安藤はるかさん/ピアノ/エコールノルマル音楽院ラムジヤッサ教授・アンドビジョン特別プログラム/フランス・パリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
安藤はるかさんプロフィール
4才よりピアノを始める。上野学園大学音楽学部音楽学科卒業。エコールノルマル音楽院ラムジヤッサ教授のレッスンを受講(アンドビジョン特別プログラム)。
- はじめに、これまでの略歴を教えてください。
安藤 上野学園高等学校音楽科ピアノ専門を卒業し、上野学園大学の音楽学科に進学し、フランシス・プーランクという作曲家を研究していました。
- 今まではピアノの演奏と音楽の研究を主にされていたんですね。
安藤 はい、そうです。
- 卒業後はどのようにされていたんですか?
安藤 外為の事務をしているんですが、社会人になって2年目くらいから、またピアノが弾きたくなって再開しました。ピアノ教育連盟のオーディションや、日本クラシック音楽コンクールの本選に参加しました。
- すごいですね。それで、今回、留学に参加したきっかけは?
安藤 ウィーンに留学した友達が帰ってきて、話を聞いて影響を受けたのが直接のきっかけです。
- パリのヤッサ先生を選ばれたのはどうしてですか?
安藤 プーランクが過ごしたパリに行ってみたかったというのと、今ついている先生からヤッサ先生はとても素晴らしく、優しく、よく見てくださる先生だという話を伺って、それで選びました。
- 先生がヤッサ先生とお知り合いなんですか?
安藤 いえ。先生のお友達がついていたそうなんです。
- 実際のレッスンはいかがでしたか?
安藤 とても温かく、優しく、表現豊かで、熱心に指導してくださるので、とても素敵なレッスンでした。
- どういう教え方なんですか?
安藤 ご自分で弾かれて解説をしてくださいました。あとは、音や技術を物に喩えてくださるのですが、その喩えがすごく上手でわかりやすかったです。
- 例えばどういった喩えがありましたか?
安藤 和音の変化するところで、「チョコレートの箱から魚が出てきた」とか、日本人はしないような表現なんですが、豊かな表現でとても分かりやすかったです。あとは、和音の1つの音を出したほうがいいというときに、机に物が均等に置かれていたら使いにくいでしょう、という風に教えてくださいました。
- 曲はどのような曲を練習されたんですか?
安藤 ショパンのバラード第1番、ドビュッシーの版画から「塔」、ブラームスの「4つの小品」、ヒナステラのアルゼンチン舞曲、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番などです。
- これらの曲のなかで印象的な教え方はありましたか?
安藤 やはり、ドビュッシーは音の色をつけて演奏するのが印象的でした。ブラームスでは美しいハーモニーの感じ方。それから、先生がショパンやベートーヴェンを全楽章弾いて解説してくださったんですが、とても感動しました。
- 贅沢ですね。
安藤 はい(笑)。
- 先生が実際に弾いてくださって、手の使い方といった技術的なことと音楽的なことの両方を教えてくださるという感じですか?
安藤 そうですね。例えば、カギを開けるときは肘をまわす、だからピアノも肘を使って、腕全体で弾きなさい、といったことを実際に先生が弾きながら見せてくれました。
- 3回のレッスンはどのように進められましたか?
安藤 最初のレッスンではドビュッシーとバラードを教えていただきました。まず先生がバラードを全部弾きながら、ポイントを注意してくださって、次のレッスンまでにバラードを直してくるように言われました。2回目のレッスンは、バラードとブラームスを見てくれました。バラードは少し改善したので、ブラームスを直しくださって、同じように3回目のレッスンまでにブラームスを直してくるように言われました。最後の3回目のレッスンは、ブラームスの直し、ヒナステラの3曲、ベートーヴェンと盛りだくさんでした。
- そうすると60分のレッスン時間は短く感じそうですね。
安藤 そうですね。でも、少し長くやってくださいました(笑)。
- そうだったんですか。どのくらい長くやってくださったんですか?
安藤 1時間くらい延びて、トータル2時間くらいになっていたかと思います。
- 安藤さんは最初と最後のレッスンのときは通訳をつけられて、2回目は通訳なしでしたよね。レッスンは何語で受講されたんですか?
安藤 1回目と3回目はフランス語で、2回目は英語で教えていただきました。
- 英語でのレッスンはいかがでしたか?
安藤 やはり通訳なしで直接話しかけてくれるので、2回目のほうが1回目よりも親近感がありました。通訳さんがいると、通訳さんのほうを見て話してしまったり、聞いてしまったりするので、どうコミュニケーションをとっていいのか迷ってしまうこともありました。
- 通訳の方はどんな方でしたか?
安藤 とても気さくで親切で明るく話しやすい方でした。
- レッスン中の通訳も分かりやすかったですか?
安藤 はい。上手でした。
- もし、今度レッスンを受けるとしたら、通訳はありにしますか、なしにしますか?
安藤 そうですね。やはり聞き取れないところもあってニュアンスなどわかりにくい部分もあるので、通訳はあったほうがいいかなと感じました。
- 事前に語学の勉強はされていかれたんですか?
安藤 大学時代に4年間、フランス語の講読などを勉強してはいたのですが、会話は全くだったので、少しCDを聞いて、初歩的なこと、たとえば道の聞き方や数字などは覚えていきました。
- 向こうで役に立ちましたか?
安藤 実際に道を聞くときには役に立ったのですが、それだけではホームステイ先で他の学生さんたちと会話をするのは難しかったです。
- ホームステイ先にはいろんな国の方がいらしたんですか?
安藤 はい。アメリカとベネズエラの方がいました。
- その方たちとは、英語でコミュニケーションを?
安藤 はい。最初は無理をしてフランス語で会話をしていたんですが、最後は英語になっていました(笑)。
- 海外の方とうまく付き合うコツはありますか?
安藤 そうですね、やはり語学をきちんと勉強しておくことですね。あと、笑顔を絶やさないことは大事だと思います。
- ホームステイ先はどのような感じのところでしたか?
安藤 とてもきれいで広いお部屋でした。窓が大きかったり、壁紙が白地に葉っぱの模様だったりと、やはり日本よりおしゃれでした。
- お部屋の大きさはどのくらいだったんですか?
安藤 とても広かったです。12畳くらいありました。部屋には、ベッド、机、テレビ、引き出しの家具、物が置けるラックがありました。ハンガーも用意されていました。他に、流しとお手洗いとお風呂が部屋についていたので、とても快適でした。洗面所もお風呂もいつでも自由に使えて、帰宅時間も自由だったので、遅くまで学校にいることもありました。
- 帰宅時間が遅くなったりして、危険なことはありませんでしたか?
安藤 思ったよりも観光客がいっぱいで、自分と同じように地図をもっている人がたくさんいたので、あまり危険を感じることはありませんでした。
- 宿泊先とレッスン会場は何で移動されていたのですか?
安藤 メトロで移動していました。
- 乗り換えなどで困ることはありませんでしたか?
安藤 分かりやすかったので、大丈夫でした。メトロを降りてから歩くことのほうが大変だったかもしれません。
- 練習室の会場はどんな場所でしたか?
安藤 大学の構内ですが、入り口で「ここはどこですか?」と聞いても、誰も分からないくらい分かりにくい場所にありました。結局、地図に“studio”という文字を見つけてたどりついたのですが、大学の地下にあるので、少し暗めの感じの場所でした。練習室も地下なので少し暗いところでした。
- ピアノの状態はいかがでしたか?
安藤 ヤマハのアッププライト・ピアノで、状態はわりと良かったと思います。
- 練習はどのくらいできましたか?
安藤 16時間です。受付のお兄さんがよく話しかけてくださり、優しかったので、レッスンに合わせて練習時間の変更もしてもらいました。
- 練習以外の時間は何をされていましたか?
安藤 ずっとパリを歩き回っていました(笑)。
- どこかオススメの場所はありますか?
安藤 ノートルダム大聖堂、サント・シャペルのステンドグラスが美しかったです。
- 外食はされましたか?
安藤 ホームステイ先の目の前のチャイナレストランで、2回くらい食事をしました。
- お値段はどのくらいですか?
安藤 だいたい10ユーロくらいでした。
- 味はいかがでしたか?
安藤 チャイナレストランは美味しかったのですが、町で入ったカフェではキッシュの味が濃いところもありました。スーパーで買ったものは、とても安くて口に合いましたね。
- 外食以外のお食事はどうされていたんですか?
安藤 日本からレトルトの食品を持って行きました。山用品屋で買った水を入れて1時間待つとお赤飯ができるものなどを持って行きました。ご飯が欲しくなるので、そういうものを準備していったんです。
- お水はあちらで購入されたんですか?
安藤 日本からも持って行ったのですが、向こうにもたくさん売っていました。
- 他にも何か用意していったんですか?
安藤 少しでも時間があれば観光したかったので、ソイジョイやカロリーメイトのようなものを持って行って、時間がないときはそれをお昼ご飯にしていたのですが、とても便利でした。
- 短期留学に参加して良かったと思う瞬間はありましたか?
安藤 先ほどお話しした「チョコレートの箱から魚」といった先生の指導ですね(笑)。あとは演奏で、ベートーヴェンの晩年のつらい心境を表現しくださったのに
はとても感動しました。
- 今回、留学してみて、変わったなとか成長したなと思えることはありますか?
安藤 技術的なこともそうですが、考え方が少し変わったと思います。物事を柔軟に考えられるようになりました。やはり、違う世界を見たのがいい刺激になりました。
- 例えば、どういう部分ですか?
安藤 以前は、本番ですぐ緊張してしまったり、ちょっとしたことでくじけてしまっていたんです。でも、留学をして、向こうではもっと大きく音楽を捉えているように思いました。
- 音楽観、もっと大きく言えば、人生観みたいなものが変わったんですね。
安藤 そうですね。楽しまなきゃ損だなと思うようになりました。日本でも厳しい先生に教えていただいたこともあったのですが、暴言ばかりで……。今回の先生(ラムジ・ヤッサ先生)に出会って、優しくて実力もある、こんな先生もいるんだな、と思いました。
- そんな先生のレッスンを受けられて良かったですね。
安藤 はい。本当に。
- 音は変わりましたか?
安藤 はい、変わりましたね。特にブラームスは変わったと思います。
- 音楽のとらえ方は全然違うこともあったりしましたか?
安藤 今までと同じことを言われているところもあるんですが、さらにわかりやすいというか、1回で伝わってくる部分が多かったです。実際に弾いてくださるので、すごくわかりやすかったです。
- 日本と留学先で大きく違う点はありましたか?
安藤 日本だと新しいものばかり大事にされていますが、パリでは新しいものも古いものも同じように大事にされていると感じました。それから、家にもカフェにもチャイナレストランにも絵が飾ってあったり、すごく色やセンスを大事にしていると思いました。そこの場に行かないとそこで生まれた音楽は理解できないんだなと感じました。日本で研究していたプーランクの音楽も、実際にパリを訪れてみて、理解できたように思います。
- 留学前にしっかりやっておいたほうがいいことはありますか?
安藤 細かい地図を入手して、どこの通りを歩くかまでチェックして、毎日のプランをしっかりと立てておいたのですが、それはしておいてよかったなと思いました。
- フランス語、英語は問題ありませんでしたか?
安藤 そうですね。通じました。行く前は、フランスはフランス語で話しかけられるので、日本人が一度行ったら行きたくなくなる国No1と聞いていたのですが、道に迷っていたら、日本語で話しかけてくれたり、親切にしてくださる方もいました。レストランのおばちゃんも日本語で話しかけてくれました。
- ホームステイ先の大家さんと交流する機会はありましたか?
安藤 朝ご飯を食べるときに顔を合わせて、その度に話しかけてくれました。最初に家に入ったときに、優しく鍵の掛け方を教えてくださり、拙いフランス語を褒めてくださったり、オレンジカードをなくしたときやレッスン、観光のことなど、いろいろお話を聞いてくださり、本当にとても優しい方でした。
- 今後、留学する人にアドバイスをお願いします。
安藤 1週間でも留学できるというプランがあるということが、私にはとても良かったです。社会人になって自分の時間が減っても夢を叶えられる、ということを迷っている方たちに伝えたいです。すべてにおいてそうですが、年齢は関係ありません。留学してみて、行きたいと思ったとき実行するべきだと実感しました。
- 1週間でレッスン3回というプランはいかがでしたか?
安藤 やっぱり短いとは感じました。もう少し長くいれば、もっと変われたかなとは思います。でも、今の会社では1週間しか連続してお休みを取ることができないので、今の環境で精一杯できる限りのことをしたので満足感はあります。夢の留学をして本当に良かったと思っています。
- 今は仕事をしながら時間を見つけて練習しているんですよね。
安藤 そうですね。
- どのくらい練習されているんですか?
安藤 週末は1日中できるんですが、平日は2時間くらいですね。
- 今後のご予定を教えてください。
安藤 10月と3月にクラリネット、フルートとのアンサンブル、連弾などによるコンサートをします。あとは、8月にはクルーズ船での演奏、11月には母校の学園祭に出演します。
- 演奏活動を頻繁になされているんですね。今日は本当にありがとうございました。
太田優子さん/声楽/ナポリ国際音楽マスタークラス/イタリア・ナポリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
太田優子さんプロフィール
高校2年より声楽を始める。2008年3月武蔵野音楽大学の声楽科を卒業。ナポリ国際音楽マスタークラスに参加。
— はじめに簡単な略歴を教えてください。
太田 今年の3月に武蔵野音楽大学の声楽科を卒業しました。歌を始めたのは、周りの方よりも遅くて高校2年生の冬です。昔からピアノを習ったり、中高で吹奏楽部に所属してパーカッションを演奏したりはしていたのですが、本格的に声楽を始めてからはまだ6年程になります。
— 歌を始めたきっかけはなんですか?
太田 1番のきっかけは、イタリアに行きたかったということです。イタリア語を勉強したい気持ちが強かったのですが、語学で大学に行くのはな……、という感じで、親に相談をした結果、歌を始めればイタリア語も勉強できるということで、もともと音楽はすごく好きだったので、音楽もしながらイタリア語も学べるのならそれが1番いいと思いました。母が同大学のピアノ科を卒業しているということも影響しているかもしれません。ちょっと動機は不純なんですけど……(笑)。
— へー。おもしろいですね。
太田 はい。でも始めたら、本当に歌が楽しくて。大学の4年間、すごく楽しく過ごすことができました。
— そうすると、外国に行きたいという気持ちはずっと強かったんですか?
太田 そうですね。高校生の頃からイタリアにはずっと憧れていました。旅行で行ったことはあったんですが、やはり観光と留学は違うので、大学を卒業したら勉強に行きたいとはずっと考えていました。
— 今までこういった講習会に参加したことはありましたか?
太田 いえ、今回が初めてです。留学自体したことがありませんでした。
— イタリア国内では、どこかに行かれたことがあったんですか?
太田 両親が昔、仕事の都合で2年間ローマに住んでいて、ローマには知り合いが多いので、何度か行ったことがあります。あとは、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ。ナポリにも行ったことがありました。ナポリは今回が初めてではなかったんですが、前回訪れたときは体調を崩してしまっていて、ゆっくり観光することができなかったので、きちんと観たのは今回が初めてです。
— 今回、イタリアでもいくつかの講習会があったのですが、ナポリを選ばれたのはどうしてですか?
太田 留学自体が初めてということもあり、いくつかの講習会を見ていたのですが、オーディションがあるところが多くて……。オーディションの場合、もし不合格ですと聴講だけということになってしまい、勿論それはそれで勉強にはなると思うのですが、初めてですし、折角イタリアに行くのなら聴講だけで無く実際レッスンもして頂けるところがイイと思い、オーディション無しで受け入れて頂けるナポリの講習会を選びました。それから、今回、講師をしてくださったメニクッチ先生が今年の10月にリサイタルで来日されるということを知り、興味を持ちました。
— 先生のことは演奏家としてご存知だったんですね。
太田 そうですね。名前だけは知っているという感じでした。ボチェッリというポップス歌手が、クラシックを勉強するときに師事していた先生ということで興味を持っていました。
— 実際の先生はいかがでしたか?
太田 すごく気さくな方で、楽しかったです。私があまりイタリア語が分からなくても、きちんと理解できるように話してくださいました。それで、今度来日されるということなので、逆に私が簡単な日本語を教えたり……(笑)。
— すごく親しくなったんですね。
太田 本当にフランクな先生でした。とてもありがたかったです。
— いくつの方なんですか?
太田 ちょうど講習中に誕生日を迎えられて54歳になられました。花束を買っていて、みんなでお祝いをしました。
— レッスンの内容はどんなものでしたか?
太田 聴講もできる公開レッスンだったんですが、ほとんどが発声でした。歌を歌う時間は最後の15分くらいで、あとはずっと発声。全く歌を歌わなかった日もあります。ヴォカリッツォ(発声)がいかに大事かということを実感しました。
編集注)イタリアでは、特に発声が大事と言われ、「必ず教授と共に発声を行い」レッスン時間の大部分を発声に使う場合があります。
— 今までに習ったことのないような発声方法もありましたか?
太田 最初に歌ったときに「今まであなたが勉強してきたことは何も間違っていないけれど、今の声はテアトロ(劇場)で歌う声ではない」と言われました。この発声だと、きれいには聴こえるけれど、何千人も人が入るところで歌うにはダメだ、と言われました。それで、まず、声を変えることからレッスンが始まりました。
— 声を変えるというのを今回の講習の目標にされたんですね?
太田 私の声が狭い場所で歌う声だったので、それを広いところでも歌える声にしようというのが今回の目標でした。いわゆるオペラ歌手が出す声、テアトロ向けの声にしようと。
— レッスン時間はどのくらいでしたか?
太田 基本的には1時間で予定が組まれていたのですが、割とアバウトで1時間を越えてしまうこともありました。レッスンは全部で5回ありました。
— 最低3回という予定でしたが、多く取れたんですね。
太田 そうですね。次の日の予定が壁に貼ってありまして、それで自分の名前を見て、時間を確認するというかたちでした。
— 受講者は何名くらいいたのですか?
太田 全部で11名です。私ともう一人日本人の方がいました。その方はミラノに住んでいらして、もともとメニクッチ先生に師事されている方で、ご自分で演奏活動もされているそうです。あとは、一人だけルーマニア人の女の子がいて、それ以外はイタリアの方でした。ルーマニア人の子とは同じ宿泊先だったこともあり、仲良くなりました。
— 講習会だとさまざまな国の方が参加される場合も多いですが、周りにイタリアの方がそれだけ多いと、イタリアに行ったという実感が持てますね。
太田 そうですね。もうどっぷりイタリアに浸かったという感じがあります(笑)。
— レッスンで教わったことで印象に残っていることはなんですか?
太田 ウエストの部分の筋肉の使い方はすごく勉強になりました。先生の助手の方が私が発声をしている間、そこの筋肉をずーっと押さえていて、それを押し返す気持ちで声を出しなさい、と言われました。背中に指のあとがつくくらい強い力だったんですが(笑)、おかげで自分のポジションが変わったのを実感できるようになりました。日本に帰ってから練習するときも、自分でそこを押さえながらするようにしています。
— 声質も変わりましたか?
太田 最終日に演奏会に出させてもらったんですが、「声が変わっただろう」、と先生に言われて、自分でも変化を実感できました。帰国後も家で練習していると、家族からも「少し声が変わったんじゃない」、と言われます。成長できたのかなーと、うれしかったですね。
— 他に変わったことはありますか?
太田 発音のことをすごく言われました。助手の方が別室でレッスン以外の時間に持って行った曲の発音を確認してくださったんです、今まで何気なく歌ってきましたが、ネイティブの方に見てもらうと、やっぱり違うなと感じましたね。
— そうやって見てくださると意識も変わりますよね。
太田 そうですね。発音がいかに大事かということを痛感しました。私が大学でついていた先生はフランスものが専門の方で、大学4年のときは1年間イタリアものから離れていたんです。今回の講習でも「あなたの“u”はフランチェーゼの“u”になっている」と言われました。それを根本から直していただいて、いい勉強になったと思っています。たった5回のレッスンだったんですが、得るものは大きかったです。
— 通訳はついていなかったですよね?
太田 はい。私も先生も英語は特に使わず、全部イタリア語でやりとりをしました。わからないときは、ジェスチャーを交えて話してくださるので、困ることはありませんでした。
— 覚えておいて役立った言葉はありますか?
太田 一応、声楽に必要な言葉は一通り覚えていったのですが、レッスン中に何度も言われるので自然に身に付いたといった感じです。舌がlingua(リングア)、息を吸うことをinspirazione(インスピラツィオーネ)、吐くことをespirazione(エスピラツィオーネ)、appoggio(アッポッジョ)これは「支え」という意味です。それから筋肉をmuscolo(ムスコロ)と言いますが、これらは本当に何回も言われました。あとイタリア人はオーディションやコンクールに参加する人を送り出す時等、「In bocca al lupo!(インボッカアルーポ)」「Crepi!(クレーピ)」というやりとりをします。これは直訳すると「狼の口に気を付けて!」「くたばれ!」という意味なのですが、所謂日本で言う「頑張ってね」「ありがとう」という意味で使われます。最終日のコンチェルトの時に、控え室では皆で言い合っていました。
— レッスン会場で練習はされましたか?
太田 毎日レッスンがあったのと、会場の建物内に所謂練習室といった練習室がなかったので、練習はしなかったです。ただ呼吸の仕方と筋肉の使い方は、毎日ホテルに帰ってから練習していました。壁に足と頭をつけてきちんと背筋を伸ばして立って、息を吸うという方法を初日に習ったので、それを毎日ホテルに帰ってからやっていました。あとは、腹筋などの筋トレやストレッチもしていました。ホテルなので大きな声を出すことはできませんでしたが、ハミングで歌の練習をしたこともあります。
— レッスン以外の時間は何をされていたのですか?
太田 他の人のレッスンの聴講が自由だったので聴講をしたり、ホテルに帰って、のんびり過ごしたりしていました。
— 他の方のレッスンはどうでしたか?
太田 人のレッスンを聴くのもすごく勉強になりますね。ノートを持っていって、レッスンを受けている方が注意されたことをメモしていたのですが、それがすごく勉強になりました。
— 最終日の演奏会はいかがでしたか?
太田 講習を受けた方は全員出させていただいたんです。場所は近くにある有名な考古学博物館で、各自で移動しました。講習会に参加した人だけで行う内輪な発表会だと思っていたのですが、一般のお客様が観にきてくださっているところでやらせていただきました。
— お客さんはたくさんいらしてたんですか?
太田 正確には分かりませんが100人以上はいらしていたと思います。考古学博物館にいらしていた方が「あ、なんかやってるな」という感じで観に来てくださっていたので、年配の方から小さなお子さんまでいろんな方がいました。
— 博物館のロビーのピアノを使って、という感じだったんですか?
太田 いえ、ロビーではなく、エントランスから少し脇に入ったところの小さなお部屋にピアノが置いてあって、そこで行われました。その部屋は、普段からよく発表会が行われているそうです。
— わりと音楽が盛んな街なんですね。
太田 そうですね。ナポリに限らず、イタリアではそういう小さな音楽会がレベル問わず当たり前にあるようで、日本との違いを感じました。
— 他に日本との違いは何か感じましたか?
太田 何よりも街が古いということですね。日本でも古い町並みはありますが、道路はきれいに整備されたりしていますよね。でも、ナポリの街は本当に昔のまま残っているんです。千何百年も前の石畳がそのまま残っていて、昔の有名な方もここを歩いたのかな、と思うと感慨深かったです。音楽家でいうと、ナポリといえばベッリーニも有名ですよね。近くにあるベッリーニ広場にも行きました。
— どうでしたか?
太田 そんなに大きな広場ではないんですが、ベッリーニの像があって、近くにはリストランテベッリーニというイタリアレストランもありました。そこにも一度入りました。
— 味はいかがでしたか?
太田 海鮮のサラダとパスタを食べたのですが、すごくおいしかったです。デザートのドルチェが有名だということを聞いていたので、それも食べてきました。ナポリは海が近いので魚介類がおいしかったです。
— 街の人はどうでしたか?
太田 みなさん親切でした。道が分からなくて尋ねると、連れて行ってくださったり……。日本人が少ないので、歩いていると目立つようで、お土産屋さんに話しかけられたり、お店のおじさんと仲良くなったりしました。
— フレンドリーですね。
太田 そうですね。行く前はスリやひったくりが多いと聞いて、警戒していたのですが、自分が隙を見せなければ狙われないですし、特に危険な目にも遭いませんでした。
— そうすると、ナポリはイタリアの中でもオススメですか?
太田 うーん。ナポリや車やオートバイがすごく多くて、とにかく交通マナーが悪く、道を横断するのも命がけなんですね(笑)。ミラノ在住の方がナポリのほうがミラノより交通マナーが悪いと言っていました。ナポリに来たら、歌を習う前に道路の渡り方を学ばなくっちゃいけないんだ、と(笑)。ですから自分の身は自分で守るといった範囲で個人で行く分にはいいと思いますが、道も狭く、細い路地にはバス等は入れないので、ツアーなどの団体で行くのには向かないなと感じました。特にお年寄りには危険だと思います。やはりどんなに周りが親切でも、常に警戒して気を張っていなければならないので疲れてしまいますし。私は古い街が好きなので、ナポリはとても気に入ったのですが、色々なことをふまえて考えると、万人にオススメは出来ないかなと。
— ホテルはいかがでしたか?
太田 鍵が開かなくなったり、クーラーが壊れたりと小さなトラブルはありましたが、ホテルの管理人さんがすごく親切だったので、過ごしやすかったです。着いた日がちょうど日曜日で入り口が閉まっていて分からなかったのですが、電話をしたら管理人さんがすぐに出迎えてくれて助かりました。
— レッスン会場のサラショパンも分かりにくい場所ですよね。
太田 そうですね、最初建物名がサラショパンなんだと思っていたので、でも会場がある広場付近で誰に聞いても知らないと言われてしまい(笑)建物に住所も書いてなかった為、少し分かりにくかったのですが、向こうに行く前に一度説明をしていただいていたので、無事にたどりつくことが出来ました。
— 移動は何でされていたんですか?
太田 徒歩です。ホテルとレッスン会場は徒歩でも15分かからないくらいの近い場所だったので。1度だけバスに乗ったのですが、あまりの交通渋滞で歩いた方が確実なので、歩いて行っていました。
— バスはいくらくらいでしたか?
太田 システムがわかりにくいのですが、カードを買ってバスに乗るとその時刻が打刻されるんです。それで、カードの金額によって、有効時間が違うというものでした。私は1ユーロのものを買ったので、75分の有効時間でした。中にはもっと長い時間のものもあれば、1日使えるもの、3日間使えるものもあるようです。
— 日本より少し安いくらいですね。
太田 そうですね。全体的に交通費は日本より安いと感じました。タクシーも土地や時間によっても違うのですが、初乗りが2〜3ユーロでした。
— 今回はローマを観光されてからナポリに行かれたんですよね?
太田 はい。観光というか、ローマでは少し郊外の音楽院に2週間通いまして、プライベートレッスンを受けたのですが、どちらも勉強になりましたね。サンタチェチーリア音楽院で教授をされている先生に教えていただきました。
— どのような違いがありましたか?
太田 ローマでもいろいろな発声を教わったのですが、ナポリではテアトロを意識したものだったので、そのあたりに大きな違いがありました。
— レッスン形態の違いについてはいかがですか?
太田 日本でのレッスンもプライベートレッスンでしたので、公開レッスン自体初めてでしたが、公開は公開で、自分の歌を同じく歌を勉強している人に聴かれるというので勉強になりますし、逆に自分が聴く立場になれるのもすごく勉強になりました。ずっとプライベートレッスンしかしてきませんでしたが、人前で歌うことにも慣れることができますし、公開レッスンもいいなと感じました。
— 他の受講生と話す機会はけっこうありましたか?
太田 ルーマニア人の子と一番仲良くなったんですが、その子はもともとミラノで声楽を勉強している子でした。一緒に聴講をしながらその場で感想を言い合ったり、晩ご飯を一緒に食べに行ったりしました。
— 海外の方と上手く付き合うコツはありますか?
太田 どうしても言語の問題が出てきて萎縮してしまうこともあるかと思いますが、こちらから積極的に話しかけることが大事だと感じました。それからあちらの方は曖昧にされることを嫌うので、分からなければ分からない、と自分の意志をきちんと伝えることが重要だと思います。
— 日本とイタリアの違いは?
太田 根本的にすべてが違うと感じました。日本人からすると、向こうはとにかくすべてが自由でマイペースだと感じると思います。例えば、不便なんですけど、昼間や日曜日はお店が閉まっていたり。私はそのことを知っていたので平気でしたが、知らないで観光に来た人はびっくりするんじゃないですかね。お店の営業時間に合わせて、車の量も変わります。日曜日はバスとタクシー以外車は殆ど走っていませんでした(笑)
— スーパーなどに買い物に行きましたか?
太田 駅の近くに日用品を扱っている有名なスーパーがありまして、そこに一度だけ行きました。
— 物価はどうでしたか?
太田 今はユーロが高いので、けして安くはないです。しかも水道水が飲めないので、水などはどうしても買わなけれならず、それはけっこうな出費だったなと思います。
— お水はいくらくらいでしたか?
太田 近くのマクドナルドやバールで購入していたのですが、だいたい500ミリリットルで1ユーロくらいでした。私が行った時は1ユーロが170円くらいだったので、やはり日本より少し高い感じですね。
— 最後に留学をする人にアドバイスをお願いします。
太田 留学する人へのアドバイスではないのですが、もし留学を悩んでいる方がいたら、私は絶対に行くことをお勧めします。やはり、音楽の本場で学ぶというのは、そこの空気を吸うだけで日本とはまったく違う感覚を味わうことができるんです。私は幸い、今回そういう機会をいただいて、大きなものを得ることができたなと感じています。
— なるほど。
太田 少し言い方は悪くなってしまうんですが、日本でいくらクラシック音楽を学んでも、日本でやっている西洋音楽というのは西洋音楽の真似事なんだなと感じたんです。勿論、私が日本で師事した先生方はいずれも海外へ留学経験のある、素晴らしい先生方でしたので、日本で勉強したことが無駄だったかというとけしてそうではありません。大学の4年間があったからこそ、留学することが出来たんだと思いますし。ただ、例えば向こうの方がいくら向こうで演歌を勉強しても、日本に来ないと実態が分からないように、クラシック音楽は向こうの音楽で、本物を知るには向こうに行って勉強しないとダメだと感じました。
— なるほど。
太田 音大を出て別のところに就職して音楽は趣味でやっていくという人なら、それでもいいと思うんですが、音楽を本格的に一生やっていきたいと思うのであれば、やはり向こうに行くという経験は必要になってくると思います。
— 太田さんは今後、音楽とどういうふうに関わっていきたいですか?
太田 できれば冬あたりにもう一度イタリアに行って勉強したいと考えています。音楽で食べていきたいといった欲はないんです。演奏家として食べていくのはそんなに簡単なことではないと思いますし。ただ、せっかく音大で4年間勉強をしましたし、今回の留学で歌が好きだということが再確認できたので、音楽の勉強は一生続けて行きたいと思っています。自分に合う、自分を伸ばしてくれる先生に出会って、その先生の元で勉強していきたいな、と思います。今回、憧れだったイタリアに行って、その思いは強くなりました。大きなリサイタルが開けなくても、小さなところでいいから人のために歌えたらいな、と考えています。聴いて下さる人が感動…とまではいかなくても、少しでも何か感じて貰える、そんな歌が歌えるようになりたいです。
— 今回の留学で音楽への思いが強くなったのですね。
太田 テレビもパソコンもないので、音楽のことしか考えることがなく、自分を見つめ直せるいい機会でした。短い期間の
留学だったけれど、自分が歌が好きだということを再認識することができました。今回の留学で、まだ歌が歌える段階ではないということが判りました。発声や体作りが必要だということを痛感しましたし、まずは、基礎をきちんとさせていきたいと思いました。
— 今日は本当にありがとうございました。
竹内律子さん/ピアノ/プラハ室内楽マスターコース/チェコ・プラハ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
竹内律子さんプロフィール
作陽音楽大学音楽学部教育音楽学科卒業。くらしき作陽大学音楽学部音楽専攻科修了。現在中学校教員。2008年プラハ室内楽マスターコース&フェスティバル参加。
-初めに簡単な略歴をお願いします。
竹内 4才からピアノをはじめました。作陽音楽大学のピアノ専攻を卒業しまして、くらしき作陽大学音楽学部音楽専攻科ピアノ専攻を修了しました。卒業後は就職して、合唱団にピアノで所属したり、ソロで演奏活動をして、仕事をしながら音楽を続けています。
-講習会に参加された経験はありますか?
竹内 全然ありません。今回が初めてです。
-いつごろから参加を考えていましたか?
竹内 前々から、漠然とですが海外に留学したいなとは思っていました。室内楽をちゃんと勉強したいという思いがだんだん強くなっていて、今回の講習会は、一人でも参加できて、室内楽を勉強できるし、ソロもみてもらえる、というので参加を決めました。仕事の日程がついたのも参加を決めた理由です。
-これまで室内楽を勉強されたことはありましたか?
竹内 ちゃんとしたかたちで勉強したことはありません。ただ、オーケストラにバイオリンで所属していたこともあり、弦の方や管の方とアンサンブルをさせてもらう機会もあって、楽しいなって……。それで、ちゃんと勉強したいなと思いました。
-講習会にはどういった方が参加されていましたか?
竹内 学生の方が多かったですが、私のような社会人もいました。
-同じ期間にどれくらいの人数の方が来ていましたか?
竹内 今回は53人でした。
-どこの国の人が多かったですか?
竹内 一番多いのがアメリカで、次は台湾でした。あとは、イタリアやフランス等から来ていました。
-日本人は何名でしたか?
竹内 自分を含めて6人でした。
-それだけ日本人が少ないと、ヨーロッパの雰囲気は味わえましたか?
竹内 そうですね。日本人の方は各国に留学されている方が3人でした。日本から参加したのは3人だったんですけど、皆さん英語も堪能で、分からないときは教えてもらったりしました。
-レッスンで通訳がいなくて、大変なことはありましたか?
竹内 レッスンで困ることはなかったですね。英語だったんですが、難しい単語でバーッと話されても、こちらがあまり理解していないようだと、簡単な単語に直して、ゆっくり話してくれたりしたので、英語で困ることはなかったです。
-すごくやりやすかったんですね。
竹内 そうですね。
-今回、2名の先生のレッスンを受けたかと思いますが、それぞれの先生のレッスンについて教えてください。まず、テレサ・エールリヒ先生はいかがでしたか?
竹内 テレサ先生には、ピアノクウィンテットをみていただきました。エイミー・ビーチのピアノ五重奏でした。グループのコーチだったんですけど、目をかけて下さり、個人的にも見てあげるよ、と言ってくださり、個人レッスンでも教えていただきました。テレサ先生はとてもやさしく温かい人です。
-レッスンはいかがでしたか?
竹内 運動や手の運びなどのテクニックや曲の解釈など、とても熱心に指導して下さいました。一つ一つを丁寧にみて下さり、理論的でとても分かりやすかったです。どうしてうまくいかないのかとモヤモヤしていたところがスッキリしました。先生に教えていただいた後は、自分の音(音楽)が色彩をもった響きに変わっていったような気がします。
-弾き方を提案してくれたり、説明して教えてくれるんですね。
竹内 そうですね。
-先生の教えで印象に残っていることはありますか?
竹内 「ここの音は、こういう気持ちの持っていきかた」と、言われたことです。
-「気持ちのもっていきかた」というのは、曲全体を通してですか?
竹内 全体の時もあるし、基本的に……小さなまとまりの時もあります。
-大きくも細かくも見てくださる感じなんですね。
竹内 そうですね。
-もう一方のフランティシェク・マリー先生の進め方はいかがでしたか?
竹内 マリー先生は、まず自分が思うように弾いてみなさい、と。その後に先生が弾いて下さいました。表現方法など、いろいろなアドバイスを下さりトライしてみるように言われました。それで、やってみるんですけれど、なかなかすぐに対応できませんでした。それでも根気強くじっくりみて下さいました。個人レッスンはだいたいの時間が決まっているみたいなんです。先生はとてもお忙しい方だったのですが、時間が許す時は、2時間ぐらいみっちり教えて下さることもありました。
-先生はどんな印象の方ですか?
竹内 穏やかな印象です。私は、英語が堪能じゃなくって、先生もどちらかといえば英語よりは独語の方が良かったそうですが、お互い英語で頑張っていました(笑)。でも、伝えられないっていうときには、弾いてくださるんです。ペダリングの速度やタイミングとか、弾きながら教えてくださいました。
-先生の弾く音楽はいかがでしたか?
竹内 オーラがかかっていました(笑)。重厚でそれでいて繊細なんですけど、包み込むような音でした。オープニングのコンサートがあって、そのときにマリー先生も弾かれたんですが、それを聴いて、受講生みんなファンになりました。
-その時は何の曲を弾かれていたんですか?
竹内 シューマンのピアノ五重奏だったと思います。
-レッスンの中で弾いてくださることはありましたか?
竹内 もちろんありました。まず先生が弾いてくださって、そのあと私にやってごらん、と。
-テレサ先生の演奏はどうでしたか?
竹内 スッキリしていて、音がクリアな感じで、でも、人間的温かさを感じる音でした。
-二人の先生の音や音楽観は異なっていましたか?
竹内 曲のタイプが全然違う感じだったので、なんとも言えないですけれども……。でも、どちらもすばらしい演奏でした。お二人とも音楽も、音楽に対する姿勢も、人間としても、とても尊敬できる方々です。
-講習会で複数の先生にみてもらって大変なこと、よかったことを教えてください。
竹内 今回はマスタークラスだったので、基本は、グループのレッスンでした。自分は4グループ持っていたので、ハードでした。でも、せっかくの機会なので、個人レッスンも受けることにしました。忙しかったけれど、すごく充実していてよかったです。室内楽のマスターコースは個人レッスンを絶対とらないといけないというわけでもないんです。自分で選択して、自分で受けていくかたちでした。
-自分次第なんですね。
竹内 そうですね。
-室内楽のグループの人たちとの交流はありましたか?
竹内 同じグループの人だと、レッスンや空き時間に会ったりしました。たまに食事もしました。
-レッスン以外で、それぞれ個別で練習することはありましたか?
竹内 そういうグループもあったと思います。私も4つのうちの1つ、プーランクの曲では、一度、個別練習をしました。ファゴットの方が日本人でオーボエの方がアメリカ人、あとは私、というメンバーでした。
-練習のときは何語で話されていたんですか?
竹内 英語です。私はそんなに長く話せないので、簡単な会話なんですけど、もう一人の方はわりと英語が大丈夫だったので、困った時はその方をかいして伝えていただきました。
-協力してやりとりしながら、練習されたんですね?
竹内 プーランクは1週目はマリー先生が見てくださったんですけど、2週目からは、フランス人のフランク・ルブロワ先生について教わりました。フランスの音楽をフランス人の先生に教わるというのはとても刺激的でした。フランス音楽について熱く語ってくれたことも印象的でした。最初は1音出した瞬間に「それはフランスの音じゃない」と言われたり弾き方やタッチも変えられたりして、大変でしたけど。グループレッスンでExtraレッスンをどんどん入れてみてくださったり、とにかく情熱的な先生でよい勉強になりました。
-いろんな国の先生にそれぞれの曲を教わる感じだったんですね。
竹内 そうですね。
-難しい曲がたくさんあったと思いますが、準備は大変ではありませんでしたか?
竹内 大変でした! 曲をいただいてから出発するまでの時間が短いのであせりました。向こうに行ってからは、けっこう練習もしっかりできたので、最終的にはやりきった感じでした。
-練習はどこでされたんですか?
竹内 講習会場にそれぞれ練習室を割りふられていました。そこの部屋を使わせていただきました。
-どのくらい練習できましたか?
竹内 3人で一つの練習室を使いました。弦の方や管の方はホテルの部屋でゆっくり練習したい・・というのをよく聞きました。自分の場合は他の二人がチェコに住んでいる人だったので、ゆずってもらったりして、部屋が結構使えたんです。日によって違うんですけど、1~2時間くらいから多い日は6時間ぐらい練習しました。
-練習室の施設はいかがでしたか?
竹内 ペトロフというメーカーのピアノがあって、調律が必要な部屋もあったようです。でも自分は、4階の部屋ですごく日当たりがよくて、恵まれた部屋でした。ただ、窓は響くからで開けられなかったので、暑かったです。扇風機はありましたけどね。
-何時から何時の間、使えたんですか?
竹内 朝はたしか8時くらいから、夜は9時まで使えました。
-たっぷり練習できますね。
竹内 そうですね、部屋が空いていればけっこう使えます。
-レッスンの他にはどんなスケジュールがありましたか?
竹内 ベルトラムカ荘や、ブランディース・ナド・ラベム、チェスキークロムロフなど、講習会場以外の場所で演奏したり聴いたりする機会がありました。先生方のコンサートを聴く機会も多く、すごく勉強になりました。
-オペラは何をご覧になりましたか?
竹内 ドン・ジョバンニを全幕観ました。講習会に参加された方でまとまって観に行ったんですけど、座席が一番前から2列目と3列目だったんで、けっこう前よりだったんですけど、すごく近いので、迫力がありました。
-舞台装置もきちんと作られている感じでしたか?
竹内 エステート劇場というで、こじんまりはしているんですけど、ちゃんとしている所でした。
-日本で観に行くオペラとの違いは何かありましたか?
竹内 日本でもそんなに観に行ったりはしないんですけど、客席とステージが一体になったような感じがあって、楽しかったです。
-他にどこか観光はされましたか?
竹内 講習会中は時間がないので、観光は講習会が終わってからしました。
-どこかお勧めはありますか?
竹内 プラハ城です。お城の中に大聖堂があって、その中のステンドグラスがとても美しく、荘厳な感じでした。チェスキークロムロフという所も町中がおとぎの国のようで美しかったです。
-プラハの街の治安はどうでしたか?
竹内 安全で、別に怖い思いもしませんでした。プラハは段々治安も悪くなってきたとガイドブックには書いてあったんですけど、そんなこともなく、みんな親切な人たちばかりでした。
-親切にしてくださったんですね。
竹内 どの人も笑顔で接してくれましたね(笑)。そういえば夜の演奏会後に日本の受講生の人とバスで帰っていて、降りなきゃいけないバス停を乗り越して、二つ先で降りたんです。そこからはもう二人とも迷子です。そんなときにたまたま犬の散歩をしていた方にあいまして。こちらが困っているらしいっていうのを感じ取ってくれたみたいで、道を教えてくれました。チェコなまりの英語だったのでこちらもうまく聞き取れなくて。結局、地図やバス停の名前をペンで紙に書いて教えてくれました。バスに乗ったら車掌さんにこの紙を見せて、目的地で泊めてもらいなさいって。
-ホテルはどんなところでしたか?
竹内 こざっぱりしていて、きれいなところでした。
-食事はどうでしたか?
竹内 朝はビュッフェでした。7時からだったので、余裕をもって登校できました。
-居心地はよかったですか?
竹内 そうですね、不満はないといえばないので。
-シングルルームでしたか?
竹内 ツインの部屋を一人で使いました。
-そうすると、広く使えましたか?
竹内 すごく広い感じですね。
-何か持っていったほうがよいものはありましたか?
竹内 アメニティグッズがなかったです。ポットみたいなお湯を沸かすものがないので、温かいものが飲みたいと思われる方は、準備してもよいですね。あと絶対持っていた方がよいのが「製本テープ」です。向こうへ行ってから曲の変更や追加がよくあるのですが、楽譜はA4サイズでコピーされます。その他のサイズはあまりないようで。周辺へのショップにもセロハンテープは見かけなかったので、持っているといざという時便利です。
-外食はされましたか?
竹内 夜はたまにしましたね。カフェテリアのランチが食べられ、毎日日替わりで3種類から選ぶものでした。
-楽しみですね
竹内 そうですね。
-どんなメニューでしたか?
竹内 ランチは基本的に肉料理で、副菜がパスタなのか米(タイ米)なのかポテトなのかという具合です。味はちょっと濃いめだったり薄めだったりしましたが、大丈夫でした。サラダバーまであったので驚きでした。講習会場やホテルの周りにもわりと飲食店はありましたね。
-お値段はいくらくらいでしたか?
竹内 一食が日本円で千円ちょっとくらいで食べられるんですけど、ボリュームがあるので、おなかいっぱいになります。
-他の受講者の方とご飯を食べに行ったり、交流はありましたか?
竹内 タイミングがあえば行くこともありました。
-今回の留学で、友達はできましたか?
竹内 はい、そうですね。親切にしてくださって、日本に帰ってからも連絡を取り合っています。
-どこの国の方ですか?
竹内 フランスの方です。
-海外の人とうまく付き合うコツはありますか?
竹内 自分から積極的に話すことだと思います。笑顔で会話をすればいいと思います。
-笑顔は大切そうですよね。
竹内 そうですね。
-宿泊先とレッスン会場の移動はどうしましたか?
竹内 だいたい600メートル弱くらいしかないので、歩いて10分もかからないくらいでした。
-会場の近くに落書きがあって怖かったという話を聞いたのですが……。
竹内 講習会場があった周辺は、落書きが多かったです。プラハ中心部のほうに行くとあまり多くありません。日本でよく見かける落書きが多くある感じと似ています。犬のフンも多かったです。
-講習会から交通の定期が出たんですよね?
竹内 簡単な身分証明書のようなものと交通定期をいただきました。地下鉄、トラム、バスの共通券です。バスはだいたい時間通りに来て、わりと便利なのでよく使いました。
-地下鉄はどうでしたか?
竹内 地下鉄のホームへ降りるときが、エスカレーターだったんですけど、すごく長くて急なんです。スピードが日本ではありえないくらいの速さで、戸惑ってしまいました。
-疲れているときは怖いですね。
竹内 ちょっとびっくりすると思います。それから、自分たちは定期を使っていたので大丈夫でしたが、トラム内では観光地域で検問をしていることが多かったです。明らかに観光客という人をターゲットにして検問していました。
-検問されましたか?
竹内 はい。プラハ城周辺へ行っているときに、検問にあいました。紺のポロシャツに紺のパンツという格好で、一見一般人かなと思いました。
-講習会中に演奏会があったかと思いますが、演奏会ではどの曲を演奏されたんですか?
竹内 全部のグループで出させてもらえたので、4曲で出ました。
-演奏会は皆さんが出演するかたちだったんですか?
竹内 だいたいどれかの演奏会に出してもらえた感じですね。
-会場はどんな場所でしたか?
竹内 音楽学校ホールもあるし、町のホールのときもありましたし、ベルトラムカ荘で演奏させてもらったときもありました。ベルトラムカときはビバルディーの曲を演奏しました。
-これはプラハに行ってからもらった曲なんですよね。
竹内 そうです。少しアレンジして、ボーカル、オーボエ、ファゴット、チェンバロで演奏しました。
-普通のホールとは違う場所で演奏するのはどうでしたか?
竹内 音の響きも全然違いました。そんなに広い場所じゃなくて、サロン的な感じなんで、なかなか日本ではそういう感じのところでは演奏しないので、新鮮でした。
-留学中に何か変わったことはありましたか?
竹内 特にないですね。チェコはEUに加盟したのでユーロが使えるかなって思ったんですけれど。学校の周辺や町でもほぼコルナしか使えない状態でした。あと学校の中に自販機があるんですけど、コインしかダメなんです。お札しか持ってなかった時は不便でした。
-スケジュールで困ったことはありませんでしたか?
竹内 困ることはなかったです。
-ヨーロッパの講習会だと、日本と違って事前に分かることが少なくて困った、といった話を聞きますが、そういった点はいかがでしたか?
竹内 向こうへ行くまでは、事前に分からないことがたくさんあったので不安もありました。スケジュールの変更はよくあるのですが、その都度掲示板に張り出されるのでチェックしていれば、特に困ることはありませんでした。
-今回、講習会に参加されて、よかったと思えた瞬間はありますか?
竹内 体力的にはすごく厳しかったんですが、終わってみると、もう終わったのか、という感じでした。グループのレッスンも、ソロのレッスンも充実していたので、それがすごくよかったです。そして素晴らしい師や受講生との出会いです。音楽も広く深く学ぶことができ、本当に幸せな時間を過ごすことができました。
-今回の留学で成長したなと思えるところはありますか?
竹内 いい意味でおおらかになりました(笑)。今までだったら、演奏している途中にいつもどおりできないと微妙に思うことがあったんです。でも、そういうことがあっても、全体を通して流れがあってまとまっていたらいいんではないか、と思うようになりました。
-そういう気持ちって、精神力が強くないと持てないですよね。
竹内 そうですね。
-音楽観が成長したんですかね。
竹内 どうでしょうか。
-ほかには何か今までと違うところはありますか?
竹内 グループレッスンでよく言われていたのが、お互いをもっと見て、聴いて感じて、一緒に呼吸を合わせて、ということでした。自分たちはしているつもりだけだったんですね。それ以降今まで以上に意識して、お互いを感じて演奏するようにしました。すると、ある演奏会で、演奏が終わった時にすごくみんなと気持ちが合って終わったと思える瞬間があって、今までとは違う気持ちの良さを経験することができました。
-それができたのは、やはり意識の問題だったと思いますか?
竹内 どうだったんでしょうね(笑)。気持ちひとつということですかね。
-日本で勉強されてきたことと大きく違う点はありましたか?
竹内 日本で勉強してきた方向も、そんなに違ってなかったかもしれません。今までやってきたことの延長線上にある感じでしょうか。ただ、聴衆が違うと思いました。日本では、たいがい微妙にピリピリとした雰囲気があるじゃないですか。向こうはすごくおおらかというか、温かい感じなんです。全然知らない演奏家であっても、どんな演奏でも受け止める、感じてくれる、そういう雰囲気がありました。
-拍手や歓声も違いましたか?
竹内 拍手でもう一回呼び戻されたりとか、ブラボーとか。日本では、そんなことってあまりないじゃないですか。自分では「なんで?」と思いながらも(笑)、とてもありがたかったです。
-聴いていたのは受講生ですか?
竹内 受講生の他に、多分、一般の人もいたと思います。
-そういう人たちも音楽に対しておおらかな感じなんですね。
竹内 多分、音楽が身近にあるんですよね。
-良い土地で、よかったですね。
竹内 そうですね。緑が豊かで、山や川もあって、坂もたくさんあって、日本に似ていると思いました。
-今後、留学を考えている人にアドバイスをお願いします。
竹内 自分は何をしに来ているのか、自分はどんな音楽をしたいのか、そういったことをしっかり持っていたほうがいいかなと思います。
-目標をしっかり持ったほうがいいということですね。
竹内 そのほうが、得ることが多いと思います。それから、受身ではなくて、積極的に自分から働きかけるようにすれば、返ってくるものも多いと思います。せっかく日本を出て勉強できる機会なので、多くのことを経験して帰ってくるのがいいと思います。
-なるほど。では、留学前にしておいたほうがいいことはありますか?
竹内 絶対に語学です。あまり話せなくてもなんとかなるんですけど、話せればもっと深く話ができたりもするので、話せたほうがより良いと思います。それから、練習をとにかくしっかりやっていくことです。向こうに行ったら、環境が変わるので、なかなか落ち着いて練習ができないっていう部分もあるし。しっかり練習していくと、教えていただくことも、より深いものを教えてもらえると思います。なので、練習はしっかりなさっていったほうがいいと思います。
-最後に今後の活動のご予定を教えてください。
竹内 今、合唱の伴奏をさせていただいていて、演奏活動もしているので、それを続けていこうと思っています。機会があれば、またこういった短期の講習会に参加できたらいいなと思っています。
-一生音楽は続けていきたいですか?
竹内 はい。
-今日は本当にありがとうございました。
布施あづささん/ジャズピアノ/ピート・マリンベルニ教授・アンドビジョン特別プログラム/アメリカ・ニューヨーク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
布施あづささんプロフィール
フェリス女学院音楽学部卒業。レナートバイリンガル(語学学校)とピート・マリンベルニ先生のジャズピアノレッスンを受講。
-はじめに自己紹介をお願いします。
布施 フェリス女学院の音楽学部を3月に卒業しました。ジャズピアノを4年間勉強していました。ピアノは3歳から始めて、高校まではクラッシックピアノを習っていました。
-クラッシックからジャズに変わったきっかけは何かあったんですか?
布施 高校の3年間、音楽科に通っていて、クラッシックだけをびっちりやっていたので、もっと他の世界に飛び込んでいきたいという気持ちがあって、ジャズを始めました。
-これまでに講習会に参加したり、海外の先生のレッスンを受けたことはありましたか?
布施 一度もないです。
-海外に旅行されたことはありましたか?
布施 はい、ハワイなどに行く機会がありました。
-今回、語学レッスンと音楽レッスンがセットになったご留学をされたわけですが、受講しようと思ったきっかけは?
布施 大学生活の集大成として、ジャズピアノの本場であるニューヨークで勉強したかったということと、自分の語学レベルを少しだけでも上げたいと思ったことです。
-語学レベルを上げたいと思ったのは、将来的に何か目的があるのですか?
布施 将来、また留学したいと考えているんです。そのためにも会話ができるようになりたいと思っていて、今回は、下見もかねてニューヨークに行きました。
-下見はできましたか?
布施 街の雰囲気などはばっちり下見してきました!(笑)しかし、会話はなかなか難しいと感じました。文法がわかっていても、自分の考えていることを会話にして発するというのは、すごく難しいんだな、と感じました。
-頭ではこういうことを言いたいな、と思っても、なかなか言葉にできない感じですか?
布施 そうですね。言えない悔しさともどかしさをすごく感じました。
-それぞれのレッスンの感想をうかがいたいのですが、まず語学レッスンはいかがでしたか?
布施 レナート(語学学校)は7〜8人の少人数にレベル分けされたクラスで、ほとんどが会話の授業でした。
-日本人は何人かいましたか?
布施 私の他に1人だけいました。スペイン人が多くて、他に、メキシコ、ブラジル、フランスの方がいました。
-他の受講生とは仲良くなりましたか?
布施 はい。友だちになることができました。現地では、一緒にご飯に行きましたし、帰国後もメールを交わしています。
-では、学校以外でも英語を交わす機会があったのですね。
布施 そうですね。なかなか難しかったですが……(笑)。
-ジェスチャーを交えて……といった感じですか?
布施 そうですね。ジェスチャーや指差しをたくさん使って、コミュニケーションをとっていました。こちらが一生懸命に伝えたい、と思って話すと、たいてい向こうも分かってくれますね。「あ! 分かる、分かる!」って感じでした。
-では、音楽のレッスンはいかがでしたか? 今回は、語学学校が紹介してくれた音楽レッスンと、弊社が紹介したピート・マリンベルニ先生のレッスンを受講されたんですよね。
布施 2人の先生に共通していたのは、感性から入っていく、ということでした。具体的に言うと「とにかくまず、好きなように弾いてみて」といった感じで、そこが日本とは違うなと感じました。やはり日本は、形から入るというか……、わりと自由がきかなくて「こう教えたらこう弾いてね」という感じなんですが、ニューヨークでは「自由に弾いてみて」というところから入って、ちょっとでも弾けたらすごく褒めてくれるので、本当に楽しく弾けました。
-それぞれの先生にはどんなことを教わったのですか?
布施 レナードで紹介してもらったフォーノ先生はラテンジャズが専門の方なのでボサ・ノヴァを教えてもらい、マリンベルニ先生からはスタンダード・ジャズを教えてもらいました。
-マリンベルニ先生のレッスンはどのように進んだのですか?
布施 スタンダード・ジャズの本に載っている曲を自分でアレンジして流して弾いて、先生にコメントをいただく、といった感じでした。
-難しそうですね。
布施 けっこう大変でした(笑)。あとは、先生と一緒に弾いたりもしました。
-レッスン中はピアノを弾いていることが多かったですか?
布施 そうですね。もうずーっと弾いていました。私が弾いていると、先生が入ってきて、音で会話をしている感じでした(笑)。なので、本当に楽しいレッスンでした。
-マリンベルニ先生はどんな方でしたか?
布施 まず、すごくハンサムでした(笑)。すごく優しくて、穏やかでおもしろい方でした。それがレッスンにも表れていました。
-1回のレッスンはどのくらいでしたか?
布施 1時間です。そのときの雰囲気でちょっと延びることもありました。
-今回のレッスンで新しく学んだのはどういうことですか?
布施 いろんな人のピアノの奏法をもっと聴かなければいけないと感じました。聴いて、コピーして、そこから自分の音をつくっていく、ということをレッスンを通して学びました。アドリブに関しても、今までは好き勝手に弾いていいと思っていたんですが、「話すように弾いて」と言われて、実は言葉のフレーズのように音を繋げていくものなんだ、ということを学びました。
-それは、新しい発見でしたね。
布施 そうですね。ですので、帰国したこれからも具体的にどういった練習をしていけばよいのか分かったのも大きな収穫です。先生からも具体的に練習法のアドバイスをいただきました。
-他に何か印象的なことはありましたか?
布施 マリンベルニ先生はいろいろと喩え話をしてくださいました。「いろんな生き方があって、みんな理想に向かって頑張るんだけれども、それはピアノにも共通していて、自分の理想とする音を奏でるために毎日練習しなきゃいけないんだ。でも、忘れてはいけないのは、必ず楽しむということだよ」と言ってくださって、その言葉が深くて、ズキンときました。
-なるほど。そういえば、レッスンのときに通訳さんはつけていなかったと思いますが、特に問題はありませんでしたか?
布施 意外となんとかなりました。先生も1対1だとゆっくり話してくださったり、なんとか伝えようとしてくださるので、理解することができました。
-向こうでピアノの練習はどうされていましたか?
布施 ホームステイ先のお家でしていました。玄関を入ってすぐの廊下にピアノがあって、それをお借りしていました。学校から帰って夕方までの間しか弾けなかったので、その時間で練習していました。だいたい毎日1時間くらいです。
-レッスンでやった曲を復習で弾くような感じでしたか?
布施 はい、そうですね。次のレッスンで前に習って練習した曲を聴いていただくこともありました。
-レッスンや練習、語学学校以外の時間は何をされていましたか?
布施 買い物に行ったり、ジャズ・バーに行ったり、バレエを鑑賞しました。ニューヨークでしか味わえないことを実感したかったので、いろんなところに出かけました。
-それは一人で行かれたんですか?
布施 いえ、語学学校でニューヨーク在住の日本人の女性の方と知り合って、その方と一緒に出かけていたので、本当に心強かったです。38歳と年上の方だったので、頼れるお姉さんという感じでした。
-バレエは何を観に行かれたんですか?
布施 ニューヨークシティバレエ団です。毎週月曜日に90ドルのチケットが25ドルになるので、わざわざ並んで観に行きました。
-ジャズ・バーというと、行かれたのは夜ですよね?
布施 いえ、ブルーノートのブランチ・ライブというものに行きました。日曜日のお昼にやっていて、値段も少しリーズナブルなんです。ジュリアードの学生の演奏を観に行ったのですが、同じくらいの年とは思えないくらいレベルが高くって、感動しました。
-ニューヨークに住んでいる人など街の様子はどうでしたか?
布施 みんなすごく忙しそうで、いろんな言語が飛び交っていて、「ここはどこ!?」って感じでした。
-ニューヨーク以外のところに観光はされましたか?
布施 他にもボストンやワシントン、ニュー・ジャージーなど、行きたいと思っていたのですが、行かずじまいで惜しかったなぁ……と思います。
-ホームステイ先はいかがでしたか?
布施 お部屋は本当にキレイでした。ベッドも「今まで、こんなベッドに寝たことない」っていうくらいフカフカで、サイズもキングサイズでした(笑)。ホテルの一室のようで、本当にラッキーでした。家族も優しくて、ホストマザーが一度、イタリアンのレストランに連れていってくれました。かわいがってくれて、私が若いからか「ベイビー」と呼ばれていたんです(笑)。最後も「また来てね」と言ってくれてうれしかったです。
-ホームステイ先と学校までは、どうやって移動されていたんですか?
布施 地下鉄を利用していました。乗り換えも、同じホームで向かいに来る電車に乗り換える感じだったので、わりと迷わずに利用できました。看板を見れば分かるようになっているので、大丈夫だと思います。
-道に迷ったりはしませんでしたか?
布施 もう初日から迷ってしまって大変でした。人に聞いて無事にたどり着けたんですが、そういうことがあったので、毎日家を授業の2時間前に出るようにしていました。
-えー! 大変ですね。
布施 それを1週間続けて、道を完璧に覚えてから、1時間くらい遅く出るようにしました。
-お食事はどうされていましたか?
布施 ランチは学校帰りにお店に寄って、夜はデリを利用したり、ホストマザーが作ってくれたものをいただいていました。
-外食のときの値段はいくらくらいでしたか?
布施 ランチは10ドルくらいでした。夜はデリで6ドルくらい使っていました。向こうは量が多いので、6ドルでもけっこうお腹いっぱいになりましたね。
-向こうでは、語学学校やレッスンなど海外の方とお話する機会が多かったと思いますが、そういった方とうまく付き合っていくコツは何かありますか?
布施 シャイにならないことだと思います。思ったことをはっきり言う人たちなので、自分もそうしないとその会話に入っていけないんです。
-最初から自分の意見を言うことはできましたか?
布施 いえ、出来ませんでした。徐々に徐々に……という感じです。何気ない会話でも授業でも、自分の意見を求められることが多いと感じました。積極的にいくのが本当に大事だと思います。
-留学中に困ったことはありましたか?
布施 やはり、道に迷ったことですね。あとは、ドライヤーがなくて、大変な思いをしました。それから、日常品に不便を感じることが多かったです。例えば、ティッシュを買ってもゴワゴワしていたり……、といった細かいことに不便を感じて、向こうに行って、日本の環境って本当に恵まれているなと感じました。
-ご留学されてよかったなと思ったのはどういう瞬間ですか?
布施 考え方が変わりました。今まで自分が正しいと思ってきたことを、また別の視点から見ることができました。こういう考え方もあるんだ、と視野が広がりましたね。あとは、日本を離れて日本の良さを知ることができたと思います。
-日本に帰って来て、成長したと思うことがあれば教えてください。
布施 今までは友だちを羨んだりすることが多かったのですが、それがなくなって、自分は自分なんだと思えるようになりました。たった3週間しか滞在していないのですが、向こうは、自分は自分で突き進む人が多いので、私も私で自分をちゃんと持ってしっかっりしていかなきゃいけない、と感じたんだと思います。
-日本と留学先でどんなところに違いを感じましたか?
布施 生活面で言えば、まったく干渉がないことです。多分日本だと、ホームステイに来ていても、かまってしまうと思うんです。でも、向こうでは、プライベートがきちんとあると感じました。私は干渉されない方がいいので、すごく楽でした。音楽面では、向こうの人たちは生まれたときからノリがある、と感じました。本当に音楽を楽しんでいるっていう感じでしたね。
-留学する前にしっかりやっておいたほうがよいことを教えてください。
布施 きちんと下調べをしておいたほうがいいと思います。さっきお話したティッシュとか……(笑)、本当に小さいことなんですけど、そういうことがすごく気になってくるんです。ハンドブックにもそういうことは書いていないので、留学をした人に話を聞いてみるのがいいと思います。
-今後は、どういう音楽活動をされていくんですか?
布施 4月からは社会人になって、音楽とはまったく関係のない仕事をしますが、早く蓄えて、また留学したいと思っています。今度は、ピアノだけで、もう少し長く留学したいと思っています。
-今日は本当にありがとうございました。
堀江夕子さん/ピアノ/アルベルト・フランツ先生・アンドビジョン特別プログラム/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
堀江夕子さんプロフィール
1970年生まれ。ヤマハ音楽教室講師を経て、現在堀江音楽教室主宰。音楽教室・英語教室・クライミング教室・設計事務所を併せ持つクライミングジムロック・ジム ほりえ 代表。ウィーンでアルベルト・フランツ先生のピアノレッスンを受講。
-はじめに、簡単な自己紹介をお願いします。
堀江 5歳からピアノを習い始めました。高校2年生で進路を考えたときに、何をするか迷いまして、結局、音楽系には進まずにピアノも一度辞めてしまいました。そのあと、大学3年生の頃になんとなく指が寂しくなって、また弾き始めたんです。その頃、ちょうど就職をどうしようか考えていた時期でもあって、そしたら、当時のピアノの先生がヤマハの人だったんですが、「ヤマハを受けてみない?」って誘ってくれたんです。それがきっかけで試験を受けたら合格したので、ヤマハ音楽教室に入りました。
-それからずっとヤマハとの関係は続いているんですか?
堀江 いえ。25歳で結婚するときに、辞めました。主人の実家に引っ越しをして、そのあとは、クライミングを一生懸命したかったので、ピアノは、結婚式の教会で時々、弾くくらいでした。
-今回、ご留学されようと思ったきっかけは何かあったんですか?
堀江 子育ても一段落して、音楽教室の経営も安定したんです。そしたら、引き出しが空っぽになってしまったような感じがして、何かしたいな、と思ったんです。それで、ウェブサイトで探していたら、アンドビジョンさんのサイトを見つけて、資料を取り寄せたんです。
-それは8月の頃でしたよね? それまでは留学も考えていませんでしたか?
堀江 そうですね。クライミングをしながら、知り合った方たちに「ピアノをしていたの」って話をしたら、そこでだんだん輪が広がって、今は音楽教室の生徒も60人くらいいるんです。そういうのもあって、2年前くらいからちゃんと弾こうと思うようになりました。それで、自分自身、先生にもついていたんですね。先生はたくさんいらっしゃるので、弾ける先生にも来ていただいたりしていました。そういうふうに、ピアノへの思いはだんだん募っていて、今回、留学をしてみようと思ったんです。
-そうだったんですね。アルベルト・フラン先生を選ばれた決め手は何だったんですか?
堀江 ホームページでも最初の方に紹介されていたので、お勧めの先生なんだろう、と思ったことと、初心者でも大丈夫といったことが書かれていたので、フランツ先生にお願いしたいと思いました。
-レッスン場所がウィーンでしたが、惹かれる部分はありましたか?
堀江 そうですね。オーストリアというのは、クライミングの世界ではトップレベルなんです。覇者がオーストリアからたくさん出ていますし、情報もたくさん入ってくるんです。それで、オーストリアにどんなバックボーンがあるのだろう?と気になっていました。それだけではなく、やはりウィーンは音楽の街ですし、行きたいと思いました。
-そうすると、初心者でも大丈夫なフランツ先生だったこと、クライミングにも関係があること、音楽の街であること、と三拍子そろっていたわけですね。
堀江 そうですね。それから、音楽留学というとすごく志が高い人が行くのかな、という不安もあったのですが、同じくらいのレベルの方の体験談も見せて頂いたので、安心して申し込みました。
-それから、留学までにドイツ語を勉強されたりしましたか?
堀江 いえ。急なことだったので……。“指差しオーストリア語の本”を買ったくらいです。指を差してなんとか伝わるかな、と思ったんです。
-その本に載っていたことで、何か役に立ったフレーズはありましたか?
堀江 向こうでその本を開くこと自体、ほとんどありませんでした。英語が通じる国なので簡単な英語と“ダンケ”と“ブレス・ゴット”の2つで大丈夫でした。
-生活する上でも英語が話せれば問題ありませんでしたか?
堀江 はい、大丈夫でした。
-フランツ先生のレッスンは全部で3回でしたよね。いかがでしたか?
堀江 まず最初にモーツアルトの時代のブラピーアの話から始まりました。あとは、クライミングをしていて指が痛かったので、最後の頃は、弾くときの姿勢や手が痛いときの弾き方、指の動かし方、力の抜き方のストレッチなどを教えてくださいました。
-ただ単にピアノを弾く、ということだけではなかったんですね。
堀江 そうですね。私もいくつか聞きたいことがあったので、質問をいくつか用意して行ったんです。それに対して、先生がひとつずつ丁寧に答えてくださいました。あとは、第一次世界大戦前後で教則本が変わったことから、弾き方の違いで今は故障者が多いのだけれど、姿勢に気をつけることで君の痛みはとれるよ、と教えてくださいました。日本に帰って来てから実際にその弾き方にしたら、まだ違和感はあるんですが、確かに痛みは出ないんです。本当にびっくりしました。
-その弾き方が堀江さんに合っているのかもしれないですね。
堀江 肩を後ろにして、ひじを開きすぎない弾き方なんです。すごく恰幅のいいおじさんが弾いているような感じになるので、主人はそれを見て笑っているんですが(笑)……。
-でも、痛みが取れてよかったですね。フランツ先生のレッスンの中で一番大きな発見はそのことでしょうか?
堀江 そうですね!
-日本のレッスンだとあまり姿勢については言われないですよね?
堀江 そうですね。ひじや指の形については指摘されることがありますが、私の場合は、姿勢が悪く肩が出ていたようなんです。それをフランツ先生が見つけてくれて、肩が出ているから、ひじも出てしまうんだ、と気づくことが出来ました。
-実際のレッスンの流れはどういうものだったのですか?
堀江 最初にモーツアルトの話から始まって、弾いてみて下さいと言われて、弾いて、直されて、という普通のレッスンの流れでした。途中から「あれ、指が転ぶね」ということで話が始まり、いろいろとアドバイスをしてくださいました。私が何か質問をすると、その質問はおもしろい、と言ってメモをとったり、先生が何かを言ったりしたときの私の反応が珍しかったようで、それもメモに取っていました(笑)。私は普通の反応をしたつもりだったのですが、先生には新鮮だったようです(笑)。
-おもしろい生徒さんだな、と思われたんですね。
堀江 あとから通訳さんに「君はおもしろい題材だ」と先生がおっしゃっていたと言われました(笑)。
-なんだか楽しそうなレッスンの様子がすごく伝わってくるエピソードですね。
堀江 はい、とても楽しかったです。
-通訳の仕方やフランツ先生とのやりとりはいかがでしたか?
堀江 先生が話し終えるとすぐにバラバラバラと通訳してくださって、私の言いたいこともきちんと伝えてくださいました。1時間半という限られた時間の中でやりとりをしなければいけないので、言葉のストレスを感じるのは嫌だったんです。先生と二人で楽譜を覗いて、顔を突き合わせて、どうします? とやるとすごく疲れると思うんです。そういう意味で、3回とも通訳の方に来ていただいて、よかったと思います。通訳の方もピアノが弾ける方だったのも、すごくよかったですね。先生が私の反応のメモをとっている間に、「通訳さんはどう弾きますか?」、「僕はこうかなー」なんてやりとりをしていました(笑)。
-今回は、どんな曲を見てもらったんですか?
堀江 フランツ先生はモーツアルトがご専門だと聞いていたので、モーツアルトのソナタを持って行きました。
-他には何か用意して行かれましたか?
堀江 簡単なもので、メンデルス・ゾーンを持って行きました。メンデルス・ゾーンの1番をもっと意味があるように弾いてみたいと思っていたんです。でも結局、メンデルス・ゾーンまで行かずに、ソナタも1曲で終わり、「はっ! もう時間だ!」という感じでした(笑)。
-その分、1曲を濃く教えてもらった感じでしょうか。フランツ先生のレッスンを受ける前と受けた後で、そのソナタを弾いて何か変化はありましたか?
堀江 帰ってきてから、日本の先生に見ていただいたのですが、「左手がきれいにまとまっていますね」と言われました。フランツ先生と左手の連打を練習するのに、バスケットボールのようにやろうということで、ピアノから降りてバスケットボールの練習をしたんです(笑)。それの効果があったのかもしれませんね。
-それも楽しそうですね。さきほどストレッチの話をされていましたが、どういうストレッチを教わったのですか?
堀江 力の抜き方のストレッチで、肩から腕を水平に上げて、ひじを90度曲げた状態から、糸がぷつんと切れたようにマリオネットのように落とすんです。その状態で、私は肩が前に出てしまうんですが、前に出ないようにと何度も注意されましたね。
-ウィーンでは、練習室を予約されていたかと思いますが、練習室はいかがでしたか?
堀江 アンドビジョンさんから送っていただいた用紙に部屋の番号まで書いてあったので、何の問題もなく部屋を使えました。部屋は7部屋くらいあって、ピアノも5台くらいあったと思います。
-けっこう練習時間を取られていましたよね。みっちり練習されたんですか?
堀江 1日目は一生懸命弾きましたね。着いた最初の日にレッスンがあったので、レッスンの後、4時間くらい練習しました。お水を飲んで、スーパーで買ったハムをかじりながら、練習しました(笑)。
-ハム、ですか?
堀江 はい。けっこうおいしいハムが売っていたので、それをそのままかじっていました(笑)。
-お食事はどうされていたんですか?
堀江 最初にスーパーで食材を買い込みました。それで、朝はトーストにトマトとチーズとハムのサンドイッチを作って食べていました。ラップにくるんで持って行って、お昼もそれで済ませることも多かったです。あとは、アンケルというサンドイッチのチェーン店で食べたり、ウィンナーシュニッツェル屋さんで食べたりしていました。
-ウィンナーシュニッツェルはおいしかったですか?
堀江 おいしんですけど……、すごく大きいんです。適当に頼んだら、自分の顔より大きなものが出てきました(笑)。薄くてペラペラなんですけど、それでも顔以上のサイズなのでボリュームはあって、ウィンナーシュニッツェルを食べた日は、それしか食べられませんでしたね。
-夕飯はどうされていましたか?
堀江 1日目は、普通の個人のお店で外食したんですが、ちょっと量が多くてびっくりしました。ヒドリという日本食のお店があったので、そこに入り、一度行ったらおいしかったので、あとは毎晩、通っていました(笑)。からあげや定食、焼き鳥、巻き寿司、などいろいろありました。日本人のスタッフさんばかりだったので、その方たちに現地のお話を聞いて、毎晩、楽しく過ごすことができました。
-やはり日本食が恋しくなりますか?
堀江 若い頃は、外国に来てまで日本食を食べる人の気がしれない、なんて思っていたんですが……(笑)。向こうの食事もおいしいんですけど、ウィンナーシュニッツェルやパンを食べていると、やはりお米が食べたいな、と思いますね。スーパーにもお米は売っていたのですが、朝ご飯やお昼ご飯は自分で作ることがほとんどだったので、夕飯くらいいいや、と外食していました。
-レッスンや練習以外の時間はどのように過ごされていましたか?
堀江 仕事に関することですが、クライミング・ジムの視察に行っていました。向こうの建物や規模を見て、肌で感じていました。それから、オペラを日本から予約して行ったので、「フィガロの結婚」を観ることができました。
-えー! いいですね。やはり、本場のものは違いますか?
堀江 はい。日本でもよく観るのですが、全然違いますね。建物が円形で上の方に席がある会場でした。1万4、5千の席がありましたが、それでもすごく臨場感があって、周りの人たちも口ずさんだり、鼻歌を歌ったり、知っている曲では歓声を上げたり……、そういう空気を体験できて、すごく良かったです。
-そういうのって、日本ではあまり体験できないですよね。
堀江 そうですね。日本ではそういう体験はしたことがありませんでした。
-他にも観光はされましたか?
堀江 小さいところに見所がギュギュっとつまっている街だったので、レッスン会場から練習室に行く間にも、観光名所がちょこちょこありました。あとは、ステファン寺院や旧市街のあたりを観光しました。でも、どこかに行かなくても、電車に乗っているだけで、すごい建物がたくさんあるので、それを見ているだけでも楽しめましたね。
-向こうでは日本人以外の現地の人や他の国籍の人と話す機会も多かったかと思いますが、何か話すコツなどはありますでしょうか?
堀江 しかめっ面はいけないと思っていたので、笑顔で“ダンケ”と“ブレス・ゴット”と言っていました。通りすがりの人でも、すれ違ったら挨拶をしていましたね。挨拶をすると、向こうの人も笑顔で返してくれました。
-今回はフラットにご滞在されていましたが、いかがでしたか?
堀江 すごくおもしろかったです。ホテルやキャンプではわからない、ウィーンの人の生活の実態が見られたのが良かったです。
-大家さんと話す機会はありましたか?
堀江 最初の日に鍵を渡すのに待っていてくれて、英語でわーっと、ガスや鍵の説明をしてくれました。どうやら日本びいきの大家さんだったようで、仏像がお部屋の角にありました(笑)。けっこう大きい仏像で、大人が座っているより少し大きいくらいのものだったので、すごくびっくりしました。あとはたぬきの置物もあって、おもしろいお家でした。
-部屋の広さはいかがでしたか?
堀江 ダブル・ベッドが2つもあって、家族で借りられるな、というくらい広かったです。主人は設計の仕事をしているので、現地でスケールを買って、いろいろと測っていましたね(笑)。そして、その広さや色使いに感心していました。そのセンスの良さは、他のお家も同じで、そのセンスというのは、街をきれいに保とうという精神から来ているのかな、と感じました。主人も日本に帰って来たら、「やっぱり信州の町並みって変だよね」とか言っていて、この前も「もうちょっと、もともとあるものでできることを、提案していく必要があるよね」なんて、お友達に話していました。
-今回、レッスンを受けて良かった瞬間があれば教えてください。
堀江 やはり、百聞は一見に如かず、だと思いました。これまで、書物や楽譜でいろいろな先生方に教えていただいたのですが、その場所に行かなければ分からない目に見えない空気や雰囲気、クラッシック音楽が培われて来た社会風土のようなものを感じることができたのが、良かったと思います。また、そういうのに触れて、日本に帰って来た今、視野が広がったと思いました。小さなところに詰まっていたものが外に出て、上から見られるようになった気がします。
-なるほど。
堀江 弾くこともすごく楽しくなって、ピアノの先生からも「堀江さん、楽しそうだね」と言われました。あとは、自分が教えるときも、行く前は、あまり弾けない子たちに対して、こんなんでいいのかなとブレがあったのですが、自分が留学したことで変わりましたね。音楽留学ってすごい人たちが行くんだろうなと思っていたのですが、そんなことはなくて、フランツ先生もその中で出来ることを教えて下さったんですね。そんな経験をして帰って来てからは、30分のレッスンの中で15分は歌って弾いてもいいかな、とか、その時間の中で曲のレパートリーを増やして、とか楽しいレッスンをしてあげようと思えるようになりました。
-堀江さんご自身は今後はどうされていきたいとお考えなんですか?
堀江 先生がモーツアルトを研究されているので、ウィーンなので、という理由から何となくモーツアルトを教わったのですが、これも何かのご縁なので、せっかくだからちゃんとモーツアルトのソナタを弾けるようになろうと思いました。
-またフランツ先生のレッスンを受けたいですか?
堀江 はい、そうですね。先生が嫌がらなければ(笑)。
-いえいえ、そんなことはないかと。きっと先生も覚えてらっしゃいますよ(笑)。最後になりますが、これから留学を考えている方にアドバイスをお願いします。
堀江 自分もそうだったのですが、まずは迷う前に失敗してもいいから、行きたいときに行くのがいいと思いました。いつか時間が出来たら、とか、お金が貯まったら、とかではなく、まず、出てみることが大事だと思いました。そうすれば、自然に次のことが浮かんでくると思います。そのときには、簡単な中学校レベルの英語を話せれば日常生活は十分だと思います。先生とのやり取りも長期滞在だと事情が違ってくるかもしれませんが、1週間くらいの短期の滞在でしたら、通訳さんをつけて、言葉のストレスをなくすことで、限られた時間を有効に使えると思いました。
-なるほど。今日は貴重な体験談を本当にありがとうございました。
佐藤暁彦さん/ジャズドラム/シエナジャズサマーコース/イタリア・シエナ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
佐藤暁彦さんプロフィール
中学時代に、吹奏楽部のパーカッションでドラムを始める。大学でジャズ研究会に入部し、ジャズドラムを開始。2007年、シエナジャズサマーコースに参加。講習会では、選抜のビックバンドのメンバーに選ばれる。2007年、横浜ジャズプロムナードにコンボバンドで参加。
― はじめに略歴を教えてください。
佐藤 中学生のとき、ドラムをやりたくて吹奏楽部に入り、高校でも引き続き、吹奏楽部でした。大学でコンボ主体のジャズ研究会に入部して、興味があったジャズをやり始めました。同時にポップスのバンドも結成し、大学卒業後も続けて、インディーズでCDを出したりもしたんです。一方、大学卒業後、ヤマハ音楽院で、ジャズに限らず、ポップス、ロックといろいろ学びました。卒業後は、ポップスの活動がメインだったのですが、だんだん、またジャズを本格的にやりたいなと思うようになって、ジャズクラブやライブハウスに行くようになったんです。
― 今もポップスは演奏されているんですか?
佐藤 頼まれたら演奏しますが、今は本格的にジャズに絞ってやろうと思っています。
― どこか決まったライブハウスで演奏されているんですか?
佐藤 地元の横浜や横須賀のライブハウスで演奏することが多いですね。横浜はかなりそういうお店が多いんです。
― 講習会に参加したのは何がきっかけですか?
佐藤 演奏の仕事があまりなかった時期に、何かしようと思い立って、以前から覗いていたこちらのサイトでこの講習会に興味を持ったんです。普通、イタリアにジャズしに行くヤツいないだろうと思って(笑)。
― アメリカとは迷わなかったですか?
佐藤 最初は、アメリカも考えたのですが、日本の人がジャズを勉強しようと思ったら、普通、アメリカに行くじゃないですか。だから、他の人と違うことをやってやろうと(笑)。
― それでイタリアに?
佐藤 もともとイタリアのジャズに興味は持っていたんです。講習会には、エンリコ・ラバというトランペットの先生もいたんですが、その方はイタリアジャズの中では、世界的に有名な人です。東京のブルー・ノートに来たときに観に行ったのですが、それもこの講習会に参加したきっかけになっています。そのときにイタリアのジャズをおもしろいと感じたんです。アメリカのジャズと比べても、泥くささがないというか…。ヨーロッパのジャズというのは、クラシックの影響が強いとよく言われています。やっぱりイタリアのジャズも、クラシックをジャズに昇華したような感じがしますよね。
― それでは、シエナジャズ講習会の全体の様子を教えてください。
佐藤 今回の講習会はシエナジャズという大きなイベントの一環でした。全体で200人くらいが参加していました。各パート30人くらいですね。楽器の他にも作曲のコースで来ている人が数人いました。
― レッスンはどのように進められたのですか?
佐藤 最初に選抜試験がありまして、それで2クラスに分かれて、クラス別に1人ずつ先生がつきました。
― 選抜試験というのはどのような試験だったのですか?
佐藤 基礎的なことができるかどうかをみる試験です。1人ずつ呼ばれて、「こんな感じのできる?」「これやってみて」という感じで行われました。
― レッスンはどんな内容でしたか?
佐藤 ドラムを2つ並べて、2人がセッションをするといった内容です。基本的には生徒2人がセッションをしましたが、場合によっては先生が叩くこともありました。例えば「早めのテンポで」とか「こういう拍子で」といったテーマが出されて、それにそって2人がセッションをします。それを先生が聞いていて、指導してくれます。
― ずっとグループレッスンだったんですか?
佐藤 そうですね。短期間の講習会なのでそういう形なんだと思います。
― 他の生徒の皆さんは上手でしたか?
佐藤 講習会を受けた人の中には、若い人もいたし、これからジャズやりますっていう人もいたんですが、ラッキーなことに僕は上級者のクラスに入ることができたので、皆さん、上手でしたね。音楽のレベルはとても高かったです。
― 講習会のスケジュールを教えてください。
佐藤 朝の9時から始まって、夕方の5時までのスケジュールですが、だいたい5時半くらいまででした。間に1時間くらいお昼の休憩がある程度で、あとはずっと講習です。実技のレッスンだけでなく講義もあったのですが、それも含めて本当にみっちりでした(笑)。
― 講義はどんな授業でしたか?
佐藤 音楽理論と聴音(ヒアリング)、ジャズの歴史、それから楽曲分析の授業がありました。理論の授業では、コードや音階のことを学びます。ドラムでもそういうことは知っておいた方がいいので、ためになりました。楽曲分析ではある曲を聞いて、その曲の構成、リズム、進行がどういうものかを分析していきます。
― 何語でやりとりされているんですか?
佐藤 基本的にはイタリア語ですが、実技のレッスンのときは僕が分からないと、先生が英語で言い直してくれました。理論の授業のときは、いちいち先生が言い直していると時間がかかってしまうので、英語が堪能な生徒さんを紹介してくれて、その人が英語で教えてくれました。僕はそんなに理論は詳しくないのですが、自分の持っている音楽のボキャボラリーで考えていけば、理解することができました。
― 参加を決めてから、事前に語学の勉強はされたんですか?
佐藤 英語はもちろん、イタリア語も音楽用語などはそれなりに勉強していきました。結果的にそれはすごく役に立ちました。おもしろいもので、耳が慣れてくると、音楽用語であれば、イタリア語でも大まかにわかるようになってくるんです。
― すると、言葉にはほとんど困らなかったですか?
佐藤 いや、困りましたね(笑)。勉強もしていたし、なんとかなるだろうと思っていたんですが、いざとなると、緊張してしまって聞き取れないこともありました。指示を間違えて受け止めて演奏してしまったこともありました。それから、受け身の姿勢ではなくて、「こう表現したいんだけどどう演奏したらいいのか」とか、もっとこちら側からアプローチできる語学力があればよかったなと思いました。
― では自分から質問されることはあまりなかったのですか?
佐藤 そうですね。そこが悔やまれますね。あとから冷静になれば、英語でこう言えばよかったな、とは思うのですが、なかなかその場では言葉が出てこなかったです(笑)。
― 日本人は参加していましたか?
佐藤 いえ、僕1人でした。ほとんどがイタリア人で、あとは何人か他のヨーロッパの国から来ていました。ある程度予想はしていたのですが、まさか本当に一人とは…(笑)。そういう意味では、すごく目立ちましたね。最初の説明会に行ったときも、視線を感じました(笑)。
― 講習会中は、個人練習はどのくらいされたのですか?
佐藤 実質、やる時間がなかったですね。ファイナルコンサートというのがあって、選抜のメンバーでビックバンドを結成したのですが、そのメンバーに選ばれたんです。それで、その練習が講習のあと、夜の7時くらいまであって、個人の練習をする時間はなかなか取れませんでした。
― 選抜メンバーに選ばれたんですね。すごいですね。
佐藤 クラス分けの選抜試験のときに同時に見ていたらしく、ラッキーなことに先生が推薦してくれたようです。
― 選抜メンバーとの練習はどうでしたか?
佐藤 最初の練習のときに1人ずつソロを回していって、最後に僕もドラムソロをしたんですが、ソロが終わったあとにみんなが「お前、いいじゃん」って拍手してくれたんです。それですごく楽になりましたね。これなら楽しくやっていけそうだなと思いました。
― そのバンドの練習も事前に個人練習はしなかったんですか?
佐藤 そうですね。譜面だけ見ておいて、あとは全体の練習のときにその場で演奏しました。ただ、昼休みを削って(笑)、生徒同士で他の楽器と組んでセッションしていました。
― セッションをする部屋は用意されていたのですか?
佐藤 昼休みなので、開いている部屋を使いました。あとは、もともと使われていない部屋も事前に予約すれば使うことができました。
― イタリアの事務局はどうでしたか?
佐藤 中には適当な人もいましたが(笑)、けっこう親切にしてもらったと思います。根本的なシステムが日本と違うので、戸惑うことも多かったんですが、優しく教えてくれました。
― 宿泊先はどうでしたか?
佐藤 シエナにある大学の寮に泊まりました。二人部屋でした。講習会に参加した人は、けっこうバラバラに振り分けられていたようで、大学の寮に限らず、中にはホテルの人もいました。
― 宿泊先と講習会の会場は近かったのですか?
佐藤 僕の宿泊先はけっこう距離があって、歩くと40分くらいかかるところでした。朝はバスがあるので利用していました。
― 帰りは歩いていたのですか?
佐藤 シエナジャズという大きなイベントなので、講習会の会場や特設ステージで、インストラクターの方やイタリアのプロミュージシャンたちがライブをしているんです。練習後にそれを見ていると、帰りが12時半位になってしまうんです(笑)。もちろん、バスは終わっているので、帰りは、歩いて帰っていました。せっかくなので、ライブも観ておきたかったんです。
― 治安はどうでしたか?
佐藤 よかったですね。周囲でも危険な目に遭ったというような話は聞きませんでした。宿泊先までも離れていたので人通りの少ないところもあったんですが、危険そうな感じはありませんでした。小さい街なので、治安はよいと思います。
― 食事はどうされていたのですか?
佐藤 お昼は近くにあったバールでパニーニをつまんで、夜はピザ屋さんで食べる、ということが多かったです。食事はどこのお店もおいしかったですね。
― 海外の人たちとうまくつきあうコツはありますか?
佐藤 イエス・ノーをはっきり言うことですかね。はじめのうちは日本人的な曖昧な返答をしていたのですが、それで相手を怒らせてしまいました。年下の16歳くらいの子に「日本人にはノーという言葉がないのか!」って言われました(笑)。向こうの人たちは、はっきりしていますね。でも、ノーと言っても、失礼にはならないのでイヤならイヤと伝えるのがいいと思います。あとは、こちらから話しかけてコミュニケーションをとっていくのがいいと思います。
― 講習会に参加して良かったと思える瞬間はありましたか?
佐藤 それはやっぱりファイナルコンサートに出られたことですね。シエナにすごく大きな聖堂があるんですが、その前の広場に大きなステージを組んで、そこで演奏したんです。メンバーとは、ずっと一緒に練習していたので、信頼関係ができて、向こうも自分のことを受け入れてくれて、それが伝わってきたんです。そういう瞬間はすごく良かったです。
― 留学して成長したなと感じる部分はありますか?
佐藤 演奏面では、向こうで友達に「もっと楽しもうよ」と言われて、あぁ、楽しむのが大事なんだな、と思いました。その友達は、僕が演奏すると苦しそうに見えるって言うんです。そういえば、日本にいるときから立ち向かうぞという気持ちでいて、楽しむということをあまり意識していなかったことに気づかされました。それから、留学する前はテクニックを身につけたもののどう表現すればいいのか、と行き詰まっていた部分があったのですが、レッスンの中で「どうしたら音楽的な対話ができるのか」という内容も多かったので、とても勉強になりました。「最初にどう表現したいかを考えなさい」と言われたのが印象に残っています。
― 音楽以外のところではいかがですか?
佐藤 何でも自分でなんとかしないとどうにもならないんだということを痛感しました。 例えば、講習会中も、若い人でも自分で様々な手配をやっているわけです。日本だと、手取り足取りという感じですよね。
― そのあたりが日本とイタリアの違いでしょうか?
佐藤 そうですね。自己責任の部分が強いと思います。講習会をどう消化していけばいいのかという基本的な部分ですら教えてくれないんです。本来は講習会の中でいろいろなことが出来るはずなんですが、こちらから聞かないと分からないままです。例えば、資料を借りられるということは、聞いてみてはじめて、出来ると知りました。講習会を最大限に利用しようと思ったら、そういう自ら働きかけていく姿勢が大事になってくると思います。
― 留学前にしっかりと準備したほうがいいことを教えてください。
佐藤 語学です。語学を学んでおけば、理解の仕方がちがってくると思いますよ。確かに言葉がなくても通じ合える部分はあるのですが、やはり講習会なので、深く質問していこうと思ったら、語学を学んで行くことが必要です。
― 今後留学する人にアドバイスをお願いします。
佐藤 シエナに行きたい人は、イタリアに興味がある人だと思うんですが、今の時代、日本でもアメリカでもイタリアでも同じ情報はシェアできますよね。そんな中、どうしてイタリアまで行きたいのかをはっきりさせてから行った方がいいと思います。「どうしてイタリアまで来たの?」とイタリア人に言われるくらいですから(笑)。これは、他の国でもそうだと思うのですが、自分の意思をはっきり伝えれば、向こうも受け入れてくれると思います。
― 最後に今後の活動予定を教えてください。
佐藤 横浜・横須賀のジャズクラブを中心に、複数のグループでライブ活動しています。
― ビックバンドはもうやらないのですか?
佐藤 機会があれば、今回の経験を活かして、ビックバンドもやってみたいな、と思っています。
― 実現したらぜひ教えてください。楽しみにしています。ありがとうございました。
佐藤さんの近況は以下のホームページで!
http://www.geocities.jp/pacifico_sato/
香田亜以さん/ヴァイオリン/アンギャン夏期国際マスタークラス/ベルギー・アンギャン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
香田亜以さんプロフィール
1989年札幌生まれ。北海道大学工学部2年在学中。現在、北海道大学交響楽団、その他アンサンブルに所属。
2009年ベルギー・アンギャン夏期国際マスタークラス受講
-まずは、香田さんの簡単なご経歴を教えてください。
香田 4歳からバイオリンを始め、プライベートレッスンで先生について習っています。音楽大学ではなく一般の大学に通っています。
-今回アンギャンに行かれたわけですが、それまでに海外に行かれたこと、レッスンを受けられたことはありましたか?
香田 いえ、ありません。初めてです。
-海外の講習会に参加して、音楽を勉強しようと思ったきっかけは?
香田 作曲家が生きた国や場所で、実際に曲を作った場所を見てみたいという思いや、その空気を感じながら弾いてみたいという思いがあったからです。
-ベルギーを選ばれた理由は?
香田 ブロン先生のレッスンを以前テレビで見たことがあって、一度生でレッスンを見てみたいな、と思っていたんです。
-では、以前からブロン先生にご興味があったのですね。
香田 はい。ブロン先生は、日本にもけっこういらっしゃっている方なので。
-今回、アンギャンの講習会はどれくらいの人数が参加されていましたか?
香田 最初の1週間は聴講生だったのですが、大体25人ほどでした。2週目は6人です。
-どの国の人が多かったですか?
香田 フランス人、ドイツ人はやはり多かったです。でも、ブラジルから来ていた方もいましたし、日本人もいました。国際色豊かでしたよ。
-レッスンは英語でしたか?
香田 はい、英語でした。
-1週間目はザハール・ブロン先生の聴講ということですが、毎日聴講には行かれましたか?
香田 毎日ではありません。一週目は人数が多かったので、一人あたりでは40分のレッスンでしたが、朝から晩まで行われていました。出入り自由なので、気軽に聴講しに行っていました。
-実際にレッスンを聴講した感想は?
香田 実際に外国人のレッスンを初めて見ましたが、ブロン先生は基本ドイツ語だったので先生の話していることが分からなくて…。でも、ブロン先生はお手本として弾いてみせていたので、それで理解できるという感じでした。フレーズとか入り方とか。受講生が上手な方ばっかりだったので、聴いているだけで表現の仕方など本当に勉強になりました。
-レッスンの雰囲気は、どんな感じですか?
香田 先生と自由に話せるような雰囲気でした。聴講している生徒や親もたまに先生と話したりもしていましたよ。
-2週目からのウルフ・ヴァーリン先生のレッスンはいかがでしたか?
香田 それが、先生が直前に病気になられて、講習会にいらっしゃらなかったんですよ。
-そうだったんですか!?
香田 急遽、ミッチェル先生という女性の方に代わったんです。最初、どういう方かも分からなかったので、不安でした。帰ってから調べてみたら、ソロ活動をされている先生のようで。ソロの方なので弾き方がやっぱりパワフルでした。見せるパフォーマンスを大事にされているというか。
-そんな方のレッスンを受けられて、逆に良かったかもしれないですね。
香田 はい。最初はびっくりしましたが、刺激的でした。
-ミッチェル先生のレッスンは、どのくらいのペースで行われましたか?
香田 一回1時間のレッスンを一週間に3回ですね。先生方のコンサートがあったので、その練習のために、レッスンの時間が変わって日数的には4日間やりましたが。
-レッスンの内容はどういった感じでしたか?
香田 フレーズの取り方や表現の仕方がメインだったと思います。聴講の時も感じましたが、もっともっと自分を出していかないといけないんだなって。自分がどんなに感情的に弾いたとしてもミッチェル先生はOKを出してくれませんでした。
-何曲くらい見ていただけたのですか?
香田 私は2曲持っていきました。皆さんは、3~4曲持って来ていたので、2曲は少なかったかなとも思ったんですけど、自分の気になった所を突き詰めて習えたので良かったです。
-2日で1曲見てもらった感じですか?
香田 いえ。無伴奏とコンチェルトを一曲ずつ持っていったのですが、弓を上手く使ったフレーズの取り方をもっと教えてもらいたくてコンチェルトを中心にレッスンを受けました。
-その中で、基礎的なことを教わったのですね。
香田 やはり体の動かし方とか、表現の仕方ですね。先生がお手本を見せてくださって。小柄な先生だったんですが、動きの大きな方でした。
-どんな人柄の先生でしたか?
香田 とても優しくて、いつもにこやかな方でしたね。演奏とのギャップがありました。
-レッスン以外の時間は何をしていたんですか?
香田 もちろん練習はしましたが、友達とご飯を食べに行ったり。何度かパーティーもありました。少し時間があったので、一人でブリュッセルの観光もしました。
-充実されていたようですね。練習は、どこでされましたか?
香田 近くの学校が夏休み期間でしたので、そこの教室を使って練習しました。
-ひとり何時間とか決められているのでしょうか?
香田 いえ、決まっていませんでした、朝10時から夜7時まで学校が空いているので、自由に使えました。十分練習できましたよ。
-海外の方とのコミュニケーションはいかがでしたか?
香田 雰囲気はすごく楽しかったですけど、やっぱり、もうちょっと英語が話せたら良かったな…と思いました。
-事前に英語は勉強されていたんですか?
香田 いえ、全然。(笑)行ってみて、頑張ろうという気になりました。
-文化の違いで驚いたことはありましたか?
香田 そうですね。よく言われることですが、本当に自分の意志をはっきり言いますね。ちゃんと自分の意見を持ってて、自信を持って言えるというか。外国に行って、私はもっと自分を出せる気がしました。周りがみんなそういう空気ですから自然と自分に自信も持てますね。海外では、やはり積極的にならないといけないですよね。
-日本人の感覚よりオーバーな感じでやったほうがいい感じなんでしょうかね
香田 はい。それでも、全然オーバーではないんですよね。むしろそれくらいしないと伝わらない。
-なるほど。街の様子はどんな感じですか?
香田 小さな町で、特に観光するところもないような田舎でした。でも、お城の中が本当にキレイでした。公園の中にお城があるのですが、歩いて回ると2~3時間くらいかかりましたよ。ゴルフ場もあってゆったりとした雰囲気で本当に落ち着く場所でした。
-ブリュッセル市内はどんな感じでしたか?
香田 多くの人でとても賑やかでしたよ。本当に親切な方ばかりで道に迷っても全く困りませんでした。
-治安はどうでしたか?
香田 問題ありませんでした。怖い思いもしませんでしたし、英語も通じましたから。
-初めての海外という方にも、比較的安心な場所のようですね。今回、宿泊先は、どういったところでしたか?
香田 ホームステイでした。おじいちゃんとおばあちゃんの、すごく素敵な家庭でした。息子さんもブリュッセルに住んでいるので、週末に来たりしていました。その方が、日本の大学に行っていたようで、日本語がペラペラでした。色々お話してくれましたよ。
-海外のお宅に入るのは、不安があったと思うんですが。
香田 そうですね。でも、毎年日本人を受け入れているホームステイ先でしたので、日本人がそこに滞在したんです。なので、安心でした。凄く大きなお家なので、たくさん受け入れられるみたいです。本当にお城のようなお家でした。
-ひとりに一家庭ではないんですね。
香田 他の受講生はほとんどそうだったみたいですが、わたしが滞在したお家だけは、たくさん受け入れていました。他の参加者からは一番良いステイ先だと言われましたよ。
-それはラッキーでしたね! 滞在中の食事はどうされましたか?
香田 朝はステイ先で用意してくれるので、それを食べました。パン、ジャム、コーンフレーク、フルーツなどが並んでいて、自分の好きなものをそれぞれ取って食べるという感じです。夕食も用意してくれたのですが、講習会が終わるのが18時頃で、ステイ先までのシャトルバスの時間が21時でしたから、その空いた3時間で他の受講生たちと一緒に食べることが多かったです。
-レストランはあるのですか?
香田 はい、会場の近くにはありました。日本食レストランもあったのですが高そうだったので、中華料理屋さんによく行きましたね。結構美味しかったですよ。ステイ先ではほとんど毎日パンが出ました。あと、ソーセージも多かったですね。
-講習会場までは、どうやって移動していたんですか?
香田 シャトルバスが迎えに来てくれました。前の日に名前を書いて予約すると、家の前まで迎えに来てくれるんです。帰りも同じ要領でした。
-歩いては行けない距離だったんですか。
香田 ちょっと無理ですね。どこも行けないんです、田舎過ぎて(笑)。ホームステイ先があるところなどは、本当に何もなかったんです。学校の近くにはスーパーがあるので、学校のあとに寄って、その後バスで帰るという感じでした。
-今回、講習会に参加して一番良かったことは何ですか?
香田 バイオリンの技術についていえば、今後の課題が浮き彫りになって、これから練習していく上で大きな収穫となりました。日本人の演奏だけでなく、色々な方の演奏を聞いたことによって、表現の仕方の幅が広がったように思います。また、室内楽のレッスンもありました。私は今回ピアノ、チェロの方とトリオを演奏することができました。残念ながら私の聞いたことのない曲になったのですが、ピアノ、チェロの方と一緒に弾いているだけで、自分にどのような演奏、表現が求められているのかが感じ取れたのです。まるで魔法のようでした。今までで一番楽しく、衝撃的な室内楽のレッスンでした。ソロのレッスンより室内楽の方が楽しかったかもしれません(笑)
-今後の音楽活動に生かせそうですね。今後、海外留学をしてみたいという方にアドバイスをお願いします。
香田 やはり、ペラペラではなくてもいいので、英語は話せたほうがいいということですね。一生懸命話していれば、分かってくれる部分はあるのですが、話せるに越したことはありません。
-音楽家になりたいという目標はありますか?
香田 そうですね。今までは音楽は趣味だと思っていたんですが、今回参加してみて音楽の素晴らしさを改めて実感しましたし、もっと深く追求して将来的にそういう道に進めたらいいなとは思い始めています。
-今回の留学で可能性も更に増えたことと思いますので、今後も頑張ってください。今日はお忙しいなか本当にありがとうございました。
須山由梨さん/ピアノ/ウィーン国際音楽ゼミナール/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
須山由梨さんプロフィール
3歳よりヤマハ音楽教室に入会。幼児科~ジュニア専門コースで学ぶ。中学2年生で「第2回かやぶき音楽堂ピアノデュオ連弾コンクールD部門」第2位、中学3年生で「第6回若き獅子たちのジュニア音楽コンクール」県知事賞を受賞。兵庫県立西宮高校音楽科ピアノ専攻を経て神戸女学院大学音楽学部器楽(ピアノ)専攻入学。同時に半年毎に阪神間にて自主企画コンサートを実施(1~3回目はフェリーチェ音楽院、4回目以降は世良美術館)。3年生で「第54回朝日推薦演奏会」に出演、「第15回KOBE国際学生音楽コンクールピアノ部門」奨励賞を受賞。現在4年に在籍し「第16回オータムコンサート」に出演、ハンナ・ギューリック・スエヒロ賞を授与される。ボリス・ベクテレフ氏に師事。2009年夏、ウィーン国際音楽ゼミナール ジュゼッペ・マリオッティ先生のコースを受講。
-まずは、須山さんのご経歴からお願いいたします。
須山 兵庫県立西宮高等学校音楽科を卒業し、現在、神戸女学院大学音楽学部の4年生です。
-講習会に参加されたのは、今回が初めてなんですよね?
須山 はい、初めてです。海外旅行としては、小さい頃に行ったことはあるようなのですが、記憶にないんです。写真を見て、ああこんなところに行ったんだな、という感じで。
-今回、参加されたきっかけは、学校でそういう制度があったからということですが。
須山 そうですね。今年から制度が始まって、こういう講習会に参加しませんか、という掲示を見て存在を知りました。そこに書いてあった講師陣の中に、以前から気になっていた先生のお名前を見つけたのも、大きな理由です。その先生にも教えていただきたいし、海外で講習を受けられるなら、と思い応募しました。
-その制度には、学内で選考試験などはあったのですか?
須山 はい、一応選考は成績だったようです。3年生の後期の成績が評価されたようです。
-素晴らしいですね。さて、講習会ですが、参加者はどのくらいの人数がいましたか?
須山 50人くらいだったと思います。実際、全員集まるという機会がなかったのでよくわからないのですが・・・。担当の先生によって、行事への関わり方が違いまして。たとえば、オープニングイベントなどに、「いってらっしゃい」って送り出してくれる先生もいれば、「僕たちは僕たちでやりましょう」みたいな先生もいらしたので。
-参加者は、どんな国籍の方が多かったですか?
須山 私たちのときは、日本人が本当に多かったです。ちらほら他の国の方はいらしたんですけど。
-ウィーンは、日本人には人気の場所ですし、日本の大学生のお休みの時期でしたもんね。
須山 そうですね。夏休みが始まる頃だったので、皆さんも行きやすかったんでしょうね。私は、二期に参加しましたけど、フルートの友達が五期で行ったときには、外国の方が多かったって言っていましたので、時期によっても違うみたいです。
-講習会のスケジュールは、先生ごとに個々で決まっていたんですか?
須山 はい。私の場合は、土日を除いて毎日レッスンしていただきました。本当に先生によって、大分スケジュールも違っていたみたいです。
-たくさんレッスンを受けられて良かったですね。
須山 本当にありがたかったです。時間としても、1時間から1時間半くらいで、それが毎日でしたから。
-先生はどんな方でしたか?
須山 本当に穏やかで親切な、まさに紳士という方でしたね。細かいところにまで気を使ってくださって、すごく丁寧に教えていただきました。
-レッスンではどんなことを教わりましたか?
須山 ペダルの使い方をよく教えていただいたのが印象に残っています。先生曰く、ウィーンスタイルという奏法があるそうで。そういうことをいろいろ教えていただきました。
-レッスンはドイツ語ですか?
須山 基本は英語でした。ただ、いろんな言語がしゃべれる先生なので。日本でも徳島文理大学の音楽学部長をされている方で、時々日本語も混じりましたし(笑)。
-練習はどこでされていたんですか?
須山 学校とホテルの練習室ですね。どちらも、2時間を上限として、予約して使う形です。私は、学校の練習室もホテルの練習室もどちらも使いました。
-それぞれの練習室で違いはありましたか?
須山 学校の練習室は、アップライトのピアノだったんです。ホテルは3部屋中2部屋がグランドピアノでした。私は、そのうち1つの部屋が気に入ったので、主にその部屋で弾いていました。
-レッスン以外の時間は何をしていましたか?
須山 コンサートに行ったり、観光したりしていました。美術館へ行ったり、ショッピングなどもしましたね。
-美術館はどうでしたか?
須山 やっぱり素晴らしかったです。美術博物館に行ったんですけど、本当にいたるところに作品が並んでいて、歴史を感じられる作品がたくさんあって、感動しましたね。有名な絵などもありましたから。
-ウィーンは、そういう芸術面は充実してますからね。
須山 ただ、ちょうどオペラをやっていない時期だったので、それが残念でしたけど。
-それは残念でしたね。コンサートは何のコンサートに行かれたんですか?
須山 ひとつは、観光客向けの弦楽四重奏だったんですが、歌やバレエもついていました。こじんまりとした所だったんですけど、素晴らしかったですよ。あとは、ウィーン国立音楽大学の先生が指揮されている、管弦楽団のコンサートに、私のピアノの先生に招待していただいて行きました。とてもいい思い出になりました。
-宿泊先はホテルだったと思うんですが、対応はいかがでしたか?
須山 すごく皆さん親切でした。しいて言えば、シーツなどを整えてくださるハウスキーピングの方が、日によって、すごい早いときがあって、思いっきり寝ているときに来てしまったこともありましたね(笑)。「Don't Disturb 」の札とかなかったので・・・。困ったことはそのくらいで、とても過ごしやすかったですよ。
-宿泊先と講習会場は、どうやって移動していたんですか?
須山 トラムで移動しました。不安だったんですけど、最初、詳しい方が連れて行ってくださったんです。おかげで、すぐ自分で乗れるようになったので、毎日使ってました。
-助けてくださる方もいたんですね。
須山 はい、とてもありがたかったです。宿泊先にも日本人の方が多かったですし。学校の先輩と、向こうでばったりお会いしたりもして、それも心強かったですね。
-食事は外食が多かったんですか?
須山 そうですね、友達と一緒に行きました。けっこうイタリアンレストランが多くて、入りやすかったのでよく行っていました。あとはカフェとかですね。値段としては、平均、10から15ユーロくらいだったと思います。
-日本と比べると、やや高いですよね。
須山 そうですね、量も多いんですけど。ただ、私の場合は、すごくお腹がすいていたので、たっぷり食べてましたから(笑)。レッスンだけでもお腹が空きますからね。
-皆さんも、疲れてたくさん食べるって聞きますよ。カフェではお菓子も食べられたんですか?
須山 はい。お昼とおやつを食べたり、夕飯とデザートを食べたり。それこそ、ザッハトルテとか、ケーキとか、思う存分食べてきました(笑)。あとは、ウィーンの郷土料理の、ヴィーナシュニッツェルも食べました。
-それはどういう料理なんですか?
須山 牛や豚のカツレツです。シュニッツェルセンターというのがホテルの近くにあって、そこにも通いました。ヴィーナシュニッツェルのファーストフードみたいなものなんですけど。
-どんなソースなんですか?
須山 ソースはかかってないですね。塩コショウで、すごくシンプルなんです。
-今後行かれる方にはぜひ食べてもらいたいですね。さて、日本人の方が多かったということですが、海外の人と交流することは少なかったんですか?
須山 お店の方とはお話しする程度でしたね。
-そのときに上手くコミュニケーションするコツはありますか?
須山 笑顔と挨拶ですね。ガイドブックにも書いてあったのですが、お店に入るときも、挨拶をするように心がけました。そうすると皆さんも笑顔で返してくれるので。
-特に困ったことやトラブルはありましたか?
須山 大きなトラブルは特になかったんです。ひとつ挙げれば、前日に大学の下見に行ったんですね。そのときは地下鉄を使ったんですけど、地下鉄からホテルに帰れなくなって・・・(笑)。友達も一緒だったんですが、どうしても分からなくなってしまって、近くの方に聞いて教えてもらったりして、なんとか無事にたどり着いたということがありました。
-現地の人も親切だったんですね。
須山 本当に親切でしたよ。片言の英語で話しかけたんですけど、すぐに英語で答えてくれましたし。
-英語は皆さん話せるんですね。
須山 はい。お店の方も英語で対応してくださいました。
-ドイツ語が話せるほうがベストだけれど、英語でも困らないんですね。
須山 はい、お店での会話ならそれでも。観光客の方も多いので、お店の方々は、日ごろから英語を話してらっしゃるんでしょうね。
-今回講習会に参加して良かったことは何ですか?
須山 もちろん、ウィーンの文化に触れることが出来たのも嬉しかったんですけど、講習会の中で、 ベーゼンドルファーザールで演奏する機会があるっていうのが、しおりに書いてあったので、そういう機会があったらいいなって思っていたんです。そうしたら運良く、そこで弾けることになりまして。私はベーゼンドルファーが好きなので、夢のような場所で演奏できて、とても感激しました。
-素晴らしいですね!今後の自信にもなりますね。では、日本とウィーンとで大きく違う点は何ですか?
須山 日が暮れるのが遅かったですね。9時くらいにやっと暗くなる感じで。日本でいるときの感覚からしたら、「あれ?もうこんな時間?」っていうのことがありました。
-電車などの交通が遅れたりとかはしなかったんですか?
須山 トラムは、バスみたいな感じで、少し遅れることはありましたけど、大幅な遅れはなかったですね。あとは、また食べ物の話ですが(笑)、料理を注文してから来るまでの時間が長かったです。日本だとクレームがつくくらいでしょうか、平均で30分は待ってましたね。ですから、コンサートに行く前などは、余裕を持ってご飯を食べに行ったほうがいいと思います。
-今後留学する人へ、何かアドバイスはありますか?
須山 私の場合は、西洋音楽の歴史がすごく遠いものだったんです。それが、作曲家のゆかりの地などを訪ねたりして、「こういう所からこういう音楽が生まれたんだな」って実感できて、身近に感じられるようになりました。想像以上のものを感じられたので、ぜひ、皆さんにも、実際足を運んでみてほしいなと思います。
-では、留学前にしっかりやっておいたほうがいいことはありますか?
須山 私の場合は、語学をもうちょっとやっておいたほうがよかったと思いました。片言の英語でも通じるのですが、ドイツ語も少しはやっておいたほうがいいと思います。メニューを見るときや、標識を読むときなども苦労しましたので。通りの名前も細かく書いてありますし、地図も見やすいので、最低限それが読める程度の語学力があればいいと思います。
-留学を経て、今後の進路は?
須山 今、大学4年生で、大学院に進学を希望しているのですが、試験が1ヵ月後なのでまだ分かりません。神戸女学院の大学院があるので。そのまま進めたらいいなと思っています。
-試験では何曲弾かれるんですか?
須山 4曲です。40分程度のプログラムを組まなくてはいけないんですよ。
-いつかまたウィーンにも行ってみたいですか?
須山 はい! すぐにでも行きたいです!
-今度は研究として留学されるのでしょうか、演奏家としてなのでしょうか。
須山 演奏家としてでしたら嬉しいですね。
-今後の活躍を期待しております。本日はありがとうございました。
簾田勝俊さん/フルート/ミステルバッハ国際夏期音楽マスタークラス/オーストリア・ミステルバッハ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
簾田勝俊さんプロフィール
プロフィール追加
2009年夏、ミステルバッハ国際夏期音楽マスタークラス において、カーリン・レーダ教授のコースを受講。
-まずは、現在までのご経歴を教えてください。
簾田 高校1年生のときにブラスバンドに入り、フルートを始めました。でも、進学校でしたから1年で辞めたんですけど。
-では、フルートは、ご趣味として練習を重ねてきたんですか?
簾田 いえ、それからずっと遠ざかっていまして。2年半前、57歳の時ですが、キヤノンという会社を辞めて独立し、会社を興したんです。それで、自由時間が出来たものですから、数十年ぶりに再開したというわけです。レッスンにも2年半前から通っています。
-では、講習会に参加されるのは全く初めてだったんですね?
簾田 はい。日本では、新日本フィルの方のレッスンなどを受けたりしたこともありましたが、海外は始めてです。
-これまでに海外に行かれたご経験は?
簾田 はい、仕事を含めてしょっちゅう行っています。
-どこが一番思い出深かったですか?
簾田 世界中ですからね(笑)。個人的には、北欧が好きですね。写真展でも北欧の写真が多いですよ。
-今回、このミステルバッハの講習会に行きたいと思った理由は何だったんですか?
簾田 仕事もあるので、スケジュールが合ったというのが一番の理由ですね。ニューヨークで写真展があったりしましたから、しょっちゅう行ったり来たりは出来ませんし。実は、モーツァルテウムも気になったのですが、オーディションがあるということだったので諦めました。落ちたらやだなと思って(笑)。ミステルバッハはオーディションがないですし、誰でもコンサートに出られるというところが魅力でしたね。
-講習会の参加者はどのくらいでしたか?
簾田 フルートだけで15人くらいです。
-どんな人が参加されていましたか?
簾田 ほとんど学生でしたね。一番若い子は、13歳でした。コンクールで優勝して、そのご褒美として参加していたみたいですけど、かなり上手かったですね(笑)。オーストリア人がほとんどでした。僕以外は、生徒も先生も顔見知りのようでしたね。先生が普段も教えている生徒もいたみたいです。僕は、世界各地から集まってくると思っていたので 、そこは予想と少し違っていました。それはそれで良かったですけど。
-アジアの方はいらっしゃらなかったんですか?
簾田 台湾の子が二人いましたけど、その子たちもオーストリアに留学している子たちでしたね。
-スケジュールはどんな感じでしたか?
簾田 8日間の中で、1時間のレッスンが5回くらいありました。夜はアンサンブルの練習をしましたし、かなり充実していましたね。先生たちのコンサートも含めて、コンサートは3日間ありました。
-先生はどんな方でしたか?
簾田 3人いたんですが、まずカーリン・レーダー先生というウィーンの音楽院の教授がメインで教えてくれました。そして、イタリアの大学で教えてらっしゃる方、もう一人はイスラエル出身のオーストリアの大学の先生でした。それぞれ個性的で面白かったですよ。
-皆さんフレンドリーでしたか?
簾田 そうですね、とてもフレンドリーでしたよ。僕が写真を撮るのを分かっていて、写真を撮ってほしい先生とかもいましたし。いい写真をたくさん撮れたのも良かったですよ。とても美しい生徒もいたから(笑)、レッスン中なんて、ものすごくいい絵になりますし。写真家としても、なかなかそういう機会には恵まれないですからね。
-ぜひ拝見したいです!
簾田 日本でも写真展やると思いますから、見てください。
-レッスンではどんなことを教わりましたか?
簾田 今やっている教わりたい曲を中心に教えてもらうのと、コンサート用のレッスンです。コンサートにおける心構えや姿勢、気持ちのもっていき方とかを教えてもらって、非常に勉強になりました。音楽は人に聴かせるものだっていう考え方とか、やはり違うなって思いました。日本では、練習することが重要なんだっていう考え方ですからね。国民性の違いもあるでしょうが、やはり音楽の国だなと思いましたね。僕も、もともと人前で演奏するのが好きだし、人に楽しんでほしいなという思いを持っていたので、合っていましたよ。日本のレッスンでは、オーケストラに所属している子や音大を卒業した子などもいますが、積極的に前に出て行くということは、あまりしませんからね。
-日本人の国民性でしょうかね。
簾田 「オーケストラに入っていても首席はやりたくない」とか言う人もいますよ。何でだろう?みたいな(笑)。僕は、下手でも首席やらせてくれないと面白くないって思うタイプだし、コンチェルトでも「ソロやらせてくれないかな」とか(笑)。今回の講習会でも再確認しましたが、音楽っていうのは、人を気持ち良くさせるというか、そういうのも重要な要素ですので、そのために練習するのが大事なんですね。
-良い勉強になったんですね。日本の曲を演奏されたそうですが、反応はいかがでしたか?
簾田 「春の海」ね。受けましたよ。コンサート後に、この譜面くれないかって言う先生もいました。日本にも聴かせる曲があるんだ、ということを見せられたのは非常に良かったです。「来年は、絶対モーツァルトのコンチェルトをやる」って言って帰ってきたんですけど(笑)。オーストリアですから、やはりモーツァルトもやりたかったんですよ。僕は、かぶれているわけじゃないですけど、ヨーロッパは美術や芸術の面で素晴らしいものがあると思っていますので、もっと知りたかったんですよね。
-やはり、聴かせる音楽という点では、日本とは違いましたか?
簾田 練習を聴いていても、日本とは根本的に違うなって思いました。あそこの雰囲気で聴くのもまた違いますしね。初日に、先生が弾いたのを聴いた時、ああやっぱり先生は違うなって思いましたけど、その後、生徒の音を聞いても、やっぱり音の流れが違うなって感じましたね。非常に心地良いんです。そういう心地良さが音楽の原点になっているのかなって思いました。音楽ではないですけど、僕の写真もそういうものが多いんですよ、静けさを感じるような心地良いものが。
-レッスンは、基本的にドイツ語だったんですか?
簾田 僕の個人レッスンは、ほとんど英語でしたね。他の生徒はドイツ語が多かったですけど。イタリアの先生は、英語のほうが得意だったので英語でしたが、基本的に二人の先生はドイツ語でしたね。
-言葉のほうは大丈夫だったんですね。
簾田 ええ、英語は。普段使っていますから。
-練習はどこででされていたんですか?
簾田 練習室は特になかったんです。自分の部屋がかなり広いのでそこでやったり、先生のレッスン室でやったりました。夏休みの間のドミトリーのような所でしたので、どこで吹いてもOKだったんです。
-自由で良かったですね。どのくらい練習しましたか?
簾田 僕はそんな長くないです、2時間くらいでしょうか。他の子は、朝から晩までやっていましたね。朝8時っていうと音が聞えてきましたから。
-レッスンや練習の時間以外は、何をされていましたか?
簾田 レッスン以外は、写真を撮っていました。僕は、オーストリアやドイツの田舎の風景が好きなので。非常にいい写真がたくさん撮れましたよ。歴史的な建築物がたくさんありますからね。
-街の様子はいかがでしたか?治安は良いほうですか?
簾田 オーストリアやドイツは、いろんなところに何十回と行っていますが、怖いことはないですね。ただ、若い女の子たちは分かりませんけど。ナイロビなんかに比べたら安全ですよ(笑)。オーストリアは夜9時にもなれば、レストランなども閉まってしまいますから。イタリアやギリシャは夜2時くらいまでは大騒ぎしてますけど。
-街の人の様子はどんな感じですか?
簾田 オーストリアやドイツは、基本的には真面目な人が多いですよ。日本みたいに繁華街が乱れているとかそういうのはないですね。そして、特にミステルバッハは田舎なので、夜にはほとんど人がいませんよ。スーパーなども6時には閉まってしまうような所ですから。ほとんど音楽しかやることがないっていう感じですね。
-音楽を集中して勉強したい人にはピッタリですね。
簾田 みんな音楽が好きですよね。参加者は小さい頃から音楽をやっている子ばっかりだから。僕くらいですよ(笑)。でも、行ってよかったと思います。まあ、海外にあまり行ったことのないような男性だったら、少しキツイかもしれませんが。孤独になっちゃうかもしれないから(笑)。僕は、音楽が好きな人なら、もっと来たらいいのにって思いますけど。
-どこかに遊びに行かれたりはしなかったんですか?
簾田 行きませんでしたね。その1週間くらいは音楽漬けでいたいと思ってましたから、良かったですよ。
-宿泊先は、寮だったんですね。
簾田 寮みたいな感じですね。いろいろな合宿の人も使うのでしょうか、ほとんど誰もいなかったです。ご飯も、簡単な朝食が出るくらいですから。
-管理人さんはいらっしゃらなかったんですか?
簾田 いなかったです。カーリン・レーダー先生と、彼女のご主人が中心になって面倒を見てくれたので、非常にこじんまりとした感じでしたよ。
-カーリンレーダー先生の対応はいかがでしたか?
簾田 非常に良かったですよ。ご主人も素晴らしい方でしたね。クラリネットとサックスの間みたいな楽器でアンサンブルに参加してくれたり。演出が好きな方で、野外コンサートのときのライティングなどは、素晴らしかったですよ。僕が持っていった写真データを使って、日本の曲のときは日本の写真を壁に投影したりして。観客はワインを飲みながら、それを聴くっていう雰囲気を作ってくれたりしました。夫妻が住んでいるところが車で10分くらいのところらしく、いろいろ世話を焼いてくれて楽しかったですよ。
-宿泊先から講習会場へは、どうやって移動していたんですか?
簾田 一緒の場所だったんです。コンサートだけがシティホールだったんですよ。
-ご飯は、どうされていたんですか?
簾田 朝はパンとハムとチーズ、あとは果物がちょっとある程度です。昼は、みんなでピザを取ってつまんだりという感じでした。夜は、アンサンブルの練習を毎晩6時から10時くらいまでやっていますから、その後みんなで飲みに行ったりしました。食べるものはソーセージくらいしかないんですけどね。質素そのものです。
-外食でも安く上がるんですね。
簾田 ええ。ミステルバッハには、日本のように何千円も何万円もするような食事をする場所はないですからね。まあ、千円も出せば腹いっぱいですよ。
-今回は、オーストリアの参加者が多かったということですが、海外の人と上手く付き合うコツはありますか?
簾田 僕は、写真の話がありますからね。相手も聞きたがりますし、僕はあまり苦労はしないですね。
-簾田さんは、積極的に話されるほうですか?
簾田 そうでもないですよ。向こうから必要なことを話しかけてきて、そこから話題になっていくという感じですかね。イタリア男みたいに、女の子に声を掛けまくるようなことはしないですよ(笑)。若い学生ばかりでしたが、ひとり中年の女性もいらして、その方も良く話しかけてきましたね。
-趣味的なものがあると、話しやすいんでしょうね。
簾田 そうですね。日本の中高年の男性で、留学される方はあまりいらっしゃらないでしょうけど。
-それがけっこういらっしゃるんですよ! ジャズピアノとかが割と多いですね。クラシックではバイオリンの方とかいらっしゃいますよ。
簾田 そうなんですか。フルートは全体的に女の子が多いですけどね。
-さて、留学中に何か困ったことはありましたか?
簾田 全然、何もなかったです。僕は何十回と行っていますが、ドイツ、オーストリア、フランスなどでは、今まで怖い思いをしたことは全くありません。今回も、ローマから飛行機が1時間半くらい遅れたんですけど、ドライバーが待っててくれましたし。真面目なお国柄だなと思いましたよ。
-今回講習会に参加して、良かったと思う点は何ですか?
簾田 それはもう、最後のコンサートですね。若い子たちが、みんなで親指を突き上げて、日本語で「良かった!良かった!」って言ってくれたことです。日本人ピアニストの渡辺さんから教わった言葉らしいんですけどね。アンコールではないのですが、演奏後、もう一回舞台に立って拍手を浴びたのが嬉しかったですね。
-それは素晴らしいですね!日本人が日本の曲を演奏したのも良かったのでしょうかね。
簾田 一番感激してくれたのは、オーストリアの大学から来ていた先生ですね。カーリン・レーダー先生が忙しくて来れない時、舞台のリハを見てくれたんですが、演奏後にハグをしてくれたりして。確かに、「春の海」をフルートで演奏するのとても良かったですよ。日本の誇る名曲だなって思います。
-現地の方は、日本の曲を聴く機会もなかなかないでしょうからね。
簾田 カーリン・レーダー先生が、「絶対受けるから、この曲を演奏しなさい」っておっしゃって。でも、日本の曲とはいえ、勉強になりましたよ。やはり人に聴かせる音楽としての教え方ですよね、楽譜どおりに弾きなさいというのではなく。そういう教わり方をしたことはなかったので、勉強になりました。
-教え方も国によって違うんですね。
簾田 やはり、あれだけのものを作り出す国ですものね。僕は、クラシックの専門家ではないですが、クラシック音楽って良く出来ているなって思いますよ。僕はずっと技術屋として、もの作りをしてきましたから、音楽も「どうしてこんなものが作れるんだろう」って、もの作りの観点からも感動してしまったんですよね。そういう面でも、行って感じられて良かったと思います。僕は、やはり感動から物事が始まるって思っていますから。
-ブログを拝見しても、良い経験をされたというのが伝わってきました。では、留学に参加してみて、自分が変わったなって思うことはありますか?
簾田 この年だから簡単には変わりませんが(笑)、先ほども言ったように、音楽に対する見方は変わりました。本質に近いものを感じられて良かったです。その環境にいないと聴こえない音っていうのもありますから。それと、音楽や絵画、写真でもそうですが、人に感動を与えることが大事だなって、今まで以上に感じました。ヨーロッパでは、どんな小さい街でも、コンサートをやっていますから、そういう感動に触れる機会が非常に多いでしょう。日本ではなかなかないですからね。
-音楽に対する姿勢は、日本とは違いますか?
簾田 ヨーロッパでは、音楽そのものを学ぶことが大事だっていうか、本質的なものを勉強する考え方ですが、日本は、ロビー活動が重要視されるような感じが、少なからずありますからね。
-では、今後留学する人へアドバイスをお願いします。
簾田 積極的に行ったほうがいいと思います。
-「行きたいけど行けない」って言っている人ほど、行ったほうがいいですよね。
簾田 僕は、長年小さいオーケストラに入っていますが、向こうのアンサンブルの指導を受けてみて、やはり全然違うなって思いましたからね。カーリン・レーダー先生のご主人を見てても思いました。アンサンブルのとらえ方や、体の使い方までも違いますから。今回、垣間見ただけですが、本気でやるんだったら、海外で勉強することはいいことだと思いますよ。
-では、簾田さんの今後の音楽活動について教えてください。
簾田 音楽でメシを食おうとは思っていませんけど(笑)、機会を作ってできるだけ演奏したいです。すぐ近くに信州国際音楽村っていうのがあって、そこの屋外の木の舞台に上がって、一人で演奏したりとかするんですが、観客が一人二人で手を叩いてくれるだけでも嬉しいですからね 。この前も外で吹いてたら、「おじさんすごいね、フルート吹いているの?」って声かけられたりして。田舎ですから、普段あまり聞く機会がないと思うんですよ。なので、ここで小さい子どもたちにフルートを教えたりもしたいとも思いますね。本当は、犬がいなければ、2年や3年ヨーロッパに行ってみたいんですけど。スロバキアの大学一年で卒業できるとかいうプランもあるようなので、そういうのいいかなって思うんですよ。1年くらいは音楽の専門の勉強をしたいなって思います。でも、犬がかわいそうですからね(笑)。
-せっかく見せる音楽を学ばれたので、演奏する機会がたくさんあるといいですね。
簾田 若い子たちは一生懸命音楽をやっていますけど、もっともっと人前で演奏するということをやったらいいと思いますよ。 ・・・あなたは音楽をやっていたんですか?
-私は中学、高校とピアノを専門で学んでいましたが、才能がなくって・・・。
簾田 そうですか。でも、若いときに、自分の才能の限界は決めちゃいけないって思いますよ。僕も昔は、才能が必要だと思っていたんですが、今は、目標意識を高く持つことだなって、そういう気がします。僕の場合は音楽専門でやってきたわけではないからかもしれませんが、「音楽も出来る」っていうのが、とても嬉しいんですよ。少しでもやっていて良かったなって思いますから。才能のある人っていうのは、必ずいるんでしょうけど、音楽って一生懸命やれば、誰でも人に感動を伝えられると思いますよ。
-なんだか、とても励まされました!今日は本当にありがとうございました。
霧生貴之さん/トランペット/イタリアフィルハーモニー管弦楽団/イタリア・ピアチェンツァ
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はイタリア・スイスでご活躍中のクラシックトランペット奏者・霧生貴之(キリュウタカユキ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「イタリアでクラシックトランペットプレーヤーとして活躍するには?」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年8月)。
ー霧生貴之さんプロフィールー
桐朋学園大学トランペット科卒業。G.二コリーニ国立音楽院卒業。チューリッヒ国立高等音楽院卒業。桐朋学園大学在学中から国内のオーケストラにエキストラとして出演。第5回カザルツァ・リグレ国際コンクール管楽器部門及び独奏部門総合1位、第10回リヴィエラ デッラ ヴェルシリア国内コンクール2位。イタリア音楽院在学中からピアチェンツァのイタリアフィルハーモニー管弦楽団で演奏するようになる。現在はミラノ・ジュゼッペ・ベルディ交響楽団、パルマ市立歌劇場オーケストラ、チューリッヒ交響楽団などのオーケストラで演奏する一方、ソロやアンサンブルなどでもイタリア・スイスを中心にヨーロッパで活躍中。今秋(2005年)より北イタリアを代表する金管五重奏団Golliwogg Brass Quintettoメンバー。現在最も有望なクラシックトランペット奏者である。
ー 音楽に興味をもったきっかけは?
家は音楽家の家庭で、母がピアニストで父もトランペット奏者だったものですから、僕の場合は母がトランペットをやらせたかったというのがありますね。僕も周りの環境で音楽家になるんだと小さい頃から自然に思うようになりました。だからすごく必死にやるとかそういうのはなかったですけど、英才教育で天才少年とかいうのでも全然なかったんですけど、小さい頃からなんとなく、いずれ音楽家になるんだろうな、と思いながら育っていましたね。僕は一番最初にトランペットという楽器を手に持って試したって言う記憶がないんです。気がついたら楽器が家に転がっていて、気がついたら吹いていたという感じですよね。だから最初吹くのが大変とかそういう記憶もないんです。
ー 最初からクラシックだったんですか?
父親がクラシックのトランペットプレーヤーだったので、ジャズなどは個人的には好きですけど、僕は一度もそちらの方に関心を持ったり、プロフェッショナルとして興味を持ったことはないですね。ピアノなんかもわりと小さい頃から始めましたけど、それはもう音楽大学に入るためにピアノをやっておかないといけないからという事でやっていたような感じでした。あんまりまじめにやってませんでしたけど(笑)。
ー 日本の大学にいかれたんですか?
最初日本の音楽高校、桐朋学園に入って、大学まで卒業しました。その後、大学の先生がドイツで勉強をしていたので、その影響を受けて留学するつもりでドイツのほうに行きました。でもコネクションがなかったので、僕の興味のあった人が、来日したときに楽屋に駆けつけてあなたの元で勉強したいんですけど、と言ったら、じゃあとにかく住所を渡すから、演奏のテープを送ってくださいと言われてました。それで、演奏テープを送った後に連絡を取り合っていたんですけど、ドイツのカールスルーエというところで、入学試験を受けたんですけど、受からなかったんです(笑)。
ー なにか受かりやすいとかあるんですか?
今言いますと、そのドイツのカールスルーエというのは多分ドイツの中でも一番入るのが難しいと思うんですよ、トランペットのクラスになると。本当にドイツで一番有名な学校で、僕はそのときまだそこまで難しいものだというのは理解していなかったんですけど、まあ、自分が好きだというのの一心で行ったんです。その人に師事したかったので。その後、日本に帰ってきたんですけど、親と喧嘩をして僕は家を出ることになったんです。大学在学中からフリーランスで日本のプロフェッショナルのオーケストラのエキストラの仕事や、他の仕事はあったので、一人暮らしをしながら生活を続けていたんです。ただ僕にとっては留学というのは僕にとっては必要なことで、親とは喧嘩はしましたけど、親も僕もその点については意見は同じだったので、1年半ぐらいたって、親が「そろそろもし留学をしたいんだったら、もう一回チャンスをやろう」という話になりました。それで、もう一度何とか勉強できるところを探そうということになりました。
ー すでにプロでやっているのに再度留学したいと思ったのはなぜですか?
僕の場合、トランペットを吹くという点で根本的に問題があって、それがどうしても日本では解決できなかったんですね。音を出すということに問題があったんです。日本では、いままで勉強したやり方で何とか仕事はこなしてましたけど、そのやり方では何年も伸びてなくて、限界があったんですよ。トランペットの奏法って言うのはいろんな方法があるわけです。簡単に言えば正しい吹き方をしていれば伸びますけど、どこかに問題あるわけですよ。それを修正するためには一度やりなおさないといけない。仕事をしながらというのは難しいですね。仕事での失敗は許されませんから、必然的に今までやった奏法のほうが安全なわけです、リミットがあったとしても。仕事をするためにはある程度吹ければ良いですけど、自分の音楽性をもっと伸ばそうとしたらそれ以上のものを要求しますので、そこの壁にあたっていたのですね。
ー 仕事では挑戦ができないということですよね。
そうですね。いい奏法に挑戦するというコンディションは日本で仕事をしながら作れなかったわけです。それが一つの理由であるのと、母親が音楽家でやっぱり留学をしていましたから、ヨーロッパに来ることが、音楽家として勉強にもなるし、欠かせないのでは、と言うことでした。
ー 実際留学しようとしたときはどこに決められたんですか?
そのときはまだちゃんと決めていなくて、まずは先生探しの旅行をしました。旅行にあたって、何人かの人を訪ねて、ドイツのトロッシンゲンの音楽大学の先生とコンタクトが取れて、そこに夏に来てもいいよということになったんですね。その後に人生を大きく変える出来事がありまして、母親が教えている音楽学校がイタリアのピアチェンツァという町の音楽学校と交流を結んだのです。母親がその音楽学校の校長先生がいらしたときに会食をする機会がありまして、ある日突然母親から「イタリアのコンサルバトーリオ(音楽院)に校長先生を知っているんだけど、イタリアというのはどうなの?行ってみたらどう?」といわれたんですね。その時点で僕にとって留学のスポンサーは母親です。ここで「いや、でもイタリアっていうのは知らないし、いいよ」と言って、機嫌を損ねるとまたこの話がおじゃんになるかも、というのが頭を掠めたんですよ。そこで「うん、わかった。じゃあとりあえず行ってみようか」と思わず言ってしまったんです(笑)。そういうことってないですか(笑)?子供は子供でプロジェクトを立ててるけど、でも、そういうときに限って親が全然違うプロジェクトを持ってくる。日常でもたくさんあると思うんです。それで、ドイツに行く前にイタリアに行くということになったんです。ここでもすごく不思議なケースだと思うんですけど、その校長先生に連絡をとって、音楽院にいい先生はいらっしゃいますか?と聞いたら一人先生を紹介してくれたんですね。その先生にコンタクトとったら、その先生というのが自分で金管アンサンブル(トランペット、トロンボーン、ホルンとチューバ)を自分で持っていて、自分で演奏会を企画したりして、すごくアクティブに活動している方だったんですね。それで、何月に来るんだといことで、8月の何日と何日、9月の何日と10月にはベルギーで演奏旅行があるので、今トランペットが足りない状況だから、是非それに出て欲しいと突然いわれたんですね。一回プロフィールみたいなのは送りましたけど、僕はそれまで演奏テープを出してもいなかったので当然驚きます。ただイタリアなので、どこまで本当か分からないけど、行ってみる価値はあるんじゃないかと。あんまりひどいようだったら、イタリアに絶対いなきゃいけないわけではないし、ピザでも食べて、オペラでもみて、また移動すればいいだけの話だ、ぐらいに思っていたんです。
ー 実際に行かれたんですよね?
ええ。そうしたら、逆にとても興味深くて、最初のうちは演奏会とかありましたけど、やっぱり時間がとても自由でリフレッシュする時間がすごくありましたね。イタリアはある意味何もないので、頭の中を真っ白にして、もう一回立て直すというか、僕にとってもそういう時間がとても必要だったんですね。
ー イタリアは良かったんですか?
そうですね。とりあえず僕にとっては良かったですね。この状況を続けることは悪いことではないな、と。すごく将来のことが見えていたわけではないんですけど、今のコンディションがすごくいいので、続けることは悪いことではないなと。その間にいい友人にたくさん出会ったりしましたし、イタリア人の友人と出会って、すごく助けていただきました。僕の先生にあたる人が、面倒見てくれよということで少し英語の話せる人を何人か紹介して頂いたんです。今の一番親しい友人になっていますけど。
ー 最初にかなり多くの人に助けていただいたんですね。
日本人の方は全く知り合いがいなくて、一人イタリアに長く住んでらっしゃる方がいて、コンタクトを取るときにいくつか手伝っていただいた程度で、後はほとんどイタリア人の方に助けて頂きました。ピアチェンツァの街には日本人がほとんどいなかったので、周りのイタリア人たちも初めての経験なわけですよ、外国人を助けるというのは。
ー 珍しかったんですか?
そうですね。しかもトランペットというのは僕もイタリアに長く留学していますけど、まず聞きませんから。
ー 通常トランペットというのはドイツが多いのですか?
間単に言いますと、オーストリア、ドイツ、フランス、アメリカですね。いろんな派があって、メソッドがありますので、日本でどんな先生についていたかとか、どういう影響を受けたかによっても変わってきます。だからイタリアというのは非常に珍しいですね。イタリアのコンサルバトーリオは4月に入学願書を出して、試験が6-7月ないし9月にあるんです。僕は8月に来ているので当然入学願書も出してないし、入れなかったので、一年待つことになったんです。ただそこで、校長先生が許可を出してくれました。聴講生システムというのはイタリアのコンサルバトーリオではありえないんですけど、校長先生の許可というレベルで、授業やレッスン、その他の全てのものに参加する許可を出してくれたんです。次の年に入学するという条件の下に。ただ。ここでちょっとしたハプニングがありました。一年間待って準備した入学試験の日にその頃仕事をしていたウディネフィルハーモニー管弦楽団の仕事と重なってしまったんです。ウディネはピアチェンツァから400キロ以上離れています。それを先生に話したら“しょうがないな、何とかしてみるよ”と言ってくださってなんと無試験で入学させていただきました。(笑)
ー 結構とんとん拍子に進んでいますね?
そうですね。ただ警察のことで大変だったりしました。僕はツーリストビザでイタリアに入国していたので、滞在していい期間が3ヶ月なんです。それで警察にもう3ヶ月イタリア人からの招待があったので、伸ばしたいという事を申告しようと思ったんです。それをやるのに、ピアチェンツァから朝4時半の電車に乗って、6時から8時半に警察の門の前に並んで中で再び並び終わるのが12時、イタリア語もほとんどわからない状況で、それを3回やる羽目になったんです(笑)。蓋をあけてみると、やらなくても良かったんじゃないかという気もしますが、あの時点で不法滞在になる可能性を考えるとやるしかなかったんですよね。
ー その後音楽院に入られて、どのくらい通われていたんですか?
イタリアの音楽学校というのは科目によって通う年数が違ってくるんです。イタリアの音楽学校は音楽大学ではなくて、音楽院なので、ピアノだったら10年、ヴァイオリンだったっら8年という年月を勉強しないといけないんですが、飛び級ができるんですね。トランペットに関しては5年ですね。歌は6年かな。でもそれはどういうことかというと、学校入学時に楽器が演奏できる状態じゃない人も入るわけです。逆に言えば5年でトランペットが吹けるようになって、卒業しないといけないんですね。
ー 最初に演奏できない方も来ているてわけですね?
イタリアのシステムでそこに問題があることもありますが、そこで天才的に伸びる人も中にはいますよね。
ー 人によって、年数は違うということですね。
そういうことですね。僕は結局長くいたいということで、3年で卒業したのかな。(トランペットのコースは)5年のところを3年で卒業しましたね。
ー その後卒業されてオーケストラに入ろうということだったんでしょうか?
98年の11月から今のオーケストラの仕事をいただくようになりました。ドイツなど場合は、システムがイタリアに比べてすごくしっかりしているんですね。どんな街にもオーケストラがあって、まあ就職先ということになると思うのですが、給料がもらえて、そこに就職したら、生活ができるということになります。でも、イタリアはそういうシステムがほとんどないに等しいんですよ。ピアチェンツァのオーケストラに所属してますが、毎月の給料としてはもらえないんですね。要するに歩合制ということです。もちろんオーケストラのメンバーなので、何か用事があって演奏ができないときは自分がこの日はいけませんと事務局に言いに行かなくてはいけなんです。すごく簡単にいうとフリーランスに近いので学生でも実力があれば可能なんですね。
ー オーケストラの仕事を取るためにどういうアクションを起こしたんですか?
団長というか、一番偉い人が、ピアチェンツァのファゴット科の教授をしていました。彼はオーケストラの中ではもう演奏はしていないんですけど、オ−ガナイズをしていて、彼のコンセプトの中にでピアチェンツァ出身の人で集めるオーケストラというのがあって、ピアチェンツァのコンサルバトーリオの中でめぼしい人がいると、必ずチャンスを与えてくれるんですね。たまたますぐにチャンスがあったわけではなかったので、あなたのオーケストラで仕事をしたいのですがオーディションの機会はないですか、と自分からインフォメーションをしました。彼はオーディションはないけれど君がいることは知っているから、電話番号を残してくれれば、もしかしたら機会があるかもしれないと言われたんです。しばらくそのままだったんですけど、チャンスがあったとき話を下さったんです。
ー 実際に日本とか他の国のオーケストラでの仕事を考えたりはしますか?
もちろん世の中何があるか分からないですから日本の事は常には考えていますが、現実的に日本に今すぐ帰るかというと難しいですね。実際今ピアチェンツァのオーケストラで仕事をしていますけど、他のもたくさんのオーケストラで仕事をしてるんです。有名なオーケストラだとミラノ・ジュゼッペ・ベルディ交響楽団からよく仕事を頂きますね。この間お辞めになったのですが、リカルド・シャイーが指揮をしていた楽団です。97年の11月に新国立歌劇場のこけら落としで、ワーグナーのローエングリーというオペラをやったときに1ヶ月エキストラでオーケストラに戻ったんですが、それを機に日本に帰らなくなってしまいました。97年から今まで(2005年8月)、唯一帰ったのは2003年10月にベルディ交響楽団日本ツアーがあったときに連れて行ってもらっただけですね。
ー 日本よりイタリアの方がやりやすいというのがあるんですか?
良く分からないですが、仕事でもコンクールでも自分で取るものではないと思うんです。コンクールに勝つ、と言いますが、頑張ったから勝ったわけではないと思うんです。自分の意思ではなくて他の人があなたが勝ったんだよ、って言うわけですよね。仕事だって、あなたに仕事頼みますよ、って他の人が言うわけです。結局普通に生活している状態で、もちろんただ家で練習していたら、電話がかかってくるという単純な問題ではないですけど、そういう部分があると思うのです。結果として僕にはイタリアにいれば仕事は確実にありますから、今日本に帰るよりも確実にイタリアにいるほうが仕事があるわけですね。
ー イタリアのオーケストラに外国人はかなりいるのしょうか?
イタリアの場合、外国人の多いオーケストラと、イタリア人ばかりのオーケストラとに分かれます。外国人がオーガナイズしているオーケストラもあるわけです。これは変り種なんですが、ある時期ミラノにたくさんのロシア人の人が来る時期がありました。そういう人たちが地元に根をつけていくと、ロシア人で演奏会を企画するようになって、彼らの所に直接仕事が来るようになります。僕がそのようなオーケストラに行った時はイタリア人の優秀なバイオリン奏者が一番後ろの方にいて、コンサートマスターとか、チェロのトップの人などの主要な人は全員ロシア人で、練習中もみんなロシア語という感じでした(笑)。イタリア人もここは一体どこなんだという感じで、その中ではおとなしくしているしかないですよね(笑)。
ー そういう風にいろんな国の人と演奏してきてイタリア人に一番影響を受けたことはどのようなことですか?
一番大事なことは、どのようなスタイルで演奏するかという事です。キャラクターが演奏する作品にあっているかどうかということが彼ら(イタリアのオーケストラ)にとって一番最初にくることなんです。一番最初に来るのが、音程でもリズムでもないのです。僕たちがやっているのは音楽です。ということは、どういう音楽を演奏するかというところから始まるわけです。楽譜に書いてあることを正しく演奏するというところから入るのではなくて、どういうキャラクターの音楽をこれから演奏するのかというところから入るんです。
ー 日本の場合はどうでしたか?
日本は楽譜に書いてあるとおり正確にという感じですね。正確というのはメトロノームがいくつ、シャープがいくつ、十六分音符があったらそのとおりの音をとります。でもそうじゃなくて、どういう音楽だからこの十六分音符を詰まらせなきゃいけないとか、そういうところから判断するわけです。
ー みんなでディスカッションするのですか?
まあ、それをまとめるために指揮者がいるのですが。でも、そのオーケストラの癖もありますし、ベルディはみんながうるさくなります。特に僕の住んでいる所からベルディが生まれた所が近いのということもあると思います。パルマでの仕事もありますが、パルマはほんとにベルディにうるさいですね。パルマのベルディは、ウィーンでいうウィンナワルツみたいなものですから。
ー 日本にいる時とイタリアにいる時と大きく違うのは気持ちの部分から入るということですか?
基本的にいろんなことが違いますけが、仕事をしていて一番違うなと思うのは、日本のオーケストラは練習の1回目の時がものすごく良いんです。そのあとに指揮者がいろいろ言い出すとだんだん悪くなっていく(笑)。要するにみんなが集中して完璧を目指した時が一番良くできるわけです。それが何回も繰り返していくうちにだんだん新鮮味がなくなっていくというのでしょうか。イタリア人は初日の演奏は本当にひどいですよ。1回目にうまくいかなかった人が2回目も同じように悪かったりしますから。音を間違えてメージャーの和音のところを1回目にモールで吹いて、2回目もまたモールで間違えることもあります。その代わり 1日目から2日目へ行くときに全然良くなりますし本番の時に一番良くなるようにみんなもって行きます。
ー やっぱりそこを目指して山が上がっていくという感じですか?
それは意識的なものではないと思います。彼らがそこまで意識的に考えているとはとても考えられません(笑)。やっぱり音楽を演奏するというのはとてもエネルギーのいる作業です。それは本番で出すもので、練習のときはあまり出さないものなのでしょうね。自分が演奏するという段階と練習しているという段階との意識の違いだと思います。
ー 音楽活動をしていく上でこだわりを持っていることはどのような事ですか?
一番大事なのは、音楽に対してどういうコンセプトを持ってやっているかということが自分の頭の中でクリアかどうかだと思います。バロックをやるときはバロック、ロマンティックをやるときはロマンティック、モダン音楽の時はモダン音楽のようにそれぞれどういうものが必要かということです。例えば、ウィーンの音楽をウィーン風にウィーンの人たちが納得するように演奏することができるかどうか分からないのですが、そういうことではなく自分の中でウィーンの音楽はこういうコンセプトなんじゃないかということが自分の頭の中にそれがあることが重要ではないかと思います。 霧生貴之さんトランペット奏者
ー 音楽活動しているときに最も興奮することがどういうことでしょうか?
オペラが好きなのでいい歌手と演奏しているときで、特にイタリアオペラの盛り上がるときは興奮しますね。オーケストラの中でトランペットを演奏しない時間もたくさんあるので、そんなときはピットの中にいならがものすごい興奮してますね(笑)。聞き入っています(笑)。
ー お客さんの拍手はそんなに影響はないですか?
オペラなどのピットにいる状態というのは、あまり影響はないですね。
音楽家として僕はこういうふうに考えているんです。オーケストラももちろんやっているのですが、トランペットとオルガンや金管五重奏などのソロや室内楽の活動を行うときが結構あります。音楽家としての演奏活動というのはそういう所でやる音楽なんです。オーケストラというのは、プロフェッショナルなものだと思うんです。仕事なわけです。オーケストラで演奏する事に対して思い入れがありすぎると、破綻がくることがたくさんあるんです。例えば、指揮者の要求と自分の好みがあわなかったり、同僚がよく吹けなかったり、いろんな場合があります。自分の調子が悪いとか、そんな場合に破綻がくるんです。
ー オーケストラの場合は一人でやるものではないですからね。
そうですね。オーケストラというのは本当に会社と一緒だと思います。役割があってそれをいかにちゃんとこなせるかということです。一番重要なのはオーケストラでは他の人達と同じ感じ方が出来ているかということだと思います。自分がうまく演奏できたかどうかというはそんなに重要ではないんです。全体的なものなのでそれがうまくはまっているかどうかということだと思うんです。全員が同じように感じれなかったらオーケストラはうまく機能しないと思います。
ー やっていて面白いのは、オーケストラというものはないんですね?
やはり留学などをして何を勉強しているかというのは、オーケストラではなくてソロのレパートリーに対しての音楽的解釈を高めるとか自分の新しいレパートリーを広げていくとか、新しいジャンルの新しいスタイルを身につけるとか、そういうことを僕はやりたかったんですね。ソロやグループの時は音楽的なディスカッションができるんです。オーケストラというのは時間も限られているし、人数もたくさんいますからそう簡単に自分の意見を言うべき場所でもないと思うんです。そういうことをまとめるのが指揮者の仕事ですから。もちろんパートをまとめるに当たって言わなければならないこともたくさんありますけど。
ー 霧生さんにとってクラシックや音楽とは何でしょうか?
トランペットを演奏して音楽を感じて音楽を楽しめるということは、自分の人生の中で「生きる」ということの一つだと思います。「生きる」というエネルギーの中に含まれる一つのパーツだと思います。これが全てではないですけれどもね。
ー 将来の夢というのを聞かせていただけますか?
夢というのは難しいですよね。僕はあまり夢というふうには考えたことないんです。どうしてかというとまず最初はここ半年、数年やらなくてはいけないプロジェクトがありますよね。そういうことを考えるという事が僕が夢を考えるという事と繋がります。夢というのは動かないものではないわけです。ある場所にいるときに、その方向で一番遠くにいけるのはどこかなって考えるのです。そして一番のびそうなところを伸ばしていきます。だからその場その場によって変わってくるわけです。そこに行った時にどうするかということが大切だと思うのですね。僕にとって一つの所を目指してそこに行くというのはかえって進むのが難しいことになるんじゃないかと思います。夢というものは物事を固定してしまうのでは、そのような固定するという観念が僕にはなんじゃないかと思うんです。
ー なるほど。遠くに何かを持って進むというのではなく、今この場で一番遠くに飛べる場所をたえず選んでいるということなんですね?
そうですね。それが僕にとって音楽活動をするにあたって現実的なことなんです。自分にとって自分が満足できることが夢の最終的なコンセプトではないのかなと思います。夢はなんのために持つのかというと夢に到達できたら幸せになれるとることや満足できるということなわけですよね。ということは何が夢かということではなくて、自分がその活動によって満足できるかということだと思うんです。
ー 海外でミュージシャンとして活躍する成功する条件というのは何かあるとお考えですか?
海外かどうかは分からないんですが、音楽家というのは人間的に成熟していない方が多いのではと思うのです。僕が言いたいのは、音楽家も社会人じゃないですか。音楽家だろうが画家だろうが警察官だろうがペンキ塗りだろうが社会人なわけです。ペンキ塗りだから社会性がなくていいというわけではないわけです。社会人であれるということがやはり仕事に繋がると思います。音楽家は、すごい欠けてるわけではもちろんないのですが、いろんな小さな所でどこかが抜けているということはあると思います。それぞれ抜け加減が違うのです(笑)。演奏活動をするということですが、音楽的演奏の追求とは全く違います。演奏会というのは企画しないといけないわけです。エージェンシーが常時ついてくれるわけでもなければ自分がそこに行って演奏だけすればいいわけではないんです。そうなったときに他の仕事の事も自分でできないと仕方ないです。誰もやってくれませんから。例えば伴奏する方を探して呼ばなくてはいけません。それでどういう人がいいかという時に、いい演奏家でもその日にくるかどうか分からない人を呼ぶんだったらきちんと来てくれる人を呼びたいわけです(笑)。来ない人と言ってしまうと語弊がありますけど。まあ、実際には、来ない人もいると思いますけど、本当に来ない人というのはあんまりいないですよね。仕事に関するディスカッションにしても自分が思ったことをいつも正直に言うということも都合が悪い場合がたくさんあるわけです。自分が思っていることを言ってはいけないという意味ではなくその時に必要な事をみつけてきちんと言えなくてはいけないと思います。仕事をとるために、仕事をくださいとあちこちで言えとは全然思わないのですが、自分に仕事を下さったときにその仕事はできますよという回答ができて、この人に仕事を頼んだらこの人は仕事ができそうだな、と相手に思わせることが必要だと思います。やはり人と人とはコミュニケーション、話すということでしますからね。ヨーロッパは特にそういう社会人であるということは厳しいのではないかと思います。イタリアで学校を卒業したあとスイスのチューリッヒにある高等音楽院に3年間勉強しに行ったんですね。現在もスイスにも仕事でよく行きます。その時に思うことは、イタリアとスイスはどちらも社会のルールが違います。そういうのを敏感に感じるとれるということは非常に大事だと思います。
ー 海外で留学したいという方にアドバイスはありますか?
留学した人をたくさん見ましたけれど、留学すること自体は大いに結構だと思います。しかし、勉強するのは自分ということを忘れないで欲しいと思います。それは、どんなにいい先生でも、どんなに悪い先生でも結局やるのは自分なんです。先生達がうまくしてくれるのではなく、先生達はよくなるアイディアはくれるかもしれないですが、自分がどうやってやるかということをまず見つけることが大切だと思います。それが分からなければどこにいても何をやっても空回りしてしまうと思います。大事なのは自分がみつかっていればその先はどんどん見えてくるのではないかなと思います。留学ということに関しても留学をしないということを選択した時でもそうじゃないかなと思います。
ー 単純に音楽は留学したほうがいいとお考えですか?
それは非常に難しいです。日本で何をやっているのかもありますしね。ただ僕が一つ言えるのはせっかく生きているのですから、地球があるのだったら、地球のいろんな場所に行ってみることは人生経験として悪いことではないんじゃないかなと思います。もちろん人生経験が豊かでなくていいという人がいるかもしれませんが(笑)、いろんな所にいくのは簡単で非常にいろんな経験ができることではないかなと思います、単純に。
ー 今後の演奏活動を聞かせてください。
8月はバカンスになるのですが、8月の後半から演奏会がクレモナの教会であります。金管五重奏もあります。9月・10月はオペレッタの演奏がスイスであります。その間に室内楽の演奏会がいくつか入っていますね。イタリアはスケジュールが入ってくるのが遅いので、今の段階だとまだ早いのです(注:インタビューは2005年8月1日に行われました)。オペレッタはスイスの仕事だから早いのですけどね(笑)。例えば、4月に友達から電話のメール(SMS)が来ました。11月30日と12月3日と5日空いていないか、教えて欲しいと言われたんですね。ああ、メッセージが来たなと思っていたら15分後に、またメールが来て、できれば今すぐ知りたいんだけど、と言われましたよ(笑)。
ー 本当にお国柄ってありますね(笑)。イタリアはそんなことないでしょうね(笑)。
そうですね。イタリアのスケジュールはまだだからよく分からないんです(笑)