柴田昌宜さん/指揮/モーツァルテウム音楽大学夏期国際音楽アカデミー/オーストリア・ザルツブルグ

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

受講生と:最終日の演奏会前に受講生全員で
受講生と:最終日の演奏会前に受講生全員で

柴田昌宜さんプロフィール
大阪音楽大学卒業(トランペット専攻)同大学専攻科修了(指揮専攻)。2003年陸上自衛隊に一般幹部候補生(指揮者)として入隊。中央音楽隊に配属され全国音楽隊員に対する教育を担当する。2005年より東部方面音楽隊音楽班長を務め、国家的な式典や各種の演奏会を指揮する。この間モーツァルテウム音楽大学夏期国際音楽アカデミーに参加してディプロマを取得。2007年8月、第1混成団音楽隊隊長(那覇)に着任し、沖縄県下全域において演奏活動の任に当たっている。


―  現在までの略歴を教えて下さい。

柴田 大阪音大にトランペット専攻で入りました。その後、専攻科の指揮専攻に進み、卒業後、陸上自衛隊に指揮者として入隊しました。中央音楽隊から東部方面音楽隊を経て、ザルツブルグの講習会から帰国後の8月から沖縄の第一混成団音楽隊隊長として、沖縄に赴任しています。

―  この講習会に参加されたきっかけを教えてください。

柴田 もともと、海外のマスタークラスに参加してみたいという希望がありまして、色々と探してはいたのです。以前から、モーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミーか、ウィーン国立音大の講習会に行ってみたかったのですが、今年8月に転勤することが決まりまして、7月中に参加できるものをと探したら、モーツァルテウムが時期的に合っていました。

―  どのような理由で今回の講習会をお選びになったのですか?

柴田 やはりオーストリアということと、先生ですね。

―  先生は以前からご存知だったのですか?

柴田 ペーター・ギュルケという有名な指揮者で、ベートーベンのシンフォニーなどを校訂している人です。ペーター・ギュルケ版というのが出ているくらい、すごい権威者なので、是非にとは思っていました。
 

本番前日のレッスン風景:アフリカからの参加者が神がかり的な演奏をしました。
本番前日のレッスン風景:アフリカからの参加者が神がかり的な演奏をしました。

―  レッスンの雰囲気はいかがでしたか?

柴田 かなり丁寧でした。日本人みたいでした。本当に基礎から細かく教えていただけました。

―  振り方に関することもありましたか?

柴田 そうですね、振り方に関することもありましたし、音楽的な作り方に関することもかなり緻密に指導されました。

―  特に印象に残っている事などありますか?

柴田 1番衝撃だったのは、「振りすぎだ」と言われたことでした。こちらからしたら、全部に指示を出して、丁寧に振っているつもりだったのですが、先生は、「これでは音楽の流れを止めてしまう」と言われました。

―  それを受けて何か自分の中で変わられたことはあります?

柴田 そうですね、もちろん、音楽の流れを重視するようになりました。

―  レッスンは何語で受講されましたか?

柴田 オーケストラがドイツ・カンマー・アカデミーというオケでしたので、先生はドイツ語と英語を使い分けてらっしゃいました。僕に対しては英語で指導してくださいました。

―  事前に語学の勉強はされていかれましたか?

柴田 いえ、まったくして行きませんでした。

―  英語がお得意なのですか?

柴田 得意というほどではありませんが、まったく分からないということもありません。
 

学校のロビー:優秀者演奏会が終わった
学校のロビー:優秀者演奏会が終わった

―  先生と言葉が噛み合わなくて不便に感じるところはありませんでしたか?

柴田 やはり伝わりにくいことはありました。これはたまたまなのですが、オーケストラのヴィオラ奏者に日本の方がいらっしゃったんですよ。それで、分かりにくい時はその方が間に入ってくれました。

―  レッスンは何時くらいから始まりましたか?

柴田 だいたい朝の10時くらいから、休憩が途中1時間半から2時間くらいあって、5時くらいまで毎日やっていましたね。

―  レッスンはどういう形ですか?

柴田 受講生は僕を含めて全部で6人でした。最初の1日はピアニストが2人入って先生とレッスンを行いました。2日目からは、オーケストラが3,40名くらい入って、あとは先生と受講生という感じでレッスンが行われました。

―  その中で指導してもらう受講生が入れ替わるのですか?

柴田 人によって時間は多かったり、少なかったりしたのですが、僕はかなり多かったですね。午前と午後30分ずつくらいは振らせてもらいました。

―  それは期待されていた、ということでしょうか?

柴田 どうでしょう(笑)。まぁ、何かあったかもしれないですけれど。課題曲にストラヴィンスキーの「ダンバートン・オクス」があって、僕はよく振らせてもらいましたが、受講生のなかにはまったく指揮をさせてもらえない人もいました。曲によって受講生を振り分けていたみたいです。簡単な曲しか、させてもらえない人もいました。

―  生徒さんのレベルによって曲を分けていたということでしょうか。

柴田 かもしれないですね。
 

レッスン風景:イタリア人のレッスン風景(モーツァルトのピアノ協奏曲)受講生は、自分のビデオを持参して、自分の指揮を確認しています。
レッスン風景:イタリア人のレッスン風景(モーツァルトのピアノ協奏曲)受講生は、自分のビデオを持参して、自分の指揮を確認しています。

―  受講生の中に日本人はいましたか?

柴田 いませんでした。僕の他は全部西洋人で、イタリアから2人と、オランダ、オーストリア、南アフリカから一人ずつ来ていました。

―  通訳はつけましたか?

柴田 手続きの時は通訳がいましたが、レッスンには入ってもらっていません。

―  手続きの時の通訳はいかがでしたか?

柴田 とてもよくしてもらいました。

―  練習はどのくらいできましたか?

柴田 指揮は練習というのがほとんどできないですから、宿泊先に帰って楽譜をずっと見ているような状況ですね。結構毎日のチェックが大変でした。復習ですね。次の日、今日教えてもらったことを踏まえてオーケストラを目の前にして振らないといけないので、勉強はかなりしました。

―  それでは、レッスン以外の時間はほとんどを勉強に費やしていたのですか?

柴田 レッスンが終わったあとはオーケストラのメンバーや、ほかの受講者と食事に行ったりしましたので、勉強は朝5時に起きてやっていました。

―  交流を深められたのですね。

柴田 そうですね、他のコースと比べても交流はあったほうだと思います。
 

祝祭劇場:ザルツブルク音楽祭の主会場
祝祭劇場:ザルツブルク音楽祭の主会場

―  受講生によるコンサートは出演されましたか?

柴田 僕は一週間しかいなかったので最終日になったのですが、6人全員指揮をしました。ただ、曲の難易度だったり、長さはそれぞれ違っていて、だいたい順当な感じでした。

―  柴田さんは、どんな曲を振ったのですか?

柴田 僕はストラヴィンスキーをふらせてもらいました。

―  難しいストラヴィンスキーを!

柴田 はい、かなり難しかったのですけれど、頑張ってふりました。

―  コンサートで指揮をされていかがでしたか?

柴田 オーケストラが来ている事もあって、かなりお客さんは来てくれていました。200人くらい入ったと思います。学校関係者もいたのですが、ザルツブルグの地元の人が多い感じでした。

―  地元に開かれたコンサートだったんですね。

柴田 そうですね。受講者コンサートの中でも目玉になっているようでした。プロのオーケストラと若い指揮者という関係で、ポスターにも出ていたくらいでした。

―  宿泊先の学生寮はいかがでしたか?

柴田 まぁまぁ、思ったよりは良かったです(笑)。1Kくらいで、バスタブはありませんでしたけど、シャワーが付いていました。新しくはありませんでしたが、普通に清潔でした。

―  建物は、オーストリアの伝統的な感じですか?

柴田 いえ、全然。四角い感じでした(笑)。
 

モーツァルテウム音大側から対岸の全景を写したもの
モーツァルテウム音大側から対岸の全景を写したもの

―  外食はされましたか?

柴田 はい、オーケストラのメンバー達とよく行きました。バーベキューをしてくれたんですよ。そういうのにも行ったりして面白かったですね。

―  外食はおいくらくらいでしたか?

柴田 旧市街の観光地の真ん中だと結構かかりましたね。食べて、ワインでも飲んだら、12,3ユーロくらい(約2,000円)。でも、ザルツブルグでも観光地じゃなく郊外に行けば、8,9ユーロくらい(約1,400円)ですみました。

―  近くにスーパーとかはありましたか?

柴田 モーツァルテウムは川を渡ったところにスーパーがありましたし、学生寮の近くにもかなり大きなスーパーがありました。ただ、平日の昼間しか開いてないので、僕はほとんど活用できませんでした。ほとんど外食でした。だから(渡航費用を)ぎりぎりで行ったら大変だと思います。

―  外食に結構かかりましたか?

柴田 そうですね、かかった方だと思います。

―  講習会と宿泊先はどういう風に行き来されましたか?

柴田 だいたいバスですね。

―  どのくらいかかりましたか?

柴田 20分くらいだったと思います。

―  バスが遅れたりとかはありましたか?

柴田 ほとんど定時だったと思います。

―  スリなどの被害にあわれることはなかったですか?

柴田 何もありませんでした。ウィーンでも、ザルツブルグでも。
 

ザルツブルグのメイン通り
ザルツブルグのメイン通り

―  不審な人は見ましたか?

柴田 見る限りはなかったですね。

―  海外の人々とうまく付き合うコツは何かありますか?

柴田 自分の意見をはっきり言うことですね。色々と、「どう思う?」と聞かれることが多いんです。最初はちょっと少し下に見ているみたい
な感じがありましたね。でもそれが、僕が指揮をふって、音楽的な何かが伝わった時、なくなったように感じました。そういう意味では音楽で通じるというのは結構あるので、認め合うのが一番かな、と思いますね。

―  認め合えるものを持っていらっしゃるんですね(笑)。

柴田 それは分からないですけど(笑)。でも表現は結構できたかなというのはあります。音楽で何もなかったら、それからは相手にしない、という手もあると思います。

―  認め合うところは認め合うという方々がたくさんいらっしゃるんですね。

柴田 そうですね、やっぱり音楽で繋がっているなと思いますね。

―  今回講習会に参加して良かったと思われますか?

柴田 いやもう、かなり良かったですね。海外の方々とばかり話をして、日本語を話す機会がほとんどないくらいだったので、それぞれの国民性がよく分かりました。音楽をやる姿勢は一緒だな、自分がやっていることは間違っていないという再確認になりました。一週間はちょっと短いかな、とは思いました。しかし、仕事をしている関係で長期留学をするのは難しいため、休みを見つけてこうやって短期で講習会に行くしかないので、その分集中してできました。体力的にはきつかったですけれど、帰りは涙が止まりませんでしたね。参加できたことが嬉しくて。最後の日、受講者コンサートのあとに、70人、80人くらい集まった大宴会があったんですよ。とても楽しかったです。学校の先生とか、ミューレンバッハも来ました。オケのメンバーやヨーロッパの方々ともメールアドレス交換したりしました。人間的な付き合いが繋がって、本当に良かったですね。

―  講習会で自分が変わったとか、人間的に成長したな、と思うことはありますか?

柴田 音楽に対する自分の気持ち、取り組み方をまだ完璧に掴んだわけじゃなく、漠然とした感じではありますけれども、確立できたところはありますね。自分がやっていることが、本当に西洋でも同じようにやっているのか、日本でだけこうじゃないのか、と思っていたんです。指揮だったら、斉藤指揮法というのが日本ではあるんですが、それだけじゃ駄目だという事も分かりました。ひとつの僕の音楽性の指針にはなりました。

―  留学前にしっかりやっておけば良かった、ということはありますか?

柴田 曲ですね。もっとしっかりやっておけば良かったと思いました。留学する前は転勤前でばたばたしていて、なかなか楽譜を見る時間がなかったので。

―  日本とオーストリアで大きく違う点はありますか?

柴田 オーストリアはかなりルーズですね。サービスやテンポが。でも自分がそのテンポに入れば何のことはなかった。逆に気持ちにゆとりが出たりしました。
 

尊敬するベートーベンの墓(ウィーンにて)
尊敬するベートーベンの墓(ウィーンにて)

―  今後留学する人に何かアドバイスがありましたらお願いします。

柴田 悩んでいる人がいたら、無理してでも行った方がいいと思います。資金的にも無理してでも行った方が何かに繋がると思います。絶対に。二の足を踏んでいるとしたら、行った方がいい。でも、漠然とただ海外に行けば何かある、という人は行っても仕方がないと思います。ある程度、自分が悩んでいることや目標や目的がある人でないと参加する意味がないと思います。でも、きちんと目標がある人が行ったら、必ず何かがあると思います。

―  今後の活動の予定はいかがですか?

柴田 自衛隊での活動が基本にあります。吹奏楽の中でやることになるのですが、それはオーケストラから派生したものでもありますから、指揮というものは共通です。今回勉強したことを十分活かして、自衛隊の演奏を充実させていこうと思っています。自分のためだけではなく、自衛隊や地域のためにも、もっと人を感動させられるような音楽を作っていければと思います。

―  長い間ありがとうございました。
 

畑真由美さん/声楽/ロンバルディア声楽マスタークラス/イタリア・ミラノ近郊

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

畑真由美さん
畑真由美さん

畑真由美さんプロフィール
洗足学園音楽大学声楽卒業。2007年ロンバルディア声楽・ピアノマスタークラスにてルチアーナ・セッラ先生の講習会に参加。


―  現在までの略歴を教えて下さい。

畑  洗足学園音楽大学の声楽科卒業です。歌が大好きで小学生の頃、合唱部に入部。また作詞作曲した作品が採用されて、全校生徒に歌ってもらった事があります。高校の頃、イギリス研修でミュージカル鑑賞をしたのがきっかけで、歌を習いはじめました。最初は遊び心でしたが、指導を受けていたオペラ歌手の先生に憧れて、クラシックに興味を持ち、本格的に精進するようになりました。

―  大学を卒業されてからは、どのような活動をされていましたか?

畑  建築大学の音響学に於けるコンサートホール設計の実験に携わり、実験を兼ねてのクリスマスコンサートをしています。また、色々なオーディションを受けて公演に出演したり、小学校から依頼を受けてコンサートを企画・演奏しています。その他、自主的に門下生同士での演奏会や同期有志による歌とオーケストラにバレエをコラボレーションしたコンサートを手がけるなど、演奏の場を常に繰り広げています。

―  講習会に参加されたきっかけを教えてください。

畑  高音を美しく出す発声のテクニックやイタリア人が話しているかのように歌う発音のポイントをつかみたいと思いまして参加しました。特に本場イタリアのコロラトゥーラの先生のレッスンを受けてみたいというのが待望でした。

―  ロンバルディアの講習会を選ばれた理由は何かありますか?

畑  ルチアーナ・セッラ先生のCDを持っていまして、先生の美声に近づきたかったからです(笑)。

―  それは良い機会でしたね。

畑  はい、これほど有名な歌手の手ほどきが受けられるなんて、レッスンが始まるまで半信半疑でしたが、本物だったので、もう嬉しさ、隠し切れませんでした(笑)。

―  先生のレッスンの雰囲気はいかがでしたか?

畑  とっても良かったです。やはり先生お得意の高い声を目の前で出された時には、すごく感動しました。

―  教え方はいかがでしたか?

畑  実際に目の前で歌ってくださり、それを近くで見る事ができましたので、大変分かりやすかったです。常に口元の形やボディーチェックをしてくださいました。また、指導に熱心な先生で、お昼休みを短縮しても、夜遅くなっても、1人45分のレッスンは時間厳守されていました。
 

ルチアーナ・セッラ先生
ルチアーナ・セッラ先生

―  雰囲気は暖かいものでしたか?

畑  そうですね、すごく雰囲気を大事にされました。生徒それぞれの個性をちゃんと見抜いてくださる感じの先生でしたね。

―  レッスンは何語で受けられましたか?

畑  イタリア語です。

―  通訳は付けられましたか?

畑  はい、付けました。

―  通訳の方はいかがでしたか?

畑  通訳の方は、もちろん、レッスンで先生がおっしゃることすべてのイタリア語を忠実に通訳してくれました。通訳の方にはレッスン以外でもお世話になりました。周りがとても田舎で、食べるところがあまりなく、英語も全然通じなくて、最初は困っていたんですね。それでいろいろ案内していただきました。レッスンで持参した以外の楽譜が必要になったときも、他の(イタリア人の)生徒に声をかけて借りて下さり、印刷屋さんを求めて一緒に歩き回って下さったことも。アフターサービスがよかったですね。そういった面では本当に助かりました。

―  語学の勉強はされていきましたか?

畑  大学で文法を学びました。その後は独学です。イタリア語は普段、歌で慣れているので、言葉は何となく聞き取れるのですが、会話となると本当に大変です。
特にイタリア人はおしゃべり好きで、しゃべるテンポも速いので、ついていかれませんでした。

―  イタリアに行かれて語学が上達したという実感がありますか?

畑  たった一週間でしたが、結構覚えました。

―  会話などが中心ですか?

畑  そうですね、生徒のみなさんが休憩時間に話している時や、買い物に行った時など、最初は要望を伝えることも、聞くこともできなかったのですが、帰る時には片言は話せるようになりましたね。

―  レッスンは何時から何時まででしたか?

畑  10時から20時まででした。

―  その間、ほかの生徒さんのレッスンを聴講されたりしましたか?

畑  今回、日本から講習会に参加したのでは私だけでしたので、先生が「すべて聴講したほうがいい」と、前の方に席を用意されて、ほとんどつきっきりでした。

―  聴講では通訳がないと思うのですがいかがでしたか?

畑  1人、英語が話せる受講生の方がいました。先生が言われていることを英語になおしていただきました。

―  講習会ではどのくらい練習ができましたか?

畑  あまりプライベートの時間が取れなかったので、1時間くらいできればいい感じでしたね。

―  どこで練習されたんですか?

畑  自分の部屋です。

―  宿泊先はどんなところでしたか?

畑  メディチ家のお屋敷(別荘)です。

―  すごいですね、まるで昔の貴族のお屋敷という感じですか?

畑  そうですね。広大な美しい庭園がありました。部屋も一部屋一部屋が全部広くて貴族が使用していたお部屋をホテルの利便性を考慮して、少し改装したという感じです。シャンデリアだけでちょっと照明が暗く、古い建物なので、ゴーストバスターズが出てきそうです(編集注:ヨーロッパ人は強い光に弱く、弱い光で十分見えるため、日本などより照明は暗くなっています。)でも、一つ一つ見るととてもすばらしい!特にテーブルはすべて大理石です。ベッドはすべてダブルベッド。たまに天蓋付もあります。ソファーも上等です。絵画は必ず、飾られています。各部屋、各部屋、お姫様が泊まるようなゴージャス感がありました。別棟にはショパンが弾いたグランドピアノなどのピアノ博物館もありました。

―  いいですね、女性なら1度は泊まってみたいような場所ですね。

畑  部屋には台所やキッチンも付いていました。私1人で泊まるには少し大きすぎて、初日は心細かったですね。

―  外食はされましたか?

畑  1度だけです。土日月をはさみましたので、ほとんどレストランが開いていなかったのです。また買うと量が多いいので、同じものを小出しに食べていました(笑)。

―  外食のお値段はどの程度でしたか?

畑  コースしかなかったので3,000円くらいでした。でも、とても美味しかったです。

―  講習会の会場と宿泊先はどのように行き来されましたか?

畑  講習会会場と宿泊先は同じ建物でした。私は2階の部屋だったのですが、講習会は1階でした。階段を下りればすぐ会場という感じでした。

―  スリなどの被害にあわれることはなかったですか?

畑  ないですね。治安のいい場所でした。

―  講習会会場からはあまり出られなかったのですか?

畑  行く時間がなく、あまり行くところもありませんでした(笑)。スーパーマーケットに買出しに行ったりするくらいです。小さな町なので、近所のお店へ行っても15分もあればすべてを散策できるくらいです。

―  海外の方々がほとんどだったと思うのですが、周りの方とうまく付き合うコツはありますか?

畑  そうですね、自分から積極的に主張しないと、全然相手にされないと思います。それと、やはりイタリア語は話せた方がいいかな、とは思いましたね。1日いると、イタリア語しか聞こえてこないので、分からないとかなり自分が疲れてくるんですね。ですから、ある程度は、イタリア語ができた方がいいとは思います。

―  今回の講習会に参加して良かったと思える瞬間は、どんな時でしたか?

畑  日本にいらしたことのあるイタリア人の方が2,3人いらしたんです。その方々がすごくホスピタリティを重視してくださったんですね。というのも、日本に来た時にすごく日本人はおもてなしをしてくれると感じていたようでした。例えば、オペラの仕事で日本に来たそうなんですけれども、一生懸命日本語で話そうとしたら、公演が控えているのだから、公演で使う言葉、つまりイタリア語以外の言葉は使わなくていいんだよ、と言われて、何不自由なくイタリア語だけで過ごせる雰囲気にしてくださったということでした。そういう方々のお話を聞いて、自分も逆の立場の時があったらホスピタリティを重視したいなと思いました。

―  留学をされて、自分が変わったな、成長したなと思うことはありますか?

畑  多少の語学力と発声が変わりました、念願の「高い音域を発声するときのコツ」をつかんだような気がします。やはり外国人の先生はかなり広い舞台で歌われており、ご経験も豊富なので、効果を出すのがうまいのでしょうね。

―  そういう先生に習ったというのは深い意味があったんですね。

畑  そうですね、たった一週間ですが、それでもかなり効果があったと思います。素晴らしい先生だと思いますね。

―  留学前にやっておいた方が良いことは語学のほかに何かありますか?

畑  選曲ですね。基本は歌曲と思い、歌曲をいくつか持参したのですが、それよりも、セッラ先生はオペラアリアを重視されます。自分で無理なく歌えるオペラアリアを何曲か用意して、一週間で完成できるような曲にした方がいいと思います。それと、鏡を見てレッスンを受けるので、ほとんどの方が暗譜でレッスンを受けていました。少し、楽譜から目を離せる程度に歌いこなしておいたほうがいいと思います。あとは、目的をはっきりさせることですね。先生に「何を習いたいのか」という自主性をすごく聞かれます。

―  前もって自分の中で計画を立てておくといいということですね。

畑  そうですね、曲を歌わなくてもいいんです。発声だけをやりたい人もいます。何がしたいかを決めておくのは、重要なポイントになってくるな、と私は思いました。

―  日本とイタリアで何が違うとお感じになりましたか?

畑  日本では10年くらいかけてやっとオペラアリアを歌えるようになりますが、イタリアではたった2.3ヶ月くらいですぐ難関のオペラアリアを歌うようです。ですから、10年以上の経験があると、相当あらゆる曲のレパートリーがあると周りから興味を持たれますね。ちょっと自負を感じることもありますね。
それから、イタリア人は母国語を大事にしているので、ほとんどイタリア語しか話さないですね(笑)。日本語を話そうとは、もちろんしないんですけれど、逆にイタリア語を話せない私に対して、「イタリア語を話せないのにどうして来たの?」とよく質問されました。そういう所は違うかな、と思いました。日本人はそんなことがあっても、わりと心を広く持って、頑張って向き合おうとすると思うのですが、イタリア人はイタリア語にプライドを持って、極力イタリア語以外は話さない、という雰囲気はありましたね。だから、こちらが積極的に話していかないと、と思います。イタリア人は待っていては来ない、というところは、日本とはギャップがあると思いました。

―  今後、留学する人にアドバイスしておきたいことはありますか?

畑  音楽用語というか、歌を歌う時に、「もうちょっと口を前に」とか、「目」「足」「息」とか、身体を使ってのアドバイスをされるので、身体の部位の言葉をイタリア語で覚えて行けば、レッスンの時にかなり役立つので良いと思います。

―  ありがとうございました。

尾野文香さん/ピアノ/クールシュベール夏期国際音楽アカデミー/フランス・クールシュベール

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

尾野文香さん
尾野文香さん

尾野文香さんプロフィール
3才よりヤマハ音楽教室にてピアノとエレクトーンをはじめる。1996年PTNAピアノコンペティション全国決勝大会ベスト20位、1997年全日本学生音楽コンクール名古屋大会第2位、1998年ウィーン音楽コンクールインジャパン本選第1位。その後、ウィーンの講習会に招待され、ウィーンにて入賞者コンサートに出演し、ウィーン市長賞を授与。2002年、2003年ショパン国際ピアノコンクールin Asiaにて本選入賞など数多くのコンクールにて入賞。コンサート歴も多く、ピアチェーレ・コンサートシリーズ「あおい空」、アルマ21世紀コンサートなど出演。また2007年、アルマ室内管弦楽団と共演。これまでにピアノとエレクトーンを村田恵理子、エレクトーンを市川禎、ピアノを長谷川淳、宮脇恵子、弘中孝の各氏に師事。2007年クールシュベール夏期国際音楽アカデミーにて、パスカル・ドゥヴァイヨンに師事。2008年3月東京音楽大学ピアノ演奏家コース卒業後、4月より同大学大学院在学予定。


―  略歴を教えていただけますか?

尾野 最初はヤマハのグループレッスンに通ってエレクトーンとピアノを一緒にやっていました。その後、小学校2年生頃からピアノを本格的に習いはじめました。エレクトーンは小学校5年生までやっていました。現在は東京音楽大学の4年生です(注:インタビュー2007年8月)

―  コンクールなどへの参加はありますか?

尾野 小学校6年生の時に、今はもうなくなってしまったコンクールなのですが、ウィーン音楽コンクールインジャパンで1位をいただいて、副賞としてウィーンの講習会を受けさせていただきました。

―  今回クールシュベールの講習会に参加したきっかけを教えていただけますか?

尾野  幼い頃から、留学したい気持ちは漠然とあったんですけれど、現実的に進路として考えた時に決めきれずにいたんです。そこで、やっぱり日本でいろいろ考えているよりも、実際に行っちゃった方が分かる事が多い、と思いました。行く前は、ずっと迷っていたんですよ。「留学したら必ずこうなれる」というのがあるわけじゃないですから。「大変なことも多いだろうし、お金もかかるし」って。でも、やっぱり今留学しなかったら、将来後悔するだろうなって思ったんです。20年、30年と時間が経った時に、「いやぁ、あの時留学しておけばよかったな」って思うのは嫌だったんです。それで、まずは、講習会で留学を体験してみたいと思ったのがきっかけです。

―  いろいろなコースがある中で、クールシュベールを選ばれたのはどうしてですか?

尾野 私の場合、留学することや留学する国を完全に決めていたわけではなかったので、語学を全然やっていませんでした。それで、通訳さんがいるコースが条件だったんです。フランスか、ドイツか、オーストリアか、ポーランドに行きたかったんです。留学に対する知識が少なくて候補が多いのですが(笑)、その中で、いろいろと他の講習会をみて、レッスンの聴講がさせていただける事と、レッスンを聴講してみたいと思う先生方が多かったので、クールシュベールを選びました。

―  パスカル・ドゥヴァイヨン先生を選ばれた理由はありますか?

尾野 はい、以前からパスカル・ドゥヴァイヨン先生のことを、一方的にですが本などで存じ上げていました。ドゥヴァイヨン先生にレッスンしていただくのを本当に楽しみに思い参加しました。

―  レッスンの雰囲気はいかがでしたか?

尾野 すごく楽しかったですし、すごく素敵でした。あっという間に時間が過ぎてしまいました。ドゥヴァイヨン先生はとても丁寧に的確なことを分かりやすくご指導してくださいます。自分自身が曲の準備をちゃんとしていけばいく程、いろいろな事をより深く教えていただけると思います。

―  時間は1時間くらいですか?

尾野 そうですね、日によっては時間が押していたり、次の生徒さんがもう待っているので1時間ない時もあったかもしれません。曲によって日によってという感じです。

―  何回ドゥヴァイヨン先生からレッスンを受けたのですか?

尾野 私の場合は、ドゥヴァイヨン先生に4回、村田理夏子先生が2回でした。

―  なるほど、村田先生はいかがでしたか?

尾野 ピアノ奏法や打鍵についてなど色々と教えていただきました。レッスン後には、留学などの相談にものってくださいました。

―  ドゥヴァイヨン先生のクラスは何人くらいでしたか?

尾野 そうですね、多分20人くらいだったと思います。

―  その中で日本人はどのくらいいましたか?

尾野 半分くらいは日本人だったと思います。外国ですでにドゥヴァイヨン先生に師事されている方もいらっしゃいました。

―  レッスンは通訳を通じて受けられたということですが、通訳は分かりやすかったですか?

尾野 はい。ドゥヴァイヨン先生のアシスタントであり奥様でいらっしゃる、村田先生に通訳していただけたので、すごく分かりやすかったです。

―  語学の勉強は事前にされていかれたのですか?

尾野 いいえ、現地でも「ボンジュール」と「メルシー」くらいしか使っていないです(笑)。特にパリでは英語も結構通じます。大学ではドイツ語を選択していました。

―  レッスンは何時からだったのですか?

尾野 私は夕方くらいのレッスンが多かったですね。

―  先生は丸1日レッスンしているのですか?

尾野 ドゥヴァイヨン先生はお昼前くらいからレッスンをされていたと思います。私は夕方からだったのではっきり覚えていません。先生によっては朝9時からレッスン、という先生もいらしたみたいです。

―  レッスン時間以外は何をして過ごされましたか?

尾野 練習時間が結構制限されていたので、空き時間は聴講をしていました。あとは、友達と周辺を散策したり、ゆっくり食事をしたり、ビリヤード、スケート、卓球もしました(笑)。

―  練習時間は少なかったのですか?

尾野 1部屋を4人で割り振って使うようになっていました。使用時間が9時から21時だったので、1人平均3時間でした。その4人が全員日本人の場合は、わりときちんと割り振ってやっていたみたいですが、私の場合、2人韓国の方がいらっしゃいました。最初は割り振りをしていなくて、いつ練習できるか分からない状態だったので、割り振りをしたい、とお願いをしました。他の部屋で練習しようにも特に最初のうちはみんな気合いが入っていて空いている部屋はありませんでした。

―  韓国の方はルーズだったのですか?

尾野 そうかもしれません(笑)。というより、日本人が細かいと言った方が良いのかもしれません。多分、こちらから提案しなければ、ちゃんと練習時間が決まることはなかったと思います。

―  練習室以外では練習する場所はありましたか?

尾野 多分、なかったと思います。楽器の方は主にホテルの部屋で練習していたみたいです。

―  講習会でコンサートが行われたそうですね。

尾野 はい、講習会で指導されている先生方の出演されるコンサート(主に室内楽)が4回ありました。先生方全員が出演されるわけではないのですが、ドゥヴァイヨン先生は出演されて、すごく素敵でした。

―  生徒さんが出演されるコンサートはいかがでした?

尾野 終わりに2日間に渡って受講生のコンサートがありました。クールシュベールの講習会はとても参加人数が多く、たぶんピアノだけでも100人くらいはいます。ほかの楽器の人も入れると、多分200人を超すと思います。その中での選抜コンサートなので、たくさんの方が少しずつ演奏して、長い時間かかるような感じでした。
 

クールシュベール
クールシュベール夏期国際音楽アカデミー

―  宿泊先はどんなところでしたか?

尾野 すごく綺麗なところでした。

―  食事はどうでしたか?

尾野 朝ご飯と晩ご飯は講習会の費用に含まれていて、朝は宿泊しているホテルで、夜はメイン会場のホテルでいただきました。お昼は近くのスーパーなどで買ったり、お金を払えばメイン会場のホテルでいただくこともできました。クロワッサンやフランスパン、乳製品はやはりおいしかったです(笑)。

―  宿泊先とレッスン会場は遠かったですか?

尾野 歩いて行ける距離でしたが、講習会会場のクールシュベールは標高1850mで冬はスキーができるリゾート地のためとても坂が多いんです。道といえば坂でした。クールシュベールに行かれる方は、運動靴など歩きやすい靴を持っていかれることをお勧めします。

―  尾野さんは持っていかれなかったのですか?

尾野 そうなんですよ。サンダルに後悔しました(笑)。しかも8月なのに、夏とは思えない涼しさでした。長袖なしでは過ごせない気候でしたが、湿度も低いし過ごしやすかったです。

―  日本とは違いますね。

尾野 そうですね。日本で言うと、秋の終わりくらいかも。雨の日なんか、はっきりと「寒い!」と言えるくらいでした。

―  暖房などはちゃんと入りましたか?

尾野 冷房も暖房も特に使った記憶がないので、冷暖房の必要はない気候だったんだと思います。
 

宿泊先のホテル
クールシュベール宿泊先のホテル

―  クールシュベールの街として、治安はいかがでした?

尾野 すごく安全な印象でした。周りからも何かあったというような話は聞かなかったし、私自身も危険を感じるようなことは全くありませんでした。

―  海外の友達はできましたか?

尾野 私の場合、フランス語が話せないので、直接、仲良くたくさん話すことはできなかったのですが、フランス語が話せる日本の方に通訳してもらいながら海外の友達も混ざってお話したり遊んだりすることはありました。

―  日本人以外ではどちらの方が多かったですか?

尾野 フランスの方はもちろんフランス近隣、アメリカなど様々でしたが、韓国や中国などアジアの方が多くいらしゃいました。

―  講習会に参加して良かったと思える瞬間はどんな時でしたか?

尾野 さきほどお話しした、講習会の先生方が出演されるコンサートを観た時ですね。来てよかったと思いました。

―  留学されて、何か自分が変わったところ、成長したところはありますか?

尾野 講習会の期間が短かったので、大きな変化はあまりないのですけれど、今まで海外経験があまりなかったので、行く前の準備だけでも勉強になりました(笑)。思い切って講習会に参加してみて本当に良かった、と思っています。先ずは一歩という感じだったと思います。

―  留学前に準備しておいた方が良いと思うことはなんですか?

尾野 それはもう曲の準備ですね。講習会は素晴らしい先生方にみていただける貴重な機会だと思います。お金も時間もかけて参加するし、先生により深くたくさんの事を教えていただくためにも、しっかりと準備していくべきだと思います。現地では練習時間も限られます。

―  何曲みていただいたのですか?

尾野 ドゥヴァイヨン先生のレッスンは4回でしたが、1回目でショパンのエチュードを2曲みていただいて、2回目でベートーベンのソナタ第1楽章を、3回目はその続きで、4回目でまた別の曲をみていただきました。

―  日本とクールシュベールの違いはどんなところですか?

尾野 いろいろあると思いますが、例えば現地の方の人柄なんかは日本と比べてすごく明るかったですね。フランスに留学されている方は、「こっちに来てテンションが高くなって、リアクションが大きくなった」と言っていました(笑)。そんな雰囲気が、私はすごく好きでした。講習会は短い期間だったし、環境も保証されていたので、留学のいいところばかりを見たとは思いますが、本当に楽しかったです。良い思い出です。
 

クールシュベールの街並み
クールシュベールの街並み

―  今後留学される方にアドバイスしておきたいことは?

尾野 留学したい気持ちがあっていろいろ迷ったり悩んでいる方は、まず講習会に参加するなど現地に行ってみる事をお勧めします。日本で座って考えているよりも、実際に行動した方が分かる事も感じる事も断然多いと思います。講習会では同じ迷いを持っている人も多く参加していますし、すでに留学している人からいろいろお話を聞かせていただくチャンスもあります。

―  尾野さんは今後フランスに行かれる予定ですか?

尾野 そうですね、フランス以外の国にも興味はありますが、本当に楽しかったので、前よりももっと留学したくなりました。講習会の影響です。

―  今後の進路はどうされますか?

尾野 4月からは東京音大の大学院に進学しますが、長期留学も考えています。すごくしたいと思っています。

―  コンサートのご予定などはありますか?

尾野 今度5月にピアチェーレ・ムジカ主催の「ひびき」というコンサートで地元の愛知県でメンデルスゾーンのピアノトリオ第1番を演奏させていただきます。大好きなトリオの曲ですし、しっかりとがんばりたいです。

―  頑張ってくださいね。長い間、ありがとうございました。


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---尾野文香さんコンサート情報------
Musica Da Camera 2008
Concert the Piano Trio

2008年5月31日 開演17:30
知立リリオコンサートホール
問い合わせ:0562-84-0876

Program
ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第三番ハ短調Op.1-3
ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第四番変ロ長調Op.11
メンデルスゾーン/ピアノ三重奏曲第一番ニ短調Op.49

出演;
ピアノ
岡田みずほ
三輪富美子
尾野文香

バイオリン
宗川諭理夫

チェロ
内田玲
 

霧生ナブ子さん/ジャズシンガー/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のジャズボーカリスト霧生ナブ子(キリュウナブコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ボーカリストとしてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。

ー霧生ナブ子さんプロフィールー

ジャズシンガー霧生ナブ子さん
霧生ナブ子さん

尚美学園短期大学・作曲科専攻卒業後、ニューヨーク市立大学ジャズヴォーカル専攻卒業。クイーンズ大学大学院ジャズヴォーカル専攻修了。ビー・バップの伝道師として知られるジャズピアニストのバリー・ハリス氏の影響を強く受け、彼のジャズコーラス隊にも参加。そのグループでニューヨークの「タウンホール」や「シンフォニック・スペース」等の大劇場で公演。96年に渡米以来、ニューヨークのジャズクラブ「レノックス・ラウンジ」、「コープランド」などで定期的に活動を続ける他、ニューヨークのテレビ番組にも出演。2002年には有楽町朝日ホールにて霧生トシ子・コンサートで日野皓正(Tp)と共演し、同年にはジミー・ヒース(Ts)をゲストに霧生トシ子、太田寛二、アール・メイ(b)、ジミー・ラブレイス(dr)、デビット・ギルモア(tap)と共にクイーン大学でコンサートを行った。ニューヨークのブルーノートにて「J-JazzSisters」として公演も行う。アルバムは「シンキング・ラヴ」など。

ー  音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?

両親が両方とも音楽家(*)で、小さい頃から音楽が家中に溢れていたんですよね。それで音楽は自分の無意識の環境にあって、一生懸命やっている意識はなかったです。どちらかというと子供の頃は演劇をやっていて、お芝居をずっとやりたかったんです。だから、小さい頃の夢は女優さんになることだったんです。
*)お母様が霧生トシ子さん、義父様が太田寛二さん

ー  それがどうして音楽の方に向かおうと思ったんですか?

10才の頃からNHKの劇団のオーディションを受けて、それからずっと高校3年生になるまで演劇やっていました。ホントにホントにお芝居が大好きで、毎年夏に公演やったりとかしてたんです。でもその中で音楽は自分が力をいれて一生懸命やらなくても人より優れているという感じはありました。例えばオーディションなんかでも一曲歌うと受かってしまうみたいな感じがありましたね(笑)。もちろん歌う事は好きで、何かあると歌って人の気を引いてしまうところがありましたね。その後も同じような事があって、日本の音大を卒業した後、マスコミ関係の会社に勤めていたことがあるんですけど、その会社の面接試験も一曲歌って受かってしまったと思います(笑)。会社の面接でも特技は?って聞かれますよね。ジャズを歌っていると言ったら、何かできる?って聞かれたんです。そのまま、アカペラで一曲歌ってその度胸を買われたんでしょうね。それで受かってしまった。私にとって音楽は、歌は最後の手段という感じなんです。

ー  それが音楽のプロになろうかと思ったのはどうしてなんですか?
 

Singing Love
大好評のCD「Singing Love」

19 才か20才ぐらいの時にインドに旅行に行ったんです。たまたま母が、私の義父と旅行に行く事になっていたんです。ところが彼が仕事で遅れてしまって、行くと言っていた予定の日にいけなくなってしまったんです。その結果私が母に誘われて、一緒に親子でインド旅行することになったんです。その後、義父が来てからは、途中で分かれて、最後に一人で日本まで帰ってきたんですよね。その時に、ある街からニューデリー(注:インドの首都)まで一人で電車に乗っていたんです。そこでたまたま隣に座ったインド人の女性がいました。もちろんその時は普通の音楽学校の学生の頃でしたし、英語なんかも話せませんでした。でも、その女性が非常に親切で、こちらの片言の英語でも一生懸命聞いてくれて、「何やってるの?」とかいう会話をいろいろしていたんです。私が音楽を勉強しているんだ、という話をしたら、いきなりその女性がその場所で、本当にいきなりインドの歌を歌ってくれたんです。本当にびっくりしてしまいました。日本の感覚からいったら外人が旅していて音楽勉強しているからと言って日本の歌はこうですよなんて、歌わないじゃないですか。だから本当に感動してしまって、その歌に心を打たれたんです。彼女に何回も歌ってくれる?といって歌ってもらい、その場で急いで楽譜に書いて、リズムや歌っている言葉をカタカナで聞こえた通りに書いて、何遍も歌っているうちに、歌を覚えちゃったんです。それで二人で一緒に歌ったんですね。そしたらその人が今度はびっくりしてしまってたんです!インドの言葉なんかもちろん知らないし、英語も分からない子が、いきなりインドの歌を、訳も分からない日本語のローマ字みたいな見たこともない文字でざーっと書いてあって、でも歌は一緒に歌える、みたいな事になったんですね。それですごい意気投合してしまったんです。道中二人でその歌をワーっと歌って、心は一つみたいな感じになったんですね。その時に歌ってすごい!と思ったんです。それで歌というのは人の壁を越えるというか、魔法のような力があるなと思ったんです。そういう訳で、歌の素晴らしさを知った経験を生かし、いわゆる「うまいシンガー」になろうというのではなくて人に何かを伝える、「メッセージを伝えるシンガー」になりたいなと思ったんです。日本の感覚でいうと歌がうまくないとシンガーではないという感覚があると思うんです。それまでは歌は好きでしたが、自分の中ではコンプレックスじゃないですけど、特別うまいと思ったことはなかったんです。特に音楽の環境に育ってきているのでやはりうまい下手はわかるんですよね。自分の中に特別歌がうまいとか歌の才能があるなんて思ったことはなかったけど、歌の意味とかすごさがその時に分かったので、だったら歌ってもいいかなと思ったんです。歌をうまく歌うなら自分のやることじゃないというか。歌って技術だけじゃないと思うのです。うまいとか下手じゃなくて、100人いたら100人の声でみんながそれぞれ話したりするのと同じように、それぞれの人間のドラマがあってそれを歌っていい、そういうものだと思うんです。それがインドで分かった、歌手になろうと思った大きなきっかけだと思うんですね。多分音楽って、日本でもこれだけカラオケが普及していて、みんなが歌っている中で心が通ったり、誰かが歌っているときにみんなで拍手をしたり、みんなで歌声をシェアするみたいなところがあると思うんです。そういうのがうまい下手ではなく、歌にはあるんです。もちろん、うまい人が喜ばれたりするんですけどね(笑)。だからもちろん一生懸命やってうまくなった方がいいですけど(笑)。

ー  感じる部分というのはうまい下手ではないですよね。そういう音楽性をお持ちの中で、ジャズになっていったという理由はあるのですか?お母様はもともとクラシックをなさってらしたんですよね?

ええ、母はクラシックをやっていたんですけど、母はジャズが好きで、一応そういう続きじゃないですかね。たとえば、今の義父にピアノを教えてもらったりして、それがたぶん私が、16歳、17歳とか。だからジャズが何、とかそういうこともわからなかった。普通に子供が習い事に行かされるじゃないですか、まず子供がそれが好きかどうかわからないけど、とりあえず剣道行ったら竹刀持って、っていうような感覚で、ジャズって言うものが私の中に入ってきたんです。

ー  じゃあ、根本的にクラシックとかポップスが入ってきたわけではなくて、いきなりジャズが入ってきたんですね。

でももちろん、その前にクラシックもピアノも習っていて、子供のころから、それこそ2歳、3歳のころから、ピアノを、祖母もピアノの先生なんで、習っていて、そういう意味でも物心つく前から発表会をやっていたりとか、中学校、高校のときはバンドをやっていたりとか、キーボードやったり、オリジナルを書いたり、普通に音楽をやってましたよ、今の日本の若い人たちがやっているような、音楽活動みたいなこと。それこそ、『平凡』『明星』とかのコードが書いてあるのを見て、弾いたりもしてましたね。音楽が例えばやっぱり八百屋さんの子が野菜に詳しいのとおんなじで、普通に考えてなくてもいろんな知識とか情報がわかるような感じでしたね。なんでジャズに意識を向けてきたかって言うのは、やっぱり、ジャズピアノを先に弾いたからなんですね。ジャズはいまだに、1930年代、40年代の曲がスタンダードとして歌われているんですね。例えばスタンダード曲の『My Fanny Valentine』は日本では良く知られていて人気でみんなが歌ってるんだけど、それぞれの歌手が自分の解釈で、自分のライフを下に歌ってるんですよ。だから雰囲気が違ったり、テンポが違ったり、それぞれ料理の仕方が違うんですよ。おんなじ曲を歌っているんだけど。それが例えば白人の世界だと違ったり、黒人の世界だと黒人ぽかったり。みんながそのただ違うだけじゃなく、その上、歌の内容によって、悲しい歌だったりするとみんなその人生の中での苦しい重いって言うのが出てきているというか、ライフの瞬間を見せてくれるというか、その歌自体にいろんな人が歌ってきた歴史と、その手垢がいっぱいついている、そういう重たさがあるんですよ。そして今度は自分が歌うことによって、歌のストーリーに魂(スピリット)を吹き込むんです。自分がただ歌ってるんだけど、もっと歌が持ってる不思議な魅力というか、いろんな人に語り継がれてきた、歌い継がれてきた重みで、今度は自分の体と声を使って、そのストーリーを語るみたいな。そういう意味では、そこがジャズの面白さとでしょうか。

ー  プロになろうと思って、アメリカに行こうとした渡米のきっかけは何ですか?

普通に会社で仕事3年半ぐらい勤めてたんですけど、仕事がきつくて、体を壊して入院して、そのときに病院のベッドに寝ながら、天井見ながら、窓の景色見ながら、いろいろ考えたんですね。勤務先の社長さんに頂いた御見舞いの花とか眺めながら、自分は何をやってるのかな、と思って。これだけ自分の時間とエネルギーを会社に費やすんだったら、ちょっと自分のためにやってみたらどうなんだろう、って思って。それがひとつの大きなきっかけだと思いますね。それとみんながとにかくNYいいよ、NY行ってみれば良いじゃん、っていうのでまず一回NYに旅行で来ってみたんですけど、やっぱり一目瞭然で、ちょっと普通に入ったバーで歌ってるおばあちゃんなどのジャズも、歌ってるのがレベルがものすごく高いくて、違うじゃないですか、全然。で、目からうろこのように、もう感動して、涙がいっぱい出て。これは今まで私が日本で、私ジャズやってますって歌ってたのはなんだったんだろう、って感じで。これじゃいけない、って。なんて私って、なんちゃってジャズをやってたんだろう、って。本場での洗礼ですね。これはマズイと思って。で、どうにかして、こっちに来るような方法はないかなと考えて、それから具体的に学校について調べたり、ビザのこと調べたりして、英語学校を探してまず留学しました。

ー  とにかくニューヨークに行きたかったっていうのがあったんですね。

一番最初は「ニューヨークが一番いいじゃない?」、ていうような感じで肩押されて、「そんなもんなの?」と思いながら行って、初めてその衝撃に出会って、そのショックを受けてからは是非NY行こうっていう思いですね。

ー  実際ニューヨークについて音楽活動をされていくわけですが、行かれてからご自分の音楽のスタイルって言うのはどうやって作っていくものなんですか?

私が思うには、とにかく人間関係、ミュージシャンの中に自分の環境ををおくということ。もちろん学校には行くべきと思います。大学でジャズを専攻し、たくさんの音楽理論とかジャズの歴史とかを習ってきたけど、やっぱりそれだけじゃダメなんですよ。それだけじゃ生きた体験にならない。それはほんとにジャズの場所に行ってそこにいて歌っている人たちと話して、その人たちがどういう人生を歩んできたのか話したり一緒にご飯を食べたり、そういうところでいろいろ学んでいくことってたくさんあると思います。

ー  コミュニケーションをしながら自然に出来上がっていくって、ことですよね。
 

ニューヨークジャズシンガー
ニューヨークのクラブにて

自分は吸収しようと思って行くわけだけど、ただ、テクニック的なことを学ぶってだけじゃなく、ジャズは特にアメリカのカルチャーなわけだから、黒人の歴史とか、彼らがたどってきた道などももちろんそうだし、教会の歌ももちろんそうだし、それがジャズと繋がり、ここ(NY)に来て、こうやって生活して、その人たちと一緒に歌ったりしてやっていかないとわかんない。日本でやってるだけだと全然違うと思う。やっぱり練習してうまく洗練されたものというよりは、私が今までたどってきた生活観からでるジャズだっていう部分を強調して行きたいと思ってます。

ー  技術じゃないって部分ですよね。

もちろん技術もあると思います。やっぱり下手だったらどうしようもないし。そこのところで技術的には日本人的にコツコツ、ここはやらなきゃいけない、ってやってきたというのがあるんですけど、人にはみせないような、それがないとなきゃダメだとは思うけど、それ以外の部分をコツコツやっただけじゃ、ジャズの味は出ないと思うんですよ。

ー  そういう部分では外国人と一緒に演奏する部分でも日本人とやるよりも、外国人と一緒にやるほうが吸収することが多いってことですよね。白人、黒人、ヨーロッパ人、NYにいるといろいろなジャズが吸収できると思うんですけど、それもまた違いますか?

それはそうだと思います。ほんとに違いますね。私はハーレムに住んでいるんですけど、そこら辺のバーに行くとやっぱりそういう人が好きそうなジャズがかかってるし、例えばダウンタウンいて、白人の人が多いところだと、歌詞の歌ってる英語とかも違いますよね。そういうのは本当に語学が出来ただけじゃ分からないじゃないですか、歌詞を聞いていて、アメリカのジャズのスタンダードのその曲をどの人が歌っているとかは関係なく、楽譜とか、英語とかを見ただけでも、これは黒人の人が作った歌だ、白人の人が作った歌だってわかりますね。それぐらい違うんですよ。言い回しとかで。でも違うけど、やっぱり人間だから同じ曲を同じスピリットで歌うわけだけど。女の人が去って行っちゃって、男の人が飲んだくれている、みたいな。同じ内容で歌ってるんだけど、語り口調とか黒人と白人だと違ってきたりするんですよ。そうなるといわゆる学校で英語を習ったっていうのじゃ無理ですよね。それを知るっていうことと、それを自分がジャパニーズでアメリカでジャズを歌うって言う特殊さををひしひしと感じるわけですよ。それはもう、日本で黒人の人が演歌歌手としてデビューするのと同じことなんですよ。でも、もし、日本で黒人の人が、生まれ育ってて日本語にアクセントもなくて、ゴスペルのようなスピリットをもって歌ったら結構感動するかもしれないじゃないですか、それと同じように、私は日本人だけど、やっぱり自分の中でジャズに対しての敬意もあるし、自分の生きてきたライフの中でいいと思ってきたことを表現していくっていうことは、私の中で子供のころにやっていた演劇というのと深いつながりがあるんですよ。

ー  それはどういう点でですか?

演劇は自分の感情を表現するんですね。台詞をかたるでしょ。歌も台詞と同じようにストーリーを語るんですよ。歌ってるときに自分が語っている言葉が嘘じゃいけないから、その言葉どうりの気持ちがなきゃいけない。演劇をやってた瞬間にすごく感覚的に似ているんですよ。

ー  舞台の上ではその歌詞の人になりきるということですか?

歌が持っているストーリーを語るという感じですね。役を演じるというよりは歌を伝えるんだけど、何かの役をやっているときと似ている感じですね。

ー  舞台の上ではいろいろ考えるというよりも自然に出てくる感じですか?

歌のときは、結構自然にでてくることもあるし、例えばその歌が自分の体験に基づいてというよりは、友達の体験ですごい悲しい思いをした人がいたことを考えて思い出して歌うこともあるし。

ー  感情とか感受性を感じながら歌うということですかね?

そうですね。やっぱりメッセージですね。

ー  音楽活動をして、歌をやってて良かったな、もっとも興奮する瞬間ってどんなときですか?
 

ジャズシンガー
ニューヨークのクラブで活躍中

やっぱりジャズの面白いところはあんまり決めない所。突然名前呼ばれて、ステージ上がって、初めましてって言って、この曲ね、って自分なりにリードしてやりますよね。初めてそこで出会った人達なんだけど、それでいきなり音楽を作るわけですよね。そこで一つになるときに、すごい興奮しますね。瞬間っていうものにとても敏感になるんですよ。人間生きてて、朝起きて夜寝て、っていう繰り返しで流れていくけど、よく言うことだけど、その瞬間はもうないわけでです。たまたま居合わせた人と、たまたまその瞬間に一緒に舞台をやって、もうその瞬間は二度とないわけじゃないですか。それがとても暖かく心が通じて、うまく言ったりするととても嬉しいというか。例えばこれが他の音楽ジャンルだったらやっぱりすごい繰り返し練習して、同じメンバーでどんどん上達していって、到達するって言うんだと思うんですけど、そういうのとはジャズは全然違うんですよね。そのためには、自分が一人で磨いていないといけないんですよ。みんなが自分自身を磨いて、一緒に乗っかったときにそれぞれが、自分が自分がっていうんじゃなくて、人のを聞きながら輪を作っていくみたな。

ー  自分を鍛えるというのはどういった面でですか?

もちろん、技術面もそうだし。もちろん知識というかジャズのことを良く知らないといけないんですよ。じゃないと人がやってることもわからないし。ジャズは即興だから、みんなが舞台に乗ったときに、ツーといえばカーという感じでやっていくわけですよ。ツーを知らないとカーが出せないんです。ツーをたくさん知らないといけない。そのためには自分を磨いて、いろんな人の音楽を聴いたり、、勉強したりして、その瞬間でコミュニケーションをお互いに取るんです。こうだ、っていわれたのを応える感じで音楽を出すとコミュニケーションができて、お互いにそれがわかると、すごい感動ですね。そいういのは例えば、日本のコメディアンがみんなが知っているようなネタを言って、例えばドリフだったら、「八時だよ、」って言ったら「全員集合、」って言ってね、といわなくてもみんなが言っちゃうみたいな、そういうような面白さがジャズにはたくさんあって、それが面白いんですよ。それが分かると見る方も分かってもっとジャズは面白いんです。だからもっといろんな人に知ってほしいと思いますよね。

ー  日米の観客の違いってありますか?

そうですね、やっぱりこっちと日本とでは違いますけど。やっぱりまずは英語ですよね。これは多分日本の人は、ジャズ歌ってる人はいっぱいいると思うんですけど、日本だけしか知らないでやっている人は、やっぱり知識が浅いというか、もちろんみんな頑張って勉強しているんだろうけど、こっちで生活しシンガーの人たちのワークショップのお手伝いをしたりしていると、最初に言われるのは、そこなんですよね。日本人はみんな器用で、音楽のこともわかってるんだけど、英語を日常使っていないから、気持ちが伝わらないんですよ。その気持ちの差が、そういう人たちが歌うと、必ず指摘されていますね。もう少しがんばれば本物に近くなるというか。

ー  海外でミュージシャンとして活躍する秘訣、条件というのは何かあるのですか?

日本人として、特有の謙虚さ、慎むことが美しい、みたいなものを変えないとダメですね。そこを変えていかないと、もっとやっぱり頑張って自分でどんどん前に出て行かないと、ずっと認めてくれないから。逆に日本だと前に出ると叩かれるけど、こちらでは前に出ないと目にも止めてもらえないし。そこはやっぱり違うものだと思ってやっていかないと難しいと思います。

ー  将来の夢はありますか?

やっぱり、世界に通用するジャズシンガーとして、日本人代表としてやっていければと思いますね。

ー  海外で音楽の勉強を考えている人にメッセージを頂けますか?

とにかくやり続けること。諦めないでやり続ければ必ずその先があります。

 

福森道華さん/ジャズピアニスト/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のジャズピアニスト福森道華(フクモリミチカ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽家としてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。

ー福森道華さんプロフィールー

ジャズピアニスト福森道華さん
photo by TAKEHIKO TOKIWA

愛知県立芸術大学音楽部作曲科を卒業。上京後、鈴木コルゲン宏昌さんに師事し、東京で8年間活動。2000年に渡米。Steve Kuhnにジャズ・ピアノを師事 し、ニューヨーク市立大学大学院音楽学部ジャズ科を卒業。Lenox Lounge、Cleopatra's Needle、University Street、Beekman Tower Hotel等に出演。ギリシャツアー、アルバムのレコーディングと音楽活動を広げています。ジャズライブハウス「ブルーノート」へも出演し、実力が高く評価されています。また、「CDで学ぶピアノの弾き方/気楽に楽しむポップスピアノ」(ナツメ社)の著者であり「ハモンドオルガン/キーボード ジョーイ・デフランセスコ イン」(ATN)の翻訳なども行っています。


ー  そもそも音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?

きっかけですか?3才のときに母親に地元の音楽教室に連れて行かれたことですね。自宅にピアノがたまたまあったので...。

ー  小さい頃だと興味があったというわけではなかったと思うのですが、やり始めていって、プロになろうと思った瞬間とかがあったわけですか?

そうですね、3才以降、常にやっていたので、そのまま何も考えずに音大に行き、今はジャズをやっているんですけど、あえてこの道に入ろうとしたのは、音大を出てからですね。

ー  日本ではクラシックから始めたようですが、何故ジャズに行き着いたのでしょうか?

あんまり大きくは言えないんですが、音大まで行って、私はクラシックがあんまり好きじゃないと思って。音楽教室はクラシックもやらせるし、ポップスみたいなのもあるんですが、よく考えてみるとそっちの方が好きだったな、というのに気がついて。それまでは学校でも音楽の時間は普通の授業より好きだな、とか音楽だったら何でも好きだったんですが、いざ100%クラシック音楽の環境に入って、ちょっと違うなっていうのがあって。よくよく考えたらテレビでやってる歌謡曲の方が好きって。

ー  今でもクラシックはあまり?

ジャズの道に入ってからは、こっちに必死なんですよね。時間がないから聴いていないですね。

ー  ブラジル音楽がお好きだそうですが、ジャズに進まれたのはなぜですか?

ブラジル音楽はそれで仕事が出来るとは知らなかったんですね。ホントは大学卒業してから、商業音楽家になりたかったんですよね。歌手の人に楽曲を提供する作曲家みたいな。で、そういう人になるならジャズの理論とか知っていた方が良いかな、と思って、テレビでたまたまジャズフェスティバルみたいなのをやっていて、このアレンジがすごい!、この人につきたい、と思ったときに、Dr.JAZZとして日本のジャズを支えて育ててくださった内田修先生にお会いして話したら鈴木君につきたいのか、紹介してあげるから、是非つきなさいと言われて..。鈴木先生が教えているのがアンミュージックしかなかったんですね。それで鈴木先生についてからすごく奥深くて、のめり込んで、難しくて、ジャズしかできない、他のことをやる時間がなく、今に至るという感じですね。

ー  そのころから一気にジャズに変換して、東京でもジャズという感じだったんですね。
 

ジャズピアニスト福森道華さん
Zinc Barでのライブ

変換というか、ふと考えたら他のことをやる時間がなかったし、難しかったし。自分にもあっていたし、すごく好きだったので。たまたま拾ってくれるバンドとかもあったので、東京に行った瞬間からジャズにドボっとはまったという感じですね。ご縁があったんですね。横道を考える暇がなかった。そんな中でブラジル音楽がすごく好きでよく聴いていたのですが、ニューヨークに行ってみたところ、そのブラジル音楽とジャズの両方がすごいクオリティーで存在するので、ニューヨークに住もうかな!、将来あこがれのバーに出れたらいいよな〜!みたいに思って。ZINC BARっていう憧れのBarにでれたらいいよな〜と思ってたんです。そこのバーでは、ぱっと見たらどう考えてもブラジル人しか弾いてないので、まさか自分がステージに出れるとは思っていなかったんですけど。次の人生はブラジル人なりたいと思いますけどね(笑)。本当はブラジル音楽とジャズ一緒にやりたいと思うんですけど、ブラジル音楽もすごい難しいんですよね。リズムの問題で。天才だったら出来たかもしれないんですけど自分の容量はよく分かっていますので(笑)。

ー  渡米を考えたきっかけを教えてください。

ジャズを初めたときから私を育てて頂いた、歌手の植村美芳子さんに、会ったときからニューヨーク行こうよって言われていたんです。でも、お金がないじゃないですか、もちろん。どうやってニューヨークへ?日々手一杯なのに、どうやってお金を貯めてニューヨークへ行くんだ?という感じだったんです。ある日、お金がようやく貯まったので、植村さん今年は行けそうなんですけど、と言ったら、ホントに〜って言われて。私が部屋借りるから、居候でいいから連れって言ってあげるわよ、っていわれて、行ったら初日からはまってしまったんです。私はもうここに住んでしまえ〜、これは住むしかないな、という風に思ってたんですね。

ー  1番そういう風に思われたのはどう部分なんですか?

やっぱり音楽ですよね。すごいショックを受けたんですよね。レコードしか聴いたことがないじゃないですか。いわゆる勉強するとか、ブラジル音楽にしても CDを聴いてう〜んという感じがあるみたいな(笑)。生を聴いて、生ってCDの百倍ぐらい迫力が有るじゃないですか、もちろん東京でもブルーノートとか行ってましたけど、それを1/10ぐらいの値段、もしくはタダで聴ける生活があるなんて。自分がそこに入るなんて夢にも思っていなかったので、とりあえずすがるように、聴けるだけでもいいや〜、という感じで。まさか自分が、そういう人たちに混じるとか、そんなおこがましい事は全然考えていないです。ほんと聴けるだけで有り難うございます、という感じで。

ー  現状で福森さんの音楽スタイルはご自分ではどのようなものだと思っていらっしゃいますか?また、ご自分の音楽をどのように作っていくのですか?

アメリカ来てから音楽に対して、変わったと思うのは、日本にいるときはすごく頭で考えていたんですよ。音楽のことを。とにかくすごい頭で考えていたんですね。こっちに来てからジャズが生まれた国で、ジャズが発展してきた土地で、こうして聴いている訳じゃないですか。しかも、びっくりするような大御所を間近で聴いて、その人たちの音楽を浴びるように聴いからは、頭で考えるんじゃなくて、心から伝えなきゃいけないんだ、っていうのがありますね。自分が日本とニューヨークにいてすごく変わったと思うのはそこですね。それで、それを感じられたのは幸せだなあと思うんですけど。Steve Kuhnに付いているというのもありますし、こちらでは全てがそういう思考なので。Steve Kuhnからは、君は何のために音楽やっているの?って。伝えるものがなければ意味がないじゃないかと。わたしが100万回練習した曲をSteve Kuhnが、なんだこれは〜!って言って、僕はこんなの30年ぐらい弾いていないけどね、と言って、30年ぶりに弾いた彼のその一発が、私の100万回の練習よりも100万倍うまいんですよ、というかずっと良いんですよ。

ー  舞台の上ではどのような事を考えて演奏しているのですか?それとも自然に演奏しているんですか?
 

ジャズピアニスト福森道華さん
Zinc Barで活躍する日本人ピアニスト

日本にいる時は考えて演奏していたんですよ。今は、自然が自然にでるようする、という事ですね。そして頭で考えなくて良いぐらい、練習する。自然に自分がでるように、自分が何を感じているかがすぐに手に伝わるような訓練をしておく。日本ではそれをしていたつもりでも伝わっていなかったんですよね。回路が間違っていた、というか、間違っていたとは言わないですが、あれはあれでよかったんですけど。実際気持ちよくスイングするというのはどういうことか、っていうのを、今自分がスイングしているかということをおいておいても、体でこういうことじゃじゃないのかなっていうのを何となく感じ始められたんですね。そのことは一生考え続けることです。だいたいこっちで育ってないし(笑)。そういうことは良く言われるんですよ、僕達はこちらの音楽を聴いてきて、英語を話してこういう風にスイングしているけど、だいたい君思考回路日本語でしょ、って(笑)。

ー  やっぱりジャズって、ツーカーの部分があると思うんですけど日本人と演奏するときと外国人と演奏するときと、一緒にやるときは感覚はちがうものですか?

やりとりの仕方は一緒です。日本で学んだHow to Jazzでも全然OKです。でもその先のどうやってスイングするとか、あこがれのレコードで聴いていた演奏に近づくには、っていう答えが、今でもずっと探しているんですけど、先生にも言われるんですけど、難しいんですよね。それはもう心で感じるっていうことなんですね。

ー  体に染みついてくるっていうような感じですか?

やっぱり年中浴びるようにあの音楽を聴いて、ですかね。

ー  それはやっぱりずっと住んでいないと分からないような感じですか?

世の中には分かる人もいると思います。私のような人間は、住んで5年たって、やっとなんとな〜くわかりはじめて、でもやっぱり分かってないんだろうなって、感じですかね。こんなこと言っていてもSteve Kuhnに言わせればNever ever swingとか言われちゃうんですけど。やっぱり本では勉強するじゃないですか。奴隷制度があって、アフリカ音楽と西洋音楽の融合みたいな、そういうのをものをこちらにいると身近で感じるんですよね。例えば、ゴスペルとかを見ると、こういうのが根底にあるのね、とか。

ー  ニューヨークに住んでると浴びるように感じるって事ですよね。

ニューヨークに住んでるとテレビも英語でCM流れても英語じゃないですか。その行間に流れる音楽も英語で流れるじゃないですか。日本に帰るとそれが全部日本の音楽、そこにまず、違いを感じます。だから、例えばただテレビでもこれを30年聴いて育ってきたか、きてないかで違うだろうなと。

ー  その部分で根本的な違いが出てくるってことですか。じゃあ更に30年間そちらに住み続けていけば、いわゆる自分の目指している音楽に近づけるということなんですか?

近づけたら良いですね。でも、そういう意識をずっと持ち続けることが大切だと思っています。

ー  音楽活動をする上でどのようなこだわりをお持ちですか?

う〜ん。ないです(笑)。今は電話がかかってくれば何でもお受けしています。

ー  演奏上でもないですか?

ないです。言われたものは何でもやります(笑)。よく分からないんですけど、どうやら私はたくさんの曲を知っているらしいのですよ。日本で最初に入れてもらったバンドがデキシーランドジャズで、普通の人が知らない古い曲から、歌伴をたくさん演らせて頂いていたので、歌手の人達が好む曲まで。そういう意味でも使ってもらえることが多いです。なので、雇ってくださった日本のバンドリーダーに感謝しています!。よく言われるんですよ、あなた多分日本人で結構若いわよね、なんでそんなおばあちゃんが知っているような歌知っているの?って(笑)。

ー  音楽活動して最も興奮することはどんなことでしょうか?

一緒に演奏している人達と、今なんかすごく通い合ってるなって感じるときですかね。その瞬間ってすごい曖昧なんですけど、グルーブしてるというか。自分なりにスイングしているってときですね。

ー  その時はお客さんにも伝わるものですか?

伝わると思います。のってない時ってお客さん、聴いてないんですよ。Zinc Barとかでもざわざわざわ〜っとしてて。で、やっぱりワッってバンドがするとお客も聴いてるんですよ。正直ですよね(笑)。     

ー  自分たちが今日はのってないな、という時はお客さんものってないなってなっちゃうんですか?

うーん、自分たちは100%でやっていたとしても、なんかのきっかけでうまくいかないことがあるんですよね。わかんないですけど。常に良い状態を目指してはいるんですけど。音楽からエネルギーを感じるか感じないかでうまくいかないことがあるんです。ダラダラした演奏をしようと思ってなくても、結果的にエネルギーが音楽に行き届いていないとそれがお客さんに伝わるんですね。

ー  ミュージシャンは盛り上がっていこうとしてもいまいちのれないときがあるって言うことですよね?

そうですね。いつも音を出した瞬間にときにバーンと来るのが理想なんですけど。

ー  日米の観客の違いはありますか?
 

ジャズピアニスト福森道華さん
ライブの後のホッと一息

そんなに違いはないような気がしますけど、例えばレストランで演奏する時にお客さんは聴こう、聴かないはあまり関係ないはじゃないですか。ただ、アメリカ人の方が楽しもうという雰囲気を持っていますよね。日本人の方がちょっと構えちゃう?っという感じ。でも日本人の人は慣れてきたら、良い感じで聴いてくれます。

ー  ジャズクラブのお客さんも日米で違う感じですか?

ジャズクラブはジャズが流れてるって分かってるから、そんなに違いは感じませんね。

ー  福森さんにとって、ジャズって、音楽ってどんなものでしょう?

なんでしょう、もうこんなに長くやってしまったんで、人生の相棒といったところでしょうか。そんなこと言いながら、いろいろ趣味はもっているんですけどね(笑)。

ー  ニューヨークで最も受けた影響って何ですか?

ニューヨークで音楽的に、う〜ん、やっぱりSteve Kuhnに付いていたんですけど、やっぱり一番影響を受けましたね。音楽に対する姿勢というか。姿勢って言っても私よく分からないんですけどね。ああいう偉大な人って、1時間半ぐらいのレッスン受けるだけでもものすごい、なんかワーって言うオーラみたいなものがあるんですよ。天才オーラというか。横で弾いてくれてるだけでも影響は受けますよね。

ー  技術とか、うまい下手とかそういうわけではないんですよね?

そういうんじゃないです。多分Steve Kuhnの人生がその音に詰まっていて、その音を通して、影響を受けるみたいな感じでしょうね。

ー  それがご自分の演奏にも出てくるって感じですよね。

ええ、マニアですので。オタクやなあ、と思うんですけど。彼のレコード集めてるし、ニューヨークでのライブはほぼ100%聴きに行ってます。

ー  将来の夢を聴かせて頂けますか?

もっとうまくなりたいですよね(笑)。(技術的ではなく)もっと自分を伝えられる音楽家になりたいですね。結果的に自分を伝えて、ハッピーを共有できたらいいですよね。

ー  お客さんがいいと思っている事はミュージシャンに伝わるものなんですか?

伝わります、さっきのざわざわしているって言うのと同じで、のっているときはエールの交換みたいな。そうするとミュージシャンものってきて。相互に良い感じですよね。

ー  海外でミュージシャンとして活躍する何か秘訣というか成功する条件はあるとお考えですか?

私が成功しているかどうかよくわかんないんですけど、やっぱり必死になることですかね。ジャズの場合、ニューヨークが本場じゃないですか、それで、そこを毎日毎日憧れてくる人が何百人といる訳じゃないですか。で、自分の前には何万人といる訳じゃないですか。だから必死でやっていかないと、ついて行けないですよね。

ー  逆に言えば、必死でやればチャンスがあるって言う感じですか?

そうですね。

ー  海外で勉強したいと考えている、読者にメッセージをお願いします。

海外で勉強するという夢は絶対叶うと思います。それはもう自分で努力して、お金を貯めれば叶うじゃないですか。勉強して卒業するまでは出来ると思うんですよ、誰でも。でもそこから先がスタートって言うか。それを活かせるような心がけというんですか、あと熱意です。それと努力の方向を間違わないようにする事。留学する方に取っては先の先かもしれないんですけど。演奏家になりたいといっても演奏家になれる人は、ほんの一握りの人達だけなので、演奏家になりたい場合はやはり覚悟を決める事です。必死さと方向を間違わないことですね。やっぱり難しいので空回りしてしまうこともありますし。自分の必死が報われるような努力をしないとダメです。あと練習だけではなく、アンテナも張らなくてはいけない。仕事を取るという意味です。やっぱりいろんな人と交流をはかっていないと、情報が入ってこないですね。そういうのも大事だと思います。もちろんチャンスが来たときに、自分の実力がそれに伴っていないとダメです。夢を持って留学されて、その夢を叶えるためには、常に自分の実力が伴っていないといけないので、そういう状態である事が必要ですね。

福森さんのオフィシャルホームページでもライブ情報を公開しています。
 

敦賀明子さん/ジャズハモンドオルガンプレーヤー/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のハモンドオルガンプレーヤー敦賀明子(ツルガアキコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ハモンドオルガンプレーヤーとしてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。

ー敦賀明子さんプロフィールー

ニューヨークのオルガンプレーヤー敦賀明子さん
敦賀明子さん

3歳の頃からオルガンを始め、高寺文子氏、セキトオシゲオ氏、当麻宗宏氏に師事。大阪音楽大学時代にジャズに目覚め、ジャズピアノを大塚善章氏に師事。卒業後ピアニストとして関西一円で活動を始める。その後、ハモンドオルガンを独学で学び、2001年に本拠地をニューヨークに移す。ピアノをSir. Roland Hanna、オルガンをDr. Lonnie Smithに師事する。同年にハーレムの老舗オルガンクラブ、“SHOWMANS”(ショーマンズ)でレギュラー出演する。Grady Tate (Drums, Singer)、Frank Wess(Ts,Fl)、Paul West(Bass)などと共演する。Grady Tateのグループではリンカーンセンターの野外コンサートやブルーノートなどのジャズクラブに出演。2003年3月、Time Out New Yorkで将来有望なオルガンプレイヤーとして紹介される。同年5月には初帰国ライブを行い、SwingJournal, ジャズ批評で紹介される。2004年春にM&Iからアルバム「ハーレムドリームズ」をリリース。 翻訳の仕事も手がけ、「Hammond Organ Complete: Tunes, Tones, and Techniques for Drawbar Keyboards(Dave Limina著)」をATMから2004年秋に出版した。現在NYで最も注目を受けているオルガンプレイヤーの一人である。


ー  もともと音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?

3歳の時に、ある日エレクトーンが家に来て、運んでくれた楽器屋さんが簡単な曲を弾いてくれたんです。それを聴いて、なんて素敵なんだろう、と(笑)。もともと音楽を聞くと喜んでいた子供らしく、子供のころ、テレビの音楽にあわせて手を叩いたりとか、歌を歌ったりとかが大好きだったそうです。それで親が何か習わせてみようかな、と思ったらしいんです。家が狭いからピアノは無理だけどエレクトーンならいろんな音が出るし、ということで。それで、エレクトーンを聞かせてもらったのが格好良かったので、私も習ってみたい、と近所の音楽教室に通い始めました。

ー  そのときはジャズとかクラシックとかこれをやりたいとかそういうのはありましたか?

全然ないですね。ピアノの先生がエレクトーンも教えていたんです。エレクトーンを扱っているけどピアノの本をやったりとか。最初はピアノの本だったんだけど、そのあと世界の小唄みたいな、全集みたいなものをやったんです。それにコードネームが書いてあって、それを弾く、っていう感じで。何かその中に、今思えばジャズの曲も入っていたと思います。そのあとの先生が、エレクトーン専門の先生でした。エレクトーンはグレードがあるんですけど、グレード試験受けるときに一番最初にはまったのがフュージョンです。先生の息子さんがドラムをやっていて、フュージョン聴いたり一緒にバンドをやったりしていました。高校の時に専門コースに通ってたんですけど、エレクトーンプレイヤーの方に習っていました。 Giorgia on my mindを楽譜で弾いていたんです。それとかマンハッタンって曲。今思うと結構Jazzyな曲が好きになって、こんな感じの曲をもっと弾きたいって言ったら、ジミースミス(Jimmy Smith)聴いたらいいって先生に言われて聞いてみました。教室にライブラリーがありレコード聞いてみたんです。そしたら何じゃこりゃっ!って(笑)。先生は、彼は素晴らしい!って、すごい熱く語ってたんですけど、最初はなんかねえ、すごいなあ〜、って感じでした。音の洪水って感じです。全部同じ音だし。こういうのもあるんだな、って思いました。それまではハモンドオルガンって言うのを聴いたことがなかったんです。それで、これがハモンドオルガンって言うのか、と思って。

ー  ではその頃からハモンドオルガンをやり始めようと思ったのですか?

いや、その時はやるんなら作曲科に進みたかったんです。ところが、高校三年の時にエレクトーンの先生から紹介してもらった先生が、作曲にはコネがないみたいだったんです。なんかその先生もすごい面白い先生で、音大出たら、お見合いの時に便利だから、って言って音大を薦めるんです(笑)。最初、武庫川女子大学の音楽学部とか山手短大ってとこがあって、そこの音楽科とか、とにかく作曲科に行きたかったんです。でも先生が、「音大」ってついてたらお見合いの時に強い、っていわれて(笑)。今は分からんかもしれないけど、大きくなったら分かる、と言われて(笑)。それが高3の5月だったんです。それまで一度もピアノを弾いたことがなかったんですよ。それで、エレクトーンの月謝もすごく高かったし、3人兄弟で私が長女なんですけど、それ以上に私にばっかりお金かけるわけにはいかなかったんです(笑)。それで、音大に行くっていったら、本当はトーンとか、それぞれ違う先生につかないといけないわけです。でも、その先生の場合は全部まとめていくら、って感じで、なんでも教えてくれて。なんか考え方とか変わってて面白かったですね。受験のためだけに習いに行っていたんですが、緊張して会いに行ったら音大言ったらお見合いの時便利だよって言われて(笑)。それで習いに行くようになって、ピアノは全然やっていなかったからそこからソナチネを始めて。エレクトーンはちょっと休んで。

ー  それで、音大に入ってから何故ジャズに目覚めたんですか?

クラシックで音大に入ったんですけど、みんな上手だったんで、これはついていけないなと思って(笑)。私が習った大学のピアノの先生が、私が前にエレクトーンをやっていたというので、手の形がどうとか、手の形が悪いとかいつもネガティブなことばっかり言われたんです。私はクラシックがやりたいと思って学校に入ったのに、なんかやる気なくなってきて。そうじゃなくてもピアノは鍵盤が重たいからしんどかったんですよ。なんか手にしっくりこないというか。ずっと練習してましたけど。でも、そのころからエレクトーンもまたやり始めていました。それは将来のためにヤマハのグレードを取っていたほうが良い、と思ったからです。その頃のヤマハというのは、グレードが上がるにつれてジャズの曲が多くなっていったんですね。一人ビックバンドって感じでした。エレクトーンがもっとシンセサイダーみたいになってて、ブラスとか、ストリングセクションとか。で、試験受けるときにジャズの曲を弾いた方が.....受かりやすいって聞いたんです(笑)。また学校にもライブラリーがあったので、オスカー・ピーターソンとか聴きました。その頃、子供の頃から一緒にエレクトーンを習っていた友達がジャズピアノを習い始めたんですよ。大塚善章さんに。面白いなって思いました。あ、そっかって思って。それで、音大を卒業してヤマハのエレクトーンの講師になったんです。講師になったんだけど、やっぱりグレード試験ちゃんと受けようと思ったんです。3級まで言ったのかな。指導グレードと演奏グレードというのがあるんだけどそれを全部取りました。そのグレードを取る少し前に私も大塚善章さんにジャズピアノを習いに行ったんです。面白いって思って。そのころ世の中がバブルで、新人のお仕事が一杯あったんですよ。ソロピアノで。私の友達は結構きれいで社交的だったんで、あっという間にそういう仕事をゲットしたんです(笑)。大阪は特にだと思うんですけど、どこでもそうかもしれないけど、ちょっとかわいくて、社交的な人のほうが仕事が取れるんだと思います(笑)。誰かのサブとか。彼女は彼女ですごく自分のサブを探してたんですよ。で、彼女は私に無理やりサブをやらせようとしたんです(笑)。あ、その前に、大学時代に近所のピアノバーみたいなところがあって、ピアノ喫茶みたいなとこですけど、そこに弾きにいってたんですよ。なんちゃってピアノで、ジャズみたいなものを一人で弾いたりしてましたね。

ー  じゃあ、ジャズは大学のときからやっていたんですね。

そういえばしてたんですね。楽譜を見たりしてやってました。

ー  何か惹かれたものがジャズにあったんですか?

クラシックが面白くないから(笑)。

ー  では、ジャズは面白かったですか?

面白かったです。アドリブとか弾けるし、自分で作れるし。

ー  敦賀さんはハモンドオルガンプレーヤーですが、あまりこの楽器に親しみのない方もいるので、ハモンドオルガンというものを簡単に説明してもらっていいですか?
 

ハモンドオルガン
ハモンドオルガン

ハモンドオルガンは、時計職人のローレンス・ハモンドという人がアメリカで発明した電気オルガンで、時計のぜんまい仕掛けと同じなんです。オルガンの真空管を使用し、パイプオルガンをもっと家庭用にできないか、というコンセプトで作られました。ぜんまい仕掛けの技術を利用して、パイプオルガンを小さくして、キーを押したら、接点が7個あり、ドローバーといういろいろな音に切り替わるものがあります。それを引き出すことによって、いろんな音が作れます。またレスリースピーカーという、スピーカーの上に羽がついているスピーカーを使用します。この羽を鳴らすんですが、この効果は簡単に言うと扇風機のそばで、わ〜って言ったら、振動音が出ますよね、あんな効果があるんですね。
注)Hammond Organ Complete: Tunes, Tones, and Techniques for Drawbar Keyboards(Dave Limina著)敦賀明子さん翻訳

ー  ハモンドオルガンに惹かれたきっかけを教えていただけますか?

日本でジャズピアノの仕事を始めるようになって、大阪のあるところで、レギュラーをやっていたんです。そこで、ジャムセッションをやっている、ということで、ジャムセッションに行き始めたんです。その時に、オルガンやってる人がいて、カッコイイなと思っただけど、オルガン一人で弾いてても、他の人ができないから、ピアノを一生懸命やっていたんです。レギュラーとかジャムセッションをその頃毎日やっていました。それでそこがブルーノートの前だったんで、ブルーノートからアフターステージの人が一杯来たんですよ。それこそ、ロイ・ハーグローヴ(Roy Hargrove)とかグラディ・テイト(Grady Tate)もそこで会いました。そのときはピアニストはたくさんいて、ピアノは順番があまり回ってこなかったんですけど、オルガン弾いたら、オルガンを弾ける人あんまりいなかったので、ずっと弾けたから、それでオルガン弾き始めたんです(笑)。そこで東京から来ていたドラムの人にオルガン上手ですね、と言われて(笑)。そうなんや、って思って(笑)。昔からやってたし、ピアノと違って、オルガンは鍵盤軽かったので音出すのに苦労しないし。子供の時からやっていたから、手になじむという感じです。

ー  そのように日本でプロでやっているにも関わらず、何故渡米しようと思ったんですか?
 

ニューヨーク・オルガン敦賀明子さん
ニューヨークを生きる

同世代の友達があるときを境にみんな留学でアメリカ(ニューヨークとボストン)に行ったんです。結構それで、アメリカに遊びに行くようになりました。丁度そのころ大阪でグラディ・テイト(Grady Tate)と会ったんです。そのときジミースミス(Jimmy Smith)と一緒に来ていたんですが、オルガンも弾くって言ったら、オルガンなんか嫌いだ、ピアノやれ、って言われて(笑)。その頃グラディ・テイト(Grady Tate)さんは半年に一回ぐらいは来ていたので、もう一回会って、聴いてもらったら、もうニューヨークに来たら良いのにって、言われたんです。そのときはそう言われましたし、ニューヨークに友達がいたし、1年に1回ぐらいはニューヨークに遊びに行っていました。友達はそれなりにニューヨークで演奏活動をしていたんで、行く度に私もやってみたいな、ここに来たらすごい楽しいことが待ってるんだろうな、と思いました。1年位だったらいけるかな、お金ためて、と。バイトもして、お金も貯まったので、それでB3(注:オルガンの型)を買うか、ニューヨークに行くかちょっと迷ったんですけど、どうせだったらニューヨークに行ってみようと思ったんです。

ー  そのときは音楽活動を目的としてニューヨークに行かれたんですよね?

そのときはオルガンをやろうと決心していました。日本ではホームプレイヤーとしてやることがなくて、特にオルガンは誰かのバンドでサイドメンでやるということがほとんどなかったんです。私は人のバックでホンピングするのが好きだったので、そういう勉強をしてみたいな、とも思っていたんです。アメリカに行ったら一杯ミュージシャンもいるし、人のバックで演奏する機会もあるだろうと思ったので。

ー  ニューヨークは本場という意識はかなりあったんですか?

ニューヨークは流れてる空気も違ったし、ここにいるだけで、自分がすごい成長できるんじゃないかと思ったんです。

ー  敦賀さんの自分の音楽スタイルはどうやって作っていくのですか?

自分がそのときに聴いているもので、こんな風にやってみたいな、って言うのがあったらまねしてみたりですね。スタイルというよりも、ニューヨークに来てびっくりしたんですけれども、みんなオルガンに合わせて踊るんです。ニューヨークに来てすぐ位の事だったんですが、ハーレムの125丁目のシーフードレストランで、ボーカルの人の曲で、すぐにギグをやったんですよ。今も一緒にやっているサックスの友達が、ここでやっていくなら絶対オルガンやで、っていうんで、なんで?って聞いたら、ベースプレーヤーがいないから、って(笑)。ベースプレーヤーを探すの大変な街だから、オルガン弾いていたら、ベースもできるし、ピアノもできるし、絶対こっちのほうが仕事ある、って。私自身はそんなこと全然考えてなくて、お金が尽きたら帰ろうと思っていたので。そのときはふ〜んって思って。それで、Showmansに行くのに、最初怖いから、ボディガードを連れて行ったら追い返されて、というかいいように断られたんです。それで二回目に、女なら良いだろうと思って、友達の女性を連れて、入らせてもらったんです。それでそこに結構二人で通ったんです。そうしたら店の人が目をつけたみたいで。

ー  お客さんのふりをして通ったのですか?

ええ、もちろんギグ取ろうと思っていました。お店の人も覚えててくれて、それから一人で行ったりとか。そしたら友達がこれ絶対ギグ取れる、と言い出したんです(笑)。もう一息だと言うんですね。グラディ・テイト(Grady Tate)も連れていこうと言って一緒に行ったりしました。たまたまボーカルの人が来たので、じゃあ3人でやったらということになったんです。お店の人が 3人だったらやらしてあげる、って。それでShowmansに行き始めて、結構すぐに違う曜日にも行き始めたんですよ。多いときだと週に3日ぐらいレギュラーで貰っていました。そこで知り合った人からも別のギグをもらったんです。その後、引越しをしたんですけど、何で引っ越ししたかって言うと、オルガン運ぶには車じゃないと無理ってことが分かって(笑)。最初は地下鉄で運んだんですが、本当に大変でした(笑)。それで車持ってないなら、アクセスしやす場所に引っ越したほうがいいな、って。本当に重くて、一度運ぶと体中に青あざできるぐらい重いんです(笑)。それも重すぎて誰も手伝ってくれないし(笑)。今はもう少し軽くて音がいいキーボードがあるんで、それを使ってるんですけど。

ー  現在は日本人や外国人と演奏しているわけですが、一緒にやっていて、人種の違いはありますか?

ニューヨークはいろんな人種の人がいますよね。白人とか黒人とか。ついこないだも私以外全員黒人っていうバンドでやったんですけど、その時になんだか彼らはすごいなって思ったんです。雰囲気が、なんていうのかな、フィーリングって大切だな〜、って。それは例えば、外国人が演歌を歌います。でもなんとなくフィーリングが出そうで出ないじゃないですか。そういう感じでなんですよ。そのときもちろん私は頑張ったんですけど。これは外国人が津軽三味線をやろうとしてもなかなかフィーリングが出ないのでと同じで、私が演歌やって、歌は下手だけど、ここでこぶしの一つでも聞かせれば効果的だとか、下手でもフィーリングだけは伝わるって言うかそういうのは分かるし出来ると思うのです。それはやはり小さいときから演歌を聞いてきたからというのと、そういう日本の文化で育ったというのがあるんだと思うんです。やっぱり私達外国人の日本人がジャズをやるっていうのもそういうことなんだろうなって思ったんですね。でも外国人が日本の演歌をやった時に、違う感性で同じものをやるとそれが結構面白かったりするでしょう。だから結構外国人の私たちがジャズを弾くってことは、アメリカ人からしたら違う観点でジャズの物事を私たちが捕らえていて、それはそれで面白いと思っていると思うんです。

ー  演奏中にうまくフィーリングが出ないなと考えているのですか?

いやもう頑張ったのに何か、自分の中ではこういう風に弾きたいって言うイメージがあるんです。例えばジミースミス(Jimmy Smith)のキーンて弾くおいしいとことかね。それを弾こうと思うんだけど、でもその時に、一緒にやっているエリック・ジョンソンがギターが、一音ガーンって弾く音のほうが私がやるよりも格好良いんですよ(笑)。

ー  どうしてそういう差が出るとお考えですか?

やっぱり、一つは文化の差。そして、彼らは一音にこめる感覚って言うのが、すごいフィーリング持っているのにも関わらず、すごいリラックスしてるんです。フィーリングとか、パッションで弾く日本人のプレーヤーもいると思うんだけど、なんとなく、頑張ってます!っていう感じに終わってしまう人が多いと思います。何が違うかって考えると、アメリカ人の場合は、すごいがーっと集中して演奏に入ってるんだけど、その間もリラックスしてるんですよ。肩の力が抜けてるんででしょうね。何でかというと、やっぱりアメリカの人たちは、最初からそういうフィーリングを持ってるからだと思います。日本人だと、そういうグルーブのフィーリングを、ジャズのフィーリングを身に着けるところから始めるじゃないですか。日本人とアメリカ人のテクニカル面での差はないと思うけど、フィーリングの違いですね。確かにオルガンって難しいのもありますけど。ハモンドオルガンは右手でメロディー弾いて、左手でベース弾いて、ベースペダルで、左手で弾いてるベースに、例えばウッドベースを弾いてるときに、立ち上がりがありますよね、ああいうのをベースで弾くんですよ。ちょっと練習してなかったら、バラバラですね。

ー  ちなみに練習はどのくらいなさるんですか?特にプロになったあとなんかどうですか?

ニューヨークに来て、一番思ったのが日本でいかに練習してなかったか、って事ですね。アメリカに来てから本当に一番必要なのは練習だったと思いました。ニューヨークの人たちはみんな本当に練習してます。例えば、DR.ロニースミスというオルガンプレーヤーに、オルガンを個人的に聞く機会があったんですけど、一日中弾いてますね。テレビ見ながら(笑)。オルガンをテレビの前において、テレビ見ながらずーっとオルガンを弾いて手を動かしています。テレビが面白くなったら、オルガンの手を止めて、テレビの音を大きくして(笑)。あれ見てたら、人生観変わりましたね。私はテレビ見ながらやるんだったら、集中してがんがんやったほうがいいのでやり方は違いますけど。DR.ロニースミスの場合は、とにかく楽器に触れるということが大切だと言って、朝起きたらまず楽器に触れる、夜寝る前は楽器に触れる、という生活ですね。楽器とともに生活という感じですね。     

ー  音楽活動をやっていく上で、何かこだわりみたいなものはありますか?
 

ジャズオルガン
ジャズオルガンプレーヤー

人が踊れないような音楽は絶対しない、ということです。楽譜にかぶり尽いて、聞いてる人がリズムにあわせて体が揺れないような音楽は絶対にやりません。

ー  日本とアメリカのお客さんの違いって何ですか?

アメリカのお客さんというのは反応が、日本のお客さんに比べてダイレクトですね。良かったらわーって言うし、あんまり良くなかったら、すごい喋るんですね。こっちが気分良く弾いていたら、それに対する反応というのはすごいダイレクトですね。去年日本でCD(注)が出て、日本でライブツアーをしたんですけど、その時にやっぱり日本のお客さんは国民性の違いだと思うんだけど、奥ゆかしいというか、でも実は喜んでいる、という感じがありますね。日本で嬉しかったのは、最初にみんなすごい固い表情で見てるんだけど、だんだんお客さんの表情が和らいでいくのを見るのがすごく楽しいです。国民性の違いというのは面白いですね。
(注)「ハーレムドリームズ」(2004/05/19発売)

ー  音楽をやっていて一番やっていて良かった、興奮したと思う瞬間はどのような事ですか?

やっぱりすごく良いメンバーと、すごく良いお客さんが聞いてくれるところで演奏して、ものすごくビートが気持ちよくて、このままやめたくないなって思うときですね。

ー  それはバンドのメンバーにもよりますか?

オルガンは自分自身の負担が大きいので、サポートしてくれるとうれしいですね。そういう意味でメンバーによって気分は変わってきますね。グラディ・テイト(Grady Tate)のバンドでもやってるんですけど、彼とやるときはいつも楽しいです。彼はすごいんです。ボーカルのバンドでやることが多いんですけど、やっぱり彼はジャズの生き字引みたいな人で、持っている引き出しがすごく多くて深くて一緒に演奏していて楽しいです。ジャズのことを知り尽くしたっていうか、アイデアもそうだし、本当にスキャットずっとしても、その抑揚のつけ方とか、引き込まれるような感じがあります。自分が上手になったような気がする位です。そのくらい違うものですね。バンドとしての質も一気に上がります。

ー  ニューヨークで受けた影響って何かありますか?

ビートや音楽に対する気合という事に影響を受けましたね。やっぱりいろんなところからニューヨークに音楽をやりに来ている人が多いので、みんな生きていくのに必死です。ギャラも多いわけではないし、そうなると自ずと競争も激しくなります。そうするとやっぱり音楽に対する情熱がないと生きていけない。もちろん情熱があっても上っていけない人は一杯いますけど。

ー  敦賀さんにとってジャズや音楽とは何ですか?

自分の人生です。Dr.ロニースミスなんかは、「人生を音にしろ」って言ってますし。

ー  カッコイイですね。そういう人生を歩んでいる方の将来の夢はどのようなものですか?

私の音楽で、聞いてる人がハッピーになって、幸せな気分になってもらいたい、ということですね。

ー  海外でミュージシャンとして、成功する秘訣ってあるとお考えですか?

人に誠意を尽くすことだと思います。いくらうまい人でも、やっぱりいい加減な人はそれなりになってしまうと思います。日本もアメリカも一緒だと思うんですが、人間として必要なことだと思います。グラディ・テイト(Grady Tate)もそうなんですが、ジャズを育てよう、っていう意識があるんですよね。有名でも決して威張ったりするわけでもないですしね。人間として成長することが成功することの条件なのでしょうね。

ー  今後の敦賀さんの演奏活動をお聞かせいただけますか?

(2005年)来月8月にリンカーンセンターでアフターアワーズで1週間トリオで出ます。エリック・ジョンソン(ギター)とビンセント・エクター(ドラム)と一緒です。8月末から日本にツアーで帰ります。こちらはエリックジョンソンと田井中福司さんの3人で。普段は、私のバンドって言うのが2ヶ月に1度クレオパドラーズニードル(Cleopatora's Needle)でやったりたまにスモーク(Smoke)やショーマンズ(SHOWMANS)などでやっています。

ー  今後海外で勉強しようと考えている方にメッセージをお願いします。

日本でできることは全て日本でやってからアメリカに来たほうが道は早いと思います。例えば、アメリカに来てもすぐに人と演奏できるぐらいの技術を身につけておくなどです。アメリカに来て一から学ぼうとすると、言葉の問題とか、生活に追われたりとかするからです。アメリカ来て、人と演奏して、言葉が通じなくてもなんとかなる、って言うぐらいのレベルにするといいと思いますね。これが一からだったらもっと時間がかかるだろうし。日本で習えることは日本で習って。ジャズだけではなくて、クラシックでもそうなんですけど、まったく初心者でアメリカで来るというのはお勧めはしないですね。日本でやることはやって、ある程度経験を積んでからの方がいいと思います。

ー  仕事を得るのはコネクションが多いですか?

やっぱりコネクションが多いですね。だからみんなに誠意を尽くしていれば、話が周ってきますよ。嫌な人でもニコニコして。私はなかなかできないんですけど(笑)。言葉ができなくて、向こうも何を言ったらいいか分からないということもあったんですね。笑顔は世界共通、たまに彼女はアホかって言われることもあるらしいんですけど(笑)。やっぱり女は愛嬌ということで(笑)。

ー  最終的にはジャズならアメリカに行ったほうがいいんですかね?

自分の音楽のスタイルさえできたら、音楽をやるのはどこでいいとは思うんですけれども、ジャズをやっている以上は、一度はここの街のもつムードを経験するのは、絶対プラスになるでしょうね。

ー  ありがとうございました。
 

奈良希愛さん/ピアニスト/ドイツ・ベルリン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はヨーロッパ各地、アメリカに留学経験があり、現在ベルリンと東京を中心に大活躍されているピアニスト奈良希愛(ナラキアイ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学をすること」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年12月)。

ー奈良希愛さんプロフィールー

ピアニスト奈良希愛さん
奈良希愛さん

東京藝術大学卒業。ベルリン芸術大学首席卒業。同大学院国家演奏家コース首席修了。マンハッタン音楽院大学院プロフェッショナルスタディーコース修了。マンハッタン音楽院室内楽科助手を務める。全日本学生音楽コンクール全国第1位、シュナーベルピアノコンクール、ブゾーニ国際コンクールなど多数のコンクールで上位入賞。ロベルトシューマン国際音楽コンクールピアノ部門、日本人初の第1位金メダル優勝。ドイツ学術交流会、文化庁芸術家在外研修等奨学生。ドイツ国営放送局主催アイゼナハ/ヴァルトブルグ城演奏会、ボローニャ国際ピアノフェスティヴァル、NHK-FM名曲リサイタルなど、世界各国の音楽祭から招待。ベルリン響、ツヴィッカウ響、新日本フィルなど内外のオーケストラと共演。ソロ活動の他にトーマス・ティム(ベルリンフィル第2バイオリン首席奏者)、アンドレアス・ティム(ベルリン交響楽団首席チェロ奏者)とピアノトリオを結成し、各地の音楽祭から招待。現在、日本とベルリンに主な拠点を構え、世界各国で演奏活動を展開。指導者としても各地で公開講座、コンクールの審査を行う。音楽雑誌『ショパン』にエッセイを連載中。2006年4月より相愛大学音楽学部専任講師に就任。


—  簡単な略歴を教えていただいてよろしいですか?

奈良 東京藝術大学を卒業後、ドイツ政府の奨学生としてドイツ・ベルリン芸術大学に行きまして、そのまま大学院まで行きました。その間にスペインの音楽院やイタリアでプライベートレッスンを受けた後、1年間ほどマンハッタン音楽院で実習をやりながら大学院に通って留学は昨年終わったところなんです。

—  いろいろな国に行ってらっしゃいますが、ドイツ以外の所にもいろいろ行きたかった、ということですか?

奈良 最初はヨーロッパに留学したいなという漠然とした気持ちがありました。そして、先生とのご縁や奨学金をいただけることでドイツに行きました。ドイツものを勉強しているうちにスペイン音楽に興味を持ちました。スペイン音楽というのは、ヨーロッパ内とはいえドイツとは社会や文化が違いますので。そこでピアニストの熊本マリさんにお手紙を出してお返事を頂き、彼女の先生をご紹介いただいて、スペインに行くことになりました。また一方ではイタリアのカトリックな宗教的なものにも興味がありまして、カトリックの聖地であるローマに行きたいなということで先生のご縁があってイタリアに行ったのです。アメリカは最初そこまで希望していたわけではないのですけれども、ヨーロッパでは勉強させてもらったと思っていましたし、アメリカの先生がずっと前から大陸の違う国でも文化があるということを肌で感じたほうがいいよ、というふうにおっしゃっていましたので。でもアメリカは学費も高いし、あんまり乗り気でもなかったしちょうどテロもありましたが、大学の方から奨学金が出るということでそれでは行って来ようかなと1年間行きました。

—  一番最初に音楽に興味を持ったきっかけというのを教えていただいてよろしいですか?

奈良 年の離れた姉がいるのですけれども姉がピアノを弾いていまして、家に楽器はあったんです。音楽一家ではなく、代々法律一家でした。ただ楽器に対して興味を持って、よく自分で作曲までいかないけれど歌詞を付けながら音を鳴らしてピアノをおもちゃとして遊んでいました。そこが音楽との出会いの最初かもしれません。

—  2歳くらいからピアノをやっていらっしゃるのですよね。

奈良 母が一応バイエルだけは一緒に弾きながら教えてくれたのですけれども、それ以上は、母は全く素人ですので限界が生じました。幼稚園の先生がどうも私は耳がいいらしいというようなことを感づいて音楽教室にでも連れて行ったらどうかというふうに言ってくださったのです。それで私を音楽教室に連れて行ったら楽しんでやっていたということで音楽を習い始めたのです。

—  それではクラッシックから入っていったということですか?

奈良 バーナムとかトンプソンというのがありまして、一応姉が習っていたからかもしれないですけれども古い楽譜があってそれを始めて、バイエルから取り組みました。

—  例えばポップスとかジャズとかそういうものに小さい頃は興味は持たなかったんですか?

奈良 もしかしたら答えになっていないかも知れないんですけれど、ピンクレディーとか良くそういうレコードなどは聞いていたんですけど。ピンクレディー以外は歌えないかな(笑)。

—  いろいろな国に行かれていますが、音楽をやるにあたってそれぞれ良い点悪い点というのはありますか?

奈良 これは人それぞれなのでご縁があるかによりますし、それを私のところで強く言うことはないのですけれども、私はヨーロッパのほうが長かったのでアメリカよりヨーロッパの方が、相性が合うタイプではありました。世の中にはアメリカの方に先にご縁がある方もいるし行きたいと思う方もいるから私は比べる気はないんですね。要は行きたいと思った所にタイミングよく習いたい先生がいるということが大事だと思うのです。みんなが行くからというよりは、自分が行きたいという理由が本心である場所を選ぶべきだと思います。     

—  本当に縁がある場所に行くのがいいのではということですね?

奈良 縁とあと相性ですね。行きたいという気持ちがなければいけないと思います。とりあえず行ってみるだったらとりあえずの結果になると思います。

—  スペインやイタリア、ドイツと比較してなにか個人的にここは良かったな悪かったなという点はありますか?

奈良 私は比較的いい先生にお目にかかったものであんまり悪い点はなかったのです。そういう意味でどこの国でも補う形であったのは確かですね。長所がそれぞれ違うので。ドイツで習った先生はすごく学者的、教育者的なタイプであり、ピアノという音楽、クラッシック音楽はそれだけが幹のように生えているわけではなくて、宗教的なものが背景にあり国民の感情とか過去の歴史があるという事を私は学んだんですね。日本だったら次々にエチュードをこなしたり試験に向けてやっぱり練習したり、何かにつけてピアノのソロばかりに頭がいきがちでしたけれど、クラッシック音楽というのは何かから派生しているものなのだなという事を、ヨーロッパに来て初めて納得したというのがあります。理論的なことはすごく強くドイツから学んだのですけどスペインやイタリアはラテン系なのでどちらかというと感情に結びつけるという、頭だけではいけないものを補ってもらう形で学べたと思います。アメリカはまた大陸が違うと、こんなに違うのかという感じでした。やや日本に似ているのかもしれないけどクラッシックに関しては歴史がヨーロッパと比べるとそんなに深くないので、また違うエンターティメント的な華やかさをアメリカは持っているのだなというふうに思いました。

—  ヨーロッパは過去の歴史・文化の中から出てきたものがあるけれどもアメリカはエンターティメント性が強いというのが一番印象的な事でしょうか?
 

ドイツ・ピアノ
ドイツと日本で大活躍

奈良 アメリカはどちらかというとアメリカナイズされているなと私は思いました。アメリカはもちろんヨーロッパを高く評価していますけれども、自分は強い国だということを分かっていますから自分達は決して間違っていないというのを信じています。だからちょっとギャップがありますよね、正直。

—  ヨーロッパからアメリカに行かれるとちょっと引いちゃうところがあるのですか。

奈良 私はちょっとじゃなくて、「・・・ああっ」というような。

—  かなり。

奈良 好みの問題もあるのですけど、アメリカはどちらかというと最後にワーッて華やかに終わるほうが好きで、ヨーロッパはどちらかというと演奏が終わった後でも余韻を楽しんでからやっと拍手が出るほうが好きという感じです。私はヨーロッパが長かったのでヨーロッパタイプの音楽の方が好きなだけです。

—  海外で仕事をすることで日本人が有利な点、不利な点はありますか?

奈良 私は、個人的には、就職はかなり不利ではあると思うのです。クラッシック音楽を学ぶのにどうして日本人から学ばなきゃいけないんだ、と。ヨーロッパ人には誇りがありますし現にそれはそうですよねと思う時はあるのです。だからかなりの覚悟で行かなくてはいけないと思います。コンサートについては、良かれ悪かれ日本人でもヨーロッパのお客様は音楽が好きな人が来てくださるので、自分達でプログラムを考えて日本的なこの曲を弾いたらお客様が集まる、とかそういうビジネス的な世界を考えなくていいというのがありますね。     

—  そうなんですね。

奈良 ホールは大きい所はないのですけれどもヨーロッパの音楽活動はそういうところはありがたいです。演奏活動だけに集中できますし、それで音楽好きなお客様が来てくださるので。日本でいうとお客さん来るかしらとか大丈夫かしらとかそういうのありますけど、そういう精神的負担が全くないんですね。

—  それはすごいいいことですね。

奈良 そうであって欲しいのですけどね日本も。

—  そうですね。

奈良 だから日本人だからという心配はなくコンサートは行えます。

—  演奏の演目でも日本だったら明らかに受ける曲というのが結構あってそれをプログラミングされる場合が多いと思うのですけれど、ドイツだと、例えば現代曲でもお客さん集まるのですか?

奈良 そうですね。そんなにたくさんは来ないかもしれないですけど、ある程度は来てくださりますね。私は一応主催者と相談しますけど9割5分問題があることはなかったですね。問題があるとしたらちょっと長すぎるとかそれ位でしょうか?

—  それはいいですね。先日、チェコの音楽家と話しをしていたのですけどチェコでは新しい曲は難しいと話していたのですよね。だからやっぱりドイツはまた違うのでしょうね。

奈良 もしかしたら私がベルリンだったからかもしれません。オペラを初演するのにベルリンが会場としてまず第一候補になりますから。実際音楽に関しては敷居が高くないのかもしれない。

—  お客さんも本当に音楽が好きな方が普通にいらっしゃる。通常自分の生活の中で音楽があるという感じなのですね。

ドイツでの演奏会
ドイツでの演奏会

奈良 そうですね。音楽が好きで逆にチケットもそんなに高くないので、街に音楽が溢れていますし何か音楽に対する近さはあるんでしょうね。

—  ドイツの方たちはいわゆる大音楽家であれ、中堅であれ、まだ一番下の人たちであれ、威張って俺は音楽家だぞ見たいな感じではないのでしょうか?

奈良 人それぞれでいらっしゃると思うのですけど、教師にしろそうかもしれないのですけど、海外の先生というのはまず1度は演奏を聴いてくださるので、敷居は高くはないと思いますね。とにかく自分がやっている仕事に対して誇りを持ちますからプライドはあるかもしれませんけど、変なプライドはないかも知れないですね。

—  生徒がやりたい事を非常に受け入れてくれるということですよね。

奈良 そうですね。

—  奈良さんにとってクラッシックや音楽とは何でしょうか?

奈良 私は結構あんまり模範になるタイプじゃないのですけど。何度もやめようと思ったタイプですので。私は大学も本当は音楽大学に行く予定じゃなかったんですね。まあ音楽嫌いじゃなかったのですけど、どうしても練習練習というのが嫌になって。高校3年生まではそれで悩んだりして続けてはいたのですけど、高校3年生の時に我が家が代々法律一家だった事も手伝って、法学の道に進もうと決めたんですね。そちらの方が実力がはっきり出るから楽かなと。頑張ったら頑張った分比較的すぐ結果が出るかなと思いまして。それで音楽を専門的にするのはやめようと思って記念にと、全日本学生音楽コンクールというのがあるんですけどそれを記念受験したんですよね。最後どこまで頑張れるかって。本当は東日本大会本選の奨励賞というのを狙っていたんです。奨励賞取るのでも大変だったので。そうしたら賞状はいただけるんですけど、本選受賞者演奏会に出なくていいんですよね。そしたらセンター入試にかかれるのでそれを狙っていたら、ちょっと頑張りすぎちゃって全国1位になっちゃったんです。それで音楽をやめるのを断れない環境があったんですね。

—  もうやれよと周りからでしょうね。

奈良 嬉しかったんですけどちょっととまどいがあって、それがかなり長い間続いていました。やっぱりどの道を行くにしても悩みますよね。何かあった時にああやっぱり法律の道に行った方がいいかなと、去年位までずっと悩んでいたので。

—  まだ悩んでいるのですか?

奈良 分かりませんね。私にとっては音楽も魅力でしたけれど、18才の時に決断した法律の分野というのはそれなりに魅力や憧れがあって、将来の確定は言えませんけどかなり悩んでいたのは事実です。法律の分野は『正しいのはこれだ』というのがハッキリしていて、周りからの評価が確実で楽ではあるんですよね。自分のやりたいことをやっていても評価が比較的複雑ではないというのがあって。音楽などの文化というのは何か経済的な問題が社会であると最初に消されてしまうものだと思うのです。その中で無理して生きるのもどうかなと、そういう現実的なことも考えちゃったりして。それだったら資格をとるという意味で法律を勉強しようかなと思っていたんです。でも音楽は今まで続いていて、何かそういう仕事があって喜んでやる自分がいるんだから続けられるまでは自分のテンポで続けようかなと思っています。

—  今はまだ音楽のほうが魅力的なのですか?

奈良 音楽がまだ運良くご縁が切れてないんです。切れたら辞めようと思っています。今のところ細々と続いていて喜んでやっている自分がいるのでやっているという感じではあるんですね。法律も難しいですから。

—  どちらも難しいですね。そういった方に次の質問をするのは非常に変な感じがするんですが、今後の音楽家としての夢というものがあれば聞かせていただいてよろしいですか?

奈良 私は運良く素晴らしい先生方にご指導いただきました。その先生方はいろいろな意味で人間としても評価が高く尊敬される方ばかりなんです。皆さんやっぱりお年ならではの人格です。私は自分にあったテンポで足りないところを勉強しつつゆっくりでもいいから人間として上を目指すような人生が送れたらな、音楽的にもそれは焦らずに人との出会いに関係していけたらいいなと思っているんです。あとは必要に応じて、私が学んできたことのいくつかを次の世代に残していければいいなと思うんです。

—  演奏家という部分ももちろんありますけど、教育者という部分をかなり思い描いているのですか?

奈良 教育はかなり。演奏家一本で絞ろうとはゆめゆめ思っていませんし、そういう活動だけにこだわっているつもりはないんです。教えるというのは教わることでもありますから教えるのは大好きです。ただ教える立場になるにはやっぱり自分の器が必要なので常にそっちを求めていくというのはありますね。

—  マンハッタン音楽院でアシスタントとして教えていた経験というのはかなり役に立つのでしょうか?

奈良 そうですね。いろんな意味でとても勉強になりますよね。楽ではないということを学びましたし、面白いということも学びました。

—  プロのミュージシャンとしていろいろと演奏活動をされていると思うのですけれど、プロになる理由や条件、それは精神的にでも技術的にでもいいのですが、そういうものはあると思いますか?
 

ドイツ・ピアノ
シビアなプロの世界で活動中

奈良 私もよく分からないのです。どうして今まで続いているのだろうと思っているんです。ある種人生いろいろ勉強する段階、いろいろ補填する段階、プロとしてやっていく段階というのは何かそういうフレーズがあると思うんですね。その切り替えの時に立ち止まらないで進んでいくということの方が大事なのかなって思います。留学して学生生活ってやっぱりすごく楽ですし魅力的ですし、特に海外で勉強だけに集中できるのは良いのですけれど、次のステップに行くというのもタイミングが大事なのだと思います。私もコンクールを過去にたくさん受けていましたが、コンクールをあまり長く受けているよりはある程度で見切りをつけて次にシビアな演奏活動で揉まれるという方が大事だと思いますね。私は個人的には5年も10年もずっとコンクールに出ていたら、それまでに取っていたコンクールの価値もなくなってしまいますし、取りすぎというのは逆にどうかなと思います。コンクールが全てだと一生懸命頑張っても、何年か後にはまた同じコンクールで次の優勝者が出てしまうわけですから難しいと思います。

—  いくらコンクールで優勝したとしてもそれが全て仕事につながるか演奏活動につながるかというのはもちろんないわけですよね。

奈良 またコンクールって微妙な曲目でいけちゃうんですよね。基本的に演奏活動として求められるのはどれだけレパートリーがあるか、代役などの話があった時にどれだけ準備が短い期間で出来るか、訓練ではなくて先生のそういう鍛えられ方が大事になってくると思います。コンクールというのは準備入念にしていけますが、そこから先はすごく人間的な社会が待っているというか、そこから先をどうするかが問題になると思いますね。

—  最後になりますが、海外で今後実際に勉強したいと考えている方がたくさんいらっしゃるのですがそういう方に対して何かアドバイスみたいなものがあればお願いしてよろしいですか?

奈良 語学は必須だと思います。語学は足りない、余るということは絶対ないです。語学はあんまり甘く見ないほうがいいです。1回目のレッスンから、また次のどこかの公開レッスンに行くという時もやっぱり英語プラス母国語というのは最低でも出来たほうがいいと思うのです。それとあまり人と自分を比べるのではなくて人の努力は人の努力として評価してまた自分でまた別の孤独な作業も我慢できること。敵を作れという意味ではなくて、あんまり人に頼りすぎるのはどうしても一歩出す勇気が半減してしまうと思います。ある程度本当に自分のやりたい道が見つかったら割り切って自分が進んでいかないといけないのではと思います。特に留学って期間が限られちゃうからそれはあんまり怖がらずに向かう方向に行ったほうがいいかなと思います。

—  留学するということに関してはどうお考えですか?

奈良 ご縁があれば構わないと思います。ただ本人が留学したいという気持ちが強くなかったら、周りや親が留学というレールを敷き詰めると、留学してから一人でくずれてしまう子も多いので。

—  実際に留学して現地でくずれていく方というのを見ていますか?

奈良 偉そうな言い方かもしれませんけど、留学してきて有名で天才少女とか言われて出て行った人は世間にもまれることに慣れていなくて、すぐしょげちゃうし、「何でそんなところで?」というのはありました。やっぱりどうしても周りのガードが強かったのだなというのが。だから世間にもまれる時に、自分で対応が出来ない、あまりにも出来そうにない時は本当に親離れ子離れじゃないですけど自分でやるということを強めにしていかないといけないと思います。いつまでも親はいませんし恩師はいませんからやっぱり自分で出来る余裕がないと。すごくシビアな言い方かもしれませんけど。

—  本当にそのとおりだと思います。奈良さんは、現地でくしゃんとなって日本に帰っちゃうという方も結構見ていらっしゃるのですね。

奈良 日本に帰れればいいのです。帰れない方がいらっしゃるんですね。私は日本を捨ててという気持ちはさらさらなかったし、いずれは日本でも活動をと思っていたので。日本で大学まで行きましたしいずれは日本のためにと思ってましたので。私はすごい希望を持って海外に行くのは大事だと思うんですけど、ただそれが意固地になるようだったらあんまり意味がないと思います。ある程度人間挫折のあとに頑張ってまた這い上がるというのが本当の勉強だと思うので、そういうところは自分に厳しく自分に甘くというのをうまくやったほうがいいかなと思います。

—  本当にありがとうございました。

奈良希愛さんのオフィシャルホームページ
 

井上智さん/ジャズギタリスト/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでトッププレーヤーとしてご活躍中のジャズギタリスト/コンポーザーの井上智(イノウエサトシ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ニューヨーク・ギタリストが歩む道」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年9月)。

ー井上智さんプロフィールー

ジャズギタリスト井上智さん
井上智さん

神戸出身。同志社大学在学中から関西を中心にライブハウスやコンサートで活躍。1989年、ニューヨークへ渡りニュースクール大学ジャズ科でジム・ホールに学び音楽的・精神的に影響を受ける。同校卒業後、ニューヨーク市立大学院でロン・カーターに学ぶ。以後、ニューヨークのジャズシーンで、ジム・ホール、ジュニア・マンス、フランク・フォスター、バリー・ハリス、ジョン・ファディスなどのトップ・ミュージシャン達と共演。教則ビデオ「ジム・ホール/ジャズギター・マスタークラス」全三巻、「マジカル・ギター・テクニック/ビル・フリーゼル」の音楽監督を務める。現在、ニューヨークで最も注目されているギタリストの一人として活躍中。ニュースクール大学ジャズ科講師。ジャズライフ誌に「毎月増えるスタンダード」を好評連載中。現在までにリーダー・アルバムを 4枚発表。


—  最初に、音楽に興味をもったきっかけを教えていただいてよろしいですか?

井上 家に音楽が、レコードが普通にかかっていて、兄貴がフォークソングを聞いたり、親が音楽好きだったので普通に家に音楽が流れていたんですね。それで普通にレコードを聞いたりしていました。オルガンは習いに行っていたかな。ヤマハ教室に。そんなにまじめにやって無かったですけどね。

—  勉強みたいな感じでしたか?

井上 お習い事という感じ。子供の頃に。小学生三年の話ですね。すぐやめちゃったけど。

—  すぐやめちゃったんですか (笑)

井上 ほんま二、三年で辞めたかな。それから、高校行きだしたぐらいでやっぱりロックに目覚めたかな。親戚のいとこが同じ高校に行っていて、僕が一年の時、文化祭の体育館でロックバンドとして演奏したんです。それがすごくてがーんとショック受けて。それ結構大きいですよ(笑)。

—  本当ですか (笑)

井上 それで高校二年の時ロックバンドやりはじめたんです。

—  音楽に目覚めたけれど、井上さんは音大とかではなく、いわゆる総合大学に行っていますよね。

井上 同志社行きましたね。

—  その時は音楽のプロになる気だったのですか?

井上 全然、そんなまさに今自分がやっていることをやろうという計画は全然無くて。

—  本当ですか。

井上 なんか僕らの頃って、勉強させられてとりあえず大学行けみたいな感じあるじゃないですか。あまり将来の事考えずに。まあ行ってから考えろみたいな。で、同志社行ってそこで軽音楽同好会に入りました。そこでロックやりだして。

—  そこでもロックだったんですか?

井上 ロックですよ。

—  ずっとロックですね。

井上 ずっとロックです。ロックなんですよ。

—  それは面白いですね。

井上 面白くないですよ。昔はもう大体一緒。ロックからみな入ります。ロックギタリストが多かったんです。今はそんなにロックギターは人気ないかもしれないけど。その頃は若者がバンドやるし、ハードロックとか。まあぼくがやってたんはブログレ。

—  ブログレですか。

井上 ちょっとクラッシックも入ってたり、ジャズの要素も入ってたけどいろいろ面白い感じで。

—  なるほどなるほど。その時も作曲とかもされていたんですか?

井上 いや。してないですね。

—  じゃもう完全にコピーバンドという感じですか?

井上 コピーバンドですね。

—  でその後にずっとこうだんだんジャズに興味をもっていくと思うんですけど。

井上 ええ。それでなんか大学四年ぐらいの時かな。なんか音楽やりたいなというのがあって。

—  それは、プロとしてですか?
 

ニューヨーク・ジャズギター
音楽でささやく

井上 プロとしてです。普通に就職したくないなというか、反抗期がその頃から。なんか、ちょっとこのまま就職してはいかんのではないかなと思って。そして、まじめに音楽やギターをやってみたいなと思って。で、その頃にジャズスクールに行きだしのかな。

—  そうですか。

井上 なぜジャズスクールかというとやっぱりその頃クロスオーバーが、今でいうフュージョンかな。クロスオーバーが流行っていて、興味をもったんです。それは結局ロックとジャズのクロスオーバー、ロックとジャズのフュージョンだった。それで、これはちょっとジャズを勉強しなきゃ理解できないと思ったんです。京都のジャズスクールに行きだして、そうこうしているうちになんか演奏の仕事が入ったんですね。

—  いきなりですか。相当優秀ですね。

井上 とんでもないです。ジャズスクール一年くらい行って、その一緒に行っている人がキャバレーで演奏してて、ちょっとやると言うので僕が一緒について行ったら、君明日からおいでって他のバンドで言われてしまって。そのまま就職せずに大学は卒業してしまったみたいな感じですね(笑)。

—  就職活動もせずに。

井上 全然してないです。そのまま卒業してしまった。

—  その後、どのように渡米しようと思ったんですか?

井上 京都でいろいろライブハウスみたいなところでやったりしてて、まあジャズに、フュージョンよりもジャズそのものに興味を持ったんですね。まず25歳くらいのとき1ヶ月だけニューヨークにひたりに行ったんです。

—  音楽にひたりにですか?

井上 音楽にひたりに行ったんです。ジャズを聞こうということで友達と行きました。30日滞在のうち毎日毎日、よなよな出かけてのジャズ三昧でした。それはもうジャズクラブとかコンサートとかいろいろです。

—  毎日。30日間ですか?

井上 30日あったから、40回くらい聞きにいきましたね。昼間もライブ聞けたりするから。観光客ならではのパワーですね。

—  どうでした?その時。

井上 いやもうすごかったですよ、カルチャーショックが。結局外国も初めてだったからそういうのも全部含めて文化の違い、言語の違い、音もすごいし。

—  それはやっぱりもう自分には持ってないというものがやっぱりあったんですか?

井上 いやもうそれは全然持ってない。

—  なるほど。

井上 すばらしいプレイでしたね。

—  本当にそうですよね。すばらしいプレイヤーが目白押しでいますもんね。ニューヨークというところは。

井上 日常でやってますから。

—  なるほど。

井上 まあショックを受けて帰ってきたんですね。

—  その後どういうふうに?

井上 また関西でずっと演奏ライブやってましたね。また、ギター教えたりしながら。その後再度、ニューヨークに6ヶ月行ったんですよ。4年くらいたってからかな。

—  ずいぶん時間があいたんですね?

井上 そうですね。85年やったかな。日航機が落ちたときかな。阪神が優勝したときです。その頃だと思います。その時に当時の観光ビザで最高が6ヶ月だったかな。ちょっとまあ6ヶ月だから生活になりますよね。

—  ええそうですね。

ニューヨークでひた走るジャズギタリスト
ニューヨークでひた走るジャズギタリスト

井上 その6ヶ月でまたいろんなハプニングがあったというか。1回目行ったときはわりと聞くばっかりだったけど、2回目は実際、ブルーノートで演奏する機会とかあったんです。

—  へえー。

井上 ストリートミュージシャンをやったり。ブルーノートにちょっと日本人フェスティバルみたいなのやっていたり、ハーレム行ったり、いろんなところで演奏で花開いたというか。

—  それはどうやってこう、なんと言うんですかね。自分を…

井上 売り込んでいったかということですか?それはもうジャムセッションとかありますから。当時ブルーノートのジャムセッションに入っていましたしね。特に楽器を持ってジャズをやる、そういう場所が今でもありますけども、今より多かったかもしれませんね。そういう所に行くと同じ志の人達が集まっているわけですよね。世界中から。で、いろいろ情報交換して、そしてまた仕事でギターが要るからお前やれとか、そういうことが結構ありました。それでなんか俺ひょっとしたらニューヨークでいけるかも。なんかいけんじゃないかな、みたいな、そういう幻想をいだかせてくれたというか。

—  へえー。すごい。

井上 ラッキーだったんです。

—  ラッキーだったんですか?

井上 はじめに一ヶ月行ったときの下見があったから立ち回りもよくて、それなりにできましたしね。最初の1ヶ月、その後の6ヶ月のニューヨーク滞在の間に京都で自分でも演奏していましたからね。

—  それをニューヨークで再現ですか?

井上 ニューヨークで通用したこともあるし、通用しなかったこともある。まあそれでもいろいろ演奏の機会はあったんですね。

—  それで音楽でいけるなというふうに思ったんですね?

井上 通用するというか、まあ、ここで何とかアルバイトしたりとか、何とかなるんじゃないかみたいな感覚でしたね。生活して音楽勉強していくことが出来るんじゃないかみたいに思っていました。ただ、6ヶ月行って帰って来た時は、そんな計画は無くて、またやっぱり行きたいなというだけでしたけど。

—  そうなんですか?

井上 ニューヨークで生活しようなんか、そういう発想はなかった。

—  そうなんですか。

井上 ただ6ヶ月行って、なんとかなりそうなんかな、とかそんな気がしたんですね。そしてその後やっぱり関西に戻って演奏してました。しばらくして、もう一度、行こう。アメリカに行くなら今のうちだぞ、みたいな。どんどんいろいろ関係が出来てきてだんだん動きにくくなってくるでしょ。若いうちかなということで。

—  渡米をしたいと決めたのはどんなことですか?

井上 やっぱり6ヶ月のニューヨーク滞在がすごい自分の中にあったんやろうね。そこでいろいろな何かがパンと開いたんです。チャクラが開いたというか。やっぱり自分を鍛えたいというか、多分6ヶ月いたときに、短期間の6ヶ月しかいないというふうに自分で決めているから、すごい自分で動き回ったんだと思う。

—  生活でだらだらするのではなくて、音楽活動することを決めているから。もうがーんと来たわけですね。

井上 さあ行くぞ。やるぞ。みたいな。気合が入ってたんでしょうね。結局そういう新しい自分を見たのもあったのかもしれん。自分で自分に驚いたというか。自分がそういう環境にあると頑張る。ニューヨークで頑張る。ちょっと逆境といったらおかしいけど、言葉もそんなに流暢に通じるわけじゃないし。そういうところに自分を置くと、逆にこう頑張るというのがあるのかみたいな。そういう性格というかね。そんなこともあって、ニューヨークにもう一回行きたいというのは持ってたわけです。行くのだったらはやめに2、3年行って勉強して、帰って来ると。2年という事やったんだけど、これが今引き継いで16年(笑)

—  なるほど。最初は音楽学校に行かれたんですか。

井上 いや。それが行ってないんですよ。

—  音楽学校に行ってないのですか?

井上 行ってない。一年くらいは。ビザが丁度、切れる頃にやっぱりこれは音楽学校でビザ出してもらおうかということになって、ニュースクールに行ったのですね。

—  ジャズを学ぶには非常にいい学校ですよね。

井上 ビザだけのためにいったんですよ(笑)。

—  ビザだけのためとは思えない位、いい学校ですけどね。

井上 僕も良く知らないから(笑)。行ったらとても良かったですね。それでこれはもう卒業しようと思いました。

—  そこで恩師に会われたわけですか?
 

ジムホールと井上さん
ジムホールと井上さん

井上 そこで恩師に会いました。ジムホール大先生に。

—  なるほど。そうやって、だんだんアメリカ人を中心に外国人と演奏活動を主にやり始めるわけですよね。日本人と演奏する場合と、外国人と演奏する場合の違いはありますか?

井上 あんまり違いないですよ。

—  ないんですか?

井上 ない。相手が日本人だったら日本語でコミュニケーションするだろうし、アメリカ人だったら英語でする。それだけの違い。

—  ニューヨークに住んで、一番受ける音楽的な影響というのはどういうものでしたか?

ジムホールと井上さんの打ち合わせ
恩師ジムホールとの打ち合わせ

井上 いい影響も悪い影響もあるでしょうね。都会ですから。結局たくさんミュージシャンが集まっている所でやるわけですよね。他の分野のアーティストも含めて、結局層が厚い。たくさんのミュージシャンが切磋琢磨しておる。となるといろんな所でいろんなミュージシャンがいて、又レベルも高いし。まあ低い人もいるんですけれども、結局上から下までのレンジが広い。層もジャンルも。本当にそこらじゅうで日常に音楽が溢れているというかね。だからそういうところに自分を置くことによって、自分で自分のケツをたたくことが出来るかなみたいな。もともとレイジーな性格ですから。それに、学校に行って、ジャズギターだけでなく総合的な音楽の歴史とか、理論もそうですけれども勉強しなさいと言われないとしない科目ってありますよね。例えばコンポジション(作曲)だったり、イヤートレーニングだったり、ミュージックヒストリー、ジャズヒストリー、アンサンブル、アレンジメント、編曲ですね、そのような科目も良かったですね。ジムホールとかそういういい先生に出会えたというのも、ニューヨークでないと実現しない影響というのでしょうか。それと、もっと練習しないといかんなみたいな(笑)。

—  ニューヨークに行くミュージシャンの方はもっと練習しなきゃいけないと思うようですね。

井上 なんかミュージシャンは一日じゅう音楽の話をしてるみたいなところがある。人のライブ聞きに行ったりとか、自分で演奏したり。歴史的にジャズの大きなムーブメントが起こった町ですからね。そういうのが残っているんでしょうかね。雰囲気、空気がね、ジャズの。

—  日本にいたら受けにくい刺激ということはあるのでしょうか?

井上 わかりやすい話で言えば、アメリカ人がお琴を学ぼうとしたら、たぶん日本に行くみたいな。アメリカでも邦楽は学べるやろうけど、日本にいったらその周りにある文化や背景や歴史もね。

—  なるほど。文化とか言葉とかそういうもの全部すべてを一緒に学びに行かないと分からないということですもんね。

井上 そうですね、ジャズの場合アメリカで生まれた音楽ですし、まあ層が厚いですよね。層が厚いというかほんと豊富ですよね。そこらへんにあるわけだから。そういうところにミュージシャンが集まるし、世界から集まってくるし、そこでこう刺激を受けるんかな。

—  一番影響を受けたのはジムホールですか?

井上 いやもうジムホールのレッスンは目からうろこですね。もともと自分がジャズ、やりだすようなきっかけになった人ですから。

—  井上さんは、音楽というもので自分を見出していったと思いますが、その音楽やジャズというのは井上さんにとって何でしょうか?
 

ニューヨーク・ジャズギター
さまざまな思いを胸に。

井上 自己表現の手段。自己表現の手段やし、それはまた自分が演奏したり作曲したり演奏する時にミュージシャン、他のミュージシャンと美の追求を楽しむというか、何かを作りまたオーディエンスとも一緒に作り上げるという楽しみでもありますよね。いまや自分にとってそれが生活の糧でもありますけど(笑)。

—  そうですよね。

井上 そうはいっても結局、音楽に出会えてよかったと思いますね。ジャズに出会えて。

—  音楽は言葉で言えるようなことではなく、お客さんに聞いていただいて、こういうことを自己表現したいんだなというふうに分かって欲しいということですよね。

井上 そうですね。結局メッセージがあっても音で伝えるわけですから。小説家は小説で表現するし、ミュージシャンは音楽で表現するんですね。

—  一流のプロになられて、今後の人生まだまだありますけれどもどういうような夢をもっていらっしゃいますか?

井上 ミュージシャンとして、ギタリストとしてもっともっと成長したいですね。あと作品発表したいし、アルバムも作りたい。今の自分のバンドでもっと活動したいですね。

—  なるほど。海外でミュージシャンをやって活躍する秘訣、成功する秘訣ってあるとお考えですか?

ニューヨーク・ジャズギター
ジャズギターにかける思い。

井上 成功する秘訣があったら教えて欲しい(笑)。まあ自分がやっている経験から言うと、そうですね、いいものをよい形でプレゼンし続けたらいいんじゃないですかね。結構、日本でもそうだと思いますけど、頑張るというか、すぐ結果は出ないけども、やっぱり長く続けることじゃないですか。長く長く続けられるような環境に自分を置くことが大事ですね。あとやっぱり、実力社会でははったりのないところでの実力がいるし、また一人だけでは音楽はできないので人間関係もあるし、そのへんをクリアしつつ、自分を積極的に動かす。特にニューヨークなんかでは積極的に動けば割とレスポンスがあると思います。なんかいっぱい若い人が来て、まあ僕もまだまだ若いと思っているんですけど、いっぱい20代の人が来て良く相談や、ギター教えてくれとか来るんですけどね。でも頑張って自分の殻打ち破ってそこに行こうという人はやっぱり、そういうパワーを逆に俺がもらっている気がする。友達ばかりで集まってしまってなんかするんじゃなくて、知らない人とも出会って新しいネットワーク作ったりすると良いでしょう。

—  なるほど

井上 やっぱりニューヨークは人に会う場所でありますよね。僕も学校に行ってよかったのは、同じような事考えているいろんな人に会うことでしたね。

—  なおかつその学校以外でもいろいろな所にジャムに行ったりですよね。

井上 そう。ジャムに行ったりとかね。学校に行っていると、まあ忙しいですけどね。宿題とか。それに、秘訣というのは多分自分のスペシャリティーというのを知ったらいいんやろうね。

—  スペシャリティー?

井上 自分しかないこととか、自分の切り口といったらおかしいけど、そういうのあるでしょ?

—  他のミュージシャンと差別化するということですか?

井上 差別化というかミュージシャンだけではなく、例えば自分が映像の得意なミュージシャンだったらそういう切り口とか流れとか、コンピューターの操作が得意とかそういう自分のスペシャリティーを何かみせれるということだと思います。

—  海外で勉強したい留学をしたい、短期も長期もいらっしゃると思うんですけど、そういう方に何かアドバイスみたいなものがあれば教えていただいてよろしいですか?

井上 すごい応援しますよね。やっぱりいいことだと思います。見聞を広めて。アドバイスとしては、その留学する国の言葉を事前に出来る限り勉強しておくと、時間的に得なんじゃないかな。行ってからね。英語だけを学びに行く人は英語を学ぶだけでいいのかもしれませんが、音楽を学びにいく人でも英語はいるわけだし、例えばクラシック音楽をドイツに学びに行くのであればドイツ語をしゃべったほうがいいだろうし。言葉でコミュニケートするわけだから。それが苦手で引っ込み思案になりたくないよね。それに出来が悪くてもやたら先生に食ってかかるとか。お前もういいというような(笑)。日本の子はおとなしく聞いてる。まあ今の日本知らんけども、やっぱりクラスルームをアクティブにしたほうが先生も喜ぶし。意味の無い質問することは無いけど、やっぱりなんか食い込んだほうがいいんですよね、アメリカの学校は。

—  日本人って授業では結構おとなしいですか?

井上 かもしれませんね。

—  言葉ももちろん出来ないでしょうし。

井上 相手が私のこと見てくれないの。みたいに待っている場合があるから。待ったら駄目ですね。

—  実際井上さんもニュースクールで教えている立場としてそういうことを感じるということですね。

井上 そうですね。やっぱりインパクトを先生に残す生徒はなんとなく分かりますよね。気合出しているなと。

—  そうするとやっぱりこいつはかわいがってやろうと。

井上 かわいがってやろうかというか、まあなんでしょうね。やっぱりインパクト残したほうが得やろうね。何かとね。

—  そうですよね。頭に残りますもんね単純に。

井上 先生もうれしいしね。

—  やっぱりうれしいですか?

井上 そりゃやっぱり授業終わって話しかけてきてくれるとね、質問とか。

—  いわば質問はどんどんしたほうがいいと言うことですよね。意味の無い質問は先ほど言ったように止めた方がいいでしょうけど。

井上 質問だけじゃなくて積極的に参加するとかね。クラスルームをアクティブにすることが大事ですね。

—  わかりました。本日はありがとうございました。

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【井上智カルテット~メロディック・コンポジションズ・ツアー 2007】

6月11日(月)京都:ルクラブ 075-211-5800
6月12日(火)神戸:サテンドール 078-242-0100
6月13日(水)大阪:ロイヤルホース 06-6312-8958
6月14日(木)石川:西田幾多郎記念哲学館 076-283-6600
6月15日(金)福井:響きのホール  0776-30-6677
6月16日(土)鈴鹿:どじはうす 0593-83-5454
6月18日(月)今治:ジャズタウン・プレイベント 会場ジャムサウンズ 0898-33-3023
6月20日(水)大分:ネイマ 097-567-1517
6月21日(木)熊本:エスキーナ・コパ 096-322-5353 
6月22日(金)宮崎:Cafe B-flat 0985-28-8456
6月23日(土)東京:金魚坂  03-3815-7088予約制 
6月24日(日)甲府:コットンクラブ 055-233-0008
6月25日(月)東京:Body&Soul 03-5466-3348
6月26日(火)舞浜:イクスピアリ 047-305-5700
尚、詳しい時間や料金などは各会場に直接、お問い合わせ下さい。
ツアー全体のお問い合わせはS&J ASSOCIATES(076)222-5960

 

吉田智晴さん/オーボエ/ケルン放送管弦楽団/ドイツ・ケルン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はドイツの名門オケ・ケルン放送管弦楽団オーボエ奏者でご活躍中の吉田智晴(ヨシダトモハル)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学をすること」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2006年6月)


ー吉田智晴さんプロフィールー

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

横浜生まれ。高校卒業後、渡独。ハンブルク国立音楽大学卒業。ヨエンスー市立管弦楽団、ヒルデスハイム市立歌劇場、ホーフ交響楽団を経て現在ケルン放送管弦楽団でオーボエ、イングリッシュホルン奏者。ケルン放送管弦楽団の木管五重奏団、ケルン放送交響楽団の木管八重奏団のメンバーとしても活躍中。これまでに小島葉子、河野剛、W.リーバーマン、R,ヘルヴィッヒ、I.ゴリツキ各氏に師事。



—  ドイツでの簡単な履歴を教えてください。

吉田 ハンブルグ国立音楽大学で勉強しながらブレーメンのオーケストラで演奏させて頂きました。その間にドイツのオーケストラのオーディションをいろいろ受けてヒルデスハイム市立歌劇場に入団しました。ハノーバーの近くにあるものすごく小さなオーケストラです。1年位そこにいてその後バイエルンにあるホーフ交響楽団に入団しました、そこに4年間いまして、その後たまたま招待状を頂いたケルン放送管弦楽団に入りました。オーケストラを転々としていますね。

—  高校卒業してからすぐにドイツに行かれていますが日本で音大は受験しなかったのですか?

吉田 最初に京都芸大を受けました。ピアノを始めるのが遅くて東京芸大の試験を受けるのにはピアノの腕がおいつきませんでした。京都芸大は当時、ピアノの試験がものすごく簡単だったんです(笑)。今でもそうかは分からないですが(笑)。ただ単に受けに行ったので一次で落ちました(笑)。それで1年間浪人してピアノを練習して、次は東京芸大を受けようと思いました。東京芸大を受けるために1年間師事した当時の先生がドイツのデトモルトで勉強されたご経験がありました。先生はハンブルグのオーケストラでも吹いた事があって、その関係でハンブルグのオーボエ奏者をご存知だったんです。結局、芸大を受けてダメだった後に、ハンブルグの先生が日本に偶然来まして、じゃあ先生の前で吹いてみろ、ということで吹きましたら付いてこいということになり、その年の10月にハンブルグに行くことになりました。

—  もともと海外に留学しようという思いはあったのですか?

吉田 あんまり考えてなかったですね。芸大に入れれば芸大にずっといたんじゃないかと思います。

—  たまたまという事ですね。

吉田 たまたまですね。というか芸大がダメだった時に、以前そういう形でドイツに行かれた方がいらして、その話をうちの父親が聞いていましたので、「お前もそういう風にドイツに行けるんだったら行けばいいじゃないか」みたいな感じで後を押してくれました。僕は深く考えずに日本にいてもしょうがないと思い、2年目も浪人する気はなかったのでドイツ行きを決心しました。

—  ドイツ語は勉強していましたか?

吉田 ドイツ行きが決まってから日本で少し勉強しました。でもやっぱりあまり役に立たなかったですね。ドイツに来て語学学校に行きましたけど、ドイツ人の音大友達と話しているうちにだんだん覚えていきました。僕の場合、日本で音大を出ていませんので、ドイツで基礎科目も取らなきゃいけなかったんです。そのおかげもあってドイツ語をどうしても勉強しなければいけない状況でしたので頑張りました。尻に火が点かないとやはりやらないですよね(笑)。

—  やらざるを得ない時が一番やりますよね(笑)。

吉田 ドイツ語ができないと単位が取れないんで(笑)。

—  音楽に興味を持ったきっかけを教えて頂いてよろしいですか。

吉田 もともとブラスバンドでオーボエを始めたんです。

—  中学校ですか?

吉田 中学です。ブラスバンドがとてもうまかった学校で入学式の日に演奏してくれたんです。その演奏がものすごくうまくて、同じ中学生でなんでこんなにうまく出来るんだろうと思ったのがきっかけです。親父が高校の時にブラスバンドをやっていてその関係でフルートが家にありました。それでフルートをやろうと思っていたら、親父に「フルートはきっと人も多いだろう。オーボエというのはいい楽器だから、オーボエが学校にあるんだったらオーボエをやりなさい」と言われたんです。それでブラスバンドに入部した時にオーボエを希望したのですがやはり僕1人でした。トランペットやフルートはものすごい人が多かったですね。

—  小さい頃から音楽はやっていたのですか?

吉田 音楽を聴くのは好きでしたね。名曲アルバムなどをよく1人で聴いた記憶はあります。

—  子供の時からピアノを習っていたというわけではないんですね。

吉田 英才教育ではありませんでした。父親に連れられて小学生の頃、何回かクラシックの演奏会に行った記憶は今でもありますけど、先を考えてした行動ではなかったと思います。

—  オーボエを中学校からやる人は珍しいですよね?

吉田 あまりいないのかもしれません。今考えると楽器の調節も無茶苦茶だったし、リード自体もとんでもないものだったから、音を出すこと自体が何かもうきついっていう記憶は未だに残っています。

—  オーボエを教えてくれる方はいらしたのですか?

吉田 1歳年上の先輩しかいませんでした。女性の先輩で、その方自身もオーボエを吹いて1年になっていない訳です。悪条件で始めたので目眩がしましたからね(笑)。楽器も調整されてないしリードも悪いしきつかったですね。

—  それがいまだに続いているんですからオーボエに取りつかれたんですね(笑)

吉田 そうですね。実は中学の時に、オーボエだと人数的に少ないので吹奏楽コンクールに出れませんでした。それでクラリネットだったらコンクールに出れるというので中学2年から1年半ぐらいクラリネットを吹いていたんです。クラリネットの方がオーボエに比べると音を出すこと自体はそれほど難しくなかったのでクラリネットが結構うまくなりました(笑)。コンクールが終わったらオーボエに戻ろうと思っていたんですけど、先生が「お前はクラリネットとして必要だ」と言ってくださいました。それで、そのままずるずるとクラリネットをやっていたんですが、高校に入ったのをきっかけにオーボエに戻りました。自分が本当にやりたい楽器はオーボエなんじゃないかと思ったんですね。楽器を持っていなかったので神奈川県青少年オーケストラという楽団に所属したらオーボエを借りられるということで青少年オーケストラに入りました。それがオーケストラを経験した最初です。そこで楽器をずっと使わせていただいて大学受験の時にオーボエをようやく買ったんですよね。

—  それまではどうしていたのですか?

吉田 ずっと借り物でした。親としても本当にやるかどうか分からなかったと思いますから。

—  もともとプロの音楽家としてやろうと思っていたわけではないですもんね。

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

吉田 高校3年の時になるまで音楽大学は考えていませんでした。だから普通の大学を受験すると思っていたんです。でもよく考えてみたらもともと勉強が好きなほうじゃないし、自分には音楽しかないのかなと思うようになったんですね。

—  ピアノはいつから始めたんですか?

吉田 高校3年の時です。

—  高校3年生ですか!

吉田 音楽大学を受験するにはピアノが必要という事になりました。高校のブラスバンドの先生がたまたまピアノも教えていらしたので、その先生にピアノを習い始めてそこで長音とか受験に付随する科目を習いました。

—  指は動くんですか?そのぐらいの年齢から始めても。

吉田 ものすごいスピードで練習しましたからね。何とか、何ヶ月かで弾けるようになりましたね。でも、小さい頃からやっていませんので1回ピアノをやめちゃうと全く弾けなくなっちゃいます。聴くのは好きですけど、弾くのは本当にあんまり好きじゃないんです(笑)。

—  ところで、音楽を勉強するためにドイツの良い点、悪い点はありますか?

吉田 ドイツの音楽大学の場合は、例えばオーケストラでやりたい、音楽院などで音楽理論を教えたい、音楽を使ったセラピーを専門にしたい、など自分の目的がはっきりしている人にはすごくいいと思います。卒業する前に方向を決めるのではなく、学校に入る時点である程度自分の方向性を決めないといけないんです。悪い意味だと入ってからは軌道修正がしにくいんですね。これはドイツの小学校、中学校のシステムについても言えるんです。ある程度、目的意識を持っている人にとっては将来職業として必要とされるものがかなり集中してやれる環境ですので、そういう意味では無駄な事をしなくていいのでそのシステムはすごく僕はいいと思うんです。それに国立音楽大学に関して言えば授業料がないということは素晴らしい事だと思います。悪い点は自分が違うことやりたいと思った時に、その他の学科への編入がかなり難しいということでしょうね。

—  そうですよね。

吉田 大学では学習環境がよく整備されていますし、教鞭を執っている方はいい先生が揃っています。例えばハノーファー音楽大学は練習室が数多くあります。自宅で練習して大きい音を出さなくても学校に行けば休日以外はほとんど開いていましたので、朝から晩まで練習していましたね。

—  ドイツは法律で何時まで練習していいよと決められているんですよね?

吉田 夜は10時までです。

—  オーボエの場合、部屋で練習すると近所からクレームはきましたか?

吉田 あんまりこなかったですね、オーボエの場合は。それほどうるさくないみたいです。

—  基本的に部屋の中で練習されている方が多いのですか?

吉田 部屋の中で練習できる楽器は、多分部屋で練習されていると思います。金管楽器ですとみんな学校に来て練習していますけれども。

—  これからドイツに行きたい方にとって、最も重要と思われる事はなんでしょうか?

吉田 自分がどういう事をしたいかという事が明確に分かっていないと道を選ぶ上でも少し困難だと思います。例えば、どうしてもこの先生に付きたいという意識があるのでしたら、学校も決まってきます。漠然とドイツに行くと決めた場合、焦点を非常にしぼりにくい。人気のある先生のクラスに入りたいと思った場合は倍率がかなり高いです。しかし倍率の低い大学に入った場合は相当のデメリットが待ち構えています。ドイツに行きたいという理由だけで大学を選択した場合でも、多分運が良ければどこかしらの音大に入れるかも知れません。でもどうしてその音大の先生の弟子が少ないのか、どうしてその音大の受験倍率が低いのか、を考えてみた場合、答えが分かると思います。オーケストラが応募者に招待状を出す場合に、どこで勉強したか、どの先生に付いたかをよく見ます。その時にその楽器の権威とかいい弟子をたくさん出している先生に付いている事はある程度選択条件になります。もちろんいい先生でも、それほど名前の知られていない方はいらっしゃいます。ただネームバリューというのは選考の際、結構重く見られる場合が多いです。

—  ドイツでオーケストラに入る場合、大学を卒業していないといけないのですか?

吉田 いや、それは全然ないです。学生が在学中にポンと入っちゃう人もたくさんいます。

—  実力が優先されるんですね。

吉田 当日オーディションで一番うまく吹けばいい訳で、根回しはあまり必要ないんじゃないかと思います。

—  実力だけで勝負できるという事ですよね。ドイツで音楽をやる上での良い点でもありますね。さてドイツでオーケストラやソロ活動をする場合、日本人が有利な点、不利な点はありますか?

吉田 不利な点はオーケストラのオーディションになかなか呼んでくれないことですね。ドイツの失業率はかなり高いですので、まずはドイツ人が優先されます。ただ現実的に最近の傾向としては、例えば音大などでもドイツ人の割合がすごく低いんです。

—  そうなんですか。

吉田 ドイツの音楽大学は、いい先生がたくさんいて学費がいらない、などのことからロシア、韓国、中国からたくさんの学生が来ます。ドイツに来る方は基本的に音楽レベルの高い国でさらにある程度弾ける方が多いので、ドイツのペースでぬくぬくとやっているドイツ人だと最初から外国人と勝負にならないんです。先生としてはいい弟子を取りたいでしょうから、結果としてドイツ人の学生が減少しています。

—  感覚的に何%が外国人なんですか?

吉田 感覚的に言うと40%ぐらいになるんじゃないでしょうか。

—  そんなに高いんですか!

吉田 高いと思います。最近学生さんと交流があってファゴットはケルン音大のレベルは高いんですけど外国人がやっぱり過半数です。それは僕の学生時代でも言えた事です。20人位いたんですけども、そのうちの半分以上は外国人でした。イタリア人、台湾人、イギリス人、オランダ人、日本人でしたね。

—  オーケストラもそうですか?
 

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

吉田 うちのオーケストラ(*ケルン放送管弦楽団)は15カ国、16カ国ぐらいの国籍ですね。ベルリンフィルでは今13〜15%ぐらいだと思います。ベルリンフィルは比較的ドイツ人が多いオーケストラだと思うんですけど、他のオーケストラになると、外国人の占める割合の方がドイツ人より多いというオーケストラはずいぶんありますね。

—  そうなんですね。

吉田 妻はアメリカ人でホルンを吹いているのですが彼女もドイツに仕事をしに来た人間です。

—  アメリカからですか?

吉田 そうです。アメリカは、オーケストラの1つのオーディションに300人ぐらい来ちゃう国じゃないですか。枠が狭くてレベルが高いし、金管楽器の場合非常に難しいですからね。アメリカにいたら就職する確率がものすごく低いので仕事をしにドイツに来たんです。

—  そういう意味ではドイツの方が就職しやすいんですか?

吉田 そう思います。やはりこれほどプロのオーケストラが密集している国はヨーロッパの中にもありません。ですから受け皿が広い分、入れる確率も高いのではないかと思います。フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国に比べますとドイツでは外国人の枠が一番広いです。ドイツのオーケストラとしては外国人が入団する場合、ドイツ人の音楽家をとらなかった理由が必要らしいのです。役所に提出するのに会社ではどうしてこの外国人を採用したのかを言わないといけないそうです。ドイツ人の応募者の中で、自分たちの求めるレベルに達している者がいなかったという断り書きが必要なんですね。ですからドイツ人を最初に招待し、それで誰もいなければ外国人というように枠が広がっていくんですね。

—  分かりました。

吉田 例えば、うちのオケでもバイオリン、チェロなどで過去何ヶ月かにオーディションをやりましたけどドイツ人でまともに弾ける人は少ない。うまいな、と思うとやっぱり外国人だったりします。

—  そういうものなんですか。

吉田 教育システム自体を見直していかなきゃいけないと思います。特に弦楽器だとある程度早くから始めないと難しいですよね。

—  そうですね。

吉田 ドイツみたいに個人主義だと自分がやりたきゃやれ、みたいなところがあるので子供の時から叩き上げるという事はあまりしないと思うんですよね。でもそれをしないとやはり、特に弦楽器の人なんか育たない。ほんとにレベルアップを考えているならもっと早くから始めて行かないといけないですね。

—  なるほど。

吉田 鉄は熱いうちに打たないと硬くなってしまいますから。

—  ドイツはそういう状況なんですね。

吉田 もちろん僕一人の意見ですけど、ある程度的を得てると思います。僕も今年でドイツに21年目で、20年以上ここに住んで、自分の目で見て肌で感じてきたことやオーディションを見て思うんですけどドイツ人のレベルはちょっと….。ものすごくうまい方はいらっしゃるんですけれども平均して見るとやっぱり外国勢に押されているんじゃないかと思います。

—  意外ですね。

吉田 日本の相撲でも同じことだと思います。外国勢の方がかなり頑張ってらっしゃいますよね。外国人がドイツに残ろうと思った場合は、学生のままでいるか、就職して仕事を取る以外にここに居残る道がない訳です。そうするとやはり火事場のくそ力じゃないですけど、力を出すと思うんですよね。

—  分かりました。吉田さんにとってクラシック音楽とはどういうものですか?

吉田 クラシック音楽は人間が今まで創造してきた芸術の中でも一番頂上にあると思います。でもジャズもよく聴きますし、ジャズもすごいなって思いますよね。

—  ジャズは演奏もするんですか?

吉田 ジャズはまだやってないですね。そのうちやりたいなと思うんですけど、ジャズのアプローチの仕方はクラシックとは全く違いますので。

—  オーボエって、ジャズにそんなにないですよね。あるんですか?

吉田 ないですね。有名なのだとアメリカに「オレゴン」というバンドがあるんですけど、そこの人がサクスフォンと一緒にオーボエを吹きます。

—  オーボエのジャズは聴いたことないのでいまいちイメージしにくいですね。

吉田 オーボエは音域もそんなに広くないし、ジャズの楽器としてはちょっとフレキシビリティに欠けているのかもしれないですね。やれない事はないと思いますけど。そのうち挑戦してみたいなと思います。オーケストラは長い間やっていますので室内楽なり、ジャズなり即興なんか出来たら本当に楽しいだろうなと思います。

—  今後はオーケストラより独自の活動も行うのですね。

吉田 オーケストラにいれば、音色なり自分のテクニックなりこれからもどんどんどんどん改善を進めて行くと思うんです。ただそれと平行して室内楽で求められるような音楽なり技術を磨いていくというのは、ここ5年10年の自分の目標ですね。

—  吉田さんはプロの演奏家としてドイツでご活躍されていますけれども、活躍できなくて日本に帰ってくる日本人もたくさんいると思うのです。実際に活躍できた条件や理由はあるとお考えですか?

吉田 もちろん運もものすごくあると思うんです。ただ運を掴むためには本人の努力なしでは不可能です。学校を選ぶ時に申し上げましたが目的意識、つまり自分が何をどういう風にしてどういう事をしたい、という事をはっきりと描いた時点で、これを現実化させるためには何をどういう風にしたらいいか、それに付随する細かい事をどこまでやれるかというのが、成功につながっていくと思うのです。

—  なるほど。
 

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

吉田 例えばオーケストラに入団したい場合、ある程度履歴、経歴が関係してきます。本当にオーケストラに入ろうと思った場合、この先生に付いた方がオーケストラに入れる、招待状なりもらえる確率が上がるとなった場合、倍率の高い音楽大学に入らないといけないという事で、その倍率の高い音大に入るためにはどうしたらいいか、どんどん遡っていくと今の時点で何ができるかというのが明確に見えてくる。漠然とうまくなろうというのはものすごく難しいと思うんです。実際に具体的に何をしたらいいんだろうとなって来た場合に自分の質というのがはっきり見えてくる。

—  そういう事を考えないで大学に入った人が多いんですか?

吉田 僕なんかほとんど何も考えないで来ちゃったんですが(笑)。こちらに来てだんだんやってくうちに見えてきたところがありますよね。就職しなければという事で一足飛びに入れるオーケストラを考えましたし。ベルリンフィルなりバイエルン放送響なりすごくレベルの高いオーケストラにポンと入れる人はそれ程いないと思うんですよね。

—  そうですよね。

吉田 僕みたいにごく普通の才能しか持っていない人間は下からどんどん積み重ねていく以外にないと思うんです。どこまで地道な努力を続けられるかということで人生が変わってくると思います。やはり積み木と一緒で、下のほうが地盤になります。建物と一緒だと思うんですけど、基盤がちゃんとしてないと、いくら高く上げようとしても崩れてしまう。やはり基本的なテクニックなりをしっかりとやるというのは急がば回れですね。無駄に思うような努力、例えばロングトーンなんかは、すごく単純で退屈な練習だと思うんですけども、逆に言うと1つの音をまっすぐ伸ばす、これ一番難しい事だと思うんですよね。正直言ってプロの中でもこれができる人ってあんまりいないんじゃないかと思いますね。

—  そうなんですね。

吉田 厳密な意味でですよ。ものすごく厳密に1つの音を例えば10秒なり伸ばしたとして、それが本当にまっすぐ音を出すというのは多分あんまりできないと思うんです。よっぽどうまい人じゃないと。特に管楽器の場合は、息の流れがものすごく音のでこぼこに影響しますから音をまっすぐ出すのは難しいです。ここ何年かで僕も気がついたんですけど、これほど難しい事はないなと思いました。そこを飛ばして指が早く回るとか、技巧ができるとかあんまり意味がないんじゃないかと思います。

—  技巧的なところばかり目がいって基本がなくなっているんですね。

吉田 僕も学生だった時はそういう傾向ありましたから。周りにテクニック的にものすごく華のある人を見ちゃうと、やっぱり指が早く動くのはすごいな、と。テクニックを持っているという事はもちろん大きな利点になると思いますが、実際にオーケストラで要求される事は、テクニックよりも如何にしていい音を出すか、短いフレーズの中でどれだけの事を凝縮して表現できるかという点におかれますね。そうしますとやはり、音色の大切さがものすごく重要になってくると思います。

—  今後プロを目指す方は、そこの部分をきっちり仕上げて行った方がいいわけですね。

吉田 そうですね。皆さん焦る気持ちや早くうまくなりたいと思う気持ちも良く分かりますが、天才と言われている人以外は基本的な技術をなるべく時間をかけてマスターしていく事が逆に近道なんじゃないかと思います。

—  海外で実際に勉強したいと考えている読者にアドバイスがあれば、今の条件も含めてお願いしてよろしいですか。

吉田 何度も言いますがやはり自分が何をしたいかを明確に自分の中で描くべきなんじゃないかと思います。それを持たずにはその先に進めないような気がします。ただ単にアメリカに行きたいとか、イタリア、フランスで勉強したいなど、そういう事もモチベーションとしては悪くはないと思うんですが、留学後の事を考えるとやはりそれなりのリスクもある程度ありますので、その先の身の振り方をある程度考えて行動した方がいいと思います。最近は音大の外国人の占める割合が高くなってきたという事で、例えば外国人の入れる年齢制限が引かれたり外国人枠も出てきています。入学時にドイツ語の試験がある学校も増えてきています。だんだん入り口が狭くなって来ていますから、それこそきっちり考えて行動された方がいいと思います。

—  ありがとうございました。


布谷史人さん/ソロマリンバ奏者/アメリカ・ボストン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はアメリカ・ボストンでソロマリンバ奏者としてご活躍中の布谷史人(ヌノヤフミト)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2006年11月)


ー布谷史人さんプロフィールー

マリンバ奏者
布谷史人さん

秋田県生まれ。山形大学教育学部総合教育課程音楽文化コースを経て、ボストン音楽院修士課程マリンバ・パフォーマンス科修了。アーティスト・ディプロマ科マリンバ専攻修了。ボストン音楽院でナンシー・ゼルツマン、パトリック・ホーレンベルクに師事。その他、岡田知之、目黒一則、須藤八汐、三村奈々恵、池上英樹の各氏に師事。Ima Hogg 若手音楽家のためのコンクール(テキサス州ヒューストン)1位。世界マリンバコンクール(ドイツ)、The National Young Artist Competition(テキサス州オデッサ)、The Eastern Connecticut Symphony Young Artist Competition(コネチカット州ニュー・ロンドン)、Percussive Arts Society国際マリンバコンクール(アメリカ)等で入賞。大曲新人音楽祭コンクール、クラシック音楽コンクール・打楽器部門最高位(日本)。ヒューストン交響楽団、Di Pepercussio Ensemble、東方コネチカット交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演。現在ボストン在住。



―  簡単な略歴を教えていただいてよろしいですか?

布谷 7歳からピアノを始めました。小学校の時に学園祭でマリンバを初めて見たのですが、それ以来マリンバに憧れがありましたね。その後、中学校からずっと打楽器をやり、17歳からマリンバを本格的に勉強しています。

―  その後はマリンバだけをお続けになっているのですか?

布谷 大学は音楽大学ではなく、教育科のある山形大学に行ったのですが、その時は打楽器も勉強しなければいけなかったので、打楽器もマリンバも両方均等にやっていました。アメリカの学校ではマリンバ科がありそこに入学したので、留学後はマリンバを主に勉強しました。

―  アメリカに留学しようと思ったきっかけはありますか?
 

ボストン・マリンバ奏者
日本人マリンバ奏者と

布谷 留学というか、マリンバを勉強する引き金になった先生(大学2年頃から学外で習っていたピアノの先生)がいるんです。山形大学のカリキュラムでは、打楽器専門の先生が年に4回しか来ません。それだけだとあまりにもレッスン数が少ないと感じたので、大学2年の終わり頃に思い切ってそのピアノの先生にマリンバを教えてくださいとお願いしたんです。先生はそれを快く引き受けて下さいました。そこからは常に新しいものの発見でした。音楽というもの、音楽をすることの喜び、苦しみ、深さ。本当にいろいろなものを学びました。その先生との出会いで、真剣に音楽を勉強しようと決めたと言っても過言ではないですね。そしてマリンバの世界に目を向けるために、世界で活躍している何人かのマリンバ奏者に出会う機会があり、その方々から色々と海外のお話しを聞いていくうちに、海外に興味を持ち始めました。

―  アメリカやヨーロッパ、アメリカの中でも西側、東側がありますが、ボストンに留学先を決めた理由は何かありますか?

布谷 ヨーロッパでは、オーケストラ奏者になるためのプログラムが主流で、ソロでマリンバのみを勉強することはまず不可能だと聞きました。自分としてはマリンバのみを勉強したかったので、大学3年生頃からお世話になっていた三村奈々恵さん(注:マリンバ奏者)からお話をいろいろ聞き、マリンバ専攻で修士課程が取れる大学ということで、三村さんが通っていたボストン音楽院に行こうと、大学4年の夏に急に考え始めました。

―  ボストン音楽院に行かれてどうでしたか?

布谷 アメリカ留学を急に決めたので、英語を準備する時間はほとんどありませんでした。最初は英語が全然出来なかったので、英語の授業から受講しました。その英語のクラスでは、いろいろな国の人と友達になり、ボストン探索をしたり、協力したり、毎日いろいろな発見があって楽しかったです。プライベートレッスンは、英語があまり達者でない留学生を教えるのに慣れている先生でしたので、英語が出来なくても身振り手振りと簡単な単語で何とか教えてくれました。

―  ボストン音楽院は、入学時にTOEFLは必要ですか?

布谷 僕はスコア自体を持っていましたが、恥ずかしながら入学するための点数には達していませんでした。多分、その当時はそんなに重要視されていなかったのだと思います。今は必要みたいですね。

―  オーディションはテープですか?

布谷 テープでもいいし、もちろんライブオーディションでも良かったです。僕はあまりよく分からなかったのでテープで出しました。ただ、自分の担当になる予定の先生に自分の事を知られていないのであれば、直接来てオーディションを受けたほうがいい印象を与えられると思います。奨学金の額も変わってくると思います。

―  初年度から奨学金はもらえますか?

布谷 優れている人には多少なりともちゃんとくれます。ただ、奨学金は主にオーケストラの楽器の専攻生に多く振り分けられるので、マリンバ専攻生は高額な奨学金をもらうのは難しいと聞きました。僕の場合、修士課程の時は多少もらっており、その後のアーティスト・ディプロマでは全額奨学金を得ることができました。

―  マリンバ科は何人いたのですか?

布谷 修士課程は、三〜四名です。学校自体がそんなに大きくはないので三〜四人でも結構多いほうだと思いました。

―  ボストンは、治安などいかがですか?

布谷 場所によってですが、アメリカでは比較的良いほうだと思います。何区域か危ないと聞いています。危ない区域は決まっているのでそこに行かない限り大丈夫だと思います。
 

マリンバコンサート
マリンバのコンサート

―  音楽をアメリカで勉強することで良い点・悪い点はどのような事がありますか?

布谷 アメリカは、国自体が本当に自由だと思うんです。いろいろな人がいるし、いろいろな演奏方法もあるし、いろいろな音楽もある。それが刺激になっていいなと思います。逆にいろいろありすぎて広く浅くになりがちな部分もあるような気もしますね。ただ、ボストンやニューヨークなどの東海岸側は、地理的にもヨーロッパに近く、たくさんの音楽家がヨーロッパから渡ってきます。そのおかげで、クラシックの本場の音楽を聴く機会もありますし、クラシックの勉強を本場の人から習う事も可能だと思います。そして、マリンバという楽器自体が珍しく、アメリカは珍しいものが好きなところがあるので、作曲専攻の生徒や作曲家の先生方がマリンバを使った室内楽曲やソロの曲を書いてくれますね。その曲を演奏するチャンスがありますし、マリンバの作品を書いてくれる作曲家の方と、マリンバの可能性や、その作曲家の書いた曲の意図等のお話をする機会がありますね。

―  アメリカでもマリンバはあまり知られていないのですね?

布谷 そうですね。演奏会をすると「今までマリンバを聴いたことがなかった」という人はたくさんいます。コンサートマリンバの歴史は浅いので、仕方がないと思いますが。でも、中にはマリンバをジャズで聞いた事があるとか、昔メキシコで聞いたとか、そういう人がいて僕も驚くことがあります。

―  アメリカに留学されて一番大事な事はなんですか?

布谷 目標みたいなものはしっかり持って勉学に励む事が大事だと思います。そして、留学は親等からの金銭的・精神的サポートが必ず必要だと思いますので、そのサポートをしてくれている方達への感謝の気持ちも忘れてはいけませんよね。また、ボストンは日本人が多いので、日本人とばかり遊んだりせず、いろいろな人と交流を持っていろいろな文化や経験をしていく事も大事かなと思います。

―  学校を卒業後、アメリカでいろいろな仕事をなさっていると思いますが、アメリカで仕事をする上で日本人に有利な点・不利な点があるとお考えですか?

布谷 それはまだ、感じたことはないです。ただ英語がアメリカ人みたいに流暢に話せないことが不利というか、思ったことがすぐに英語に出てこないことがストレスになることはありますけどね。

―  東海岸、西海岸の都市部では、言葉がある程度できれば、あとは実力で仕事をもぎ取っていけるという事ですね?

布谷 そうだと思います。

―  クラッシック音楽というのは、布谷さんにとって何ですか?

布谷 自分と向き合う鏡みたいなものですね。音も音楽性も感受性もほとんど人間性から来るものだと思っています。人間性を磨いてこそ音楽が高まっていくとも思います。音楽は心のよりどころですね。

―  そのときの自分の状況が音に反映されるという事ですか?

布谷 ほとんどそうだと思います。

―  ロックとかポップとかそういうジャンルには興味が無いのですか?

布谷 そういうジャンルの影響を受けて作られたマリンバの作品がありますので、そういうのは何曲か演奏したことあります。でも、そういう音楽は、自分は聞くほうが好きですね。あとは、ジャズを六ヶ月くらい勉強した事はあります。でも、何かしっくりこなかったですね。クラッシックの演奏とジャズの演奏とでは頭の使い方が全然違うので、今からもう一度一からジャズを勉強するよりは、今はクラッシックの方に時間を費やしたいと思っています。でも余裕が出てきたら、いつかはちゃんとジャズを勉強したいと思っています。
 

ソロマリンバ奏者
ソロマリンバ

―  今後の音楽的な夢があれば教えていただいてよろしいですか?

布谷 マリンバでクラシック音楽を演奏することがまだあまり世に浸透していないので、まずマリンバという楽器があることを世の中に確立して、その上で、マリンバで奏でる音楽、そしてその良さを世間に広めていきたいと思っています。曲も、マリンバのオリジナル作品はまだそれほどありませんので、僕が尊敬する作曲家の先生に委嘱していき、後世に残せる作品も作って行きたいですね。そしてマリンバで奏でる僕の音楽を通して、いろいろな人がいろいろなことを考えられるような、感じられるような、深い音楽を創って行きたいと思っています。ピアノやヴァイオリン奏者の方は、そのような演奏をされる方はたくさんいますが…。要するに音で勝負できる音楽家になりたいということです。最近、マリンバの演奏自体がエンターテイメントになりがちな事が多いと思いますので。

―  エンターテインメント的というのは?

布谷 奏者がマリンバから出る音をよく聴かずに、体の動きのみを考えて演奏する事です。それがいいと思ってやっている人はもちろんいいと思うのです。マリンバを演奏する事は、やはり動きを伴いますし、そういう体の動きに自分の思考が働いてしまうことは仕方がないと思うのです。でも僕は「動き」を第一に考えた音楽ではなくて、自分の奏でるマリンバの音に対してもっと敏感に耳を働かせてよく聴き、作曲家の書いた音符を深く追求して、その作曲家の意図を理解し音楽を創っていけるような音楽家、マリンバ奏者になりたいと思っています。

―  アクションっぽくなる、見られがちということですか?

布谷 そうですね。「見ていて綺麗だね」とか「手が早く動いて凄い」と言われるよりは「音楽が深いね」と言われるほうが嬉しいですよね。でも実際問題、マリンバを演奏することには大きな動きが伴うので、難しいですけどね。

―  マリンバの演奏は、ソロとオーケストラの両方になりますか?

布谷 オーケストラの中でマリンバを演奏する事もあるのですが、それはオーケストラの打楽器奏者がマリンバを演奏することになります。マリンバ奏者がそのような仕事に雇ってもらえる事は稀でないでしょうか。マリンバ奏者は、主にソロのコンサート、ソリストとしてオーケストラをバックに演奏、室内楽で演奏、BGMで弾く、レセプションで演奏することがほとんどだと思います。

―  マリンバというのはいつ頃から登場した楽器なのですか?

布谷 コンサート楽器としてある今日のマリンバの原型が登場してから80年くらいです。マリンバは、アフリカが起源だと言われているのですが、確かではありません。その起源と言われるアフリカのバラフォンという楽器が南アメリカのグアテマラやメキシコに渡り、すべて木で作られているマリンバが出来たのがマリンバの始まりと言われていますね。そして80年ほど前に、とあるアメリカの楽器会社がその南アメリカのマリンバを発見して、今のマリンバ(共鳴管が鉄製)の原型を作りました。そこからいろいろ楽器会社が開発して、今僕が使っているような5オクターブの楽器がおおよそ30年程前に出来ました。
 

マリンバ奏者
ソロマリンバ奏者

―  布谷さんは、アメリカで演奏家として活躍されているわけですが、マリンバ奏者を目指す方がアメリカで音楽家として活躍する秘訣はありますか?

布谷 まずは技術的にも音楽的にもあるレベルに達していることが必要だと思います。そして、人間的にも、音楽家としてもバランスが取れていることも大事だと思いますね。活躍する秘訣ですか・・・あったら自分も教えて欲しいくらいですね(笑)。マリンバ奏者として生きていくのは、引かれていないレールの上を歩くのとほぼ一緒と言っても過言では無いくらいですので、強い精神力で頑張っていかなくてはいけないと思います。それでご飯を食べていかなくてはいけないですし、生きるためにお金をどうやって稼ぐか考えていかなくてはいけません。でもお金の事だけを考えていては、良い音楽は創れません。だからといって家にこもって練習ばかりしていたって、ご飯は食べれませんし….。そのバランスも難しいですよね。自分の優れているところを見つけて「自分はこういう事が出来るんだ、こんなことをしてきたんだ」と、アピールしていくことが大切だとも思いますね。

―  アピールの仕方はどういうふうにされましたか?

布谷 一番いいのは演奏をたくさんの人に聞いてもらうことだと思います。演奏を聞いてもらう上で履歴書が印象的だと良いと思いますので、コンクールで賞に入っているとか、自分にしかないレパートリー・プロジェクトがあるとか、そういうものを全面的にアピールしていくといいと思います。アメリカと日本では人のつながりが少し違いますしね。

―  どういう意味ですか?

布谷 日本の場合、横のつながり(師弟関係)で仕事を頂く事が多いと思うのです。そのつながりが無いと仕事が出来ないという話も聞いた事があります。アメリカでももちろん先生のツテでお仕事をいただくという事もあるのですが、日本ほど師弟関係の有無で厳しい思いをすることは無いと思います。アメリカの場合は、知らない誰かが「いいな」と思ったら、その人と少し話しをしただけで、「僕の息子の結婚式で演奏してくれる音楽家を探していたところなのだけど、君の連絡先を教えてくれないか」と話をしてくれたり、「君の経歴、面白いこと書いているね」と興味をもって話しかけてくれる人などがいます。コンクールで多数の入賞経験があるとコンサートを運営しているグループから演奏会の依頼があったりします。面識の無かった作曲家の先生でも演奏を気に入ってくれると「君のためにマリンバの曲を書きたいのだけど」と言ってくれる方もいましたね。本当にいろいろなチャンスがアメリカには転がっている気がします。ですので、たくさんの方に演奏を聞いてもらう事が一番大事だと思います。

―  コネクションがなくても実力次第で、仕事のチャンスが生まれてくる可能性があるのですね。

布谷 あると思います。だから僕もここにいれると思うのです。

―  海外に音楽留学をしたい方が日本にはたくさんいらっしゃいます。そういう方にアドバイスをいただけますか?
 

マリンバフェスティバル
マリンバフェスティバル

布谷 海外留学は、人生経験にもなりますし、自分を知ることが出来る良い機会だと思います。ただ先程も言いましたが、留学をする事は精神的にも金銭的にも大変ですし、それをサポートしてくれる人たちに対して感謝することを忘れず、一生懸命死ぬ気で頑張ってもらいたいなと思います。日本人は他の国の方に比べて金銭的に恵まれていると思います。恵まれているからこそだと思うのですが、「海外にいる」というステータスに満足して、遊んで終わったり、音楽留学で来ているはずなのに語学をちょっと勉強して帰国する、という方がいるので、そういうことのないようにして欲しいなと思います。アメリカにいる日本人がそういう目で見られるのは恥ずかしいと思いますので。もちろん死ぬ気で頑張れとは言ったのですが、息抜きも大事ですよね。自然を見たり、美術館に行ったり、映画を観たり、美味しいものを食べたり…。ストレス発散のためにパーッと遊ぶことも大事だと思います。また、アメリカでは一つの観念が通用しないことも多いので、頑固に物事を一つの側面から捉えず、何事に対しても受け入れられるような寛大な気持ちを持つ事が大事だと思います。アメリカは、日本で常識なことが常識でなかったりする国です。最初は、びっくりするかもしれないし、ストレスになるかもしれないのですがそれも世間勉強ですのでしっかり受け入れる用意が必要だと思います。

―  いろいろとありがとうございました。

布谷 ありがとうございます。


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