福森道華さん/ジャズピアニスト/アメリカ・ニューヨーク
「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のジャズピアニスト福森道華(フクモリミチカ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽家としてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。
ー福森道華さんプロフィールー
愛知県立芸術大学音楽部作曲科を卒業。上京後、鈴木コルゲン宏昌さんに師事し、東京で8年間活動。2000年に渡米。Steve Kuhnにジャズ・ピアノを師事 し、ニューヨーク市立大学大学院音楽学部ジャズ科を卒業。Lenox Lounge、Cleopatra's Needle、University Street、Beekman Tower Hotel等に出演。ギリシャツアー、アルバムのレコーディングと音楽活動を広げています。ジャズライブハウス「ブルーノート」へも出演し、実力が高く評価されています。また、「CDで学ぶピアノの弾き方/気楽に楽しむポップスピアノ」(ナツメ社)の著者であり「ハモンドオルガン/キーボード ジョーイ・デフランセスコ イン」(ATN)の翻訳なども行っています。
ー そもそも音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?
きっかけですか?3才のときに母親に地元の音楽教室に連れて行かれたことですね。自宅にピアノがたまたまあったので...。
ー 小さい頃だと興味があったというわけではなかったと思うのですが、やり始めていって、プロになろうと思った瞬間とかがあったわけですか?
そうですね、3才以降、常にやっていたので、そのまま何も考えずに音大に行き、今はジャズをやっているんですけど、あえてこの道に入ろうとしたのは、音大を出てからですね。
ー 日本ではクラシックから始めたようですが、何故ジャズに行き着いたのでしょうか?
あんまり大きくは言えないんですが、音大まで行って、私はクラシックがあんまり好きじゃないと思って。音楽教室はクラシックもやらせるし、ポップスみたいなのもあるんですが、よく考えてみるとそっちの方が好きだったな、というのに気がついて。それまでは学校でも音楽の時間は普通の授業より好きだな、とか音楽だったら何でも好きだったんですが、いざ100%クラシック音楽の環境に入って、ちょっと違うなっていうのがあって。よくよく考えたらテレビでやってる歌謡曲の方が好きって。
ー 今でもクラシックはあまり?
ジャズの道に入ってからは、こっちに必死なんですよね。時間がないから聴いていないですね。
ー ブラジル音楽がお好きだそうですが、ジャズに進まれたのはなぜですか?
ブラジル音楽はそれで仕事が出来るとは知らなかったんですね。ホントは大学卒業してから、商業音楽家になりたかったんですよね。歌手の人に楽曲を提供する作曲家みたいな。で、そういう人になるならジャズの理論とか知っていた方が良いかな、と思って、テレビでたまたまジャズフェスティバルみたいなのをやっていて、このアレンジがすごい!、この人につきたい、と思ったときに、Dr.JAZZとして日本のジャズを支えて育ててくださった内田修先生にお会いして話したら鈴木君につきたいのか、紹介してあげるから、是非つきなさいと言われて..。鈴木先生が教えているのがアンミュージックしかなかったんですね。それで鈴木先生についてからすごく奥深くて、のめり込んで、難しくて、ジャズしかできない、他のことをやる時間がなく、今に至るという感じですね。
ー そのころから一気にジャズに変換して、東京でもジャズという感じだったんですね。
変換というか、ふと考えたら他のことをやる時間がなかったし、難しかったし。自分にもあっていたし、すごく好きだったので。たまたま拾ってくれるバンドとかもあったので、東京に行った瞬間からジャズにドボっとはまったという感じですね。ご縁があったんですね。横道を考える暇がなかった。そんな中でブラジル音楽がすごく好きでよく聴いていたのですが、ニューヨークに行ってみたところ、そのブラジル音楽とジャズの両方がすごいクオリティーで存在するので、ニューヨークに住もうかな!、将来あこがれのバーに出れたらいいよな〜!みたいに思って。ZINC BARっていう憧れのBarにでれたらいいよな〜と思ってたんです。そこのバーでは、ぱっと見たらどう考えてもブラジル人しか弾いてないので、まさか自分がステージに出れるとは思っていなかったんですけど。次の人生はブラジル人なりたいと思いますけどね(笑)。本当はブラジル音楽とジャズ一緒にやりたいと思うんですけど、ブラジル音楽もすごい難しいんですよね。リズムの問題で。天才だったら出来たかもしれないんですけど自分の容量はよく分かっていますので(笑)。
ー 渡米を考えたきっかけを教えてください。
ジャズを初めたときから私を育てて頂いた、歌手の植村美芳子さんに、会ったときからニューヨーク行こうよって言われていたんです。でも、お金がないじゃないですか、もちろん。どうやってニューヨークへ?日々手一杯なのに、どうやってお金を貯めてニューヨークへ行くんだ?という感じだったんです。ある日、お金がようやく貯まったので、植村さん今年は行けそうなんですけど、と言ったら、ホントに〜って言われて。私が部屋借りるから、居候でいいから連れって言ってあげるわよ、っていわれて、行ったら初日からはまってしまったんです。私はもうここに住んでしまえ〜、これは住むしかないな、という風に思ってたんですね。
ー 1番そういう風に思われたのはどう部分なんですか?
やっぱり音楽ですよね。すごいショックを受けたんですよね。レコードしか聴いたことがないじゃないですか。いわゆる勉強するとか、ブラジル音楽にしても CDを聴いてう〜んという感じがあるみたいな(笑)。生を聴いて、生ってCDの百倍ぐらい迫力が有るじゃないですか、もちろん東京でもブルーノートとか行ってましたけど、それを1/10ぐらいの値段、もしくはタダで聴ける生活があるなんて。自分がそこに入るなんて夢にも思っていなかったので、とりあえずすがるように、聴けるだけでもいいや〜、という感じで。まさか自分が、そういう人たちに混じるとか、そんなおこがましい事は全然考えていないです。ほんと聴けるだけで有り難うございます、という感じで。
ー 現状で福森さんの音楽スタイルはご自分ではどのようなものだと思っていらっしゃいますか?また、ご自分の音楽をどのように作っていくのですか?
アメリカ来てから音楽に対して、変わったと思うのは、日本にいるときはすごく頭で考えていたんですよ。音楽のことを。とにかくすごい頭で考えていたんですね。こっちに来てからジャズが生まれた国で、ジャズが発展してきた土地で、こうして聴いている訳じゃないですか。しかも、びっくりするような大御所を間近で聴いて、その人たちの音楽を浴びるように聴いからは、頭で考えるんじゃなくて、心から伝えなきゃいけないんだ、っていうのがありますね。自分が日本とニューヨークにいてすごく変わったと思うのはそこですね。それで、それを感じられたのは幸せだなあと思うんですけど。Steve Kuhnに付いているというのもありますし、こちらでは全てがそういう思考なので。Steve Kuhnからは、君は何のために音楽やっているの?って。伝えるものがなければ意味がないじゃないかと。わたしが100万回練習した曲をSteve Kuhnが、なんだこれは〜!って言って、僕はこんなの30年ぐらい弾いていないけどね、と言って、30年ぶりに弾いた彼のその一発が、私の100万回の練習よりも100万倍うまいんですよ、というかずっと良いんですよ。
ー 舞台の上ではどのような事を考えて演奏しているのですか?それとも自然に演奏しているんですか?
日本にいる時は考えて演奏していたんですよ。今は、自然が自然にでるようする、という事ですね。そして頭で考えなくて良いぐらい、練習する。自然に自分がでるように、自分が何を感じているかがすぐに手に伝わるような訓練をしておく。日本ではそれをしていたつもりでも伝わっていなかったんですよね。回路が間違っていた、というか、間違っていたとは言わないですが、あれはあれでよかったんですけど。実際気持ちよくスイングするというのはどういうことか、っていうのを、今自分がスイングしているかということをおいておいても、体でこういうことじゃじゃないのかなっていうのを何となく感じ始められたんですね。そのことは一生考え続けることです。だいたいこっちで育ってないし(笑)。そういうことは良く言われるんですよ、僕達はこちらの音楽を聴いてきて、英語を話してこういう風にスイングしているけど、だいたい君思考回路日本語でしょ、って(笑)。
ー やっぱりジャズって、ツーカーの部分があると思うんですけど日本人と演奏するときと外国人と演奏するときと、一緒にやるときは感覚はちがうものですか?
やりとりの仕方は一緒です。日本で学んだHow to Jazzでも全然OKです。でもその先のどうやってスイングするとか、あこがれのレコードで聴いていた演奏に近づくには、っていう答えが、今でもずっと探しているんですけど、先生にも言われるんですけど、難しいんですよね。それはもう心で感じるっていうことなんですね。
ー 体に染みついてくるっていうような感じですか?
やっぱり年中浴びるようにあの音楽を聴いて、ですかね。
ー それはやっぱりずっと住んでいないと分からないような感じですか?
世の中には分かる人もいると思います。私のような人間は、住んで5年たって、やっとなんとな〜くわかりはじめて、でもやっぱり分かってないんだろうなって、感じですかね。こんなこと言っていてもSteve Kuhnに言わせればNever ever swingとか言われちゃうんですけど。やっぱり本では勉強するじゃないですか。奴隷制度があって、アフリカ音楽と西洋音楽の融合みたいな、そういうのをものをこちらにいると身近で感じるんですよね。例えば、ゴスペルとかを見ると、こういうのが根底にあるのね、とか。
ー ニューヨークに住んでると浴びるように感じるって事ですよね。
ニューヨークに住んでるとテレビも英語でCM流れても英語じゃないですか。その行間に流れる音楽も英語で流れるじゃないですか。日本に帰るとそれが全部日本の音楽、そこにまず、違いを感じます。だから、例えばただテレビでもこれを30年聴いて育ってきたか、きてないかで違うだろうなと。
ー その部分で根本的な違いが出てくるってことですか。じゃあ更に30年間そちらに住み続けていけば、いわゆる自分の目指している音楽に近づけるということなんですか?
近づけたら良いですね。でも、そういう意識をずっと持ち続けることが大切だと思っています。
ー 音楽活動をする上でどのようなこだわりをお持ちですか?
う〜ん。ないです(笑)。今は電話がかかってくれば何でもお受けしています。
ー 演奏上でもないですか?
ないです。言われたものは何でもやります(笑)。よく分からないんですけど、どうやら私はたくさんの曲を知っているらしいのですよ。日本で最初に入れてもらったバンドがデキシーランドジャズで、普通の人が知らない古い曲から、歌伴をたくさん演らせて頂いていたので、歌手の人達が好む曲まで。そういう意味でも使ってもらえることが多いです。なので、雇ってくださった日本のバンドリーダーに感謝しています!。よく言われるんですよ、あなた多分日本人で結構若いわよね、なんでそんなおばあちゃんが知っているような歌知っているの?って(笑)。
ー 音楽活動して最も興奮することはどんなことでしょうか?
一緒に演奏している人達と、今なんかすごく通い合ってるなって感じるときですかね。その瞬間ってすごい曖昧なんですけど、グルーブしてるというか。自分なりにスイングしているってときですね。
ー その時はお客さんにも伝わるものですか?
伝わると思います。のってない時ってお客さん、聴いてないんですよ。Zinc Barとかでもざわざわざわ〜っとしてて。で、やっぱりワッってバンドがするとお客も聴いてるんですよ。正直ですよね(笑)。
ー 自分たちが今日はのってないな、という時はお客さんものってないなってなっちゃうんですか?
うーん、自分たちは100%でやっていたとしても、なんかのきっかけでうまくいかないことがあるんですよね。わかんないですけど。常に良い状態を目指してはいるんですけど。音楽からエネルギーを感じるか感じないかでうまくいかないことがあるんです。ダラダラした演奏をしようと思ってなくても、結果的にエネルギーが音楽に行き届いていないとそれがお客さんに伝わるんですね。
ー ミュージシャンは盛り上がっていこうとしてもいまいちのれないときがあるって言うことですよね?
そうですね。いつも音を出した瞬間にときにバーンと来るのが理想なんですけど。
ー 日米の観客の違いはありますか?
そんなに違いはないような気がしますけど、例えばレストランで演奏する時にお客さんは聴こう、聴かないはあまり関係ないはじゃないですか。ただ、アメリカ人の方が楽しもうという雰囲気を持っていますよね。日本人の方がちょっと構えちゃう?っという感じ。でも日本人の人は慣れてきたら、良い感じで聴いてくれます。
ー ジャズクラブのお客さんも日米で違う感じですか?
ジャズクラブはジャズが流れてるって分かってるから、そんなに違いは感じませんね。
ー 福森さんにとって、ジャズって、音楽ってどんなものでしょう?
なんでしょう、もうこんなに長くやってしまったんで、人生の相棒といったところでしょうか。そんなこと言いながら、いろいろ趣味はもっているんですけどね(笑)。
ー ニューヨークで最も受けた影響って何ですか?
ニューヨークで音楽的に、う〜ん、やっぱりSteve Kuhnに付いていたんですけど、やっぱり一番影響を受けましたね。音楽に対する姿勢というか。姿勢って言っても私よく分からないんですけどね。ああいう偉大な人って、1時間半ぐらいのレッスン受けるだけでもものすごい、なんかワーって言うオーラみたいなものがあるんですよ。天才オーラというか。横で弾いてくれてるだけでも影響は受けますよね。
ー 技術とか、うまい下手とかそういうわけではないんですよね?
そういうんじゃないです。多分Steve Kuhnの人生がその音に詰まっていて、その音を通して、影響を受けるみたいな感じでしょうね。
ー それがご自分の演奏にも出てくるって感じですよね。
ええ、マニアですので。オタクやなあ、と思うんですけど。彼のレコード集めてるし、ニューヨークでのライブはほぼ100%聴きに行ってます。
ー 将来の夢を聴かせて頂けますか?
もっとうまくなりたいですよね(笑)。(技術的ではなく)もっと自分を伝えられる音楽家になりたいですね。結果的に自分を伝えて、ハッピーを共有できたらいいですよね。
ー お客さんがいいと思っている事はミュージシャンに伝わるものなんですか?
伝わります、さっきのざわざわしているって言うのと同じで、のっているときはエールの交換みたいな。そうするとミュージシャンものってきて。相互に良い感じですよね。
ー 海外でミュージシャンとして活躍する何か秘訣というか成功する条件はあるとお考えですか?
私が成功しているかどうかよくわかんないんですけど、やっぱり必死になることですかね。ジャズの場合、ニューヨークが本場じゃないですか、それで、そこを毎日毎日憧れてくる人が何百人といる訳じゃないですか。で、自分の前には何万人といる訳じゃないですか。だから必死でやっていかないと、ついて行けないですよね。
ー 逆に言えば、必死でやればチャンスがあるって言う感じですか?
そうですね。
ー 海外で勉強したいと考えている、読者にメッセージをお願いします。
海外で勉強するという夢は絶対叶うと思います。それはもう自分で努力して、お金を貯めれば叶うじゃないですか。勉強して卒業するまでは出来ると思うんですよ、誰でも。でもそこから先がスタートって言うか。それを活かせるような心がけというんですか、あと熱意です。それと努力の方向を間違わないようにする事。留学する方に取っては先の先かもしれないんですけど。演奏家になりたいといっても演奏家になれる人は、ほんの一握りの人達だけなので、演奏家になりたい場合はやはり覚悟を決める事です。必死さと方向を間違わないことですね。やっぱり難しいので空回りしてしまうこともありますし。自分の必死が報われるような努力をしないとダメです。あと練習だけではなく、アンテナも張らなくてはいけない。仕事を取るという意味です。やっぱりいろんな人と交流をはかっていないと、情報が入ってこないですね。そういうのも大事だと思います。もちろんチャンスが来たときに、自分の実力がそれに伴っていないとダメです。夢を持って留学されて、その夢を叶えるためには、常に自分の実力が伴っていないといけないので、そういう状態である事が必要ですね。
福森さんのオフィシャルホームページでもライブ情報を公開しています。
川口成彦さん/ピアノ/オヴィエド国際夏期講習会/スペイン・オヴィエド
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
川口成彦さんプロフィール
2009年夏、オヴィエド国際夏期講習会において、ガリーナ・エギャザローワ教授のコースを受講。
-最初に、川口さんの簡単なご経歴を教えてください。
川口 受賞歴としては、第2回青少年のためのスペイン音楽ピアノコンクール第一位、最優秀スペイン音楽賞受賞、横浜開港150周年記念ピアノコンクール第3位です。
-素晴らしい受賞歴ですね。以前から他の国の音楽よりも、スペイン音楽に興味があったんですか?
川口 はい、スペイン音楽”も”好き、という感じですね。民族色の強い音楽ですので、スペインも好きだし、チェコやノルウェイの作家も好きですね。
-ピアノを始められたのは、いつごろですか?
川口 小学校1年生からです。
-現在は、東京芸術大学の学生さんですよね。
川口 はい。でも、ピアノ科ではないんですよ。音楽を研究する学科で、ピアノも研究しているという感じです。
-将来の夢は、演奏家になることですか?
川口 一応、音楽を研究しながら演奏するというのが夢ですが、学校の先生になれたら満足かな、とも思っています。
-柔らかい雰囲気なので、生徒さんにも好かれるでしょうね。さて、今回講習会に参加されたきっかけを教えてください。
川口 スペインのコンクールで賞金をいただきまして。今まで、海外で音楽を学んだ経験がなかったので、いい機会だから行ってみようと思いました。
-では、今回が初めてだったんですね。スペインを選ばれた理由は?
川口 そのコンクールがスペイン音楽だったことと、今年がアルベニス没後100周年だったことです。興味を持っていましたので、ぜひ今年スペインに行きたいと思っていました。また、グラナダなどスペインの世界遺産に憬れていまして。独特な美しさがあるので、それを観てみたかったというのもあります。
-講習会の参加者は、どのくらいの人数でしたか?
川口 ピアノは12人でした。ほとんどスペイン人だったんですけど、スペイン在住のアルメニア人やロシア人などもいて、僕以外は全員スペイン語を話せる人たちでした。
-皆さんは、どんな方々でしたか?
川口 とてもいい人たちでした。スペイン人は気さくな方が多いので、皆さんのほうから話しかけてくれて、嬉しかったです。
-講習会のスケジュールは、どんな形でしたか?
川口 明日は誰にしますと、先生が決められ、平等な回数レッスンを受けられるようになっていました。だいたい、2日か3日に1回レッスンがある形ですね。自分のレッスン以外は、練習をしたり、他の方のレッスンを聴講したりしていました。最後の3日くらいで選抜コンサートがあり、それで締めくくられました。
-レッスンは何時間くらいでしたか?
川口 だいたい1時間です。じっくり見てもらえました。
-コンサートは勉強になりましたか?
川口 はい。コンサートに出演させてもらったんですが、日本人のいない会場で演奏することは、もちろん初めてでしたので、すごく緊張したんですが、やはりとても嬉しかったです。他のバイオリンやチェロの生徒の演奏を聞けたのも、すごく刺激になりました。
-素晴らしいですね!では、先生についてお伺いします。どんな先生でしたか?
川口 普段は優しい方なんですが、レッスン中は厳しい方でした。身長も2メートルくらいある女性で、怪獣みたいな先生だったんです(笑)。厳しく根本的な部分を注意してくださいました。ひとつの曲としての問題点ではなく、これからピアノを続けていく上でも、ためになる指摘をずいぶん受けました。教え方も上手な先生で、とても勉強になりました。
-その中で最も印象に残っていることは?
川口 和音についてですね。ピアノ音楽は和音がたくさん出てきますが、和音の中のひとつひとつの音の響きに、順序というか優劣があるわけです。それを判断してよく聞くことを習いました。たとえば、ソプラノが一番輝き、その次がバス、アルト、テノールの順だとか。それを全部吟味しながらコントロールしていく力や、耳を養っていきなさいという指導を受けたことが、一番印象に残っています。
-新しい音楽の世界を開いたのですね。レッスンはスペイン語だったんですか?
川口 はい。スペイン語、あるいはロシア語でした。友だちが英語に訳してくれました。
-先生はロシアの方だったんですか?
川口 ロシア語圏の方ですね。スペイン語かロシア語かを話される先生でした。
-練習はどこでされたんですか?
川口 学校の中に練習室が何個かありました、。すごく弾きやすいアップライトピアノが置いてありました。
-その練習室は、何時間かごとに、皆さんでシェアする形ですか?
川口 いえ。いったん入ったら、ずっとそのまま使えます。僕は、ずっと占拠していました(笑)。
-他の講習会では、交代で、という形が多いようですが、ラッキーでしたね。どのくらい練習されましたか?
川口 多い日は9時間くらいです。せっかく来たから頑張ろうと思いまして、一日中こもっている日もありました。
-レッスンや練習以外の時間は、何をされていたんですか?
川口 街を散策したりしていましたね。オヴィエドは世界遺産の街なので、とてもキレイなところなんですよ。そして、バスで少し行けば、また別の世界遺産の街がありますし。中世以前の教会があったりして、とても素晴らしかったですね。
-世界遺産を見ると、人生観が変わるという方もいらっしゃいますが。
川口 基本的に、僕は日本が大好きなのですが、日本とはまた違う空気があって良かったです。近くにサンティアゴ・デ・コンポステーラという、キリスト教の第三の聖地があるんですが、そこへ向かう巡礼の方もたくさんいらっしゃったんです。心からキリスト教を信仰している人たちを見て、とても感慨深かったですね。
-街の様子はいかがでしたか?
川口 スペインでも北のほうの街なので、治安が良いほうらしくて、安心して生活出来ました。
-街の中でショッピングしたりするときは、スペイン語ですか?
川口 はい、スペイン語です。英語も通じる方は少しいますが、ほとんどはスペイン語オンリーでした。
-お友だちと一緒に行かれたんですか?
川口 ほとんど一人でしたね。そのほうが気楽ですので。でも、夜はバルに友だちと行ったりして、すごく楽しかったですよ。スペインはバル巡りが盛んで、一つの店に行ったら次の店のタダ券をくれたりするので、夜通し遊べてしまうんです(笑)。
-スペインならではの雰囲気ですね。
川口 はい。あと、日が沈むのが夜10時なんです。夕食もそれくらいからですから、子どもでも11時くらいまでは起きているんです。10時くらいからワイワイ始まるのは、スペインならではですね。それでいて、昼もにぎやかなんですよ。この人たちはいつ休むんだというくらい、一日中人がたくさんいて、楽しんでいました。
-昼は何をされていたんですか?
川口 街を散策したり、サルスエラという歌劇も観に行きました。オペラとは違う、スペインで生まれ、スペインだけに根付いてきた歌劇です。舞台装置がすごくて、言葉は分からなかったんですが、音楽も素晴らしくて感動しました。あとは、演奏会も聴きに行ったりしましたね。
-素敵ですね。宿泊先はどんなところでしたか?
川口 街の中のフラット(アパート)でして、そこを4人でシェアしました。
-ルームメイトは、どんな方々でしたか?
川口 全員バイオリンの講習生でした。年齢はみなさん年上だったんですが、みんないい人たちでした。スイス人とスペイン人、それから、ギリシャと日本のハーフの人がいました。この人は、ベルギー在住の有名なバイオリニストなんですが、やはり、一人だけ断トツにレベルの高い人でしたね。この前来日したので、演奏を聴きに行ってきました。
-良い出会いだったんですね。フラットの大家さんは、そこには住んでいなかったんですか?
川口 ええ。なので、まったく自由に暮らしていました。
-そのフラットと講習会場は、どのくらいの距離があったんですか?
川口 歩いて10分くらいです。何度も行き来できるような距離でしたので、バスは利用しませんでした。
-食事はどうされていたんですか?
川口 ほとんど外食です。スーパーでパンが60セントくらいと、安いんです。2、3個買って、200円くらい。水が1リットル30セントくらいですから、それが一番安く済ませるときのパターンでしたね。ちょっとしたカフェでパスタを食べると6ユーロくらい、700円程度でしょうか。日本とそんなに変わらないくらいですね。ちょっと贅沢してレストランに入ると、10ユーロくらいはかかりました。お店もたくさんあったし、味もおいしかったので、まったく困りませんでした。
-日本と物価に差はなかったんですか?
川口 ちょっと安いくらいでしょうか、今は。
-外国人の方とお話されたりしたと思いますが、上手く付き合うコツは何でしょうか。
川口 なんでもいいから話すということです。ある友だちとは、「好きなピアニストは?」「この曲知ってる?」「ビートルズ知ってる?」など、ひたすら質問し合っていましたね(笑)。「お互いさっきから、~知ってる?って聞いてるだけだけど、楽しいね。」って笑ってました。スペインで日本のマンガがブームらしく、「名探偵コナン知ってる?」って聞かれたりもしましたよ。ただ、一人になりたいときは、無理をしないことも大事だと思います。「今日は本を読みたいから」とか「今夜はバルはやめておく」とか、自分のやりたいことを優先させてた時もありました。その分、一緒にいるときはたくさんしゃべりましたけど。
-自分のペースを崩しすぎないように、ということですね。
川口 ええ。疲れているときに、さらに英語で話すのは、やはり疲れますから。無理に話すと、無愛想な顔してるかもしれなくて、相手に嫌な思いをさせてしまうかもしれないじゃないですか。基本的には、たくさん話しましたけど、疲れているときはそんなふうにしていました。
-お互い無理をしないことも大事ですね。では、特に困ったことはなかったんですか?
川口 あまりなかったかもしれませんね。プラス思考なタイプなので。生活面では、全く苦労せず、楽しく快適に過ごすことができました。あえて言えば、もっと話せたら良かったということですかね。もっと日本のことも教えたかったし、もっとスペインのことも聞きたかったです。
-講習会に参加して良かったと思った瞬間は、どんなときでしたか?
川口 いちばん良かったのは、コンサートで演奏できたことです。自分では納得いかない部分のあった演奏だったのですが、「ブラボー!」って言ってもらったりして、観客の皆さんがとても温かかったです。演奏が終わったあとも、「日本人なのに、よくスペインの音楽をこんなに表現できたね」って褒めてもらったりしたんです。本場の人たちに、自分の演奏が認められたっていうのがすごく嬉しかったですね。日本じゃなくても、音楽って通じるんだなって改めて思いました。あとは、外国にも友だちができたことです。今まで音楽をやっている友達は、日本人しかいなかったですから、世界に広がったというのは、とても嬉しいことです。
-良い経験だったのですね。ぜひその出会い大切にしてください。
川口 はい。スペイン人の友だちは、来年日本に行きたいって言ってるんですが、どうやら本気で来そうです(笑)。
-留学して、ご自身が一番変わったことや、成長したな、と思うことはどんなことですか?
川口 自分はどこでも生活できるんだな、っていうのが分かったというか(笑)、自分に自信がつきました。もともと一人旅は好きで、日本国内では、一人でどこにでも出かけていたんですが、今回は初めての海外でしたから。やはり最初は不安でしたが、それをやり遂げたという達成感を感じました。日本人が一人もいない街だったので、特にそう思いましたね。
-日本とスペインで、大きく違う点は何でしょうか?
川口 スペイン人は明るく社交的で、誰とでも仲良くなれるという感じでした。日本人ではなかなかない感覚ですね。偶然、街の中で結婚式を見たんですが、それも日本とは大きく違ってました。スペインには、ガイタというバグパイプみたいな楽器があるのですが、街中にガイタが鳴り響き、「今日、新婚さんが誕生しましたよ!」と、街全体で祝福していました。ひとつの幸せをみんなで共有しようという感じで、お祭り状態でしたね。あと、違うことといえば、やはり、日が沈むのが10時ということでしょうね。昼からたっぷり遊んでいても、まだ明るい。そして暗くなってからもまだ遊びますからね。マクドナルドでビールも飲めますし(笑)、一日中、たくさんの人が楽しんでいることは、一番違う点でしょうか。
-スペインのお国柄なんでしょうね。では、今後、留学される方にアドバイスをお願いします。
川口 英語はすごく重要です。今回、それを実感しました。「英語は地球語」になってきています。どの国の人たちも英語は教育されているので、子どもでもみんな話せるんです。もしかしたら、日本の英語教育は遅れているんじゃないか、とも思いました。自分の英語力がないだけなんですが(笑)。もっと事前に勉強していたら、レッスンももっと充実していたかもしれないし、交友関係ももっと深く広くなっていたかもしれない・・・・そう考えると、やはり悔しいですから、英語の勉強だけは、きちんとしておいたほうがいいと思います。
-今後の活動や進路など、具体的なプランがあれば教えてください。
川口 4年生には卒論を書かなければいけないので、そろそろテーマを決めて、研究していかなければいけないですね。コンクールは、たぶんいろいろ受けると思います。優勝をするためにコンクールを受けるというより、その練習が充実したものになるので、コンクールは結果にこだわらずたくさん受けたいです。
-卒業論文は、スペイン音楽を研究されるという可能性もありますか?
川口 はい。スペインは候補ですね。
-今後のご活躍をお祈りしております。本日は本当にありがとうございました!
海瀬京子さん/ピアノ/ベルリン芸術大学/ドイツ・ベルリン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
海瀬京子さんプロフィール
静岡県出身。西島淑恵、高原節子、塩谷安圭美、播本枝未子、倉沢仁子、エレーナ・ラピツカヤの各氏に師事。東京音楽大学付属高校、同大学を経て同大学院修了。2004年第28回ピティナピアノコンペティション特級準金賞および聴衆賞、併せてロイズ賞、三井ホーム賞、王子賞を受賞。2005年第74回日本音楽コンクールピアノ部門第1位。併せて野村賞、井口賞、河合賞を受賞。2010年第17回アルトゥール・シュナーベルコンクール第1位。これまでに東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、群馬交響楽団、東京音楽大学シンフォニーオーケストラ等と共演。また、NHK交響楽団首席奏者メンバーと室内楽を共演。2007~2010年度(財)ローム・ミュージックファンデーション奨学生。現在ベルリン芸術大学に在籍中。
-まずは、簡単なご経歴をお願いします。
海瀬 5歳からピアノを始めまして、東京音大の付属高校に入学しました。そして、そのまま東京音大と同大学院を修了しまして、現在ベルリン芸術大学に留学中です。
-ずっと長く音楽をやっていらっしゃるんですね。最初に始めたのは、近所のピアノ教室ですか?
海瀬 はい。ただ、その前に始めは近所の音楽教室に入って、みんなとわいわい音楽を楽しんでいました。母が元音楽講師だったのでグランドピアノが家にあったりして、音楽が身近にある環境で育ちました。
-本格的にピアノを学ぼうと思ったきっかけは?
海瀬 ピアノを始めた頃から、なんとなく音楽家になりたいとは思っていたんです。具体的には、中学校くらいの頃から、早く本格的な教育を受けたいと思うようになりました。のちに教わることになる高校・大学時代の教授に教わりたいなって思ったとこから、本格的に音高受験を準備し始めたという感じですね。
-留学を決意されたきっかけは?
海瀬 実は、元々はあんまり留学のことは考えていなかったんですよ。運良く奨学金がいただけることになったので、留学を決意しました。
-奨学金はどの団体のものですか?
海瀬 ローム・ミュージックファンデーションです。大学院2年の時にいただいたんですが、その奨学金は、国内の学校でも海外の学校でも、最長4年もらえると言うものだったんですよ。なので、日本の大学院で残りの1年間分を使って、今のベルリン芸大が3年のプログラムなので、ちょうどいいなということで。
-ベルリン芸大を選ばれたということですが、決めるまでのいきさつは?
海瀬 日本の先生が、この先生がいいんじゃないかとおっしゃったんです。実際、受験する前に、現在の先生の前で演奏したところ、先生も気に入ってくださいまして。あと、都会に行きたいという思いもあったんです。いろいろな講習会を受けたりして悩んでいたんですが、ベルリンに来た時、しっくりきたんですよね。それで、やっぱりここにしようと思いました。
-どういった講習会に参加されたんですか?
海瀬 ザルツブルグとか、浜松でやってる浜松国際ピアノアカデミーなどです。
-今師事されている先生は、どんな方なんですか?
海瀬 エレーナ・ラビツカヤ先生と言うロシア人女性です。
-ベルリン芸大を志望されている方は非常に多いのですが、受験の内容や出願書類などについて教えてください。
海瀬 私の課程の試験は実技のみです。曲も、バッハ、古典のソナタ一曲と自由曲ですね。でも、とにかく受験者が多いので、試験は1次試験と2次試験にわかれて行われます。1次試験では2~3分しか弾かせてもらえなかったです。2次試験になると、もうちょっと長く弾けるんですが、それでも全部は弾かせてもらえなかったですね。その短時間で、とにかく結果を出さなきゃいけないので、それは大変でしたね。出願書類は、そんなに覚えていませんが、特に多くなかったと思います。願書と写真、成績証明書、卒業証明書、それと語学の修了証明書などです。
-結果はその場で分かるんですか?
海瀬 その日のうちにだいたいの結果は出ますが、会議を経て正式に決まるので、書類を待たなくてはいけません。人によっては、先生からの情報では合格だったのに、会議後書類が送られてきて不合格だった、なんて人もいました。
-志望動機書などはなかったんですか?
海瀬 そういうのはありませんでした。
-試験の時の思い出を教えてください。
海瀬 すごく短くしか弾かせてもらえないと聞いていたので、私は、山を張ったというか、大体ここが出るだろうと予想して、そこだけ練習していたんです。でも、受験の直前に先生に聞いていただいた時、先生に「あなた、なんでここは弾かないの?」と指摘されたんですよ、あまり準備してなかったところを。「ここも出されるかもしれないから弾きなさい。」と言われたんです。それが、試験の4~5日前だったんですけど、急遽それを練習しましたら、実際、そこが試験に出たんですよ! やっぱり、ちゃんとやっておかないとだめなんだと思いましたね(笑)。
-レッスンしてもらって良かったですね!留学に関しての手続きは、ほぼご自分でされたんですか?
海瀬 ドイツ語が全然出来なかったので、ドイツ語の詳しい方に助けていただきました。もちろん全部ではなく、最初自分で書いて、最終チェックをお願いしました。
-では、手続きに関しては、そこまで苦労はされなかったんですね。
海瀬 はい。私は周りの方に恵まれていまして。こちらの先生とのやり取りも、大変素晴らしい先輩が親切にお世話をして下さいました。とてもありがたかったですね。
-そういう方がいると心強いですね。ちなみに留学準備はどのくらいから始めましたか?
海瀬 今の学校に決めてからとなると、半年ほど前からでしょうか。
-それまでドイツ語は勉強されてましたか?
海瀬 はい。ベルリン芸大は語学が厳しい学校でして、入学してから1年以内に、中級レベルの試験をパスしないと退学になってしまうんですよ。私は、大学でドイツ語を専攻してなかったので、慌てて1年前くらいから学校に通いました。けれど、実際はこっちに来てからはなかなか活かせなかったですね。最初はすごく辛かったです。
-ドイツに渡ってから、語学学校には行ってたんですか?
海瀬 はい、もちろん。毎日通っていました。最初の一年は、いったい何をしに来たんだろう?というくらい、語学ばっかりやっていました。そうしないと、試験にパスできないので。
-じゃあ最初の1年は語学学校に行きつつ、音楽はレッスンのみという感じですか?
海瀬 そうですね。今は語学の試験もパスしたので、レッスンのみです。そういうコースなので。ベルリン芸大は、とにかく自由な時間が多いんですよ。日本での成績証明書を見ながら、どの授業を取ったらいいか照らし合わせていくんですが、私の場合、たいていは日本で終えてきていたんですね。なので、室内楽とレッスンのみ取っています。室内楽は日本でもたくさん勉強していたのですが、なぜか取らないといけないことになりました(笑)室内楽というのも授業があるわけじゃなくて、3回本番をやればいいというものですし、レッスンも週に1回です。本番がある時は、追加でレッスンしてくださいますけど。
-噂なんですが、先生の推薦があると、語学の成績に関して厳しくないというのは本当ですか?
海瀬 それはいわゆる力のある先生のみ、でしょうね。でも、そのような先生に師事していても語学試験は取らないといけないでしょうし、あくまで噂程度、ととらえていた方が良いと思いますよ。
-そんなに甘くないですよね。
海瀬 でも、たいていの方はクリアしてますので、それほど恐れる必要はないかもしれませんが、一生懸命やらないといけないのは確かです。
-学校の雰囲気はどんな感じなんですか?
海瀬 ベルリン芸大は大きいので、校舎も何個かに分かれていますから、みんなばらばらでよく分からないんですよね。特徴は・・・、自由に使える時間がたくさんあるということでしょうか。自分の時間がたくさんあると思います。だから、いかようにも頑張れるし、怠けようと思ったらいくらでも怠けられる。それはどこでも同じかもしれませんけど。
-ドイツの学校は、厳しいのかなというイメージがあったのですが。
海瀬 自己管理がきちんと出来ていないといけないと思います。中間試験などもないので、3年間で唯一の試験は、卒業試験ということもありえますから。日本の学校みたいに、一年に一回試験があるわけではないで、時間の使い方は、その人にゆだねられています。自由なようで、それはある意味では厳しいことだと思います。
-そうなんですね。学生さんは、みなさん一生懸命練習されているんですか?日本の学生ほど、みんな練習しないと聞いたのですが。
海瀬 私も本番前など以外はそれほどはしてない方だと思いますけど。日本人の中でも、人それぞれですかね。でも基本的にきちんと練習しているんじゃないでしょうか。あと、こっちの人は、休むときは休むってはっきりしていますね。日曜とかは、学校も空いているみたいですね。
-日本人留学生の方はけっこういるんですか?
海瀬 はい。ピアノだけで、10人以上いるんじゃないでしょうか。ベルリンには、もう一つ音大がありますので、そちらも合わせると、かなり多いと思いますよ。
-日本とドイツで大きく違うことは?
海瀬 重複しますが、時間の使い方が自由に出来るので、自分自身にかかっているということでしょうか。
-授業やレッスンは日本と違いますか?
海瀬 特に違いはないと思います。日本か海外かではなく、それは担当の先生によって違うものでしょうね。私が日本で師事していた教授は長くドイツにいらした先生だったので、その影響か日本にいた時からその時々の状況によってレッスン内容が全く違いました。私の出来によってはレッスンが成立せずに終わってしまう、なんてこともありました。海外だともっとルーズ、のようなイメージを持っているかもしれませんが、逆に今の先生の方が時間に合わせて進行されているので、それぞれ先生方によって違いますね。
-熱心な先生なんですか?
海瀬 そうですね。細かく見てくださいます。段階を踏んで教えてくださるというか。
-レッスンは、時間通りに始まりますか?
海瀬 はい。私が日本で師事していた先生は大変お忙しい方でしたので、3~4時間待つこともしばしばでしたが、こっちに来てからのほうが時間通りですね。生徒数も日本の比にならないほど少ないですから。遅刻しても、それもその生徒の責任って感じで、咎められたりしないんです。心の中ではむっとしているかもしれませんが(笑)。
-学費は、奨学金でまかなえているんですよね。
海瀬 はい。
-日本でしっかり勉強しておいた方がいいことはありますか?
海瀬 勉強の仕方というのか、音楽に向かう姿勢をきちんと確立しておいたほうがいいと思います。自分で作り上げる能力を持っておかないといけないですね。それがないと、軸がどんどんぶれていってしまうので。
-日本だと、先生主体で音楽を作っていくというイメージが強いですが、それはないんですね。
海瀬 ないですね。日本、海外に関係なく基本は自分で作り上げるものだと思います。ですから自分で作り上げる力を培っておかないといけないのではないでしょうか。やはり、先生によっては癖みたいなものもありますから。「これは先生の癖だ」と判断できるようになっていないといけないというか。
-いろんな先生に見ていただくというのはいかがでしょうか。
海瀬 それはいいことだと思います。先生によってはそれを嫌う方もいらっしゃいますけど。でも私は、いろんな見方を教えていただける貴重な機会だと思います。
-あと、やっぱりドイツ語は勉強しておいた方がいいですよね。
海瀬 それは100%そうですね。そうでないと、ストレスだらけになってしまいますから。私も未だに出来ないですけど、最初の頃は、外に出るのもイヤでしたから。
-ベルリンは、ドイツ語だけなんですか?英語もOKなんですか?
海瀬 ドイツ語ですね。私の先生はロシアの方ですが、英語は一切話せないので、ドイツ語かロシア語のみですね。ぜひ日本で勉強しておいたほうがいいと思います。
-日ごろの練習はどのくらいされていますか?
海瀬 家でやったり学校でやったりするんですけど、本番前になって、ようやく弾き始める感じなので・・・(笑)。2~4時間とかでしょうか。
-休みの日は、どこかに行かれたりすることが多いですか?
海瀬 特にはどこにも出かけてもいないんですけど、こっちに来てから、思いきってピアノから離れてみるということもしてみています。
-不安にならないですか?
海瀬 それはないですね。周りののんびりした雰囲気を見ていると、そういった時間を過ごしてみるのもいいのかもしれないと思って。そういった日常的な「余裕」を作ることによって、自分の音楽にも何か良い影響があるかもしれない、と思います。それと音楽マンションのような、防音の部屋ではないので、周りの方の生活を考えなくてはいけないですし。
-フラットで一人暮らしですか?
海瀬 はい。ピアノをレンタルして、家で練習しています。
-弾いてはいけない時間帯とかがあるんですか?
海瀬 一応、日曜の午前中は弾かないようにしているとか、夜も8時くらいまでにしてます。私のところは周りの方も理解のある方々なので。そこらへんはフレキシブルにやっていますね。
-いい家が見つかって良かったですね。
海瀬 そうですね。みなさん住宅事情で苦労されていますからね。学校では、2時間くらいしか練習出来ないので。日本と違って、普通のレッスン室で練習するので、先生がレッスンをしていると部屋の数が減ってしまうんですよね。
-2時間でも足りないのに、大変ですよね。
海瀬 そうですよね。だから、ピアノの人は、たいてい自分の家にピアノを入れています。
-学外でのセッションやコンサートの機会は多いんですか?
海瀬 それもやはり、コネクションでしょうか。力のある先生のところですと、そのつながりで声がかかってくるみたいですが、私の先生はそういう方ではないので、自力で頑張って機会を作っていかないとなかなか無いです。なので、学外での演奏の機会はあまりないですね。
-何かに出演されたりしましたか?
海瀬 友達と室内楽をやったり、学内で行われたコンクールに出場しました。知人の方からリサイタルの話を紹介していただいたり、来年はコンクールの副賞でベルリンでもリサイタルの予定があります。
-やっぱりコネクションって大事ですね。現地の音楽の業界のツテは出来るのもですか?
海瀬 それもやっぱり先生によるかもしれませんが、基本的にはコンクール受けたり、自分でチャンスをつかむことが大事だと思います。
-留学生の皆さんは、コンクールとか受けてるんですか?
海瀬 はい。ドイツ国内外に限らず、受けてると思います。
-そういうところからプロへの道を開拓されているんですね。海瀬さんの一日のスケジュールはどんな感じなんですか?
海瀬 家にいる場合は、練習してご飯食べて練習して、っていう感じですね。出かける時は出かけますけど。特別なことはしていないです(笑)。
-お友達は、現地の方が多いんですか?
海瀬 どうしても日本人の方が多いですね。外国人のお友達は少ないです。少しだけ韓国の友達がいますけど。
-韓国の人だと、ドイツ語を練習し合えますしね。
海瀬 はい。お互い同じようなテンポなので(笑)。
-ベルリン芸大は、留学生も多いんですか?
海瀬 すごく多いです。私の周りで、ドイツ人ってあまりいないんじゃないでしょうか。アジア人がたくさんいます。特に日本人と韓国人。学校全体でもそうだと思います。
-海瀬さんのところの門下では、どんな比率ですか?
海瀬 日本、韓国、ロシア、アイルランド人などですかね。西洋人が3~4人くらい、5~6人がアジア人という感じです。
-でもドイツ語が必要なんですよね。
海瀬 守衛さんや事務局の人は全員ドイツ人なので。そういう方々とのやりとりも必要ですからね。
-日本人以外の国の人とうまく付き合うコツはありますか?
海瀬 私は、外国人の知り合いが少ないので・・・。積極的に話しかけたり、輪に加わっていくというのは大事なんじゃないでしょうか。
-そうですよね。やはり話題は音楽のことですか?
海瀬 他愛もない話ですね、芸能ニュースやサッカーの話など、共通の話題を見つけて話しています。
-住む場所も、自分で探されたんですか?
海瀬 たまたま先輩が同じところに住んでいらして、そこが空いているよと紹介していただいたんです。
-ラッキーでしたね。
海瀬 そうですね。その先輩は、前から知り合いだったのではないんですが、受験前に先生に会いに行ったとき、レッスンの時間が、たまたま前後してたんです。そのとき、「あ、この人日本人だ!」と思って、レッスンが終わるのを待ち構えて話を聞いたんです。そしたら、同じアパートの部屋が空いていると言うことで、大家さんにお話してもらうようにお願いしたんです。
-自分から話しかけたことによって見つけられたんですね。
海瀬 気になることがあったらどんどん聞いて、スパッと決めていかないと。特に住宅は、みんながいい所を探していますからね。
-悩んでいる暇があったら行動しないとって感じですね。大変な部分もあるかと思いますが、留学して良かったと思う瞬間はどんな時ですか?
海瀬 言葉が分からなくてストレス感じたり、レッスンで自分にない部分を指摘されて悔しく思う時こそ、留学している醍醐味を感じますね。ベルリンには世界でも超一流のオーケストラやオペラがあります。そこに良く足を運ぶのですが、そういった一流のものに間近で触れられた時なども、留学して良かったと思う瞬間ですね。
-そこで自分が変わったなとか、成長したなって思うのでしょうか?
海瀬 自分ではまだよく分からないですけど・・・。でも、日本に帰ったとき、先生に久々に聞いていただいたりして、「変わったね」とか「良くなったね」みたいに言ってもらえると嬉しいですね。
-こんなこと知らなかった、とかいう発見はありますか?
海瀬 ありますね。私はとにかく音色の種類を増やしたいと思って来たので、そういう面で、先生も細かく指摘してくださいますから、新しい発見はたくさんあります。
-それをどんどん習得している最中なんですね。
海瀬 毎回毎回、同じようなことを言われてしまうので、成長してないなってがっかりするときも多いですけどね。くじけそうになりますけど、ここで諦めるわけにはいかないっていう気持ちで頑張っています。
-前向きに考えられて素晴らしいです。ベルリン芸大なんてなかなか入れない学校ですし。海瀬さんが受けられたときは、どのくらい受験者がいてどのくらい合格されたんですか?
海瀬 130人くらい受験して、5~6人ですね。前に受験していて、入学時期をずらしてくる人もいるんですけど、その人たちを入れても10人くらいでしたから。
-試験官はどのくらいいらしたんですか?
海瀬 1次試験は午前午後に分かれていて、それぞれに分かれて先生がいるんですけど、2次試験は全教授が来ていましたね。
-それは緊張しますね!
海瀬 でも、フレンドリーな感じでしたよ。それよりも、ベルリン芸大の試験は、すごく大きなホールであったのですが、響きがかなりないところなんです。だから慣れていないと大変ですね。先生方は和やかでしたけど、ホールに対して緊張しました。
-今は2年生ということですが、卒業されてからの進路はどうお考えですか。
海瀬 私は最終的に日本に帰って、日本で音楽活動をしていきたいと考えています。
-プロのピアニストを目指されるんですね。
海瀬 なれるかなれないかは別ですけど。あとは、教えたりして音楽で生きていけたらと思います。
-音楽教授を目指したいとかはありますか?
海瀬 もし、そういったチャンスがあれば、ですね。
-最後に、これから留学する人にむけてのアドバイスを。
海瀬 今は、ある程度のお金さえあれば、音楽的なレベルに関係なく比較的誰でもが留学しやすくなり、インターネットで簡単にどこでもつながれる時代だと思います。飛行機で簡単に日本と行き来も出来ます。街中には日本人もたくさんいて、日本のものも簡単に手に入ります。一昔前の先輩方が留学していた時の苦労を思うと全く状況は違うと思うので、なぜ自分は留学するのかということを、心に決めてから来た方がいいと思います。まずは「行ってみたい、見てみたい」という好奇心があることが大前提だと思うのですが、今の時代でしたら、何かしら自覚を持っていかないとブレてしまうと思うんです。ある程度、留学に対する大きな目標を持つというか、自分は最終的にどうなっていたいのか、というのを考えてくるのも大事だと思いますね。人によってはとりあえず来てから考える、というのも良いのでは、という方もいらっしゃいますが。現在はどこに行っても留学生もたくさんいて、私の周りで、とりあえず来たけど、語学も出来ずにどうしていいか分からないという人もいて、そういう人はトラブルに巻き込まれたりしています。ですから、自分の中に一本考えを持ってきたほうがいいと私は思います。
-しっかりした意思を持っていないと、せっかくの留学を活かせないということですね。
今日は、参考になるお話をたくさんお聞かせ下さって、本当にありがとうございました!
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海瀬京子ピアノリサイタル
開演: 2010年10月8日(金) 19時...(18時30分開場)
入場料金: 3,500円
会場: トッパンホール 112-8531 文京区水道1-3-3 tel:03-5840-2200
主催・お問い合わせ: カノン工房 このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。
後藤裕美さん/声楽オペラ/プライナー音楽院/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
大分県大分市出身。大分県立芸術文化短期大学卒業後、武蔵野音楽大学に編入学、卒業。2001年よりウィーン在住。現在、ウィーンのプライナー音楽院 (Prayner Konservatorium)、オペラ科に在学中。2005年、第7回『別府アルゲリッチ音楽祭』大分県出身若手演奏家コンサートに出演。
(インタビュー 2005年12月)
— 簡単な自己紹介をお願いします。
後藤 四歳からピアノを始めました。ずっとピアノの道で進もうというか音楽教師になりたくて、大学受験まで頑張りました。でも、音楽教育で国立の大学を受けるのは、ピアノだけじゃなくて声楽も必要だったんです。そこで声楽を始めたのがきっかけで、今声楽の道に進んでいます。結局、大分県立芸術文化短期大学に進みまして卒業後、3年次編入で武蔵野音楽大学に入り卒業。それから2年間くらいは東京でまだ声楽の勉強を続けていたんですけれども、やっぱり留学したいということで2001年からウィーンに留学してきました。
— もともとは先生になろうと思っていたのですね?
後藤 そうですね。ピアノをいかしていきたいとは思っていたんです。音楽の先生は、ピアノ弾きますから。
— 転機は大学に入ってからですか?
後藤 声楽という世界を知った大学受験です。高校2年から声楽の勉強を始めたんですけど、ピアノと違って、歌っているとストレス発散になります(笑)。ピアノというのは本当に何時間も練習して部屋にこもってやるというイメージだったので、音楽を楽しむというよりは、少しストレス気味な事もあったんですね。声楽を始めた時にああ音楽って本当に楽しいなというのを感じて、受験にしろ、声楽を始められるきっかけがあったのがよかったです。
— 声楽のほうが圧倒的にご自分にあっていたという事ですね?
後藤 はい。性格的なものなんでしょうか。基本的に目立ちたがり。もちろん舞台に立つ時は今でも緊張するんですけど、人前で歌うことの喜びというか拍手をもらった時の感動というのが病み付きになります。今までいろんな勉強をして、自分が楽しいと思えるものは他になかったですから。
— 留学したきっかけというのは特に何かありますか?
後藤 私の声楽の先生が、若いころウィーンで勉強されていて、ドイツなどの劇場で歌っていました。そういう話を聞いているうちに私もぜひ本場で勉強したいなと思いました。同じ門下生で留学した人の話も聞いて、さらに勉強したい意欲は高まりましたね。
— 日本で大学に入ったことから留学したいな思ったのですね?
後藤 入学した当初はまったく留学のことは頭にありませんでした。日本でずっと育ってきて、海外へ出たこともなかったので、日本から離れるのが怖かったんですね。ただ、卒業後も歌の勉強はもっと続けたい!と思ってはいました。そこで、先生の話や知人の話を聞いて留学のことを考えはじめたんです。
— 大学をご卒業してからしばらくはどうしていたのですか?
後藤 東京で2年間ほどアルバイトをしながら先生の家にプライベートレッスンに通っていました。勇気がなくて、なかなか留学するのを踏み切れなかったんですね。ドイツ語学校には通っていました。
— では語学も日本で勉強してその後にウィーンに行かれたのですか?
後藤 はい。留学する半年前にドイツ語学校に毎日通っていました。でも毎日だったので勉強はなかなか追いつかなかったですけど(笑)。復習も出来ていないうちに先進んでしまう。やっぱりゆっくり勉強したほうがいいだろうなと思いました。
— 日本で半年勉強してだいぶ力はつきますか?
後藤 文法を重点的に勉強したんですけど、聞き取りとかしゃべることは、なかなか上達しませんでした。学校の先生はドイツ人の先生だったんですけど、生徒はみんな日本人ですし、しゃべれなくてもそんなに困ることもなかったですから。
— 留学当初はかなり言葉などで戸惑いましたか?
後藤 戸惑いました。本当に語学学校の帰りは泣いて帰るみたいな日もありました。先生が何言っているか分からないし、語彙力もないので言いたいことも言えなくて。さらに、街にでれば、ウィーン訛りのドイツ語。まったく違う言語かと思いました。それに、外国に住む寂しさもあったんでしょうね。
— どの位たったら慣れましたか?
後藤 半年以内にはもう慣れていたと思います。私は幸いにも同じ時期に留学してきた日本人の方がいたので、その彼女と一緒にペンション生活して。ドイツ語もあまりしゃべれないのに、「なんとかなるだろう」と思うようになりましたね。
— 今通われているプライナー音楽院はどのように見つけられたのですか?
後藤 私のウィーンでの声楽の先生の門下生の方から教えていただきました。その彼女が通っていた学校だったので、見学させてもらったんです。それで自分も気に入りました。
— 最初は語学の習得を目指して、あと先生探しという形だったのですか?
後藤 語学の習得が目的ではなくて、やっぱりウィーンに来て何が問題って、意思疎通が出来ないと学校に行っても何も出来ないと思いました。それで、とにかく集中して語学を初めだけはやってしまおうと思ったんです。日本で私は、先生や学校の情報がなかったので、学校や先生を探す時間が長くかかったんです。もし日本で学校を知っていたらもちろんすぐ通えたと思うんですけどね。
— 学校は、試験は特になくて入れるものですか?
後藤 うちの学校はクラスの先生の前で歌うという形です。その先生がいいと言ったら入学できるみたいな感じです。このVorsingen(オーディション)で、入学は出来ましたね。
— 実力がないともちろん落とされる方もいらっしゃるんですよね?
後藤 私も一体何が基準か分からないんですけどね(笑)。ちょっとオペラをやるには早いんじゃないか、もうちょっと声楽の技術を身に付けてからもう一度いらっしゃいということで、落とされる人はいました。
— 学校のコースもいろいろ分かれていますか?
後藤 声楽だけでも、リート・オラトリオ科、オペラ科、声楽科と分かれています。作曲、ピアノ、楽器、演劇、ジャズなども学べます。
— 同じレベルの方をまとめてレッスンしているのですか?いろいろなレベルが混ざっているのでしょうか?
後藤 混ざっていますね。日本人の方も何人かいるんですけど、日本で大学を卒業してきた方ばかりですね。
— レッスンは大体どういうふうに進められていくのですか?
後藤 私の学校のオペラクラスでしたら週に3日ありまして、月水金の月曜日と金曜日が舞台稽古で、演出をつけて勉強する時間です。水曜日は、コレぺティションといって音楽稽古の時間です。
— 毎回何時間くらいですか?
後藤 月曜日、金曜日が3時から6時。水曜日が3時から7時です。あとはフェンシングと体操のクラスと演劇、オペラの歴史の授業が、2週間に一回あります。私は、日本の大学の単位が(プライナー音楽院で)認められたので、他の授業はなかったのですが、他にも和声などの授業もあります。日本の音大と一緒ですね。
— やっぱりオペラだからグループでやっていくのでしょうか?
後藤 そうですね。グループですね。
— ほとんどプライベートレッスンみたいなものがないのですか?
後藤 また別です。結局みんな他の人たちは声楽の先生は別にいて、学校の先生についている人もいれば、学校以外で声楽のレッスンに通っている人もいるし。声楽のテクニックだけは、みんな別で勉強していく形です。オペラクラスに限って言えば。
— 学校ではオペラの動きなどを勉強していくのですか?
後藤 そうですね。私はオペラクラスですから。声楽科(gesang)といって本当に歌のテクニックを勉強する科もあります。
— もし歌を重点的にやりたい方は声楽科に行ったほうがいいのでしょうね?
後藤 そうですね。学校に自分のつきたい先生がいればですね。
— 学校はどういう雰囲気ですか?日本とはやっぱり全く違いますか?
後藤 違いますね。本当に開けているというか、みんなが自由に音楽を楽しんでいる感じが伝わってきます。日本だと音楽と言ってもやらされている、これをや らなければならない、課題としてこなさなきゃならないという気がしていたんですけど、私の場合ですが(笑)。あとやる気のある人、勉強してくる人に対して すごく先生が熱心です。だから本当にやる気がない人とか、勉強してこないと、どんどんおいていかれる。自分からどんどん動いていかないと、勉強できないな と思います。
— 具体的にはどういうふうにしていったらいいのですか?歌を歌っている時にいろいろ意見を言う、ということですか?
後藤 オペラクラスの授業で、同じ役の人が何人もいるわけですね。それで例えばそこで自分から歌いたいと言わないと絶対歌えない。日本だと順番に、という ふうに大体なるじゃないですか。ここでは、そうじゃなくてたとえ同じ人が何回もやろうがやりたいといった人が勝ち、あとは演出の先生に対して、ただ「はい はい」と言っているだけじゃなくて、どう自分が思うかを言っていかないと相手に伝わらないんです。そうでないと、ドイツ語が分からないのね、と言われてし まうんです。あとは、日本人の遠慮は伝わりません。日本人はすべて、口で伝えなくても、『言わなくてもわかるでしょ?』という気持ちが常にあると思うんで す。でも、言いたいことがあるときは全部、直接口で伝えないと、誰も分かってくれませんね。
— それって最初はかなり戸惑いますよね。
後藤 そうですね。日本とかなり違うと思います。
— その辺は日本の美徳じゃないけど、遠慮がちな部分は捨ててどんどんアグレッシブにということの方がいいのでしょうね。
後藤 やりすぎくらいで丁度いいかもしれません。
— それでへこんじゃう人もいそうですね。
後藤 いそうですね。でも基本的に歌をやっている人というのは、そういうのは少ないんじゃないでしょうか。割と性格的にも明るい人達が多いですからね。
— 学校では主にオーストリアの方が多いのですか?
後藤 そうでもないですね。それはうちの学校だけではなくて全体的に言えると思うのですが、外国人が多いです。オーストリア人ももちろんいるんですけど、外国人の方が多いですね。日本人、韓国人は多いなぁと思います。
— アジアから来ている学生同士も、ドイツ語でコミュニケーションを取っていますか?
後藤 韓国人や中国人の友達とドイツ語で話していたら、周りの人がどうして母国語でしゃべらないの?っていわれますね(笑)。見た目は似ていても違う国なんですよーって言いますけどね。
— いろんな国の人達と交流していて、大変なことはありますか?
後藤 何を話していても、「あなたはどう思うの?」ってすぐ意見を求められることです。日本で、そんなに自分の意見を言う機会がなかったものですから、大変です。『同じです』って言えませんから。
— 視点も広がる感じですよね。
後藤 日常生活から学べることも多いです。いろんな国の友達と話したり、パーティしたり。感情表現が豊かになる気がします。毎日を精一杯楽しむっていう感じが好きですね。感情表現ってすごく大事だからそういう意味でも留学して良かったかな、と思います。授業で、怒る演技をやってみなさい、と言われてやったら、それじゃ何か分からないわと言われたんです。なぜかというと、やっぱり私達は、体で感情を表現することがないからだと思うんです。だから、とても難しい。普段、外国人の友達と話したり、遊んだりすると感情表現の仕方がオーバーアクションだなーとよく思います。でも、そこから日本人とは違うんだなと思って。勉強になります。
— そういう日常から学ぶことって多いですね。
後藤 気がついたら私もオーバーアクションになっていたりとか(笑)。うつっちゃうんですかね。日常生活がオペラです(笑)。
— 日ごろ練習はおうちの中でもするんですか?
後藤 私はピアノを借りていまして、オーストリアにいる日本人の調律師さんから借りて、家で練習できるようにしています。一応夜9時まで大丈夫です。
— 学校行く前にも練習して、帰ってきてからも練習するのですね?
後藤 そうですね。新しい曲だと音を取るのに時間がかかったりしますね。もちろん調子が悪い時には声を出さないで歌詞の意味を調べたりだとか。声を出すだけじゃなくてそういう時間も必要かなと思います。
— やっぱり歌の背景を分かっていなきゃいけないとか、そういう宿題みたいなものも出るのですか?
後藤 宿題はないんですけど、結局やっていないと自分が困るだけじゃないでしょうか。とにかく来週はこれをやるからと言われたらその時に出来なきゃいけないな、と思いますから。理想ですけど。
— 授業が発表の場ですね?
後藤 だといいんですけど。やっぱり一番勉強してくるのは日本人ですね。
— 他の国の人はどうなんですか?
後藤 家にピアノがないから練習できるわけないでしょ?と言われたときびっくりしました(笑)。ここで今音取るんですかとか、授業中ですよ。そういういいかげんさも日本人にないなと思いますね。すべての人がそうというわけではないですよ。本当にいろんな人がいるということです。だからおおらかでないとやっていけない。いちいちカチンときたりしていたら駄目ですね。暮らしていけないですね。
— ウイーンもそうなんですね(笑)。
後藤 うーんそうですね、ウイーンでも(笑)。もちろん学生だからというのもあるんでしょうね。仕事だと、もちろん通用しませんよね。
— でもそのほうが伸び伸び出来る感じがしますね。
後藤 そうですね。伸び伸びやっていますね。
— 学校以外でセッションやコンサートなどの活動もあるのですか?
後藤 割と気軽にみんなコンサートはやっていますね。区で持っているコンサートホールが安く借りられたりしますから。ちょっと何人かで集まってコンサートという形で結構やっています。
— チャリティーコンサートみたいな?
後藤 かごを置いておいて、お願いします、という形でやっていたりとか。もちろんお金をとってやったりする場合もありますね。
— 何か面白い事、良いことが起こった事はありますか?
後藤 私の学校の先生は、ウィーン国立オペラ座で現役で働いている方なんです。それで練習場がウィーン国立オペラ座ということがありました。そういう所でミーハーな私としては非常に嬉しい(笑)。あとは、プロの練習風景を見せてもらったりもしました。フィガロの結婚だったでしょうか。
— 話は変わりますが、ウィーンの物価は日本と比べてどうですか?
後藤 昔は安いと思っていたんですけど、ユーロになってから日本と同じ位なのかなと思う時もあります。
— 食費も同じ位ですか?
後藤 日本と安い物が違うんですね。野菜は安いです。でもレストランとかそういう所に行くとああ同じくらいかなと思うことが多いんですね。でもオペラのチケットとか演奏会のチケットは安いと思います。日本でこれを聞くとなると、いくらするんだろう?ってよく思いますから。オペラを見るのは、いつも立ち見ですが、2ユーロです。
— そんなに安いんですか!
後藤 もう本当に安いんです。毎日通っている方も多いみたいです。日本でいえば300円もしないくらいですよね。それで一流の音楽が聞けるというか、本当にありえないことですね。
— やっぱり音楽環境が圧倒的にウィーンの方がいいですね。
後藤 もう町に根付いているというか、誰とでも音楽の話が出来るっていう感じがするんです。日本だとクラッシックって一部の人たちがやっているものという感じじゃないですか。そういうのではなくて、音楽をやっていない普通のおじちゃんおばちゃんも、モーツァルトの音楽くらい知ってるよみたいな。みんなでそういう音楽の話が出来るというのがいいですね。当たり前に生活に根付いているという感じがします。立ち見でよく会う方におじいちゃん、おばあちゃんっているんですけど、この年でもやっぱり立ち見で頑張りますかと思う時あります。
— 今は大体どのくらいの頻度で行かれているのですか?
後藤 9月から(12月まで)3回くらいしか行っていないですね。ウィーンに来た年はそれこそ毎日のように見ていました。今は、見ていない演目とか、演出が変わった時に行っています。
— 留学して良かったと思える瞬間はありますか?
後藤 演奏会後などに、お客さんですが、知らない人に演奏を褒められたときでしょうか。
— 留学なさってみて日本にいた時よりもこんなところが成長したなというような事は何かありますか?
後藤 自分の意見が言えるようになりました。昔も言っていたと思うんですけど。というよりはイヤなことがイヤと言えるようになったことです。昔は、イヤというかそういう気持ちを出すことが良くないと思っていたものですから。自分ひとり反対意見だったら、どうしようと思うことがなくなりました。結局それで言ってみて、同じような意見の人がいたりとかもありますしね。あとは感情を出せるようになったことです。それはオペラを通じてだと思います。やっぱり恥ずかしさがなくなったということだと思います。
— いろいろ言えるようになったりすると生活自体も楽になってきますね。
後藤 そうですよね。いろんな考えが変わると思います。前向きにというか。
— 日本に戻って来たりすると周囲の人に変わったねとか言われますか?
後藤 どうなんだろう。昔からそういう傾向はあったのかもしれないですけど(笑)。でもやっぱり歌を歌うと変わったと言われますね。
— 歌の表現の仕方というか?
後藤 そうですね。何かそれで感動して泣いちゃったわと言われると、ああやってて良かったと思います。
— それは感情の表現の仕方とかそういうものが変わったということなのでしょうか?
後藤 ある意味楽に歌えるようになりました。
— 声楽だと声をつぶしてしまうというのが割と良く聞くのですが。
後藤 よく聞きますね。私も。私は今のところ大丈夫です。何が良かったと考えたとき、もしかしたら、語学を全部理解していなかった事が良かったのかなと思うときはあります。先生の出す声とかしぐさとかで自分が感じたことをやって、それでオッケーサインが出たらいいということじゃないですか。そういうのを例えば言葉で細かく説明されて、例えば横隔膜を開いて喉をちょっと開けてなんて言われていたらもしかしたら出来なかったかもしれない。そういうことがストレスで歌えないという人もいますから。そういう意味で、テクニックは。感覚で感じ取ったほうがうまくいくんじゃないですか。あくまで、私の場合です!(笑)
— そのへんは個人の差というかとらえ方ですよね。
後藤 自分の先生を信じるということですね。信じることの出来る先生を見つけるのが、難しいんですけど。新しい先生についた時というのは発声の仕方が今までと変わるということなので、絶対に一度は良くなると思うんです。それで、良くなった!と一瞬思うんですけど、それが持続するかはどうかはわかりません。半年位ついてみないと本当にその先生が良いかどうかは分からない、と私は思います。
— そうなると見極めが難しいですね。
後藤 そうですね。そういう意味で、大学のほうに聴講に行ったりたくさんしました。いい先生がいると聞けばその先生のレッスンに行きました。あと決め手になるのは先生のクラスの発表会です。そういう所でやっぱりいい生徒さんがたくさんいるということは、その先生のテクニックはいいんだなと思います。
— 他の人の演奏を聞くというのも非常に大事ですね。
後藤 本当に勉強になります。
— 今後の進路はどのようにお考えですか?
後藤 今職探し中です。これからいろいなオーディションを受けていきたいと思います。今はまだこっちでやれることをやりたいという感じです。いずれはもちろん地元に戻って自分の勉強したことを演奏の場で表していきたいんですけど。とりあえずはこっちで頑張りたいです。
— 最後にこれから留学する人にアドバイスをお願いできますか?
後藤 語学は勉強してきたほうがいいと思います。そして、やる気を維持させながら、海外でしか勉強できないことをたくさん学んで、音楽の幅をどんどん広げて欲しいです。
— 今日は有意義なお話をいろいろとありがとうございました。
広瀬ゆう子さん/ヴァイオリン/ウィーン国際音楽ゼミナール/オーストリア・ウィーン
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
広瀬ゆう子さんプロフィール
二歳からバイオリンを始める。慶應義塾大学中退。ウィーン国際音楽ゼミナール参加。
— 現在までの略歴を教えて下さい。
広瀬 二歳の頃からバイオリンを始めて、はじめは鈴木メソッドに通っていました。本当にバイオリンが好きで、「バイオリンを続けるか、幼稚園に行くかどちらにする?」と両親に聞かれて、「バイオリン!」と答えたほどでした。途中体調を崩した事もあって、自宅近くのバイオリン教室に変わりました。ドイツから帰国されたばかりの有名な先生だったのですが、そうと知らずに入りました。中学生の時にジュニアオーケストラに入団したんですが、経営難で潰れてしまって‥それでシニアオーケストラに入りました。高校に進み、その後音楽大学へ進学したい気持ちもあったのですが、「堅実な人生を歩んでほしい」という両親の希望で慶応大学に入学し、その際ユースオーケストラに移りました。大学では室内楽のサークルで活動していました。
— 今までバイオリンを中断したことはないのですか?
広瀬 じつは高校の吹奏楽部の時に少しだけあまりやっていない時期があります。シニアオーケストラでドヴォルザークの『新世界』を演奏した時に、管楽器が素晴らしいと思ったんです。それで私も木管楽器をやってみたいと、浮気心がでちゃいました(笑)。中学校では少人数の合唱部に所属していたので、大所帯の部に属してみたかった、というのもあって、高校の吹奏楽部に入りました。でも実際に入部してみると、木管楽器はとても人気があって、経験者が優先されたので、チューバの担当になっちゃいました(笑)。今はもうチューバは演奏していませんし、マウスピースも高校に置いてきました。その間は部活動が忙しくて、バイオリンは週に一度程度しか弾けませんでした。それも親から決められて一時間だけだったんですが、まったく弾かない時期はないですね。
— いつ頃から留学したいと考えていましたか?
広瀬 高校時代からドイツにバイオリン留学したいという思いがありました。海外のディプロマコースの存在を知って、社会人になった後で、働いて貯めたお金で留学することができる、いつかは音楽で夢を叶えたいと思っていました。
— 何がきっかけですか?
広瀬 大学2年生の時に体調を崩して退学せざるを得なくなってしまい、それからは派遣社員として社会に出ました。その頃、よく悪夢にうなされていて‥。夢にバイオリンの先生が出てきたんですよ。音楽をやれと私に言っているようでした。それで音楽を志すことに決めました。そうしたら、たまたま友人がドイツ留学すると言うんです。私が前からドイツに行きたかったのに、「先にドイツに行くなんてずるい!私も行く!」と(笑)。バイオリンの先生がハンブルグ交響楽団の客演コンサートミストレスだったこともあって、ドイツには前々から興味がありました。ノイシュバンシュタイン城(シンデレラ城のモデルとなったミュンヘン近くの城)が大好きで、ドイツ語も好きだったんです。
— 実際にはオーストリアのウィーン国際音楽ゼミナールに参加されていますが?
広瀬 最初はドイツに行きたかったんです。ですが、ドイツのコースはオーディションで聴講生と受講生に分かれるような、レベルの高い講習会だったので、まずはウィーンを検討することにしました。いずれは長期留学をしたいのですが、これまで海外に行ったことがないので、まずは短期から、と考えて、アンドビジョンのスタッフの方に薦めていただいたウィーン国際音楽ゼミナールにしました。よく考えてみると、私は英語しか話せないので、ドイツだと田舎に行ってしまったら言葉が通じなくなるおそれがあるけど、ウィーンだと都市だから英語が通じて安心だな、と思ったんです。それに、ウィーンからだとミュンヘンも近いので、帰国する際にドイツに寄ることもできるかと。ゼミナール終了後、本当にミュンヘンやノイシュバンシュタイン城にも寄って帰って来ることができたんですよ。
— 準備期間はどのくらいでしたか?
広瀬 3ヶ月ほどでした。あっという間でした。
— 学費はどのように捻出されたのですか?
広瀬 派遣社員として働いていたお金と、子供の頃からのお年玉や入学祝などの貯金に、祖母からもらった成人祝いを足しました。
— ウィーンでは実際に英語が通じましたか?
広瀬 そうですね。ホテルや大きいお店、チケット売り場などでは普通に通じました。観光客が行くような場所では大概通じたと思います。ですが、バーなどに行くと、マスターは話せても、その奥さんは話せなかったり、常連さんが話せなくて通訳してもらったりしました。私自身、父親の薦めで英語は小さい頃からやっていて、これまでも読み書きはできました。ただ、英会話のチャンスが日本ではなかなかないので、ウィーンに行ってからコツを掴むまではたどたどしいものでしたが、2週間ほどでそれもスムーズにできるようになりました。
— ドイツ語(オーストリアの公用語)は特別に勉強して行ったのですか?
広瀬 もともと語学が好きなので、独学で少しかじってはいたのですが、留学が決まってからは仕事もしていたので、なかなか時間がとれなくて‥。でも英語が通じるということだったので、語学の勉強をするよりは楽器を弾いた方がいいかな、と、特に勉強はしませんでしたが、挨拶程度はドイツ語で会話することができました。
— ツィエンコフスキー先生のコースを選ばれたのはどうしてですか?
広瀬 ゼミナールのブロックⅡはポーランド人のツィエンコフスキー先生とロシア人のアレンコフ先生お二人の講師で、どちらに教えていただくか迷っていました。以前ツィエンコフスキー先生にレッスンを受けられた方が「ツィエンコフスキー先生はとてもよかったよ」と言われていたのと、バイオリンの先生に相談したら、どちらもお名前をご存知だったんですが、「ロシア人は厳しいらしいわよ」と言われたので、ポーランド人のツィエンコフスキー先生にしました(笑)。
— ツィエンコフスキー先生にレッスンを受けてみて、いかがでしたか?
広瀬 大変気さくな方で、レッスン中はもちろん真剣に教えてくださるんですが、普段はフレンドリーに接してくださいました。今まで習った日本人の先生達と違っていたのは、本場ヨーロッパ、ウィーンの、最先端の演奏を教えてくれたことです。たとえば、「チャイコフスキーの第2楽章はコンソルディーノ(ミュートを付けて)と楽譜には書いてあるけれども、作曲した当時は規模が小さい所で演奏していたからで、現在は大きなホールで弾くから基本的にはミュートは付けずに弾くんだよ」と。それが今回の留学で一番感動したことです。弓順も、カール・フレッシュ版よりも、ペーター版よりも、オイストラフ版の楽譜がいいよ、と教えていただきました。それに、私のレベルに合わせて、具体的に私のテクニックの悪いところを指摘してくれて、とにかく真剣に教えてくださいました。自分のレベルとはちょっと違うな、ということは一度もありませんでしたね。他の生徒さんにも一人一人のレベルに合った指導をされていました。
— それでは一時間はあっという間でした?
広瀬 はい、あっという間でした(笑)。
— レッスンは何人で行われるんですか?その中に日本人はどのくらいいました?
広瀬 十三人ほどで、日本人は三分の一くらいかな?韓国人と足したら半分くらいだったと思います。なかにはウィーン国立音大に合格して、ツィエンコフスキー先生の門下生としてこの後入学する、というポーランドの男の子もいましたが、アジアの方が多かったですね。音大生の方や音大浪人の方が多かったのですが、日本人で、音大卒業後に自分でお教室をされているという方も参加されていました。
— レッスンはどんな形で進められましたか?
広瀬 最初はコースごとにみんなで集合して、レッスン日と時間を決めました。ツィエンコフスキー先生の場合はその後すぐレッスンだったんですが、なかにはバイオリンを持って来ていない生徒もいました。時間は朝の9時から遅くても夕方の4時くらいには終わる感じです。自分の弾きたい曲を希望して教えてもらって、基本的にはレッスン一回に一曲、私は全部で五曲教えてもらいました。毎日レッスンを受けていた方は結構大変だったと思います。私の場合、途中体調を崩して入院してしまったので五曲でした。入院前後はアンドビジョンや講習会のスタッフの方がちゃんと連絡をとってくれて、意向を酌んで体調が回復した後半にレッスンを集中していれてくださり、臨機応変に対応してもらうことができました。
— 周囲の人の学習態度は日本とは違いましたか?
広瀬 そうですね、何分日本人が多かったのですが(笑)。それでも、韓国人の方などは先生がいらっしゃる前からピアノと合わせていたりして、レッスンに参加されている時点で意欲的な方が多いな、とは感じました。
— 現地でのレッスン以外の練習はどうされていましたか?
広瀬 ホテルの自分の部屋で練習していました。時間が決められていて、9時から12時と、14時から20時まででした。
— レッスン以外の時間はどうされていました?
広瀬 そうですね、練習以外の時間は観光を楽しみました。シェーンブルン宮殿からハイリゲンシュタット(ベートーベンゆかりの地)まで、くまなく周りました。駅の近くに、行きつけのバーまでできて、地元の方との交流を楽しみました。他のレッスン生も、どこにも観光に行かなかった、という人はいなくて、シェーンブルン宮殿だけには行ったとか言っていました。ちなみに、シェーンブルン宮殿よりも、私は王宮宝物館の方がお薦めです(笑)。
— どうやって現地の方と交流したんですか?
広瀬 高校の英語の先生から、「日本の5円玉は穴が開いていて、貨幣としてとても珍しいから、海外に行く時は持って行くといいよ」と聞いていたので、留学が決まってから一所懸命5円玉を貯めていました。でもホテルでは「これ、コインランドリーで見つけた」とか言われてあまり‥(笑)。
それから、千代紙を1セット持って行きました。電車の中とかで鶴を折っていると、周りの人が珍しそうにジーッと珍しそうに見てくるんで、差し上げるととても喜んでもらえました。日本のこと知っている方には「オリガミー!」って言われて(笑)。知り合った5歳くらいのイタリア人の女の子には作り方を教えてあげました。その子のお母さんが手伝って、お父さんがビデオまで撮って。そしたら、その女の子がお礼にと、左右の頬に唇を寄せる挨拶、あれをしてくれたんです。すごく嬉しかったです!折鶴はきっかけとしてとてもよかったですね。ホテルでチップを置くときに一緒に添えておくと、一緒に持って行ってくれていました。
— 宿泊先のホテルはどうでしたか?
広瀬 とてもよかったです。スタッフのみなさんとても親切で、ほかのレッスン生から聞いた話にだと、朝食が7時からと決まっていたんですが、それよりも早く出なければいけない時があって、フロントに相談すると、早い時間に合わせてお弁当を作ってくれたそうです。宿泊とセットになっている朝食がとても美味しかったです。ハムが何種類もあって、ズッキーニがシャキーンとしていて。蜂蜜やヘーセルナッツバターや、ジャムがたくさんありました。ジュースも何種類も用意されていたし。ホテルには共同ですがキッチンも使えますので、自炊できます。近くにはスーパーがありますし、部屋も、とびきり新しい、というわけではないんですが、ちゃんと綺麗に掃除されていて、広くて。ちなみに2人部屋より1人部屋の方がバスルーム広いです(笑)。
— バスタブ付きですか?
広瀬 バスタブはさすがにないです。
— ドライヤーはありますか?
広瀬 部屋には付いてないんですが、フロントに言えば貸してもらえました。
— 生活費はどのくらいかかりましたか?
広瀬 そうですね‥。食費の金額で変わってくると思うんですが、高級なレストランや日本食店は、それはもちろん高いです。でも、駅前とかにおっきなピザが2ユーロくらいで売ってるんですよ。焼いてすぐ切ってくれます。シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)は3ユーロで売っています。ちなみにマヨネーズとケチャップは別売りです(笑)。ウィーンにはねぎるという習慣はないんですが、たぶん、食費は抑えようと思えばいくらでも抑えることができると思います。朝食は宿泊費とセット料金なので、朝たくさん食べるようにしてタンパク質をそこで摂って、あとはパンとジャムで生活するとか(笑)。交通費はとても安いです。1回券は1.7ユーロですが、一週間フリーパス券があって、それが10.50ユーロなんですよ。それをよく利用していました。切符はクレジットカードでも買えます。今ユーロが円に対して高くなっていますけれど、もともと物価が安い国らしくて、私はそんなに高くは感じませんでした。
— 何か不便なことはありましたか?
広瀬 特別ありませんでした。レッスン生の中には英語やドイツ語があまりできなくてちょっと困っている子もいたようです。本はドイツ語のものしか売ってないので、よく分からない。それくらいですね。
— ホテルから学校まではどのくらいの時間かかりましたか?
広瀬 そうですね、30分かからなかったと思います。ホテルからシュネルバーン(郊外電車)の駅まで3分かからないくらいだったし、電車の本数は頻繁にありましたから。駅を出て大学まではすぐなので、20分くらいかな?
— 電車の中の治安はどうでしたか?
広瀬 よかったですよ。たまに、本当にたまにヘンな人はいましたが。
— 留学する際に持っていった方がいいと思うものがあったら教えてください。
広瀬 音楽面では、とにかく曲は多めに用意しておくことです。多いにこしたことはありません。生徒が少ない時とか、予定している曲数よりも多く教えてもらえることがあります。バイオリンの方はピアノ伴奏譜も持っていかれるといいと思います。ピアノ伴奏有りか無しかを選ぶことはできるんですが。楽譜に関することで言うと、もし同じ曲を日本でも習っていたら新しく楽譜を買っていかれると、書き込みが混ざらずにいいと思います。生活面では、ホテルのキッチンにはグラスや鍋やフライパンなどの調理器具は揃ってるんですが、お皿や食器がないんですよ。お皿1枚とスプーン1本、持っていくと便利だと思います。あと、ヨーロッパはシャンプーとコンディショナーに分かれていないので、気にされる方はご自分がお使いのものを用意されるといいと思います。それから、日本に電話やメールをする機会もあると思うんですが、日本の時刻が分かるように、世界時計とか、なければ腕時計を2つ持っていくと便利だと思います。
— 日本とウィーンでの違いは感じましたか?
広瀬 そうですね、音楽的なことで言えば、日本では譜面は暗記して弾くのが当たり前だという風潮がありますよね。実際私もプロなら覚えるのが当たり前だと思っていたんです。ソナタに関して言えば、ウィーンでは譜面を見ない方が逆に悪いイメージを持たれるそうなんです。ソナタはピアノと2人だけど室内楽だから、見るのが当たり前だと言われました。私が暗譜で弾いたらびっくりされました(笑)。そういった日本では知らない常識みたいなものがウィーンにはきっといっぱいあるんでしょうね。まぁ、私が特に音大に入ってないから余計それが多かったかもしれないんですけど。あとは、音の鳴り方が全然違うと思いました。空気が違うと感じましたね。文化面では、向こうではすれ違う人と必ず挨拶するんですよ。日本では絶対ないことですよね。みんなフレンドリーで、親切で。荷物を棚に上げるところとか必ず手伝ってくれるし。そんなウィーンの文化が好きでした。道路の幅ひとつにしてもすごく居心地よかったですね。生活面では、虫をね、あまり気にしない文化らしくて‥網戸が付いてない家がほとんどなんですよ。それでハエや小バエが入ってきたりはします。一度、ホテルに持ち込んだサワークリームに蟻がたかって大変だったことがありました。硬いんですよ、ウィーンの蟻って(笑)。日本でやるみたいにプチって指で潰そうとしても潰れないんで、ハウスキーパーの人に来てもらって取ってもらいました。都市部では人を刺すような蚊はいませんでしたね。たぶん山の方に行かないといないと思います。
— 留学して良かったと感じる瞬間はどんな時でしたか?
広瀬 今付いているバイオリンの先生も素晴らしい方ですし、日本でも十分音楽の勉強はできると留学する前は思っていました。まぁ、多少は違うのかな、とは思っていましたが。でも、留学してみると「全然違うな」と思いました。やはり、日本は狭いと感じました。さきほどお話したように、チャイコフスキーのコンチェルトにしても、最新の弾き方があるということが分かりました。ほかにもたくさんヨーロッパの新しい技術を教えていただいたので、もっと練習して自分のものにしていきたいと思います。音楽面以外では、ウィーンにはコソボから来て働いている人がたくさんいるんです。紛争で家族を亡くした方とも話をしました。自分がいかに井の中の蛙だったか思い知らされました。オーストリアという広い所に行ったおかげでそういう自分に気付くことができた時に、留学してよかったと思いました。お金を貯めてまたどこかに留学したいです。
— 留学をして、自分が成長したな、と思うところはありますか?
広瀬 私、お金を貯めてまた留学したいと思っているんです。最初はウィーンに行って、広い世界を見て、世界を知った気になったんですけど、よく考えてみると、ウィーンって世界的な観光地なので、そこで観光したり、住んでいる人達って『世界が100人の村だったら』風に考えると、世界のほんの一部のお金持ちの人達なんですよね。だから、これからは東南アジアとか、貧しい国の人達のこともちゃんと見なければいけないと思ったんです。それで、本などでいろいろと勉強するようになりました。そういうところに目を向けることができたところは成長したと思いますね。もともと私、僻地に学校を建てるのが夢なんです。それが一層強まりました。
— 今後の進路について聞かせてください。
広瀬 ウィーン国立音楽大学への入学を当面の目標に、私立の音楽院を踏み台にしても行きたいなと思います。将来的な目標としては、これは中学生くらいからの夢なんですが‥。葉加瀬太郎さんや、高嶋ちさ子さんみたいに、クラシックを身近に聞いてもらえる音楽家になりたいです。「ジュピター」のようにクラシック音楽が流行したように、ざっくばらんに一般の方にもクラシックを楽しんでもらえたら、と思います。ヨーロッパに移住したいという希望もあります。帰国したら、たとえ他の仕事をしながらでも、ファミリーコンサートみたいな、一般的な方が知っている曲だけを集めたコンサートがしたいな、と思っています。「これ好きだけど、題名が分からない」って曲、みなさんきっと多いと思うんですよ。そういう曲を集めて、青島広志さんみたいに自分でMCもしながらコンサートしたいんです。一人でも多くの人に、クラシック音楽に親しみを持ってもらえたらな、と思っています。いくらこれから技術を磨くと言っても、今からテクニカルな演奏家になるのは無理だと自分でも分かっているので、そちらの方面で活動できたらな、と思っています。教えるよりは、自分が弾きたい方なので、普段は教えながらでも、楽器を弾く友達はいっぱいいるので、そういうコンサートをやっていけたらと思います。
— これから留学する人に、心しておかなければいけないことを教えてあげてください。
広瀬 レッスンを受ける際は、曖昧な返事はなるべくしない方がいいと思います。先生もたぶん困っちゃうので。生活面では、いくら英語が通じるといっても、挨拶程度のドイツ語は覚えて行った方がいいと思います。「こんにちは」「ありがとう」くらいでいいと思いますが。それから、クレジットカードがレストランでもスーパーでも使えますし、切符とか小さい金額のものでも何でも買えて、領収書が一緒に出てきます。その領収書にクレジット番号や有効期限がきちんと書いてあるんです。それがあるとインターネットショッピングが出来てしまうので、万が一その領収書が他人の手に渡ると、クレジットカードが悪用される可能性があります。だからくれぐれも失くさないように注意してください。それからこれは女性限定ですが、ナンパ注意です(笑)。面倒くさいです。英語が分からないフリしていればいいと思います。他には、先ほどウィーンは治安が良いと言いましたけれども、いくら治安が良いとは言っても、日本より治安が良い国はまずないです。大学の教授から教えてもらったことですが、パスポートは首から提げるタイプよりも、お腹に巻くタイプとかの方が良いと。私はずっとスカートかズボンだったので、パスポート、額が大きいお金、電車のパスなどの貴重品は袋に入れてウェストに挟んでました。ウィーンで一度、私が駅のインフォメーションを探していたら、おばあさんが駆け込んできて、「バッグ盗まれました」って言ってるのを見たことがあります。だから置き引きにも十分注意してください。ウィーンはある程度英語が通じるといっても、それは日常会話程度のことなんですね。何があるかわかないので、私は医学用語を入れた電子辞書を持って行って、入院した時に医学用語をドイツ語で表示したりしてとても役に立ちました。あとは、常備薬は必ず携帯するとか、国際電話のかけ方は何があるか分からないのでマスターしておくとか、海外保険は入るとか‥。どこに留学するにしろ、「留学する際の注意点」ガイドはアンドビジョンでもいただけるので、必ず読んだ方がいいと思います。
— 今回の留学は入院されて大変でしたね。
広瀬 ちょうど行きの飛行機の中で『300』という映画を見たんですよ。ゲルマン民族の話なんですけど、救急車をホテルの方が呼んでくださったら、体格が良いドイツ人が2人来て怖かったです(笑)。ちなみに救急車は451ユーロでした‥(留学生保険でカバーされます)。
— 最後に一言、これから留学される方にどうぞ。
広瀬 ウィーンは世界的に有名な観光地で、いろんな国からいろんな人達が集まってくる所です。特に夏期講習の時期は観光の季節でもあるので、いろんな方と触れ合うことで、本当にこれからの人生を変えるだけの衝撃を受ける可能性は十分にあると思います。
— ありがとうございました。
神田望美さん/フルート/王立モンス音楽院/ベルギー・モンス
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
フェリス女学院大学音楽学部卒。ベルギー王立モンス音楽院卒業。現在ベルギー王立ブリュッセル音楽院教職コース在中。
— 今までの略歴を教えていただけますか?
神田 フルートをきちんと始めたのは16歳の頃、高校一年の終わりからです。それからフェリス女学院大学音楽学部に入り、その後ベルギー王立モンス音楽院に留学して去年卒業しました。
— フルートを始められたきっかけは?
神田 小学校のブラスバンドにフルートがあって、かっこいいと思って小学校五年生の時から始めました。でも、きちんと学ばなかったのでそのまま卒業と同時にやめてしまいました。ブラスバンドが盛んな高校だったのでブラスバンド部に入って、一年目はホルンを吹いていました。でも、フルートで音大に行きたいと思うようになったのでフルートを本格的にやるようになりました。
— フェリスをご卒業してすぐにベルギーに行かれたのですか?
神田 そうですね。在学中からずっと考えていたので。
— 在学中にベルギーの学校の先生とお知りあいになったのですか?
神田 直接先生は知りませんでした。ただお名前だけは知っていて、こちらに来てからコンタクトを取りました。
— ベルギーに留学したきっかけはありますか?
神田 もともと海外交流や言語にとても興味がありました。私は、外国の人たちに囲まれて外国の中で暮らしたいと当時は思っていたので、日本人がたくさんいない所にしようと考えました。ベルギーはそんなに日本ではメジャーではないのでベルギーで先生を探してみたらいい先生がいらしたので、彼のところに行こうと決めました。
— 実際にベルギーはどうですか?日本人はそんなに多くないですか?
神田 日本人はいますけどそんなに多くはないですね。ブリュッセルには同じフランス語圏の学校でもブリュッセル音楽院、リエージュ音楽院、モンス音楽院と三つあるのですが私が行っていたモンス音楽院は、日本人が一番少なくて数人しかいませんでした。ピアノで二人、フルートが私一人でした。クラリネットとギターに一人いました。
— 学生は現地の人がほとんどですか?
神田 現地の学生と先生によっては留学生がいます。クラリネットの先生が有名な先生だったので、外国人の子がいっぱい来ていました。ピアノも歌もたまに留学生がいます。ギターの先生も有名な人で1-2名の日本人の方がいました。
— 授業は何語ですか?
神田 授業は全部フランス語です。レッスンは先生が英語ということもありますが、一般の音楽史などの講義の授業は全部フランス語でした。
— フランス語はずっと勉強されていたのですか?
神田 大学の授業で少しやった程度です。留学する前の半年位プライベートレッスンを受けました。あとはこちらに来てから一年半位語学学校に通いました。
— 語学学校は音楽院に入る前ですか?
神田 私は6月にベルギーに来たので2ヶ月間の夏休みに語学集中講義を受講しました。音楽院が始まってからは音楽院と平行して語学の夜コース、週2回の昼コースに行っていました。
— そうすると最初の音楽院のレッスンはいかがでしたか?
神田 全然分からなかったですね(笑)。先生とは英語でやりとりしていたので問題はなかったのですけれど、フランス語の普通の授業は作曲家の名前位しか分からなかった。全然分からなかったです(笑)。
— 大変ですよね。
神田 眠くなっちゃう(笑)。
— そういう分からない状況からどうやって乗り切っていかれましたか?
神田 一年目は本当に先生が優しかったです。一般の大学に比べたら話せなくても、まあまあみたいなところが音楽院にはありました。外国人の生徒には追試をしてくれるなど親切なことをしてくれたのでどうにか乗り越えることができました(笑)。
— 音楽院はどのようなシステムですか?
神田 音楽院には高等課程というのがあって最初はそれに入ります。高等課程では2年目から卒業の資格試験を受けることができ、4年目までにいつでも「私は今年資格をとります」と宣言して資格試験を受けることができます。私は4年間通って卒業し、今年は教職コースに入りました。教職コースは二年間で、音楽院のオプション授業みたいなものです。
— 「卒業の資格試験をとる」という宣言をするとどうなるのですか?
神田 「資格をとる」というと試験の曲数が変わります。普通の試験では4曲なのですが資格試験だと12曲になります。
— 試験は厳しいですか?
神田 そうですね。プルミエールプリ(一等賞)という高等課程の前のものだと、一回落ちても五回までチャレンジできるようになっているようです。しかし、高等課程では一回落ちたらそれでおしまいとだそうです。
— それは怖いですね。
神田 私は十二曲準備することに集中していたので落ちるという怖さを考えていなかったのですが、あとで落ちた人がいると聞いてびっくりしました。あとで聞いてよかったと思っています。先に聞いていたら落ちる事があるという恐怖にとらわれていました。
— 試験は公開で行われるのですか?
神田 公開です。コンサート形式です。
— 教職はどこで勉強されているのですか?
神田 教職コースはブリュッセル音楽院で受講しています。以前はブリュッセルからモンス音楽院まで通っていましたが、ブリュッセル音楽院の方が近いので教職コースはブリュッセル音楽院で受講することになりました。
— フルートの教職ですか?
神田 コンセトヴァトワール(音楽院)に入る前の音楽学校(公立の学校やヤマハとはまたちょっと違う)があるのですがそういう所で教えるための教職免許です。
— その教職免許があればいろいろなところで教えられるということですね。
神田 そうですね。ブリュッセルだと、区に一つ音楽学校があります。他の市でも町とか村に一つ程度は音楽学校があるみたいです。
— ベルギーの子供達はどうですか?
神田 一回産休の代理人をやったことがあるのですが日本の子とは違います。本当によくしゃべります。日本の子だとハイハイと聞いていると思うのですが、ベルギーの子は自分の意見もどんどん言ってきます。音楽的には日本の子供の方が一般的に練習するというか、親が練習させるところがあるみたいです。こちらの子はあまり練習してこないようです。きちんと親御さんが子供を見ているかどうかだと思いますけど、大きくなっても音楽を続けている子は楽しさが先行している感じですね。日本の子だとやっぱり音大受験など大変さの方が先行してくる気がしますが、こちらの子は楽しそうにやっている気がします。
— それは土壌の違いがあるのですか?
神田 そうですね。それにそんなに入学試験そのものは難しいわけではないからだとも思います。
— 音楽院の試験はどのようなものですか?
神田 音楽院の試験は最初から曲を二曲くらい提出しておきます。エチュードの曲と、それ以外を合わせて三、四曲準備します。当日、試験官より曲を指定されてエチュード一曲と曲一曲を吹きます。丸々じゃない場合もありますし、長い場合もあります。私はそんなにたくさん吹かなかったですね。
— 筆記試験はいかがですか?
神田 筆記は無かったですね。高等課程前の段階だとソルフェージュなどもあるみたいですが高等課程の試験では筆記はありませんでした。
— ベルギーのビザ申請は大変ですか?
神田 何度か大使館に行く手間はありましたが書類さえ準備すればそんなに大変なことはなかったです。
— 学校の入学許可証は必要ですか?
神田 学校の入学許可証、戸籍謄本などの類を揃えれば大丈夫でした。私は六月くらいにベルギーに行っていたので入学許可証はありませんでした。九月に入学試験がありすぐに入学なので音楽院の試験を受けてもいいよという紙を学校から送ってもらいました。そして仮ビザを出してもらいました。学校に入るとベルギーの区役所から滞在許可証がもらえるのですが、それはそんなに苦労なく取得出来ました。フランスにいる友人が半年経ってもまだ滞在許可証が来ないという話を聞いたことがあるのですが、私はそんなことは全然ありませんでした。朝早くから並ぶのが大変ですが、一年に一回なので我慢すれば全く問題なく出してもらえます。実はベルギーに来た時、保証人が必要でした。その当時、私はよく分かっていなかったのですが、先生が一緒に役所に来てくれて保証人になってくれたみたいです。後々、書類をよく読んだらそういうことでした。当時は良く分かっていなかったのですが、凄いいい先生でした。
— 凄いですね。
神田 本当に先生には面倒を良く見ていただきました。ベルギーの高等課程に入れたのも、先生が書類を全部やってくださったからです。
— 学校はどのような雰囲気でしたか?
神田 モンス音楽院は建物が非常に古く、雰囲気はいかにもヨーロッパの学校の雰囲気を持っています。先生によって生徒さんの雰囲気は全然違っています。ギターの先生は有名だったのでたくさん生徒がいました。クラリネットやピアノ、歌も同じです。私の先生も有名なのでたくさんの生徒さんがいました。例えばオーボエやファゴットは地元の子が中心でした。雰囲気は割とのんびりした感じだと思います。
— 競い合う感じではないのですか?
神田 多少は競い合いますが、ギスギスしているのが外に見える感じではないです。全体としてのんびりした感じです。
— 一クラス大体何人くらいですか?
神田 クラス数は先生によって全然違います。16人いるクラスもあれば、2名というクラスもありました。フルートは大体15人くらいだったと思います。全部で九年生になっているのですが、一学年13人〜15人くらいだと思います。
— フルート科の先生はお一人?
神田 一人の先生とアシスタントです。
— そうすると年間三、四人しか入らないということですね。
神田 そうですね。ベルギーは一千万人しかいないので、外国からやってこない限りは割とゆとりはあります。
— 日本とベルギーの学校で大きく違う点はありますか?
神田 カリキュラムで違う点は、室内楽の授業が日本だとない大学もありますがこちらは室内楽科の教授もいます。私の大学では室内楽は、半年間で一週間に一日90分の授業が一枠ありましたが公開授業でした。こちらでは室内楽の教授と何人かのアシスタントがいて、室内楽もレッスンです。室内楽の先生のところに行って室内楽の授業を受けます。試験も普通の試験と同様何曲か準備します(通常五曲くらい)。日本人が室内楽のクラスに行くと始めは他の楽器と合わせることを知らないというか、馬車馬的に演奏してしまう部分があるようです。いかにして他の音に混ぜるかという室内楽をベルギーに来て学んだと思います。
— いろいろな楽器と行いますか?
神田 一年目は、チェロとピアノとフルートの曲、それにビオラとフルートの曲、ビオラとフルートとコントラバスの曲などいろいろやりましたね。
— 先生がだれだれと組みなさいと決めるのですか?
神田 室内楽の先生のところに行ってどんな曲をやるのかということで決めていきます。
— 一番違うのは室内楽ですか?
神田 室内楽は相当違いますね。あとは学校の雰囲気が全然違います。私の時の授業は音楽史と分析と和声だけだったのですが、今はいろいろな科目を取らなくてはいけなくなりました。全部フランス語なので、それが結構大変だそうです。和声もすごい違いますね。私の受けた和声の試験はかなり厳しく五時間部屋に缶詰にされてしまいました。日本だと90分の枠の授業でぽんと入っているだけでしたがベルギーでは個人レッスンか少人数制で出来るようになるまでやらされます。
— なぜそこまでやるのですか?
神田 ピアノだと即興が出来るようになるようです。管の場合は下級コースだけでいいのですが、バイオリンは中級コースまで、ピアノは上級コースまでやらないといけません。上級コースになると寝泊りしてレッスンや試験受けたりするようです。
— 合宿状態ですね。
神田 合宿状態で試験を受ける位ごく徹底的なものになっています。
— 全然違いますね。
神田 試験が本当に厳しいところがかなり違います。日本は普段も厳しいけど、試験も同じような厳しさで通過していく感じですが、こちらは試験がいきなり厳しいです。
— 日常のレッスンはそんなの厳しくない?
神田 先生によって違いますけれども、普段なんとなくのんびりした雰囲気が流れているのに試験だけ非常に厳しいという感じです。一年目はのんびりしていたら、やられたという感じでした。
— 一年目は結構単位が取れないのですか?
神田 そうなんです。和声落としちゃいました。音楽史はそれでも追試で何とかなったのですけど、分析は全然だめで全く手が動かない。日本だと先生が説明してそこが試験に出る、という感じですが、こちらだといきなり全然違う曲が試験に出てきたりします。質問事項もなくて、「その曲について書きなさい」で終わりです。自分で分析できないと駄目なんですね。
— ベルギーに行く場合この辺のことはきちんとやっておかないといけないでしょうね。
神田 基本がきちんと分かっていればどうにかなると思いますが、和声が分かっていると結構いいこともあります。日本とは違うという事を試験前に分かっておくと良いとは思います。のんびりした雰囲気に飲み込まれて、そのままのんびりしているのは実は自分だけだったという感じで終わってしまいます。
— 周りは結構分かっているわけですね?
神田 そうですね。周りの方は、試験は大変だというのが分かっているみたいです。
— 学校の一日のスケジュールは?
神田 私の時は授業数がそんなになかったので週三回モンス音楽院に行っていました。一日が室内楽のレッスン、一日は和声や音楽史、室内楽のレッスンを兼ねてやっていました。もう一日がレッスンでした。他の日は家にいて練習をしていました。今の学生は授業数が増えたのでほとんど毎日学校があるようです。授業がある時は学校に行って、授業がないときは練習室を借りて練習したり、家に帰って練習していました。
— 学校の練習は何時まで出来るのですか?
神田 ブリュッセル音楽院は九時半までです。でもモンス音楽院だと早くしまります。モンス音楽院に行く場合は遅くまで練習できる家を借りることが大事ですが、ブリュッセル音楽院だと昼間家で吹ければ夜は学校で練習できますね。
— 学校のシステムはいつから変わったのですか?
神田 私が入った次の年から大学と同じように変わりました。フランスと同じで、昔は大学ではなくて高等専門学校のような感じでした。今は大学、大学院、博士課程というように他の国とほとんど同じなった分、哲学や社会学などの一般教養もとらないといけなくなりました。以前は学費も安かったです。
— ちなみにどの程度ですか?
神田 私が入った時は外国人で三百ユーロ程度でしたが、今は千〜千五百ユーロ位してしまうと思います。EUの人たちは三百〜四百ユーロ程度です。
— 神田さんはシステムが変わる前に音楽院に入っていたので、その後もずっと三百ユーロだったんですね。
神田 そうですね。日本の学費を考えたらベルギーの授業料は安いのですが、自分の料金と比較するとやっぱり高いと思います。
— 日ごろ練習はどこでなさっていますか?
神田 学校で練習室が見つかると学校で練習しますが、主には家です。1-2年目は先生がご自分の自宅の前にアパートを持っていらして、そこに入れてくださったので練習は問題なく出来ました。3年目は音大生専門のアパートに引っ越ししました。そこも練習出来ました。
— 音大生専用のアパートがあるんですね。
神田 凄く少ないですけどあります。学生用というとシェアでお風呂が共同になりますが、練習できるところは結構あるようです。
— 先生がアパートまで用意してくれるのは凄いですね。
神田 先生がたまたま前の年にアパートを買ってちょうど修理が終了した頃だったのです。「ここでいい?」みたいな感じで言ってくれました。私もどうやってアパートを探そうと思っていたので、「ここでいいです」と言いました。
— ベルギーに到着後すぐはどこに滞在していたのですか?
神田 二週間程度ですが、ホテルです。その後先生のアパートに移りました。
— アパートでの練習は何時までOKですか?
神田 法律では十時まで音を出して良いらしいです。ただ、大家さんによっては六時までなど時間が区切られる事はあります。万が一隣の家から楽器がうるさいと言われても法律上は楽器をやっている側の勝ちらしいです。
— 音のことで怒鳴り込まれたことはありますか?
神田 先生のアパートに住んでいた頃に一回だけあります。一つ上の階の人がアフガニスタンの人で、音楽と関係ない方でした。その方は始め音楽が好きだと言っていたのですが、ある日「六時くらいにはやめて欲しい」と言われました。困ったなと思って先生に相談したら、先生が大家なので「彼女は音大生だから六時にはやめられないんだよ」とその方に言ってくださいました。大家さんに言われたらどうしようもないので「分かりました」となりました。怒鳴り込まれたわけではないですが、もう一度そう言われると吹き辛い部分もあるので、先生に言って「来年引っ越します」となりました。その後引っ越したのですが、それ以後は他の人に特に音のことで注意されたことはないですね。
— 練習は一日何時間くらいするのですか?
神田 日によって違いましたけれども、学生の時だと気力があれば大体五時間くらい吹いていました。試験で十二曲やらなければならないときは六時間くらい吹かないと間に合いませんでした。日本にいた時はがむしゃらにやれという感じでしたが、ベルギーに来てからは要領を得て練習しなさいと言われました。先生は演奏会や試演会を準備してくれて、人前でどんどん吹いていくことによって内面に潜んでいる出来ない部分を自分自身で発見して練習していく方が効率がいいということでした。試演会といっても大々的な感じではなくて、次のレッスンは近所の人を集めておくからみたいな感じでした(笑)。
— そうやって人前で演奏する場数を踏んでいくと度胸もついていきますよね。
神田 緊張はするけど、緊張しても指が動くようになると思います。特に試験前などどうしても緊張で指が動かなくなってしまうのですが、そういうことをなくすためにガンガン演奏会をしていきました。
— コンサートは大体どのくらいの頻度で行っていますか?
神田 面倒見の良い先生だと試験前に小さい試演会から大きな支援会でだいたい五〜六回程度あります。ベルギーの方は全然知らない人でも、「あら若い子の演奏を聞きたいわ」と言って気軽に来てくださったりします。
— 学校でコンサートをやるのですか?
神田 学校や先生の家、それにどこか借りて下さることもあります。
— 家というのは凄いですね(笑)。
神田 そうですね。ホーム演奏会みたいです(笑)。
— ブリュッセルの生活費はどの程度ですか?
神田 家賃はシェアだと二百ユーロ程度からありますが、その料金だと家で練習できない場合が多いです。音楽の学生は、地区によりますが三百ユーロは最低で、五百ユーロ払えば結構いいアパートが借りられると思います。広くてキッチンもある場所で練習も可能です。
— 治安の悪い場所はありますか?
神田 南駅という駅があるのですけど、そこの周りは治安が悪いです。移民地区なので治安の良くない所で有名です。でもそこにはピアノ屋さんが一軒あって、そこの隣のアパートが音大生用です。シェアで二百五十ユーロでした。
— 生活費、食費はどうですか?
神田 食費は日本に比べたら安いです。月に家賃を入れて全部で五百ユーロ程度で生活できると思います。
— ベルギー自体の物価が安いのですか?
神田 物価は高くないです。レストランは税金(21%)が高いので日本と同じくらい取られます。食品は税金が6%なので、そんなに差はないと思います。
— ベルギーの音楽業界のツテはどのように作っていくのですか?
神田 これは本当に人格によると思います。どこかの演奏会でいろいろな方と出会い、コミュニケーションを取っていくことがよくあります。やはり社交性や積極性、あとは感じがいい人間であることが重要なことです。
— そういうふうにしているとお仕事が入ってくるのですか?
神田 そうですね。好かれるのが重要というと聞こえが悪いのですが、好かれないような性格だとやっぱりどこ行っても難しいと思います。たまに付き合っていくのに難しいタイプの方がいます。そのような方だと自然とみんな離れていきます。すごく上手くていい経歴もあるのだけれども意外と演奏会がないという方がいますね。
— では誰にでもチャンスはあるのですね。
神田 よく言えば割と誰にでもチャンスがあります。
— ベルギーの人たちとうまく付き合うコツはありますか?
神田 おしゃべりが得意だといいと思います(笑)。本当に良くしゃべるので。社交性は本当あったほうがいいと思います。それに日本のことをよく聞かれるので日本の事は知っているといいと思います。
— 演奏うんぬんよりも本当に人柄が結構大きいのですね。
神田 演奏が全然駄目ならもちろん全然駄目だと思いますが、きちんと演奏が出来ていればチャンスはあると思います。
— 留学して良かったと思える瞬間はありますか?
神田 演奏会をやる時は聴衆が暖かく、本当に音楽を楽しみに来ていると感じます。日本だと演奏会は何か観察しに行くみたいなところがあったり、有名な方が来たりすると、見に行くという雰囲気があると思うのです。ベルギーでは別にそういう感じでもなく、純粋に音楽を聞きに来て楽しんでいます。そういう時には、「ああ良かったな」と思います。それにいろいろな国の人に出会えて、今まで自分の知らなかった世界を知った時にこういう世界もあるんだと思う時に留学して良かったと思いますね。
— ベルギー人だけではないのですね。
神田 例えば隣人さんがアフガニスタン人だったので始めの頃はアフガニスタンの話を聞いたり、ギリシャ人からはギリシャの話、トルコ人からはトルコの話、イスラエル人にはイスラエルの話などいろいろ聞きました。また、ベルギー社会の表面から見ただけでは分からないことを聞いて、自分の心の持ちようも変わりました。そういう部分から音楽が変わるとこともあると思っています。
— 留学というのは音楽以外の意義がたくさんありますよね。
神田 日本の試験では、出来なかったら駄目、出来なかったら終わり、という感じでした。でもベルギーでは自分自身が出来るかどうかを自分自身に試して楽しんでいるところがあります。そういう心の持ちようが日本とベルギーでは随分違うと思います。出来なかったら出来なかったで「いやー残念だったね。じゃ次回」という、気軽といえば気軽な心の持ちようがあります。
— そういったところもご自身の中で影響されてきましたか?
神田 そういう人たちに囲まれているので影響されますね。変わらない部分もあるし、変われない部分もあるし、影響受ける部分もあるしという事でしょうか。
— どういった点が変わったと思いますか?
神田 一番変わった点は、一度出来なかったら終わりという考え方ではなくなったことです。前より人生を楽しむという気もあります。私の場合、日本の先生も追い込むようなタイプの先生ではなかったので、そういう意味では自由にやらせてもらっていました。しかしベルギーでは本当に自由に出来ると思います。私がこういう事をやりたいと言った時に、日本だと私の先生と周りの子だけが頑張ってね、という感じでしたがベルギーでは全体的にみんな聞いてくれます。曲目についてもスタンダードをやらなければならないというのもありません。各自がやりたいという事を追求できるシチュエーションにあります。こういうことをしなければいけないというのがあまり無いのです。
— 逆に自分のやりたいことがないとかなり大変ということですよね。
神田 ベルギーでも特にやりたいことがなくて淡々と過ごしている人がいないわけでもないんです。でも、やりたいと思っている人がそういう人たちに飲み込まれていくということは日本より少ないんじゃないかなと思います。
— ご留学してご自分が何か成長したと思う点はありますか?
神田 言葉は成長しましたね。それに前より言いたいことが言えるようになったと思います。ベルギーでは本当にきちんと言葉で伝えないと駄目なのです。そういう意味では隠さないで物事を言えるようにするのは私にとって成長という気がします。それに前はこうじゃないと駄目だと思っていた部分が、そうじゃない生き方もあるんだと視野が広がりましたね。演奏面では、舞台に立った自分がどう相手に印象を与えるかをよく考えるようになりました。日本では演奏面だけですが、ベルギーでは演奏面だけではなく舞台の立ち方から考えます。
— 今後はどういった進路をお考えですか?
神田 演奏活動もやっているのですが、それと並行して教えることをやっていこうと思っています。オーケストラに入るチャンスがあれば入りたいと思っています。
— オーケストラに入る事は結構大変ですか?
神田 大変ですね。一席の空きに対して、百人くらい来るので大変ですね。ベルギーでは室内楽が本当に盛んなので、アンサンブルを組んでやっていくことも可能です。ちょっと大きめなアンサンブルやったり、小さなアンサンブルやったりしていろいろ楽しめると思います。
— これから留学する人にアドバイスがあったらお願いします。
神田 言葉は何かしらできたほうがいいと思います。留学先をまだ決めてない場合はとりあえず英語を勉強しておいた方がいいと思います。ベルギーの人は言わないと何もないのと同じ意味になってしまいます。日本の場合のように言わなくても察するという能力をみんな持ってはいるのですが、察する能力が日本人よりは低いみたいです。きちんと口で言わないと何もないと思われる部分があります。何か言うためには語学が助けになると思います。私はこう思う、思わない、私はこうしたい、こうしたくないなど単純なことでいいのですが、そういうのが言えると言えないでは他人が自分を見る眼が変わります。音楽留学だと何もしゃべれないで留学される場合も多いとは思いますが、しゃべれた方がいいと思います。
— 結構その点で苦労されました?
神田 モンス音楽院では英語をしゃべる人がそんなにいませんでした。私は一応話をしていたつもりだったのですが、当時ノゾミは何を言っていたかよく分からなかったと言われます。英語が話せたので先生とコミュニケーションも取れたし、友人とコミュニケーションが取れたので、それで少し助かっていました。言葉が通じないと恐い部分もありますし、ストレスになったりすることも多いと思います。小さな事でストレスになると演奏に使うエネルギーも少なくなると思います。言葉そのものを習うのは楽器を習うのに似ているので言葉は話せた方がいいと思います。
— ありがとうございました。
田島高宏さん/ヴァイオリン/フライブルグ音楽大学/ドイツ・フライブルグ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
田島高宏さんプロフィール
仙台生まれ。4才よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て、桐朋学園大学を卒業。2001年4月〜2004年3月まで札幌交響楽団コンサートマスター。退団後、渡独。フライブルク音楽大学にて、ライナー・クスマウル氏に師事し、同大学卒業。イフラ・ニーマン、和波孝禧など各氏に師事。全日本学生コンクール東京大会奨励賞、日本室内楽コンクール第2位など多数受賞。ハンガリー放送響などと協奏曲を共演。小澤征爾氏率いるサイトウキネンオーケストラなどに出演。ヴィオリストのヴォルフラム・クリスト氏が音楽監督を務めるKKO(Kurpfälzisches Kammerorchester)に出演。室内楽でも、JTアートホールでのアフタヌーンコンサートや皇居桃華楽堂御前演奏、フライブルクやスペイン・マヨルカ島でのリサイタルなどに出演。和波孝禧夫妻らとフランクのピアノ五重奏をCD録音(アートユニオン社)。現在、ドイツ・フライブルグにて演奏活動中。
― 簡単な略歴を教えていただけますか?
田島 高校から大学にかけて桐朋学園でヴァイオリニストの和波孝禧先生に師事し、大学を卒業と同時に札幌交響楽団にて三年間コンサートマスターを務めさせて頂きました。その後、九月からドイツのフライブルク音楽大学でヴァイオリニストのライナー・クスマウル先生(編集注:フライブルク音楽大学教授、元ベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)に二年間お世話になり、2006年7月にフライブルク音楽大学を卒業しました。今は、ドイツでいろいろな仕事をしたいので、職を探しつつ、これから先の進路を考えています。
― ドイツに行かれるきっかけはどのようなことですか?
田島 高校生の時からずっと海外に憧れがありました。高校を卒業してから留学しようと考えたこともあったのですが、周りの人に相談した所「日本で勉強する事はもっとたくさんある」ということで、それでは大学卒業後に留学しようと思っていました。桐朋で仲間たちと切磋琢磨しながら勉強して、そろそろ先の進路を、と考えていたちょうどその頃、大学四年生の五月に札幌交響楽団の方から招待コンマスというお話を頂きました。和波先生に相談した結果、そんな話はなかなかないということで、その招待を受けさせて頂く事にしました。その後、大学を卒業して三年間、皆様にいろいろ教えていただきながら札幌交響楽団で演奏を続けていたのですが、だんだん自分の経験、技術などの「貯金」の少なさを思い知らされるようになってきました。それと同時にヨーロッパで生活してみたい、あわよくば職業としてヨーロッパに残ってみたい、という想いも一層強くなってきました。「何事も石の上にも三年」の一念で、札幌交響楽団で頑張っていたその二年目頃に、つきたかったロンドンの先生が亡くなってしまいましたので、その後の進路を迷っていました。しかし、仕事を辞めないと動けないと考え、札響三年目の四月頃、留学したいので退団しますというお話をしました。その時点では、つきたい先生がまだ決まっていなかったので、全くの見切り発車でした。僕は、毎年夏に和波先生の講習会でアシスタントをやらせて頂いているのですが、その年の講習会に、フライブルク音楽大学の元教授の方がいらして講義をして頂きました。その方とたまたまお話をする機会があったので「フライブルクにいい先生はいないのですか」と何気なく何の期待もなしに聞いてみると、「ああそういえばクスマウル先生がいるよ」と言われました。その時にはクスマウル先生がどのくらい凄い方か知らなかったので、軽く「そうなんですか」と言ったら、「僕は彼の友達だから彼に言っておいてあげるよ」という話になりました。後でクスマウル先生の事を調べてみると、以前ベルリンフィルで七年間コンマスをなさっていた方だということを知り、びっくりしました。クスマウル先生は、毎年日本に一、二回、演奏旅行でいらっしゃいます。たまたまその年の十一月にクスマウル先生が来日したので、ホテルに行って彼の前で弾きました。そして先生に「来年の九月からフライブルク音楽大学のあなたのクラスで勉強したい」というお話をしたら、「ぜひどうぞ」と仰ってくださいました。
― とんとん拍子にお話が進んでいますね。
田島 悩んでいた頃や先生が見つからなかった期間は不安で不安で仕方なかったですね。当時、留学された方にお話を聞くと「留学する時はポンポンと話しが進むものだから何の心配もしなくていい」と仰っていましたが、本当にその通りになりました。ご縁があったということでしょうか。
― 先生の前で演奏して、学校としても了解という事ですか?
田島 入試はやはり受ける必要があって、学校としてはOKではありませんでした。ドイツの場合は、先生に面通しをして演奏を聞いて頂き、その先生が生徒をとる気があるか、そしてそのクラスに空きがあるかどうか、という事がまず一番重要です。先生が取るとなったらほぼ確実だと思います。後は、入試を受けてよほど変なことをしない限り大丈夫だろうということを聞きます。
― 先生が来て良いと仰ってからドイツに試験を受けに行かれたのですよね?
田島 はい。ドイツはだいたい年二回の入試があります。ゼメスター(学期)は、四月から七月までの夏ゼメスター、九月から二月までの冬ゼメスターと二回に分けられていて、入試は七月と二月にあります。それで僕は七月に入試を受けました。
― フライブルク音大の場合、ドイツ語の規定は何かありますか?
田島 他の大学ではよく聞きますが、フライブルク音大はないみたいですね。
― ドイツ語は、お勉強されて行かれましたか?
田島 高校の時から第二外国語をとらないといけなかったので、第二外国語としてドイツ語を七年間取っていました。全然まじめにやっていなかったので当初はほとんど話せませんでした。なんとなく数字が読める程度です。留学直後にドイツで最初の三ヶ月間、語学学校に行って勉強したのですが、全然だめですね。いまだに(笑)。それからは、忙しさにかまけて放っていたのですが、やはりドイツ語を話さないといけないなと思い、この九月から毎日語学学校に行きだして、昨日終わったばかりです。
― 語学が出来ないと大変ですか?
田島 大変というか毎日がつまらないですよね。語学ができなくても、フライブルクには日本人が結構いるし、僕の場合は桐朋の同級生や知り合いもチラホラいます。僕は、和声や理論など、普通の授業を受ける必要がなかったので、ドイツ語が必要なのはレッスン、オーケストラ、室内楽の時くらいです。つまり、ほとんど必要ない。もちろん生活のための最低限のドイツ語というのはありますが、それ以外は触れないようにすることも出来ます。ただそれではつまらないし、留学の意味もないですよね。例えば、学校外でオーケストラの仕事を頂いた時に、指揮者の言っている最低限の事は理解できるのですが、逆にこちらがパートリーダーとして指示を出す時に、一言二言の表現しか出来なくて、実際にこちらの考えが伝わっているかどうか、疑心暗鬼になる事もしばしばあります。また、練習以外の休憩中の談笑など、人間としてのコミュニケーションをしていく事が出来ないとつまらないですよね。コミュニケーションを取ることが人間として大事だと思いますし。
― 日本人が多いと仰っていましたが、外国人はどの程度いるのですか?
田島 韓国の方が一番多いです。ロシアや日本人も多いですね。スロベニアやポーランドなど、東ヨーロッパ出身の方も少なくありません。オーケストラの授業で、それは二十人くらいの小さな編成だったのですが、この中にドイツ人は何人いるのと聞いたら、二、三人しかいなかったですね。学校全体では、もちろんドイツ人が一番多いと思いますが、だいたい四割くらいだと思います。その次に、韓国人やロシア人が多いと思います。
― 学校の授業は週にどの程度あるのですか?
田島 僕の場合は、オーケストラとレッスンと室内楽だけでした。オーケストラは、一つのゼメスターに四〜五のプロジェクトがあり、一つのプロジェクトがリハーサルを含めて約一週間程度。そのプロジェクトを一ゼメスターにつき、最低二つはとらないといけないので、約二、三週間それにかかりっきりになります。それ以外は毎週基本的にレッスンに行っていました。更に、室内楽ではそのグループの都合に合わせて、リハーサルやレッスンがありました。
― 時間的にゆとりがありそうですね。
田島 相当ゆとりありますよね。暇といえば暇です(笑)。でもそれがいいというか、桐朋の七年間と札響の三年間はただただ突っ走ってきたので、この留学は自分を見つめ直すいい機会になりました。こちらに来てから、逆にたくさんの日本語の本を読んだりもしました。フライブルクは音楽的にもベルリンやパリ、ロンドンのように刺激的な演奏会が続く所ではないのですが、人間的な何かを取り戻すには良い環境です。僕は田舎出身なので本当に合っていると思います。同じ日本語の本を読む場合でも、日本にいた時に読む場合とでは心の中の響き方が違うし、日本語のかみしめ方が違います。また、じっくり料理を作る時間がある事は、こんなに素晴らしいのかと思います。他にも、外から冷静に日本を見る事ができる事、自分の生活を振り返ることができる事など、いろいろと本当に良かったですね。暇と感じる事もあるのですが、そんな生活も悪くないと思いますし、音楽の見方も変わってきますね。
― 音楽的にはどういうふうに変わっていかれたのですか?
田島 自然体になったのかな。これは他の方に当てはまるか分からないのですが、僕の場合は、ただただがむしゃらにやってきたので、音楽を味わう余裕があまりありませんでした。そういう意味で今は、一つの作品と向かい合う時間が出来たわけですからいいですよね。心のゆとりをもって作品と向き合うことは幸せだということを感じています。僕はモーツァルトやブラームスが好きなのですが、特にモーツァルトの感じ方が違います。何が変わったのかよく分かりませんが、もしかしたらドイツ語の持つリズムとモーツァルトの音楽がシンクロしたのかもしれない。例えば日本にいた時は、モーツァルトに限らず、こういうパターンの時はこう弾く、とある意味自分自身の狭い範疇でしか考えられなかった。でも最近は、こういう弾き方もいいけど、こういう方法もあるかもしれないなと、少しずつですが、いろいろな可能性を感じることができるようになってきたかもしれません。
― ご自分の幅は広がっているのですね。
田島 まだそこまでは分からないです。ただ、可能性は一つではないなと思うようにはなってきています。例えばオーケストラで、弓の上げ下げを決める時に、日本での自分だったら「このパターンだったらこういう感じかな」と何となくやっていたところもありましたが、今はそうではなく「ここはこういう考え方だからこういう方法もある」というディスカッションが入るので大変です。「それじゃ試してみよう。」「これいいねぇ!」でも結局、「やっぱり元の弓の方がいいかな」となる事も多いのですが(笑)。外国の方が議論好きな事や、時間にゆとりがあるから出来る事なのですが、本当にそういう事の一つ一つが勉強になります。
― ドイツでのレッスンと日本でのレッスンは違いますか?
田島 和波先生とクスマウル先生は違うタイプの先生です。僕は中学二年から和波先生について勉強してきました。それまで基礎的なことをほとんどやってこなかったので、ヴァイオリンの弾き方や音楽との接し方など一から和波先生に教えていただきました。和波先生には本当に細かくいろいろな事を習ったので、言葉を教わった感じです。基本的なクラッシックの語法を習い、その語法を持ってクスマウル先生のところに行ったのでドイツに来てもそれほど大きな違和感はありません。ただ、僕が未熟なせいか、和波先生のレッスンでは少しでも変な弾き方をするとそれは違うと指摘される事がありました。クスマウル先生の場合は逆に何でも許容するところがあります。自分の可能性について頭ごなしに否定しないで「なるほど、そうかもね。でもここは違うんじゃない」とか、「ここはこういうやり方もあるかもね」というレッスンです。もちろんこの違いは自分の段階によるものも大きいとは思います。クスマウル先生のところでは、基礎的なものはもちろんの事、レッスンごとに自分で研究した成果に対して、他にこういう弾き方もあるし、こういう表現もあるよ、という助言を頂いている、というレッスン内容ですね。
― 逆に言えば自分の考えがないといけないのでしょうね。
田島 そうですね。クスマウル先生は最初のオーディションの時点でそういう所まで見ていると思います。彼は基礎的なことを教えるタイプの先生ではなく、音楽を楽しみたいタイプの先生だと思うので、その生徒の音楽との接し方などもその時点で見ていられるのでははないでしょうか。
― 先生の所は今もレッスンに行かれているのですか?
田島 卒業してからまだ行っていないのですが、そろそろ連絡をとろうかな、と思っています。ただ基本的に、プライベートの生徒をとらないようなのでどうなるか分かりません。実は卒業した時に、もう二年勉強しようと思ってソリストコースを受験して落ちちゃったんですね(笑)。実質プーみたいになってしまいました(苦笑)。フライブルク音大では、例えば夏ゼメスターの場合、1480ユーロ、日本円だと24万円程度お金を払って、担当教師の許可が下りれば、入試なしにその先生のレッスンを受けられるという制度があるのですが、次の学期に再度ソリストコースを受験しようか、その制度を使って勉強を再開しようか迷っています。僕はピアノとのデュオが凄く好きで、まだまだやっていない名曲がたくさんあるので習えるうちにもっとやっておきたいと思っているのですが、お金の問題もあります。今、円安ですし、こちらで働きながらもう一回勉強出来ないか模索中です。
― オーケストラに入るということですか?
田島 オーケストラに入ってしまうと時間が取られてしまうので、期間限定の仕事、例えばエキストラとして演奏しながら臨時収入を得て、自分の事が出来ないかと思っています。今度、初めてドイツのプロオケ、室内オーケストラにエキストラで出ることになりました。それをステップに何らかの形で広がっていけばいいなと願っています。
― どういうきっかけでエキストラ出演をすることになったのですか?
田島 ドイツは、オペラハウスから普通のオーケストラまで少なくとも200以上のオーケストラがあるのですが、それらのオーケストラの空き情報を掲載している雑誌やインターネットサイトがあります。たまたまそれを見ていたら、フライブルク音楽大学のヴィオラの先生が指揮者をやっているオーケストラがあり、コンサートマスターの席が空いているとのことだったので応募してみようと思ってメールを書いてみました。すると既に席は埋まってしまったものの「試しに履歴書を送って下さい」とのことだったので履歴書を送りました。札響時代のコンマスというのが功を奏したのか「一月二日から仕事があるから来てくれないか」とのこと。本当ここ一週間の話です。
― 一日の練習時間はどの程度ですか?
田島 日によって違います。僕は朝型なのですが、学校に通っていた頃は、朝八時から十二時頃まで練習。そのあと、買い物をして家に帰ってご飯を食べてお昼寝。実は毎日15~30分ほど、お昼寝をしているんです(笑)。そうすると本当に頭がスッキリします。そうやって朝の睡眠時間を取り戻して、午後三時頃から六時頃までまた練習。
― 練習はお家ですか?
田島 午前中は大体学校で練習し、午後は家で行います。たまたま練習できる家だったので本当にラッキーでした。でもフライブルク音大では24時間練習できるんですよ。地下室があって、いつでもその学校の学生であれば入れる仕組みになっています。だから本当に最高の環境です。
― そんな遅い時間に歩いても安全ですか?
田島 フライブルクは基本的にとても治安のいい所です。人もいいし、外国人に対してもとても親切です。町も非常に綺麗です。フライブルクは、環境都市と言われていて、町の中心部に車が入れないような仕組みになっています。聞いた話ですが、フライブルクに原子力発電所を作ろうという計画が昔あったのだけれど市民運動で跳ねのけたとか、風力発電が盛んだとか、僕はそれ以上知らないのですが、凄く環境に対してもいい町です。
― ドイツの町はどこも綺麗ですが、そこまで力を入れていると本当に綺麗ですよね。
田島 たまに他の都市に行くと、少し恐いと感じることもあります。町自体もあまり綺麗ではないし、東に行くと失業率の問題もあってか、外国人に対して差別があったりするとも聞きます。フライブルクは経済的にもゆとりがある町なので、一度この街を知ってしまうとなかなか離れられないですね。よくいろいろな人に、このフライブルクがドイツだと思っちゃいけないよと言われます。僕は、ベルリンに行っても街自体にあまり魅力を感じません。刺激的なものはたくさんあるだろうけど。フライブルクは自然が適度にあり、フランスやスイスに近く、ドイツの中で日照時間も一番長いようです。自然の美しい所は人間もいいと思います。僕は長野で育って、今は実家が茨城にあるのですが、ここはそんな自分にうってつけな環境ですね。
― 留学先としてフライブルクはお勧めですか?
田島 人によると思いますね。ここはベルリン、ウィーン、パリ、ロンドン、あるいは東京のように、毎日のようにすばらしい芸術家が来て、ひっきりなしに演奏会が行われている、という環境ではないので、そういう観点から見ると、刺激を求めている若い人にとってフライブルクが良いかは、ちょっと分からないです。でもフライブルクには、人口18万ですが、オケは三つもあります。一つは放送局のオーケストラである、南西ドイツ放送交響楽団。それから劇場オーケストラである、フライブルク市立フィルハーモニー。そしてフライブルガーバロックオーケストラです。それぞれ個性のあるとてもいいオーケストラです。ここでは刺激的なものに振り回されないので、自分と向き合え、落ち着いて勉強ができます。人間的な生活や音楽を、ゆとりをもって勉強したいならフライブルクは凄くいいと思いますよ。
― 学校以外でのコンサートの機会はありますか?
田島 フライブルクには、アマチュアの合唱団が多いのですが、そんな合唱団にもランク分けがあって、それぞれのランクに合わせて市から助成金が出ているそうです。それらの合唱団の演奏会で必要な時には、弾かせて頂いています。それから、知り合いの教会音楽家の方からのお誘いで教会での演奏会の機会が増えましたね。自分自身はカトリックなのですが、こういう時に内なる喜びがあります。あとは和波先生のご紹介もあって、ハンガリー放送交響楽団とブラームスのコンチェルトをソロで弾かせて頂いたり、茨城の地元の知り合いがスペインのマジョルカ島にいらっしゃる関係で、その方にお招き頂いて、マジョルカ島で2回もリサイタルをやらせて頂きました。それからフライブルクにも日本ドイツ文化協会のような所があって、リサイタルをピアノと一緒にやらせて頂きました。
― 学校以外でもお忙しいですね。
田島 幸せなことにいろいろやらせて頂いています。僕は、なるべく多くの分野で活動していければ、と思っているので、すばらしい経験をたくさんさせて頂いていますね。
― 周りの人からいろいろなお話が来るのですね。
田島 僕は、本当にいつも周りの方から助けてもらっています。例えば、フライブルクは、家探しが非常に難しいらしいのですが、たまたま僕の先輩が僕と入れ違いに出るので、その後に入らせて頂きました。学校の手続きもその時にいた僕の同級生がものすごく手伝ってくれました。自分でやって一番大変だったのは、滞在許可申請をフライブルクの市役所で行う時や、家に電話を繋げたことです。本当に、今の生活は周りの人の助けなしにはありえません。フライブルクは、日本人同士の関係も良いです。近づきすぎず、遠すぎず、家族みたいな関係でみんな親切にやっていて、その親切な伝統がずっと続いている感じです。それぞれのペースを守りながら困った時には手を差し伸べあっています。まあこういうことは、本来当たり前の事かも知れないのですが。こちらにいると、例えば日本と同じ親切をされても、よりありがたく感じます。僕も今度はその伝統を受け継いでいきたいと強く思っています。特に、留学は、最初が一番大変で肝心です。
― 最初というのはどの位ですか?
田島 最初の一ヶ月くらいが特に大事だと思います。本当にまだ言葉も体も食にも慣れていない中で、役所に行ったりしないといけないので大変です。
― ホームシックにかかる方も多いようですが、そんなことはなかったですか?
田島 ホームシックはないですね。でも最近出てきました(笑)。お金がかかるから日本には頻繁に帰れません。この間帰ったのは夏ですが、お正月には、おせちが食べられない、箱根駅伝が見られないとか(笑)。札響時代は舞台の上だったし、もう五、六年いわゆるお正月を堪能していないですね。
― フライブルグの生活は、ひと月どのくらい生活費がかかりますか?
田島 物価は安いです。例えば、牛乳が一本で八十円程度。卵も百円前後。野菜も凄く安い。肉も安い。五百グラムで豚は二百円位です。外食は高いのでほとんどしないです。一ヶ月を家賃、電気、電話代を含めて頑張って五百〜六百ユーロで過ごしています。日本円にするとそれでも十万円弱になってしまいますから、決して安いとはいえないです。演奏会は、学生券で十ユーロ前後です。ウィーンは五ユーロで聞けたりするようですけど、日本みたいに三千円、四千円するわけではないのでいいと思います。
― 留学して良かったと事はありますか?
田島 自分を見つめ直すことが出来たことです。演奏会で良い演奏をして、いい拍手をもらう事はありがたい事に日本でもドイツでも味わうことが出来ました。もちろんその瞬間は幸せで、ドイツでも自分のやろうとしている音楽や語法が、ある程度喜んでもらえることも分かりました。ただ僕にとっては、表舞台で脚光を浴びることよりも、今はとりあえず自分と対話出来ることが本当に幸せなんです。自分の性格や今まで見えなかった自分も見えるようになってきました。今まで悩んできた事が一つの言葉になって出て来たりもしました。それに凄く苦労していることが楽しいです(笑)。札響に入っていきなりコンサートマスターをやらせて頂いたので、急にお金ががっぽり入って、もうお金の使い方が分かりませんでした。とりあえずお金を使おうと思っていつも外食をしていました。北海道だったので二週間に一回くらいは回転寿司を食べてタクシーに乗って帰りました。また、イギリスに演奏旅行をしたり、たくさんの人と触れ合えたり、経済的に不自由することは無かったのですが、どこか心がすさんでいました。別に仕事や音楽ということではなくて、自分の心が満たされませんでした。今は逆に明日食うお金も本当にない。このギャップがたまらないのですが、苦しくなると札響時代はお金もあったし、寿司も食べたし、日本酒もいつも飲めたということを思い出します。弱気になるほどあの時辞めなきゃ良かったとか、やっていれば何の苦労もなかったと考えるのですが、実際は、今の不自由な環境を心のどこかで望んでいたと思うのです。だから、いろいろな問題に直面して一つ一つそれを解いていく楽しみがあります。それが今は本当に嬉しいですね。いい事も悪い事もたくさんあって、それが一つ一つ心に刻まれていきます。ドイツにいると小さい喜びが大きい喜びに変わります。困難も大きいのですが、困難があるから次に進めると思います。乗り越えられない試練は無いと思いますし、困難や課題を与えて下さっているのでしょうね。その課題を一つ一つ乗り越えて、今、人間的な生活が出来ていると思います。日本だったら、僕は忙しいことでごまかしちゃうんですよね。だけどドイツでは、暇だし刺激がないから、ごまかせるようなものがない。だから逆によく考えられるし、自分と対話が出来ます。自己対話が出来る事がいかに幸せかと思っています。僕の人生があとどのくらいあるか分からないのですが、この時の苦労はちゃんと覚えておきたいし、この苦労はお金にはかえられないです。札響の時は、コンサートマスターとしての責任感や音楽的には凄く苦労しましたが、今は本当に自分自身に突きつけられた課題を一つ一つ丁寧にこなしていっています。また、僕は、どこに行っても周りの人が助けて下さるので、自分も手助けをできれば嬉しいし恩返しをしたいと思っています。演奏というかたちになるのかもしれませんが、ヨーロッパで活動したことをいつか日本に持って帰りたいと思っています。僕は、三十代、四十代には日本に帰りたいので、その時までにたくさん苦労をして、自分の出来る音楽で何か力になれるのならなりたいと思います。
― ヨーロッパや日本でまたオーケストラに入りたいのでしょうか?
田島 どんどんすばらしい演奏家が出てきているので、簡単にいくとは思わないのですが、ご縁があればオーケストラに入れれば幸せだと思います。僕の強い希望としては、最終的に日本で何か還元できればと思っています。
― 今後留学する方にアドバイスはありますか?
田島 語学はやっておいたほうがいいと思います。人と心から打ち解けるためにはやはり言葉なんですよね。語学に対して全くなめていました。僕は、人間と人間のコミュニケーションとして誰とでもうち解ける自信があります。でも、それは日本語だったからという事だったんですね。その自信からドイツに行けば何とかなると思っていました。もちろん何とかなるのですが、それだけではつまらないですよね。本当に良い留学をしたいなら、語学は必要だと思います。ただ語学を勉強した方がいいというのではなく、「ああしたいな」「こういうふうになりたいな」「こう話したいな」「こういう話を聞きたいな」と頭に描きながら勉強すると凄く良いと思います。実際にいろいろ人種の方々がいて、コミュニケーションがとれると本当に面白いです。その人達と心から打ち解けたいなら語学は必要です。僕の場合は語学からずっと逃げてきていたので、語学が出来ないというコンプレックスもあります。だからシミュレーションをしておけばすっと入っていけると思います。僕が言うのも説得力が無いのですが、ドイツ語で「Viel Spaß!!(楽しんで!!)」という表現がありまして、 楽しんでいろいろなシチュエーションを思い描きながらドイツ語を勉強すればいいのではないでしょうか。
― ありがとうございました。
杉山由美子さん/声楽/イタリア語と声楽・カリアリ夏期国際音楽アカデミー/イタリア・フィレンツェ・カリアリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
杉山由美子さんプロフィール
尚美学園短期大学声楽科、東京コンセルヴァトアール尚美研究科声楽専攻卒業。学生時代よりオペラ、ミュージカルに出演。ミュージカル劇団「音楽座」に在籍し、その後、フリーで音楽活動を始める。2001年初のソロリサイタルを開催。堅苦しくないクラッシックを広める為、意欲的にコンサートを行っている。第1回オペラアリアコンクール入賞(全日本音楽協会主催)。2006年イタリアフィレンツェにイタリア語+音楽で6ヶ月留学。イタリア留学中に、フィレンツェ夏期国際音楽キャンパス、カリアリ夏期国際音楽アカデミーのマスターコースに参加。
— 簡単な略歴を教えていただけますか?
杉山 高校時代から合唱をやっていて、その合唱を通じて歌うことは楽しいなと思っていました。日本人では第一人者である声楽家、伊藤京子さんという方が高校の先輩で、毎年高校に歌いに来てくれたんですね。その方の歌を聞いて「声楽家って凄い」と思っていたんです。それで、自分もあんなふうに歌えるようになりたいと思い高校三年の冬に音楽大学に行きたいと思いました。通常の音大受験をする人達に比べたら全然準備が遅いので間に合わないと言われたんですが、音楽短期大学声楽科に入れました。短大卒業後、専門コース研究科に進みました。その後は、働きながら細々とレッスンに通ってミュージカル劇団に入りました。劇団には歌のうまい人やダンスが上手な人が一杯いて、とても刺激になり勉強になりました。その後、アルバイトをしながら自分のスタイルで何かやっていこうと思っていろいろなオーディションを受けました。結局都内のライブハウスやホテル、クラブなどでクラッシック歌手として歌うことを始めました。また、自分の力を試してみようと思って、2004年にオペラアリアコンクールを受け、たまたま入賞しました。地道にやっていけばなんとか認めてくれる方もいらっしゃるのかなと思いましたね。それで、本場イタリアで勉強してみたいという気持ちがどんどん強くなってきました。年齢も年齢だったのでこの辺で留学しておかないと一生行けなくなると思い、イタリアで暮らしながらイタリアの夏期講習やマスターコースに参加してみようと決心しました。
— イタリアを選んだ理由はありますか?
杉山 イタリアは二回行ったことがありました。一回はプライベートで、もう一回は、私が所属していた東京の合唱団が優秀でイタリアに招待され演奏旅行をした事があるんです。その時に食べ物はおいしいし、人は陽気だし、風景も素晴らしく、そして時間がゆったり流れていて皆人生を楽しんでいる感じが凄くしました。イタリア人には、いろいろ親切にしていただいた事もあり、イタリアは本当にいいなと思っていたんです。
— そこで留学するならやっぱりイタリアだと?
杉山 いろいろ考えたんですが、イタリアは歌の本場ですし、カンツォーネにも興味がありました。以前行った時の印象も良かったので、それで住むならイタリアがいいかなと思いました。
— 実際にイタリアに住んでみていかがでしたか?
杉山 フィレンツェに住んだのですが、住むとこんなにも違うのか、というのが正直な感想です。日本は何もかも便利なので便利さに慣れていました。ところがフィレンツェでは、例えば夏でも、ほとんどの家庭にクーラーが無いんですね。なので、ものすごく暑いんです。光が入ると夜、気温が上昇して余計暑くなると言われていたので、昼間はブラインドを閉めてモグラみたいに生活をしていました。それでも夜は、ものすごく暑くて寝むれません。蚊もすごく多く、五、六十カ所くらい刺されましたね。
— 一晩でですか?
杉山 もちろん一晩ではないです(笑)。それにフィレンツェは日本みたいに交通網が発達していないので、自宅からフィレンツェ中心の学校まで行くのに歩いて片道三十分くらいかかりました。バスもいいかげんでよくストライキもあり、時間になっても来ないので、往復歩いたりしていました。そのうち自転車を借りて通うようになりました。
— 最初はイタリアの慣習に戸惑いましたか?
杉山 そうですね。コンビニのように二十四時間やっているお店も無いので、何か足りない時は困りますね。飲み物でもなんでも買いだめしておかないといけないです。
— スーパーなどは土日がお休みですか?
杉山 日曜日が休みです。スーパーやバールは全部休みになってしまいますね。私がフィレンツェに着いた日がたまたま日曜日だったので、買い物も行けず、一緒の家に住むギリシャ人の方が自分の食べ物を与えてくださいました(笑)。
— ご留学するまでに準備期間はどのくらいかかりましたか?
杉山 猛スピードで三ヵ月半ですね。日本でイタリア語の語学学校も三ヶ月通いました。特に私は会話を中心に習っていたので買い物やちょっとしたイタリア語は多少役に立ちましたが、イタリアに行くと会話の速度が速いので、耳が慣れないとダメですね。それにイタリアの学校では、文法をものすごくやらされます。その文法をいかに私は知らなかったのかと思いました。結局イタリアでは一から勉強したのですが、毎日学校もあって日常でイタリア語を使うのでやはり身につきますよね。語学学校では、四週間毎に試験があり、その試験にパスすると次のクラスに上がれます。上のクラスにいけないと恥ずかしいのでそこでも頑張りますよね。
— フィレンツェの語学学校に行かれて、イタリア語が分かってきたと思ったのは何ヵ月目くらいですか?
杉山 三ヶ月くらいですかね。長い文章は言えないのですが、耳が慣れる感じです。
— 宿題はありましたか?
杉山 毎日ありました。
— 学校の生徒さんはどこの国の方が多かったですか?
杉山 日本人も多かったのですが、ドイツ人やアメリカ人も多かったです。世界のいろいろな人達とお友達になれました。日本人スタッフが学校にいたので何かあった時は日本語で相談が出来るのでそれは大変助かりました。
— 緊急事態は何かありましたか?
杉山 学校で緊急事態は特にありませんでした。個人的にみんなで夕食を食べに行ったり、ディスコに行ったりすることがあるんですが、一度、大酔っ払いをしちゃいました(笑)。夜中三時くらいだったのでバスは無いし、自転車も恐かったのでタクシーで帰りました。その時、財布に50ユーロが一枚ポンと入っていたのを今でも覚えています。タクシーの運転手は、私が酔っぱらっているし、日本人だということを見ているんでしょうね。家まで9ユーロだったので50ユーロを出したら、お釣りが1ユーロしか返ってこなかったんですね。「え?50ユーロ出したんだけど」と言ったら、「見て。ここに10ユーロしかないでしょう」と言って、10ユーロが置いてあるんです。その時、私は、10ユーロを持っていたのかもしれないと思ってしまいました。でも、後で財布を見たらやっぱり50ユーロが無いので「ああやられた!」と思いましたね。次の日学校に行ってその話をしたら「今お金をとっさに、すり替える手口がはやっているんだよ」と言われ、まんまとひっかかったと思いました。あとは食中毒ですね(笑)。
— 食中毒?夏場ですか?
杉山 冬場だったんです(笑)。11月だったのですが、たまたま日本から友達がフィレンツェに来たので一緒にレストランに行きました。フィレンツェは、海の幸はあまりおいしくないので勧めなかったのですが、ムール貝のワイン蒸しを食べたいというのでそれを頼みました。おいしくないし、変な感じがしたんですが、もったいないし、他の料理もみんなに食べてもらいたかったので私が頑張ってこれを食べるしかないと思ったんですね。みんなは二、三個しか食べてないのに私のお皿はムール貝の貝殻でてんこ盛りになっていたんですよ(笑)。そしたら三時間後くらいに、いきなりきまして....、もうずっと朝まで、熱もでました(笑)。
— 災難でしたね(笑)。
杉山 そうなんです。でも私の友達と一緒に来た方が医療関係の方で、「食中毒に間違いないから、薬を飲まないで全部出したほうがいい。下痢止めを飲んじゃうと止まっちゃうから、とにかく悪いものは出すように」と言われました。そのようにしたら金曜日夜に発症して、一日寝込みましたけど、日曜日にはだいぶ良くなりました。
— その時は、学校のスタッフに連絡したのですか?
杉山 発症したのが、金曜の夜で友達のホテルだったんですね。久しぶりに友達に会ったのでみんなでホテルで話をしていたのですが、そこで具合が悪くなって、結局そのホテルに滞在しました。ホテルにたまたま日本人のスタッフがいて、薬は出せないと言われたのですが、ハーブティーなどを出してくれました。それに、お友達がいたので安心でした。学校には、土、日とお休みなので特に連絡しませんでした。
— 日本とイタリアでは何が違うと思いましたか?
杉山 日本にいる時は、人間対人間が殺伐としているなと感じる事もありました。留学生だからかもしれないのですが、イタリアでは、日本や韓国、その他世界中からデザインや料理の勉強に来た人など音楽以外のいろいろな人と知り合いました。その方達と絆が強くなって助け合う事がよくおこりました。例えば、私が日本に帰るときに荷物を三箱くらい日本に送らないといけなかったんです。日本のように便利ではなく自分で荷物を持って行き、重さも測ってもらう必要があって、結構面倒くさいんです。荷物を運ぶだけでも大変です。その時に友達が四人くらい来て、パーと運んでくれました。もちろん、私も他の方の時には、何かあったら助けます。そういう絆がとても強いと思いました。
— 学校で知り合った方達ですか?
杉山 そうですね。あとは知り合ったお友達のお友達。お友達のお友達はその学校に行っていたわけではないですね。
— フィレンツェは狭いですよね。みんな知り合いみたいな感じですか?
杉山 みんなではないかもしれないけど、どこかでつながっていますよね。
— 学校の授業ですが、スケジュールはどのような感じでしたか?
杉山 私はイタリア語と音楽コースを受講していました。九時に学校が始まって一コマ目が、九時から十時半まで。十時半から十一時までが休憩で、十一時から十二時半まで二コマ目の授業があります。一コマ目の授業は、テキストを使った文法中心の授業でした。二コマ目は、会話を中心とした授業でした。十二時半には、語学の授業は終わります。私はほとんど十二時半から学校でお昼を食べていました。みんなでバールに行ったり、トラットリアに行ったりすることもありました。歌のレッスンは週二回、イタリア語の授業の後にあり、レッスンに備えて大体五時くらいまでは毎日学校にいました。学校にパソコンが6台あり無料で使えるので、午後はパソコンをしたり、その他ピアノがある練習室が5室あるので、練習を毎日しました。
— 学校では宿題や練習をしていたのですか?
杉山 練習が主でしたね。練習の間、一時間休んでメールやパソコンをし、そのあと、また練習をしていました。友達も結構残っていたので、いろいろおしゃべりしたり、情報交換したり、バールにコーヒーを飲みに行ったりしていました。
— 週に二回の歌のレッスンは別々の先生でしたか?
杉山 最初は、歌の先生にしかついていなかったんですね。コレペティトールという伴奏専門のピアニストがいるのですが、その先生についているお友達がいてレッスンを見学させてもらいました。そうしたら歌の先生とは違う視点から音楽全体の事や音楽性をいろいろ教えてくださるので、後半からはそのコレぺティの先生と歌の先生と二人の先生につきました。
— イタリア歌曲が中心ですか?
杉山 オペラを中心に、イタリア歌曲、オペラアリアを勉強しました。
— 一曲にどのくらい時間をかけるのですか?
杉山 この学校の良いところは、必ず月に一回のコンサートがあるんです。私は8月から参加したので、8、9、10、11、12と5回コンサートに出演しました。
— 毎回コンサートに向けて曲をやっていくのですか?
杉山 そうですね。『夢遊病の女』というイタリアの作曲家ベッリーニのオペラがあるんですが、その中のアリアが、ずっと歌えなくて半年かけてやりました。先生が、「そのアリアがとてもあなたにあっているから勉強したらいいわ」と言ってくれたのですが、ものすごい難しいです。
— 完成しましたか?
杉山 まだ、熟成中ですね。「ちゃんとできるには二年かかるわよ」と言われています。
— 日ごろの練習はほとんど学校ですか?
杉山 そうですね。学校には、練習室があるのでそれを使っていました。三十分毎の予約制になっているのですが、誰もいない場合は自由に使っても良かったので結構使っていましたね。
— 月一回のコンサート以外に、自分たちでコンサート企画などはしましたか?
杉山 自分でコンサート企画はしなかったのですが、私は夏にフィレンツェで講習会にも参加しました。その講習会の最後に、教会で終了コンサートがあってそれに出る事ができました。お客さまも、ものすごくたくさん入りました。観光客などコンサートをやっているなら入ってみようという人も結構いました。学校のコンサートでも、十二月にものすごく大きい教会でやりました。響きもとても良くて礼拝の方もコンサートに来ます。その教会で歌ったことは本当に良かったですね。感動です。
— 学校ではコンサート以外のイベントはあるのですか?
杉山 映画、遠足など結構イベントがたくさんありました。海外の方は、ホームパーティーがとにかく好きで、夏は公園でその国の食べ物をそれぞれ一人一品ずつ持ち寄ってパーティーをやりました。世界の料理が食べられるんですね。その時はメキシコやスペインの方もいました。スペインの方は、バケツを持ってきてそこにワインをバーって入れて、果物を入れて、サングリアを作っていました。メキシコの方は自分でキュウイをリキュールでつけたものを家から持って来ました。私はおにぎり(笑)。学校では、クリスマスパーティーもあってその時も世界各国からいろいろ食べ物を持ち寄りました。
— お米などは普通にフィレンツェで買えるのですか?
杉山 アジアンマーケットがあってそこで結構買えます。イタリアのお米も買ったのですが、炊き方さえ間違わなければ大丈夫だと思います。でもイタリアのお米は芯が残ったりして難しいですね。三回失敗しました!火加減かな。リゾット風になっちゃいますね。
— 周りの方のお勉強の態度は日本の学校と比べて違いますか?
杉山 全然違いますよね。お国柄がでます。最後のクラスでは、日本人は私だけで、あとは、アメリカ人ばっかりでした。日本では椅子に普通は土足で上がったりしませんよね。だけどアメリカ人の人達は平気で土足のまま足を投げ出したり、椅子に登ります。それが一人だけじゃなくてみんなそうでした。日本人は靴を脱いで家にあがる文化なので随分違うなと思いました。お行儀が悪いように見えましたね。
— 授業以外はどのように過ごされていましたか?
杉山 午後は歌の練習をしていました。土曜、日曜は、近くの公園に行ったり、友達とフィレンツェから電車で行ける所に遠足に行ったり、テスト前は家で勉強ですね。
— テストは、厳しいですか?
杉山 厳しかったですね。テストで出来なかったということは、授業が理解出来ていないということなのでもう一回同じ授業を受けることになります。毎月どんどん次のレベルに進めるというわけではないですね。初めの頃は、音楽の講習会に行っていたのでテストはパスできなかったのですが、その後は、順調にパスできました。
— 日本人以外の人達と付き合うコツは何かありますか?
杉山 私は、ギリシャ人の女性とイタリア人の男性と住んでいました。イタリア人の男性は四十歳くらいの人で、ほとんど家で仕事をしていて考古学を研究している人でした。性格が日本人の男性より固い真面目な人で、良い人に恵まれたなという感じでしたね。ギリシャ人の女の子はフェラガモに勤めていました。私はそうめんを持っていたので、茹でてみんなで食べました。食べ物ですかね(笑)?そうすると今度は自分の作った物を食べさせてくれます。テスト前だとイタリア人の男性がスパゲティーを作ってくれたりしました。
— 生活費は食費を含めて一ヶ月どのくらい必要でしたか?
杉山 私は家賃が四百ユーロだったので月に最低六百ユーロは必要でした。
— 家賃以外は二百ユーロでやっていたのですか?
杉山 スーパーはものすごく安いんです。レストランやトラットリアに行くと高いのですが、スーパーで買い物をする場合は日本より安いです。お酒の話で申し訳ないんですが、イタリアの一番有名なモレッティーというビール350mlが、二つで0.8ユーロ。野菜は全部計り売りですが、ズッキーニを二、三個入れても40円くらいです。野菜、果物はとにかく安かったです。肉も市場で買うとものすごく安いです。スパゲティーも大体0.8ユーロくらいで売っていて安いですね。レストランやトラットリアは、ものすごい量の食事と、ものすごいお酒を飲んでいるので安いとは思うのですが、ユーロマジックにかかってしまいます。例えば、一人20ユーロかかったとして、日本の感覚だと2,000円位で安いと思うのですが、実際為替レートを計算してみると3,200円くらいですよね。「ああユーロだったか、この国は!」と思いました。レートで思い出しましたが、町の両替屋は1ユーロ200円位取られるので気をつけないといけないですね。とにかく銀行で換金した方がレートはいいです。
— オペラは見に行かれましたか?
杉山 フィレンツェで見に行きました。日本の感覚で比べたら本当に安いです。日本でオペラだと一番高い席で三万円前後、一番安くても五千円以上ですよね。でもイタリアだと安い席は、ものすごい悪い席ですけど10ユーロ前後、日本円で1500-1600円位です。夏は、野外オペラもやっていました。毎日コンサートをやっている教会もありました。パイプオルガンとフルートとテノール歌手の日やバイオリンの日など、いろいろな組み合わせで毎日コンサートをやっていました。フィレンツェという土地柄、観光客も多いので、町の広場で楽団が演奏したりしていました。
— 話しは変わりますが、夏期講習会についてお聞かせいただけますか?フィレンツェ夏期国際音楽キャンパス(編集注:2007年度の開催はなし)とカリアリ夏期国際音楽アカデミーにご参加されたのですよね?
杉山 フィレンツェ夏期国際音楽キャンパスは若い子が多かったです。一緒のクラスではドイツ人の女の子とメキシコ人の女の子とスペイン人の女の子、それと私でした。一番若い子は17歳のドイツ人で、日本人の参加者は私一人だけでした。私は、初めて海外でレッスンを受けるのでかなり気も張っていました。一人ずつレッスンがあるのはもちろんですが、全員でレッスンをする事もあります。その時それぞれの良い所や、注意点などのアドバイスをして下さいます。自分のレッスンが終われば帰っていいということではなかったので、その点が良かったですね。ヨーロッパ式のグループレッスンはずっと気が抜けない感じもあるのですが、一番日本と違うのは有名な凄い先生でもざっくばらんというか、壁をあまり作らないですよね。決して生徒を否定しないし、そう思うのなら、こうやったらもうちょっと良くなるかも知れないと生徒の可能性を高めてくれます。イタリアでは、自分の意見を言うことは本当に大事で、必ず「どうやってこれを歌っていきたいですか?」という自分の意見を先生に聞かれますね。
— 講習会の期間は一週間ですか?
杉山 本当は一週間でしたが、結局人数が少なかったので凝縮して五日間になりました。もう一つのクラスの先生はイタリア人の男の先生でした。イタリア人なのでイタリアの歌のことをものすごく良く分かっていて、その先生もいい先生だと思いました。期間中違うクラスのレッスンなど自由に聴講する事も出来るので、勉強になりますね。
— カリアリ夏期国際音楽アカデミーはいかがでしたか?
杉山 カリアリは、私がお会いしたかった、カーティア・リッチャレッリが体調不良のために来られなかったので残念でした。受講生は、日本人とフランス人が多く、有名な先生がたくさんいました。パリ国立高等音楽院などの先生がたくさん来るので、その先生についている生徒さんも多く来ていました。リッチャレッリが来れなくなった代わりに、ジュリオ・ザッパというコレペティの先生が指導をしてくれました。でも歌い手ではないんですよね。歌い手ではないので、「声楽」のレッスンとしては、疑問がありました。ピアノはすごいうまい方で、一流の声楽家と共演して引っ張りだこだそうです。だからこの方には、歌で習いに行くのではなく、コレペティの勉強をしている人がその先生に付いたらもの凄い良いと思います。日本人の女の子も一人コレペティの勉強として、オペラの伴奏をその先生についたけれど、ものすごい良かったと言ってました。
— 学校の施設はいかがでしたか?
杉山 学校の施設はものすごく良かったです。練習室もたくさんありました。カリアリ自体がもの凄くいい所で、景色も良く、カリアリの町はすごく好きですね。食べ物はおいしいし、物価は安いし、人ももの凄く温かいです。私にとっては、イタリアで一番人間的に温かい人が多かった気がします。
— 物価は安いのですか?
杉山 安いですよ。フィレンツェから比べると安いですね。カリアリ以外の北の街は高いらしいのですが、カリアリは安かったですね。景色もいいし海も凄くきれいだし、人も親切だし町自体も私は好きで、カリアリの音楽院の雰囲気も本当に好きです。
— 宿泊先は海の近くでしたか?
杉山 はい、海の目の前でした。学生寮でしたがなかなか良かったですよ。
— 学生寮からカリアリ音楽院まではバスですか?
杉山 バスですね。帰りはお店がいろいろあるので、歩いて帰ったこともあります。歩くと三十分弱位ですね。
— 講師演奏会はいかがですか?
杉山 二日間講師演奏会があるのですが、ブルーノ・カニーノ氏率いる室内楽は、感動しました。ルイ・サダはオリジナリティーがものすごくあって、クラッシックを一生懸命きちっと勉強した人は「何でこんなにリズムが変わっちゃうの?」と思った人がいるかもしれませんが、私は個人的に好きでした。このようなコンサートはありがたいですよね。これだけ著名な演奏家の演奏が、いっぺんに聞けるだけで本当に幸せです。生徒の優秀者コンサートもあるのですが、歌で日本人は出場できませんでした。
— 歌のコースは何人でしたか?
杉山 イタリア人が二人、スペイン人が一人、日本人二人でした。この中でコンサートに出場したのは一人だけでした。カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、いろいろな年齢の方が来ていました。私は、そこでピアノの先生をしている六十代の方に知り合いました。もう一人の日本人の声楽の方もお子様が大学生だと言っていました。受講生は、小学生からかなり大人の方まで幅が広いので面白いと思います。小学生は、韓国人のバイオリンの子でした。弦楽器は、お母様と一緒に来ている人が多かったですね。日本人もお母様が付い来ていて熱心な方が多かったです。私は、食事をしている所で声をかけて頂いたおじ様たちと仲良くなりました。その人達は町の名士で、カリアリのお城を管理していて、案内所もやっているらしいのです。毎晩ご飯を食べに連れて行って頂いたり、そこの社長さんのお庭のパーティーに呼んで頂いたりしました。毎晩飲みにも行きました。その中には町の警察官もいましたね(笑)。
— 講習会を含めて6ヶ月イタリアにご留学されましたが、留学して良かったと思える事はありましたか?
杉山 やっぱり視野が広がった。日本が改めて素晴らしい国だと思えました。それにイタリアの芸術文化が凄いということも分かりましたし、かけがえのない友人も出来ました。
— 留学して自分が変わった、あるいは成長したところはありますか?
杉山 もともとのんびり屋なのですが、いろいろな事が気にならなくなりましたね。留学前は、仕事など忙しく時間に追われていた気がします。今は心に余裕が出来ました。あまりくよくよしなくなりました。何とかなるかなと(笑)。
— 今後はどのようにしていきたいと考えていらっしゃいますか?
杉山 イタリア留学を経験したことは、本当に楽しく、人生観が変わり、心の栄養をたくさんもらった気がします。それを糧に小さい所からどこでも演奏活動をやっていきたいと思っています。日本ではクラッシック音楽は、どうしても堅苦しく考えがちです。イタリアに行って思った事は街中に毎日音楽が溢れていて、そんな中にも遊び心がありました。音楽は、本当に音を楽しまなければいけないと思っているので、堅苦しくない良い音楽を提供出来たらと思いますね。
— これから留学する人にアドバイスはありますか?
杉山 イタリア人の友達に聞いたのは、日本人はお金を持っているイメージが本当にあると言っていました。「ボロボロの格好をしても分かる?」「日本人、韓国人、中国人など顔だって似てるしどうやって区別するの?」と聞いたんです。でも、「私は、日本人で汚い格好をしているわよ」と思っていても、着ているものがやっぱり少し違うらしいんですね。少し小洒落ているというか、ボロボロの服を身につけても小物が良かったりするそうです。語学学校の日本人のお友達がフェラガモの裏に住んでいました。少し暗い通りですが、普通に街を歩ける夜の7時くらいでした。彼女は、斜めにバックをかけていたのですが、オートバイの人に後ろからバックを引っ張られたんですね。それで、30メートルくらい引きずられたんです。ブーツは、ボロボロ、青あざも出来た。鞄は持っていかれなかったので良かったと言えば良かったのですが、正直どちらが良かったか分からない。イタリア人に言わせるとあれはイタリア人ではなくて外国人がやっていると言うのですが、ジプシーもたくさんいるのでとにかく自分の身は自分で守る事が必要です。身なりは気をつけることが本当に大事です。それにタクシーに乗る時は気をつけないといけません。フィレンツェではないのですが南に行くとメーターが無いんですね。最初にいくらかということを交渉しないと莫大なお金を請求されます。それに暗い道には一人で入らない。フィレンツェで、私はそんなに危険な目にあったことはないのですが、そういう例はあるので用心に越したことはないと思います。それから、私は自分の友達や知り合いなどがたくさん留学を経験していたのですが、別に自分自身の問題だから留学しても留学しなくても自分できちんとやっていれば、どこにいても同じだと思っていましたが、決して同じではないと思いました。イタリアの空気に触れてイタリアで歌ってイタリアの先生に習ってイタリアでたくさんいいオペラを聞くことが大切だと思います。若い時になるべく長い期間留学した方がいいなと思いましたね。
— 現地の音楽性を吸収してまた活動していけますよね。
杉山 結局イタリアでいろいろな歌を歌い勉強すると視野も広くなり、心にも余裕が出来てくると思います。日本だと日々の生活でどうしてもカリカリしがちなので。歌そのもの全然変わると思います。
— 帰国して歌が変わったと言われますか?
杉山 言われますね。
— どういう点で変わるとお思いですか?
杉山 日本人は「ウ」や「オ」の発音がものすごく浅いとどの先生にも言われました。向こうで勉強してくると、イタリア語で普段会話をしているからかもしれないのですが、声が柔らかくなるというのでしょうか、根本的な言葉の発音の問題もあると思います。イタリアでは、体を使って喉の奥から厚みのある声を作るという感じでしょうか。
— ご自分でも体感しますか?
杉山 前は繋がらなかった音が繋がるようになってきたり、レガートが初めはあまり得意ではなかったのですが、体を使ってレガートが出来るようになってきたり、喉の位置が変わってきたような気もします(笑)。実際は、もちろん喉の位置は変わっていないのですが、今までもっと上にあった気がするんですよね(笑)。
— 楽器として定まってきたのですね。成果があって良かったですよね。
杉山 先生探しで半年終わってしまったり、二年いても先生が合わないという話を良く聞くのですが、私の場合比較的良い先生と出会えた思っています。最後のチャンスだと思って半年という限られた中で出来るだけのことをやっていたので、かえっていろいろな先生に教わって良かったと思いました。
— 一番長くついた先生が一番合いましたか?
杉山 バレッリアという先生が一番良かったですね。語学学校で紹介してくれたその先生が私にはものすごくあいました。教え方も上手だと思いますし、とにかく一生懸命です。バレッリアの場合はイタリア人には珍しいと思うのですが、とにかく片言で質問したら、それに対して納得するまで多少の英語を使って説明してくれたり、図に描いて一生懸命考えてくれます。私の時間は、とっくに過ぎて次の生徒が待っているのですが、一生懸命というのが凄く伝わってきましたね。「私を先生と思わないで」というような事も言っています。「私は自分がやってきたことを伝えていければいいし、あなたが持っている良いものを私も吸収すればいいわけだから」という感じです。
— そういう出会いがあると留学してとても良かったと思いますよね。
杉山 バレッリアにまた会いに行きたいなと思います。
— ありがとうございました。
栗山みなみさん/ピアノ/カリアリ夏期国際音楽アカデミー/イタリア・カリアリ
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
栗山みなみさんプロフィール
4才よりピアノを始める。桐朋学園大学4年在学中。クールシュベール夏期国際音楽アカデミー、カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加。全日本学生音楽コンクール東京大会入選、鳥栖フッペル平和祈念大学・一般の部優秀賞など多数。これまでに、山田富士子、ブルーノ・リグットなどに師事。2007年12月チェコフィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者オンドジェイ・ブラヴェッツとピアノデュオで共演予定(佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール)。
― 現在までの略歴を教えて下さい。
栗山 四歳からピアノを始めて、桐朋女子高等学校音楽科を経て、現在桐朋学園大学ピアノ科の四年生です。
― いつごろから留学したいと考えていましたか?
栗山 漠然と東京に来た時からいつかは留学したいと思っていたのですが、本気で留学したいと思ったのは、大学二年生になってからです。
― 何がきっかけですか?
栗山 大学二年生の十月に学校でブルーノ・リグット先生の公開レッスンを受けて、この先生の下で勉強したいと思ったのがきっかけです。
― 海外の講習会は、リグット先生がいたから選んだのですか?
栗山 大学二年より前は、ただ漠然と海外に行ってみたいと思ってクールシュベール夏期国際音楽アカデミーに参加しました。特別に先生をよく知りませんでしたし、この先生に習いたいという理由でクールシュベールの講習会に参加したわけではありませんでした。その後、カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加するときは、ブルーノ・リグット先生に師事する事が目的でした。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーに参加するまでの準備期間はどのくらいかかりましたか?
栗山 十月に公開レッスンを受けて、その時に「次にいつ日本にいらっしゃいますか?」と聞いたら、「まだ予定はたっていないからサルデニアで開かれる講習会に参加しなさい。とても環境が良いから」と仰ってくださいましたので、公開レッスンが終わってすぐに準備をしました。約1年前からですね(笑)。その時にこの曲を勉強しなさいと言われたので、その曲を講習会へ持っていきました。
― カリアリは場所柄、行きにくかったですか?
栗山 すでにヨーロッパに留学している人は、クールシュベールなどは電車で行けるから楽だと言っていました。カリアリは、ローマからカリアリまで飛行機に乗らないといけないのですが日本からの場合、特別大変ということはないと思います。
― カリアリの空港はどんな所でしたか?
栗山 かなり小さい空港です。
― 送迎もきちんと来ましたか?
栗山 大丈夫でした。大体同じ飛行機にみんな乗っているみたいです。だからみんなで一緒に送迎バスに乗りました。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、どんな印象の講習会でしたか?
栗山 すごくいい講習会でした。パリ国立高等音楽院を受ける人や在学している人がたくさん来ていて、結構レベルも高かったです。
― 自信がない人はお勧めしない感じですか?
栗山 先生によると思います。リグット先生は厳しい方なので、きちんと練習していないとレッスンが10分で終わってしまったり、「君はバケーションで来たのか!」と言われたりします。
― カリアリ夏期国際音楽アカデミーの一日のスケジュールを教えて頂けますか?
栗山 朝七時くらいに起きて、すぐ学校に行って練習をしていました。レッスンがある日はレッスン受けて、レッスンのない日はずっと他の人のレッスン聴講していました。
― レッスン自体は何時からですか?
栗山 リグット先生は13時位からでしたが、ルイサダ先生は午前9時からでした。
― 何時頃終わりましたか?
栗山 七時くらいです。
― レッスンスケジュールはどのように決めましたか?
栗山 リグット先生は初日に全部のレッスンスケジュールが分かりました。最初の日だけ、「君何時がいい?」と言って希望を取り、その順番でレッスンをします。全部で60分のプライベートレッスンが四回ありました。ルイサダ先生はその日にならないとレッスンのスケジュールは分からないようでした。だから先生によって随分スケジュールの方法は違います。ルイサダ先生は、最後はグループレッスンのような感じでしたね。
― 自分で希望を出さないと最後の時間のレッスンになってしまいますか?
栗山 そうですね。最初にやりますという主張が大事だと思います。
― レッスンは何語で受講されましたか?
栗山 フランス語でやりました。
― フランス語はどのくらい勉強なさっていましたか?
栗山 学校の授業で高校からフランス語の授業をとっていますが、リグット先生に出会ったことで真剣にやらないといけないと思い、週一回程度語学学校に通っています。
― フランス語でのレッスンはスムーズでしたか?
栗山 レッスンは、大丈夫でした。ちょうどその頃、テレビでミシェル・ベロフのスーパーピアノレッスンを放映していたので音楽用語は確認しておきました。
― 講習会では、どのくらい練習出来ましたか?
栗山 毎日四時間練習出来ました。
― 毎日四時間、予約をするのですか?
栗山 イタリアらしく、毎回予約システムも変わります(笑)。基本は、当日に事務室に行って何時から何時までという形で、自分で予約します。でも、前日に突然予約が出来る日もあったりします(笑)。どうして予約が出来るようになるかは分かりません(笑)。
― 事務はイタリア人でしたか?
栗山 はい。でも一人日本語が出来るイタリア人がいて、その人はすごく日本人に重宝されていました。
― レッスン前に練習していく感じですか?
栗山 例えば、練習時間が四時間あったら、レッスン前に二時間練習して、レッスン後に二時間練習していました。講習会会場がカリアリの音楽院なので、グランドピアノもかなりの数がありました。でも、鍵盤が割れているピアノもありました(笑)。
― 日本人はたくさん参加していましたか?
栗山 クールシュベール夏期国際音楽アカデミーなど他の有名な夏期講習会に比べたら多分日本人は少ないと思います。カリアリ夏期国際音楽アカデミーは、フランス人とイタリア人がとても多かったです。あと、韓国人は本当に多かったです。でも、今後はこの講習会も日本人が増えると思います。
― 韓国人も日本人と同じように固まっているのですか?
栗山 日本人よりももっと固まっていると思います。リグット先生はそういうのは良くないということで、最終日から二日目くらいにリグット門下だけでお食事会があったのですが、全部席を決めて、人種が固まらないようにしていました。
― 留学前にしっかりやっておいた方がいい事は何かありますか?
栗山 練習です!
― 講習会でコンサートはありましたか?
栗山 先生方のコンサートが三日間あって、夜九時ぐらいから始まって夜十二時くらいまでやっています。海外ならではですよね。本当に素晴らしい先生ばかりなので、コンサートは本当に感動しました。室内楽が多くて、ソロはルイサダ先生だけでした。あとは、デュオと室内楽。室内合奏団とピアノでコンチェルトをやっていた先生もいらっしゃいました。
― 宿泊先はどんな感じのところですか?
栗山 学生寮です。冷蔵庫、ベッド、シャワーバス付きで快適に生活できました。でも初日はシャワーの湯が茶色しかでずびっくりしました。キッチンは共同でした。何度か使かったのですが、すごく混んでいるので外食をしていました。
― 外食は、どのくらいのお値段でしたか?
栗山 夜を豪華にすると20-30ユーロ位だと思います。でもおいしかったです(笑)。ユーロが高いので日本円だと高くついてしまうかもしれません。物価はそんなに高くないと思います。
― 学校と寮は歩いて行けました?
栗山 歩けない距離ではないのですが、だいたいバスで十五分くらいだと思います。コンサートが夜の十二時くらいまであった時に、終バスが無かったので歩いて帰った事はありました。真っ暗でしたが、とても安全でした。カリアリの人もすごく暖かいと思いました。
― スリなどの被害にあうことはありませんでしたか?
栗山 なかったです。本当にみんな親切な人でした。
― バスは毎日時間通りに走っていましたか?
栗山 結構時間通りだったと思います。十分おき位にバスが来ていました。頻繁にバスはきます。
― 周りの人の勉強する態度が日本とは違いましたか?
栗山 西洋の人は、「ここはどういう練習方法でやればいいですか?」など、日本だったら「自分で考えなさい」と言われるようなことも聞いていました(笑)。外国の先生は結構親切に教えて下さるからそういうことも聞いていいんだと思いました。
― 海外の人達とうまく付き合うコツはありましたか?
栗山 それは一人でいることです(笑)。日本人同士で固まっているとなかなか他の人から敬遠されます。まずは同門の方達に自分から話しかけるようにしました。そうすることで、帰国後も連絡を取り合う仲間と出会えました。
― 今回講習会に参加して良かったと思える瞬間はありましたか?
栗山 もう全てが新鮮でした!いろいろ大変なことがあるけれど、小さい事に喜びを感じられました。素晴らしい先生方も多かったですし、パリ国立高等音楽院で学んでいる人たちの演奏も素晴らしかったです。本当にその場にいるだけで自分も変わった感じがしました。それにこの講習会のいいところはオーディションがないので早めに決めさえすれば希望の先生につけることだと思います。
― 行ってよかったですね。
栗山 本当に(笑)。
― 留学して、何か自分が変わったなとか成長したなと思う事はありますか?
栗山 辛抱強くなったことです(笑)。本当にいろいろな事が変更になったり、イタリアではうまく事務も機能していなかったりするのですが、臨機応変に対応出来るようになったかも知れないです。いい意味で広くなったような気がします。でも自分が納得できない時は相手にとことん言う必要がある事も分かりました。
― 留学してみて日本と大きく違う点は何がありましたか?
栗山 日によってシステムが変わったりすることです(笑)。でも自分が納得できないことをきちんと主張すれば対応してくれます。だから、主張は本当に大事かも知れません。
― 今後留学する人にアドバイスしておきたいことなどありますか?
栗山 本当に海外は日本と違って、一筋縄で行かないことがたくさんあるだろうけど、いつかは解決するだろうという心構えでいればやっていけると思います。すでに留学している日本人が夏期講習には結構参加しているので、先輩方にいろいろな話が聞けますから、これから留学したい人は絶対勉強になると思います。先生も、先生の一番優秀な生徒さんを連れてきますから本当に勉強になりました。それにカリアリは、気候がとにかく良かったので、先生達の気持ちも、おおらかでした(笑)。バイオリンの先生と一緒に海に行った人もいたようです。この先生に習いたいというのがあればすごい充実した講習会になります。
― 今後の活動は?
栗山 桐朋学園大学を卒業してパリに留学したいと思っています。でもその前に、今年(2007年)の12月、チェコフィルの首席ホルン奏者とデュオで共演することになっています。
― コンサート楽しみですね。ありがとうございました。
*チェコフィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者オンドジェイ・ブラヴェッツと栗山みなみさんのピアノデュオコンサートの情報はアンドビジョンまでお問い合わせください(佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール)。
日時:2007年12月7日(金)19:00予定
場所:佐賀県有田町・炎の博記念堂文化ホール
主催:アンドビジョン株式会社
後援:チェコ共和国大使館、佐賀県、有田町教育委員会、日本ホルン協会、社団法人全日本ピアノ指導者協会、NHK佐賀放送局、佐賀新聞社、エフエム佐賀
コンサートの詳細
栗山みなみさんのプロピアニスト活動としての第一歩の応援をよろしくお願いいたします。
*チケットも残りわずかですが、ぜひ足をお運びください!
山本いぶきさん/声楽/シャロシュパタク夏期講習会/ハンガリー・シャロシュパタク
音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
山本いぶきさんプロフィール
昭和音楽大学声楽学科で声楽を学ぶ。大学卒業後ソロ活動と共に合唱団での活動を続け、現在に至る。ハンガリー・シャロシュパタク夏期講習会に参加。
― はじめに現在までの略歴を教えてください。
山本 ピアノは4歳頃からやっていたのですが、小学校5年生のときに合唱団に入り歌を始めました。その後、普通高校から音楽大学を受験し、昭和音楽大学の声楽学科に入学しました。卒業後も職に就きながら勉強を続け、混声合唱団に所属、その活動は現在も続けています。
― 今回の講習会に参加したきっかけは?
山本 以前から音楽留学をしたいと思っていたのですが、期間と費用がネックでした。まずは短期間の講習に参加して留学を経験しようと思いました。
― ハンガリーに決めたのはどうしてですか?
山本 はじめはチェコに行きたかったのですが、選んでいるうちに締め切りが過ぎてしまいまして……(笑)。ハンガリーは以前に個人旅行で行った事があり、とてもいい国だったので決めました。それから講習会に日本人が少ないだろうと思ったのも理由の1つです。
― ハンガリーの中でこの講習会にしたのはどうしてですか?
山本 もともとハンガリーで開かれる講習会は数が多くないので、選択肢が限られていました。それから他の国でもそうだと思いますが、首都は騒がしいので、地方に行きたいと思っていました。その条件で探していたら、この講習会を見つけて、歌のレッスン以外にもプログラムが充実しているという事で決めました。
― 先生を選んだ決め手を教えてください。
山本 今回の講習のメインの先生だったからです。
― レッスンはどうでしたか?
山本 アメリカ人の先生で教える事が好きな方でした。専門的な事もわかりやすく、教え方も上手でした。レッスンの雰囲気も良かったです。先生との相性もよく、楽しく学ぶ事が出来ました。通訳はいませんでしたが、レッスンで英語が妨げになる事はありませんでした。
― 山本さんは英語がかなりできるんですね。
山本 いえできません(笑)。でも勉強はしていきました。今回は、アメリカ人の先生が丁寧に話してくださったので、特に問題はありませんでした。
― レッスンは何時からだったのですか?
山本 時間はその回によって様々でした。受講者が何人もいるので、その中でシフトが組まれて発表されるシステムでした。私の場合、2週間の間に個人レッスンが5回ありました。だいたい1日おきで、午前10時からの日もあれば、午後2時からの日もありました。
― 1日おきというレッスンのペースはいかがでしたか?
山本 私にはちょうどよかったです。レッスン以外にも授業がかなりあったので、毎日だと大変ではないかなと感じました。
― レッスンの時間はどのくらいですか?
山本 45分です。時間はわりときっちりしていました。ただ、朝1番目のときと、お昼休み後、1番目のときは、先生が遅れてきたりして、そのときは運が悪かったな、とあきらめていました(笑)。
― 講習会に日本人の方はどのくらい参加されていましたか?
山本 声楽は私を入れて3人、オーボエが2人、全部で5人でした。地元のハンガリーの方が1番多かったですね。あとはドイツ、アメリカの方が多かったです。他にはルーマニアやブルガリアなどヨーロッパ各地からです。アジアから来ているのは日本人だけでした。東洋人は、めずらしかったのか、現地のオフィシャルのカメラマンにけっこう写真を撮られました(笑)。恥ずかしい事に、いまその写真がホームページに掲載されているんですよ(笑)。
― 練習はどのくらいできましたか?
山本 講習会が高校の校舎を利用して行われていたので、ピアノのある部屋は限られていました。なので、その部屋は早い者勝ちでした。ピアノがない部屋であれば、いつでも利用可能でした。練習をする時間的な余裕はけっこうありました。
― レッスン以外の時間は何をされていたんですか?
山本 授業や練習があったので、まとまった自由時間はあまりありませんでした。練習したり、洗濯や近所への買い物などに時間を使いました。
― 講習会中はセッションやコンサートは行われましたか?
山本 キリスト教の奉仕の精神に基づいて行われた講習会で、全員にきっかけを与える、という考えからでしょうか、講習会の参加者全員に演奏会で何らかの役割が与えられました。私は、オペラ実習でレパートリーを与えられて、振り付きで歌いました。あとCreative Church という教会でのコンサートと、「メサイア」公演でアンサンブルを演奏しました。プロムナードコンサートは期間中の2週間、後半毎日開かれていました。
― 宿泊先はどんなところでしたか?
山本 シャワー付きでトイレは共同の学生寮でした。新しくはありませんが、過ごしやすいところでした。ハンガーがないので、少し困りましたね。ただ、近所に大きなスーパーがあったので、必要なものはそこで購入することができました。
― ご飯はどうしていましたか?
山本 寮食が準備されていました。朝は、パン、ハム等、紅茶、とかなり質素、夕飯はメイン料理に小皿、とそれなり、昼はメイン、スープ、デザートと量もあり豪華でした。インスタント食品を準備していけばよかったな、と思いました。1、2回外食しましたが、ほとんど寮ですませました。
― 外食はどのくらいのお値段でしたか?
山本 外食すると、1人1000円くらいです。近くのレストランで、みんなで食べることもありました。
― 講習会の会場と宿泊先はどのくらいの距離でしたか?
山本 歩いて1分ほどの近いところでした。駅も学校から徒歩5分ほどのところにありました。
― スリなどの被害に遭う事はありませんでしたか?
山本 ありませんでした。夜は外出しなかったので分かりませんが、昼は静かな田舎町、といった、とても良い雰囲気でした。
― 海外の人とうまく付き合うコツはありますか?
山本 積極的な姿勢が大切だと思います。
― 言葉は壁になりませんか?
山本 ハンガリー人は英語がペラペラの人もいれば、全く出来ない人もいたのですが、英語ができる生徒さんや事務局の方が通訳をしてくれました。ハンガリー以外の国の方や先生は英語が堪能でした。言葉についてはどうにかなるので、やはりこちらから働きかけるようにすることが大切だと思います。
― 今回講習会に参加して良かったと思える事はありましたか?
山本 レッスンが充実していたことと、海外の方と共演できたことです。
― 留学を振り返っていかがですか?
山本 ヨーロッパに留学するのが夢だったので、行ってよかったなと思います。それから、今まで自分が日本で学んできた事と、今回の講習会で習った事が大きく違わなかったので、今までしてきた事に自信を持てるようになりました。
― 留学前にしっかりやっておいたほうがいい事はありますか?
山本 英語とイタリア語の勉強をもっとしておけばよかったと思います。それから、イタリア語の辞書は準備していくべきだったと感じました。日本以上にテキストを重要視しました。単語の意味を調べるのに辞書が必要になりました。重かったのでやめたのですが、やはり持っていくべきでした。あとはアリアだけではなく、ドイツ、イタリア歌曲も用意していって、先生に聞いてもらいたかったです。
― 向こうで新しい譜面が必要になることはなかったのですか?
山本 レッスン中に新しく課題曲をもらうこともありましたが、持っていない楽譜の準備は、事務局のスタッフがしてくれました。
― 日本と留学先で大きく違う点を教えてください。
山本 ハンガリーに限った事ではないと思いますが、積極性が強いと思います。自分から言わないと何も始まらないので、授業の参加の仕方でも、自分から歌い、質問していくという姿勢を求められます。
― 今後留学する人にアドバイスをお願いします。
山本 行ってみる価値はあると思います。日本人の少ないハンガリーでも、日本人の多い、例えばウィーンでも大切なのはやはり積極性だと思います。
― 今後の活動のご予定を教えてください。
山本 合唱やアンサンブルをしていますので、続けていきたいと思います。それから、1年や2年といった長期間留学するのは大変なので、機会があればこういった短期間の講習会にまた参加したいと思います。
― どういった講習会に興味を持ってらっしゃるのですか?
最初、チェコに留学したいと思っていたのは、興味がある講習会があるからでした。オラトリオを古楽器で演奏するのが目的なのですが、そういった演奏の目的を持つ講習会にも参加したいと思っています。
― 現在、活動は合唱やアンサンブルでされているんですか?
山本 目標はもちろんソリストですが、合唱での活動も続けていきたいです。
― 今日は、貴重なお話をありがとうございました。
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山本いぶきさんからのアドバイス
【留学先に持って行った方が良かったもの】
1 イタリア語の辞書
2 黒ブラウス→日本で合唱の舞台は白ブラウス・黒スカートですが、
あちらは上下「黒」でした。楽器の方は黒・黒が基本なので持っていましたが、
声楽の私はうっかりしてました。黒ロングスカートは持っていったので、黒ブラウスを借りました。
3 2007年夏は、シャロシュパタクで日本円の両替はできませんでした。
4 参考にした本。
「音楽家の英語入門〜レッスン・留学のために」
三ヶ尻 正 著