フィンランド共和国

フィンランド国旗バルト海の一番奥に位置するスカンジナビアは、、国の北部約3分の1は北極圏内にあり、広大な森林とともに、ムーミンやサンタクロースの故郷として知られ ている。ロシア、スウェーデン、ノルウェーと国境を接し、旧共産圏と西ヨーロッパを結ぶ鉄道、航路の中継点にあり、その中立的性格から国際会議が多く開か れる。「森と湖の国」と呼ばれるとおり、国土の69%が森林、10%が湖沼や河川に覆われている。白夜の影響で夜中でも釣りが楽しめたり、都市部の建築物 は建築好きにはたまらない。先進工業国で、インターネットの使用率が最も高い国の一つであり、携帯電話数が固定電話数を上回っている。


基本情報
正式国名&英語表記 フィンランド共和国 Republic of Finland
首都 ヘルシンキ
面積 33.8万km2(日本よりやや小)
人口 522万人(2003年末現在)、ヘルシンキ(約56万人、2003年9月現在)
人種 フィン人
言語 フィンランド語、スウェーデン語(全人口の約5.6%)(2001年)
宗教 福音ルーテル教(国教)、フィンランド正教
通貨 ユーロ
為替レート 1ユーロ=約135.8円(2005年5月29日)
紙幣 5、10、20、50、100、200、500ユーロの七種類
硬貨 1、2、5、10、20、50セント、1、2ユーロの八種類(1ユーロは100セント)
電圧 230V、50HZ
時差 マイナス7時間。サマータイム実施期間はマイナス6時間。サマータイムの実施期間は、3月最終日曜日から10月最終日曜日。
祝日 1/1新年、1/6顕現祭、●3/25聖金曜日、●3/27イースター、●3/28イースターマンデー、5/1メーデー、●5/5昇天祭、●5/16聖霊降臨祭、●6/24夏至祭イブ、●6/25夏至祭、●11/5諸聖人の日、12/6独立記念日、12/24クリスマスイブ 、12/25クリスマス、12/26ボクシングデー
●=移動祝祭日
在留邦人数 877人(2004年10月1日現在)
電話国番号 358
緊急電話番号 警察112、消防112、救急車112

物価
フィンランドの物価は他の北欧諸国同様、高い。安いものが少なく、何を購入するにもかなりのお金がかかるといえる。1食当たり,安くて6ユーロから高いと25ユーロと程度。宿泊費も安くて25ユーロから高いと140ユーロ以上。かなりの出費があると予測しておこう。福祉の進んだ国家は税金が高いため、物価も総じて高いといえる。
GDP 1,619億ドル(2003年、OECD統計)
一人当たりGDP
31,100ドル(2003年、OECD統計)
GDP成長率
1.9%(2002〜2003年、OECD統計)
物価上昇率 0.2%(2004年予測、OECD統計)
失業率 8.9%(2004年予測、OECD統計)
主要貿易品目
(1)輸出 通信機器、紙製品、木材、機械機器
(2)輸入 機械機器、電子機器、車
主要貿易相手国 (1)輸出 独、スウェーデン、米、英(2003年 フィンランド統計局)
(2)輸入 独、ロシア、スウェーデン(2003年 フィンランド統計局)

気候
フィンランドは緯度が高いので寒さは厳しいが、湿度が低いので、夏は大変しのぎやすい。日本と同様四季がある。スカンジナビア全体を暖めるメキシコ湾流の影響で、意外と気候は温暖。 寒いときは−15度程度まで冷え込むこともあるが、夏は30度を越える日もある。冬にはオーロラが観測できる。夏には白夜が楽しめる。
現在の天気
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ビザ シェンゲン条約加盟店15ヶ国合計で、滞在日数が3ヶ月日以内の場合は、ビザは不要。学生ビザについてはこちら
パスポート 必要な残存有効期間はフィンランドを含む海外での滞在期間数プラス3ヶ月。

大使館などの在日政府機関
フィンランド大使館 Embassy of Finland in Japan
〒106-8561 港区南麻布3丁目5-39
Tel:03-5447-6000
領事部受付時間:
月-火 木-金 09:00-12:00
水 09:00-12:00 & 13:00-17:00
在大阪フィンランド共和国名誉総領事館 Honorary Consulate-General of Finland in Osaka
〒542-8551 大阪府大阪市中央区南船場4-4-10
Tel:06-4704-3705
在札幌フィンランド共和国名誉領事館 Honorary Consulate of Finland in Sapporo
〒062-8611 札幌市豊平区平岸一条1丁目9-6
Tel: 011-813-2525
在北九州フィンランド共和国名誉領事館 Honorary Consulate of Finland in Kitakyushu
〒806-0004 北九州市八幡西区黒崎城石2-1 株式会社 安川電機内
Tel: 093-645-8801
在名古屋フィンランド共和国名誉領事館 Honorary Consulate of Finland in Nagoya
〒450-6101 名古屋市中村区名駅1丁目1-4 JRセントラルタワーズ
Tel: 052-564-5105
在長野フィンランド共和国名誉領事館 Honorary Consulate of Finland in Nagano
〒380-0935 長野市中御所5丁目1-18 吉田興産株式会社内
Tel: 026-228-3163
フィンランド政府観光局 〒100-0011 東京都千代田区内幸町1-1-1 帝国ホテル本館505号
Tel: 03-3501-5207 (テープ案内が流れますので、音声に従って電話を操作してください)
Fax:03-3580-9205 E-Mail このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。
オフィスオープン時間:平日 13:00-17:00

現地日本大使館
在フィンランド大使館 Finland
Embassy of Japan in Finland
Unioninkatu 20-22, 00130 Helsinki, Finland
Tel: 358 (0)9 686 0200       
Fax:  358 (0)9 633 012

フランス共和国

フランス国旗芸術の都としても名高いパリを首都に構えるフランスは、アート、食、流行の発祥の地としてもその名を馳せている。古くからの教会建築物や、ベルサイユ宮 殿、ロワールの古城など見所も多く、昔から多くの芸術家を引き付けてきた。地方ごとに異なる魅力があふれる都市では、アウトドアなども楽しめる。また、ワ インの名産地としても有名で、食文化も栄えているフランスは、EUの中枢を担う国としても期待される。


基本情報
正式国名&英語表記 フランス共和国 French Republic
首都 パリ
面積 54万7,000km2(日本の約1.5倍)
人口 6,168万人(2004年11月現在の推計)
人種 ケルト人、ゲルマン民族(フランク系、ノルマン系)等の混血
言語 フランス語
宗教 カトリック90%、プロテスタント1%、ユダヤ教1%、イスラム教8%
通貨 ユーロ
為替レート 1ユーロ=約135.8円(2005年5月29日)
紙幣 5、10、20、50、100、200、500ユーロの七種類
硬貨 1、2、5、10、20、50セント、1、2ユーロの八種類(1ユーロは100セント)
電圧 230V、50HZ
時差 マイナス8時間。サマータイム実施期間はマイナス7時間。サマータイムの実施期間は、3月の最終日曜の午前1時から、10月の最終日曜の午前2時まで。
祝日 1/1 元旦 Jour de l'An、●3/27 復活祭 Paques、●3/28 復活祭翌日の月曜日、5/1 メーデー Fete du Travail、5/8 第二次大戦終戦記念日 Le 8 Mai、●5/5 キリスト昇天祭 Ascension、●5/15 聖霊降臨祭 Pentecote、5/16 聖霊降臨祭の翌日、7/14 革命記念日(パリ祭) 14 Juillet、8/15 聖母昇祭 Assomption、11/1 諸聖人の祝日 Toussaint、11/11 第一次大戦休戦記念日 Fete de la Victoire、12/25 クリスマス Noel
移動祝祭日●=移動祝祭日
在留邦人数 32,372人(2003年10月1日現在)
電話国番号 33
緊急電話番号 警察17、消防18、医者付き救急車15

物価
フランスの物価は全体としては安いほうだといえる。ただ、パリに関しては一般よりもとかなり物価が高いので、長期で滞在する場合には予算も見据えて地域を決めたいもの。スーパーなどの食材に関しては安く感じる。一食あたりの費用は安くて4ユーロからで高くても30ユーロ程度。宿泊費は15ユーロから150ユーロぐらいまでと幅広い。
GDP 16,450億ドル(2002年、OECD統計)
一人当たりGDP
26,900ドル(2002年、OECD統計)
経済成長率
1.2%(2002、OECD統計)
物価上昇率 1.9%(2002年、OECD統計)
失業率 8.8%(2002年、OECD統計)
主要貿易品目
(1)輸出 電気機器、電子部品等、自動車、航空・宇宙機材
(2)輸入 自動車、電気機器、電子部品等
主要貿易相手国 (1)輸出 独、英、スペイン、伊、米(2002年)
(2)輸入 独、伊、米、スペイン、ベルギー(2002年)

気候
フランスの気候は、日本と同様に四季があり、気温は東京よりも低い。地域によって気候が異なるが、秋は雨が多く、パリなど北部は冬場はかなり寒い。一方南部は地中海性気候で非常過ごしやすい気候。 夏でも朝晩の温度差があるので、調節の聞く服装がいいだろう。冬は朝になっても暗いこともある。
現在の天気
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ビザ 観光目的で、3カ月以内の滞在なら不要。学生ビザについてはこちら
パスポート 入国時に3カ月以上の残存有効期間が必要

大使館などの在日政府機関
フランス大使館 Embassy of France
〒106-8514 港区南麻布4丁目11-44
Tel:03-5420-8800
在大阪・神戸フランス総領事館 Consulate-General of France in Osaka-Kobe
〒540-6010 大阪市中央区城見1丁目2-27 クリスタルタワービル10階
Tel: 06-4790-1505
在長崎フランス名誉領事館 Honorary Consulate of France in Nagasaki
〒850-0862 長崎市出島町3-10 (株)澤山商会内
Tel: 095-823-1221
在福岡フランス名誉領事館 Honorary Consulate of France in Fukuoka
〒810-8570 福岡市中央区天神1-11-17 福岡ビル
Tel: 092-732-4658
在新潟フランス名誉領事館 Honorary Consulate of France in Niigata
〒950-0092 新潟市上所上1-8-14 ネットワークビル2F
Tel: 025-282-2988
在広島フランス名誉領事館 Honorary Consulate of France in Hiroshima
〒730-0037 広島市中区中町5-23 広島テレビ別館2階
Tel: 082-245-8576
在名古屋フランス名誉領事館 Honorary Consulate of France in Nagoya
〒467-8530 名古屋市瑞穂区須田町2丁目56 日本ガイシ(株)内
Tel: 052-872-8640
フランス政府観光局 〒107-0052 東京都港区赤坂2-10-9ランディック第2赤坂ビル9階
TEL 03-3582-6965 (音声ガイダンス)
営業時間 9:30〜12:00 13:00〜17:00
土曜、日曜、祝日、7月14日、12月25日は休み。

現地日本大使館
在フランス日本大使館・総領事館 France
Ambassade du Japon
7, Avenue Hoche, 75008, Paris, France
Tel: (33-1) 4888-6200 Fax: (33-1) 4227-5081
在フランス大使館は、在アンドラ大使館を兼轄する。
在ストラスブール総領事館 Strasbourg
Consulat General du Japon
"Tour Europe", 20, Place des Halles, 67000 Strasbourg, France
Tel: (33-3) 88-52-85-00 Fax: (33-3) 88-22-62-39
在マルセイユ総領事館 Marseille
Consulat General du Japon
70, Avenue de Hambourg, 13008 Marseille, France
(B. P. 199,13268 Marseille Cedex 08, France)
Tel: (33-4)91-16-81-81 Fax: (33-4)91-72-55-46
在リヨン出張駐在官事務所 Bureau Consulaire du Japon
131, boulevard de Stalingrad
69100 Villeurbanne, France
Tel: (33-4)37-47-55-00
Fax: (33-4)78-93-84-41

ブルガリア共和国

ブルガリア国旗 ブルガリア地図ブルガリアは位置的にはヨーロッパにあるが、長い間トルコの支配下にあったため、どことなくアジアの雰囲気の漂う国だ。現在でもトルコ系 の移民が多く、モスクと教会が混在するなど異国情緒があふれ、独特の雰囲気をかもしている。歴史的遺物が多く残る国だが、民主化から10年以上たち、いろ いろな面で変革がなされている途中と言える。

基本情報
正式国名&英語表記 ブルガリア共和国 Republic of Bulgaria
首都 ソフィア
面積 11.09万km2(日本の約3分の1)
人口 797万人(01年3月)
人種 ブルガリア人(約80%)、トルコ系(9.7%)、ロマ(3.4%)等
言語 ブルガリア語
宗教 大多数はブルガリア正教(ギリシャ正教等が属する東方教会の一派)。他に回教徒、少数のカトリック教徒、新教徒等
通貨 レフ。複数形はレヴァ。補助通貨はストティンキ
為替レート 1Lv=約67.78円(2005年6月3日)
紙幣 1、2、5、10、20、50Lv
硬貨 1、2、5、10、20、50stotinki
電圧 230V、50HZ
時差 マイナス7時間。サマータイム実施期間はマイナス6時間。サマータイムの実施期間は、3月最終日曜の深夜2:00から10月最終日曜の深夜2:00まで。
祝日 1/1 元旦、3/3解放記念日、●イースター、●イースターマンデー、5/1メーデー、5/6聖ゲオルギーの日、ブルガリア軍の日、5/24ブルガリア文化とスラブ文字の日、9/6統一記念日、9/22独立記念日、11/1民族復興運動指導者たちの日、12/24クリスマスイブ、12/25クリスマス 、12/26ボクシングデー
●=移動祝祭日
在留邦人数 133名(2004年10月現在)
電話国番号 359
緊急電話番号 警察166、消防160、救急車150

物価
ブルガリアの物価は税金が含まれて居るにも関わらず、非常に安い。1食当たり安ければ8レフから高くて20レフ程度でしっかりと食べられる、宿泊も安いと40レフから高くても100レフ程度。かなり節約できそうだ。
GDP 198.6億米ドル(2003年、ブルガリア統計局)
一人当たりGDP
2,538米ドル(2003年、ブルガリア統計局)
経済成長率
4.5%(2003年)
物価上昇率 2.3%(2003年)
失業率 13.52%(2003年)
主要貿易品目
(1)輸出 衣服、靴、鋳鉄類、非鉄金属、機械類、石油製品
(2)輸入 繊維、原油・天然ガス、機械類、運送設備、プラスチック・ゴム
主要貿易相手国 (1)輸出 イタリア、ドイツ、ギリシャ、トルコ
(2)輸入 ドイツ、ロシア、イタリア、ギリシャ

気候
ブルガリアの気候は地域によって異なり、南部は夏は高温乾燥、冬は温暖湿潤の地中海性気候で、北上するにつれて大陸性の特徴が強まり気温の年較差が大きくなり、冬季の寒さが厳しくなる。また北部では夏季の降水量も多い。
現在の天気
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ビザ 観光目的で30日までの滞在なら原則としてビザは不要。。学生ビザについてはこちら
パスポート 入国時にはパスポートの残存有効期間が6ヵ月以上あること。また、帰りの航空券が必要。

大使館などの在日政府機関
ブルガリア共和国大使館 Embassy of the Republic of Bulgaria in Japan
〒151-0053 渋谷区代々木5丁目36-3
Tel:03-3465-1021/22/23/24、03-3465-1026/28/30
在横浜ブルガリア共和国名誉領事館 Honorary Consulate of Republic of Bulgaria in Yokohama
〒221-0014 神奈川県横浜市神奈川区入江1-6-18
Tel:045-433-0180
管轄:近畿、中国、及び神奈川、愛知、静岡、岐阜
ブルガリア政府観光局 〒106-8308 東京都新宿区西新宿6-3-1 新宿アイランドウイング5階 クラブツーリズム内
TEL 03-5323-8507 FAX 03-5323-6751
営業時間 10:00〜17:30 休業日 日・祝。

現地日本大使館
在ブルガリア大使館 Bulgaria
Embassy of Japan
Ul Lyulyakova Gradina 14, Sofia, Bulgaria
Tel: (359-2) 971-2708 Fax: (359-2) 971-1095

村田理夏子さん/ピアノ/ベルリン芸術大学講師/ドイツ・ベルリン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はドイツ・ベルリンでベルリン芸術大学講師として、そしてピアニストとしてご活躍中の村田理夏子(ムラタリカコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ベルリン芸大や音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2007年3月)


ー村田理夏子さんプロフィールー

ベルリン芸大ピアノ科講師村田理夏子さん
村田理夏子さん

東京藝術大学卒業。ドイツ政府給費留学生(DAAD)としてベルリン芸術大学に留学し、パスカル・ドゥヴァイヨンに師事。マリアカナルス国際コンクール入賞、ポルトー国際ピアノコンクール3位など多数受賞。ベルリン交響楽団に毎年ソリストとして招待され、ピアノ協奏曲の公演は15回以上。ベルリン芸術大学では、DAADのほか、Nafög奨学金、ロームミュージックファンデーション、ヒンデミット財団各奨学生として研鑽を積み、2000年には最高点、首席にて卒業し、”国家演奏家コース”へ進学。現在国家演奏家試験を準備する傍ら、ベルリン芸術大学講師として後進の指導にあたる。クールシュベール夏期国際音楽アカデミーなどにも講師として招待される。近年は、パスカル・ドゥヴァイヨンとピアノデュオ活動を本格化。2008年11月にはメシアン生誕100年を記念した2台ピアノCDリリースにあわせ日本全国で演奏ツアーを開催予定。これまで、矢部民,高良芳枝、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ、浜口奈々、パスカル・ドゥヴァイヨンの各氏に師事。



―  音楽に興味を持ったきっかけはどんな事ですか?

村田 兄が当時エレクトーンを習っていて、私は兄の真似をしたくて仕方がありませんでした。ヤマハの音楽教室だったと思いますが、通っている兄を母と迎えに行く度に、音楽を習っているのがうらやましくてうらやましくて(笑)。勝手に飛び込んで自分で鈴を振ったりしていました。今から思えば、それがきっかけだと思いますね。

―  クラシックはどのように始められたのですか?

村田 クラシック自体は最初からだったと思います。クラシックの曲を弾いていた兄を真似て演奏していた頃からですね。 

―  親御さんが子供を音楽家にしようと思っていたわけではないですよね?

村田 それは無かったと思います。ただ母が小さい頃に自分でピアノをやりたかったようです。でも自分がピアノを持つことが出来なかったので子供にはぜひピアノを習わせたいとは思っていた様です。

―  ご自分の家にピアノはありましたか?

村田 その辺の記憶が定かではないのですが、私が音楽教室に通い始めた頃、兄のためにエレクトーンを買ったのが最初だと思います。幼児科コースが始まって一年くらいしてからでしょうか。小学校低学年の頃にアップライトピアノを買ってもらった記憶があります。

―  その後、東京芸大を卒業してベルリン芸大へ留学をするわけですが、留学をしようと思ったきっかけは何かありますか?

村田 当時、海外の先生が日本にいらっしゃる機会があればレッスンを受けていました。でも、それは留学先の先生を探してというわけではありませんでした。そんな中、大学のころにパスカル・ドゥヴァイヨンのレッスンを受ける機会がありました。非常に高度な要求をするレッスンでしたが、当時学んでいた日本の先生と方向性が大変似ていたこともあり、この先生に是非付きたいと強く感じました。ただ、留学は日本の大学を卒業してから、という思いがなんとなくあり、大学卒業前に留学するという考えは、当時はありませんでした。
 

ベルリン芸術大学パスカル・ドゥヴァイヨンと
パスカル・ドゥヴァイヨンと

―  ドゥヴァイヨン先生は、その当時からベルリン芸大にいらしたのですか?

村田 私が大学三年生の頃はフランスのコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)で教鞭をとっていました。先生にパリ国立高等音楽院に行きたいという意向をお話ししたら、パリ国立高等音楽院入学の年齢制限が二十二歳未満なので日本の大学を卒業すると間に合わないと言われました。その為、当時はドゥヴァイヨン先生に付く事は諦めていました。でも留学したいとは思っていて「どこか他を探さなきゃ」と、いろいろな先生の候補を頭に入れていました。ところが四年生の終わり頃、ドゥヴァイヨン先生がベルリン芸大に移られるらしいという噂が流れてきました。ドゥヴァイヨン先生にすぐ確認したところまだ迷っているけど恐らくそうなると思う、という話で、すぐにドイツ語の勉強を始めました。

―  ドイツに行きたかったわけではなく、先生がたまたまドイツに来たからドイツに行こうとなったんですね?

村田 そうですね。私が日本でお世話になった先生方がみなさんフランスで勉強をされていましたので、最初は私もフランスかなと思っていたのですが、年齢制限で行けなくなってしまったので、さてどうしようかなと思っていたところです。ですので先生が、ベルリンに丁度来られるというのは本当に良いタイミングでした。

―  もしかしたら留学をしないという選択肢もありましたか?

村田 先輩などが留学されているのをみて、留学したいと思ってはいましたが、タイミングがずれていたら行かなかったかもしれないですね。前もって必ず留学するとは決めていなかったので、大学4年の終わりにもう一度ドゥヴァイヨン先生のレッスンを受け、ベルリン芸大を受験してよいかどうか伺い、受験が決まったときには、周りにいろいろ調整をしてもらいました。受験は年齢が若い方が良いといわれ、その当時二十三才になる直前でしたので、両親にはその日に突然、ベルリン芸大を受けるからと伝え(笑)あわただしく留学が決まりました。
 

ベルリン芸術大学
ベルリン芸術大学へ向かう道

―  ベルリン芸大は、ドイツ語の試験も厳しいですよね?

村田 その当時はドイツ語の試験がありませんでした。何か語学力を証明するものを送るようにとは書いてあったと思うのですが「学校に入学したら自分で頑張ってドイツ語を勉強します」という文書を添えて入学試験を受けました(笑)。今(2007年3月時点)は学校要綱に入学時点でドイツ語中級修了書を取得する必要があると記載されています。ただこの件に関しては状況によりますので、中級終了をお持ちでない方でも、ベルリン芸大の受験を希望される方は、学校の“ピアノ科”に直接お問い合わせいただければと思います。

―  ベルリン芸大の外国人比率はどの程度ですか?

村田 ドイツ人を探すほうが難しいですね(笑)。ピアノ科にはあまりドイツ人はいないと思います。アジア人、特に中国人や韓国人などが多いです。受験割合は、完全に韓国人が多いのですが日本人もそれなりにいます。私のクラスにも全部で二十名程度いますが、ヨーロッパ人は少しだけでアジア人がほとんどです。もちろんクラスにもよりますが、ドイツ人がいっぱいいてアジア人が少し、という状態ではなく、アジア人がたくさんいて、ドイツ人が少しという状況ですね。

―  ドイツ語で皆さん話されているのですか?

村田 そうです。

―  ドイツ語を話すけど、見た目がアジア人という(笑)。

村田 よく笑われるんですよ(笑)。中国人、韓国人、日本人などアジア人同士が話す時にドイツ語になるのですが、それを見るとヨーロッパの人達はおかしいみたいですね。

―  現在、ベルリン芸大は何名くらい受験者がいるのですか?

村田 年によってばらつきがあるのですが、受験をされる方は、少ない時で60人ぐらい、多い時だと100人ぐらいです。申し込み自体は、本当にものすごく多いです。昔のベルリン芸大は一次試験のみで合否が出たのですが、今は世界中からの受験が増えたこともあり、二次審査まであります。

―  合格者は何名くらいですか?

村田 毎年何人と決まっているわけではないので、その年のレベルによるのですが、少ない時で4名、多い時で14人位です。

―  先生の空き状況は関係ないのですか?

村田 合格不合格に関しては関係ありません。最初に、まず合否が出ます。その後、合格者に先生の希望がある場合には、その先生にご連絡して了解を得られれば受け入れてもらえます。特に希望がない場合には、学校側で担当の先生を提案します。

―  例えば、合格する方が10人いて、先生の空きが5人しかなくて、5人余ってしまうという場合はあるのですか?

村田 全体としては、絶対にどこかの先生のクラスに入れます。ただ希望の先生のクラスには入れない事がありますね。場合によっては、半年待てば卒業生が出て席に空きが出るので入学を半年遅らせる方もいます。

―  そんな事も可能なんですね。

村田 合格していれば大丈夫です。

―  皆さん、どうやって学校に入れるか(という)噂ばかりなので正確な情報は助かります。

村田 本当に噂ばかりですね(笑)。先生とコンタクトを取っていれば入れるとか(笑)。学校によってはあるかもしれないのですが、ベルリン芸大に関してはそれはありません。いくら先生と連絡を取っても入試に合格しないと入学できません。

―  皆さん、自分に都合の良いように解釈されて「こんな事をどこかで聞いたのだけど本当ですか?」と全く知らないお話しをよくお聞きします(笑)。基本は、入試を受けて合格するということですね?

村田 そうですね。先生方は、どの学生がどの先生を希望しているのか事前に分かっていますので、合格者リストから先生が学生を選んでいきます。先生は二十人以上学生をとってはいけないなどという決まりがあるわけではないので、先生の時間が許す限り学生をとることができます。
 

ベルリンフィルハーモニーホール
ベルリンフィルハーモニーホールで

―  村田さんは、すでに10年ほどドイツで生活していますが、ドイツで音楽を勉強したり活動することで良い点、悪い点はありますか?

村田 私が知っているのはドイツでもベルリンだけになるのですが、良い点というのは日本人だからあるいはアジア人だからという偏見が感じられないことです。音楽に関しては扉が大きく開かれていると思います。そこがベルリンに来てからびっくりしたところであり嬉しいところですね。

―  具体的にはどういう意味で扉が開かれているのですか?

村田 例えば学校のクラスで公の発表会というものを行っているのですが、一般のおじいさんおばあさんなどがその発表会にいらっしゃいます。音楽の好きな方がベルリンの町に溢れている様で、学校のクラス発表会がいつ予定されているかという事を特別に宣伝しなくてもお客様がご自分で探して見にいらっしゃいます。アジア人が弾こうが、ヨーロッパ人が弾こうが学校の発表会でもたくさんいらっしゃいます。そういう所が、よく言われることですが、音楽の伝統や文化がベルリンの街に染み込んでいるのでしょうね。また、教会、病院、学校、施設などでも演奏する機会は探そうと思えばたくさんあります。日本の大学にいた時は、試験の時くらいしか人前で弾く機会はありませんでした。でも、演奏家は、演奏する機会を一番求めていると思います。演奏することで学ぶことも多いと思います。そういう機会をベルリンではたくさん提供していると思います。

―  日本の場合、努力しないとコンサートや演奏機会を得るというのはなかなか難しいですよね。

村田 弾かせて頂く、みたいになってしまいますしね。

―  学校の発表会でもたくさん入るのですか?

村田 はい、本当にたくさんの方が来られます 。「今回は、誰が弾くのですか?」とお客様が聞かれます。ベルリンでは、発表会を楽しみにしていらっしゃる方がとても多いですね。

―  一般のお客さんがたくさん入るというのは、素晴らしいですね。そういう事が日本でも根付くといいのですね。逆に悪い点は、ありますか?

村田 悪い点は、受身でいたらおいていかれる、というところでしょうか。ある程度自分を主張しないと“存在”できません。黙っていても相手が分かってくれるだろうということは全く通用しませんね。
 

トリオの仲間と共に
トリオの仲間と共に

―  ドイツに留学するために重要なことは何かありますか?

村田 一番大事なのは語学です。「音楽を勉強する」ということだけであれば、一番大切な事は「良い先生に出会う」ことだと思いますので、日本でも勉強できると思うんです。「留学する意味」というのは、その土地や文化、伝統をそこに住む事で感じる事ですよね。音楽は、人間性そのものの集大成だと思いますから、人間自体の深みを増すことが一番の目的であって欲しいと思います。外国に来て初めて思ったのですが、良い悪いは別にして日本はやっぱり島国だと思いました。ほかの国と地理上接していないので、他の文化に触れる機会が非常に少なくなります。場所が変われば、文化はもちろん、人や自然、鳥のさえずりなども、同じ物であるはずなのに不思議と違って感じられます。「土地が変わる」事を体験することで、自分の視野が広がり、いろいろな文化の中で生きている人たちを肌で感じ、自分が変わっていきます。感じとるためには生活がすべての基礎になるので、言葉が重要な手段になると思います。言葉が出来るか出来ないかで、相手の心の扉を開く鍵を持っているか持っていないかほどの違いが出ます。語学を事前に勉強していないと、大学に入っても結局しばらくの間、語学学校に通うことになります。そうすると語学留学に来たようなことになるのでもったいないですよね。数年の留学期間しかないのに語学力ゼロで大学に入ると一年ぐらいは留学期間を棒に振ってしまうことも多いと思います。それではもったいないと思うので少しでも前もって語学を勉強してくる事が大事だと思います。

―  音楽をやる方は、語学はやらなくてもいいやという方が多いですよね。

村田 そうなんです。ジェスチャーで分かるんじゃないかと思われるようですが、やっぱり言葉で深いことを伝えることが多いと思います。ジェスチャーで伝わる部分ももちろんありますが、語学が分かったら、本当は先生はこんなことを言っているのになぁ、という残念な事がよくありますよね。

―  本当はもっと深いことを言っているのに、感覚や見た目で真似る事しか伝わらないということですよね。

村田 そうですね。一回のレッスンで本当にたくさんのことを勉強できるので、語学が分からないとそれは本当にもったいないと思います。
 

パスカル・ドゥヴァイヨンと
パスカル・ドゥヴァイヨンと

―  ドイツで仕事をする上で、日本人が不利な点、有利な点はありますか?

村田 先生になる事やオーケストラに入るとなると、ドイツ人に優秀な方がいればそちらの方が有利だということはありますね。ただ、演奏会となると、私が知っている範囲ではアジア人ということで不利な点はないと思います。

―  村田さんにとってクラッシック音楽は何でしょうか?

村田 私が自分らしく、素直になれ、自然でいられる場所ですね。

―  演奏している時が一番ですか?

村田 演奏にしろ、練習にしろ、音楽自体に関わっている時ですね。西洋音楽というものは、私達にとって外国人の音楽ということではなく、やはり同じ“ひとりの人間”が書いたものなので、ある程度人間として共通した何かがあると思います。楽譜から作曲家が残していったメッセージや何を言おうとしているかを読み取り、自分なりの言葉でそれを表現することで、音楽そのものからエネルギーをもらい、五感を蘇らせてもらえるのだと思います。そういう意味で、一番好きな場所ですね。

―  自分の中にエネルギーがみなぎってくるわけですか?

村田 もちろん必ずしも元気のある曲ばかりとは限らないのですが、音楽は人間の根本である五感に触れるものですよね。いろいろな意味の感性が私の中で研ぎ澄まされ、そのことによって音楽からエネルギーをもらうという事でしょうか。音楽には、どういう表情であれ、何らかの形で作曲家の思いがぶつけられていることが多いと思います。そういう意味で、音楽は人間が残した“生きたもの”といえると思います。

―  楽譜を見ていろいろ演奏していくと、作曲家のイメージが出来てきますか?

村田 そうですね。楽譜だけではなくて、その人の生きてきた道や性格など、どういう人だったかが分かってくると面白くなってきます。
 

クールシュベール夏期国際音楽アカデミー
クールシュベール夏期国際音楽アカデミー

―  今後の音楽的な夢を聞かせていただいてよろしいですか?

村田 最近は、教えることが楽しくて仕方ありません。ですので私の夢は良い指導者になるということです。演奏することももちろん楽しいので絶対に続けていきたいのですが、演奏家になるか指導者になるかと言われたら、私は指導者になる事を選ぶと思います。

―  指導者としてどのような事が面白いのですか?

村田 わが子を見るような感じで(笑)生徒それぞれの成長を目の当たりにするという点でも面白いとは思っているのですが、なによりも教えることで自分が勉強できることが凄く大きいのです。教える事は、言葉で表現する必要があり、伝える難しさがあるので、自分自身でもいろいろと考え直します。教えることは、自分が勉強させてもらうということですね。

―  自分の勉強になるということですか?

村田 勉強になります。例えば、生徒さんがある質問をしますよね。それで私がそうではなくて、こういうふうに演奏したほうが良いと思う、と言ったとしてもそれは私の感性でしかないですよね。みんな同じように感じるわけではないですから。例えば何でここを少し暗く演奏したいのかという理由がないと相手は理解できないですよね。でも、楽譜をよく見るとそこに理由がちゃんとあるんです。楽譜には作曲家のメッセージの全てがあって、それを読み取り説明できるかどうかという事でしょうか。

―  演奏だけをやっていた時は感性の部分が多かったけれど、教える場合は、音楽を違う場所から眺めるということですか?

村田 音楽に対してより厳密になりますね。感性の部分が先には立つのですが、良い指導者になるには、説明が出来ることだと思います。

―  説明できないと、生徒さんはなぜという疑問が残るわけですね。

村田 そうです。たとえば良くないことを良くないとだけ言うのは簡単ですが、その理由を説明することが大切です。説明した後は、それを生かして生徒自身が自分で判断できるようにならないといけないと思っています。

―  生徒自身が、修正された理由が分かれば、今後その人自身で噛み砕いていけるということですか?

村田 そうですね。「僕は、こう思っている」と生徒の方から話をしてくる場合もあるので、その場合には、そういう考え方もあるのかと思い更にお互いに学ぶということもあります。

―  日本人の生徒さんはいろいろ意見を言ってきますか?

村田 非常に受身ですね。「私の音楽を演奏してもらっているわけじゃないんだから」とよく言うのですが、私が言ったことをそのまま生徒に弾いてもらう場合、それは、私の演奏を私の代わりに生徒に弾いてもらう事になるので生徒にとって意味がありません。よく「何がしたいの?」「何を感じる?」と聞くと答えに困る生徒が多いです。「間違っているかもしれない」と思って、答える事を恐れてしまうんですね。「音楽にはこれという正しいひとつの答えは無いんだよ」と最近言うようにしています。もちろんベートーベンをショパンのように弾いてはいけないなど最低限の約束事はありますが、何よりもまず「どう弾きたいか」ということが、それぞれの生徒の心と頭になければいけないんです。

―  最初は、反応が無かったとしても一年位経てばいろいろ意見が出てくるようになりますか?

村田 なってきますね。私は普段生徒に質問した場合には言葉が返ってくるまで待ちます。そうすることで、考えるということを養ってもらいたいのです。こちらが何か言ってしまうと何も答えてくれなくなります。私自身もドイツに留学して最初のレッスンだったと思うのですが、先生に「もっと自分で考えてきて」と言われた時に、何を考えていけば良いのか分かりませんでした。それまで自分は下書きの絵を持っていき、先生に色をつけてもらうと考えていたんです。でもドゥヴァイヨン先生に、「自分で絵を提示してくれなければ教えられない」と言われ、目が覚めました。

―  日本の教育はどちらかというと受身ですか?

村田 人によって違うとは思いますが、先生に何か言ってもらって直すと思っている人もまだ多いと思います。判断を先生に仰ぐのです。例えばレッスンで、生徒に弾き直してもらうとします。さっき弾いたものと今弾いたものの何が変わっているかを自分で判断できない人が多いですね。弾き直してもらった後に、こちらをぱっと見るんですよ。「こちらに答えはないよ。今のは自分ではどうだったの?」と聞くと、「分からない」といいます。先生が止めれば悪く弾いた事になるし、止めない場合は良かったのかなと思うのでしょうね。それでは将来独り立ちすることができません。
 

モロッコのフェスティバル
モロッコのフェスティバル

―  夏期講習など短期で行かれる方は、特に今言われたような事が多いのですか?

村田 そうですね。教える側の立場から言うと短期で教えるのは非常に難しいです。その人と二度と会わないかもしれないので、この人の将来に大事だろうなと思われるところをすばやく見つけないといけません。去年の例では、フランスまでわざわざ講習会を受講しに来ているのに、演奏すること自体を恐がってレッスンで思うように演奏できない方もいました。「どんなことでも世の中の百パーセントの人に認めてもらえるということはない。同じ演奏を聴いても、よく言ってくれる人もいれば、けなす人も絶対にいるのだから、どうせならびくびくしないで好きなように弾いたら(笑)?」と言ってほぐしたりすることもありました。そういう生徒さんの場合は、出来るだけ対話をします。話しをするとほぐれてくるのです。音楽は人間性がどうしても演奏に出てしまいます。人間の中身が変わってくると演奏も変わってきますよね。

―  演奏には、自分の持っている内面が全部出てしまうんですね。

村田 音楽を通して、人間としての内面を高めることが最大の目的だと思っています。個人的には、有名になろうとか一旗あげようではなく、違うところに目標をおいて音楽を学んで欲しいなと思います。

―  そこで(笑)、音楽で成功する条件や秘訣はありますか?

村田 秘訣があるなら私も知りたいです(笑)。でも一つは積極性だと思います。待っているだけでは絶対駄目。駄目元で行動を起こすことが必要で、行動を起こすことにおいてはアイデアがすごく必要な時代だと思いますね。どんなものが今求められているのか、アンテナを絶えず張ってアイデアを出し、新しいものを発信していく必要があると思います。

―  今後、音楽留学をしたいと思っている方にアドバイスをいただけますか?

村田 先ほども申し上げましたが、語学は絶対に大事だと思います。それから留学する目的をきちんと考えてから留学された方が良いと思います。同年代の友達が行き始めたからと言って、焦って出ていくケースも多い様です。自分の目的が曖昧になってしまうと、留学自体を棒に振ってしまうことになりかねないと思います。慣れ親しんだ日本から離れて外国に住むということは、思ったより精神的な強さが必要だと思います。何のために留学をしたいのか最初にはっきりとした目標があって留学をされる方がいいと思いますね。

―  どうもありがとうございました。



村田先生のドイツ音大入試準備コースが開催!
詳細は下記をご覧ください。

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木下香里さん/ピアノ/ウィーン国立音楽大学アレキサンダー・ロスラー教授・アンドビジョン特別プログラム/オーストリア・ウィーン

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

木下香里さん
木下香里さん

木下香里さんプロフィール
5歳より電子オルガン(ヤマハエレクトーン)を始める。中学で吹奏楽部(クラリネット)に所属し、京都地区大会金賞受賞。高校でヤマハのアンサンブルフェスティバルでエリア大会、京都地区大会優秀賞を経て、関西大会に出場。ヤマハエレクトーン演奏グレード4級、ピアノ演奏グレード5級、指導グレード4級を取得。Jet会員。私立光華女子大学文学部英米文学科卒業。アンドビジョン特別プログラム「ウィーン国立音楽大学アレキサンダーロスラー教授 」のレッスンを受講。

—  木下さんはいつ頃、楽器を始められたのですか?

木下 小学校に入る少し前から電子オルガンをヤマハのエレクトーンで習い始め、大学在学中までずっと続けていました。レッスンには30歳過ぎまで通っていました。

—  どのような練習をされていたのですか?

木下 子どものときは音楽教室の中でグループレッスンをしていました。エレクトーンやシンセサイザーなどのキーボードで、みんなでバンドを組むような形で練習をしていました。

—  ではその頃から誰かと一緒に演奏する楽しみがあったのですね。

木下 そうですね。一緒に習っていた当時のお友達と一緒にヤマハの中の大会に出場していました。

—  どのような曲を演奏されていたんですか?

木下 小さい頃は子供用のレッスンをしていました。高校生くらいからはポピュラーな曲が多かったですね。当時流行っていたティースクエアなどのフュージョンを演奏していました。自分が好きなのは、ジャズやボサノヴァでした。そういうジャンルの曲をレッスンで演奏するようになったのは、大人になってからです。

—  ピアノの経験は?

木下 高校生のときに電子オルガンの指の練習のために少しだけ始めました。そのときは、すぐに辞めてしまったので、きちんと習ったわけではないんです。ただ、もともとピアノに興味も憧れもあったので、大学を卒業する1年くらい前(大学3年生後半くらい)にきちんと習いたいと思い始め、大学卒業後にレッスンを受けるようになりました。

—  どんな曲で練習されていたんですか?

木下 クラシック系の音楽でした。ハノンとチェルニーの30番を先生に渡されて、練習していました。曲らしい曲は弾かないで、ソナチネくらいから始めましたね。

—  それからはピアノを続けていたんですか?

いえ、この時期にヤマハの演奏グレード5級を取得して辞めました。いままでエレクトーンでポピュラー音楽を演奏していたのとはだいぶ違い、ピアノでは思うように進まなくて……。それで長い間ほったらかしにしていたんです。

—  もう一度、ピアノをされようと思ったきっかけはなんですか?

木下 たまたま、前のエレクトーンの先生がピアノのレッスンもされていることがわかり、このまま中途半端で終わるのは嫌だなと思っていたので、もう一度やり直してみようと思ったんです。一度、挫折してから再開するまで、けっこう間が空いていたんですが。

—  ピアノをきちんとしたいという気持ちはずっとあったんですか?

木下 そうですね。中学のときにブラスバンドをやっていたので、クラシックはたくさん聴いていて大好きだったんです。ただ、当時は同時にビートルズなども聴くようになって、エレクトーンがポピュラー音楽に適した楽器だったこともあり、そちらばかりになってしまっていったんですね。クラシックに興味がなくなったわけではないんですが、なんだかしっくりこなかったんです。なので、ピアノを再開したのは、その先生との出会いがやはりすごく大きいですね。やってみようかな、という気持ちにさせてくださるような先生だったんです。

—  背中を押してくれたんですね?

木下 ピアノのレッスンはこういうレッスンだと思っていたのとは、まったくちがうレッスンだったんです。鍵盤はいっぱい触っているのにピアノの経験はない、なのに変に知識があって、和声もわかって、楽譜も読める、でも弾けないという障害がずっとあったんです。テクニックを練習すれば弾けるのかと思いきや、テクニック、イコール曲を弾くことには結びつかなかったり……。そんなときに、先生が「テクニックにばかりこだわらなくても、1曲を練習していく中で自然とテクニックが身に付いていくことはたくさんあるから、曲をいろいろと研究するのがいいんじゃないですか」と方針を示してくださったんです。
 

シューベルトが『菩提樹』を作曲したゆかりの木の下で
シューベルトが『菩提樹』を作曲したゆかりの木の下で

—  今回、留学をピアノでされようと思ったきっかけは何ですか?

木下 現在先生についてから、もう一度日本の社会人を受け入れてくれる音大を受験しようかと思い先生に相談しました。先生から、同じエネルギーを使うならウイーンで短期でも講習会でも参加される方が良いかと思います・・とおっしゃってくださった事がきっかけでした。

—  留学先の先生を選んだきっかけは何ですか?

木下 ぜんぜん先生の知識がなく、選ぶ基準も分からなかったので、アンドビジョンさんに勧めてもらったことと、ホームページに載っているプロフィールとお写真を見てインスピレーションで決めました(笑)。

—  インスピレーションで決められたというのもすごいですね。

木下 いまの日本の先生に「文章と写真を見て感じた感覚も大切にされたほうがいいですよ」と言われたのも大きかったですね。

—  お会いしてみていかがでしたか?

木下 気遣いをしてくださるとても温かい先生でした。初めてのレッスンがウィーンについた翌日だったのですが、「初めてのウィーンはどうですか?」とか「昨日はぐっすり眠れたの?」とか、ちょっとした会話で私の緊張をほぐしてくれるような言葉をかけてくださる方でした。

—  レッスンの内容はいかがでしたか?

木下 決して甘くなく、きちんと指導してくださいました。一番印象に残っているのは、精神面と健康面のお話です。ピアノを弾く心と身体のあり方というのをお話してくださいました。やはりピアノはパフォーマンスで人に聴かせるものだから、弾いている本人が緊張していたり、窮屈な気持ちで弾いていたりすると、聴いている方はもっと窮屈だし、決して気持ちのいいものではなくなってしまう。聴いてくれる人にもっと居心地よく気持ちよく聴いてもらうには、まず自分がリラックスした心と居心地のいい精神状態とでなければいけない、と言われました。それから、座ったときの姿勢も教えてくださって、体全体がリラックスした状態で弾くべきだということも教えくださいました。

—  なるほど。

木下 多くの生徒さんがそうで、君だけじゃないけど、急いで上手になりたいとバーっと弾いてしまうけれども、それは本人も聴いている方も決して気持ちのいいものではないから、そうではない正しい練習の方法を意識しなければいけない。それは遠回りに感じるかもしれないけれども、一番確実に少しずつできる練習方法だよ、と言って、レッスンも本当に丁寧に指導してくださいました。基礎の練習、曲を弾く前の練習、曲を1曲ずつ仕上げていくときの練習、とひとつずつ教えてくださって、それは本当に目からウロコでした。

—  先生のプロフィールにも丁寧な指導、とありましたが、その通りだったんですね。

木下 そうですね。最後に先生は、「本当は君と『ここはどういうふうに弾く?』とディスカッションしながら弾きたかったけど、時間もないので僕が一方的に言ってしまったけどね」とおっしゃっていましたが、その言葉からも未熟な私のことも本当に尊重してくださっているのは、伝わってきました。

—  レッスン中、先生が弾いてくださることはあったんですか?

木下 ここは上手く弾けない、指使いが分からない、腕の使い方がよくないといったときは、先生が見本を示してくださいました。初めて先生の音を聴いたときは、クリアできれいで涙が出てきました。先生自身がおっしゃるように、リラックスして弾いてらっしゃるんでしょうね。

—  他にはどんなことが印象に残っていますか?

と木下 初めて両手で弾くときに「何も考えないで弾いて」と言われたのが印象に残っています。それまで、あれこれ考えて練習をしても、「曲を弾くときは何も考えないで気持ちよく弾いて」と。そのときは先生の言ってらっしゃる意味がすぐには分からなかったのですが、練習を重ねるうちに、気持ちよく弾くっていうのはこういうことなのかなという瞬間が少しだけ分かりました。

—  あとからきいてくるレッスンだったんですね。

木下 そうですね。先生が言われたことを思い出しながら練習するようになりました。

—  レッスンは通訳なしで受講されたんですよね?

木下 はい、英語で受講しました。先生の英語は流暢でした。私は長い間、話していなかったので、言われることはわかるんですが、こちらの意思を伝えるのがなかなか難しかったです。それでも、先生は「焦らずにゆっくり話してくれればいいからね」とおっしゃってくださったので、英語で困るということはあまりありませんでした。

—  英語の勉強は日本でされていきましたか?

木下 今回の留学に合わせて勉強することはありませんでした。大学は英文科だったのですが、やはり文学が中心で話すというのはそんなに得意ではなかったんですが、卒業後、オーストラリアに何度か留学したので、そのときの経験や勉強したことが活かせたと思います。

—  ドイツ語は勉強されていったんですか?

木下 そうですね、挨拶や地名や本当に簡単な単語だけ覚えていって、英語が通じないときに使ってみましたが、発音が悪かったようで通じませんでした(笑)。

—  ウィーンの街の方はどうでしたか?

木下 みんな親切にしてくださって、道に迷ったときに教えてくださったり、駅で迷っていてもどの電車に乗ってどこで降りたらいいかまで教えてくださいました。

—  英語で会話されたんですか?

木下 はい。ウィーンの方は、10人中8人くらい英語が話せる思います。

—  日本人の方はいましたか?

木下 観光で来ている方には会いましたが、そこに住んでらっしゃる方には会いませんでした。飛行機の中ではたくさん日本人の方がいたのですが、ウィーンに滞在される方ばかりではなかったようです。

—  練習室はいかがでしたか?

木下 20時間取ったうち、16時間使用しました。練習時間は少し足りなかったです。私は日本ではあまり練習できないので、本当に練習が楽しくて少し物足りなかったです。でも先生からは、せっかくウィーンに来たのだから街を観光して楽しまないと、と言われたこともあって、練習は我慢して、午後からの半日観光に参加したりしました。

—  観光はどちらに行かれたんですか?

木下 ウィーンの森のほうに行きました。シューベルトの菩提樹の曲ができたゆかりの土地やアルプス山脈の端の丘になっているところにあるお城に行きました。あとはカフェに行って、おいしいコーヒーを飲みました。コーヒーはとてもおいしくて、泊まったホテルの朝食に付いてくるポットに入ったコーヒーさえ、本当においしくて朝から3杯くらい飲んでいました(笑)。

—  宿泊先のホテルはどんなところだったんですか?

木下 私は知らなかったのですが、ボティーフ教会というところの近くにあって、現地の方や先生にお聞きしたのですが、とても歴史のあるホテルだったようです。観光のときのガイドさんも、調度品が全部本物なんですよ、と言っていました。階段が螺旋階段だったり、全体的にクラシックなところでした。

—  サービスはどうでしたか?

木下 フロントの方はみなさんとても礼儀正しかったです。日本のホテルマンのようなサービスとは少し違うんですが、せかせかした感じはないのに、テキパキと対応してくださり、とても上品だなと感じました。

—  お食事を外で取られることはありましたか?

木下 はい。近くにシュタインがあって、そこはウィーン大学の学生さんも多く気軽に食事ができるお店だったので何度か行きました。

—  お値段はいくらくらいですか?

木下 スープとパスタで5.3〜6ユーロくらいでした。それにコーヒーをつけると8ユーロ、ドルチェもつけると10ユーロくらいですかね。食べ方にもよると思いますが、けっこうボリュームがありましたね。一人だとたくさん食べられないので、何人かで取り分けて食べるのと違って、けっこう胃が重たくなる感じでした。

—  何かオススメの食べ物はありますか?

木下 飲み物はやっぱりコーヒーですね。あとは、ザッハ・ホテルの元のカフェ・ザッハのチョコレートケーキは本当においしかったです。純度の高いチョコレートでした。それから、先生のおすすめで食べたアップル・パイもとてもおいしかったです。

—  ホテルとレッスン会場の行き来はどうされていたんですか?

木下 地下鉄で移動していました。とても丁寧に時刻表までいただいたんですが、本数が多いので、時刻表を見る間もなく(笑)、電車が次々とホームに入ってきました。

—  地下鉄の駅はきれいでしたか?

木下 それは路線によると思います。私が利用していたのは、大学に行く路線だったのですが、その線は比較的、駅も中もきれいでした。ただ、旧市街に行く路線は車内に落書きがあったり、オペラ座の駅は長い地下道に様々な人種の人がいて、地下道なのに煙草を吸っている人もいたりして、私の受けた印象は、あまりいいものではありませんでした。留学前に、スリに気をつけて、とは言われていたのですが、多分、スリの被害に遭うのはこのへんかな、という感じがしました。ただ、こちらが警戒していれば、被害に遭うことも少ないと思います。

—  海外の方とうまく付き合うコツはありますか?

木下 笑顔で受け答えすることが一番大切だと思います。それから、恥ずかしがったり目をさらしたりせずにはっきりと挨拶をしたり、心をこめて伝えることが大事だと思いました。意思を伝えるときは、遠慮をしないでひるまずにはっきりと伝えることも重要だと思います。

—  留学して良かったと思える瞬間はどんな瞬間でしたか?

木下 音楽レッスンではロスラー先生から最初と最後に貴重なお言葉をいただいたことです。音楽以外では、人との出会いです。道に迷ったときにタバコ屋のおじさんが親切に教えてくれたり、現地の方がカフェで話しかけてくれたり、親切してくださったり。あとは向こうで出会った日本人の人とは、今でもご飯に行くことがあります。そういうたくさんの出会いがありました。

—  1週間でいろんな方に出会えたんですね。

木下 そうですね。他にも車イスで旅行をしている人を見かけてエネルギーをもらったり、就職したのに仕事を辞めて、建築や美術を見に来ている人を見てバイタリティがあるなと感じました。

—  留学して変わったことはありますか?

木下 すごく人に感謝するようになりました。向こうで出会った方や助けてくれた方はもちろんですが、行く前にサポートしてくださった方や、日本の先生がいらっしゃるからこそ、充実した留学ができたんだなと思うようになりました。音楽をする上では、意識改革ができたことが大きかったです。日本にいるときは考えたこともなく、テクニック重視になっていたのですが、「内面的な部分を大切にしてレッスンを続けてください」とロスラー先生に言われたことで、ピアノに向かう姿勢が変わりました。

—  留学前にしっかりとやっておいたほうがいいことはありますか?

木下 先生とのコミュニケーションをしっかり取りたかったら、やはり英語を学んでいくことだと思います。言葉がわかれば、ダイレクトに先生とお話できると思います。向こうでしたこいとをきちんと考えておいたり、行く前に不安だなと思われることを調べておくなどして解消するようにしていけばよいと思います。

—  今後、どのような音楽活動をされていきたいですか?

木下 また機会があれば、講習会に参加したいと思います。講習会に参加して、いろんな方と演奏したいと思います。これからも自分のペースで続けていきたいと思います。

—  今日は本当にありがとうございました。

石橋幸子さん/ヴァイオリン/チュ-リヒ・ト-ンハレ管弦楽団/スイス・チューリッヒ

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回スイス・チュ-リヒ・ト-ンハレ管弦楽団でご活躍中の石橋幸子(いしばしゆきこ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2009年8月)


ー石橋幸子さんプロフィールー

チュ-リヒ・ト-ンハレ管弦楽団石橋幸子さん
石橋幸子さん

大阪府出身。桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコ-ス首席卒業。1997年リュ-ベック音楽大学に留学し、ザハ-ル・ブ口ン氏に師事。1999年よりチュ-リヒ音楽大学大学院にて ジョルジュ・パウク氏に師事。仙台国際音楽コンクール、クライスラ−国際コンクール入賞他、ドットバイラー国際コンクール、モーツァルト音楽コンクール、キバニス国際室内楽コンクールで共に第1位受賞。青山財団より「青山音楽賞大賞」受賞。現在、ディビット・ジンマン率いるスイス・チュ-リヒ・ト-ンハレ管弦楽団に在籍し、08/09シーズンは第2コンサートマスターとして活躍中。


-まずは、簡単なご経歴を教えてください。

石橋  5歳からバイオリンを始め、桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリストディプロマコースを卒業しました。その後、リューベック音楽大学に留学したのち、チューリヒ音楽大学院を卒業しました。現在は、スイスのチューリヒ・トーンハレ管弦楽団に在籍し、ヨーロッパでの活動を中心としながら、日本国内でも、定期的に演奏しています。

-バイオリンを始めたきっかけは?

石橋  母が声楽家でしたので、子供達にも音楽を学ばせたい、という気持ちがあったようです。私には1歳年上の、現在はビオラ奏者として活躍している姉がおりまして(石橋直子氏)、私が物心つく頃には、すでに彼女がバイオリンを弾いていました。それを見て、私もやりたいと言って始めました。

-ご自分で、バイオリンを選ばれたんですか?

石橋  そうらしいです。姉が練習している姿を見て、自分も弾きたいと言ったようですが、全く覚えていません(笑)。小さい頃って、よく子供達は何でも真似から入りますよね。私もそこから始まったのだと思います。

パールマン氏とお手て比べ!
パールマン氏とお手て比べ!

-では、ご家族の影響が大きかったのですね。小さい頃から、クラシックに親しまれていたんですか?

石橋  そうですね。母はオペラ歌手として沢山のコンサートに出演していましたし、父親もクラシックが大好きで、自分でレコードを聴きながら指揮をしていました。父の車の中では、いつもビバルディの「四季」の音楽が流れていて、私たち姉妹はそのような環境から、すんなりとクラシック音楽を受け入れていましたね。


-高校から、桐朋の音楽科に進まれたということですが、ご自身で進路は決められたのですか?

石橋  はい。私は小学6年生から中学2年生の頃まで、東京と大阪を往復して、東京芸術大学の(故)田中千香士先生に月1回レッスンを受けていたんです。日曜日は始発で東京へ、という生活をしていたので、大阪から離れることにも抵抗がなく、自分が行きたい学校へ行こうと思っていました。

-では、この頃からすでに、将来は音楽家の道に進もうと思われていたのですか?

石橋  目標を持ち出したのは、高校に入ってからです。周りのレベルがすごく高くて、自分もこの中の一人なんだと自覚したとき、このままではいけないと痛感しました。視聴覚室にこもっては、いろいろな方の演奏を聴いて参考にしたり、興味のあるコンサートには出来るだけ行きましたし、自分の練習を怠ることは出来ないので、朝5時の始発に乗ってよく通学していました。今思えば、高校生の時が一番練習をしてましたね。すべてを吸収したいという気持ちで、努力を惜しまずに取り組んでいましたから。・・・若さですね(笑)。

-その頃は、一日にどのくらい練習されてたんですか?

石橋  週末は、8時間練習をしてました。平日は、だいたい5時間くらいだったでしょうか。

-8時間! 周りの学生さんも同じくらい練習されていたのですか?

石橋  具体的には覚えてませんが、みんな頑張ってましたね。

-そのまま大学に進まれて、卒業後に、リューベック音楽大学に留学されましたね?

石橋  はい。桐朋で私が専攻したソリストディプロマコースというのは、特殊なコースなのです。バイオリンの実技試験で、決められた一定の得点以上を何回も持続できれば、最短3年で卒業できるというコースなのです。ソリストを育成する場所でしたから、学科はある程度免除されましたが、とにかくバイオリンの演奏に秀でていないと卒業できない、という学部でして。幸運にも私の場合も、3年で卒業できて、その年に21歳でドイツに留学しました。

-素晴らしいですね!では、ずっと良い成績をキープされてたということですね?

石橋  決して簡単ではなかったんですよ。高校時代からの6年間、良い成績というよりも、思うような演奏が出来ずに、たくさん挫折もしました。大事な場面で緊張しすぎたり、自分の力が出せなくなってしまった時期もありました。だから、とにかくたくさん練習して、常に自分の弱い部分を克服出来る様、格闘していくしかなかったんです。ですから、表面的には、高校もソリストディプロマコースも首席で卒業しましたが、そこに辿り着くまでは決して楽な道ではなかったんです。

-厳しい努力のたまものだったのですね。

石橋  そうですね。実際先生から、「キミは、精神的に弱い部分があるから、少し修行をするとか、座禅を組めば!」と言われたこともあるんですよ(笑)。その言葉で、これではいけない、何とかせねば!と思いましたね。それ以来、練習以外にも書物を沢山読んだり、周りの友人や先生からも助言をいただいた、とにかくトンネルの中を必死でさまよいながら、光を探していた感じです。ですので、当時を振り返れば、全く順風満帆ではなかったんですよ(笑)

-練習を重ねたり、書物を読んだりすることで、緊張や精神面の弱さを克服できたということですか?

石橋  はい、少しは!(笑) でも、今だに格闘してますよ!一つの事がクリア−出来たら、また新たな壁が見つかるので‥(笑) それに、コンサートでは毎回新しい課題が出てきます。ですので自分をどの様な状況に持っていくと、一番ベストな演奏が出来るかというのを、毎回のコンサートで見つけ出している感じです。経験を積みながら、少しずつ成長していければ嬉しいですね。

-さて、留学に関してですが、具体的に留学を意識し始めたのは、いつごろですか?

石橋  ソリストディプロマに入って2年目のとき、ロシア人のブロン先生に出会いました。当時先生は、たびたび来日されていて、私も何度かレッスンを受けていました。そしてそのレッスン内容がとても素晴らしかったので、1年以上かけて、「卒業後は、ぜひ先生のもとで勉強したい」という強い気持ちを、お伝えし続けたんです。そして、先生が受け入れて下さることになりまして、出会って2年後に留学という形になりました。

-留学するに当たっては、先生としっかり意思疎通をとっておくことも大切なんですね。

石橋  ええ。私のところに、留学の質問をしに来る方もいますが、私が言えることは、習いたい先生がいるのであれば、その先生ときちんとコンタクトを取っておくべきだ、ということです。その先生のところで学びたい、という自分の意思をしっかり伝え、先生にも、育てたいという気持ちがあるかどうか、きちんと確認をとっておくべきだということです。そして、その時点で、クラスでの順番待ちの人がいる場合もありますから、空いている枠があるかどうかも確認しておかなければいけません。渡航したは良いけれど、習いたい先生に習えなかったり、やりたいことができずに、宙ぶらりんになってしまう人も多いですから。

-それは、非常に重要なことなんですね。

石橋  はい。と言いつつ、私の場合、ブロン先生のところには数ヶ月しか勉強出来なかったんです。実は、肘を壊してしまって・・・。腱鞘炎にかかり、全く弾けない状態になり、休学することを余儀なくされました。そして、日本に戻って数ヶ月治療に専念しました。

-そうだったんですか。弾けないという状況は、お辛かったでしょうね・・・。

石橋  そうですね。それまで、挫折はたくさん経験しましたが、あの状態まで弾けなくなったことはなかったので、本当に厳しくて大きな試練でした。

チューリッヒ市内
チューリッヒ市内

-それでも、海外で勉強することを諦めずに、再挑戦されたんですよね。

石橋  やっぱり、音楽の基本は、ヨーロッパだと思っています。これは、ヨーロッパに住んで約10年経った今でもそう感じます。日本にいて、本や資料で勉強したり、口で説明を受けても、やはり肌で触れてみないと分からないことが多々あると思うんです。たとえば、バロック音楽にしても「なぜ教会で、なぜあの奏法で弾かなければいけなかったか」というのが、その教会に立って空間を感じるだけで理解できることもありますから。ですので、ヨーロッパに身を置いて、自分自身で体感したいと思ったんです。実際、休学してから1年間は、先生を探しにヨーロッパを周り、そして肌で音楽を吸収することに専念しました。オーケストラのコンサートを聴きに行ったり、バイオリンに限らず、いろいろなレッスンも聴講したり、音楽家が住んでた場所を訪ねる旅もしました。

-強いお気持ちがあったのですね。では、次のパウク先生とは、どのように出会われたのですか?

石橋  実はパウク先生との出会いは16歳の時でした。パウク先生が、桐朋でのマスタークラスを聴きに来られた時、「もし海外で勉強したいのであれば、是非僕のところに来なさい!」と声をかけて下さっていたんです。しかし、すぐに先生のところへ飛び込んだわけではありません。まず、先生の講習会に参加して、「本当にこの先生に習いたい!」という確信をもってから、パウク先生に私を生徒にしていただけるかお尋ねをしました。腱鞘炎の事も含めて、今までの事情や自分の強い気持ちをお伝えして、先生のお話やレッスン内容の素晴らしいさを体験した上で、この先生となら絶対信頼関係を築けると思えた時点で、チューリッヒに移る事を決意しました。

-やはり、留学する上で、良い先生との出会いというのは、本当に大事なんですね。

石橋  その通りです!留学には、良い先生を探すことと、強い意志と目標を持つことが、とても大事なんです。これがなければ、海外で生きていくことは難しいですよ。実際、挫折して帰国する人も、たくさん見てきました。事前に先生と連絡を取り合って、きちんと受け入れ先を見つけることと、ある程度の語学は身につけてから渡航する、ということも大切です。また、私の経験からいっても、奨学金制度があるのであれば、出来るだけチャレンジしたほうが良いと思います。

-ちなみに、ドイツ語はいつごろから勉強をされていたのですか?

石橋  留学の1年前から勉強を始めましたが、結局まったく通じませんでした。それで、後々かなり苦労しましたね。最初の頃は英語でコミュニケーションを取っていたんですが、やはり、だんだんドイツ語を話す必要性が出てきました。そこで、ドイツ語の集中講義を受けたのですが、コンクール前など、とにかく練習したい時期に、講義に時間を取られたりして、非常に辛かったです。留学1年前に始めても遅かったくらいですから、この先、留学を考えているのであれば、語学の勉強を始めるのは、早いに越したことはありません。

-リューベックやチューリッヒに入学されたときは、語学力を問われたりはしなかったのですか

石橋  リューベックのときは、勉強をしたという証明書が必要でしたね。チューリッヒは、ドイツで勉強していたという経歴があったからか、免除されました。

-やはり、言葉は出来るに越したことはないですね。

石橋  本当にそうです。10年経った今でも、まだまだ苦労していますので!早ければ早いほうがいいです。そして、英語も少しは理解出来ると役立ちますよ。

チューリッヒ市内
チューリッヒ市内

-では、チューリッヒに行かれてみて、ドイツとスイスで、音楽の勉強の仕方に違いはありましたか?

石橋  国による違いというより、習った先生の違いでもあるんですが・・・。ブロン先生からは、ピエロ的な要素を学びました。誰もが想像のつかないような、ニュアンスの取り方や、間の取り方などです。パウク先生からは、音楽性の導き方や演奏技法、曲の様式観を学びました。どのようにしたら、自分の味や音楽性を活かして表現ができるのか、ということも多く学びました。それぞれの先生から、違った部分を学べて、本当に幸せでしたね。

-素晴らしい先生方に出会われたんですね。

石橋  はい。留学して、まず大切なのは「音楽」だ、ということを学びました。流れを感じ、自分の心からあふれ出てくる歌を信じて、そのまま弾けばいいということです。テクニック的なことは、あとで補っていけるものですから、小さいことを気にせず、まず弾いてみる。パウク先生の生徒は、みんな違ったカラーを持っていて、私も私自身の個性をのばしていただきました。そして自分の味を活かしつつ、のびのびと演奏ができるようになりました。

-どれくらいの期間、パウク先生に師事されたのですか?

石橋  1999年から2003年までです。

-そのあとに、管弦楽団に入団されたんですね。これはどういったきっかけですか?

石橋  やはり、最終過程を卒業すると、日本に完全帰国するか、現地で働く場所を探すか、という選択をせまられます。私はまだまだヨーロッパで学びたかったので、もしオーケストラに入れば、また新たな発見があるのではないかと思いまして・・・・。最初は、とりあえず試用期間の1年間だけやってみよう、と思って入団しました。でもそこで素晴らしい方に出会ってしまい、スイスに残る事を決意しました(笑)

-採用試験は、募集広告が出ていたんですか?

石橋  はい。トーンハレは毎回応募人数が多いのですが、その時も200人くらい応募があったようです。そこからまず書類選考で人数を絞り、私の受けた時は1次試験に37人参加し、2次試験で5人になり、3次試験では3人だけが残りました。最終試験では、オーケストラの曲以外に初見もありました。その結果、運良く受かることが出来ました。

-審査員は何人いらっしゃるんですか?

石橋  オーケストラメンバーは約100人いるんですけど、その中のだいたい30~40人は審査に入ってます。1次試験は、誰が審査しているのか見えない形式なのですが、2次審査からは、ずらりとならんだ審査員の前で弾くことになります。かなり緊張する場所でしたね(笑)

-30人もいたら緊張しますよね。

石橋  はい。しかも、全員しかめっ面で、ジーっと見てますからね(笑)

-日本人が認められて、採用されると言うのは難しいと思うんですが、いかがでしょう?

石橋  たとえば日本人とドイツ人が同等の力を持っていたら、絶対ドイツ人が採用されると思うんです。ですのでそこで勝つには、個性が必要なのだと思います。私の場合は、自分の良さを伝える表現方法の一つとして「歌心」が自分にはあると思っています。ですのでいつも演奏する時、「皆さん、今日はこの場所で私の演奏を聴いてくれてどうもありがとう!」と、常に感謝しながら演奏しているんです。ちょっとでも、自分の良さというか、自分自身の個性を信じた演奏し、それが相手に伝われば、どんぐりの背比べの中でも、ピカッと光れる思います。

-技術以外で何かコツはありますか?たとえばコミュニケーション能力や語学力とか。

石橋  入団する際は、全く必要ありません。

-完全に実技の力だけを評価されるということなんですね。

石橋  はい。でも入団後は、1年もしくは2年、試用期間があるのですが、この間にドイツ語が出来ない人には、ドイツ語学校に通うように指示をいただきます。しかし最近はどこのオーケストラもインターナショナルになっていて、最低限の会話が出来れば、それほど厳しくその国の言葉を要求されることはなくなってきたと思います。

トーンハレ管弦楽団リハーサル(指揮パールマン氏)
トーンハレ管弦楽団リハーサル(指揮パールマン氏)

-試用期間後、続けられない方もいるわけですよね?その際の審査の基準は?

石橋  まずは実技が中心ですから、その1年間は常にベストを尽くし、よく準備をして本番に備える、というのが最低ラインです。あとは、人間性も必要になってくるのでしょうね。私がいつも心がけているのは、どこの国のどんな国民性をした方でも、誠意を持って接しようということです。たとえば、ドイツやスイスでは、自己主張のハッキリしている方が多いので、そういう場では、私も言いたいことをきちんと主張します。日本人らしく、ニコニコと大人しく話しを聞いているだけだと、「何を考えているかわからない」と言われて終わりです。言葉が流暢でなくても、きちんと誠意を持って対応することを心がけるようにすれば、自分の人間性を理解してもらえるのではないか、と思います。

-ところで石橋さんは、音楽的な問題にぶつかったときの解決は、ご自身で解決されますか?それとも誰かにアドバイスを求めますか?

石橋  まずは自分で解決法を見つけます。それでも何も見えてこなかったら、周りの人に聞きます。学生時代は、自分で考えた上で、「先生だったら、どのような解釈をされますか?」っと質問していました。そして、違った方向から光が見えてくる時もありました。

-新しい曲に取りかかる時もそうですか?

実は大学生の頃、桐朋の大先輩の指揮者の小澤征爾先生にお会いしたときにお話を伺ったんです。「先生は新しい曲を始めるとき、どうやって勉強されるんですか」って。先生がおっしゃるには、「まず自分でスコアを読んで勉強する」ということでした。「他の方のCDとかは聴いたりしないんですか?」と伺いましたら、「もちろん、聴かない。自分でまず勉強しておかないと、周りの音楽から影響されてしまって、他人の音楽になってしまうから。」と教えていただいたんです。これを聴いた瞬間、目からウロコが落ちました。その頃の私は、まずいろんな方のCDを聴くことから始めていたんです。でも、そのお話を伺ってからは、まず自分で楽譜を読んで、考えるようになりました。もちろん、3倍も4倍も時間はかかります。道が開けないようなときでも、何ヶ月も時間をかけて、迷いながらも自力で仕上げてみるんです。その後で、先生に意見を求めたり、他の演奏を聴いたりと、アドバイス要素を入れるんです。そうすると、根の部分は自分の音楽で固められているわけですから、ぶれることはありません。

-なるほど。先入観をもってしまうと、自分の音楽が作りにくくなるでしょうからね。では、海外留学をして、オーケストラに入りたいという方にアドバイスをいただけますか。

石橋  常に自分がどうありたいか、強い志を持って楽器に触れることですね。努力をし続ける強い精神力と、覚悟を持って始めてください。

ご主人のアンディーさんと共演
ご主人のアンディーさんと共演

-やはり信念を持たないといけないですよね。

石橋  はい。強い信念を持っていれば、一度は海外に住んでみるのも悪くありませんから!しかし永久に住むとなると色々と大変ですけども(笑)。未だに私の場合、日本に着いた瞬間、ほっとして心からリラックスしているのが分かるんです。ヨーロッパにもう10年も住み、既に慣れたとはいえ、やはり異国は異国なんですね。ずっとこちらでは私達は外国人なんです。ですので本人の希望があるのであれば、ヨーロッパ留学は本当にお勧めしますが、しっかりと心の準備をしてきてほしいです。

-石橋さんご自身は、信念が揺らいだことはありましたか?また、そのときはどうやって克服しましたか?

石橋  先ほどお話したように、一度腕を壊して帰国したのですが、その時はそのショックとホームシックもあり、一度自分を守ってあげられる場所に体を戻すことで、「怪我しちゃったけど、でも良く頑張ったね」と言い聞かせ、精神的にも落ち着け、肉体的にも解放できる環境を自分で作りました。その上で、改めてしっかりと自分の気持ちに向き合いました。そして、やはりもう一度勉強したいと強く思いましたので、再びヨーロッパに戻ったんです。でも、実際は留学というのは学びに行くことですから、先生との関係がとても大事です。先生との信頼関係がしっかりできていれば、相談も出来るし、アドバイスもいただける。乗り越えられる部分は大きいですよ。

-それでは、石橋さんにとってクラシック音楽とは、何でしょうか?

石橋  ええっ!それは難しい(笑)。 ・・・結局、やっぱり「私自身」なのかな。楽器を使って「心」を伝わる、自分からのメッセージなのでしょうか。

-これからも、スイスと日本を拠点に活動されていくかと思いますが、音楽家として今後の夢はありますか?

ご主人のアンディーさんと。
ご主人のアンディーさんと。

石橋  これまでの音楽人生で、沢山の事を学び、体験でき、とても幸せでした。それを今度は、私が色々な方々に伝えいく番だと思っています。
バイオリンを通じて今後も、感謝の気持ちや喜び、そして悲しみ、いろいろな表情の「心からの音楽」を皆さまにお伝えていきたいです。

-これから留学を考えているみなさんにとって、すごく貴重なお話でした。今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました!

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石橋幸子さんの今後の活動は下記のホームページでご覧になれます。
http://www.yukikoishibashi.com

コンサート情報
2013年10月7日  京都 カフェ モンタージュ 20時開演 (問い合わせ先 075-744-1070)
弦楽三重奏コンサート
ドホナーニ 弦楽三重奏 ヘンデル(ヘルバーソン編曲)パッサカリア (vl&va)
ベートーベン 弦楽三重奏 0p、9-1

石橋幸子 ヴァイオリン
石橋直子 ビオラ
五味敬子 チェロ

2013年10月10日 名古屋 花山音楽プラザ 1F ロビーコンサート 18時30分開演 入場無料 
石橋姉妹による弦楽三重奏コンサート

シューベルト 弦楽三重奏 D.471
ヘンデル(ヘルバーソン編曲)パッサカリア (vl&va)
ドホナーニ 弦楽三重奏
モーツァルト ビオラとチェロの為のソナタ K292
ベートーベン 弦楽三重奏 0p、9-1

石橋幸子 ヴァイオリン
石橋直子 ビオラ
五味敬子 チェロ

2013年10月13日 名古屋 電気文化ホール 14時開演 入場料3000円
(問い合わせ先 Jプロジェクト 090-5439-8821)
石橋直子トリオコンサート

シューベルト 弦楽三重奏 D.471
ヘンデル(ヘルバーソン編曲)パッサカリア (vl&va)
ドホナーニ 弦楽三重奏

モーツァルト ビオラとチェロの為のソナタ K292
ベートーベン 弦楽三重奏 0p、9-1

石橋幸子 ヴァイオリン
石橋直子 ビオラ
五味敬子 チェロ


2013年10月14日 豊中 フェリーチェホール 14時開演 
石橋姉妹による弦楽三重奏コンサート 
問い合わせ先 090-9888-1017

シューベルト 弦楽三重奏 D.471
ヘンデル(ヘルバーソン編曲)パッサカリア (vl&va)
ドホナーニ 弦楽三重奏

モーツァルト ビオラとチェロの為のソナタ K292
ベートーベン 弦楽三重奏 0p、9-1

石橋幸子 ヴァイオリン
石橋直子 ビオラ
五味敬子 チェロ

大島莉紗さん/ヴァイオリン/パリオペラ座/フランス・パリ

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回パリ・オペラ座管弦楽団でご活躍中の大島莉紗(オオシマリサ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2009年12月)


ー大島莉紗さんプロフィールー

大島莉紗さん
大島莉紗さん

桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリストディプロマコース終了。文化庁在外派遣研修員として英国王立音楽大学大学院に留学し、フェリックス・アンドリエフスキー氏、トーマス・ツェートマイアー氏に師事。在学中、女性として初のユーディ・メニューイン賞をはじめ、ヴァイオリンにおけるすべての賞を受賞。ローム・ファンデーションなどから奨学金を受け、過去最高点の首席で卒業。第18回リピツァー賞国際ヴァイオリンコンクール入賞優勝などを始め、数々のコンクールに入賞。ルーマニア・モルドヴァ交響楽団、仙台フィルなどと共演他、音楽祭での演奏多数。2002年ドイツ・ラインランドファルツフィルハーモニー管弦楽団を経て、2003年パリ・オペラ座管弦楽団に入団。また、ロンドン・フィル客演首席奏者として、ロイヤルフェスティバルホールなどで定期公演などに参加。パリ・オペラ座を拠点に、ヨーロッパ各地で、ソリスト・室内楽奏者として多彩な活動を展開している。現在、パリ在住。


-まずはじめに、簡単なご経歴をお願いします。

大島  桐朋女子高校を卒業して、桐朋大学のソリストディプリマコースを修了したのち、イギリスのロイヤルカレッジの大学院に留学しました。その後、ドイツのラインランドファルツフィルハーモニーに入りまして、その後パリのオペラ座に籍を置いて現在に至っています。

-素晴らしいご経歴ですね。イギリスに留学しようと思ったきっかけは何だったんですか?

大島  イギリスにつきたい先生がいらしたので。フェリックス・アンドリエフスキー 先生という方でした。

-その先生とは、どうやって出会われたんですか?

大島  もともと留学したいとは思っていたんです。実は、最初、講習会で出会ったオーストリアの先生につきたいと思っていたのですが、その方がご病気になられてしまって・・・。なので、また探し始めたのですけど、たまたまその時期に、国際コンクールを受けたんです。そこで、同じコンクールを受けていた素晴らしい演奏をなさる方と出会ったんですけど、その方が習っているのが、アンドリエフスキー先生だったんです。そこで、先生に興味を持ちまして、連絡を取ったところ、講習会にいらっしゃいと先生に言っていただいたので、夏期講習に参加しました。それがきっかけですね。

-そもそも音楽に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

大島  自分でバイオリンに興味を持ったというより、私が幼稚園のとき、親が何か習い事をさせようということで・・・。近所にもバイオリンを習いたい子がいたので、一緒に始めたという程度です。そして、バイオリンを習い始めたあたりで、バイオリンコンチェルトのコンサートに行く機会があったんですけど、そこで「私もバイオリン弾く人になりたいな」みたいな風には思いましたね。

-その後、ずっとバイオリンを習っていらっしゃって、高校から音楽学校に入られたんですよね。やはりご両親からの影響が大きいのですか?

Image大島  いえ、うちは親が音楽には全く関わっていない職業でしたので、周りに音楽は無かったんです。特別音楽が好きというわけでもなかったですし、本当に習い事という程度でした。

-ピアノではなく、バイオリンがそばにあったんですね。

大島  小学生くらいのときに、ピアノも習ったほうがいいって言われて、実際ピアノを習ったんですけど、好きになれなくて、すぐに辞めてしまいました(笑)。

-クラシックを海外で勉強するに当たって、それぞれの国の良い点悪い点などありましたら教えてください。

大島  イギリスに関して言えば、世界の中心というか大きな都市なので、一流の音楽家のコンサートが毎日どこかであって、刺激があります。かといって、ニューヨークのように時間が早く、みんながせかせか働いているわけではないので、ヨーロッパらしい落ち着きがあります。なので、刺激はありつつゆったりと音楽が学べるという、良い環境でしたね。

-逆に悪い点は?

大島  たとえば、学校に関しては、ロイヤルカレッジ(編集注:英国王立音楽大学)、アカデミー(編集注:英国王立音楽院)、ギルドホールが有名なんですけど、そのどの学校とっても、日本の桐朋のレベルでいろんなことを与えられる、ということは少なかったですね。桐朋は大きな組織ですし、公開レッスンと言って、外国から先生をお招きして、毎年レッスンを受けられる機会もありました。また、図書館にもたくさんのレコードや資料があります。そういうのがイギリスではなかったですね。割と、そういう経験は、日本の学校の方がたくさんできました。

Image-意外ですね、イギリスの方がシステムが整っているように思っていました。

大島  学校にいて、外から受ける刺激が多いのは、日本のほうですね。

-桐朋学園は特に、海外に出て行かれる生徒さんも多いですしね。

大島  学校として積極的ですよね。情報量もとても多かったし。

-ドイツはいかがですか?オーケストラに入られたということですが。

大島  学校には行ってないので、教育法などは分かりませんが、ドイツには大きな都市が無いんですよ。中くらいの都市が分散していて、それぞれにオーケストラがたくさんあるという感じですね。街と音楽が密着しているというか。外から刺激を与えられるというより、街と密着した生活の一部としての音楽を築いていくような感じが強いです。ですから、オーケストラも、州の中の他の街に行きコンサートをする機会も多いです。すべての人に、音楽を届けるような感じですね。

-逆に、ここは難しい部分だなという点はありますか?

大島  ドイツ人は、日本人と気質が似ているところがあるので、あまり不満は感じなかったですね。ただ、私は、東京とかロンドンとか大都市で過ごしてきていたので、街に刺激が少ないドイツでの生活が耐えられなかったんですよね。地道に音楽をやっていくのであれば最高の場所ですけど、それ以外にも楽しみたい場合はちょっと・・・(笑)

Image-気分転換は大事ですからね。今はパリにいらっしゃるということですが、違いはありますか?

大島  パリは、いろんな文化が発達しています。音楽だけでなく、美術も料理もファッションも。だからすごく刺激を受けますね。たとえば、食にしても絵にしても、必ずどこかで自分を表現するということとか、繊細な感性の部分とかが、音楽と共通しますからね。

-芸術の都ですものね。逆に何か悪い点は?

大島  フランス人はコンサバティブというか、自分の国が一番と思っているので、外から何かを受け入れることが少ないですね。他の国だったら、音楽大学でも有名な学校がたくさんあったりするんですけど、フランスだとコンセルバトワールしかないというか。オーケストラも、そこの卒業生以外いないという感じで、だから結局メソッドとかも偏っていますし、そういう意味では閉鎖的だと思います。

-フランス語がわからないと話してくれない、みたいなこともあるそうですものね。ちなみに、フランス語は話せるんですか?

大島  いまだに苦労していますよ(笑)。

-それぞれの国で、いろいろ違っていて興味深いですね。イギリスを留学先に決めたきっかけは、先生だったということですが、街の雰囲気というのもあったんですか?

大島  確かに都市の大きさもありました。都市が大きい分、刺激が大きいというか、コンサートを聴いたり自分が演奏する機会も多いのではないかと思いましたね。

-学生時代から、演奏の機会は与えられていたんですか?

大島  はい、そうですね。

-勉強だけでないものも身についていったという感じですかね。イギリスと言うのは、ギルドホール、ロイヤルカレッジ、アカデミーという3校が有名ですが、やはりそこを出た人の方が就職に有利とかいうのはあるんですか?

大島  出身校によって、有利不利ということはないと思うんですが、その学校のコンサートのテリトリーなどはあると思いますね。たとえばカレッジであれば、学内のオーケストラと共演できる機会があったり、いくつか契約している大きな教会でのコンサートがあったり、ジャガーという自動車会社が、顧客に対して行っていた世界各地の英国大使館のコンサートに、カレッジの人が派遣されたりすることもありました。そういう機会が、大きい学校の方がたくさんあるとは思います。

-日本は、学歴や学校名が就職に関わったりすることもありますが・・・。

大島  イギリスは経験だと思います。だから、学校を出るだけでは、全く仕事がないのですけど。どこで演奏したか、どこの主催で演奏したか、そしてどこのオーケストラで弾いた事があるかなど経験が重要になってきます。

-ドイツとフランスで活躍されていますが、日本人が有利だと思う点と不利だと思う点はありますか?

大島  有利な点は少ないんですけど・・・。芯の強さだったり、日本人としての感性は、ヨーロッパ人とは全く違うものを持っていると思います。それをキャラクターとして活かせれば有利になると思います。

-プロの音楽家として成功する条件にもつながってくるのでしょうか。では、逆に不利な点は?

大島  どうしても、どこの国でも自国の国民を大切にしますので、同じくらいの演奏レベルであれば、自国の人を採用するということはありますよね。

-そういった場面で大切になってくるものは何でしょうか?

大島  人脈も大事だと思うんですけど、その点は私は苦手分野なので・・・。まじめな姿勢で取り組むなど、人を信用させることができるかということが大事になってくるのでしょうね。

-信頼関係ができないと、お仕事って成り立たないですものね。そういうときは技術で見せますか?言葉ではなく。

大島  やはり技術ですかね。結局、いくら言葉で主張しても、弾いたら人間性とかそういうのは全部見えますので。やっぱり弾くことによって、自分を表現しなければいけないですから。

-そういう風に、技術の上手い下手とかではなく、この人はこういう良い物を持っているな、というのが伝われば受け入れてもらえるんでしょうか。

大島  オーケストラによって違うと思うし、好みもあると思うのですけどね。自分に合ったところでは評価されますし、合わなければどんなに上手でも評価されなかったりします。そういうのは縁ですよね。

Image-いろんなオーケストラのオーディションを受けられましたか?

大島  はい、受けました。

-厳しかったですか。トントン拍子というイメージがありますが。

大島  トントン拍子というわけではなかったですね。最初、イギリスで働きたかったんですけど、イギリスではオーケストラで入団を許可されても政府が労働ビザを下ろしてくれないんですよ。そういう関係で、トライしてもだめで、結局大陸に渡ったんです。

-そうだったんですか、イギリスではビザがなかなか下りないんですね。

大島  絶対無理って言われて。条件がどんどん厳しくなってきていますね。

-音楽だけじゃなくて、事務手続きで問題が出てくるのは、歯がゆいですね。

大島  自分ではどうにもならないっていう部分で悩んだことも多かったですね。

-制度の話ですからね。いつかイギリスでお仕事できたら、というお気持ちはありますか?

大島  2年くらい前に戻りたい気持ちが強くなって、一度ロンドンフィルに行ったことがあったんです。しばらく仕事をしたんですけど、仕事量がものすごく多くって・・・。イギリスは、すべての人がフリーランスなんですよ。だから月給制ではないから、休んだら給料をもらえないし。生活するのが大変な場所で、プレッシャーも大きいし、ストレスが大きくて・・・。

-理想と現実とのギャップがあったんですね。

大島  そうですね。ロンドンに住みたいけど、働くならフランスの方が働きやすいんだなと思いましたね。

-フランスが働きやすいというは?

大島  すごく労働者が守られているので、とても安心して働けますね。休みも保障されているし、病気になっても国が保障してくれたりとか。そういう意味では安心して音楽を仕事に出来ますね。

-確かに。一度テレビで見たんですけど、バレエ団でも将来が保障されているということを言っていて、すごいなと思いました。ドイツはどうなんでししょうか?

大島  ドイツもちゃんとしていますよ、フランスと同じくらいか、それ以上に。

Image-やはり音楽の都ですね。大島さんは様々な国でご活躍されていますけど、フランスに興味を持ったきっかけは?

大島  これも本当に縁ですね。最初は、全然フランスには興味がなかったし、いろいろなオーケストラに申し込みをしているときも、フランスだけは排除していたくらいだったんです。

-そうだったんですか!では、なぜフランスに?

大島  自分の中では、ドイツがいいかな思って行ったんですけど、いざ行ってみたら生活がつまらなすぎて・・・。ここは合わなすぎるな、と。そして、すぐに夏休みになったので、その休みを利用してフランスの講習会に行ったんです。フランスの田舎町だったにも関わらず、華やかでお店もたくさんあるし、楽しいかもって思いまして。

-そういうのがきっかけになったんですね。

大島  そのとき習ったのもフランス人の先生で、「パリに来るのもいいんじゃない?」っていう話をされたんです。そうしたら、たまたまオペラ座に空きがあって、2ヵ月後くらいにオーディションがあったんですよ。そこでフランスのオーケストラを初めて受けたというわけです。

-そういうのも縁なのでしょうね。ちなみに、その講習会はどこだったんですか?

大島  ナンシーです。
 

ピエール・ブーレーズと共に
ピエール・ブーレーズと共に

-どこに何があるかわからないですね。人生。

大島  行ってみて分かったことではあったんですけど、フランスのオーケストラっていうのは、フランスの大学を出た人ばかりが受けに来ていて、外国からの受験っていうのは、ほとんどいないんですよ。特にわたしは、フランス語が全然分からないのに受験したので、オペラ座の方もびっくりしていたような状態だったんです。いろいろ説明されても何も分からないし、受かったのか落ちたのかも分からない(笑)。試験終了後に、ある部屋に連れて行かれて、審査員の人が「コングラチュレイション!」って言ってくれたときに、あ、もしかして受かったのかなって(笑)。

-それは英語だったんですか?

大島  はい。当時の音楽監督がアメリカ人だったんです。そして「君は、どの国の言葉を話すの?」って聞かれて(笑)。結局オペラ座の中で、フランスの学校で勉強していないのは私だけなんです。

-素晴らしいですね!輝くものがあったから選ばれたんでしょうね。

大島  オペラ座の音楽に共通する何かがあったのかもしれないですけど。

-コミュニケーションは英語とフランス語ですか?
 

パリオペラ座で活躍中
パリオペラ座で活躍中

大島  笑顔で・・・よくわからない英語のコミュニケーションですね(笑)。とりあえずは、数だけは覚えて行って。というのは、指揮者が「何小節目から。」って必ず言うので、それだけは覚えました。

-言葉がしゃべれなくても、大島さんを採用したいと思わせたものがあったんでしょうね。

大島  今思うと、すごく公平にやってくれたんだなと感謝しています。実力だけじゃなく、タイミングや運なんかもあると思うんですけど。

-なるほど、そういった形でパリに行かれたんですね。非常に興味深いですね。

大島  流されるままにって感じなんですけど。偶然は必然なんでしょうね。

-フランスで音楽家として活躍して行く上で、何が成功の条件になるでしょうか。

大島  やっぱり自分を失わないことでしょうか。いろんな意見があっていろんなことを聞くと、流されてしまうこともありますよね。でも、その中で自分が何をやりたいのかを常に持っていて、何があっても自分を失わないことが大切ですね。

-大島さんは、先生のおっしゃることと違う部分があったら、私はこうしたいと主張するタイプですか?

大島  学生時代は、先生に従順っていうか、先生の言うことは絶対だと思っていました。なので、何か言われたら自分が間違ったんだと思っていましたよね。でも、今になって考えてみたら、自分にとって必要なものと必要じゃないものがありますから、必要じゃなかったら排除していってもいいと思います。

-学生は学ぶ時期なので、先生の言うことを聞くのも大切ですものね。

大島  自分に自信が無かったので、自分の主張が正しいかどうかも分からなかったですし。

Image-では、難しい質問になるかもしれませんが、大島さんにとってクラシック音楽とは何ですか?

大島  私の場合は、音楽っていうのはクラシック以外にないし、生活の中に他の音楽は入ってなかったんですよ。クラシック音楽が何かというより、私にとっての音楽は、自分の心を落ち着けるものであり、表現するものであるって感じですかね。

-そうですか。では、音楽家として今後の展望や夢があれば、教えてください。

大島  今はオーケストラの仕事に追われているんですけど、だいぶ慣れてきたので、今後は自分のことに目を向けて、ソロや室内楽の活動を広げていけたらいいなと思っています。日本やフランスに限らず、ヨーロッパ各国でいろんな人とやっていけたらいいなって思っています。

-実際に、これからのご予定はありますか?

大島  特にはありませんけど、来年たぶん室内楽のコンサートがあると思います。

-お忙しいとは思いますが、体に気をつけて頑張ってください。最後に、海外留学を考えていらっしゃる方にアドバイスをお願いいたします。

大島  やっぱり、いろいろ大変な苦労も多いと思うんですけど、たぶん一番大変なのは、孤独を味わうことだと思うんですよね。そういうときでも自分を信じて、自分がやりたいことを頭に思い浮かべながら頑張ってほしいです。日々の生活に追われると、なかなか難しいことなんですけど(笑)。

-大島さんの活躍を見ていると、そういうことが本当に大事だったんだなって思います。本日は本当にありがとうございました!


ブログ「パリ・オペラ座からの便り」
http://lisaoshima.exblog.jp/

コンサート情報
2012年11月30日 ウィーン
ポスター
プログラム

仲田 晴奈さん/ピアノ/ミラノ・ヴェルディ音楽院/イタリア・ミラノ

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

クラシックピアノ/ヴェルディ音楽院・ミラノ
仲田 晴奈さん

横浜生まれ。フェリス女学院中学校卒業後、渡伊。イタリア国立ヴェルディ音楽院を最高点及び最優秀賞で卒業。同大学院ピアノ演奏科を首席で合格し、現在同大学院在籍中。ヴァレンナ国際コンクール最高位、カルロ・ヴィドゥッソ ピアノコンクール第二位、マルコ・フォルティーニピアノ国際コンクール第三位、ラッコニージ国際コンクールピアノ部門優勝。イタリアのラジオ番組“il pianista”、 宮崎駿映画祭オープニングセレモニーにゲスト出演。現在まで濱口ゆり、前島園子、Olga Scevkenova、Sergio Marengoni、Silvia Rumi各氏に師事。



—  イタリアに留学したきっかけを教えていただいてよろしいですか。

仲田 その当時東京音大で教えていらした前島園子先生の特別レッスンを桐朋学園・子供のための音楽教室で受講しました。そこで先生が企画したイタリア・サレルノの講習会に参加してみたら、という事で中学三年生の夏に二週間ほど講習会に参加しました。それでイタリアの気候や演奏会、雰囲気が私の肌にあっていたのが凄く印象的でした。

—  自分は日本ではないなと思ったんですね(笑)。

仲田 そうですね(笑)。前島園子先生から中学を卒業して一年間だけでもいいからイタリアに来ないかという話を頂きました。当時、私立ミラノ音楽院で教えていらしたのですね。絶対あなたにはイタリアが合っているからと言われました。親に相談したところ、すんなり、行ってらっしゃいになりました(笑)。

—  それは珍しいですね。日本の親御さんはだいたい日本にいて欲しいと思うのですけど。

仲田 割とヨーロッパ的志向なのだと思います。私が四歳〜五歳頃、一年間ヨーロッパで過ごしていましたので抵抗感が全くなかったのも大きいですね。

—  親御さんは音楽家ですか?

仲田 父は数学者で母は国立音大の声楽を出ていました。歌手として活躍しているわけではないんですけど(笑)。

—  声楽の方であればイタリアは全く抵抗ないですよね。

仲田 ないでしょうね。

—  ミラノ音楽院は先生の紹介ということですが、ヴェルディ音楽院はどういうふうに決められたのですか?
 

イタリアミラノヴェルディ音楽院
ヴェルディ音楽院

仲田 一年で帰る予定だったので高校も休学していたのですが、半年経ってもちろん気が変わりました(笑)。このままイタリアの学校で勉強したいなと思ったので日本の高校は退学手続きをしました。ミラノ音楽院には、ヴェルディ音楽院に入りたいので入学準備をしたいという話をしました。ミラノ音楽院ではヴェルディ音楽院の模擬試験などもやっているので、ミラノ音楽院で入学準備コースを取ってヴェルディ音楽院の入試を受けました。

—  イタリアは5年、8年、10年制といろいろあるのですか?

仲田 というよりは、ピアノ科が10年制で、5年生の終わり、8年生の終わり、そして10年生の終わりに大きな実技試験があります。5年生の最後の実技試験を受けるには聴音、ソルフェージュ(記号がどんどん変わるもの、リズムが変わるもの、歌、そして移調のもの)、それと初歩的な音楽理論の試験(口答試験)を受かっていないといけないのです。5年生の実技試験を受けて、ある程度点数がいいと入学試験免除で特別編入できるので、私はそういう形で6年生に特別編入しました。

—  語学の試験はありましたか?

仲田 はい、私の年からありました。

—  難しいのですか?

仲田 そうですね。筆記試験というのが日本で想像するような語学の試験ではなくて、私の時はストラヴィンスキーが書いた「ロシア音楽に対する論文の読解」でした。

—  それは難しいですね(笑)。

仲田 みんなで唖然としました(笑)。辞書も持ち込み禁止でしたので、とにかく何でも書いてみようと(笑)語学の勉強としてやったのは、三月にミラノに着いたのですが、夏休みに文法の動詞の部分を全部写して、自分で勉強した位だったので・・・。後はもう会話で実践という形をとっていました。

—  大変ですよね。何の知識も無かったんですもんね。

仲田 最初に寮に入ったのが良かったんです。イタリア人が周りにたくさんいたので。そこで会話もできるようになりました。それに馬鹿にされるのがすごく嫌というのもあったと思います。

—  馬鹿にされる?

仲田 イタリア人の若い子は、本当にからかうのが好きなんです。悪気はないんでしょうけど。日本語訛りだとからかわれてしまうので、なるべくイタリアの発音、発音と気をつけていました。

—  音楽家の場合、耳に音が入るということで少し早いようですね。

仲田 あと、語学で大切だと思ったのは演技ですね。

—  演技?

仲田 いかにその国の言葉を自分の言葉のようにみせて自分の表現をするかだと思います。本当は自分の国の言葉ではないので、うわべだけになってしまわないように気をつけないといけないですね。

—  ヴェルディ音楽院は、毎年何名程度入学するのですか?

仲田 空いたポストの数だけ取るというシステムなので毎年違うみたいですね。

—  自分が師事する教授の空いているポストという意味ですか?

仲田 いや全体です。1年生から5年生、6年生から8年生、9年生から10年生という三つのグループに分かれていて、それぞれ下、中、上級コース。そのコースごとに空いた人数を補充していきます。それが大体各コース十名未満です。私が入ったときは3コース合計で20人くらいだった記憶があります。

—  100人とか200人とか入るものではなくて少人数しか入れないんですね。

仲田 一年生の入学は七歳くらいの子達です。そこは多分何十人も取ると思います。

—  年齢は関係ないのですか?

仲田 一応年齢制限はありますが、そんなにはっきりとはないと思います。中級コースは21、22歳まで、上級コースもたぶん年齢制限はあるのですけど、よく分かりません。年齢制限がある場合でもプライベートで試験だけ受ける方は年齢制限は全く関係ありません。だから40歳とか50歳で受ける方もいるみたいです。

—  ヴェルディ音楽院のレッスンをプライベートで受講して試験だけ受けるのですか?

仲田 レッスンは関係ありませんが、自分のついている先生と準備して試験だけ外部受験するということですね。

—  最終的にもらえるディプロマもヴェルディ音楽院から出るのですか?基本は全く同じでしょうか?

仲田 ヴェルディの学生だと授業料は安いです。プライベートレッスンはそれと比べるとお金がかかると思いますので。大きな違いはそれですね。ただし外部受験は自分の好きなペースで受けられるのが魅力です。

—  ヴェルディ音楽院に行きたいと思った場合どのように準備すればいいのですか?

仲田 ヴェルディ音楽院のシステムを一番良く分かっているのはミラノ音楽院です。そこで入試の準備をして受験するのも一つの方法だと思います。

—  ヴェルディ音楽院の事務手続きはいかがでしたか?

仲田 大変でした。事務員とのかけあいの難しさと、英語が通じないのでこちらがヘコヘコしなければいけないところです。それに言うことが毎回違っていたり、急に怒ったりすることですね。

—  それをうまく乗り越えられれば次のステップにいけるということですか?

仲田 乗り越えるまでが本当に大変です。

—  日本で音大を卒業している方は、通常は上級に行かれますか?

仲田 必ずしも上級に入れるとは限らないですね。入試で持っていく曲や学校同士の提携などにも関わってくると思います。そこで中級に入ってしまうと和声及び分析や音楽史などをとらないといけなくなってしまうんですね。すると二年間程度で留学を考えていらっしゃる方だと本当に大変だと思います。やる気があれば中級を一年でとってしまう事も可能ですけど、本当に死ぬ気で頑張らないといけないと思います。中級と上級を合わせて三年ぐらいだと思います。

—  死ぬ気で三年やったら、もう本当に死んじゃうでしょうね(笑)。

仲田 本当に大変なのは最初の一年ですね、語学の問題で。学科さえ何とか通れば後は演奏だけなのでなんとでもなります。

—  上級になれば音楽だけですか?語学などの試験はありますか?

仲田 語学試験は最初の入試のときだけです。でも今年から、入試面接で落ちてしまっても、提携している語学学校に通って一年後の確認試験で通ればオッケーになったと聞きます。音楽史も聞いた話によると韓国人専用クラスというのがあるらしくて、そこに入る勇気があれば入れると聞きました(笑)

—  入学試験はきちんと準備をしないと大変ですね。

仲田 そうですね。突然行っても語学の試験にパスするのは難しいかと。試験は筆記と面接です。日本でちゃんと勉強していれば筆記はそんなに問題ないと思います。ただし面接は対人試験ですのでイタリア語を話し慣れていないと戸惑ってしまうかもしれません。試験と言っても本当に雑談なんですけど(笑)。人によっては新聞の記事を読まされて感想を言えというのもあったそうですが、最初からフレンドリーな感じで話していれば、「ああ君はしゃべれるんだね、じゃあまたね」ですね。

—  本当にイタリア的ですね(笑)。

仲田 はい。雑談でした(笑)。緊張する感じじゃないですよ(笑)。

—  ヴェルディ音楽院の学費はおいくらですか?

仲田 私が入った当時が年間五千円から一万円でした。リラだったこともあって安かったですね(笑)でもシステムがどんどん変わり始めた頃で毎年二倍二倍と変化していきました。現在はヴェルディ音楽院も大学システムが導入されました。8、9、10年生の三年間が大学システムとして選択可能となりした。学生は、その大学システムにするか、今まであったトラディショナルシステムにするかを選べます。大学システムを選ぶと大学卒業資格に当たるものがもらえます。例えば10年生を卒業した時点で、高校を出られない若い子達もいますが、そういう人たちは別に大学システムを選ばなくても今までのトラディショナルコースを続けることが出来ます。どのシステムを選ぶかで学費も変わります。大学システムコースだと年間800ユーロです。

—  日本だと年間200万円以上かかったりするので話にならないですね。イタリア全土的に教育システムが変わっているのですか?

仲田 はい。ただ現在、正式に認められているのはローマとミラノと聞きました。イタリアは地域によってシステムが随分違います。必要な教科も全然違います。大学システムを正式に一番厳しくやっているのはミラノだと思います。国の検査が入っても必ずパスする自信はあるというのが売りみたいです。なので、ピアノ科は本当に厳しいです。

—  イタリアは、全体的に教育の制度改革しようとしているのですか?

仲田 今、真っ最中です。

—  他のヨーロッパやアメリカに合わせようということでしょうか?
 

イタリアミラノヴェルディ音楽院
ヴェルディ音楽院

仲田 以前にコンセルヴァトワール(音楽院)のディプロマが他の国で認められませんでした。それで、違う国に行った場合、もう一回ディプロマを取り直さなければいけないというのが問題になったようです。レベルが低いということではなくイタリアのカリキュラムが特殊すぎるらしいです。

—  イタリアという国は、他の国とちょっと違いますよね(笑)。

仲田 それでやっぱり改革を始めようという話が出ているみたいです。特に実技のプログラムは1930年から改正されていないので。

—  1930年ですか? 70年以上してから改革ですか(笑)。

仲田 はい。そろそろ変えようかという(笑)。伝統があるといえば伝統があるんですけど。

—  これから毎年変わる可能性がありますよね。

仲田 トラディショナルコースの試験が急激に変わるということはないと思いますが、大学システムは本当に毎年変わっています。

—  大学システムだと日本の大学を出ている人もしくは途中まで勉強した人がイタリアでうまく編入しやすくなる可能性があるということですね?

仲田 どうでしょうか。私はトラディショナルコースの方がいいと思います。

—  どうしてですか?

仲田 大学システムでは180単位も取得しなくてはいけません。日本の大学は日本語で習うじゃないですか。日本語で教わった教科がどの程度、単位が免除されるか私にはちょっと見当がつきません。内容がかなり変わってくると思いますので。

—  180単位というのは日本などでは信じられない数字ですが一つの科目で何単位ですか?

仲田 学科によって変わるんですけど、一年間で実技が20単位です。

—  それは大きな単位ですね。これも特殊ですね。

仲田 授業以外の自宅で練習する時間をかなり単位に足してくれます。だから室内楽も同じような扱いです。あと小さい学科は2単位、3単位、4単位という単位数もあります。

—  1単位から20単位まで結構幅があるのですね?

仲田 そうですね。例えば外部でマスタークラスや講習会を受講しても証明があれば単位をもらえます。外部で沢山コンサート活動をすれば単位が特別にもらえることがあります。外部の活動も結構単位と見なしてくれるので三年で180単位だったら何とかなる単位ではあると思います。ただ日本人にとって高度な語学力が必要な学科は大変だと思います。ピアノを練習する時間も少なくなりますし。

—  ヴェルディ音楽院に行く場合は今までのシステムに入った方がいいということですね。

仲田 私はそう思います。皆さん、大学卒業の資格はあまり興味がないと思うので。日本の音大を出ている方は、ミラノ、ローマ以外でしたらコンセルヴァトワール(音楽院)の大学院に直接入れそうです。

—  イタリアに行く前に先生と入学準備をした方がベストですか?

仲田 ベストですけれども、先生にもよると思います。有名であっても細かいことは面倒を見ない先生もいます。でも面倒見が良い先生はあらゆる限りを尽くしてくれます。

—  先生を知らなくても入学はできるということですよね。

仲田 全く問題ないと思います。そういう意味ではマフィアじゃないですね。ただ入学が決まった時点で事務所が先生を自動的に振り分けてしまいます。もしその事務所が信頼できないのであれば他の人に噂を聞くなどします。授業を見学というのはあまりできるわけではないので。

—  授業の見学をしてはいけないのですか?

仲田 そういう事ではないのですけど、事前に先生の所に行ったら「君はもうこのクラスに入るんだね」と思われるケースが多いと思います。入学後、違う先生の所に入ってその先生と鉢合わせたときに問題になってしまう可能性があります。もし意地悪な先生だったらマズイかなと(笑)例えばその先生が審査員になってしまった場合です。

—  イタリアは面倒くさそうですね。

仲田 そうですね。本当に先生によるのですけど、派閥や先生同士の仲もあるので。

—  どの先生につくかで入学試験や卒業に左右されてきますか?

仲田 入学試験は大丈夫だと思いますが卒業試験ではもめるケースもあるようです。そういう場合は先生と過去に何らかのやり取りがあった事が多いですね。例えば過去に自分の弟子にからい点数つけたから私も甘くつけないわよとか。先生の機嫌にもよります(笑)

—  最初に振り分けられる先生と馬が合わない時は、先生の変更は可能ですか?

仲田 可能ですが、今言った問題が生じます。それで本当にどうしよう、変えたいけれど後が恐いし、失礼だしと考えてしまうケースが多いですね。合わない先生と当たると大変です。もし先生を変える場合は、学長に手紙を出して変えてもらうことになります。ただ、本人が一切周りを気にしない人でしたら問題は全くないと思いますが。

—  そうなんですか?

仲田 でも気にする人だと悩んでしまう・・・。

—  イタリア人はどんどん先生を変えていきますか?

仲田 変えていく人もたくさんいます。日本人ほどは悩まないかと(笑)

—  ヴェルディ音楽院には、今、日本人は何人ですか?

仲田 今はかなり減ってしまって全部の楽器、指揮を合わせても日本人は十人に満たないと思います。全校生徒数は、ピアノ科が十年制で各学年三十人未満程度です。ピアノ科のクラス数は、二十三クラスありましてそれぞれの人数制限が十名です。どうしても多くなってしまって特別許可をもらって十五人というクラスもあります。人気のない先生は十人に満たないというクラスもあります。だからピアノ科の生徒数は300人に満たないですね。人数としてはピアノ科が一番多いです。

—  全校生徒はざっと千人は超えるということですよね。

仲田 千人は多分超えると思います。

—  学校の雰囲気はどうですか?

仲田 雰囲気はいいと思います。先生の派閥に巻き込まれることもないですし、争い的なものは少ないです。先生方は演奏の好みがハッキリしているので割と生の声が届いてきます。

—  たとえばどのような事ですか?

仲田 先生を通して試験の演奏の感想を聞けます。それに辛い点数が付いても、理由もちゃんとついてきますね。そのコメントからも趣向の違いが見えてくることもあると思います。

—  イタリアではミラノ音楽院とヴェルディ音楽院に行かれていますが、イタリアはこういう所良かったと思う点がありますか?

仲田 日本に比べたら小規模なので融通が利きやすいと思います。日本のシステムをよく知らないのでなんともいえないのですが・・・日本とイタリアでは校舎の規模も全く違います。学生同士や先生との関係は非常にフレンドリーです。

—  先生との関係は目上の人となりますか?それとも対等ですか?

仲田 もちろん目上の人ですけれども、生徒も自分の意見を言わないといけません。先生によっては自分の言う通りに弾け、という人も少数ながらいますけれども、私の先生は個性をとにかく大事にすることをモットーにしています。だから自分が弾きたいように持っていくことが第一条件です。先生はこう言っているけど、私はこういう風に弾きたい、というのは大歓迎です。先生の言うとおり、「ハイハイ」と弾いていると、「弾いていてもつまらないだろうし、先生のコピーだけはならないで」といわれます。「あなた自身は何がしたいの?」と。

—  それはいいところですね。イタリアではイタリアものが一番得意ということになるのですか?

仲田 そうではないですね。レパートリーが非常に幅広いです。特に大学システムの試験のうち1つは、作曲家が十四人必要となります。近現代まで本当に隙間無く選びます。十三グループありまして私はこちらを受けたのですけど、第一グループはバッハの平均率を六曲、もしくは五曲プラス他のバッハの曲、第二グループがモーツァルトもしくはハイドンの曲、第三グループがベートーヴェンのソナタ、それからシューベルトもしくはメンデルスゾーン、ショパンもしくはシューマン、リストもしくはブラームスという形で各グループ二択になります。それが近現代まで続きます。最後の14グループは自由曲。これ以上何を選べばいいのかと(笑)

—  それは大変ですね。

仲田 そうですね。小曲ばかり選んでしまえばそんなに大変ではないのですが、ソナタばかり選ぶとか、大曲をたくさん混ぜて持っていく人ももちろんいるわけです。そうすると全部弾くだけで本当に三時間かかってしまいますね。それが一番重いといわれている試験です。

—  今言われた試験はいつ受けるのですか?

仲田 八年生の終わりです。(大学システムの1年生)

—  何年間でそこまでもっていくのですか?

仲田 六、七、八年です。

—  三年間で持っていくのですね。それは結構大変ですね。

仲田 そうですね。体力的にも一番辛いと思います。それぞれの作曲家の弾き分けだけでも難しいので。でもこのやり方を先生方も誇りにしています。ベートーヴェンだったらベートーヴェンの音を体に染み込ませるという事ですね。

—  日本からピアノ留学をする人で第一希望がイタリアというのは珍しいと思います。そういう意味で逆にイタリアだから良かったということありますか?

仲田 ありますね。競争社会でないことですね。聞く話ですと、他の国などでは日本人同士の競争もあるようです。イタリアはのんびりしてます(笑)

—  音楽的にはいかがですか?

イタリアミラノヴェルディ音楽院
ヴェルディ音楽院

仲田 他の国を知らないのではっきりは言えないのですが、非常にのびのびしていると思います。個性をとにかく大事にしていますし、キチキチしてはいないですね。現在世界的に活躍している人たちを校内でも見かけますし、そんな人達でも普通に友達感覚で話せます。ヴェルディ音楽院は、大学院が正式に通ったという事で音楽界で活躍している人達が今、学校に戻ってきているんですよ。前回のブゾーニ国際ピアノコンクールでの1位、2位はヴェルディの卒業生なのですが、彼らもまた戻ってきていて今年大学院の卒業試験を受けたということです。二十年前に卒業という人たちも戻ってきています。正式に大学院が認められたので今後、学校で教えるにあたっても資格を取った方が有利なようです。

—  イタリアは、学歴社会ですか?

仲田 そんなことはないと思いますけれども、とにかくポストが無いのです。コンセルヴァトワール(音楽院)で教えるには採用試験があるのですが、もう何年も行われていないようです。ポストが全然ない状態だそうです。待機のリストが何百メートルにも及ぶんじゃないかと言われています(笑)。

—  なるほど(笑)。

仲田 卒業をしてもその先十年以上はコンセルヴァトワール(音楽院)で教えるということは、まず無理だろうと一般的に言われています。ヴェルディ音楽院が大学システムになったのを契機に、新たに音楽高校を別に作るという方向に話が進んでいるみたいです。小さい音楽学校をたくさん作りたいみたいですね。

—  そういう話になっているのですか?

仲田 そうなんです。だからコンセルヴァトワール(音楽院)自体のシステムが変わって一年生から七年生までが消えるかもしれないという話も聞きました。

—  ここしばらくはイタリアの教育制度に注意していないと本当に分からないですね。

仲田 変動が激しいですね。それで今、賛成派と反対派に別れているようです。政治も関与しているので、首相が代わったのもポイントですね。これからどういう政策になっていくのか・・・でも皆、向上はそれほど期待していないみたいですけれど(笑)

—  学校の授業ですが、これはどのように進みますか?

仲田 私が今年1年でとった授業は、教育学と分析学と、伴奏学と初見及びオーケストラのスコア読みというもの、それに室内楽とピアノの実技、あとピアノデュオ専門コース、ピアノの歴史、これはピアノの作曲家のみの歴史です。それに英語です。

—  英語?

仲田 英語も単位に入っています。英語はブリティッシュカウンセルという語学学校と提携をしているので、かなりの割引がきいて十二月〜四月のコースで週に一回二時間で百ユーロでした。

—  ヴェルディ音楽院は、基本的に大学と同じシステムと考えると一般科目はあるのですか?

仲田 音楽と全然関係ないのは語学のみです。教育学やメソッドの点で心理学や音楽療法が関与してきますが。一応コンピューターの授業もありますが、音楽ソフトが使いこなせるためにということです。

—  練習は家でやっています?それとも学校ですか?
 

クラシックピアノ/ヴェルディ音楽院・ミラノ
仲田 晴奈さん

仲田 家ですね。学校は本当に練習室が少ないのです。夜は予約制で取れるのですが、夜が駄目な時は昼休みのクラスの合間を狙って、もしくはどなたか先生の欠席を願うことになります(笑)

—  基本的に皆さん練習は家でやるのですね。

仲田 そうですね。家でやるのが主流、もしくは練習室がみつかるか運に任せる(笑)。

—  運に任せる人が主流ですか?その時になって練習できればいいや、ということですよね(笑)。

仲田 そうですね。学校の練習室が空いていないとバールに行って暇をつぶしています。練習室が空くまで一日中ブラブラしている人もいます(笑)。

—  時間をきちんと決めてやりたい人は家でやるしかないということですよね。

仲田 そのほうが確実です。

—  学外のセッションやコンサートの機会もありますか?

仲田 それも付いている先生が関係してくると思います。先生によっては自身でコンサートを企画されている方がいらっしゃるので、試験前に試したいと先生に言えばギャラなしですが弾かせてくれる場合もあります。それに学校が学外の音楽事務所と提携していますのでその学外コンサートのための学内オーディションを受けるということもあります。

—  コンサートの機会はすごくあるということですね。

仲田 その気になればいくらでもあります。

—  コンサートでお客さんは集まりますか?

仲田 時と場合によりますが・・・イタリアの良い所は、本当に音楽が聞きたい人が集まってくれるということです。なので、たとえ聴衆が数十人でも大変暖かいです。ある程度名前が通っている音楽事務所であればもう固定のお客さんがついていますので、日本のようにすごく努力をしてお客さんを集めるということはあまりしないですね。(個人での自主リサイタルはほとんどないですから)皆さん毎回足を運ぶことを楽しみにしていらっしゃいます。それにイタリアではコンサートで高いお金を払わないですから。もちろんスカラ座は全く違いますが、かなり良い大ホールでも本当に大物が来て25から30ユーロ程度です。そうすると、学生ではそんなにお金は取れないですよね。今年は毎週火曜日に学内の小ホールで昼時コンサートを無料でやっていました。

—  コンサートに出たい学生は皆さんが出られるのですか?

仲田 一応取り仕切っている先生がいて、その先生に書類を提出すると、他の希望者と調節してプログラムを組んでいただけます。全部で一時間のコンサートです。例えば長いものを持っていくと、あいていれば全部弾かせてもらえますが、混み合っていれば何楽章のみとなります。このコンサートは弾く前に曲目解説を聴衆の前でしないといけないので、勉強にもなります。曲目紹介は本当にみんな嫌がっていますが(笑)それは義務になっています。その曲の背景などをよく勉強するので良い勉強にはなりますね。

—  一日の大体のスケジュールを教えてもらっていいですか?

仲田 私は学校の授業を、午前中になるべくいれるようにしていました。そうすると大体七時から七時半に起きて九時十五分には学校に着いています。九時半から授業が二時間あって十五分休みをはさんで次の授業が四十五分あります。そのあとすぐに次の授業があって一時に学校は終了して帰宅していました。

—  学校自体は午前中で終わってあとは自由になるということですね。

仲田 これは自分でスケジュールすることが可能です。遠くから来ている人たちが、なるべく少ない日数で終わらせるようにしたい場合、午前と午後の全部に授業を入れてしまって残りの日は家で練習するというようにスケジュールを作ることも可能です。

—  ちなみに宿題は出ますか?

仲田 宿題は日本で考えているのとは違いますね。例えば初見のクラスでしたら初見と平行して、リード、アレンジが宿題に出るくらいです。分析のクラスも課題を出しても、やってくるのは半数くらいですね。先生達も全然厳しくないです。みんな忙しいのが良く分かっているので「君達は実技が命だから」と言っておおめに見てくださる先生もいます。もちろん意欲がある生徒はよく面倒見てくれますが、意欲がない生徒はそういう意味では放っておかれて、試験でも辛い点がつく場合も少なくないです。及第点は心配ないですけれど(笑)

—  学生さんは勉強熱心ですか?

仲田 勉強熱心というか、どちらかというと音楽家としての自覚を持っている人が多いです。自分のモットーというか芯が揺らがないですね。根本的に弾く時は自分のプライドというか、スタイルを持っています。

—  基本的に全員がプロになるという気でやっているのですか?

仲田 それはどうでしょうか。卒業の点数にもよると思います。プロフィールに書くことが多いので。点数が高得点でない場合、そこで低迷してしまう人もいます。それにディプロマは欲しいけれど、そのあとには考えていないという人も結構います。どれくらいピアノに重点をおいているかということで変わってしまいますが、皆が皆絶対にプロを目指しているというわけではないですね。逆に室内楽に興味のある学生はとても多いです!

—  伴奏の仕事などはいかがですか?

仲田 それはいくらでも転がっています。学内でも他の楽器の人はいつでもピアニスト探しています。私達の方が断わり続けているくらいです。他の学校ではどうか分かりませんが、ヴェルディ音楽院では伴奏奨学金というものがあります。それは伴奏をたくさんやる人たちに奨学金を与えるシステムです。そのシステムを利用すると学生が伴奏代を払わなくていいので学生にとってはありがたいシステムだと思います。

—  授業以外では通常どういう生活ですか?

仲田 かなり引きこもっています(笑)。出不精なんですよ(笑)

—  練習ばかりですか?

仲田 そうですね。練習と家の事と洗濯です。もちろん、たまには友達と出かけたりもしますけど。学校の大ホールで毎日というほどコンサートをやっているので、中心地に住んでいる場合はコンサートにも頻繁に行けますが・・・私は少し郊外に住んでいるので行きづらいです。

—  郊外というのはどのくらいの場所ですか?

仲田 ベッドタウンですか?中心地から地下鉄で二十分くらいです。

—  それで郊外になるのですか?

仲田 そうですね。本当にある駅までは人が一杯いるのに、私の駅の4駅前まで来るとガラっといなくなっちゃうんですよ。夜九時以降は誰も歩いていない状態です。家族や老人が多いところです。

—  ちなみにミラノの中心地から何分くらいのところまでがいわゆる中心地と言うのですか。

仲田 地下鉄で十分、十五分です。その五分の違いで私は早く帰らないといけないのです。

—  イタリア人とうまくやるコツはありますか?

仲田 イタリアに興味があることをアピールすることですかね。こちらに興味があればイタリア人は喜んで受け入れてくれます。

—  外国人に関して日本人に限らず受け入れてくれるのですね。

仲田 日本人は特に受け入れてくれやすいと思います。日本の文化にものすごく興味がある人が多いですし。例えばテクノロジー系でも昔の日本の伝統的なものでも、言葉のことでも沢山の分野で日本には興味がある人が多いです。この前も宮崎駿さんの映画祭があったのですけど、満席で入れないという状態です。一部の人はトトロの歌詞を日本語で知っていたり(笑)。だから、こちらさえオープンに接していれば、本当に助けてくれるし、いくらでもうまくやっていけると思います。でも一般的に女の子は男の子の友達のほうが接しやすいですね。フレンドリーですから(笑)

—  日本人以外の外国人は結構いますか?

仲田 私の知人ではリトアニア人、ロシア人、クロアツィア人などがいますね。

—  日本人に対してはどういうイメージがありますか?

仲田 やっぱり機械的というイメージが抜けないですね。でも徐々にですが、日本人は時代の流れで機械的になってしまって、音楽をどう表現していいか分からなくなってしまっているだけで、本当はものすごい繊細な人種という意見も出てきています。もちろんそれは一般的なイメージですから、結局は人それぞれだとおもいますけれど。機械的に弾く人はイタリア人でもいますし、本当に凄いですよ。それこそマシーンそのものじゃないかと思うくらいです(笑)

—  アパートは何回か変わられたことがありますか?

仲田 最初に知り合いの紹介という事で、ミラノから北に90キロほど離れたところのキリスト教の学生寮に一年半いて、その後ミラノの学生女子寮に移りました。そこは大学生がいろいろな所から来ていて全部で百二十人くらいいたと思います。

—  そういう寮があるのですか?

仲田 そこは、いくつかある寮の中でもかなり大きい方だと思いますが、値段は月に800ユーロ程でした。そこは日曜日のお昼だけつかないのですが、三食付きで部屋もシングル、トイレとバスだけ二人で一つを共同というかたちでした。

—  ピアノは置いたりすることは出来るのですか?

仲田 私がいた時は地下室があいていたのでピアノを置かして頂いていたのですが、その地下室が使えなくなってしまった事で寮を出る決心をしました。

—  一般的なアパートでピアノを置く事は可能ですか?

仲田 はい。でもご近所問題は常にありますけれど。私は雑誌からアパートを探したので大家さんに何回も念を押しました。「本当にテレビとは比べ物にならないほどの音量ですけど、それでもいいのですか?」と。そういう感じで何回も確認を取ったうえでそのアパートに入りました。それでも一回だけ下の階の人が「テレビが聞こえない」と言ってきました(笑)毛布などの詰め物を詰めて何とか改善してそれ以降は大丈夫です。

—  いろいろなクレームの可能性はあるのですね。

仲田 イタリア人でもそれが一番のネックで裁判沙汰になることもあります。一番いいのは、以前に音楽関係の人がいたところに入ることですね。

—  いきなり行って自分で探すというのは非常に難しいですね。

仲田 そうですね。ただし、外国人専用のアパートがコンセルヴァトワール(音楽院)から遠くない所にあって、音楽関係の人も沢山入っているとは聞きますが。そこは問題なく音を出せるとか。

—  大体の生活費はどの程度ですか?

仲田 私は一人暮らしでグランドピアノを置いているので一人には広い五十平方メートルです。キッチンは居間の一角で、他に寝室とシャワールームで月650ユーロです。マンションの管理費は、年間の暖房費全部込みでプラス120ユーロ。私は光熱費・ガス代を1ヶ月一定の料金で支払っています。大家さんと交渉して全部で一ヶ月800ユーロ支払っています。目の前がコープで買い物にも便利な、すごく恵まれた状況です。地下鉄も近いのでいい物件だったといわれます。

—  プラスで生活費はいくらかかりますか?

仲田 食費はかなり浮かしていて、自炊が主なので月に150ユーロくらいです。節約しようと思えばいくらでもできます。交通費を含めても1100〜1200ユーロですね。

—  一般的に通常1000ユーロ前後ですか?

仲田 これは低い方だと思います。もちろん部屋などをシェアしたら家賃はすごく浮くと思いますが。私の生活費がこれで済んでいるのはヴェルディ音楽院の学費が安いということにあります。ミラノ音楽院やプライベートレッスンに行かれている方だと勉強費用がかなり出てしまいます。

—  ミラノは一般的に安全ですか?

仲田 治安は良くなったと思います。ただし中央駅周辺は、女性の方の夜の一人歩きは避けた方がいいと思います。

—  どういうふうに危ないのですか?

仲田 一歩を間違えると日中でもナイフ突きつけられてパスポートを出せと言われるという話も聞きました。でもまあ、運しだいですね(笑)

—  主に多いのはスリですか?

仲田 スリですね。でもいかにもな格好をしていなければ、ある程度は予防できます。それに歩き方ですね。とりあえず周りを見ないで早足で突き進むのが一番いいです(笑)

—  留学してよかったと思えることはありますか?

仲田 逆に後悔したことが全くないです。

—  留学したことによって自分が変わったことはありますか?

仲田 人からよく言われるのは音楽的にも人的にも垢抜けた?(笑)それまでは何事も真剣に考え過ぎて重くなっていた節がありますね。最近では何事もポジティブに考えられるようになりました。イタリアの単純さと明るさが良いように私の中でミックスされてきました。あとは人をすぐに頼らなくなりましたね。イタリア人は口先の人も多いので信用しないし、それを責めても始まらないので(笑)

—  卒業したあとはどういうふうにお考えですか?イタリアに残るのですか?

仲田 イタリアを中心に行ったり来たりしていければいいと思っています。演奏活動だけで生きていくというよりは、演奏活動をしながら他の仕事もしていきたいと思います。イタリアのアーティストを日本に紹介するということにも興味があります。

—  これから留学される人たちにアドバイスをお願いしてよろしいですか?

仲田 最初から意志をしっかり持って、他人の意見に簡単に左右されないようにした方がいいと思います。とらえ方というのは人によって180度違うものだったりしますから、他人の意見を鵜呑みにしないで自分でなるべく見定めるように気をつけないと。あと、目的によっても変わってくると思うのですが、楽しむことも大切だと私もよく言われますね(笑)あまり勉強、勉強というふうになるよりも、ある程度ゆったり構えているほうがイタリアの本当のいい部分がわかることもありますし。

—  長い間ありがとうございました。
 

美谷島百合子さん/ピアノ/モーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミー/オーストリア・ザルツブルグ

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。


Image 美谷島百合子さんプロフィール
国立音楽大学付属小学校、中学校、高校を経て、現在国立音楽大学演奏学科ピアノ専修一年在学中。ニース夏期国際音楽アカデミーモーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミーに参加。

―   現在までの略歴を教えて下さい。

美谷島 母がピアノを教えている関係で、3歳からはじたのですが、ちゃんと習い始めたのは、5歳からです。小学校4年生の時に国立(くにたち)の大学附属小学校に編入して、そのまま附属で大学まで来ました。

―   講習会に参加したきっかけを教えてください。

美谷島 去年フランスの音楽が好きでフランスのニース夏期国際音楽アカデミーにいきました。今年は、大学に入って、ドイツ圏留学の夢がふくらみ、ドイツ語圏で講習を受けてみたいと思いました。

―   ドイツ語圏のコースの中で、モーツァルテウム音楽院夏期国際音楽アカデミーを選ばれたのはどうしてですか?

美谷島 ドイツ語圏のコースの中で単純に学校の日程に合うのがこの講習会でした。

―   モーツァルテウムの講師はどのように選ばれたのですか?

美谷島 先生方の事はまったく分からなかったので、学校の先生や、アンドビジョンの方に相談して決めました。

―   レッスンの雰囲気はどうでしたか?

美谷島 すべてのレッスンが公開だったので、たくさんのレッスンを聴講することができましたし、すごく雰囲気がよくて、勉強になりました。
 

先生と共に
先生と共に

―   レッスンは何語で受けられたのですか?

美谷島 通訳さんもいらしたのですが、レッスンは全部ドイツ語でした。

―   ドイツ語は少し話せるようになりましたか?

美谷島 (笑)いやぁ、もう挨拶が精一杯でした。

―   事前に語学の勉強はしていかれましたか?

美谷島 いえ、私、英語もほとんどできないので‥。でも、挨拶くらいは覚えて行こうかな、と。そのくらいです。

―   レッスンは何時から行われたのですか?

美谷島 毎日決まった時間はなかったのですが、私は午前10時からが多かったですね。遅い方になると、5時からとか、6時からという方もいました。
 

モーツァルトの生家
モーツァルトの生家

―   先生は1日中教えているのですか?

美谷島 そうですね、先生は1日中で大変そうでした(笑)。

―   1人当たり何時間くらいですか?

美谷島 1人1時間です。だいたい最初は45分と先生は仰っていたのですが、結果的にいつも1時間くらいはみてくださいました。

―   日本人はたくさんいましたか?

美谷島 特に私のクラスはアジア人が多く、ほとんど日本人だったのですが、ほかのレッスンを聴講した時は、いろいろな国の方がいらっしゃいました。

―   ほかの生徒さんとは日本語で会話ができたので不自由はなかったですか?

美谷島 私のクラスは、ほとんどが日本人で、しかも私より年上で留学経験も豊富な方が多かったので、色々とお話伺うことができました。

 ―   音大生の方は多かったですか?

美谷島 ほとんどが音大卒業生の方でした。

―   通訳の方はいかがでしたか?

美谷島 とてもお世話になりました。景色の良いところに連れて行っていただいたり、スーツケースの鍵をなくした時も、一緒に取りに行ってくださったりしました。

―   練習時間はとれましたか?

美谷島 はい、私の場合は6時間くらいだったのですが、もっと多く練習されている方もいらっしゃいました。
 

モーツァルテウム新校舎
モーツァルテウム新校舎

―   練習場所はレッスンを受ける場所にあったのですか?

美谷島 モーツァルテウム音楽院の中にありました。

―   それは予約が必要ですか?

美谷島 初日に予約をして、すべてのお金を払う、という方法でした。

―   レッスン以外の時間は何をされていましたか?

美谷島 レッスンの聴講と観光です。
 

ザルツブルグ観光
ザルツブルグ観光

―   良い観光名所はありましたか?

美谷島 自分が思っていたより小さい街だったので、2週間もいると隅から隅まで見ることができました。

 ―   先生のコンサートなどは行われましたか?

美谷島 私の先生のコンサートはなかったのですが、他の先生方の演奏は聴くことができました。また、ザルツブルグ音楽祭が開かれていたので、有名な演奏家の演奏も聴くことができました。私も受講者コンサートに出させていただけたので、本当に良い経験になりました。

―   受講者コンサートは1クラスから何人くらい出演できるのですか?

美谷島 先生の学校の生徒さんもいらしていたので、その方達も入れると5〜6人だと思います。

―   講習会での先生の門下生は何人位いましたか?

美谷島 20人位だったと思います。

―   すごいですね、20人中の5、6人でしょう?

美谷島 いえいえ(笑)。

―   宿泊先はどうでしたか?

美谷島 私はフラットに1人で住んでいました。フラットには、家具など全部揃っていてすごく良い所でした。アイロンも全部ありました。スカートがシワシワになってもアイロンができました。目の前にスーパーが2つもあって、とても便利でした。
 

友達と共に。
友達と友達と共に

―   食事はどうされていたのですか?

美谷島 向こうでお友達になった方と一緒に食事をしたりしました。

―   レッスン会場と宿泊先は近かったですか?

美谷島 バスで10分か15分くらいでした。

―   バスはいかがでした?何か不自由はありませんでしたか?

美谷島 私の場合は1本で行けたので、大丈夫でした。

―   ちゃんと時間通りに来ましたか?

美谷島 はい、ちゃんと来ました。

―   講習会中にスリなどの被害は大丈夫でしたか?

美谷島 はい、ありませんでした。みんなすごく優しかったので、過ごしやすかったです。

―   治安は良い感じでした?

美谷島 コンサートで夜10時近くまでかかったり、お食事して遅くなったりして夜1人で歩いていても大丈夫でした。
 

ザルツブルグの町
ザルツブルグの町

―   海外にお友達はできましたか?

美谷島 受講生の方が、日本人が多かったので‥。でも、知っている単語を並べて韓国人の方やいろいろな国の方とお話しました。

―   ジェスチャーがあれば何とかなる感じですか?

美谷島 そうですね、ジェスチャーとあと単語だけで(笑)。

―   韓国人の方は英語が話せましたか?

美谷島 いえ、あちらの方も英語が得意なわけではなくて、お互い分からない同士です(笑)。

―   今回の講習会に参加して、良かったと思える瞬間はどんな時でしたか?

美谷島 コンサートに出た時です。日本では味わったことのないものでした。海外でのコンサートは初めてでした。1人1人が音楽に対して暖かくて。聴いてくださる方がとても暖かく迎えてくれました。いままでの演奏経験では、いつも張り詰めた空気があったので‥(笑)。

―   どんな曲を演奏されたんですか?

美谷島 ドビュッシーのプレリュードの中から2曲弾きました。
 

ザルツブルグ街並み
ザルツブルグ街並み

―   留学して、何か自分が変わったかな、成長したかな、と思うことは何ですか?

美谷島 自分では、はっきり変わったというのは分かりませんが、ザルツブルグで先生や、他の国の生徒さん、そして音楽が生活に溶け込んでいるこの町(国)の人々に出会えたことによって、音楽に対する新たな姿勢を学べたとおもいます。

―   留学前にやっておいた方がいいと思うことはありますか?

美谷島 やはり留学するには語学の勉強は大切だなと痛感しました(笑)

―   日本とザルツブルグの違いを教えてください。

美谷島 気候で言えば、私が行ったのは夏だったのですが、寒かったです。日本の秋に近い感じでした。
 

観光も楽しんだ夏。
観光も楽しんだ夏。

―   今後の予定はいかがですか?

美谷島 きちっと音大を卒業して、さらに留学できたらいいな、と思っています。

―   ありがとうございました。

高林将太さん/ジャズドラム/バークリー音楽大学ゲイリー・チェイフィー元教授・アンドビジョン特別プログラム/アメリカ・ボストン

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

高林将太さん
高林将太さん

高林将太さんプロフィール
高校時代に、軽音楽部でドラムを始める。大阪音楽大学短期大学部ポピュラーコースでドラム・パーカッションを学ぶ。卒業後同大学専攻科器楽専攻ジャズに進学。卒業後は関西を中心にアーティストのサポートドラマーやドラム講師として音楽活動中。ボストンでゲイリー・チェイフィー先生のドラムレッスンを受講。 ローランド京都センターVドラム講師(京都)、田代音楽教室ドラム講師(奈良)。

—  はじめに略歴を教えてください。ドラムはいつ始められたんですか?

高林 高校のときに軽音楽部だったんですが、そこでドラムがいなくて、じゃあ、僕が(笑)とドラムを始めました。高校卒業後、大阪音楽大学短期大学部に入学し、真剣に取り組むようになりました。

—  現在は何をされているんですか?

高林 大学卒業後、ドラム講師をしながら音楽活動をしています。

—  今回、留学されたきっかけを教えてください。

高林 高校のときに音楽の指導をして頂いた先生に相談をしたら、その先生も留学をした経験があって「一度見てきたらいいよ」とアドバイスをしてくださったんです。それから、両親も賛成してくれました。

—  みなさんの後押しがあって留学をされたんですね。

高林 そうですね。

—  今回の留学でゲイリー・チェイフィー先生のレッスンを受講されましたが、先生はどのように選びましたか?

高林 ゲイリー先生は日本でも有名なドラマーで、先生の教則本は日本でも発売されている有名な本です。その本を書いている方っていうのが決め手でした。それから友人がボストンに住んでいることもあって決めました。

—  ドラムを始めたときからその教則本を使っていたんですか?

高林 いえ。キャバレーの仕事に行ったときに先輩のドラマーの方にお勧めされたんです。
 

ゲイリー・チェイフィー先生と
ゲイリー・チェイフィー先生と

—  先生のレッスンの雰囲気はいかがでしたか?

高林 とても真剣にレッスンしてくださいました。

—  先生の叩くドラムは何か特別なものがありましたか?

高林 ええ、それはもう!

—  レッスンではどのようなことを習ったのですか?

高林 先生の教則本を具体的に詳しく指導していただきました。

—  レッスン中は教則本に沿って技術を教えてもらったのですか?

高林 はい、そうですね。

—  本に沿ってということですが、何か曲を使ってということはなかったんですか?

高林 「これはこういう曲で使うと良い」と曲を紹介してくれました。

—  レッスンの場所はどういうところでしたか?

高林 先生のご自宅でした。

—  やはりアメリカのプロミュージシャンのお宅といった雰囲気でしたか?

高林 そうですね。レッスンをしたのはお家の地下室でした。部屋には先生と世界中の一流ドラマーの人達との写真が貼ってあって感動しました。

—  レッスンのときは通訳の方をお願いしたんですよね?

高林 はい、お願いしました。通訳の方も現地でミュージシャンをしている方だったのが良かったです。通訳の方と現地のライブハウスに出演するミュージシャンの情報など音楽の話をすることもできました。

—  先生とはレッスン以外で何か話されましたか?

高林 はい。日本以外からもレッスンを受けに来る方がいる事や先生が参加しているCDでお勧めのCDなど教えて頂きました。帰るときに先生にサイン入りのスティックをもらいました。嬉しかったです。

—  宝物ですね。

高林 はい。もったいなくて使えません(笑)。

—  レッスンを受けて何か変わったことはありますか?

高林 はい。レッスンを受ける前から先生のプレイは知っていたのですが、すごく難しいと思っていたことが、「あぁ、あれはこうやっていたんだ」と理解することができました。難しそうに見えていたことが、実は教わったことを少し応用していただけ、ということをレッスンを通じて学べました。

—  細かいやり方を教えてくださったんですか?

高林 そうですね。

—  留学中はどちらで練習されていたんですか?

高林 ボストン市内です。

—  都市部ですか?

日本で生活していた事もある練習室スタッフと
日本で生活していた事もある練習室スタッフと

高林 いえ。「静かな場所だったので、こんなところにスタジオがあるんだ!」というようなところでした。スタジオに置いてある楽器がいい楽器で、休憩するところもとてもキレイで日本のスタジオよりもいい環境でした。それから、オーナーの方が日本語を話せる方だったのも良かったです。帰りにはスタジオのTシャツをいただきました。

—  いろいろもらったんですね。

高林 はい(笑)。

—  向こうでレッスン以外の時間は何をされていたんですか?

高林 友人が通っている音楽大学を見学したり、ライブを見に行っていました。買い物も行きました。CDをたくさん買いました。先生のCDも買いました。

—  あちらでしか手に入れられないような貴重なものもあったんですか?

高林 ええ、そうですね。

—  見学されたお友達の学校はどちらなんですか?

高林 バークリー音楽大学です。

—  見学されてみていかがでしたか?

高林 ドラムは生徒用の大きなロッカーがあって、ドラムの学生はそこから自分の楽器を持ち出して練習しているのを見て、さすが! と驚きました。

—  他には何か見学されましたか?

高林 学生のライブを観に行きました。

—  向こうで他にライブを観に行きましたか?

高林 はい。ボストンに住んでいる友人のライブを観に行きました。楽しかったです。僕と同世代の人たちでした。

—  留学中、何か思い出に残ることはありましたか?

高林 ストリートミュージシャンです。バケツをいっぱい並べてドラムスティックで超高速で叩いていました。他には通りすがりにドーナツをもらいました。レッスンに行く途中にバスを待っていたら話しかけられたんです(笑)。僕は英語を話せないので“ I can't speak English. ”って言ったらドーナツをくれたんです。

—  ええーっ! なんだか聞いていると危険な印象を受けるんですが、こわい感じはなかったんですか?

高林 いえ、全然(笑)。留学する前にアメリカはこわいとか危ないという話を聞いていたんですが、留学中、危険だと感じたことは一度もなかったです。

—  スリなどの被害に遭うこともありませんでしたか?

高林 大丈夫でした。危ないと感じることもなかったですね。いい人ばかりでした。一度迷子になってしまったんですが、年配の女性の方が目的地まで一緒に連れて行ってくれました。それ以外でも、困っているといろんな人が声をかけてくれて助けてくれました。

宿泊先で
宿泊先で

—  宿泊先からレッスンの場所まではどのように行かれたんですか?

高林 地下鉄とバスで通いました。

—  交通機関で日本との違いは感じましたか?

高林 乗車賃の仕組みと切符の買い方が違いました。僕が使っていた地下鉄はどこにいっても2ドルで、毎回切符を買うのではなくてカードにチャージして使っていく形でした。

—  カードはどこで購入できるんですか?

高林 地下鉄の改札で購入できます。最初に買うときに少し戸惑いましたが、英語が話せなくても大丈夫だったので、困ることはないと思います。

—  バス停もわかりやすいですか?

高林 はい。大きく“T”書いた看板がありました。

—  向こうで何か出会いはありましたか?

高林 友人に紹介してもらったナイジェリアの方にパーカッションを教えてもらいました。帰国した後もメールで連絡し合える友達になりました。ドラムショップの店員さんとも仲良くなって、連絡先を交換しました。

—  きさくな方が多いですね

高林 そうですね。

—  海外の方とうまく付き合うコツはありますか?

高林 はっきりと意思を示すことだと思います。わからないならわからない、こうしたいならこうしたい、イヤならイヤとはっきり言うことが大事だと思いました。

—  海外の方と接していて何か困ったことはありますか?

高林 英語が使えた方がよかったですね。

—  英語の勉強はされて行かれたんですか?

高林 いえ、英単語が載っている本に目を通した程度です。その本は向こうにも持って行きましたが、とても役に立ちました。

—  他に何か持って行って役に立ったものはありますか?

高林 スリッパです(笑)。飛行機が長いのでスリッパだと楽でした。

—  留学してよかったことはありますか?

高林 レッスンを受けている間、受けた直後、その後の練習で自分の成長を感じました。今後どう練習していけばいいのか見えてきました。ゲイリー先生にはヨーロッパからも習いに来る人も多いんです。

—  機会があればまたレッスンを受講したいと思いますか?

高林 ええ、そうですね。

—  留学まえにやっておいたほうがよかったことはありますか?

高林 具体的な話になってしまいますが、先生の『パターンズ』という教本のうち『タイムファンクショニングパターンズ』という紫の表紙の教本をしっかりやっておけばいいです。

—  留学を考えている人に何かアドバイスをお願いします。

高林 迷っている人は、とりあえず行ってみたほうがいいと思います。

—  行くことで何か動き出すことがありますか?

高林 はい。世界で名前が通っている先生にレッスンを受けたことが自信になります。僕は生で先生の演奏を見ているし、レッスンもしてもらったという経験がとても大きなものになりました。それは一生心に残る良い経験だったと思います。

—  最後に今後の活動の方針を教えてください。

高林 今は関西中心なんですが、全国どこででも活動できるようになっていきたいです。ドラムはもちろん、色々なコースがあり、生徒募集もしていますので良かったらインターネットなどで検索してみて下さい。

—  今日はありがとうございました。

高林 ありがとうございました。

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