰囲気がすごい好きで。音楽が身近にあることと、違った場所、違った言語に触れるきっかけになると思って。海外の先生のレッスンから、英語とドイツ語しか通じない場所に身を置いて、生きた音楽を学びたいなと思いました。 -ジュニアオーケストラで行かれたのは、旅行ということは、演奏はなかったんですか? 瑚彩様:演奏旅行みたいな感じでした。例えば1週間行ったら最後の3日練習と本番みたいな、そんなにがつがつした感じじゃなかったんですけど。観光して、現地のアマチュアのオケの人と合流して、練習して、本番という流れですね。あまり練習する時間がなかったので、ソロの曲を弾いた時にはとても大変でした。 -今回参加されたドイツのシュリッツの講習会なんですが、どれぐらいの方が参加されていましたか? 瑚彩様:ジュニアとシニアで分かれていて、13歳から17歳だったジュニアは16人、19歳から30歳までのシニアは22人でした。年齢は今回の講習のメンバーです。お互いに触れ合う機会は、そうですね、語学レッスンくらいしかなかったです。講習会の最初にオープニングセレモニーがあったんですけど、飛行機の便の関係で、私ともう1人参加した日本人の男の子が出られなかったんです。だからメンバーも後から把握するみたいな感じになりました。ただ私はルームメイトとその友達とでずっと一緒にいたので、あまりほかのメンバーと話す機会もなかったですね。それが少し残念でしたが、Facebookで友達にはなれました。 -講習会はどんなスケジュールで組まれていましたか? 瑚彩様:私は毎日朝の9時から10時半まで、申し込んだドイツ語のレッスンを受けました。そしてピアノの練習が毎日3時間取られていました。日によって時間や部屋は変わっていましたね。レッスンは、2人の先生のレッスンを二回ずつ受けられる、計4回ありました。食事は泊まっていたゲストハウス、寮みたいなところの食堂でとりました。朝は割と自由で、パンやハム、チーズなどが並んでいて、好きなものを取って食べていました。寝坊とかすると、スーパーで買ってきたシリアルバーを無理矢理食べて練習に行くみたいな。朝食、昼食、夕食とあって、レッスンがなければあとは自由、といった感じでしたね。散歩に行ったり、スーパーやパン屋に行ったり。ちなみにレッスンは、マスタークラスって書いてあったので、すごくびびっていたんですけど、実際誰も来ませんでした。他の子に聞いても、マスタークラスは全然人いないよ、って。マスタークラスもいい経験になりますが、今回周りの子の迫力がすごくて、少し自信がなかったので、安心してしまいましたね…。 -先生はどんな方でしたか? 瑚彩様:最初にレッスンを受けたニーデルドルファー先生(女性)は、英語が母国語ではないようでしたが、英単語とか表情、仕草で何となく伝わってくることもありました。割と感情的なことを大事にしてらしてたかなと。もっとこういうイメージで、ということを動きをつけて説明してくださって、とても分かりやすかったです。温和な方でしたね。もう一人のフォン先生(男性)はイギリスのパーセルスクールで教えてらっしゃる先生でした。ベートーベンのソナタをレッスンしていただいた時に注意されたのは、リズムや弾き方についてが中心でした。基礎的なことを結構言われて、自分はまだまだだなと実感しました。音楽的な指示ももちろん英語で出されて、分からない単語とかが結構出てきたりしたので少し焦りました。通訳はつけなかったんです。完璧に理解し切れない部分もあったので、先生の弾き方や音に注意したり、いろいろ聞きながらじゃないと分からないところもあったんですけど、優しく教えてくれました。ユーモアのある方でしたね。2人とも優しくていい先生でした。 -日本での教え方、今されているレッスンとの違い、外国の先生ならではの、こういう教え方って外国なんだな、と感じたことはありましたか? 瑚彩様:そうですね…。ニーデルドルファー先生は、勝手な偏見かもしれないですけど、日本人より、音で何かを表現する時、感情を表に出す感じだったかなと思います。控えめに言うことはなかったかと。できていないことは、しっかり分かるまで指導してくださいました。そうする先生も日本にはもちろんいらっしゃるとは思うんですけど。ここは感情的に、ここはこうやりましょう、みたいな、そういう表現の説明の仕方が大きかったのかなと。うまく説明できていない気もしますが。 -それはわかりやすかったですか。 瑚彩様:わかりやすいですね。言葉でいろいろと言われるより、的確にイメージさせる要素に触れたほうが。彼女は自分のイメージを提示してくださって、それを私が自分なりにイメージして、弾いていました。そういうのって個人によってイメージすることも捉え方も違いますしね。…難しいですね、音楽を言葉で説明するのは。 -スタッフの方はどんな方でしたか?例えば講習会で運営スタッフ、先生以外の方ですね。あまり話す機会はなかったですか? 瑚彩様:最初に飛行機の関係で遅く着いた時に、もう一人の日本人の男の子がいたんですけど、彼と一緒に建物を簡単に案内されたんです。そのコーディネーターというのかな、彼女が英語で説明してくださったんですね。でも彼があまり英語がしゃべれなかったので、私が通訳になるといういい経験もできて。みんな笑顔が素敵で感じのいい人ばかりでした。でもいけないことはきちんとダメと言っていました。いろんな人を見ていて思ったんですけど、日本人の遠慮というか、オブラートに包む感じが、いい意味でないのかなと。何事もスパッと言う感じでした。だから分かりやすかったですね。事務の方や掃除の方とはあまり話す機会がなかったですが、洗濯やコンサートについて聞きたいことがあるときは、お世話になりました。 -スタッフは何人ぐらいいらっしゃいましたか? 瑚彩様:スタッフは、主に関わったのはコーディネーターの2人でした。中心となる先生もレッスンを担当しながらカメラでみんなの写真撮ったりとかしていて。他は洗濯物の受付にいた方が2人と、事務室に4人くらいいらっしゃいました。私が見たのはそのくらいです。 -参加されていた方は、先ほど日本人の男の子が1人いたとおっしゃっていましたけど、他にはどういった国から来ている方でしたか? 瑚彩様:国で見ると、日本人が一番多かったのがちょっと意外でしたね。日本人がいないと思っていたら、私を含めて3人いました。でも本当に多国籍で、ドイツ、ウクライナ、トルコ、シンガポール、イギリス、アメリカ、スペインなど様々でした。みんなほとんど当たり前みたいに英語を話していて。あとはドイツ語を話せる人も結構いました。シニアのほうだと韓国、中国、日本といったアジア系と、オーストリアやイタリア、デンマークなどヨーロッパ系まで様々でした。国際色豊かなメンバーでしたね。 -皆さんの演奏はどうでしたか?生徒の皆さんがお互いの演奏を聴く機会もありましたか。 瑚彩様:そうですね、演奏会で。全員が一回コンサートで10分〜15分程度の曲を演奏しました。1人15分〜20分のプログラムを構成するファイナルには、4人が進出できるという仕組みでした。コンサートは演奏する場所までバスで行って、全員が聴きました。毎回コンサートの場所が違ったのもおもしろいなと思いましたね。印象に残ったのは、みんなすごい曲を弾いているなということです。プロコフィエフとかリストとか、指をたくさん使う曲というか、すごく技巧が多い曲を皆さん弾いてらして。やっぱりこういうところに来る人はすごいの弾くんだな、と思いました。でも、これを言っていいのかよくわからないですけど…聴いていたときに、すごい曲を自分のものにしているというか、そういう風に聴こえる人っていうのが、私の観点だと、少なかったのかなって思いました。上手に弾いてるけれど心に響いてこないな、といった感じです。そして、心に響いてくる、この人の演奏好きだな、この人ファイナルに行くな、って私が思った3人が実際ファイナルに行ったんですよ。だから、自分の音を持っているんだろうなと。自分をそのピアノで表現している人は、やっぱり技巧だけじゃないなぁ、と思って。雰囲気とか、オーラがあるんだと思います。生意気なこと言って、自分はどういう演奏をしていたのかはお客さんとして聴いていないのでわからないんですけれど…。すごい子はテクニックもすごいけど、ちゃんと心に入ってくる演奏をしていた、ということに感動しました。私もそんな風に人を感動させる演奏をしたいです。 -練習はどこでされてましたか? 瑚彩様:練習は、何台ものピアノがそのアカデミーにあって。Steingraeber & Söhne のピアノでした。練習室がたくさんあって、あなたは何時から何時まで練習、っていうのがスケジュールでちゃんと決められていました。どの部屋にもアップライトピアノかグランドピアノが一台あって、レッスン前はグランドピアノの部屋で練習できた時もありました。グランドピアノの部屋が、レッスンをする部屋も含めると計5部屋、あとはアップライトが計11部屋。全部で16台そのアカデミーにピアノがあることになりますね。練習時間になったらスケジュールに書いてある部屋に行くんですけど、自分の時間になっても中から音が聴こえるときがほとんどで。この部屋使っていいのかな?って許可とりたくなるじゃないですか。ノックして、誰もいなかったらこの部屋で練習しようみたいな、そんな自由な感じに使われていましたね。その時どうしようって最初思っていたんですけど、普通にノックして、私の時間なのでって言うと、ああそうなのね、すみません、みたいな感じのくだりができて。日本ではなかなか見られない光景かもしれないなと思いました。 -みんな時間になったら出る、という感じではないんですね。 瑚彩様:私にはそれが普通だったので最初は驚きましたね。人がいなくてすんなり入れる時もあったんですけど、いろんな部屋から常に音が聴こえるという感じでした。あとは朝から晩まで、ずっとピアノの音が聴こえていました。ジュニアとシニアはスケジュールは違いますが、同じアカデミーで練習するんですね。友達曰くシニアの方も長い間練習していたみたいで、夜に閉館するまで弾いていた人もいました。 -レッスン以外のときは皆さんでどこか行ったりとかしていたんですか? 瑚彩様:友達とスーパーに行くとか、アイスを食べに行くとかですかね。特に出かける予定のないときは、ルームメイトの子がスマホでドラマを見ているのが多くて。その子とそれを一緒に見たりした時もあったんですけど、一人でスマホをチェックしたり音楽を聞いたり、疲れていたら寝るとか、割と自由にしていました。でも大抵、談話室みたいなところで友達と集まっておしゃべりしたり、truth or dareというゲームをして盛り上がっていました。truth or dareというのは、私達が遊んだのは日本でいう21ゲームと王様ゲームを足したような感じですかね。色々遊び方があるとは思うんですけど、数を順番に言っていって最終的に21を言った人が、みんなに質問された答えを言うか命令されたことをやる、という。ほとんどそれではしゃいでいました。色々な質問や答えが飛び交って、彼らを知る機会にもなるし、面白かったですね。 -気候は暑かったですか? 瑚彩様:ちょうどいいとしか言いようのない、爽やかな風があって気持ちよかったです。日本の夏だとと湿度があって結構過ごしにくい夜があると思うんですけど、着いた時の夜はそんなの一切なくて。ちょっと肌寒いけれど、心地よい気温だったんです。暑い日もあったんですけど、39度とか40度とかそんなふうには上がらなくて。本当に過ごしやすい日ばかりでした。だからみんな半袖とかで過ごしてましたね。夜とかは暑かったときもあったんですけど、窓を開ければしのげる暑さで。講習会の最後では、楽しい思い出以外にも、この気候から帰りたくないっていう思いでした。 -外に出られたとき、治安とか大丈夫でしたか?安全面で不安はあまりなかったでしたか? 瑚彩様:オケの旅行で行ったところは、スリに気をつけてと言われることが多かったんです。肩掛けバッグの中のお財布は知らないうちに盗られるからって言われました。腰の前にポーチをつけて、ちゃんとチャックも閉めてたのに、財布とクレジットカードを盗まれたという方もいたと聞いて。私は幸い被害に遭いませんでしたが、そういう印象も結構あって。あとは物乞いする子どもがいるところもありました。しかし今回行ったシュリッツは、全然そんなことなかったです。スリにも遭わず、不審者にも会わず。田舎の方だったこともあるんでしょうけど、平和でした。ちなみにアカデミーやゲストハウスに入るには4桁の番号を押してドアのロックが解除されるという仕組みになっていたので、安全でした。 -外に出られるときは基本1人じゃなくてお友達と一緒に、という感じですかね? 瑚彩様:そうですね。友達といったほうがお話もできて楽しいので。大体一緒にいた友達とスーパーに行っていました。ただ私がスーパーに頻繁に行ったのは、飲み物が炭酸のものばかりだったからなんですよ。自販機にあったのが、水、リンゴサイダー、レモンサイダーとコーラとか。やっと水に出会える!と思ってお金を入れたら、ぬるい炭酸水の瓶だったという。蓋を開けたとたんに泡が出てきてこぼしてしまうというエピソードが誕生しました。私はいつもお茶やガス抜きの水が普通で、あまり炭酸水が好きではないので、これは困ったと思って。だからスーパーに行って、最初は0.5L入りのVolvic 6本入りを買っていったんですけど、飲むものがそれしかなかったので2日で飲み干してしまって、0.75Lに量を増やして。結構な頻度で買い出しに行っていました。もうスーパーに行く理由は基本的に水の調達、といった感じで。歩いても行ける距離だったのが助かりました。水と、あとは朝食が間に合わなかったとき用のバーとか、お菓子とかでした。お茶はやはり恋しくなりました。 -歩いてどれぐらいで行けるところなんですか? 瑚彩様:10分くらいだったと思います。 -割と近い所にある感じなんですね。 瑚彩様:そうですね。いい散歩、ぐらいだと思います。それとスーパー以外にもアイスクリーム屋さんが数軒あって、スーパーの帰りに寄ったり、アイスクリームが食べたくなったら1ユーロで買って食べていました。 -宿泊はどういったところに泊まっていたんですか? 瑚彩様:講習を受けたアカデミーと同じ敷地内にゲストハウスがあって。歩いてすぐのところに。 -アパートみたいな? 瑚彩様:いや、寮みたいな感じですかね。私は二人でルームシェアだったので、ベッドが二つあって、洗面所がひとつありました。クローゼット、トイレ、洗面台、シャワーが共用でありました。ユニットバスではなくて、立ってシャワーする感じです。部屋に入っても何もないことは言われていたんですけど、まさかハンドソープまでないとは思わなくて。迂闊でした。タオルがあるだけで。幸いそのルームメイトの子がハンドソープを持っていたので、借りて使っていたんですけど。テレビはありませんでしたが、あってもドイツ語だけでしょうし、なくても全然苦になりませんでした。それと個人的に気に入ったのは布団で、すごくふかふかしていて。好みはあると思いますが、気持ちよく寝れました。 -ネットはちゃんとつながりましたか? 瑚彩様:ゲストWi−Fiがあるということは聞いてたんですけど、万が一を考えて空港でイモトのWi−Fiを借りました。ポケットWi−Fiです。それでいつもやりくりしていました。使わない時は電源を切って充電して。Wi−Fiを持っている友達もいたので、たまに接続が悪い時、充電が切れそうな時はそれを貸してくれました。 -ルームメイトは何人ぐらいいらっしゃいました? 瑚彩様:私の部屋の場合は1人だったので、2人で部屋を使っていました。他の部屋は計3人のところもあったみたいです。2人か3人で部屋をシェアする仕組みなんだと思います。でも友達を自分の部屋に入れて遊んだり。何人部屋であろうと、出入りも自由でした。夜遅くにはしゃいでるとさすがに怒られますけど。私のルームメイトの子が、夜の2時ぐらいになっても平気で騒いでいたんです。うるさいのは別に勝手だけど、周りも起こしちゃうし、怒られるんだよ、って言ってもなかなか理解してもらえず、3回怒られてしまって…。 -ルームメイトは何人の方でしたか? 瑚彩様:イギリス人で、パーセルスクールに通っていました。彼女の友達2人もそこに通っていて、彼らと私で仲良くしていました。ただ、夜にうるさいと苦情が来た時にいつも謝るのは私でしたね…。年下だったこともあるのかなと思いましたが、もう少しそこは注意してほしかったかなと。もちろん楽しい思い出もたくさんありました。 -若い分、自分の国を離れてうきうきしちゃったんでしょうね。 瑚彩様:そうなんでしょうね、楽しいのは分かるんですけどね。注意してもなかなか聞いてもらえなかったので、逆に私が鍛えられましたね。 -宿泊先、泊まっているところから講習会までは歩いて移動ですか? 瑚彩様:はい。でも徒歩何分とかじゃなくて、ほぼ目の前にありました。歩道があって、その向かいに講習会場があって。ゲストハウスの横に、行けなかったんですけどコンサートホールもあって。本当に歩いてすぐでした。その同じ敷地内に、小さい森みたいな、公園かな、すごい木に囲まれた場所があって。犬の散歩をする人や、自転車が通れる道も敷いてありました。一般の人も通れる所でした。私はドイツ語のレッスンが終わったあと、気分転換に歩きながら習ったことを音読していました。空気も景色もきれいだし、歩き回っていましたね。やはり環境がすごいよかったです。本当に帰りたくなかったな。 -お昼や夜ご飯はどういったものを食べていましたか? 瑚彩様:一言で表すと、芋でした。ドイツの名産食べた?と友達からも聞かれたんですけど、これといったものは食べなかったかな、という。テレビで見るようなメニューは出てこなかったと思います。でもやはりポテトと肉がメインでしたね。チキンや魚、米も出ました。日本の米とは全然違いましたが。言っていいかわからないですけど、美味しいと思えるメニューが私的には少なかったです。でも三食作ってくれていたので、しっかり食べました。外食するという手もあったんですけど、申し訳ないし、何より知らない国で迷うのは怖いので…。残していた人も結構いたんですけどね。米と、魚にソースのかかった料理や、フルーツカレーのような料理が不評でした。これはどうやって命名すればいいんだろう?っていう料理が結構ありましたね。一緒にいた友達は、みんなおいしくないって言ってて。なんて言えばいいのか分からなくて曖昧に濁していたんですけど。それと、ルームメイトの子がベジタリアンだったんです。ベジタリアンメニューもあったんですが、肉に見えるものもあって。野菜もあったんですけど、彼女の好みには合わなかったみたいで、結局彼女が食べてたのはほとんどパンでした。そこは心配になりましたね。でも、私はそんなに不味くはないかな、っていう感じでした。外食に行ったエピソードとしては、コンサートの帰りに2回ほどメンバー全員でピザを食べました。最後のパーティーもまた違うピザ屋でやりました。なぜドイツなのにピザ?とつっこみたくなりましたが、美味しかったです。あとはシニアの方に、日本人メンバーで外食行くんだけどどう?って誘われたんです。留学されている方もいるし、人脈広がるかも!と思って行ったのがインド料理屋さんでした。タージマハルっていう名前が面白いなと思いました。驚いたのは、メニューにはないけどカレーを作ってくださったこと。ケイジャンチキンと数種類のカレー、ラッシーを、大勢で美味しく頂きました。 -海外の人たちとうまく付き合うコツみたいなのがあったら教えてください。 瑚彩様:父がアメリカ人の私は、小さい頃から結構英語に慣れ親しんできたほうだと思うんです。だから文法とか考えなくても、ある程度のレベルまでなら英語が話せるという感じで、言っていることは割と理解できて。ただ、まだまだ語彙力が足りなかったです。言いたいことが伝わらない、ということも多かったですね。コミュニケーションはとれていたんですけど、理解しきれないところもあったのが残念でした。そこで大切なのは、相手の話をちゃんと聞くということかなと思いました。真剣に耳を傾けてくれる人だと、なんとかして伝えようっていう気になりますし。それと、自分から積極的に話していかないと言いたいことが伝わらなかったり、話題が作れなかったりしました。といっても、参加していた人全員と話せたわけじゃないし、数人と仲良くしていたんですけど。英語が分かると、会話に参加できなくても内容は分かるので、言語の大切さと、積極的にならなければいけないことは痛感しましたね。 -なんとなく、普通にコミュニケーションとって、という感じですかね。 瑚彩様:そうですね。でもなんとなくというよりは、自分から英語を話して、あとはちゃんと聞いて。分からないことがあっても次に繋げることも大事ですね。そこで黙っちゃって終わり、ということもあったんですけどね。やはりお互いコミュニケーションをとろうという気持ちがないと、どっちかが折れるか、聞いていられないってなるか。せっかちな人とかもいると思うので。何が言いたいの?っていう雰囲気になられた時に、やっぱりいいやって折れちゃうと、お互い通じなくなると思います。言語の壁はあると思いますが、しっかり話していくことが大切だなと思いました。 -留学中に何か困ったことはありますか? 瑚彩様:洗濯ですかね。自分で洗濯物を持っていって、3ユーロ払って洗濯機で洗濯してもらうといった流れなんですが、乾燥機がないのを忘れていたんです。取り出した時に濡れていて、乾燥機はないのかと聞いたら、当たり前でしょと返されて。ああそうか、干すんだったなと。ラックがあるからそれで干してと言われ、乾かすんですが、それにとても時間がかかったんです。室内干しで、それも日光があまり当たらないところで。乾いたのにラックを占領するのもいけない、と思ってちょくちょく様子を見に行っていたんですけど、全然乾かない。12時ぐらいに洗濯しに行ったとしたら、16時、17時まで待っていないと乾かなかったですね。それも洗濯も毎日できるっていうわけでもなくて。日にちと時間が決まっていて、それを狙って洗濯をするんですね。早い者勝ちだったので割と早めに行っていました。ただ一回だけ、計算を間違えたのか洗濯をしなかったんですよ。そしたら靴下が足りなくなってしまってしまったんです。裸足でスニーカーを履くのはさすがにちょっとなぁ、と思って、お恥ずかしい話になるんですが、石けんで洗って干して、髪用のドライヤーで乾かしてやりくりしました。靴下はあまり持ってきていなかったので、それでやり切って。あとは着られる服を選別して着るという。だから、暑すぎず寒すぎず、汗をそんなにかかない気候で助かりました…。 -今回の講習会に参加してよかったなと思った瞬間があったら教えてもらってもいいですか? 瑚彩様:言語面では、言いたいことがなかなか伝わらなかったり、言っていることが分からなかったり、コミュニケーションが取りづらいこともありました。でも、友達との英語でのおしゃべりやみんなの演奏を聴けたり、ドイツの街並みを堪能できたり。日本では経験できないことをたくさん素晴らしい思い出にできました。忘れられない思い出のひとつに、こんなことがあったんです。私が演奏したコンサートで、1部と2部の間の休憩のときに、家族で来ていた奥さんが、あなたの演奏はとても素晴らしかったわ、ってわざわざ伝えてくださったんです。そこでは、ファイナルに残る2人も弾いていたんです。でも彼女が全員の演奏が終わった後に、私のお気に入り、やっぱりまだあなただったわ、と言ってくださって。演奏って、自分がうまく弾けると嬉しいし、逆にもっとできたなって思う時もあります。その時まだ満足のいく演奏ではなかったと思いましたが、初めて会って自分の演奏を聴いてもらった人に、すごいよかったよ、と言ってもらえるのがとてもうれしかったんです。さらに、ドイツ語のレッスンで、課外授業といった感じでしょうか、街に繰り出して、街にある様々な単語を習うといった時があったんですね。展望台に登って美しい景色を見たりだとか、パン屋に行ったりだとか。そしてその行ったパン屋で、偶然、私の演奏を褒めてくださった奥さんがいらしていたんです。お互い気づいて、彼女に少し時間をくれと言われて。何だろうと思って行ったら、プロでもないのにサインを書いてくださいと言われたんです。果たして、こんな光栄なことがあるのだろうか、としみじみと思いました。コンサートから数日経っているのに、あなたの演奏すごい好きだったよ、とまた言ってくださって。聞かれたのでファイナルには残れなかったんですと言ったら、え?行くと思っていたのに!と言われて。まだまだ足りないことはありますが、そう言ってもらえたのがとてもうれしかったですね。名前のサインと、ありがとうとメッセージを書いてあげたら、彼女もその旦那さんも子どもも、家族で笑顔になってくれて。みんな最後に握手までさせていただいて、それはもう、とっても心温まる瞬間でした。演奏は人を笑顔にするためにもあるのだと、誰かの笑顔のために弾くのだと。自分の演奏が、誰か1人でも幸せって思ってもらえたり、お気に入りの1人になれることは、やっぱり最高に素敵なことだなと思いました。 -今回ご自身で変わった部分、成長したなと思うことってありましたか? 瑚彩様:日本では割と10分前行動とかよくあるじゃないですか。集合時刻の少なくとも5分前までには集まるという。ルームメイトの子とその友達がよく一緒にいて、最初は彼女達と一緒に行かなきゃ、といった集団的心理が働いたんです。でもそのうち、同じ部屋ではあるけど言ってもダメなら、自分は先に行って時間を守らなきゃと気づいて。日常生活では、誰かを待っててあげるっていう、集団で行動することが多いと思うんですね。でもそこではそういうのがなくて、自分のしたいことをその時するっていう。もしかしたら彼女たちだけだったのかもしれませんが…。何をするにも自己責任というのが多かったです。先程鍛えられたと言いましたが、自分で時間をしっかり守って自主的に行動することができるようになったと思います。自分で考えて理解して行動に移す、といったパターンですかね。分からなかったら聞かなきゃいけないっていう状況に置かれていたので、後に家族からテキパキするようになったね、と言われました。一時的なものかもしれないんですけど、自分から進んで行動するっていうのが向こうでは大切だったので。 -今後留学をする人にアドバイスがあったら教えてもらってもいいですか? 瑚彩様:英語が話される地域に行くと、本当に日本語を話す人がいないんです。日本人がいたとしても、彼らとだけになります。スタッフさんも空港も、日本以外は全て英語でした。だから、英語が分からないと結構辛いのかなと思います。講習会のスケジュールも英語で書かれていますし、掲示板も英語でした。コミュニケーションをとるにも、日本人の方と一緒にいるならいいんですけど、せっかく国外まで来たんだから、いろんな方と交流を深めることをしたいなと私は思って積極的に英語を使いました。みんなと仲良くなれるわけではなくても、母国語でない言語で話し、異文化に触れるというとてもいい機会になるので。だから、コミュニケーションツールは、言語に関わらず、誰か友達を作っていくと、話したり遊べたりで楽しいです。思うように話せなくても相手が聞いてくれると、会話ができるので。知っている単語を並べていけば、予測もされやすいと思いますし。それと、ルールを守ること。レッスン時間はもちろん、コンサートに行く時のバスだったり、時間厳守の機会は結構ありました。守れなかったときに自分が損するだけならまだいいんですけど、迷惑をかけてしまう人もたくさんいる場所なので。自分のことは自分でしっかりやるという責任感があったほうがいいと思います。それと友達を作れば、一緒にいると聞けるし、自分も話せるし。誰か話せる人がいるほうが、様々な面でも心強いし、何より楽しいと思います。 -今後の活動とか進路、目標みたいなものがあったら教えてもらえますか? 瑚彩様:今回ドイツへ行って講習会に参加し、様々な面で鍛えられましたし、気候や街並みもとても好きでした。来年はまた、違う国の講習に行ってみたいなと強く思いました。それと何より思ったのは、日本は狭いなということ。集団的だったり、価値観は多数派が一般的であったりすると思うんです。それもそれでいいとは思うんですけど、私はもっと個人の意見が生きてくる、自由な雰囲気が好きかなと思います。だから、高校を卒業したら、ヨーロッパへの留学を考えています。国は決まっていないんですが、音楽が身近にあり、人種や生き方がたくさんあるところでピアノを、音楽を学びたいなと。日本はそうではなくて悪いと言うわけではないんです。ただ、音楽にしても、様々な作曲家の生まれの国であったりとか、名ピアニストがその国で育ったとか。そういうことをしっかり調べて、自分の好きな音や文化のある国を見つけて勉強したいと思っています。 -貴重なお話をありがとうございました。

山本 晃代さん/ロンドン・スタジオ・センター・サマーコース

3歳からクラッシックバレエを始めました。ピアノやその他の習い事もしました が、バレエが最も好きでした。 当時週2~3回くらいでレッスンに通っていました。 しかし、小学5、6年の2年間、中学受験の為、お休みしました。 中1の4月から再開・・・、2年間のブランクはとても大きく、一時はこのまま辞 めてしまうかと思いましたが、 バレエが好きであるという気持ちは変わることなく、又、現在のスタジオの先生 方はじめ周囲の環境にも恵まれ、現在は、学業と両立しながら、 4〜5回/週で、精進しております。中3の時には、オーディションを受けて、セ ントラルバレエスク-ル(ロンドン)に夏季短期留学しました。 -簡単なプロフィール、経歴を教えていただけますか? 山本様:3歳からバレエをやっていて、受験のために小学校5、6年で1回バレエはやめて、中学生になってまた始まって、今4年間続けてやっています。 -バレエ以外の踊りのご経験はございますか? 山本様:バレエ以外は、ほとんど手をつけたことがなくて。ジャズとかも、バレエの先生がたまにジャズをやるからちょっとやる、というぐらいで、基本的にずっとバレエという感じです。 -今回英語の語学コースとミュージカルのコースに参加されたんですが、いつ頃から海外を意識されるようになりましたか? 山本様:小学5年生のとき、ワン・ダイレクションが好きになって、そこからすごく海外が好きになって、海外に目を向けるようになって、去年セントラルのサマーに参加して、今年はどうしようかなと迷っていたんですけど、海外で出会いを見つけて視野を広げたいなと思って、自分がいろいろ調べて問い合わせをしていたら、いつの間にか留学していました。 -今回1週間語学のコースに参加されて、場所がブライトンという避暑地だったと思うんですが、実際に参加されてみていかがでしたか? 山本様:すごく充実していた1週間だったと思います。最初は、日本人は私しかいなくて、イタリア人とかフランス人とかばかりで、母国語が使えないことにすごく寂しさというか孤独感を抱いていたんですけど、アクティビティとかもあったし、そういうのでより仲良くなれて、同じ年代というか、ジュニアコースに参加している子は結構仲良くなれたのと、あと、一番仲良くなれた子はフランス人の男の子で、その子はなんで仲良くなれたかというと、最初の日に、お庭があるんですけど、ニュー・スチューデントはテストがあるからそこで待っていてください、って、そこで待っていて、いろいろ、携帯いじってたり、説明書読んだりしていたら、その子が座ってきて、何て名前なの?とかいろいろ話していたら、その子はすごく日本が好きみたいな感じになって。で、その子は18歳のだし、全然ジュニアコースじゃないけど、その子が一番最初の出会いで。それで、ジュニアコースじゃなかったから、ちょっとの休み時間しか話す機会はなかったんだけど、最終日になぜかすごく接近できて。一緒にビーチ行ったりして。そしたら、その子はゲイだったようで、でもそれを触れたことで、私はそれを聞いたのは初めてだったし、その子のおかげで視野は広げられたし、それ以外にも文化の交流もできたし、逆に改めて日本のことを知れたり。日本って愛されている国なんだな、とすごく思えたし、その子、ゲイだったっていうのはかなりのショックだったけれど、その子と話したことで自分の視野が広がったので、充実していた1週間だったと思います。 -ブライトンでは具体的にどんなタイムスケジュールで過ごしていましたか? 山本様:大体私は朝7時ぐらいに起きて、8時ぐらいに朝食だよ、って呼ばれて、一緒のホストシスター、ブラザーも同じ学校だったから、8時20分ぐらいに家を出て、学校に8時50分ぐらいに着いて、9時から授業が始まって、10時50分ぐらいまで1回レッスンがあって、11時15分まで休憩があって、そこでお昼の注文に行って、また11時15分から1時近くまでレッスンがあって、お昼を食べて、その後にアクティビティをしました。 -ホストブラザー、ホストシスターも一緒の学校ということは、何人の方と一緒だったんですか? 山本様:二人ともイタリア人で、二人はいとこ同士でした。 -語学学校は1クラス何人いらっしゃいましたか? 山本様:10人から15人ぐらいは。私のクラスは16人ぐらいいたと思います。 -英語のレベル的にはどうでしたか? 山本様:私、日本で英検2級を持っていて、海外のレベルで見たらB1ってなっていて、私はちょうどそのレベルのクラスに入ったので、レベル的にはほどよいという感じだったんですけど、イタリア人が4人、トルコ人が6人、スペイン人2人、日本人私だけだったから、トルコ人とかがすごく母国語をしゃべっていて、それが、ちょっとなあ、と思ってしまった部分はあったけれども、授業はよかったのかな。でも1週間だったから、あまりそれから得たというよりかは、普段の会話から徐々に英語能力も、会話力もアップしていったというほうが大きいかもしれないです。 -アクティビティはどんなことをしましたか? 山本様:初日はブライトンの観光に行って、2日目はボウリングして、3日目が、何て説明すればいいかわからないけど、自由と言うか、3チームに分かれて、銃のようなものを持って、それは別に危ない銃じゃなくて、そこから出る光がほかの対抗しているチームの背中とかに当たったら減点、といったようなゲームをやったり、その次の日は、体を動かしてスポーツをやったり、最終日はピクニックに行ったりしました。 -今度はミュージカルシアターコースのお話をお伺いしたいと思うんですが、参加されてみていかがでしたか? 山本様:やっぱり私はバレエなんだな、と思いました。 -ちょっとミュージカル色が強かったですかね? 山本様:結構強かったと思いますね。ドラマの先生が個性が強くて。それに私はついていけなかったかも。 -ミュージカルコースはどういった流れで1日を過ごされましたか? 山本様:語学学校と同じぐらいに、7時ぐらいに起きて、朝食べて、9時半から授業だったので、8時半ぐらいに家を出て、9時半から11時ぐらいまで、1時間半の練習で、15分休み、11時15分から12時半までまたレッスン。で、12時半から1時半ぐらいまでお休みで、あとは1時半から1時間半で、また十五分休み、1時間15分という感じで、4時半に終わる感じでした。 -ミュージカルの作品とか、いろいろなレッスンがあったと思うんですが、一番印象的だったレッスンは何ですか? 山本様:どれも全部自分には始めてだったから、どれも印象に残っているかもしれないです。ただ、バレエをやっていたから、楽しかったというか、バレエをやっていればなんでもできるんだな、と思っちゃいました。 -今回はキンキーブーツでしたっけ? 山本様:そうです。 -レパートリーとしてはどうでしたか? 山本様:楽しかったけど、もうちょっと踊りたかったです。キンキーブーツの最後のレイズー・ユー・アップの部分、あれをやったんですけど、あまりあれって踊らないじゃないですか。それがちょっと物足りなく感じて。去年はセントラでキャッツやったんですけど、それをやっていたから、それのイメージを思い浮かべていたんですけど、今回はあまり踊らなかったから、それが物足りなさを感じちゃったなと。 -歌とかお芝居のお稽古はいかがでしたか? 山本様:英語が本当にわからなかったです。ホストマザーとか友達のは割とわかったけど、急に人種変わったかのようにわからなくなって。 -今年のミュージカルシアターコースは何人ぐらい参加されていましたか? 山本様:結構少なかったです。最初10人だったのに、次の日から2人減って。だから結局8人ぐらいで。 -みんなイギリス人ですか? 山本様:イギリス人と、あと1人51歳の日本人の方がいました。 -もちろんイギリスの子たちは問題なく英語で対応できると思うんですけど、そこでコミュニケーションがあったりとか、お話とかされましたか? 山本様:ほんのちょっとだけはしたんですけど、でもブライトンのほうが正直充実していたかな。みんな留学生だし、英語話したいという思いがあるし。もちろん楽しくて、発見もあったけれども、ブライトンの語学学校のほうがよかったかなと。ホストファミリーもブライトンのほうがよかったです。 -ホストファミリーはブライトンのほうがよかったとおっしゃっていましたが、具体的にはどんなところでいいなと感じましたか? 山本様:必ず夕食は6時半ってなって、絶対みんなで集まって食べるし、食事もおいしいし、見るからに雰囲気が良さそうというか。ベットとか部屋もそっちのほうが良かったし、日本のようにシャワールーム、バスルームで一つのルーム、トイレって分かれていたのが、日本人としては過ごしやすいのかなと。 -ロンドンのほうは分かれてなかったですか? 山本様:分かれてなくて、カーテンで仕切られていて、お食事も作ってあるから食べたいときにレンジでチンして、といった感じで、朝食も、ブライトンの人は、朝食だよ、って朝絶対お母さんがいて、好きなのを選んでいいんですけど、トーストとかはやってくれるし。気をつけて行ってきてね、と必ず言ってくれて、自分は仕事に行く、って感じだったんですけど、ロンドンの人は、まず起きてないし、ここにコーンフレークとジャムと牛乳が入っているし、皿はここにあるから適当にとっていいからね、トーストもこれでやって、って感じで。で、毎朝コーンフレーク、同じものはちょっと、私的にはあんまりで。飽きちゃって、近くのスーパーで毎朝パンを買っていっていました。 -週末、ブライトンのほうが終わってロンドンに移動されてミュージカルをご覧になったかと思うんですが、それはいかがでしたか? 山本様:すごいよかったです。YOUTUBEとかでも見ていたけど、それ以上に迫力があったし。ミュージカルだから、途中でなんで急にこうなっちゃったの?って、それだけで拗ねちゃう?って思っちゃう部分はあったけど。でも、すごくセットも良かったし、すごく引き込まれたというか。 -今後語学学校に参加されたい方にアドバイスがありましたら教えていただけますか? 山本様:自信をもって英語を積極的に、しゃべれなくても、What's your name?とか、Where are you from?とか、それだけでもいいから、とりあえず話しかけてみないといけない。日本人って結構シャイだなって改めてすごく感じてて。私も日本の学校ではわりかしアクティブというか、先生と話したりしているんですけど、いざ現地に行くと向こうの人のパワーに負けちゃって、行けなかったりするから、行けないのはすごくわかるけど、空気を読んで、というか、言葉を発さないと何もわからないし伝わらないから、基本的な会話の一部だけでもいいから話して、あとは、わからなかったら相槌を打つ。それでいいと思いました。 -ミュージカルコースに今後参加したいと思ってらっしゃる方へのアドバイスがありましたら教えてください。 山本様:とにかく楽しむこと。その人が何の踊りを得意としているかがわからないから何とも言いようがないけれども、私の場合はバレエをやっていたから、それが強みだったというか。だからこそ、ほかの踊りも結構自信をもって踊れたし、楽しく踊れたけども、楽しくなんでも行うことが一番重要なんじゃないかなと思います。あと、外人のすごいダイナミックさに負けちゃって、私も列とか後ろのほうでやっているんですけど、そこもずかっと前に行って、楽しく自信をもってやる。それかなと思います。 -今後、バレエのほうのトレーニングを続ける感じですか? 山本様:そうですね。とりあえずバレエをもうちょっと強めていって、機会があればミュージカルとかやりたいと思います。 -貴重なお話しどうもありがとうございました。これからもがんばって下さい。 山本様:ありがとうございました。

寺根佳那さん/チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院

東京音楽大学付属高校、東京音楽大学を経て、東京音楽大学大学院修士課程鍵盤楽器研究領域修了。 ベルーナ人材育成奨学金第一回奨学生として、埼玉県知事より埼玉親善大使を委嘱され、 現在チャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院在学中。 在ロシア日本国大使館主催、ロシアにおける日本年2018 風雅「日本の美」オープニングコンサート(モスクワ)出演。 ラ・フォル・ジュルネ新潟2016「熱狂の日」音楽祭、リスト記念館ホール(ハンガリー・ブダペスト)、秋篠音楽堂、宗次ホール等にソロ出演。東京、名古屋、群馬等、ソロリサイタルを多数開催。 国立オリンピック記念青少年総合センター大ホールでヴィルトゥオーゾユースオーケストラと共演。日本演奏連盟正会員。 -まず簡単な自己紹介ということで、現在までの略歴を教えてください。留学する前までの音楽の経験は? 何歳からなさっていましたか? 寺根様:ピアノは3歳からしています。幼少の頃は、兵庫県に住んでおり、小学生の時に相愛大学名誉教授の故片岡みどり先生に二度推薦していただき、大阪のザ・シンフォニーホールの推薦演奏会に出演しました。 その翌年、兵庫県の地元の先生の勧めで、大阪音楽大学の付属音楽学園を受験し、教授の先生からレッスンを受けれるセミナークラスに合格し、中学1年から、大学生の方と同じクラス(4人)でピアノのレッスンを受 けていました。 その翌年、兵庫県の公立中学校の音楽の先生が、「東京から凄い先生が来るからレッスンを受けてみたら」と推薦して下さり、兵庫県から神奈川県までレッスンに通う日々が始まりました。この頃は、兵庫県から週2 回大阪へ、週1回京都へ、そして隔週で神奈川へ通っていたので忙しい中学生でした。 私は、兵庫県で音楽科がある県立西宮高校を受けようと思って準備をしていましたが、当時ついていた京都芸大の先生に、東京に行くことを強く勧められ、受験の3ヶ月前に東京音大の付属高校を受けることが急に決 まり、勢いで東京に来ました。 略歴 東京音楽大学付属高校、東京音楽大学を経て、東京音楽大学大学院修士課程鍵盤楽器研究領域修了。 ベルーナ人材育成奨学金第一回奨学生として、埼玉県知事より埼玉親善大使を委嘱され、 現在チャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院在学中。 在ロシア日本国大使館主催、ロシアにおける日本年2018 風雅「日本の美」オープニングコンサート(モスクワ)出演。 ラ・フォル・ジュルネ新潟2016「熱狂の日」音楽祭、リスト記念館ホール(ハンガリー・ブダペスト)、秋篠音楽堂、宗次ホール等にソロ出演。東京、名古屋、群馬等、ソロリサイタルを多数開催。 国立オリンピック記念青少年総合センター大ホールでヴィルトゥオーゾユースオーケストラと共演。日本演奏連盟正会員。 -留学したきっかけを教えてください。 寺根様:ソロリサイタルを毎年聴きに来て下さっていた先生に勧められました。 学生時代から何度も留学は勧められていたのですが、まず日本で出来る限りのことをした上で、自分にとって留学が本当に必要かどうか考えてから決めようと思っていました。 改めて先生に勧められて、現実的に考えるようになりました。実は、先生に勧められる一年前に受けたロシア人の先生のマスタークラスで、ロシアに来たらというお話をしていただき、漠然とですが、やはり行きたい なという気持ちが芽生えていました。 高校生の頃から勉強していたロシア語をもう一度勉強し直そうと思い、語学スクールに通い始め、勉強を再開していた矢先にタイミング良く勧めて下さったので、決心が出来たように思います。 -どうやって現在の学校を選びましたか?現在の学校に決まるまでのいきさつを教えてください。また、決め手になった点はなんでしょうか? 寺根様:当初は、サンクトペテルブルク音楽院に留学しようと考えていました。サンクトペテルブルクの先生が、僕はいつでも歓迎するからロシアに勉強に来たらいいよとおっしゃって下さっていたので、漠然と行き たいなという気持ちがありましたが、金銭的な面でも現実的ではないと諦めていました。ただ、高校生の頃から、ロシア・ピアニズムを学びたいという気持ちが強く、心の片隅でロシアで学びたいという気持ちは常に あったように思います。 先生方にも相談したところ、モスクワ音楽院を勧められ、挑戦することに決めました。 -手続きで苦労した点はなにかありますか? 寺根様:ロシアのことに関しては殆ど相談出来る人がおらず、自分で全て手続き面の手配をしたので大変なことばかりで毎日不安でした。 手続きも提出書類も殆どロシア語でしなければならなかったので、毎日手探りで、綱渡りをしているような状況でした。 -留学準備はどのくらい前から始めましたか? 寺根様:大まかな準備は、10ヶ月前から始めました。 ただ、ソロリサイタルなどを受験の3ヶ月前までしていたので、その準備や練習に追われていて、本当にちゃんと準備を始めたのは3ヶ月前からです。 -学費はどう捻出しましたか? 寺根様:給付型奨学金の奨学生に選んでいただきました。 -語学は日本でどのくらい勉強しましたか?現地でも語学学校に行った方がいいでしょうか? 寺根様:ロシア語は高校生の頃から大学を卒業するまで履修していましたが、その後しばらく勉強していませんでした。 留学をする約2年ほど前から、語学スクールに通っていました。留学の半年前からは、ロシア人の家庭教師の方にもレッスンをしてもらっていました。 -日本と留学先で大きく違う点を教えてください 寺根様:授業がいつから始まるのか等、日本なら当たり前のように学校側から教えてもらえる最低限のインフォメーションすら、こちらから聞きに行かない限りは教えてもらえないということでしょうか。 例えば、学生証に関しても、何度か自分から「もう出来ましたか?」と聞きに行き、ようやくもらえました。 待っていては何も進まないです。 -学校の授業はどのように進められますか?日本でしっかりやっておいたほうがいい勉強などありまし たら、教えてください。 寺根様:授業は全てロシア語です。英語が通じない先生が多いので、最低限のロシア語が出来ないと困ると思います。 -日ごろ練習はどのようにしていますか? 寺根様:寮の練習室や、音楽院で練習しています。 -授業以外はどのように過ごされていますか? 寺根様:大体は、練習場所を探すか練習をするかです。 -宿泊先はどのようにみつけましたか? 寺根様:寮があります。 -留学してよかったと思える瞬間は? 寺根様:一番の喜びは、素晴らしい先生との出会いです。いつも真剣に一緒に向き合って下さって、妥協せず、時間を気にせず教えて下さる先生から学ぶことが出来る喜びは大きいです。レッスンの内容もとてもレベ ルが高く、毎回新しい気付きがたくさんあり、ここ音楽に夢中になれる日々が幸せです。 -これから留学する人が、心しておかなければいけない点、アドバイスしておきたいことがありましたら、お願いします。 寺根様:一番大切なことは、悩みすぎないこと。何があっても前向きに考え、自分の気持ちを貫くこと。 自分が今出来ることを精一杯頑張っていたら、必ず道が開けていくと思うので、勇気を持って怖がらずに挑戦してください!

事務所移転のお知らせ

■♪■♪ 事務所移転のお知らせ ■♪■♪

皆さまにおかれましてはますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

さて、このたびアンドビジョンは下記に移転することになりました。

新店舗での営業は、2019年1月28日(月)からの予定でございます。

これを機に、従業員一同気持ちを新たにし、お客様の信頼にお応えできるよう倍旧の努力をしてまいる所存でございます。

今後とも一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。


【新住所】

〒101-0052

東京都千代田区神田小川町3-8

神田駿河台ビル2F

                

京橋でのカウンセリングは2019年1月25日までになります。

移転先では、ヨーロッパなどの海外音楽学校と提携し、また600人以上の海外教授の協力を得た
音楽学校・And Vision International Music School開校!
留学へも、また教養としての本場の音楽も学べます!

皆様のご来校、お待ちしております。

笹田ももこさん/バレリーナ

-サマーのお話を伺っても宜しいですか?ブログラムの内容を教えてください。 笹田ももこ様:サマーは一応、全幕ものの振付を3週間のプログラムの中でするんですけど、次のサマーだと、「真夏の夜の夢」をはじめから振り写しをし始めて、最後のパフォーマンスで披露するみたいな感じです。 その主役とかプリンシパルの役とかを私とかブリトニーっていうプリンシパルの子がやって、コールドをサマープログラムに参加してる子達で固めます。 なので、午前中はクラスレッスンをやって、お昼からリハーサルを小分けしてやっていって、夜はみんながコンテンポラリーのリハーサルをしてます。コンテンポラリーのショーケースも一番最後の披露できる所でやります。 -平均的な参加人数は、何名ですか? 笹田ももこ様:いつもは100人いかないぐらいですかね。年度によって違うんですけど、50~100人の間で毎年人数が変わってる感じですね。 -スタジオ、稽古場がニューヨークの州外ではなくて郊外ですか? 笹田ももこ様:そうです。郊外に行って、そのアルバニーにあるエッグシアターっていう大きいシアターがあるんですけど、プログラム中はずっとその舞台の上でレッスンをして、リハーサルをして、本番のパフォーマンスもその同じシアターでするので、ずっ と劇場に朝から夜というか夕方ぐらいまで一日中いるような感じですね。 -クラスは誰が教えてくださるのですか? 笹田ももこ様:ディレクターですね。レオナルドとキアラーという夫婦でやってるので、どちらかが。クラスが2つに分かれるんですけども、若い子は14才から来れるので、14才~18才以下の子達と18才以上の子はレベルを2つに分かれます。基礎のクラスと上級 のクラスで分かれます。基礎のクラスを朝どっちかが教えて、もう一つのクラスをどちらかが教えるみたいな感じです。1時間ぐらいちょっとずつ分かれてて、1クラスをはじめ朝から9時半とか10時半からやって、そのクラスが終わって、その子達がランチブレイ クを取ってる間に次のクラスが舞台でやる。ちょうどお昼過ぎからリハーサルを一緒にやる。 -どんな国籍の方が参加されますか? 笹田ももこ様:結構バラバラです。イタリア、ギリシャ、アジアだと韓国、中国、日本の子達と、あとは、アメリカもいろんな所から来てますね。オーストラリアとかからも参加されます。 -今度はカンパニーのことについておうかがいします、年間の公演数はどれくらいですか? 笹田ももこ様:年間だと、シーズン毎にパフォーマンスがコンテンポラリィとクラシックと両方あって、それが3~4公演ずつあります。 10月に始まってすぐにコンテンポラリーがあって、11月も小さいパフォーマンスが何個かあって、12月はくるみ割り人形を毎週末のようにやって、年明けニューヨークフェスティバルって、一週間の冬季のイベントもあるんですけど、それが終われば、次は3月か らまたシーズンが始まるので、また3月も何公演かやって4月も何公演かやって、5月もっていう感じですね。 -エッグシアターを拠点に活動されてるのですか? 笹田ももこ様:サマーはエッグシアターという所をベースでやっておりますが、ニューヨークになるといろんな所で小さいスタジオとかでやって、スタジオでもショーケース持ったりとか舞台でパフォーマンスやったりとかいろいろあります。 -ツアーに出て? 笹田ももこ様:そうですね。そのアペランティスの子達は、Hビザっていうインターンのビザを取ったりとか、アペランティスの子になると、自分で決めれるんですけど、3ケ月毎にシーズンがあるので、ちょうどツアーのエスタとかで来て帰る子もいるし、ビザ を取ってくる子もいるしっていう感じですね。 -住む所はどうしてますか? 笹田ももこ様:アパートを借りて、あとは向こうでアーティストのビザで教えたりとかも出来るので、バレエ教室で教えたりとかもするし。他のカンパニーのゲストに出たりとかっていうので、ちょっとずつプラスαさせていくっていう感じです。ニューヨーク は結構ダンサーにとって住みやすくて、いろんな他のゲストの仕事もいっぱい貰えるので、結構バレエダンサーとしてはやっていきやすいかなと思います。 -このカンパニーを知ったキッカケは何だったんですか? 笹田ももこ様:私が17~20才の時までニューヨークのジョフリーバレエスクールにいて、その時に一緒にバレエスクールにいた子が今のアイクのプリンシパル、ブリトニーで、その時、その結構仲が良くて、ブリトニーの友達ビリーブランケンって、ニューヨー クにいたフェスティバルのコーディネートをやってる男の子もみんな結構ジョフリーで一緒で、友達が今のカンパニーに多くて、ニューヨークにオーデション、NNBA辞めて戻った時に、「おいでよ」って言ってくれて、行ってレッスン受けたら、結構楽しかった というか相性が良くて、そのままとんとんとんという感じで入りました。 -ジョフリーを選ばれた理由はなんですか? 笹田ももこ様:最初はアメリカに行きたい、ニューヨークに行きたいというのがあって、ニューヨークのバレエスクールを何個か探した時に、私のその17才ぐらいの頃って、もうなんかジョフリーかエイリーかって、あんまりニューヨークにバレエスクールが多 くない時に、ニューヨークシティバレエのスクールオブアメリカンバレエとかは規定が結構厳しくって、17才だと既に遅いというか。ジョフリーが結構大きく受け止めてくれるというか。スカラシップも貰えたので、そのままジョフリーに3年いました。ちょうど セカンドカンパニーみたいなのがあって、私はトレイニーっていう、そのスクールの一番上のクラスに入れてもらって3年。私がこの3年行ってる間にアンサンブルが一旦無くなってしまって、なので、スクールにいながら他の地域のゲストとかにも、「ここのフ ロリダの学校に行ってきて」って言って、友達と発表しに行ったりとかっていうのをいろいろやってもらえた。ちょうど、そのジョフリ-の時もちょうどチェンジしている時期で、いろいろ試してやってる感じでしたね。 -ジョフリーのだとジャズとかコンテンポラリーとかありますよね? 笹田ももこ様:コンテンポラリーとかクラシックとか全部やって、たまに一週間に先生の気が向いたら、バレエ史じゃないけど、こういう人がいてこういうやってるんだよっていうのを話してくれたりとか、あとはピラティスがあったりとかしました。 一日朝クラス、ランチブレイクがちょうど間挟まって、パドゥドゥのレッスンとコンテンポラリィ、ジャズとかモダンとかをやって、最後にもう一回レッスンが16時ぐらい。だから、朝の10時ぐらいから16時ぐらいまでみっちりレッスンでした。 -17才っていうと日本の高校ですよね? 笹田ももこ様:高校2年生で、私は高校中退して留学しました。私はバレエだけにしようと思ってその道を選びました。 -16時ぐらいに終わってからは、どうしてたんですか? 笹田ももこ様:そのまま家に。結構16時ぐらいになるとぐったり。みっちりすぎて疲れるので、そのまま家に帰って、友達とご飯食べに行ったりとかバレエ観に行ったりとかですね。ニューヨークは終電等で学割が全部きくので、ミュージカル観に行ったりとか 、毎日ではないけど週に一回ぐらい行けたらいいかなあっていう感じ。 -お住まいは寮ですか? 笹田ももこ様:17才から私は18才の未成年の時期は寮にいて、18才過ぎてからは友達とアパートシェアしてました。 -アパートはどの辺に住まれたんですか? 笹田ももこ様:私は友達とブルックリンに住んでて、寮は学校の近くにあるジョフリーの寮というよりも、なんかドミトリーというか、いろんな子達が住める、学生の子達が住める所にいましたね。 -食事とかは自炊ですか? 笹田ももこ様:寮の時は朝、夜付いてました。友達と住み始めてからは自炊ですかね。日本のスーパー行って買い物してました。お昼は学校の近所のデイリーとか行ったり、朝ご飯の時にバナナとかりんごとかをとって、それを持って行って食べてました。 -ニューヨークを選ばれた理由は何かありますか? 笹田ももこ様:私が身長がまず小さくて、ヨーロッパはまず頭になくって、アメリカでいろんな所を探した時に、ニューヨークだと、ショービジネスが大きいというか、結構重要視されてて、バレエダンサーって言っても「凄いじゃない」と認めてくれてるとい うか。いろいろと学校とかを探した時に、アメリカの田舎に行って、ほんとのバレエしかしないよりも、ニューヨークに行って、いろんな刺激をもらえた方がいいかなと思って、17才の頃に学校を辞めて探した時に、ニューヨークとなんかピンときたっていうか 、楽しそうだなと思って。初めジョフリーも一年だけ行くはずだったんですけど、3年になってだんだん長くなってきました。 -実際行ってみてどうでした?自分が想像してたのとおりでしたか? 笹田ももこ様:凄く合うというか、ホームシックとかにも一回もならなくて、リラックスできるいい家だなっていう感じがして、毎日楽しくって。毎日、朝起きて学校行ってレッスンするのがなんか楽しいし、ただ歩いてるだけでも結構楽しいです。 -お休みの時とかは、どういう事されてますか? 笹田ももこ様:ミュージカル行ったりとか、公園とかもパブリックのとかも結構多くって、景色眺めに行ったりとか、歩き回ったりとか、友達とご飯食べに行ったりとか、いろいろなんかみっちり予定が組んであります。 -お休みって、クリスマスとかのバケーションとかっていう時は、日本に帰られたりとかしますか? 笹田ももこ様:そうですね。バレエ学校の時とかも、ほんと年に1回年末。学校だと、9月から始まって6月までなので、ほんとその夏休みに日本に帰ってきて。学校の時は夏。冬はずっと向こうに学校にいて、夏だけ帰ってきました。 -ジョフリーは年に2回公演があるのですか? 笹田ももこ様:そうですね。くるみ割り人形を12月にやって、最後の学校の卒業公演というか6月に終了。一年が終わりましたよっていうのが春にパフォーマンスが。だから1年に2回。冬と春です。 -日本のバレエスクールとなにか違いはありますか? 笹田ももこ様:日本だと発表会って言うと、その為に練習をしててパフォーマンスでおしまいみたいな感じですが、バレエ学校とかだと、ただなんか一年を通してどれだけ成長しましたというのを見せる所で、バレエ学校のパフォーマンスでも全然関係ない人と かも観に来てくれて、パフォーマーとして成長できるというか。日本だと、発表会しました。おしまい、みたいな。お披露目会みたいな感じなんですけど。向こうだと、ほんとにパフォーマンスしてお客さんから「良かったよ」って言ってくれて、毎年積み重ね というか。結構、身内じゃない人から「良い」って言ってもらえるのが凄いいいかなと思います。日本だと、やっぱり家族から「良かったよ」って言われて。お友達とか。向こうだと、「この人誰?」っていう人が「凄い良かった」って言ってきてくれるのが、 凄いいいなあと。アメリカのバレエとかが確立されてるなあというのが凄い感じます。 -日本の学校の教え方だと、発表会に向けてのお稽古。向こうのバレエスクールの場合は、バレエというものに対しての成長過程の通過点ではないですけど、その変化を見る公演ということですけれども。実際、朝から夜まで夕方までのクラスの中で教え方が違う とか、環境も変われば指導も変わると思うんですけど、なんか大きな差っていうんですか、日本とアメリカの差は? 笹田ももこ様:日本だと、やっぱり日本って教える免許を持ってない人がいたりとかして。私が日本にいた時も、「私が教わってきたからこうだよ」ってワンパターンっていうか、教えるんですけど。アメリカだと、向こうは「小さくてこういうダンサーだから 、こういう所引き延ばさなきゃいけないんだよ」って、マンツーマンで言ってくれる。大きい子にはその子に合った指導の仕方をしてくれるし、私とかだと「アジアで小さくて、どう頑張っても大きくはならないから、ももこはこうやってこうやるとパフォーマ ーとしていいんだよ」っていうのをいろいろ言ってくれて、一人一人に合った指導をちゃんとしてくれるというか。そんな先生達もなんかちゃんとパフォーマーとしての経験がちゃんと今まで積み重なっているので、いろんなその先生達が知ってる人の例を挙げ てくれて、「こういうダンサーがいるから観てみな」みたいな感じで言ってくれたりとか。 -ジョフリーのトレーニークラスは、1クラス何人ですか? 笹田ももこ様:私がいた時は1クラス20人ぐらいだったかな。男の子が10人ぐらいいて、女の子が10人いたりとか半々ぐらいですね。下のクラスになると、結構グチャグチャにいたりとかだったと思います。 -パドゥドゥとかはどうですか?若い子と。日本にいると、多分先生とかとやると思うんですけど。 笹田ももこ様:そうですね。向こうだと、友達と相談しながらやるというか。私とかだと、身長が小さいので、身長でパドゥドゥとかってやるので、結構いつも若い子に当たって、お互い「こうやるんだよ、こうやるんだよ」って教え合ってやるっていう感じで した。日本だと、男性のパートナーから言われて、その人に合わせていくというか。アメリカは、お互い譲り合ってくれるというか。「私はこうしたいから、こうやって」って言うと、男の方もやってくれる。パドゥドゥとかは平等な感じでした。 -学校卒業されて日本に帰国されてお仕事されて、今またニューヨークに戻られて。今後、目標と言いますか、個人的にビジョンとかっていうのは、何かありますか? 笹田ももこ様:踊れる限り踊り続けて、将来私は日本にあんまり帰ってくるつもりが頭の中にないので、アメリカで教えを始めるか、今のカンパニーとかでクラス持たせてもらったりとか、今までやった事を無駄にしないように次にバトンを渡せるようにはした いなと思います。 -その拠点をニューヨーク若しくはアメリカでやるということですか? 笹田ももこ様:そうですね。はい。 -今後、例えば日本にいる若い生徒さん、何かアドバイスとかあれば教えて頂けますでしょうか? 笹田ももこ様:日本の子供達だと一度に静かにシャイになっちゃって、アメリカの先生達がアプローチしてくれてるのに、殻に閉じこもっちゃって静かになっちゃうので、そこを思い切ってオープンになって自分をプッシュするのを上手にならないと。やっぱり 言葉の壁もあるし、コミュニケーションの壁もあるので、静かに黙ってると、やる気がないって勘違いする人が結構多いので、ほんとシャイにならないでオープンに出していくといいんじゃないかなと思います。日本人の子達って、テクニックがしっかりしてる から、そこは認めてもらえて。いつもコミュニケーションの場でそこで躓いちゃうというか。「あの子とコミュニケーション取れないんだけど」って言われて、間に私が入ったりとかすることもあるので、ほんと自分を思い切って出すやり方を取得した方がいい かなと思います。 -ご留学前は英語とかはどうやって習得しました? 笹田ももこ様:私はジョフリーに行った一年目に、行ってすぐに私はバレエだからレッスンは大丈夫だろうと思って行ったんです。英語はそんなに勉強して行ったわけではなくて、高校2年生までの学校の英語だけで行って、行ってみたらほんとにレッスンってバ レエの単語が一緒なのにも関わらず、あんまり分からないというか。「この人何言ってるんだろう?」みたいな。で、もう行って3ケ月ぐらいで向こうに行ってから勉強して、英語の喋れる日本人の子達がいたから助けてもらいながらやって、半年経つ前ぐらいま でに頑張ってヒアリングだけを覚えて。あとは、ちょっと聞き始めることが出来たら、アメリカ人の子達と一緒にいるようにして耳を鍛えるというか、喋らなきゃいけないような環境に自分で置いて。一年経ったぐらいでは、だいぶ喋れるようになったかなって いう感じです。 -海外での生活の中で困ったなあなんていう時とかってありましたか? 笹田ももこ様:日本だと、ちょっと体が故障した時っていうか、足が痛くなったりした時に、すぐに行ける整骨院の先生がいたりとかするのに、アメリカだと、結構自分でセルフケアをしなきゃいけなくて。初め、学校にいる時とかも、ほんと脚が痛くなった時 に行く所が大きい病院しかなくて、行ったところで別に「休みなさい」と言われるだけで何もできないというか。治療をしてくれる人が周りにいなくて、アメリカにいる間にマッサージの本とかを凄い読んで、どうやって足の筋肉を緩めるやり方だったりとか、 自分の身体と見つめ合う時間が新たに出来たというか。日本だと預けれる人がいっぱいいるから、何も考えてなかったんですけど。 -保険とかは入ってましたか? 笹田ももこ様:学校の時は旅行者保険というのを持って行ってて、それを持っててもマッサージには行けなくて。ほんと怪我をして、骨が折れましたとか捻挫しましたとかだと行けるけど、ちょっとマッサージに行きたいとかっていうのは、もう全部自腹で払う みたいな。向こうだと、60分のマッサージで100ドルとかするんですよ。だから、結構バレエ学校にいる時にはそういうのが厳しいじゃないですか。1万円とかするのは。だから、友達とマッサージし合ったりとか。そういうのが結構、身体が。スケジュールも日 本のバレエやってるのと全然違う所にいたので、身体が合うまでは結構大変だったかな。環境に合うまで。 -特に危険な目には会ったりとかはありますか? 笹田ももこ様:していないですね。でも、なんかニューヨークだと、ここのストリートには行っちゃいけないとか、情報で入ってくるので。「ここは危ないよ」っていうのがあるので。今とかだと結構慣れてるから行きますけど、学校にいる時はほんとにハーレ ムには行かないとか。家の親とかからも凄い「行かないでね」とか言われてたので。やっぱり言葉が通じなくて、「旅行者です」ってはたから見て分かると、周りの人も舐めてかかってくるというか。「この子分からなくて歩いてる」みたいなのが分かると、ほ んとに余計に危険になってくるので。私は歩く時は、アメリカ人の子達と一緒にいたりとかします。日本人で集まっちゃうと、やっぱり危険かなと思います。 -外のオープンクラスとかは行かれたりとかしました? 笹田ももこ様:行きます。たまに。ステップスとかバレエアートとか、オープンクラスがニューヨークもいっぱいあるので、バレエレッスン受けに行ったり、ステップスっていうオープンクラスが出来る所だとピテイスのクラスがあったりとかいろいろあるので 、自分の身体に、その時のメンテナンスに行けるようにしてましたね。オフの時とかは。 -大変貴重なお話しありがとうございました。

池田明莉さん/ドレスデン国際バレエサマースクール

-バレエは何歳に始められましたか? 池田様:4歳から始めました。 -週にどれくらいお稽古に通われてますか? 池田様:今は週4回です。 -1日にどれぐらいのお稽古されていますか? 池田様:1日1時間半です。コンクール時は、3時間位です。 -留学を決めた理由を教えていただけますか? 池田様:海外のバレエ学校で外国の方々がどのようにレッスンされているのかを知りたいと思って行きました。 -この講習会を選んだ理由は何ですか? 池田様:ドイツに行ってみたいと思っていて、いろんな国の人が来てるというのを聞いていたので、一緒にレッスンしたいと思って、受けまし た。 -今回海外の講習会に参加されるのは初めてでらっしゃいますか? 池田様:はい、初めてです。 -実際にご参加されてみていかがでしたか? 池田様:やはり言葉が、英語だったので、難しいこともあったんですけど、普段の日本のレッスンでは受けられないような、クラシックだけで はない踊りも経験することができたのでよかったと思いました。 -いろんな国の方が参加されていたと思うんですが、今回明莉さんが入られたクラスには、1クラス何人ぐらいの生徒さんがいらっしゃいました か? 池田様:男の子も入れて、30人から40人ぐらいだったと思います。 -その中に日本人の方はどれぐらいいらっしゃったんですか? 池田様:私を含めて3人でした。 -日本人の方で参加されている方の年齢は、どんな方が参加されていましたか? 池田様:16歳と17歳です。 -お話されましたか? 池田様:はい。学校に一緒に行ったり、結構お昼休憩も一緒に食堂に行ったりしていました。 -そのほか、参加されていた方というのはどんな国の方がいたかわかりますか? 池田様:本当にいろんな国から来てたんですけど。イタリア、スウェーデン、ベルギーとか。あと、ドイツの子もいました。 -特に講習会で印象に残っていることがあったら教えていただけますか? 池田様:コンテンポラリーで、同じグループの人たちと協力して、1人の子をみんなで持ち上げて移動したり、みんなの中に飛び込んだり、普段 あまりやったことのないことをやりました。あとは、クラシックの一つのバリエーションをみんなで少しずつ順番に踊っていくということもし ました。 -何のバリエーションを踊りましたか? 池田様:私のグループは、バヤデールの、パ・ダクションでした。それをみんなで少しずつ順番に踊っていく、っていうのをやりました。 -施設はどんな感じでしたか? 池田様:施設は広くて、スタジオもたくさんで、大きな広いスタジオから、小さいスタジオまでいろいろありました。 -1日のタイムスケジュールを教えていただけますか? 池田様:私は、朝7時ぐらいに起きて、ホステルの朝食を食べに行き、それから、ホステルの洗濯機が壊れていたため、洗濯は手洗いでやってい たので、洗濯したり、その日の準備をしたりして、大体10時ぐらいにホステルを出て、40分かけて歩いて大学まで行きました。レッスン自体は 12時半から始まって、早い日は6時半ぐらいに終わったんですけど、遅い日は夜の8時15分ぐらいまでレッスンしていました。 -朝食、ホステルでのご飯は、バイキングとかですか? 池田様:はい、バイキング形式です。 -パンがあって、チーズとかハムとかを挟んで食べる感じですかね。 池田様:はい。あとは、コーンフレークとかもおいしかったです。 -お昼とか夕飯はどうしていましたか? 池田様:お昼は学校の食堂で食べて、夜はスーパーで買ったパンとかソーセージを食べたり、時間がある日は駅の屋台やレストランで食べまし た。 -レストランではどんなものを食べましたか? 池田様:ソーセージとフライドポテトとか。ドイツっぽいものを食べました。 -食べるものとかスーパーで買うもので困ったりとかはないですか?特に食事の面で困ったことはありましたか? 池田様:学校からホステルまでの途中にスーパーがあったんですけど、そこは夜8時に閉まってしまい、レッスンが遅い日は閉まっていたので、 そこはちょっと困りました。 -そういったときは、どこで買ってましたか? 池田様:駅のスーパーは10時ぐらいまでやっていたのでそこで買いました。ホステルから15分くらい駅まではかかるんですけど、そこまで行っ ていました。 -朝とか夜とかは、40分かけて歩いて行かれていたということなんですが、トラムとか電車、地下鉄は使わなかったんですね。 池田様:はい。最初の日に大学の方が大学まで連れてってくれたんですけど、そのとき、歩いて連れていってもらったので、ずっと歩いていっ ていました。でも、バスとかを使って行っている人もいました。 -クラスメートとかルームメイトの方と一緒に歩いて帰った感じですか? 池田様:はい。ルームメイトの子と一緒に行きました。 -ホステルは、今回2人部屋でしたか?4人部屋でしたか? 池田様:4人部屋です。 -どんな方と一緒でしたか? 池田様:みんな日本人の人でした。なんか合宿みたいな感じでした。いい人ばかりだったので、楽しかったです。 -レッスンでいろんなことを体験されて、初めての海外でいろいろな経験をされたと思いますが、今回の渡航で、冒頭にも言葉が通じなくて困っ たとおっしゃってましたが、言葉が通じない以外のことで困ったな、ということは何かありましたか? 池田様:私が行ったとき、ドイツはとても暑かったんですけど、ホステルにも学校にもクーラーがなくて。それで、窓を開けるんですけど、と 網戸がないので虫が入ってきちゃったんです。それが結構困りました。 -ここ最近、ヨーロッパも暑くなるっていうふうに聞いてます。夜とか朝もちょっと暑いな、という感じですか? 池田様:日にもよりましたが、暑い日が多かったです。 -逆に、ヨーロッパで、今回バレエをして、いろんな国の方とお話して、やっぱり来てよかったな、と思うポイントとかあったら教えてもらって もいいですか? 池田様:向こうの国の子たちがどんなふうにレッスンを受けているのかや、今まで知らなかったような面白い振り付けを知ることができたので 楽しかったです。 -ドレスデンの講習会に参加された方は、コンテンポラリーとか、池田さんがおっしゃったように、振り付けが面白い、ということを皆さんおっ しゃるんですが、例えばバレエをやりたいなと思っている方が参加されて、もうちょっとバレエやりたいな、なんて思うことはあったりします か? 池田様:クラシックバレエも毎日レッスンはあったし、バリエーションも踊れたので、たくさん踊ったなと思っています。 -日曜日のお休みはどのように過ごされていましたか? 池田様:ホステルから時計台が見えていて、そこにルームメイトの子たちと行ってみようということになり、時計台の、教会や、雑貨屋にお土 産を買いに行きました。 -いいですね。観光で皆さんとショッピングして、充実されてましたね。歩いて行かれたんですか? 池田様:はい、そのときも歩いていきました。 -今後、このドレスデンのコースに参加されたいと思う方に、何かアドバイスがありましたら教えていただけますか? 池田様:いい経験がたくさんできると思うので、おすすめです。あとは、行ってみたら、意外となんでもできちゃいます。行ってみたらなんで もなんとかなると思うので。飛行機の乗り継ぎもいっぱいあったのですが、大丈夫でした。 -よかったです。今後の明莉さんの目標とかあったら教えていただけますか? 池田様:今回の経験が、バレエでもそうなんですけど、何かほかのことに生かしていろいろチャレンジしていこうと思います。 -それは例えば、言葉とか、海外との文化交流ということも含めてですかね? 池田様:はい、そうです。 -本日は貴重なお話しをどうもありがとうございます。

Y.K.さん/ウィーン冬期音楽講習会

国立音楽大学附属高校作曲科入学、在学中ピアノ科へ転科。国立音楽大学ピアノ専攻卒業。複数の合唱団でピアニストを勤め、イタリア公演等に参加。ソロや器楽、声楽とのコンサートや録音等で活動。ピアノ教室主宰。 ロンドンでニール・イメルマン、プラハでミラン・ランゲル各氏のレッスンを受講。 -まず初めに簡単な自己紹介と、現在までの略歴を教えていただけますか。 K様:5歳からピアノを始め、小学校5年からフルートもやっていて、中学校から和声と作曲を勉強しました。その後、国立音大の付属高校の作曲科に入学しました。そこで副科のチェロとか、声楽を始め、在校中にピアノ科に転科しています。 -すごいですね、本当にいろんなジャンルを勉強していらっしゃるんですね。 K様:そうですね。自然といろんなものに挑戦する機会に恵まれました。 -もともとチャレンジが好きなタイプでしたか? K様:というよりも、逆にこれが専門というふうに極めすぎなかったのが、かえっていろいろ選択肢が増えた結果かなと思います。 -今回講習会に参加されるきっかけになった事は何ですか。 K様:大学在学中から地域の子どもたちにピアノをずっと教えて現在に至るのですが、合唱団のお仕事、ピアニストのお仕事も、約25年やっていたので、なかなか自分のピアノだけに集中する時間がとれなくなってきていました。 これまでに3回程アンドビジョンさんにお世話になりましたけども、環境を変えて、自分の勉強に集中する時間を確保するという目的で。で、たまたま今回年末年始ということだったので、お仕事にも影響なく、家族にもそんなに迷惑をかけず、家族も年末年始の休暇中だったので、思い切って行かせてもらった、という感じです。環境を変えて、自分の勉強の時間を確保したかったから、ですね。 -講習会自体、日程としては年末年始に組まれていたと思いますが、その講習会はどういうスケジュールでしたか。 K様:大体レッスンは1日に1回入っていて、レッスンがないのが大晦日、元旦ですね。レッスンがある日も2、3時間ぐらい練習室を借りて自分の練習をしていました。 -トイフルマイヤー先生はどんな方でしたか。 K様:レッスンの最初にいきなりジョークを飛ばして私をリラックスさせて下さいました。それでいてとても紳士でいらして、親切で素敵な先生でした。以前アンドビジョンさんのトイフルマイヤー先生の国内マスタークラスの聴講に行ったのですが、トイフルマイヤー先生のレッスンはとても的確で、わかりやすくて。今回のレッスンでも、先生は非常にご年配でいらっしゃるけど、学ぶ姿勢を失わない情熱みたいなものはすごく感じました。 -レッスンは何語でしたか? K様:ドイツ語1本ですね。時々、右手、左手、という日本語だったり、ゆっくり、というのもよくおっしゃっていました。 -講習会の最後には終了演奏会だったりとか終了セレモニーのようなものはありましたか。 K様:ありました。大晦日の日にクラスコンサートがあって、ほぼ最終日というか、講習最終日が修了コンサートでしたね。で、終了コンサートのあとに、皆さんでレストランに移動して、打ち上げ、懇親会みたいなものはありました。 -初めて講習会に参加して、ほかにも受講生の方が一緒にいらっしゃる状況に対する不安は特になかったですか。 K様:なかったですね。ただ、ピアノの方がたくさん参加されて、例えば準備する曲の規模で、こんなのでいいのかしら、って、参加するのはどうかな、みたいな、そういう心配はあったんですけど、今回たまたまピアノは私1人だったので、先生自身も楽しそうに、というとちょっと失礼ですけど、そういう気持ちでレッスンしてくださいましたし。で、私もともと声楽とかも大好きなので、声楽の方とか、あとフルートもいましたし、いろんな参加者がいて、すごく楽しかったです。クラスコンサート聞いているのもすごく楽しかったです。 -他の参加者の方同士でコミュニケーションとったりもできましたか。 K様:そうですね。皆さん自然と仲良く、なんとなく一緒にいたり、という感じになりましたね。 -楽しい雰囲気で、ピリピリすぎない感じだったんですね。 K様:全然それはなかったです。むしろ皆さん本当に楽しんで、レッスンも楽しい、いろいろ言われてもそれも楽しい、という感じでした。皆さん前向きで、いい雰囲気でした。 -講習会ということでレッスンと練習の時間はあったと思いますが、レッスン、講習会以外の時間はどのように過ごされましたか。 K様:私は今回ウィーン3回目で、なんとなく町の感じもわかっていたので、普通に町歩きも時間があればしました。それからお買い物も、こういうところに入ったらこういうのがあるというのも大体わかっていたので、小さいお買い物ですけど、スーパーだったり、ドラッグストアだったりで、ちょっとした日用品を買いに行きました。で、カフェとかも入りましたし、それと、ホテルザッハのザッハトルテも食べることができました。 -今回のウィーンでの年越しはどのように過ごされましたか。 K様:オプショナルはつけなかったので、自分で大晦日のときにアン・デア・ウィーン劇場のオペラに行きました。アン・デア・ウィーン劇場は前から行きたいと思っていて。 -すごく貴重な体験ですね。 K様:そうですね。それで、もう1人行きたいという子がいたので一緒に行って、それで終わったあと、年越しカウントダウンを国立歌劇場の前で。花火も見たりして、年越しを迎えました。 -現地のお店情報なども、結構大事だったりしますよね。 K様:あと、大晦日の日程的に、お店が思ったより早くしまっちゃって。食料買いそびれたとか、水買ってないという方が周りにいましたね。 ー年越しでどんなふうに町は盛り上がっていましたか、治安面の不安もあったりしましたか。 K様:大晦日は、ウィーンの町の人もそうでしょうし、それから観光客がどんどん中心部に集まっている感じがありました。車も多かったですし、みんなでお祝いするために中心部に集まっている感じでした。元旦は、どちらかというとおそらくツーリストの方が、なんとなくガイドブックを片手に街歩きをして写真を撮ったり、という感じでした。例えば地下鉄とかは、元旦はかなり空いていました。ただ、もともと講習期間中、地下鉄も混んでいるイメージはなかったので、かなりの確率で、空いている席見つけて、サッと座れるぐらいな、そんな感じでした。治安面もそんなにものすごく近づいてくるとか、振り向くと人の気配がするとか、そういうことは全くなかったので、治安としては不安はなかったです。普通にしていれば問題ないという感じですね。 -年末年始のウィーンってかなり寒かったんじゃないかなと思いますが、どれぐらいの防寒がよかったですか。 K様:寒いと思って準備していったこともあるので、例えば、小物は絶対あったほうがいいと思います。ヨーロッパの方って小雨や雪が降っても、そんなに皆さん傘はささないですから。例えば、ダウンだったら、東京ではフードをつけてなくても、フードはつけていったほうが便利ですし。それから、傘はほとんど使わなくて、1日ぐらいしか使わなかったです。結構降ってくるときはあったんですけど、ニット帽だったり、年が明けてからは雪が積もりましたので、雨とかに濡れても大丈夫な防寒用の靴みたいな、ショートブーツみたいなものはあったほうが便利だと思います。向こうで調達しようと思っていても、年末年始お店閉まっていたり、あとお買い物に苦労されると、ほかのほうに神経使っちゃって、ってなるので、ちょっと多いぐらいの準備してちょうどいいと思います。室内はとても暖かったです。 -ウィーンももう3回目でいらっしゃるので慣れていらっしゃる部分も多いかと思いますが、やっぱりここは日本とは違うなの思った点はありますか。 K様:海外はどこもそうかもしれませんけど、自分から動かないと。向こうから声はかけてくれることはあるかもしれないんですよね。例えばホテルとかだと、フロントがあるところに自分が行っても、自分が何かを言わないと向こうの人は声をかけてこないので、自分から発信してこれはどうしたらいいですか?とか、こうしてほしいんだけど、って言わないと動いてくれないな、というのがありましたね。 -自分なりの海外でうまく楽しむコツみたいなものはありますか。 K様:お店とかホテルみたいなところ、カフェなんかもそうかもしれないですけど、日常的に使うようなところで、そんなに親切ではないということは自覚して行かないと。例えば、スーパー一つ入っても、レジでまごまごしちゃってへこんじゃうとか、そういう方もいるみたいなので、そういうことは逆に、知らない、慣れてないという気持ちで、気にせずにどんどんお店でお買い物に挑戦するというのは大事だと思いました。 -ウィーンで日本にはないお料理もあったかなと思うのですが一番おいしかった、逆に食べにくかった、というものはありますか。 K様:皆さん話題にしていたのは、シュニッツェルですね。食べた?とよく話しました。食べてなかったら、じゃあ注文しようか、という感じで。シュニッツェルもお肉の種類がいろいろあるそうなので、それはぜひどれがおいしいのか挑戦してもらいたいし、今、ウィーンはどれを食べてもおいしんじゃないかな、という印象ですよね。いろんな観光客の方来ていますし。どれもおいしくいただきましたので、どれもおすすめだと思います。 -今回の講習会に参加して、一番良かったと思うことは何ですか。 K様:今回、アンドビジョンさんに申し込んだのが1カ月前だったので、本当に準備期間がなくて、手持ちの小品をたくさん用意して行きました。1回目、2回目は割と大きなものでまとめるのが難しい曲を準備したんですが、今回はもともとサッと弾けるようなものをたくさん準備していきました。今回はこれからの自分のお仕事、子どもたちにピアノを教える上で大変役に立つような作品を用意して、トイフルマイヤー先生は、小さい方からプロの活躍するレベルの人たちもたくさん見てらっしゃる先生だったので、そういう小品なんかも的確にご指導頂けると思ったので。すぐにレッスンに役立つような、的確に、わかりやすく指導していただきました。自分のスキルアップももちろんあるんですけど、仕事に対しての自信になった、そういう講習会だったと思います。 -今後、ウィーンに留学したいという方がいらっしゃったとき、これはアドバイスしておきたい、と思うことはありますか。 K様:冷たいってこともないんですけど、親切ではない、ってことですよね。だからそういうこと一つ一つ、あまり気にせずに、それこそまだ渡航に慣れていない方は、慣れてないんだから、ちょっとそういうことに遭遇してしまった、ぐらいに思って、絶対にマイナスに思わないこと。日本でできていることから引き算していくと、へこんじゃったりするので、前向きにチャレンジしてほしいですね。 -お時間いただいてありがとうございました。

清水桐子さん/ハンガリー・ダンス・アカデミー/ベネディクト・マンニーゲルバレエ学校

2008年 愛媛バレエアカデミー10周年記念公演"白鳥の湖" 全幕 主演 2009年 ハンガリー国立バレエ学校 2010年 ベネディクトマンニーゲルバレエ学校 2011年 タンツオリンプ ベルリン国際バレエコンクール ブロンズ、 Fragment of Tomorrow ソリスト、 CARMINA BRANA、 海賊オダリスク パドトロワ ガラ公演チェコ 2012年 DREI (モダンソロ)、 Grace(モダングループダンス)主役、 マッチ売りの少女 主役 、 くるみ割り人形3幕 グランパ・ド・ドゥ 2012年 BMダンスカンパニー 2013年 シンデレラ 主役、 Eine kleine Nachtmusik(夜想曲)/Hermann der Traumtanzer ソリスト 2013年 ニュルンベルク州立劇場、オペラPlatee ダンサー -先生の略歴を簡単にお話いただけますか? 清水様:6歳からバレエを始めて、高校を卒業するまで愛媛バレエアカデミーに所属し、その後2009年の9月からハンガリー国立バレエ学校に1年間留学し、2010年からはミュンヘンのベネディクトバレエアカデミーで2年間学び、最後の2年間はスクールのカンパニーメンバーとして舞台に立たせてもらっていました。 2014年にニュルンベルク州立劇場でオペラの中のダンサーとして働いた後、日本に帰国し現在は愛媛バレエアカデミーでバレエ、コンテンポラリー、ピラティスの講師をしています。 -高校をご卒業されてから行かれたということですか? 清水様:そうですね。 -寮で生活されていたんですか? 清水様:アパートです。 -バレエ学校の授業は何語でしたか? 清水様:ハンガリー語でした。直接説明してもらえるときは英語で説明してくれていたんですけど、最初は戸惑いました。ハンガリー語を教えてくださる方がいて、そこで日本人留学生3人ぐらいで一緒にバレエ学校のカリキュラムが終わった後にハンガリー語を習っていました。 -外国人は日本人以外だとどこの生徒さんがいらっしゃいましたか? 清水様:ロシア人、フィンランド人がいました。 -その人たちは特にハンガリー語の授業は受けてなかったんですね。 清水様:その子たちは自分で勉強しているみたいでした。 -ここのバレエ学校を受けようと思った理由は何だったんですか? 清水様:海外でバレエ団に入ってダンサーになりたいとずっと思っていたので、そのためにはバレエ学校に行く必要があると思っていたからです。 -ハンガリーを選ばれた最大のポイントは何でしたか? 清水様:まず国立のバレエ学校で、きちんとした8年制のワガノワメソッドのクラスで受けられるというのが選んだポイントです。 -そのあと、ミュンヘンに移動されるのは、ハンガリーを1年でやめて続けようと思わなかった理由はあるんですか? 清水様:当時、私の入った学年の生徒のレベルがすごい高くてその子達についていけてないのがだんだんつらくなってしまって。その分もっと練習時間が欲しいと思い、レッスンがたくさんできる所を探そうと思ったからです。 -年齢的にはクラスの皆さんどれぐらいが多いんですか? 清水様:8年生の最高学年の子が17、18歳ぐらいでした。私は高校卒業してから入ったのでみんなよりも少し年上でした。 -日本での教え方と大きく違うなと感じたことはありましたか? 清水様:メソッドがちゃんとしているので、基礎からしっかりと教えてもらいました。日本ではポアントを毎日履いていましたし、バリエーションの練習をたくさんしたりしていましたが、学校ではポアントクラスは週に2、3回で日本にいた時ほどバリエーションの練習もできませんでした。そのかわり基本の動きやポーズを理想に近づける作業を毎日やっていたような感じでした。 それは今私がクラスに教える時にもすごく役に立っていると思います。 -ハンガリーの現地の子たちは普通にアカデミックな授業もやりつつ、バレエもするのですか? 清水様:はい。 現地っこがそういう授業を受けている間にレッスンがあってほしかったなと思っていました。当時はちょっと物足りなかった気がします。 -1日大体何レッスンぐらいあったんですか? 清水様:週によって違いますが大体1日3クラスでクラシック、モダン、ポアント、バリエーション、キャラクターなどがありました。 -お休みは土日ですか? 清水様:お休みは、日曜日で、土曜日はバレエのクラスはありました。 -お休みのときはどんなことをされていましたか? 清水様:ショッピングモールに友達と買い物にいったり、観光地に遊びに行ったりしました。 -ミュンヘンと比べると物価は安いですか?。 清水様:そうですね。食費などはハンガリーのほうが安かったです。 -今度はミュンヘンのほうの学校について伺いたいんですけど、ミュンヘンのほうは1日にどれぐらいのレッスンをされていましたか? 清水様:午前中にクラシックを受けてお昼過ぎまで舞台のリハーサルがあり、その後にモダン、キャラクター、ポアント、バリエーションなどのクラスが夕方くらいまでありました。夜にもリハーサルをやる時がありました。 -そうなんですね。1日3レッスンぐらいですか? 清水様:日によって違いますがそれくらいです。 この学校ではレッスンのあとに、作品のリハーサルがたくさん入っていました。公演の数が多くて、ほぼ毎日リハーサルをやっていた気がします。 -ミュンヘンでは年に何回ぐらい公演があるんですか? 清水様:年に10回ぐらいはやっていたと思います。 -すごいですね、そんなにあるんですね。 清水様:いろいろなところで公演を行なっていました。 -ミュンヘンに移って、ご自身で変わったなということはありましたか? 清水様:色々な踊りが楽しめるようになりました。レッスンはしっかりとしたワガノワメソッドですが、舞台ではネオクラシックの作品を踊ることが多かったので、そういう作品をたくさん踊ることで色々な体の動かし方を発見でき、それを楽しいと思えるようになりました。 -外国人の生徒さんはどれぐらいいるんですか? 清水様:私が最初に行ったときは、日本人は私含めて3人で、あとはドイツ人10人くらいだったんですけど、最近は日本人留学生が増えてクラスのほとんどが日本人になっているみたいです。 -こちらには何年ぐらいいらっしゃったんですか? 清水様:2010年から4年間いました。 -ドイツ語はここでお勉強されてたんですか? 清水様:ドイツ語は留学前に少し勉強したぐらいでしたので、行って最初の2年間はバレエ学校のレッスン後に週2回ドイツ語の授業を受けてました。 -大体どれぐらいで、ハンガリーもそうですし、ドイツの言葉には慣れましたか? 清水様:ハンガリー語は、難し過ぎて最初から最後までよく理解できずに終わってしまいました。ドイツでは、ドイツ語でバレエクラスやっていたんですけど、半年くらいでそのバレエクラスの内容はちゃんと理解できるぐらいまでにはなりました。 -最初からドイツ語なんですか?それとも最初は英語で話してくれたりとかするんですか? 清水様:レッスンはドイツ語でしたね。最初は個人的な細かい指導のときは英語でやってくれていました。 -バレエ団のお話を聞かせていただけますか? 清水様:ニュルンベルク州立劇場のオペラの中にあるバレエの場面に出るダンサーとして選んでもらって出させてもらいました。 -実際に向こうでお仕事をされてみていかがでしたか? 清水様:周りのダンサーたちがすごく個性的で楽しい現場でした。自分達で振りを考えたりするところもあったので、悩むこともありましたが一人一人違った個性が集まって、いい雰囲気でリハーサルが進んでいました。本番も緊張するというよりか毎回楽しんでやっていました。 -これから留学を目指す生徒さんに向けてアドバイスがありましたら教えてください。 清水様:せっかく海外のバレエ学校行くんだったら、現地の友達を作ってコミュニケーションとっていくべきだなと思いました。私も最初は初めてのことだらけで不安で寂しかったというのもあり、日本人の友達と固まっていたので、なかなか現地の子と馴染めなかったりしました。だんだんと慣れてきたのもあってミュンヘンの時はみんなと仲良くできるようになり、今でもメッセージ取り合うような友達もできたので言葉の壁を乗り越えるべきだなと思います。 -ヨーロッパにいらっしゃったとき、ドイツ以外もあちこち行ったりしました? 清水様:はい、ほとんどがオーディションの為です。イギリス、ポーランド、デンマーク、オーストリア、スイス、クロアチア、オランダなどいろいろ行きました。 -これからヨーロッパでお仕事したいなと思っている方にアドバイスがあったら教えていただけますか? 清水様:英語を一生懸命勉強しておくべきだと思います。それに加えて現地の言葉にも興味を持って自分から話しかけていけるような積極性とか明るさも大事だと思います。 -滞在中困ったな、ということはありましたか? 清水様:寮にいたときはご飯が出ていたので食事に困ることはありませんでしたが、その寮のご飯に頼りすぎると太ってしまうのでその辺はちゃんと自分で管理したほうがいいと思います。 -ミュンヘンの寮は3食出るんですか? 清水様:朝とお昼は出てました。夜は自分たちで作ったりしていましたが、夜はあまり食べないようにしていました。 -そうなんですね。大変貴重なご意見ありがとうございました。 http://www.ehime-ballet.com/teacher.html

芝本 梨花子さん/ウィーン国立バレエ団 デミソリスト

1998年 生まれ 2001年 黒田バレエスクールにてバレエを始める 2008年 めぐみバレエアート入会 2013年 カナダ・ロイヤルウィニペグバレエスクール サマー留学 2014年 ウィーン国立バレエ学校入学 2016年 ウィーン国立バレエ団入団 2018年 ウィーン国立バレエ団デミソリストに昇格 コンクール受賞歴 2014年 NBAコンクール3位受賞 2014年 ジャパンバレエコンペティション福岡 1位受賞 2014年 ジャパングランプリ 3位受賞 2015年 バレエコンペティション21 1位受賞  など ウィーン国立バレエ団での主なレパートリー マニュエル・ルグリ版 ”海賊”より オダリスク ”ジゼル”より、ペザントのパ・ド・ドゥ、二幕ドウィリ ”白鳥”より 小さな四羽の白鳥、ナポリの踊りソロ マニュエル・ルグリ版 ”シルビア”よりナヤーデンのソロ ”くるみ割り人形”よりルイーザ、スペインの踊りソロ など -まず簡単な自己紹介ということで、現在までの略歴を教えてください。留学する前までの音楽の経験は? 何歳からなさっていましたか? 芝本様:バレエは3歳から始めました。 ピアノを習っていた時期もあります。 一応自分の経歴書を添付させていただきます! -留学したきっかけを教えてください。 芝本様:NBAバレエコンクールでウィーンのバレエ学校のスカラシップをもらったのがきっかけです。 -どうやって現在の学校を選びましたか?現在の学校に決まるまでのいきさつを教えてください。また。決め手になった点はなんでしょうか? 芝本様:海外に留学してバレエを学びたいと思っていた時に、コンクールでチャンスをいただきました。その前に、カナダウィニペグにもサマーの短期留学をしたのですが、環境とスタイルがウィーンの方が自分に合っていると感じたので、ウィーンを選びました。 -どのような試験・出願書類が必要でしたか?何か書き方のコツはあるのでしょうか? また、試験の思い出、苦労話などありましたら、教えてください。 芝本様:私は、コンクールから選ばれたメンバーのオーデションだったので、願書等は書いていません。 でも、オーディションは大人数でその中で少しでも見てもらうために、自分をアピールすることに苦労しました。 -手続きで苦労した点はなにかありますか? 芝本様:ぎりぎりまで学校の寮に入れるかわからなくて。 ビザ等の手続きも苦労しました。 -留学準備はどのくらい前から始めましたか? 芝本様: 留学が決まったのが半年前ぐらいだったのでそれから始めました。 決まってすぐドイツ語教室にも行き始めました。 -学費はどう捻出しましたか? 芝本様:ウィーンの学校は国立でほとんど学費がかかりません。 生活費は、親がまかなってくれました。 -現地でも語学学校に行った方がいいでしょうか? 芝本様:現地で半年ドイツ語教室に行きました。 現地のは、他の国の人と一緒に英語やドイツ語で学ぶので、難しかったですがとても上達しました。 いろいろな人との交流も増えるので、現地の語学学校はおすすめです。 -バレエ学校はどんな雰囲気ですか?その学校ならではの特徴は何かありますか? 芝本様:友人たちはとてもフレンドリーでした。伝統的な歴史のある学校です。 ウィーンのバレエ学校のいいところは希望すれば、通常の高校の卒業資格が取れる事だと思います。ドイツ語で学ばなければいけないので、難しいですが将来役立ちます。 -日本人はどのくらいいますか? 芝本様:私の時は、もう1人の日本人の子だけでした。今は、3、4人いると思います -日本と留学先で大きく違う点を教えてください 芝本様:もちろん生活環境、食事、文化など大きな違いがあります。 それにより、人それぞれ様々な考えかたがあり戸惑うこともありました。 -学校の授業はどのように進められますか?日本でしっかりやっておいたほうがいい勉強などありましたら、教えてください。 芝本様:バレエ学校は、早朝のバレエクラスから、パドドゥなど決められたプログラムに沿って行われます。 ドイツ語が分からないときは、英語で質問するので、英語の授業はしっかり受けていた方がいいと思います。 -先生はどうやって探しましたか? 芝本様:日本で学んだ先生は、いろいろな教室を見てから決めました。 ウィーンでの先生は学年によって先生がかわりました。 -日ごろ練習はどのようにしていますか? 芝本様:カンパニーの現在は毎朝1時間15 分のクラスがあり、その後夕方までリハーサルが続きます。 家で筋トレなどのトレーニングをすることもあります。 -バレエ学校での公演などは行われますか? 芝本様:バレエ学校では年に1、2回舞台がありました。 -1日の大体のスケジュールを教えてください 芝本様:バレエ学校 8:00-9:40バレエクラス 10:00~ポアント、 バリエーション パドドゥ コンテ、ジャズ、 キャラクター など。 日によって違います。 14時前には終わり、その後勉強の学校へ。 公演の前は、夕方18 時頃からリハーサルがあるときも。 最終学年の時は、午後によくバレエ団のリハーサルに補欠としても参加させていただいていました。 -宿泊先はどのようにみつけましたか? 芝本様:バレエ学校専属になっている寮を紹介してもらいました。 -生活費はだいたい1か月いくらぐらいかかりますか? 芝本様:今はどうか分かりませんが、私の場合寮は三食付きで500?もしないぐらいでした。 -現地のダンス業界へのツテはできますか? 芝本様:バレエ学校の年二回の学期末テストで、バレエ団の監督が見に来るので、自分をアピールできるチャンスです。 -周囲の人の学習態度に関しては、日本とどう違いますか?例えばどのような点が違うと思いますか? 芝本様:こちらの生徒は、分からないことは即座に、はっきりと質問します。 スケジュールやクラスの進め方、学期末の評価でも先生と生徒間のコミュニケーションがしっかりと行われます。 -授業以外はどのように過ごされていますか? 芝本様:ドイツ語を勉強したりしていました。 週末は、友達と出かけたり。 -日本人以外の人たちと付き合うコツはありますか? 芝本様:分からなくてもいいから積極的に話しかけてみることだと思います。 間違いを恐れずに、恥ずかしがらずに挑戦していくとだんだんコミュニケーションが取れるようになっていきます。 -留学してよかったと思える瞬間は? 芝本様:今、こうしてウィーンのバレエ団で働けているのは留学の経験があったからこそです。 そして、何よりいろいろな文化の人と触れ合うことで自分の視野が広がったことだと思います! -留学して自分が変わった、成長したというところはありますか?例えばどんなことですか? 芝本様:自己の主張を前よりもはっきりできるようになったことだと思います。 そのほかに、多少のことがあっても、いつも前向きに考えるようになりました。 -今後はどのような進路を考えていますか? 芝本様:今のバレエ団でさらに素晴らしいダンサーになれるよう実力をつけていきたいです。 -これから留学する人が、心しておかなければいけない点、アドバイスしておきたいことがありましたら、お願いします。 芝本様:もちろん、言語、文化が違う国なのでいろんなことがあると思います。 孤独を感じることもあると思いますが、どんなことにも積極的に挑戦してみてください! きっと自分を成長させる素敵な経験になると思います。

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