香田亜以さん/ヴァイオリン/アンギャン夏期国際マスタークラス/ベルギー・アンギャン

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。


Image香田亜以さんプロフィール
1989年札幌生まれ。北海道大学工学部2年在学中。現在、北海道大学交響楽団、その他アンサンブルに所属。
2009年ベルギー・アンギャン夏期国際マスタークラス受講

-まずは、香田さんの簡単なご経歴を教えてください。

香田  4歳からバイオリンを始め、プライベートレッスンで先生について習っています。音楽大学ではなく一般の大学に通っています。

-今回アンギャンに行かれたわけですが、それまでに海外に行かれたこと、レッスンを受けられたことはありましたか?

香田  いえ、ありません。初めてです。

-海外の講習会に参加して、音楽を勉強しようと思ったきっかけは?

香田  作曲家が生きた国や場所で、実際に曲を作った場所を見てみたいという思いや、その空気を感じながら弾いてみたいという思いがあったからです。

-ベルギーを選ばれた理由は?

香田  ブロン先生のレッスンを以前テレビで見たことがあって、一度生でレッスンを見てみたいな、と思っていたんです。

-では、以前からブロン先生にご興味があったのですね。

香田  はい。ブロン先生は、日本にもけっこういらっしゃっている方なので。

-今回、アンギャンの講習会はどれくらいの人数が参加されていましたか?

香田  最初の1週間は聴講生だったのですが、大体25人ほどでした。2週目は6人です。

-どの国の人が多かったですか?

香田  フランス人、ドイツ人はやはり多かったです。でも、ブラジルから来ていた方もいましたし、日本人もいました。国際色豊かでしたよ。

-レッスンは英語でしたか?

香田  はい、英語でした。

-1週間目はザハール・ブロン先生の聴講ということですが、毎日聴講には行かれましたか?

香田  毎日ではありません。一週目は人数が多かったので、一人あたりでは40分のレッスンでしたが、朝から晩まで行われていました。出入り自由なので、気軽に聴講しに行っていました。

-実際にレッスンを聴講した感想は?

香田  実際に外国人のレッスンを初めて見ましたが、ブロン先生は基本ドイツ語だったので先生の話していることが分からなくて…。でも、ブロン先生はお手本として弾いてみせていたので、それで理解できるという感じでした。フレーズとか入り方とか。受講生が上手な方ばっかりだったので、聴いているだけで表現の仕方など本当に勉強になりました。

-レッスンの雰囲気は、どんな感じですか?

香田  先生と自由に話せるような雰囲気でした。聴講している生徒や親もたまに先生と話したりもしていましたよ。

-2週目からのウルフ・ヴァーリン先生のレッスンはいかがでしたか?

香田  それが、先生が直前に病気になられて、講習会にいらっしゃらなかったんですよ。

-そうだったんですか!?

香田  急遽、ミッチェル先生という女性の方に代わったんです。最初、どういう方かも分からなかったので、不安でした。帰ってから調べてみたら、ソロ活動をされている先生のようで。ソロの方なので弾き方がやっぱりパワフルでした。見せるパフォーマンスを大事にされているというか。

-そんな方のレッスンを受けられて、逆に良かったかもしれないですね。

香田  はい。最初はびっくりしましたが、刺激的でした。

-ミッチェル先生のレッスンは、どのくらいのペースで行われましたか?

香田  一回1時間のレッスンを一週間に3回ですね。先生方のコンサートがあったので、その練習のために、レッスンの時間が変わって日数的には4日間やりましたが。

-レッスンの内容はどういった感じでしたか?

香田  フレーズの取り方や表現の仕方がメインだったと思います。聴講の時も感じましたが、もっともっと自分を出していかないといけないんだなって。自分がどんなに感情的に弾いたとしてもミッチェル先生はOKを出してくれませんでした。

-何曲くらい見ていただけたのですか?

香田  私は2曲持っていきました。皆さんは、3~4曲持って来ていたので、2曲は少なかったかなとも思ったんですけど、自分の気になった所を突き詰めて習えたので良かったです。

-2日で1曲見てもらった感じですか?

香田  いえ。無伴奏とコンチェルトを一曲ずつ持っていったのですが、弓を上手く使ったフレーズの取り方をもっと教えてもらいたくてコンチェルトを中心にレッスンを受けました。

-その中で、基礎的なことを教わったのですね。

香田  やはり体の動かし方とか、表現の仕方ですね。先生がお手本を見せてくださって。小柄な先生だったんですが、動きの大きな方でした。

-どんな人柄の先生でしたか?

香田  とても優しくて、いつもにこやかな方でしたね。演奏とのギャップがありました。

-レッスン以外の時間は何をしていたんですか?

香田  もちろん練習はしましたが、友達とご飯を食べに行ったり。何度かパーティーもありました。少し時間があったので、一人でブリュッセルの観光もしました。

-充実されていたようですね。練習は、どこでされましたか?

香田  近くの学校が夏休み期間でしたので、そこの教室を使って練習しました。

-ひとり何時間とか決められているのでしょうか?

香田  いえ、決まっていませんでした、朝10時から夜7時まで学校が空いているので、自由に使えました。十分練習できましたよ。

-海外の方とのコミュニケーションはいかがでしたか?

香田  雰囲気はすごく楽しかったですけど、やっぱり、もうちょっと英語が話せたら良かったな…と思いました。

-事前に英語は勉強されていたんですか?

香田  いえ、全然。(笑)行ってみて、頑張ろうという気になりました。

-文化の違いで驚いたことはありましたか?

香田  そうですね。よく言われることですが、本当に自分の意志をはっきり言いますね。ちゃんと自分の意見を持ってて、自信を持って言えるというか。外国に行って、私はもっと自分を出せる気がしました。周りがみんなそういう空気ですから自然と自分に自信も持てますね。海外では、やはり積極的にならないといけないですよね。

-日本人の感覚よりオーバーな感じでやったほうがいい感じなんでしょうかね

香田  はい。それでも、全然オーバーではないんですよね。むしろそれくらいしないと伝わらない。

-なるほど。街の様子はどんな感じですか?

香田  小さな町で、特に観光するところもないような田舎でした。でも、お城の中が本当にキレイでした。公園の中にお城があるのですが、歩いて回ると2~3時間くらいかかりましたよ。ゴルフ場もあってゆったりとした雰囲気で本当に落ち着く場所でした。

-ブリュッセル市内はどんな感じでしたか?

香田  多くの人でとても賑やかでしたよ。本当に親切な方ばかりで道に迷っても全く困りませんでした。

-治安はどうでしたか?

香田  問題ありませんでした。怖い思いもしませんでしたし、英語も通じましたから。

Image-初めての海外という方にも、比較的安心な場所のようですね。今回、宿泊先は、どういったところでしたか?

香田  ホームステイでした。おじいちゃんとおばあちゃんの、すごく素敵な家庭でした。息子さんもブリュッセルに住んでいるので、週末に来たりしていました。その方が、日本の大学に行っていたようで、日本語がペラペラでした。色々お話してくれましたよ。

-海外のお宅に入るのは、不安があったと思うんですが。

香田  そうですね。でも、毎年日本人を受け入れているホームステイ先でしたので、日本人がそこに滞在したんです。なので、安心でした。凄く大きなお家なので、たくさん受け入れられるみたいです。本当にお城のようなお家でした。

-ひとりに一家庭ではないんですね。

香田 他の受講生はほとんどそうだったみたいですが、わたしが滞在したお家だけは、たくさん受け入れていました。他の参加者からは一番良いステイ先だと言われましたよ。

-それはラッキーでしたね! 滞在中の食事はどうされましたか?

香田  朝はステイ先で用意してくれるので、それを食べました。パン、ジャム、コーンフレーク、フルーツなどが並んでいて、自分の好きなものをそれぞれ取って食べるという感じです。夕食も用意してくれたのですが、講習会が終わるのが18時頃で、ステイ先までのシャトルバスの時間が21時でしたから、その空いた3時間で他の受講生たちと一緒に食べることが多かったです。

-レストランはあるのですか?

香田  はい、会場の近くにはありました。日本食レストランもあったのですが高そうだったので、中華料理屋さんによく行きましたね。結構美味しかったですよ。ステイ先ではほとんど毎日パンが出ました。あと、ソーセージも多かったですね。

-講習会場までは、どうやって移動していたんですか?

香田  シャトルバスが迎えに来てくれました。前の日に名前を書いて予約すると、家の前まで迎えに来てくれるんです。帰りも同じ要領でした。

-歩いては行けない距離だったんですか。

香田  ちょっと無理ですね。どこも行けないんです、田舎過ぎて(笑)。ホームステイ先があるところなどは、本当に何もなかったんです。学校の近くにはスーパーがあるので、学校のあとに寄って、その後バスで帰るという感じでした。

-今回、講習会に参加して一番良かったことは何ですか?

香田  バイオリンの技術についていえば、今後の課題が浮き彫りになって、これから練習していく上で大きな収穫となりました。日本人の演奏だけでなく、色々な方の演奏を聞いたことによって、表現の仕方の幅が広がったように思います。また、室内楽のレッスンもありました。私は今回ピアノ、チェロの方とトリオを演奏することができました。残念ながら私の聞いたことのない曲になったのですが、ピアノ、チェロの方と一緒に弾いているだけで、自分にどのような演奏、表現が求められているのかが感じ取れたのです。まるで魔法のようでした。今までで一番楽しく、衝撃的な室内楽のレッスンでした。ソロのレッスンより室内楽の方が楽しかったかもしれません(笑)

-今後の音楽活動に生かせそうですね。今後、海外留学をしてみたいという方にアドバイスをお願いします。

香田  やはり、ペラペラではなくてもいいので、英語は話せたほうがいいということですね。一生懸命話していれば、分かってくれる部分はあるのですが、話せるに越したことはありません。

-音楽家になりたいという目標はありますか?

香田  そうですね。今までは音楽は趣味だと思っていたんですが、今回参加してみて音楽の素晴らしさを改めて実感しましたし、もっと深く追求して将来的にそういう道に進めたらいいなとは思い始めています。

-今回の留学で可能性も更に増えたことと思いますので、今後も頑張ってください。今日はお忙しいなか本当にありがとうございました。

須山由梨さん/ピアノ/ウィーン国際音楽ゼミナール/オーストリア・ウィーン

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。


Image須山由梨さんプロフィール
3歳よりヤマハ音楽教室に入会。幼児科~ジュニア専門コースで学ぶ。中学2年生で「第2回かやぶき音楽堂ピアノデュオ連弾コンクールD部門」第2位、中学3年生で「第6回若き獅子たちのジュニア音楽コンクール」県知事賞を受賞。兵庫県立西宮高校音楽科ピアノ専攻を経て神戸女学院大学音楽学部器楽(ピアノ)専攻入学。同時に半年毎に阪神間にて自主企画コンサートを実施(1~3回目はフェリーチェ音楽院、4回目以降は世良美術館)。3年生で「第54回朝日推薦演奏会」に出演、「第15回KOBE国際学生音楽コンクールピアノ部門」奨励賞を受賞。現在4年に在籍し「第16回オータムコンサート」に出演、ハンナ・ギューリック・スエヒロ賞を授与される。ボリス・ベクテレフ氏に師事。2009年夏、ウィーン国際音楽ゼミナール ジュゼッペ・マリオッティ先生のコースを受講。


-まずは、須山さんのご経歴からお願いいたします。

須山  兵庫県立西宮高等学校音楽科を卒業し、現在、神戸女学院大学音楽学部の4年生です。

-講習会に参加されたのは、今回が初めてなんですよね?

須山  はい、初めてです。海外旅行としては、小さい頃に行ったことはあるようなのですが、記憶にないんです。写真を見て、ああこんなところに行ったんだな、という感じで。

-今回、参加されたきっかけは、学校でそういう制度があったからということですが。

須山  そうですね。今年から制度が始まって、こういう講習会に参加しませんか、という掲示を見て存在を知りました。そこに書いてあった講師陣の中に、以前から気になっていた先生のお名前を見つけたのも、大きな理由です。その先生にも教えていただきたいし、海外で講習を受けられるなら、と思い応募しました。

-その制度には、学内で選考試験などはあったのですか?

須山  はい、一応選考は成績だったようです。3年生の後期の成績が評価されたようです。

-素晴らしいですね。さて、講習会ですが、参加者はどのくらいの人数がいましたか?

山  50人くらいだったと思います。実際、全員集まるという機会がなかったのでよくわからないのですが・・・。担当の先生によって、行事への関わり方が違いまして。たとえば、オープニングイベントなどに、「いってらっしゃい」って送り出してくれる先生もいれば、「僕たちは僕たちでやりましょう」みたいな先生もいらしたので。

-参加者は、どんな国籍の方が多かったですか?

須山  私たちのときは、日本人が本当に多かったです。ちらほら他の国の方はいらしたんですけど。

-ウィーンは、日本人には人気の場所ですし、日本の大学生のお休みの時期でしたもんね。

須山  そうですね。夏休みが始まる頃だったので、皆さんも行きやすかったんでしょうね。私は、二期に参加しましたけど、フルートの友達が五期で行ったときには、外国の方が多かったって言っていましたので、時期によっても違うみたいです。

Image-講習会のスケジュールは、先生ごとに個々で決まっていたんですか?

須山  はい。私の場合は、土日を除いて毎日レッスンしていただきました。本当に先生によって、大分スケジュールも違っていたみたいです。

-たくさんレッスンを受けられて良かったですね。

須山  本当にありがたかったです。時間としても、1時間から1時間半くらいで、それが毎日でしたから。

-先生はどんな方でしたか?

須山  本当に穏やかで親切な、まさに紳士という方でしたね。細かいところにまで気を使ってくださって、すごく丁寧に教えていただきました。

-レッスンではどんなことを教わりましたか?

須山  ペダルの使い方をよく教えていただいたのが印象に残っています。先生曰く、ウィーンスタイルという奏法があるそうで。そういうことをいろいろ教えていただきました。

-レッスンはドイツ語ですか?

須山  基本は英語でした。ただ、いろんな言語がしゃべれる先生なので。日本でも徳島文理大学の音楽学部長をされている方で、時々日本語も混じりましたし(笑)。

-練習はどこでされていたんですか?

須山  学校とホテルの練習室ですね。どちらも、2時間を上限として、予約して使う形です。私は、学校の練習室もホテルの練習室もどちらも使いました。

-それぞれの練習室で違いはありましたか?

須山  学校の練習室は、アップライトのピアノだったんです。ホテルは3部屋中2部屋がグランドピアノでした。私は、そのうち1つの部屋が気に入ったので、主にその部屋で弾いていました。

-レッスン以外の時間は何をしていましたか?

須山  コンサートに行ったり、観光したりしていました。美術館へ行ったり、ショッピングなどもしましたね。

-美術館はどうでしたか?

須山  やっぱり素晴らしかったです。美術博物館に行ったんですけど、本当にいたるところに作品が並んでいて、歴史を感じられる作品がたくさんあって、感動しましたね。有名な絵などもありましたから。

-ウィーンは、そういう芸術面は充実してますからね。

須山  ただ、ちょうどオペラをやっていない時期だったので、それが残念でしたけど。

-それは残念でしたね。コンサートは何のコンサートに行かれたんですか?

須山  ひとつは、観光客向けの弦楽四重奏だったんですが、歌やバレエもついていました。こじんまりとした所だったんですけど、素晴らしかったですよ。あとは、ウィーン国立音楽大学の先生が指揮されている、管弦楽団のコンサートに、私のピアノの先生に招待していただいて行きました。とてもいい思い出になりました。

-宿泊先はホテルだったと思うんですが、対応はいかがでしたか?

須山  すごく皆さん親切でした。しいて言えば、シーツなどを整えてくださるハウスキーピングの方が、日によって、すごい早いときがあって、思いっきり寝ているときに来てしまったこともありましたね(笑)。「Don't Disturb 」の札とかなかったので・・・。困ったことはそのくらいで、とても過ごしやすかったですよ。

-宿泊先と講習会場は、どうやって移動していたんですか?

須山  トラムで移動しました。不安だったんですけど、最初、詳しい方が連れて行ってくださったんです。おかげで、すぐ自分で乗れるようになったので、毎日使ってました。

-助けてくださる方もいたんですね。

須山  はい、とてもありがたかったです。宿泊先にも日本人の方が多かったですし。学校の先輩と、向こうでばったりお会いしたりもして、それも心強かったですね。

-食事は外食が多かったんですか?

須山  そうですね、友達と一緒に行きました。けっこうイタリアンレストランが多くて、入りやすかったのでよく行っていました。あとはカフェとかですね。値段としては、平均、10から15ユーロくらいだったと思います。

-日本と比べると、やや高いですよね。

須山  そうですね、量も多いんですけど。ただ、私の場合は、すごくお腹がすいていたので、たっぷり食べてましたから(笑)。レッスンだけでもお腹が空きますからね。

-皆さんも、疲れてたくさん食べるって聞きますよ。カフェではお菓子も食べられたんですか?

須山  はい。お昼とおやつを食べたり、夕飯とデザートを食べたり。それこそ、ザッハトルテとか、ケーキとか、思う存分食べてきました(笑)。あとは、ウィーンの郷土料理の、ヴィーナシュニッツェルも食べました。

-それはどういう料理なんですか?

須山  牛や豚のカツレツです。シュニッツェルセンターというのがホテルの近くにあって、そこにも通いました。ヴィーナシュニッツェルのファーストフードみたいなものなんですけど。

-どんなソースなんですか?

須山  ソースはかかってないですね。塩コショウで、すごくシンプルなんです。

Image-今後行かれる方にはぜひ食べてもらいたいですね。さて、日本人の方が多かったということですが、海外の人と交流することは少なかったんですか?

須山  お店の方とはお話しする程度でしたね。

-そのときに上手くコミュニケーションするコツはありますか?

須山  笑顔と挨拶ですね。ガイドブックにも書いてあったのですが、お店に入るときも、挨拶をするように心がけました。そうすると皆さんも笑顔で返してくれるので。

-特に困ったことやトラブルはありましたか?

須山  大きなトラブルは特になかったんです。ひとつ挙げれば、前日に大学の下見に行ったんですね。そのときは地下鉄を使ったんですけど、地下鉄からホテルに帰れなくなって・・・(笑)。友達も一緒だったんですが、どうしても分からなくなってしまって、近くの方に聞いて教えてもらったりして、なんとか無事にたどり着いたということがありました。

-現地の人も親切だったんですね。

須山  本当に親切でしたよ。片言の英語で話しかけたんですけど、すぐに英語で答えてくれましたし。

-英語は皆さん話せるんですね。

須山  はい。お店の方も英語で対応してくださいました。

-ドイツ語が話せるほうがベストだけれど、英語でも困らないんですね。

須山  はい、お店での会話ならそれでも。観光客の方も多いので、お店の方々は、日ごろから英語を話してらっしゃるんでしょうね。

-今回講習会に参加して良かったことは何ですか?

須山  もちろん、ウィーンの文化に触れることが出来たのも嬉しかったんですけど、講習会の中で、 ベーゼンドルファーザールで演奏する機会があるっていうのが、しおりに書いてあったので、そういう機会があったらいいなって思っていたんです。そうしたら運良く、そこで弾けることになりまして。私はベーゼンドルファーが好きなので、夢のような場所で演奏できて、とても感激しました。

-素晴らしいですね!今後の自信にもなりますね。では、日本とウィーンとで大きく違う点は何ですか?

須山  日が暮れるのが遅かったですね。9時くらいにやっと暗くなる感じで。日本でいるときの感覚からしたら、「あれ?もうこんな時間?」っていうのことがありました。

-電車などの交通が遅れたりとかはしなかったんですか?

須山  トラムは、バスみたいな感じで、少し遅れることはありましたけど、大幅な遅れはなかったですね。あとは、また食べ物の話ですが(笑)、料理を注文してから来るまでの時間が長かったです。日本だとクレームがつくくらいでしょうか、平均で30分は待ってましたね。ですから、コンサートに行く前などは、余裕を持ってご飯を食べに行ったほうがいいと思います。

Image-今後留学する人へ、何かアドバイスはありますか?

須山  私の場合は、西洋音楽の歴史がすごく遠いものだったんです。それが、作曲家のゆかりの地などを訪ねたりして、「こういう所からこういう音楽が生まれたんだな」って実感できて、身近に感じられるようになりました。想像以上のものを感じられたので、ぜひ、皆さんにも、実際足を運んでみてほしいなと思います。

-では、留学前にしっかりやっておいたほうがいいことはありますか?

須山  私の場合は、語学をもうちょっとやっておいたほうがよかったと思いました。片言の英語でも通じるのですが、ドイツ語も少しはやっておいたほうがいいと思います。メニューを見るときや、標識を読むときなども苦労しましたので。通りの名前も細かく書いてありますし、地図も見やすいので、最低限それが読める程度の語学力があればいいと思います。

-留学を経て、今後の進路は?

須山  今、大学4年生で、大学院に進学を希望しているのですが、試験が1ヵ月後なのでまだ分かりません。神戸女学院の大学院があるので。そのまま進めたらいいなと思っています。

-試験では何曲弾かれるんですか?

須山  4曲です。40分程度のプログラムを組まなくてはいけないんですよ。

-いつかまたウィーンにも行ってみたいですか?

須山  はい! すぐにでも行きたいです!

-今度は研究として留学されるのでしょうか、演奏家としてなのでしょうか。

須山  演奏家としてでしたら嬉しいですね。

-今後の活躍を期待しております。本日はありがとうございました。

簾田勝俊さん/フルート/ミステルバッハ国際夏期音楽マスタークラス/オーストリア・ミステルバッハ

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。


Image簾田勝俊さんプロフィール
プロフィール追加
2009年夏、ミステルバッハ国際夏期音楽マスタークラス において、カーリン・レーダ教授のコースを受講。


-まずは、現在までのご経歴を教えてください。

簾田  高校1年生のときにブラスバンドに入り、フルートを始めました。でも、進学校でしたから1年で辞めたんですけど。

-では、フルートは、ご趣味として練習を重ねてきたんですか?

簾田  いえ、それからずっと遠ざかっていまして。2年半前、57歳の時ですが、キヤノンという会社を辞めて独立し、会社を興したんです。それで、自由時間が出来たものですから、数十年ぶりに再開したというわけです。レッスンにも2年半前から通っています。

-では、講習会に参加されるのは全く初めてだったんですね?

簾田  はい。日本では、新日本フィルの方のレッスンなどを受けたりしたこともありましたが、海外は始めてです。

-これまでに海外に行かれたご経験は?

簾田  はい、仕事を含めてしょっちゅう行っています。

-どこが一番思い出深かったですか?

簾田  世界中ですからね(笑)。個人的には、北欧が好きですね。写真展でも北欧の写真が多いですよ。

-今回、このミステルバッハの講習会に行きたいと思った理由は何だったんですか?

簾田  仕事もあるので、スケジュールが合ったというのが一番の理由ですね。ニューヨークで写真展があったりしましたから、しょっちゅう行ったり来たりは出来ませんし。実は、モーツァルテウムも気になったのですが、オーディションがあるということだったので諦めました。落ちたらやだなと思って(笑)。ミステルバッハはオーディションがないですし、誰でもコンサートに出られるというところが魅力でしたね。

Image-講習会の参加者はどのくらいでしたか?

簾田  フルートだけで15人くらいです。

-どんな人が参加されていましたか?

簾田  ほとんど学生でしたね。一番若い子は、13歳でした。コンクールで優勝して、そのご褒美として参加していたみたいですけど、かなり上手かったですね(笑)。オーストリア人がほとんどでした。僕以外は、生徒も先生も顔見知りのようでしたね。先生が普段も教えている生徒もいたみたいです。僕は、世界各地から集まってくると思っていたので 、そこは予想と少し違っていました。それはそれで良かったですけど。

-アジアの方はいらっしゃらなかったんですか?

簾田  台湾の子が二人いましたけど、その子たちもオーストリアに留学している子たちでしたね。

-スケジュールはどんな感じでしたか?

簾田  8日間の中で、1時間のレッスンが5回くらいありました。夜はアンサンブルの練習をしましたし、かなり充実していましたね。先生たちのコンサートも含めて、コンサートは3日間ありました。

-先生はどんな方でしたか?

簾田  3人いたんですが、まずカーリン・レーダー先生というウィーンの音楽院の教授がメインで教えてくれました。そして、イタリアの大学で教えてらっしゃる方、もう一人はイスラエル出身のオーストリアの大学の先生でした。それぞれ個性的で面白かったですよ。

-皆さんフレンドリーでしたか?

簾田  そうですね、とてもフレンドリーでしたよ。僕が写真を撮るのを分かっていて、写真を撮ってほしい先生とかもいましたし。いい写真をたくさん撮れたのも良かったですよ。とても美しい生徒もいたから(笑)、レッスン中なんて、ものすごくいい絵になりますし。写真家としても、なかなかそういう機会には恵まれないですからね。

-ぜひ拝見したいです!

簾田  日本でも写真展やると思いますから、見てください。

-レッスンではどんなことを教わりましたか?

簾田  今やっている教わりたい曲を中心に教えてもらうのと、コンサート用のレッスンです。コンサートにおける心構えや姿勢、気持ちのもっていき方とかを教えてもらって、非常に勉強になりました。音楽は人に聴かせるものだっていう考え方とか、やはり違うなって思いました。日本では、練習することが重要なんだっていう考え方ですからね。国民性の違いもあるでしょうが、やはり音楽の国だなと思いましたね。僕も、もともと人前で演奏するのが好きだし、人に楽しんでほしいなという思いを持っていたので、合っていましたよ。日本のレッスンでは、オーケストラに所属している子や音大を卒業した子などもいますが、積極的に前に出て行くということは、あまりしませんからね。

-日本人の国民性でしょうかね。

簾田  「オーケストラに入っていても首席はやりたくない」とか言う人もいますよ。何でだろう?みたいな(笑)。僕は、下手でも首席やらせてくれないと面白くないって思うタイプだし、コンチェルトでも「ソロやらせてくれないかな」とか(笑)。今回の講習会でも再確認しましたが、音楽っていうのは、人を気持ち良くさせるというか、そういうのも重要な要素ですので、そのために練習するのが大事なんですね。

-良い勉強になったんですね。日本の曲を演奏されたそうですが、反応はいかがでしたか?

簾田  「春の海」ね。受けましたよ。コンサート後に、この譜面くれないかって言う先生もいました。日本にも聴かせる曲があるんだ、ということを見せられたのは非常に良かったです。「来年は、絶対モーツァルトのコンチェルトをやる」って言って帰ってきたんですけど(笑)。オーストリアですから、やはりモーツァルトもやりたかったんですよ。僕は、かぶれているわけじゃないですけど、ヨーロッパは美術や芸術の面で素晴らしいものがあると思っていますので、もっと知りたかったんですよね。

Image-やはり、聴かせる音楽という点では、日本とは違いましたか?

簾田  練習を聴いていても、日本とは根本的に違うなって思いました。あそこの雰囲気で聴くのもまた違いますしね。初日に、先生が弾いたのを聴いた時、ああやっぱり先生は違うなって思いましたけど、その後、生徒の音を聞いても、やっぱり音の流れが違うなって感じましたね。非常に心地良いんです。そういう心地良さが音楽の原点になっているのかなって思いました。音楽ではないですけど、僕の写真もそういうものが多いんですよ、静けさを感じるような心地良いものが。

-レッスンは、基本的にドイツ語だったんですか?

簾田  僕の個人レッスンは、ほとんど英語でしたね。他の生徒はドイツ語が多かったですけど。イタリアの先生は、英語のほうが得意だったので英語でしたが、基本的に二人の先生はドイツ語でしたね。

-言葉のほうは大丈夫だったんですね。

簾田  ええ、英語は。普段使っていますから。

-練習はどこででされていたんですか?

簾田  練習室は特になかったんです。自分の部屋がかなり広いのでそこでやったり、先生のレッスン室でやったりました。夏休みの間のドミトリーのような所でしたので、どこで吹いてもOKだったんです。

-自由で良かったですね。どのくらい練習しましたか?

簾田  僕はそんな長くないです、2時間くらいでしょうか。他の子は、朝から晩までやっていましたね。朝8時っていうと音が聞えてきましたから。

-レッスンや練習の時間以外は、何をされていましたか?

簾田  レッスン以外は、写真を撮っていました。僕は、オーストリアやドイツの田舎の風景が好きなので。非常にいい写真がたくさん撮れましたよ。歴史的な建築物がたくさんありますからね。

-街の様子はいかがでしたか?治安は良いほうですか?

簾田  オーストリアやドイツは、いろんなところに何十回と行っていますが、怖いことはないですね。ただ、若い女の子たちは分かりませんけど。ナイロビなんかに比べたら安全ですよ(笑)。オーストリアは夜9時にもなれば、レストランなども閉まってしまいますから。イタリアやギリシャは夜2時くらいまでは大騒ぎしてますけど。

-街の人の様子はどんな感じですか?

簾田  オーストリアやドイツは、基本的には真面目な人が多いですよ。日本みたいに繁華街が乱れているとかそういうのはないですね。そして、特にミステルバッハは田舎なので、夜にはほとんど人がいませんよ。スーパーなども6時には閉まってしまうような所ですから。ほとんど音楽しかやることがないっていう感じですね。

-音楽を集中して勉強したい人にはピッタリですね。

簾田  みんな音楽が好きですよね。参加者は小さい頃から音楽をやっている子ばっかりだから。僕くらいですよ(笑)。でも、行ってよかったと思います。まあ、海外にあまり行ったことのないような男性だったら、少しキツイかもしれませんが。孤独になっちゃうかもしれないから(笑)。僕は、音楽が好きな人なら、もっと来たらいいのにって思いますけど。

-どこかに遊びに行かれたりはしなかったんですか?

簾田  行きませんでしたね。その1週間くらいは音楽漬けでいたいと思ってましたから、良かったですよ。

-宿泊先は、寮だったんですね。

簾田  寮みたいな感じですね。いろいろな合宿の人も使うのでしょうか、ほとんど誰もいなかったです。ご飯も、簡単な朝食が出るくらいですから。

-管理人さんはいらっしゃらなかったんですか?

簾田  いなかったです。カーリン・レーダー先生と、彼女のご主人が中心になって面倒を見てくれたので、非常にこじんまりとした感じでしたよ。

-カーリンレーダー先生の対応はいかがでしたか?

簾田  非常に良かったですよ。ご主人も素晴らしい方でしたね。クラリネットとサックスの間みたいな楽器でアンサンブルに参加してくれたり。演出が好きな方で、野外コンサートのときのライティングなどは、素晴らしかったですよ。僕が持っていった写真データを使って、日本の曲のときは日本の写真を壁に投影したりして。観客はワインを飲みながら、それを聴くっていう雰囲気を作ってくれたりしました。夫妻が住んでいるところが車で10分くらいのところらしく、いろいろ世話を焼いてくれて楽しかったですよ。

-宿泊先から講習会場へは、どうやって移動していたんですか?

簾田  一緒の場所だったんです。コンサートだけがシティホールだったんですよ。

-ご飯は、どうされていたんですか?

簾田  朝はパンとハムとチーズ、あとは果物がちょっとある程度です。昼は、みんなでピザを取ってつまんだりという感じでした。夜は、アンサンブルの練習を毎晩6時から10時くらいまでやっていますから、その後みんなで飲みに行ったりしました。食べるものはソーセージくらいしかないんですけどね。質素そのものです。

-外食でも安く上がるんですね。

簾田  ええ。ミステルバッハには、日本のように何千円も何万円もするような食事をする場所はないですからね。まあ、千円も出せば腹いっぱいですよ。

-今回は、オーストリアの参加者が多かったということですが、海外の人と上手く付き合うコツはありますか?

簾田  僕は、写真の話がありますからね。相手も聞きたがりますし、僕はあまり苦労はしないですね。

-簾田さんは、積極的に話されるほうですか?

簾田  そうでもないですよ。向こうから必要なことを話しかけてきて、そこから話題になっていくという感じですかね。イタリア男みたいに、女の子に声を掛けまくるようなことはしないですよ(笑)。若い学生ばかりでしたが、ひとり中年の女性もいらして、その方も良く話しかけてきましたね。

-趣味的なものがあると、話しやすいんでしょうね。

簾田  そうですね。日本の中高年の男性で、留学される方はあまりいらっしゃらないでしょうけど。

-それがけっこういらっしゃるんですよ! ジャズピアノとかが割と多いですね。クラシックではバイオリンの方とかいらっしゃいますよ。

簾田 そうなんですか。フルートは全体的に女の子が多いですけどね。

-さて、留学中に何か困ったことはありましたか?

簾田  全然、何もなかったです。僕は何十回と行っていますが、ドイツ、オーストリア、フランスなどでは、今まで怖い思いをしたことは全くありません。今回も、ローマから飛行機が1時間半くらい遅れたんですけど、ドライバーが待っててくれましたし。真面目なお国柄だなと思いましたよ。

Image-今回講習会に参加して、良かったと思う点は何ですか?

簾田  それはもう、最後のコンサートですね。若い子たちが、みんなで親指を突き上げて、日本語で「良かった!良かった!」って言ってくれたことです。日本人ピアニストの渡辺さんから教わった言葉らしいんですけどね。アンコールではないのですが、演奏後、もう一回舞台に立って拍手を浴びたのが嬉しかったですね。

-それは素晴らしいですね!日本人が日本の曲を演奏したのも良かったのでしょうかね。

簾田  一番感激してくれたのは、オーストリアの大学から来ていた先生ですね。カーリン・レーダー先生が忙しくて来れない時、舞台のリハを見てくれたんですが、演奏後にハグをしてくれたりして。確かに、「春の海」をフルートで演奏するのとても良かったですよ。日本の誇る名曲だなって思います。

-現地の方は、日本の曲を聴く機会もなかなかないでしょうからね。

簾田  カーリン・レーダー先生が、「絶対受けるから、この曲を演奏しなさい」っておっしゃって。でも、日本の曲とはいえ、勉強になりましたよ。やはり人に聴かせる音楽としての教え方ですよね、楽譜どおりに弾きなさいというのではなく。そういう教わり方をしたことはなかったので、勉強になりました。

-教え方も国によって違うんですね。

簾田  やはり、あれだけのものを作り出す国ですものね。僕は、クラシックの専門家ではないですが、クラシック音楽って良く出来ているなって思いますよ。僕はずっと技術屋として、もの作りをしてきましたから、音楽も「どうしてこんなものが作れるんだろう」って、もの作りの観点からも感動してしまったんですよね。そういう面でも、行って感じられて良かったと思います。僕は、やはり感動から物事が始まるって思っていますから。

-ブログを拝見しても、良い経験をされたというのが伝わってきました。では、留学に参加してみて、自分が変わったなって思うことはありますか?

簾田  この年だから簡単には変わりませんが(笑)、先ほども言ったように、音楽に対する見方は変わりました。本質に近いものを感じられて良かったです。その環境にいないと聴こえない音っていうのもありますから。それと、音楽や絵画、写真でもそうですが、人に感動を与えることが大事だなって、今まで以上に感じました。ヨーロッパでは、どんな小さい街でも、コンサートをやっていますから、そういう感動に触れる機会が非常に多いでしょう。日本ではなかなかないですからね。

-音楽に対する姿勢は、日本とは違いますか?

簾田  ヨーロッパでは、音楽そのものを学ぶことが大事だっていうか、本質的なものを勉強する考え方ですが、日本は、ロビー活動が重要視されるような感じが、少なからずありますからね。

-では、今後留学する人へアドバイスをお願いします。

簾田  積極的に行ったほうがいいと思います。

-「行きたいけど行けない」って言っている人ほど、行ったほうがいいですよね。

簾田  僕は、長年小さいオーケストラに入っていますが、向こうのアンサンブルの指導を受けてみて、やはり全然違うなって思いましたからね。カーリン・レーダー先生のご主人を見てても思いました。アンサンブルのとらえ方や、体の使い方までも違いますから。今回、垣間見ただけですが、本気でやるんだったら、海外で勉強することはいいことだと思いますよ。

Image-では、簾田さんの今後の音楽活動について教えてください。

簾田  音楽でメシを食おうとは思っていませんけど(笑)、機会を作ってできるだけ演奏したいです。すぐ近くに信州国際音楽村っていうのがあって、そこの屋外の木の舞台に上がって、一人で演奏したりとかするんですが、観客が一人二人で手を叩いてくれるだけでも嬉しいですからね 。この前も外で吹いてたら、「おじさんすごいね、フルート吹いているの?」って声かけられたりして。田舎ですから、普段あまり聞く機会がないと思うんですよ。なので、ここで小さい子どもたちにフルートを教えたりもしたいとも思いますね。本当は、犬がいなければ、2年や3年ヨーロッパに行ってみたいんですけど。スロバキアの大学一年で卒業できるとかいうプランもあるようなので、そういうのいいかなって思うんですよ。1年くらいは音楽の専門の勉強をしたいなって思います。でも、犬がかわいそうですからね(笑)。

-せっかく見せる音楽を学ばれたので、演奏する機会がたくさんあるといいですね。

簾田  若い子たちは一生懸命音楽をやっていますけど、もっともっと人前で演奏するということをやったらいいと思いますよ。 ・・・あなたは音楽をやっていたんですか?

-私は中学、高校とピアノを専門で学んでいましたが、才能がなくって・・・。

簾田  そうですか。でも、若いときに、自分の才能の限界は決めちゃいけないって思いますよ。僕も昔は、才能が必要だと思っていたんですが、今は、目標意識を高く持つことだなって、そういう気がします。僕の場合は音楽専門でやってきたわけではないからかもしれませんが、「音楽も出来る」っていうのが、とても嬉しいんですよ。少しでもやっていて良かったなって思いますから。才能のある人っていうのは、必ずいるんでしょうけど、音楽って一生懸命やれば、誰でも人に感動を伝えられると思いますよ。

-なんだか、とても励まされました!今日は本当にありがとうございました。

福森道華さん/ジャズピアニスト/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のジャズピアニスト福森道華(フクモリミチカ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽家としてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。

ー福森道華さんプロフィールー

ジャズピアニスト福森道華さん
photo by TAKEHIKO TOKIWA

愛知県立芸術大学音楽部作曲科を卒業。上京後、鈴木コルゲン宏昌さんに師事し、東京で8年間活動。2000年に渡米。Steve Kuhnにジャズ・ピアノを師事 し、ニューヨーク市立大学大学院音楽学部ジャズ科を卒業。Lenox Lounge、Cleopatra's Needle、University Street、Beekman Tower Hotel等に出演。ギリシャツアー、アルバムのレコーディングと音楽活動を広げています。ジャズライブハウス「ブルーノート」へも出演し、実力が高く評価されています。また、「CDで学ぶピアノの弾き方/気楽に楽しむポップスピアノ」(ナツメ社)の著者であり「ハモンドオルガン/キーボード ジョーイ・デフランセスコ イン」(ATN)の翻訳なども行っています。


ー  そもそも音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?

きっかけですか?3才のときに母親に地元の音楽教室に連れて行かれたことですね。自宅にピアノがたまたまあったので...。

ー  小さい頃だと興味があったというわけではなかったと思うのですが、やり始めていって、プロになろうと思った瞬間とかがあったわけですか?

そうですね、3才以降、常にやっていたので、そのまま何も考えずに音大に行き、今はジャズをやっているんですけど、あえてこの道に入ろうとしたのは、音大を出てからですね。

ー  日本ではクラシックから始めたようですが、何故ジャズに行き着いたのでしょうか?

あんまり大きくは言えないんですが、音大まで行って、私はクラシックがあんまり好きじゃないと思って。音楽教室はクラシックもやらせるし、ポップスみたいなのもあるんですが、よく考えてみるとそっちの方が好きだったな、というのに気がついて。それまでは学校でも音楽の時間は普通の授業より好きだな、とか音楽だったら何でも好きだったんですが、いざ100%クラシック音楽の環境に入って、ちょっと違うなっていうのがあって。よくよく考えたらテレビでやってる歌謡曲の方が好きって。

ー  今でもクラシックはあまり?

ジャズの道に入ってからは、こっちに必死なんですよね。時間がないから聴いていないですね。

ー  ブラジル音楽がお好きだそうですが、ジャズに進まれたのはなぜですか?

ブラジル音楽はそれで仕事が出来るとは知らなかったんですね。ホントは大学卒業してから、商業音楽家になりたかったんですよね。歌手の人に楽曲を提供する作曲家みたいな。で、そういう人になるならジャズの理論とか知っていた方が良いかな、と思って、テレビでたまたまジャズフェスティバルみたいなのをやっていて、このアレンジがすごい!、この人につきたい、と思ったときに、Dr.JAZZとして日本のジャズを支えて育ててくださった内田修先生にお会いして話したら鈴木君につきたいのか、紹介してあげるから、是非つきなさいと言われて..。鈴木先生が教えているのがアンミュージックしかなかったんですね。それで鈴木先生についてからすごく奥深くて、のめり込んで、難しくて、ジャズしかできない、他のことをやる時間がなく、今に至るという感じですね。

ー  そのころから一気にジャズに変換して、東京でもジャズという感じだったんですね。
 

ジャズピアニスト福森道華さん
Zinc Barでのライブ

変換というか、ふと考えたら他のことをやる時間がなかったし、難しかったし。自分にもあっていたし、すごく好きだったので。たまたま拾ってくれるバンドとかもあったので、東京に行った瞬間からジャズにドボっとはまったという感じですね。ご縁があったんですね。横道を考える暇がなかった。そんな中でブラジル音楽がすごく好きでよく聴いていたのですが、ニューヨークに行ってみたところ、そのブラジル音楽とジャズの両方がすごいクオリティーで存在するので、ニューヨークに住もうかな!、将来あこがれのバーに出れたらいいよな〜!みたいに思って。ZINC BARっていう憧れのBarにでれたらいいよな〜と思ってたんです。そこのバーでは、ぱっと見たらどう考えてもブラジル人しか弾いてないので、まさか自分がステージに出れるとは思っていなかったんですけど。次の人生はブラジル人なりたいと思いますけどね(笑)。本当はブラジル音楽とジャズ一緒にやりたいと思うんですけど、ブラジル音楽もすごい難しいんですよね。リズムの問題で。天才だったら出来たかもしれないんですけど自分の容量はよく分かっていますので(笑)。

ー  渡米を考えたきっかけを教えてください。

ジャズを初めたときから私を育てて頂いた、歌手の植村美芳子さんに、会ったときからニューヨーク行こうよって言われていたんです。でも、お金がないじゃないですか、もちろん。どうやってニューヨークへ?日々手一杯なのに、どうやってお金を貯めてニューヨークへ行くんだ?という感じだったんです。ある日、お金がようやく貯まったので、植村さん今年は行けそうなんですけど、と言ったら、ホントに〜って言われて。私が部屋借りるから、居候でいいから連れって言ってあげるわよ、っていわれて、行ったら初日からはまってしまったんです。私はもうここに住んでしまえ〜、これは住むしかないな、という風に思ってたんですね。

ー  1番そういう風に思われたのはどう部分なんですか?

やっぱり音楽ですよね。すごいショックを受けたんですよね。レコードしか聴いたことがないじゃないですか。いわゆる勉強するとか、ブラジル音楽にしても CDを聴いてう〜んという感じがあるみたいな(笑)。生を聴いて、生ってCDの百倍ぐらい迫力が有るじゃないですか、もちろん東京でもブルーノートとか行ってましたけど、それを1/10ぐらいの値段、もしくはタダで聴ける生活があるなんて。自分がそこに入るなんて夢にも思っていなかったので、とりあえずすがるように、聴けるだけでもいいや〜、という感じで。まさか自分が、そういう人たちに混じるとか、そんなおこがましい事は全然考えていないです。ほんと聴けるだけで有り難うございます、という感じで。

ー  現状で福森さんの音楽スタイルはご自分ではどのようなものだと思っていらっしゃいますか?また、ご自分の音楽をどのように作っていくのですか?

アメリカ来てから音楽に対して、変わったと思うのは、日本にいるときはすごく頭で考えていたんですよ。音楽のことを。とにかくすごい頭で考えていたんですね。こっちに来てからジャズが生まれた国で、ジャズが発展してきた土地で、こうして聴いている訳じゃないですか。しかも、びっくりするような大御所を間近で聴いて、その人たちの音楽を浴びるように聴いからは、頭で考えるんじゃなくて、心から伝えなきゃいけないんだ、っていうのがありますね。自分が日本とニューヨークにいてすごく変わったと思うのはそこですね。それで、それを感じられたのは幸せだなあと思うんですけど。Steve Kuhnに付いているというのもありますし、こちらでは全てがそういう思考なので。Steve Kuhnからは、君は何のために音楽やっているの?って。伝えるものがなければ意味がないじゃないかと。わたしが100万回練習した曲をSteve Kuhnが、なんだこれは〜!って言って、僕はこんなの30年ぐらい弾いていないけどね、と言って、30年ぶりに弾いた彼のその一発が、私の100万回の練習よりも100万倍うまいんですよ、というかずっと良いんですよ。

ー  舞台の上ではどのような事を考えて演奏しているのですか?それとも自然に演奏しているんですか?
 

ジャズピアニスト福森道華さん
Zinc Barで活躍する日本人ピアニスト

日本にいる時は考えて演奏していたんですよ。今は、自然が自然にでるようする、という事ですね。そして頭で考えなくて良いぐらい、練習する。自然に自分がでるように、自分が何を感じているかがすぐに手に伝わるような訓練をしておく。日本ではそれをしていたつもりでも伝わっていなかったんですよね。回路が間違っていた、というか、間違っていたとは言わないですが、あれはあれでよかったんですけど。実際気持ちよくスイングするというのはどういうことか、っていうのを、今自分がスイングしているかということをおいておいても、体でこういうことじゃじゃないのかなっていうのを何となく感じ始められたんですね。そのことは一生考え続けることです。だいたいこっちで育ってないし(笑)。そういうことは良く言われるんですよ、僕達はこちらの音楽を聴いてきて、英語を話してこういう風にスイングしているけど、だいたい君思考回路日本語でしょ、って(笑)。

ー  やっぱりジャズって、ツーカーの部分があると思うんですけど日本人と演奏するときと外国人と演奏するときと、一緒にやるときは感覚はちがうものですか?

やりとりの仕方は一緒です。日本で学んだHow to Jazzでも全然OKです。でもその先のどうやってスイングするとか、あこがれのレコードで聴いていた演奏に近づくには、っていう答えが、今でもずっと探しているんですけど、先生にも言われるんですけど、難しいんですよね。それはもう心で感じるっていうことなんですね。

ー  体に染みついてくるっていうような感じですか?

やっぱり年中浴びるようにあの音楽を聴いて、ですかね。

ー  それはやっぱりずっと住んでいないと分からないような感じですか?

世の中には分かる人もいると思います。私のような人間は、住んで5年たって、やっとなんとな〜くわかりはじめて、でもやっぱり分かってないんだろうなって、感じですかね。こんなこと言っていてもSteve Kuhnに言わせればNever ever swingとか言われちゃうんですけど。やっぱり本では勉強するじゃないですか。奴隷制度があって、アフリカ音楽と西洋音楽の融合みたいな、そういうのをものをこちらにいると身近で感じるんですよね。例えば、ゴスペルとかを見ると、こういうのが根底にあるのね、とか。

ー  ニューヨークに住んでると浴びるように感じるって事ですよね。

ニューヨークに住んでるとテレビも英語でCM流れても英語じゃないですか。その行間に流れる音楽も英語で流れるじゃないですか。日本に帰るとそれが全部日本の音楽、そこにまず、違いを感じます。だから、例えばただテレビでもこれを30年聴いて育ってきたか、きてないかで違うだろうなと。

ー  その部分で根本的な違いが出てくるってことですか。じゃあ更に30年間そちらに住み続けていけば、いわゆる自分の目指している音楽に近づけるということなんですか?

近づけたら良いですね。でも、そういう意識をずっと持ち続けることが大切だと思っています。

ー  音楽活動をする上でどのようなこだわりをお持ちですか?

う〜ん。ないです(笑)。今は電話がかかってくれば何でもお受けしています。

ー  演奏上でもないですか?

ないです。言われたものは何でもやります(笑)。よく分からないんですけど、どうやら私はたくさんの曲を知っているらしいのですよ。日本で最初に入れてもらったバンドがデキシーランドジャズで、普通の人が知らない古い曲から、歌伴をたくさん演らせて頂いていたので、歌手の人達が好む曲まで。そういう意味でも使ってもらえることが多いです。なので、雇ってくださった日本のバンドリーダーに感謝しています!。よく言われるんですよ、あなた多分日本人で結構若いわよね、なんでそんなおばあちゃんが知っているような歌知っているの?って(笑)。

ー  音楽活動して最も興奮することはどんなことでしょうか?

一緒に演奏している人達と、今なんかすごく通い合ってるなって感じるときですかね。その瞬間ってすごい曖昧なんですけど、グルーブしてるというか。自分なりにスイングしているってときですね。

ー  その時はお客さんにも伝わるものですか?

伝わると思います。のってない時ってお客さん、聴いてないんですよ。Zinc Barとかでもざわざわざわ〜っとしてて。で、やっぱりワッってバンドがするとお客も聴いてるんですよ。正直ですよね(笑)。     

ー  自分たちが今日はのってないな、という時はお客さんものってないなってなっちゃうんですか?

うーん、自分たちは100%でやっていたとしても、なんかのきっかけでうまくいかないことがあるんですよね。わかんないですけど。常に良い状態を目指してはいるんですけど。音楽からエネルギーを感じるか感じないかでうまくいかないことがあるんです。ダラダラした演奏をしようと思ってなくても、結果的にエネルギーが音楽に行き届いていないとそれがお客さんに伝わるんですね。

ー  ミュージシャンは盛り上がっていこうとしてもいまいちのれないときがあるって言うことですよね?

そうですね。いつも音を出した瞬間にときにバーンと来るのが理想なんですけど。

ー  日米の観客の違いはありますか?
 

ジャズピアニスト福森道華さん
ライブの後のホッと一息

そんなに違いはないような気がしますけど、例えばレストランで演奏する時にお客さんは聴こう、聴かないはあまり関係ないはじゃないですか。ただ、アメリカ人の方が楽しもうという雰囲気を持っていますよね。日本人の方がちょっと構えちゃう?っという感じ。でも日本人の人は慣れてきたら、良い感じで聴いてくれます。

ー  ジャズクラブのお客さんも日米で違う感じですか?

ジャズクラブはジャズが流れてるって分かってるから、そんなに違いは感じませんね。

ー  福森さんにとって、ジャズって、音楽ってどんなものでしょう?

なんでしょう、もうこんなに長くやってしまったんで、人生の相棒といったところでしょうか。そんなこと言いながら、いろいろ趣味はもっているんですけどね(笑)。

ー  ニューヨークで最も受けた影響って何ですか?

ニューヨークで音楽的に、う〜ん、やっぱりSteve Kuhnに付いていたんですけど、やっぱり一番影響を受けましたね。音楽に対する姿勢というか。姿勢って言っても私よく分からないんですけどね。ああいう偉大な人って、1時間半ぐらいのレッスン受けるだけでもものすごい、なんかワーって言うオーラみたいなものがあるんですよ。天才オーラというか。横で弾いてくれてるだけでも影響は受けますよね。

ー  技術とか、うまい下手とかそういうわけではないんですよね?

そういうんじゃないです。多分Steve Kuhnの人生がその音に詰まっていて、その音を通して、影響を受けるみたいな感じでしょうね。

ー  それがご自分の演奏にも出てくるって感じですよね。

ええ、マニアですので。オタクやなあ、と思うんですけど。彼のレコード集めてるし、ニューヨークでのライブはほぼ100%聴きに行ってます。

ー  将来の夢を聴かせて頂けますか?

もっとうまくなりたいですよね(笑)。(技術的ではなく)もっと自分を伝えられる音楽家になりたいですね。結果的に自分を伝えて、ハッピーを共有できたらいいですよね。

ー  お客さんがいいと思っている事はミュージシャンに伝わるものなんですか?

伝わります、さっきのざわざわしているって言うのと同じで、のっているときはエールの交換みたいな。そうするとミュージシャンものってきて。相互に良い感じですよね。

ー  海外でミュージシャンとして活躍する何か秘訣というか成功する条件はあるとお考えですか?

私が成功しているかどうかよくわかんないんですけど、やっぱり必死になることですかね。ジャズの場合、ニューヨークが本場じゃないですか、それで、そこを毎日毎日憧れてくる人が何百人といる訳じゃないですか。で、自分の前には何万人といる訳じゃないですか。だから必死でやっていかないと、ついて行けないですよね。

ー  逆に言えば、必死でやればチャンスがあるって言う感じですか?

そうですね。

ー  海外で勉強したいと考えている、読者にメッセージをお願いします。

海外で勉強するという夢は絶対叶うと思います。それはもう自分で努力して、お金を貯めれば叶うじゃないですか。勉強して卒業するまでは出来ると思うんですよ、誰でも。でもそこから先がスタートって言うか。それを活かせるような心がけというんですか、あと熱意です。それと努力の方向を間違わないようにする事。留学する方に取っては先の先かもしれないんですけど。演奏家になりたいといっても演奏家になれる人は、ほんの一握りの人達だけなので、演奏家になりたい場合はやはり覚悟を決める事です。必死さと方向を間違わないことですね。やっぱり難しいので空回りしてしまうこともありますし。自分の必死が報われるような努力をしないとダメです。あと練習だけではなく、アンテナも張らなくてはいけない。仕事を取るという意味です。やっぱりいろんな人と交流をはかっていないと、情報が入ってこないですね。そういうのも大事だと思います。もちろんチャンスが来たときに、自分の実力がそれに伴っていないとダメです。夢を持って留学されて、その夢を叶えるためには、常に自分の実力が伴っていないといけないので、そういう状態である事が必要ですね。

福森さんのオフィシャルホームページでもライブ情報を公開しています。
 

川口成彦さん/ピアノ/オヴィエド国際夏期講習会/スペイン・オヴィエド

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、夏期講習会、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。


Image川口成彦さんプロフィール

2009年夏、オヴィエド国際夏期講習会において、ガリーナ・エギャザローワ教授のコースを受講。


-最初に、川口さんの簡単なご経歴を教えてください。

川口  受賞歴としては、第2回青少年のためのスペイン音楽ピアノコンクール第一位、最優秀スペイン音楽賞受賞、横浜開港150周年記念ピアノコンクール第3位です。

-素晴らしい受賞歴ですね。以前から他の国の音楽よりも、スペイン音楽に興味があったんですか?

川口  はい、スペイン音楽”も”好き、という感じですね。民族色の強い音楽ですので、スペインも好きだし、チェコやノルウェイの作家も好きですね。

-ピアノを始められたのは、いつごろですか?

川口  小学校1年生からです。

-現在は、東京芸術大学の学生さんですよね。

川口  はい。でも、ピアノ科ではないんですよ。音楽を研究する学科で、ピアノも研究しているという感じです。

 -将来の夢は、演奏家になることですか?

川口  一応、音楽を研究しながら演奏するというのが夢ですが、学校の先生になれたら満足かな、とも思っています。

Image-柔らかい雰囲気なので、生徒さんにも好かれるでしょうね。さて、今回講習会に参加されたきっかけを教えてください。

川口  スペインのコンクールで賞金をいただきまして。今まで、海外で音楽を学んだ経験がなかったので、いい機会だから行ってみようと思いました。

-では、今回が初めてだったんですね。スペインを選ばれた理由は?

川口  そのコンクールがスペイン音楽だったことと、今年がアルベニス没後100周年だったことです。興味を持っていましたので、ぜひ今年スペインに行きたいと思っていました。また、グラナダなどスペインの世界遺産に憬れていまして。独特な美しさがあるので、それを観てみたかったというのもあります。

-講習会の参加者は、どのくらいの人数でしたか?

川口  ピアノは12人でした。ほとんどスペイン人だったんですけど、スペイン在住のアルメニア人やロシア人などもいて、僕以外は全員スペイン語を話せる人たちでした。

-皆さんは、どんな方々でしたか?

川口  とてもいい人たちでした。スペイン人は気さくな方が多いので、皆さんのほうから話しかけてくれて、嬉しかったです。

-講習会のスケジュールは、どんな形でしたか?

川口  明日は誰にしますと、先生が決められ、平等な回数レッスンを受けられるようになっていました。だいたい、2日か3日に1回レッスンがある形ですね。自分のレッスン以外は、練習をしたり、他の方のレッスンを聴講したりしていました。最後の3日くらいで選抜コンサートがあり、それで締めくくられました。

-レッスンは何時間くらいでしたか?

川口  だいたい1時間です。じっくり見てもらえました。

Image -コンサートは勉強になりましたか?

川口  はい。コンサートに出演させてもらったんですが、日本人のいない会場で演奏することは、もちろん初めてでしたので、すごく緊張したんですが、やはりとても嬉しかったです。他のバイオリンやチェロの生徒の演奏を聞けたのも、すごく刺激になりました。

-素晴らしいですね!では、先生についてお伺いします。どんな先生でしたか?

川口  普段は優しい方なんですが、レッスン中は厳しい方でした。身長も2メートルくらいある女性で、怪獣みたいな先生だったんです(笑)。厳しく根本的な部分を注意してくださいました。ひとつの曲としての問題点ではなく、これからピアノを続けていく上でも、ためになる指摘をずいぶん受けました。教え方も上手な先生で、とても勉強になりました。

-その中で最も印象に残っていることは?

川口  和音についてですね。ピアノ音楽は和音がたくさん出てきますが、和音の中のひとつひとつの音の響きに、順序というか優劣があるわけです。それを判断してよく聞くことを習いました。たとえば、ソプラノが一番輝き、その次がバス、アルト、テノールの順だとか。それを全部吟味しながらコントロールしていく力や、耳を養っていきなさいという指導を受けたことが、一番印象に残っています。

-新しい音楽の世界を開いたのですね。レッスンはスペイン語だったんですか?

川口  はい。スペイン語、あるいはロシア語でした。友だちが英語に訳してくれました。

-先生はロシアの方だったんですか?

川口  ロシア語圏の方ですね。スペイン語かロシア語かを話される先生でした。

-練習はどこでされたんですか?

川口  学校の中に練習室が何個かありました、。すごく弾きやすいアップライトピアノが置いてありました。

Image-その練習室は、何時間かごとに、皆さんでシェアする形ですか?

川口  いえ。いったん入ったら、ずっとそのまま使えます。僕は、ずっと占拠していました(笑)。

-他の講習会では、交代で、という形が多いようですが、ラッキーでしたね。どのくらい練習されましたか?

川口  多い日は9時間くらいです。せっかく来たから頑張ろうと思いまして、一日中こもっている日もありました。

-レッスンや練習以外の時間は、何をされていたんですか?

川口  街を散策したりしていましたね。オヴィエドは世界遺産の街なので、とてもキレイなところなんですよ。そして、バスで少し行けば、また別の世界遺産の街がありますし。中世以前の教会があったりして、とても素晴らしかったですね。

-世界遺産を見ると、人生観が変わるという方もいらっしゃいますが。

川口  基本的に、僕は日本が大好きなのですが、日本とはまた違う空気があって良かったです。近くにサンティアゴ・デ・コンポステーラという、キリスト教の第三の聖地があるんですが、そこへ向かう巡礼の方もたくさんいらっしゃったんです。心からキリスト教を信仰している人たちを見て、とても感慨深かったですね。

Image -街の様子はいかがでしたか?

川口  スペインでも北のほうの街なので、治安が良いほうらしくて、安心して生活出来ました。

-街の中でショッピングしたりするときは、スペイン語ですか?

川口  はい、スペイン語です。英語も通じる方は少しいますが、ほとんどはスペイン語オンリーでした。

-お友だちと一緒に行かれたんですか?

川口  ほとんど一人でしたね。そのほうが気楽ですので。でも、夜はバルに友だちと行ったりして、すごく楽しかったですよ。スペインはバル巡りが盛んで、一つの店に行ったら次の店のタダ券をくれたりするので、夜通し遊べてしまうんです(笑)。

-スペインならではの雰囲気ですね。

川口  はい。あと、日が沈むのが夜10時なんです。夕食もそれくらいからですから、子どもでも11時くらいまでは起きているんです。10時くらいからワイワイ始まるのは、スペインならではですね。それでいて、昼もにぎやかなんですよ。この人たちはいつ休むんだというくらい、一日中人がたくさんいて、楽しんでいました。

Image -昼は何をされていたんですか?

川口  街を散策したり、サルスエラという歌劇も観に行きました。オペラとは違う、スペインで生まれ、スペインだけに根付いてきた歌劇です。舞台装置がすごくて、言葉は分からなかったんですが、音楽も素晴らしくて感動しました。あとは、演奏会も聴きに行ったりしましたね。

-素敵ですね。宿泊先はどんなところでしたか?

川口  街の中のフラット(アパート)でして、そこを4人でシェアしました。

-ルームメイトは、どんな方々でしたか?

川口  全員バイオリンの講習生でした。年齢はみなさん年上だったんですが、みんないい人たちでした。スイス人とスペイン人、それから、ギリシャと日本のハーフの人がいました。この人は、ベルギー在住の有名なバイオリニストなんですが、やはり、一人だけ断トツにレベルの高い人でしたね。この前来日したので、演奏を聴きに行ってきました。

-良い出会いだったんですね。フラットの大家さんは、そこには住んでいなかったんですか?

川口  ええ。なので、まったく自由に暮らしていました。

-そのフラットと講習会場は、どのくらいの距離があったんですか?

川口  歩いて10分くらいです。何度も行き来できるような距離でしたので、バスは利用しませんでした。

Image -食事はどうされていたんですか?

川口  ほとんど外食です。スーパーでパンが60セントくらいと、安いんです。2、3個買って、200円くらい。水が1リットル30セントくらいですから、それが一番安く済ませるときのパターンでしたね。ちょっとしたカフェでパスタを食べると6ユーロくらい、700円程度でしょうか。日本とそんなに変わらないくらいですね。ちょっと贅沢してレストランに入ると、10ユーロくらいはかかりました。お店もたくさんあったし、味もおいしかったので、まったく困りませんでした。

-日本と物価に差はなかったんですか?

川口  ちょっと安いくらいでしょうか、今は。

-外国人の方とお話されたりしたと思いますが、上手く付き合うコツは何でしょうか。

川口  なんでもいいから話すということです。ある友だちとは、「好きなピアニストは?」「この曲知ってる?」「ビートルズ知ってる?」など、ひたすら質問し合っていましたね(笑)。「お互いさっきから、~知ってる?って聞いてるだけだけど、楽しいね。」って笑ってました。スペインで日本のマンガがブームらしく、「名探偵コナン知ってる?」って聞かれたりもしましたよ。ただ、一人になりたいときは、無理をしないことも大事だと思います。「今日は本を読みたいから」とか「今夜はバルはやめておく」とか、自分のやりたいことを優先させてた時もありました。その分、一緒にいるときはたくさんしゃべりましたけど。

Image-自分のペースを崩しすぎないように、ということですね。

川口  ええ。疲れているときに、さらに英語で話すのは、やはり疲れますから。無理に話すと、無愛想な顔してるかもしれなくて、相手に嫌な思いをさせてしまうかもしれないじゃないですか。基本的には、たくさん話しましたけど、疲れているときはそんなふうにしていました。

-お互い無理をしないことも大事ですね。では、特に困ったことはなかったんですか?

川口  あまりなかったかもしれませんね。プラス思考なタイプなので。生活面では、全く苦労せず、楽しく快適に過ごすことができました。あえて言えば、もっと話せたら良かったということですかね。もっと日本のことも教えたかったし、もっとスペインのことも聞きたかったです。

-講習会に参加して良かったと思った瞬間は、どんなときでしたか?

川口  いちばん良かったのは、コンサートで演奏できたことです。自分では納得いかない部分のあった演奏だったのですが、「ブラボー!」って言ってもらったりして、観客の皆さんがとても温かかったです。演奏が終わったあとも、「日本人なのに、よくスペインの音楽をこんなに表現できたね」って褒めてもらったりしたんです。本場の人たちに、自分の演奏が認められたっていうのがすごく嬉しかったですね。日本じゃなくても、音楽って通じるんだなって改めて思いました。あとは、外国にも友だちができたことです。今まで音楽をやっている友達は、日本人しかいなかったですから、世界に広がったというのは、とても嬉しいことです。

Image -良い経験だったのですね。ぜひその出会い大切にしてください。

川口  はい。スペイン人の友だちは、来年日本に行きたいって言ってるんですが、どうやら本気で来そうです(笑)。

-留学して、ご自身が一番変わったことや、成長したな、と思うことはどんなことですか?

川口  自分はどこでも生活できるんだな、っていうのが分かったというか(笑)、自分に自信がつきました。もともと一人旅は好きで、日本国内では、一人でどこにでも出かけていたんですが、今回は初めての海外でしたから。やはり最初は不安でしたが、それをやり遂げたという達成感を感じました。日本人が一人もいない街だったので、特にそう思いましたね。

-日本とスペインで、大きく違う点は何でしょうか?

川口  スペイン人は明るく社交的で、誰とでも仲良くなれるという感じでした。日本人ではなかなかない感覚ですね。偶然、街の中で結婚式を見たんですが、それも日本とは大きく違ってました。スペインには、ガイタというバグパイプみたいな楽器があるのですが、街中にガイタが鳴り響き、「今日、新婚さんが誕生しましたよ!」と、街全体で祝福していました。ひとつの幸せをみんなで共有しようという感じで、お祭り状態でしたね。あと、違うことといえば、やはり、日が沈むのが10時ということでしょうね。昼からたっぷり遊んでいても、まだ明るい。そして暗くなってからもまだ遊びますからね。マクドナルドでビールも飲めますし(笑)、一日中、たくさんの人が楽しんでいることは、一番違う点でしょうか。

Image -スペインのお国柄なんでしょうね。では、今後、留学される方にアドバイスをお願いします。

川口  英語はすごく重要です。今回、それを実感しました。「英語は地球語」になってきています。どの国の人たちも英語は教育されているので、子どもでもみんな話せるんです。もしかしたら、日本の英語教育は遅れているんじゃないか、とも思いました。自分の英語力がないだけなんですが(笑)。もっと事前に勉強していたら、レッスンももっと充実していたかもしれないし、交友関係ももっと深く広くなっていたかもしれない・・・・そう考えると、やはり悔しいですから、英語の勉強だけは、きちんとしておいたほうがいいと思います。

-今後の活動や進路など、具体的なプランがあれば教えてください。

川口  4年生には卒論を書かなければいけないので、そろそろテーマを決めて、研究していかなければいけないですね。コンクールは、たぶんいろいろ受けると思います。優勝をするためにコンクールを受けるというより、その練習が充実したものになるので、コンクールは結果にこだわらずたくさん受けたいです。

-卒業論文は、スペイン音楽を研究されるという可能性もありますか?

川口  はい。スペインは候補ですね。

-今後のご活躍をお祈りしております。本日は本当にありがとうございました!

奥山彩さん/ピアニスト/フランス・パリ

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はフランス・パリでコンサートピアニストおよび音楽院講師をされているピアニスト奥山彩(オクヤマアヤ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「パリで学ぶピアノ・パリでの音楽活動」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年12月)。

ー奥山 彩さんプロフィールー

パリ・ピアニスト奥山彩さん
(C) Kazuko Wakayama

岡山生まれ。幼少よりピアノを始める。フランス、エコール・ノルマル音楽院を経て、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科卒業。パリ高等音楽院古楽器科卒業(フォルテピアノ)。ピアノをブリジット・エンゲラー、ミシェル・ベロフ、室内楽をアラン・ムニエ、ピエール・ロラン・エマールに師事。フォルテピアノをパトリック・コーエン、歌曲伴奏をケネット・ヴァイスに師事。フランス、サン・ノム・ラ・ブロテッシュ・ピアノコンクール1位。日本教育連盟主催ピアノオーディション奨励賞。フランス、スペイン、ドイツ、スイス、オーストリア、ベルギーにて、ソロ、室内楽のコンサート、リサイタルを行う。鎌倉FMにて横浜みなとみらいホールのリサイタルを放送。オリヴィエ・マレシャルと2台ピアノのデュオを組み、フランス各地でリサイタル。ピアニスト、イヨルク・デムス氏に招かれ、トゥーロン城で演奏。ベルギー、オーステンドにおけるPianoFest'招待。現在、パリで演奏活動のほか、ヴェジネ市立音楽院、パリ6区ラモー音楽院にて非常勤講師、試験審査員など、後進の指導を行っている。

 

ピアニスト奥山彩さん新聞掲載
フランスでの新聞掲載記事

—  簡単な経歴を教えていただいてよろしいですか?

奥山 近所にたまたまピアノを教えていた先生がいらしたので、三歳半くらいから遊びがてらピアノを始めました。

—  ピアノはご自分で始めようと思われたのですか?

奥山 ほんとに小さかったので、あまり覚えていないのです。両親は音楽家ではないのですけど母が小さい頃にピアノをやっていたので家にアップライトピアノがありました。ピアノの先生のお子さんも同じ年くらいだったので一緒に遊んだりしました。それで興味を持ってちょっとずつ教えてもらいに行くようになりました。幼稚園くらいからみんなもうピアノをやっていたのでそれで一緒に始めました。小学校三年生くらいの時にもっと本格的な先生に習うというふうになって、鎌倉に住んでいる宮原峠子先生という先生のところに習いに行くようになりました。先生は桐朋を出て、ドイツ留学をされた方でした。今は愛知芸大の先生をされています。その先生の勧めで実家が鎌倉なので、鎌倉の桐朋大学付属子供のための音楽教室へ通うになりました。

—  桐朋の子供のためのピアノ教室はいつから行っていたのですか?

奥山 小学校5年の時から行くようになってそれで音楽をやっている友達が出来るようになりました。それで小、中と普通の公立の学校だったんですけど高校受験の時に音楽高校に行くか普通高校に行くか選択がありました。それで私はまだその頃、それほど音楽を一生やっていこうとか決意みたいなものはまだなかったのですが、たまたま才能があるから音楽をやりたいのだったら、音楽高校を受けたらいいのではないかというふうに勧められて、受けてみたのですけど駄目だったんです。それで結局、普通の高校に行きました。でも音楽は好きなので将来的にピアノはどうしようかなと迷っていたんです。ずっと宮原峠子先生に習っていて、先生に小学生のころからあなたはどちらにしろちょっと変わっているから早いうちに日本のシステムに入るのじゃなくて、例えば音高に行ったとしても途中で辞めるくらいの感じで外国に出たほうがいいんじゃない、というふうに言われていました。

—  変わっているというのはどういう部分でしょうか?
 

パリ・ピアニスト奥山彩さん
(C) Olivier Fadini

奥山 まあ感性が(笑)。型にはめようとしてもはまらないというか。

—  素晴らしいじゃないですか音楽家としては。

奥山 そのへんの言葉は良く分からないのです(笑)。小学校六年生の時から先生になんとなく言われていたことなので。先生の生徒さんでフランスに行かれた方がいらしたこともあってだと思うのですけど、そういうふうになんとなく教え込まれていたので。

—  小さい頃から将来外国に行くんだ、と思っていたのですか?

奥山 なんとなくですね。フランスに行ったら素敵かな、くらいです(笑)。小学生なので(笑)。

—  そこまで意志ががっちり固まっているわけないですよね。

奥山 固まってないですよ、本当に。私もふわふわしていたので、高校生の時は。普通の高校生活は楽しかったし(笑)。それで高校1年と2年の春休みにフランスのコンクールを受けに行ったらどうですか、と先生に勧められたんです。日本でぼんやり過ごしているより、一度外を見に行ったらいいのではないかということで。

—  フランスですか?

奥山 宮原先生の生徒さんだった方で、フランスに留学されたあとエコール・ノルマルの先生になった方が、私が16歳の時、私の演奏を名古屋で聞いてくださったんです。それで、フランスの小さいコンクールがあるから受けてみたらと言われました。それがいいきっかけになると良いのではないか、ということでセッティングして下さいました。3月か4月だったかな。春に受けることになって、その時1ヶ月パリに来てレッスンを受けたりコンクールを受けて賞を頂いたりして、ああフランスはいいな、と思いました。コンクールで演奏を聴いてくださる審査員の雰囲気もとても暖かく、また、フランス留学されている方の話を聞いて、こういう方向に行ってみようかなと思うようになったんです。

—  いつごろクラッシックの専門になろうと思ったのですか?

奥山 高校生位ですね。高校生の時にすごくいろいろ考えたんです。何でピアノをやるのかとか、なんで音楽を続けているのかとか、世の中の役に立つのかなとか。それで、フランスに初めて行った後の次の夏に、ザルツブルグ音楽祭のザルツブルグアカデミーに行きました。ヨーロッパで勉強している人のレッスンや演奏会をたくさん見て、今やっているままだと自分は駄目だなというふうに感じたんです。たまたま小さい頃からお世話になっている調律師の方が田崎悦子先生を車に乗せていた時に私の弾いているカセットテープを先生に聞かせてくださって、それがきっかけで田崎悦子先生に教えていただくようになりまして、先生はすごく素敵な方で憧れるというか、そういうふうになりたいなと思って、何か引っ張られるような形で、クラッシックをやろうと、本気でやろうと思ったんです。

—  プロになろうと思ったのはどうしてですか?

奥山 田崎悦子先生にレッスンしていただけますかとお電話を差し上げました。田崎先生は18歳の時から一人でアメリカにいらした方で、親が電話してくるより自分でするほうが良いと言われました。それで、電話で先生に「あなたはピアニストになりたいの?」と聞かれて、「はい、なりたいです。」と言いました。「なりたくないです。」なんて、言えませんよね(笑)。     

—  自分に言い聞かせたわけですね。

奥山 それが初めてピアニストになりますというふうに言った事でした。だから田崎先生に習うということはピアニストになると思って習うことなんだなというふうに理解したんです。途中で辞めさせられそうになったりしたんですけど(笑)。

—  何故ですか?不真面目だったりしたんですか(笑)?

奥山 その時は曲をいろいろやっていて、自分の曲をやっていたのと人のバックの曲を頼まれてやっていました。先生の生徒のレッスンの時にコンチェルトの伴奏を頼まれたんです。でも自分の曲は練習しているけど人の曲は全然練習していなくてそれで先生が怒っちゃって。

—  それはまずいですね。今ではあり得ない事でしょうね(笑)。

奥山 本当ですね(笑)。プロだったら全部しないとだめです。引き受けたことは最後までちゃんとやるという。仕事だったら許されないですよね。初見でもなんでも本番なら、寝なくでもやるじゃないですか。だからそういう意味で良くなかったですね(笑)。

—  日本で高校を卒業してすぐにフランスに行こうと思ったのですか?

奥山 普通高校に通いながら、田崎先生に習っていて、留学というのはしたいと思っていたんです。でも、音大や普通大学の選択肢もありました。大学受験して、大学に通学するのも日本だと住宅事情から通学時間などがずいぶんかかりますから、その分、ピアノの練習や語学など留学の準備をして、私にとっては、そのままフランスに行くチャンスに賭けたほうがいいんじゃないか、ということになったのです。

—  言葉はどうしていたのですか?

奥山 高校生の時からフランス語を勉強していました。高校生のときは週1回学校に通って、高校卒業してから週2、3回くらい行っていました。卒業しても1年半くらい日本にいたのでその間に勉強していました。

—  ドイツ、オーストリア、アメリカなど他の国もあるのに何故フランスなのでしょうか?
 

パリ・ピアニスト奥山彩さん
演奏会での一場面

奥山 きっかけが結構ありましたからね。それに感性としてはドビッシーが好きです。フランスものは全体的にやっぱりすごく好きです。かっちりしたものよりも流動性のあるというか、ハーモニーというか色がある感じの曲が好きです。それに自分自身ではドイツはちょっときっちりとしたイメージがあったので、フランスのほうがあっているんじゃないかしらというふうに言われて。あとは実質的な問題で、アメリカの学校はTOEFLとかあるじゃないですか。ドイツの学校は大学卒業してないと行けないんですよね。第2期から入るには。1期から入るとドイツ語が出来ないといけないし、心理学とかそういう外国人には難解な授業もあるし。そして、フランスは下の年齢制限がないんです。上の制限は22歳未満と決まっているんですけど。私の時は入学試験は実技だけだったんですけど。今はソルフェージュの予備試験とかあるようですね。私は本当に実技一発勝負だけだったので、そういう意味でシンプルでした(笑)。

—  音楽が出来れば入れたということですか?

奥山 そうですね。あと年齢も関係ないですね。フランスの学校は、どちらかというともともと完成している人よりも今後の才能を見るという試験なようです。ものすごくテクニックとか完璧に出来ている人よりは、いろいろな可能性がある人の方が入りやすいらしいですよ。そういうふうに言われたので、だったら可能性があるかなと思ったもので。

—  最初は、エコール・ノルマルに行かれていますよね。そのあとパリ国立高等音楽院に行かれている。

奥山 最初、エコール・ノルマルに登録して。それでその間にパリ国立高等音楽院の試験を受けたりしていました。エコール・ノルマルは実質8ヶ月くらいしか行っていないんです。エコール・ノルマルという学校は私立の学校で誰でも入れるんです。普通に登録して、授業料を払えば(笑)。レベルはいろいろで、入る時に先生がレベルを決めます。1から6まであって、6段階というのはなかなか難しいので日本で音大を卒業した人だと5か6で入るんです。そういう感じで一年ずつ試験を受けて上がっていって、コンサーティスト・ディプロマ(演奏家資格)まであります。入ることよりは試験を受けてディプロマをもらうことに意味があるという学校です。先生は有名な先生から、若い先生までいろいろです。ピアノ科だと何人くらいいるのかな。たくさんいらっしゃるんですよ(笑)(編集注:注:2005年12月現在 ピアノ科講師46人)。

—  学生さんは何人位いるのですか?

奥山 ちょっと把握できないくらいです。

—  日本人の方はどの位いるのでしょうか?

奥山 エコールノルマルは、どちらかというと日本人、韓国人の生徒が半分以上だと思います。実質外国人がとても多い学校だと思います。

—  現地の方というよりも外国人が多い学校ですね。

奥山 外国人はたくさんいます。中にはエコールノルマルに登録しているけれどもレッスンはあまり受けないでディプロマ試験のみを受ける人もいます。

—  そういうのもいいのですか?

奥山 いいみたいですね。

—  結構自由なんですね(笑)。

奥山 とても自由です。先生さえ承諾してくだされば、何でも自由な感じです。だから求めるものさえあれば、いろいろできると思います。

—  人によるでしょうが、奥山さんは、エコールノルマルよりコンセルヴァトワールの方が合っていると思ったわけですね。

奥山 コンセルヴァトワールというのはフランス各地にいろいろあります。国立高等音楽院と言われているのはパリとリヨンにあります。そこはエコールノルマルと違って入学試験があってピアノ科だと200人くらい受けて、入るのは15人から20人位です。年によるんですけど、卒業生が出た数だけ入れるということになります。コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)は、ピアノ科全体の生徒が80人位いると思います。授業料は完全に無料です。

—  それは国立だからですか?

奥山 国立なので授業料は完全に無料です。学校に登録するための登録料のみ必要で、日本円で4万円位です。それだけで1年間通えますのでほとんど無料みたいなものですね。それで学校の施設や練習室の利用、ピアノ科ですと先生のレッスンが受講できます。レッスンが週に2回1時間ずつあって、その他いろいろな授業もあります。それが本当に全部国の予算でまかなわれています。

—  実際エコールノルマルと比較してレベルはいかがでしたか?

奥山 レベルはエコールノルマルのトップの人とコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)のトップの人とそんなに変わらないと思います。ただ、コンセルヴァトワールの生徒の方が全体的に年齢は若いですね。コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)に、フランス人は15歳位から入学試験を受け始めます。平均年齢だと20歳をいっていないくらいです。20歳で入るとちょっと年上の人って感じがしますね。

—  学校に入る前に師事する先生を見つけておくのですか?それとも学校に入ったあとに師事する先生を見つけるのですか?

奥山 学校に入る前に師事した方がいいです。まったく先生を知らないで試験を受けに行かないほうがいいです。

—  まったく先生を知らないと入りにくいのでしょうか?

奥山 どうなのでしょうね。大体先生を指定して、試験を受けるので。先生を知らないと先生の方もその生徒を取りにくいと思います。結局、試験があって一番から順番に並んで、一番の生徒から希望の先生の所にいけるんです。ただ、先生が気に入られている生徒だと、順番を無視して、とってくださるケースもありますね。

—  先生が引っ張ってくれるということですね。

奥山 学校に習いに行くというよりは先生に習いに行くという感じですね。

—  コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)には、一般的な授業や講義みたいなものはあるのですか?

奥山 ピアノと室内楽とソルフェージュは、年の初めに試験があります。それで免除される人がたくさんいるのですが、免除されないとそれらの科目は受講しなくてはいけないのです。あとは、楽曲分析とオプションで好きな授業を二つ以上取れます。オプションはいろいろあります。即興、合唱、理論、指揮、音楽史、美術史、音響に関することなどいろいろです。選択で授業を受ける感じですね。

—  自分の好きなように選んでいいということですよね。

奥山 私はそこでフォルテピアノ(編集注:初期のピアノ・古楽器)や即興演奏を習いました。

—  フランスは非常に楽曲分析が厳しいというか、よくやるなと思うのですけど、かなり細かいところまで分析するのですか?実際その辺りはどうなのでしょうか?

奥山 コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)の授業で、外国人で一番大変なのがその授業です。週に1回3時間ぶっ続けであるんですよ。1回1時間半やって途中で10分くらい休むんですけど、また1時間半あるのでほとんど3時間ぶっ続けです。だからやっぱりすごい気分的に重いですよね。レベルは初級レベルから上級レベルまであるんですけど。私のように普通の楽器の生徒がやるのは初級レベルですね。知らない曲を聞いてどんな曲でも大体どの時代のどの作曲家のどういうスタイルの曲かというのを口頭で言えるような感じです。

—  結構厳しそうですね。

奥山 時代背景や曲のスタイル、調整とかいろいろありますよね。そういうことが出来るようになるわけです。試験も、選択式などの質問形式ではなくて分かることを全部言わなければならないので。

—  試験は質問に答えるわけではなくて全部答える感じですか?

奥山 一曲聞いて、分かることを全部紙に書くという感じです。

—  そういう試験なんですね。これは辛いですね(笑)。

奥山 そうですね。曲の名前と時代だけ書けばいいというわけではないので。

—  ちょっと知っていればいいというわけではないですね。

パリ・ピアニスト奥山彩さん
お城での演奏会に出演

奥山 ちょっと知っていればいいというわけではなくて、ここから自分で分析して、使われている楽器だとかそこから何を言っているかとか、そういうところまで勉強しなくちゃいけないのである意味きついですね。そういうアナリーズ(Analyse)というのは音楽ではメシアンが始めたらしいのです。メシアンは最初その授業をフィロゾフィー・ドゥ・ラ・ミュジック(philosopie de la musique)、音楽哲学というふうに呼ばれていたそうですね。だからもう哲学なのです。

—  哲学ですか?非常にフランスらしいですね(笑)。

奥山 深い。深く分かっていくのだという。

—  楽器分析と聞くとただの分析かなと思うのですけど、実際は哲学なのですね。

奥山 そうなんです。音楽家としての音楽哲学なんです。そういうふうにお聞きしました。それでそういう授業を始めたのだと。そういうふうに歴史的に今につながってきているんですね。私が習っていた先生は実際にメシアンに作曲を習われた方でした。

—  メシアンですか?本物ですか。すごいな。

奥山 そうですね。今先生をしている方はメシアンに習われたりした方です。メシアンに作曲を習われたという人がそういう楽曲分析の先生をしていらっしゃる。

—  すごい。

奥山 すごいですね、考えると。そういうふうに歴史的に私たちまでつながってきている。そういう意味では、私はピアノをブリジット・エンゲラー先生とミシェル・ベロフ先生に習ったんですけど、ある意味ラッキーですよね。

—  そうですよね。先生にはどうやってコンタクト取ったのですか?
 

パリ・ピアニスト奥山彩さん
ミシェル・ベロフ先生と共に

奥山 もともと習いたかった先生は別にいらっしゃって、彼に入学前にレッスンしていただいていました。私がコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)に入学した年は彼のクラスに一席しか席が開いていなくてこの先生にとっていただけなかったんです。それで、ロシアで勉強されて、素晴らしいコンサート・ピアニストであるブリジット・エンゲラー先生にコンタクトを取って入れてくださいって言ったのですね。それで、彼女のところに入りました。先生と三年間やってそのあとエンゲラー先生に、私は現代のレパートリーが好きだったので、ミシェル・ベロフ先生と合うのじゃないか、と言われてベロフ先生に途中で変わったんです。

—  先生に紹介してもらってミシェル・ベロフ先生に変えてもらったんですか?

奥山 私はミシェル・ベロフ先生に習えると全く思って入ってなかったのでラッキーでした。

—  紹介がなければ習えないわけですもんね。

奥山 直接行っても当時は彼も生徒をあまりとらなかった時期だったので、なかなか難しかったでしょうね。

—  コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)は、フランスの音楽を多く勉強するのですか?

奥山 他の国よりはフランス音楽を多く勉強する、というくらいの感じです。でも全部やりますね。それに、コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)は現代曲を必ずやります。あと初見のクラスというのが結構進んでいます。初見のクラスも週に1回あるんですけど、それもかなり難しい楽譜をいきなり見て弾くという感じです。現代曲を2分くらい見て大体の構造をぱっと見て骨組みだけ弾く感じです。曲の感じをすぐつかむとか、読み方ですね。完璧に弾くのではなくて大体こんな感じの曲みたいな訓練はかなりさせられます。

—  それはプロになるためには初見で弾けることが重要だということですよね。

奥山 完全にそうですね。専門家になるための訓練ですよね。

—  コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)の場合は語学の試験はないと仰ってましたが、どの程度語学はできればいいのでしょうか?

奥山 今は、ソルフェージュの予備試験というのがあるので、言っていることなどある程度聞き取れないと難しいと思いますが。ただ、普通に出来れば入ることは入れます。でも、入ってからがすごく苦労するかな、と思います。語学が出来ないと授業も分かりませんし。

—  授業は、全部フランス語でやりますもんね。

奥山 全く出来ないよりは中級レベル位までやって来られる方がいいと思います。自分にとっても先生にとっても。先生もいつも語学力については文句を言っていますので。

—  語学力ですか?

奥山 言葉のわからない生徒は先生も大変じゃないですか。日本人は日本人同士で固まりがちなのでなるべくフランス語は礼儀としてというか、外国の社会に入っていく立場から最低限勉強していったほうが私はいいと思います。

—  コミュニケーションの出来る人のほうがフランス人と仲良く出来ますしね。

奥山 コミュニケーションというか言葉が出来たほうが来てから早くいろいろ吸収できますよね。

—  長い間フランスにいらしてフランスのいい点、悪い点がいっぱいあると思うのです。音楽をやるにあたって。それは何か教えていただけますか?(編集注:在仏12年)
 

パリ・ピアニスト奥山彩さん
サロンコンサート

奥山 パリに限定して言うとやっぱり音楽家や芸術家の人口密度が高いというか、可能性がたくさんあることですね。それがすごくいいと思います。この土地に、ある意味芸術的レベルが高い人がたくさん集まっているので。学校にも先生はいますし、この先生のレッスンを受けたいということになっても、パリに住んでいる方がものすごくたくさんいらっしゃるので、そういう意味ではチャンスが多いです。

—  逆に悪い点って何かありますか?

奥山 なんかすごい時間にルーズです。時間にルーズというよりは日本人の感覚から言うと口で言ったら実行するじゃないですか。口だけでいつまでたっても実行がないというか…(笑)。もちろん人によりますけど。あとはお給料も安いと思います。音楽のお仕事というのは日本でもパリでも大変なのは一緒だと思いますが。パリではちょっとしたサロンコンサートの機会は探せば結構あります。

—  フランスで仕事を始めるにあたって留学する必要性はあると思いますか?

奥山 留学はビザなどの点から見ても、外国に出るのに、ある意味一番簡単な手段だと思うんですよ。それを利用するのは最初の手段として良いと思います。あとは最低限のコミュニケーション能力は必要だと思うので慣れる意味でも留学するのはいいと思います。

—  フランス人は時間にルーズということでしたが、レッスン時間には遅れるのですか?

奥山 例えばブリジット・エンゲラー先生は演奏家なのですけど、自分が遅れてきても生徒は絶対先にいるべきだという人でした。上下関係とか、常識的な礼儀として。でも、本当のプロの人は、時間は正確です。一流の人はやっぱり遅れたりしないですね。時々、演奏家の先生はお忙しくて遅れてきたりはしますけど、来なかったりとか(笑)。

—  来なかった?

奥山 行ったら来なかった。でも一般的に一流の方は、すごい時間にきっちりしています。例えば現代曲で有名なピエール・ロラン・エマールという先生に習っていたのですけど、彼なんて5分刻みみたいな感じです。大げさに言えば、来週の13時5分にレッスンをしようという感じです(笑)。

—  そんな感じですか(笑)。

奥山 どんなに忙しくても必要であればレッスンを入れてくださいます。でも本当に細かいです。フランス人には、そういう人も中にはいますね。通常は、レッスン時間がずれたり、やっていて長くなったりは良くあります。レッスンはほとんど時間が決まって無くて順番だけ決まっていたので2時間位ずれてずっと待っていたりします。でも私の先生はそうやって待たせて違う人のレッスンを聞かせるのが好きだったのでそういう意味もあるかと思います。

—  フランスで仕事をするという意味で、日本人で有利な点、不利な点はありますか?

奥山 不利な点のほうが多いと思うのです。ヨーロッパで勉強されている、または活躍されている日本人の優秀な音楽家の人数がものすごく多くいるので。だから日本人が来るとまた日本人が来たというふうに思われることが多いです、現実的に。

—  それはどういう意味ですか?

奥山 やっぱりヨーロッパやフランスでもどこでも外国人に仕事をとられるというのがあるじゃないですか。音楽は伝統芸能なので、外国人がアジア人が演奏しているよりは、ヨーロッパ人の顔をしている人が演奏した方がある意味自然と言ったらおかしいんですけど、そういう事があるのかなと。

—  日本でお琴を弾いている人が西洋人だったらちょっと違和感があるみたいな事ですね。

奥山 言い方はおかしいのですけど、そういう変な固定観念を持っている人はやっぱりたくさんいると思います。もっと開いたことを言っている人がいてもやっぱり心の中ではヨーロッパ人の方が優れていると思っているのに決まっているので。日本人はたくさん勉強して自分たちの音楽というか芸術を素晴らしく真似して、と言ったらおかしいけれども勉強して、そこまでやってくれてえらい人達だ、みたいなところがあると思います。その中で自分の個性とか壁というのを壊して超えて行くというのには時間かかかると思いますね。だからいきなり来てぱっと入るのだったら相当の実力がある人だったら、来られる人もいらっしゃいますけど実際はかなり難しいと思います。

—  人脈が大事ということでしょうか?

奥山 人脈ですね。つながりとか。一つ一つ仕事をしてある意味最高の仕事というか自分の最高の音楽を見せていくことだと思っています。後はやっぱり言葉という意味でもコミュニケーションという意味でもいきなり「こんにちは」と言ったくらいではしゃべれないと向こうは頭で思っていますので。

—  有利な点はいかがですか?

奥山 例えば伴奏ピアニストとしてやっていく場合、仕事をするという意味では期限内にちゃんと仕上げるとか、技術面もしっかりしているという評判があるので、そういう意味では信用されやすいと思います。

—  日本人のほうが信用されやすいのですね。

奥山 そうですね、まじめな人種っていう事でしょうね。でも逆に利用されているような場合もあるので気をつけないといけないと思います。言ったらやってくれるだろうと。ある程度自分がやりたい事というのを提示していかないと流されて、その場限りみたいな感じになることも結構あると思いますね。

—  奥山さんにとってクラッシックもしくは音楽とはどういうものですか?

奥山 「今の時点」だと人生そのものですね。音楽をやって初めて自分が一つになるというか、とても深いものですね。

—  それはやっぱりクラッシックですか?

奥山 クラッシックというのは100年、200年前に作曲家というか芸術家がいて、それで作品を書いてそれがずっと残ってきたものです。それはモネの絵とかゴッホの絵とか画家の中でもたくさん人がいるうちで素晴らしいものが残っているのと同じように、音楽も、時間をかけて理解して表現して磨いていくような過程がやっぱり好きですね。

—  なるほど。

奥山 クラシックは、時間をかけて深めて理解して、自分の人生をかけてといったらおかしいのですけど、そういう感じで細部まで磨くというのでしょうか。音に対しても非常にこだわりを持って全てが重なった時に、ある意味感動が生まれたりします。自分一人だけ感動するのではなく。だから演奏会があったら演奏会の時点だけではなくて前々から、積み重ねていってそこで到達するような感じですね。

—  音楽を日常でやっていて、喜びが最高潮に達する時があると思うのです。演奏会でも練習でも。それはどういう時でしょうか?

パリ・ピアニスト奥山彩さん
熱演中の奥山さん

奥山 演奏会というのはある意味ゴール地点なので、入った瞬間というのはそんなに面白いという感じではないのですけど興奮みたいなのはあるんです。面白いなと思うのはやっぱり楽譜と向かい合って勉強していく過程で一つ一つ発見していくことですね。発見というか、インスピレーションがだんだん湧いてきて形にしていく過程が面白いです。出来てしまったらあとは人に見せるんですけど、人にみせるというのは別のことだと思っています。それは例えばコンディションを整えたりすることです。演奏会が一番好きで、来てくださった方々とそういう濃い時間を分かち合うのがやりたいことなんですけど、一番脳が面白がるのは発見の過程ですね。他のミュージシャンと弾いて新しいものが生まれてきたりするのも面白いです。

—  「お客さんに見せる」段階よりもその「前段階」が面白いということですね?

奥山 それが一番面白い。でも、お客さんに見せた段階でやっぱり音楽が変わるんです。自分がとことん理解して勉強して時を重ねても見せる時になるとまた変わるんですよね。ある意味そこで一段階ステップアップするんです。それもまた面白いです。それは自分だけの力とかいうんじゃなくて、その時の雰囲気だとか、アコースティックだとか感じることだとかあるんですけど。そこで生まれてくるものというのは。

—  これは面白いと思いますよ。今まで一生懸命練習や解釈をして自分が最高だと思っていることが、お客さんやいろいな条件によって自分が思っていないことが出てくるのですからね。

奥山 そうですね。急に違うことやったり(笑)。

—  違うことやるのですか?

奥山 本筋は変わらないのですけど、もっとよくなることもあるし、悪くなることもあります。例えばお話する機会があったとしても、話し方というのは目の前にいる人によって変わりますよね。それと同じ事が起こりますね。自分の中ではこういうものを作ろうと決めてやっているのですけれど。

—  ソロとアンサンブルとどちらのほうがお好きなんですか。

奥山 私はアンサンブルすごく好きなんです。パートナーは、すごくあう人じゃないと出来ないんですけど。

—  自分の方が合わないなと思うのですか?

奥山 いろんな人と試してやってみようと思って、実際にやってみてもいるのですけど、この人とやったほうが良いというのが最近分かってきましたので。レベルとかフィーリングとかいろいろあるんですよね。やっぱり気質がソリスト気質というふうに言われてしまうことが多いんですね。自分ではどうにもならない(笑)。

—  日本人の方と演奏する機会もあるでしょうし、現地フランス人の方と演奏する機会もあるでしょうけれども、どちらの方がやりやすいのですか?

奥山 日本人は正直やりやすいです。すぐにあいます。

—  やっぱり奥山さんが日本人というのがあるんでしょうか?

奥山 何かテンポの感覚とか拍子の感覚とかでしょうか。それに日本人は合わせるのがすごく上手です。誰でも、日本人同士だと、ほとんどずれません。

—  フランス人はずれるということですか?

奥山 ずれる。もう信じられない。こんなにずれないというくらいずれます。本当に神経疑うくらい(笑)。プロ同士だったらずれないように最後はやります。でも、ずれる人は本当にずれますし、勝手に弾いてます(笑)。だからというわけではないのですが、合う人と会えば非常に合うのでそれはすごく面白いですね。

—  奥山さんの今後の音楽としての夢を聞かせていただけますか?

奥山 音楽としての夢はいっぱい演奏の機会を増やすこと、それにいろいろ人とコラボレーションしていきたいです。アンサンブルとしてもそうですし、例えば他の分野、映像や舞踏の人などそういう意味でもいろいろやっていきたいですね。なんか私は「交換(Echange)」と、「分け合う(Partage)」みたいなことに今すごく興味があるのです。

—  それはあるものを、気持ちを通して、「交換し」「分け合う」のですか?

奥山 いや自分の気持ちというか持っているものですね。それは例えば芸術家の「フィーリング」だとか「インスピレーション」などです。興味としては、知らない作曲家の人も新たにやってみたいし、持っているものを深めるのもいいのですけれども、一番興味を持っているのはそれを「交換」することなのです。

—  面白いですね。

奥山 一人でやるにはやっぱり制限があるし、今の時代だとショパンコンクール1位とかチャイコフスキーコンクール1位などを目指すのは、20代までは良いと思うのです。でも、そういうことには限りが出てくると思います。いろんな人と関わり合って自分を高めてオリジナリティーを探求していった方が良いかなと思います。

—  確かにショパンコンクール1位とかチャイコフスキーコンクール1位とかというのはすごいのですけど、それ以上ではありえないですよね。例えば先ほど言われた映像の方といっしょにやるとか、ダンスの人と一緒にやるとか、そのほうが面白いと思いますね。

奥山 選択肢をコンクールだけにしたら、他の人と関わるというのは絶対無理じゃないですか。一日10時間、家に閉じこもって練習するしか道はないような感じになりますよね。それにチャイコフスキーコンクールを受けるとしたらコンクールのための曲を弾くしかないのです。そうではなくてもっとテクニック的に難しくない曲や、もっと単純なコンクールでは栄えなくても素晴らしい作品を勉強する時間もとれないことが多いのです。20代にそれを全然勉強しないことになるんですよ。感性が鋭くて一番吸収できる時期に、それもまたもったいないと思います。

—  いろんな人と一緒にやるというのは次のステップということですね。

奥山 いろんな人と一緒にやるとか、いろんな世界の人と関わりたいというのは次のステップとして、そういう経験を通して、自分を深めたいという感じです。

—  いろんな人とやるのは一番面白いことだと僕も思うのです。観客も含めて、音楽というのは一人のものではないと思うので。いろんな人とやるのが一番面白いのかなと思いますね。

奥山 ソロと言われながらも他の人とやってソロの演奏の中にもそれを取り込んで、こう色彩というか。自分のパレットを増やしたいと思っています。

—  プロのミュージシャンとして、フランスで活躍出来るような秘訣とか、仕事がとれるような理由とか、成功する条件は何かあるとお考えですか?

奥山 最終的には成功する条件はどこでも一緒だと思うのです。やっぱり努力と、努力して人への思いやりを持つことです。あとは自分のやりたいと思っているチャンスを常に逃さないように待機している状態にすることです、精神的に。

—  精神的にですか?

奥山 そうですね。精神的なテンションを保つのって結構難しいと思うんです。ある時やりたいな、と思うことがあっても、一週間くらいたったら、もういいかな、と思ったりするじゃないですか(笑)。そういう意味で続けること、継続が大事ですよね。途中で失敗してもそんなにあきらめないで何度もトライしていくことが大事だと思います。

—  人間なんでやる気が落ちる時もあるし、これを保っていくということは難しいと思いますね。

奥山 保つということは難しいですよね。私も結構落ち込むので。一人の時間がすごく多いので。特にピアノをやっている人は。だから自問自答ばっかりしている人がたくさんいると思います。でもある意味捨てていかなきゃいけないものがあると思うんですよ(笑)。学生の時はやっぱり可能性をいっぱい探るので可能性の中でおぼれてしまうような感じです。でもやっぱりプロになろうと思った時点でなんといったらいいのかな、開き直りというのとは違うと思うのですけど捨てる部分があるんです。

—  学生のときは、自分が世界のトップピアニストで、例えばニューヨークのカーネギーホールでいつも演奏するだとか、常時、そのような場にのみ自分がいると思っているのでしょうね。
 

パリ・ピアニスト奥山彩さん
奥山さんのコンサート

奥山 そうですね。でもプロになるということはいきなりそんなカーネギーホールに行くことではないですよね。一つ一つ積み重ねていって、その頂点にカーネギーホールがあればすごく素晴らしいことなのだと思います。やっぱり音楽家、特にクラッシックだったら20代で最高を目指すなんてやっぱりありえなくて、 20代があって30代があって40代があると思います。80才でもまだ現役でコンサートやっている方もいらっしゃいますので。やっぱり上には上がいて、何というのかな、謙虚な姿勢というか長い目で見るようにした方がいいと思います。プロというのは、中学校の上は高校とかそういうのではないので今やっていることが40代になった時に花開くといいなという長いスタンスでいるとやっぱり気持ち的にはいいんじゃないかなと思いますね。

—  フランスで音楽を勉強したいと考えている日本の方に何かアドバイスがあれば教えて頂いてよろしいですか?

奥山 フランス留学する方は、まずとりあえず来てみてください。いきなり長期で来ないで例えば2週間とか1ヶ月とか期間を決めてトライしてみると良いと思います。とにかく一回来て本場を見ることが大事だと思います。そして、もし来たいと思われたらあきらめずに頑張ってください。

—  長期留学する前に短期で一回見るというのは大切ですよね。

奥山 私も一回見るチャンスがあったので。夢というのはどんどん膨らんでしまうのでやっぱり見ないといけないと思います。来て、見て、触ってみないといけないですね。

—  考えてばかりだと実際は違ったというのもありますしね。

奥山 来た後に、もしかしたら来たくないかもしれないですし。文化の違う所で生活するのは大変ですので、日本に居た方がいいと思うかもしれないし、違う国の方がいいと思うかもしれません。学校を見学したり、短期で2週間〜1ヶ月くらい春休みや夏休みを利用して一度来られるのがいいと思います。

ー  ありがとうございました。

 

外川千帆さん/伴奏ピアニスト/ドイツ・ミュンヘン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回ドイツで伴奏ピアニストとしてご活躍中の外川千帆(トガワチホ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2010年12月)


ー外川千帆さんプロフィールー
Image東京芸大附属高、芸大、芸大大学院修士課程ピアノ専攻卒業。ロータリー財団国際親善奨学生、文化庁在外派遣研修員として、ミュンヘン音楽大学、チューリヒ音楽大学歌曲伴奏科卒業、演奏家資格を得る。ミュンヘン音楽大学の伴奏員を在学中から2007年まで務める。第73回日本音楽コンクールにて、コンクール委員会特別賞(共演賞)を受賞。第6回国際フランツ・シューベルトと現代音楽コンクールのリートデュオ部門と、フーゴー・ヴォルフ・アカデミー国際リートデュオコンクールにて第3位を受賞。第4回ヒルデ・ツァデック国際声楽コンクールにおいて公式伴奏者。ルードヴィヒスブルク音楽祭等、ヨーロッパや日本で演奏活動を行っている。これまでに歌曲伴奏をH・ドイチュ、白井光子&H・ヘルの各氏に師事。


-まずは、簡単なご経歴を教えてください。

外川  東京芸大の附属高校から芸大ピアノ科に進学し、大学院まで進みました。大学院在学中に、ミュンヘン音大の歌曲伴奏科に留学しまして、ミュンヘン音大と東京芸大の両方を卒業しました。ミュンヘン音大に在学中から、伴奏助手として働き始めたのと並行して、チューリッヒ音大に入学し、月に1週間ほどレッスンを受けていました。チューリッヒ音大を卒業した後、子供の出産を経て、2007年まではミュンヘン音大で伴奏助手をやっていましたが、今はフリーで働いています。

-音楽を始められたのはいつですか?

外川  4歳です。私は、岩手県出身なのですが、母がピアノ教室をやっていましたので、まずはそこで始めました。

-ご自分からやりたいと言って始めたのですか?

外川  4歳だったのでよくは覚えていませんが、そうかもしれないですね。生まれたときから、身近にピアノはありましたし。近所の子どもたちがレッスンを受けているのを見ているうちに、弾き始めていたんじゃないでしょうか。母が熱心に勧めたわけではなかったと思います。

Image-小さいときから練習量は多かったんですか?

外川  いいえ、いなか育ちなので、本当にのんびりやっていました。 東京とか大きな都市だと、皆さん子どもの頃からすごく一生懸命やるじゃないですか。私は競争する相手もいませんでしたから、本当にのんびりと・・・。ほかの方のインタビューを読むと、皆さん素晴らしいですよね。

-そうだったんですね、それは意外です。中学校までは普通の学校だったんですね。

外川  高校も1年間は普通高校に行っていました、芸大付属高校には入り直した形です。

-芸大附属高校に入るまで、お母さんのレッスンを受けていたんですか?

外川  最初の頃は母に習っていたんですけど、親子だと難しいものがあるので、すぐに近所の先生に習いました。母の先生に当たる人でした。あと、東京の先生が出張レッスンに来てくださったり、こちらから出向いたりしていました。

-東京の先生にも習っていたんですね。

外川  小学生の時、ヤマハの音楽教室が、東京からの先生を呼んでレッスンをするというのを始めたんです。それがきっかけですね。そして、芸大附属高校の話も出て、受験してみようと。受かったら受かったで、皆さんすごく素晴らしくて、場違いなところに来ちゃった!と焦りました。(笑)

-本格的にピアノをやっていこうと思ったのは、芸大附属高校に入学してからですか?

外川  受験するときです。それまでは、どういう風に練習したらいいかとか、みんながどういう風に受験対策しているかとか全然知りませんでしたから。「朝9時に試験で弾かなければならない場合、5時から練習開始するべき」みたいなこととか、ソルフェージュのスキルとか、初めて本格的に教えていただいて。入学してからは、周りにすごく刺激されました。

Image-高校に入ってからの練習量はどのくらいでしたか?

外川  クラブ活動がないので、学校は午後1時とかの早い時間に終わるんです。なので、寮に帰って3時くらいから練習を始めて6時くらいまでやって、夕食を食べて7時くらいからまた3時間練習して、という感じですね。中には、お風呂に入ってから、1時、2時までやっている人たちもいましたよ。

-始めはキツかったですか?

外川  今、思い出せないくらいキツかったですね。お友だちとの楽しい思い出ってないんですよ。他の人たちも、自分の音楽に気持ちが向いている人たちばっかりだったので。学校終わったら、まっすぐ帰って練習、朝は授業が始まる一時間前から練習って感じでしたね。特に、私は全然余裕がありませんでしたから。

-高校生の時はコンクールなどには出られたんですか?

外川  いいえ。あの時代は、芸高に通っている生徒がコンクールに出るというのはタブーのような風潮があったんですよね。出るなら、絶対に賞を取らなくちゃいけないみたいな。

-それでも出られている方はいらっしゃったんですか?

外川  一人だけだったとおもいますよ。受けることも秘密にしていたと思います。

-大学に入られてもそういう感じだったんですか?

外川  いえ、大学に入ってからはみんな出ていましたね。私も、日演連の新人演奏会のオーディション等を受けたりしました。でも、私の場合は、大学に入ってからは伴奏のほうを沢山やりたくて。声楽の方の伴奏を主にやっていました。伴奏のほうではずいぶん色々なオーディションやコンクールに出たりしました。

-実際にプロを目指そうと思い始めたのはいつくらいですか?

外川  大学に入ってからですね。高校には声楽科がなかったので、声楽を勉強している人に出会ったのは、大学に入ってからだったんですよ。声楽科に友達がたくさん出来たこともあるのですが、伴奏をやっていくうちに、どんどん楽しくなってきまして、伴奏のお仕事が出来たらいいなと思うようになりました。

Image-伴奏の魅力は何でしょうか?

外川  もともと、ソロとして、舞台で弾きたいと思わなかったというか・・・。それよりも、音楽と言葉が密接に結びついていている声楽の伴奏をすることが、おもしろいと思い始めたのです。どっちかというと演劇作品に近いというか、ピアノとは違って言葉を使いますし、言葉と音楽で表現することに魅力を感じますね。演奏会の形態もそうですけど、一曲一曲が短くて、いろいろな情景が変わっていくこともおもしろいと思います。
 
-なるほど。さて、外川さんがドイツに留学されたのはいつのことですか?

外川  大学院に入ってからです。大学院受験は自分では試金石だと思って望みました。これでだめだったら自分はここまでだ、と言うことにしようと思って。でもおかげさまで合格できたので、大学院に入ってからは、もう伴奏をやっていこうと、授業などもその方向のものばかりとっていました。留学を考えたのはそれからです。私のソロピアノの先生も、伴奏をやることについては、理解してくださっていましたので、リートの先生を紹介してくださるなど、手助けをしてくださいました。

-ミュンヘン音大を選んだきっかけは?

外川 語学留学で一ヶ月ミュンヘンに行ったことがあったんですけれど、街がすごく好きになったというのが一つの理由です。 でも、直接のきっかけになったのは、東京で鮫島有美子さんとそのご主人であるヘルムート・ドイチュ先生の公開レッスンを受けさせていただいたことですね。 そのドイチュ先生がミュンヘン音大の先生だったのです。そこで先生にいろいろご相談させていただいて、具体的に留学することに話が進んでいきました。あと、たまたまミュンヘン音大で、歌曲伴奏科ができた年だったので、タイミングも良かったこともあります。

-音楽留学の前に、ミュンヘンで語学留学を経験されていたんですね。

外川  はい。フルタイムコースがあるのは大きな都市しかなかったので、ミュンヘンを選びました。ミュンヘンは、比較的安全な街ですし、地方の都市という感じで小さくまとまっていて住みやすかったので。その時は、語学学校で手配してもらったアパートで、同じ学校の人とシェアして一ヶ月生活しました。

Image-では、ミュンヘン音大に留学されたときには、語学では困らなかったんですね。

外川  一ヶ月みっちりドイツ語を勉強したのは大きかったですね。 いただいた奨学金も、何に使ったかと言えば、ほとんど語学に費やしました。時間があるときに個人で習ったり、できるだけコースに通ったりしました。ピアノの人って、一人でこもって長い時間練習するじゃないですか。なので、意識して勉強しないといけないと思ったのです。よく、「現地の友達と話していると、すぐ覚えるよ」って言われますけど、それだけでは足りないですよ。友達と話していてもなかなか直してくれないですから(笑)。高校生とか、若いうちの留学ならそれもアリかもしれませんが、私は26歳になってからだったので。

-ミュンヘン音大では、語学の試験はあったんですか?

外川  私のときはなかったです。今はあると思いますけど。

-留学はどのくらいの期間だったんですか?

外川  間が開いていますけど、計4年です。Aufbaustudium(大学院課程)は2年間ですが、途中1年間は芸大の大学院のために帰国していましたので。また、ミュンヘン音大卒業後に、スイスのチューリッヒにも2年通いました。本当はミュンヘンの後、カールスルーエ音大に行きたかったのですが、ドイツの教育システムでは、一番上の段階を卒業していると、他大学の同科には入れないのです。なので、聴講生という形で入ったのですが、ちょうど良く先生がチューリッヒで教えることになったのです。チューリッヒはスイスですから、また学校で勉強できるということで、そちらにも通いました。

-クラシックを勉強するに当たって、ドイツの良い点と悪い点を教えてください。

外川  ドイツの音楽ひとつにしぼって勉強したいという方には、すごくいい環境だと思います。ただ、大学で勉強するプログラムでは、グローバルなことはあまり学べないように思います。ドイツの大学では、ひとつのことをじっくり深く勉強する傾向なので、時間がかかるように思います。歌に関して言えば、ドイツの先生が専門的に教えられるのは、やはりドイツのものになりますので、フランス音楽もイタリア音楽も突き詰めてというのは難しいかもしれません。伴奏に関しても、たとえばアメリカだったら、リートのみならずオペラとか、いろいろな国の音楽を広く浅くやる傾向がありますが、ドイツではそこまでは手広くないように思います。日本でやってらっしゃる方のほうが、フランスやイタリアの音楽を知っているかもしれないです。

-外川さん個人にとってはいかがですか?

外川  わたしはドイツリートを勉強したいと思って来たので、良かったと思っています。

-どういう経緯で、伴奏の仕事に就くことになったんですか?

外川  大学内で募集があったのです。オーディションに応募して、採用していただきました。

-実際伴奏者として仕事をしていく上で、一番大事なことは何でしょうか?

外川  まずは、歌い手とのコミュニケーションですね。人間的にオープンであると言うことが大事だと思います。そうじゃないと、二人で一緒に音楽を作ってはいけませんからね。言葉でコミュニケーションするときにも、オープンでいるって言うことは大事ですね。でも変に主張しすぎると嫌われますけど(笑)。

Image-相手の気持ちを受け入れてコミュニケーションを取っていくということですね。

外川  そうですね。いろんなタイプの演奏者の人がいますから、一概にこうするべきっていうのはないと思いますが。あと、やはり一番は演奏です。歌の人を支えられるような演奏ができるか、いろんなジャンルや音楽様式を理解していて、それぞれの音楽を表現できるか・・・、つまり技術ですよね。

-プロの演奏家を目指して、留学を希望している人はたくさんいますが、ずばり、プロになれる人となれない人との違いは何だと思いますか?

外川  難しいですね。いろんな要素がかみ合っていますから・・・。もちろん第一前提は技術ですが、ほかにも大事なことは意識じゃないでしょうか。プロとしてやっていくという、強い気持ちを持っていることが大事だと思います。せっかく技術を持っていても、そこに甘んじないで、限界を突き抜けてまでもやっていこうという意識がないと。プロの音楽家は、気持ちも生活も、すべてが音楽に向いている人だと思います。たとえ子供を持って家庭と仕事の2足のわらじを履いている状況でも、いかなる状況でも、です。

-外川さんがプロとして意識していることは?

外川  今、プロとアマチュアには、大きな差がないように感じています。特に伴奏は、大学に出ていなくても、技術があればできますからね。経験がものをいう仕事でもありますから。私自身は、自分の演奏に対しては、表面的ではない、心をこめた自分の納得できる演奏ができるようにと思っています。なおかつ歌手の方を支え、引き立て、より良いものをと思っているので、いつも、120パーセント以上の用意ができている状態でなければと思っています。

-ドイツで、プロの音楽家として活躍していく秘訣は何でしょう?

外川 アジア人だからといって、あきらめずに、躊躇せずに前に進んでいくことですよね。自分には出来ないのではないかって思うときでも、もう一歩勇気を出して進んでいけるかどうかです。あとは、人間としてオープンでいることですね。日本人は控えめですけれど、そういうのは美徳とされないし、むしろ印象が悪くなってしまうので。最初は難しいかもしれませんが、失敗しても次があるという強い気持ちを持っているくらいがちょうど良いように思います。
 
-外川さんは、くじけそうになったりしたことはありましたか?

外川  いつもですよ(笑)。

-そういうときに立ち直る方法は?

外川  主人が韓国人の歌い手なのですけど、彼のポジティブさにはいつも助けられています。ドイツに限らず、今では世界で日本人より韓国人の方が成功しているのではないかと思うのですが、アイデンティティが強い国民性なのですよね。自分に自信を持っているというか、ちゃんと自己主張できる。彼は、オペラ座で働いているのですが、他のドイツ人と対等にやっていかなきゃいけないので、かなり自己は強く持っていますね。留学したことのある方なら、中国や韓国など、同じアジアから来ている人たちに、圧倒された経験を持つ方は多いと思います。

-ドイツで伴奏者として仕事をする上で、日本人として優位な点はありますか?

外川  日本人は細やかな仕事をするので、重宝がられることもまれにありますが、日本人で得をすることは、ほとんどないです。やはり、ドイツではドイツ人がすべて優先されるし、ドイツ人はドイツ人と演奏したいと思うでしょうから。ドイツ人がダメならせめてEU圏の人という風に。なぜ、アジア人と演奏するのか、という理由がないですからね。国民性も全然違いますから、いつまでも日本的だと仕事は取れないです。言わなくても察してもらうことを期待してはダメですね。何考えているのかわからないとか、シャイだっていうのはマイナスイメージですから。そういう意味では、大きな改革が必要だと思います。まあ日本人と言ってもいろいろな方がいますから、そういう垣根をとびこえて、海外で生き生きと活動していらっしゃる方も、もちろん沢山いらっしゃいます。

Image-そんな中で、たくさんお仕事されているんですね。素晴らしいです。

外川  いえいえ。たまたま、有難いことに外川さんと仕事がしたいとか、またお願いしたいと言ってくださる方々がいるので、やらせていただいている感じです。そういう方々と出会うことができたのは幸運だったと思っています。

-なるほど。ここで難しい質問になるかもしれませんが、クラシック音楽は外川さんにとって何ですか?

外川  難しいですね。ほかの皆さんは、すごく上手に答えてらっしゃいましたけど(笑)。私のイメージでは、クラシック音楽は、ポップスやジャズなどのほかの音楽に比べて、自然の波長に近い音楽だと思っています。森の木々が揺れたり、花が開いていい香りが漂ったり、湖の水面に太陽の光が差しこんできらきらしている様子など・・・、そういうのと一番近いというか。またクラシックってすごく人間的だとも思うのです。人を愛する気持ちとか苦悩とかユーモアだとか、そのようなものがそこかしこにちりばめられている。音楽を通してそういう自然の情景や人間の生きざまとかを表現できたらいいなと、いつも憧れを持ってやっています。自然って限りなく美しいじゃないですか、そして人の人生というものも。クラシック音楽も、いろいろな表現があると思いますが、最終的には限りなく美しいものでなくてはと思っています。

-自然と同じように、クラシック音楽も存在していると言うことですか。

外川  近づくのは難しいですけどね。クラシックは型もありますし。でも、伴奏者の仕事って、型にはまるだけではなく、自由で柔軟でいるって言うこともすごく大事なことですが。

-外川さんの、音楽家としての今後の夢を教えてください。

外川  去年から日本で、「歌曲の響」と言うタイトルで、コンサートシリーズを始めました。毎回違う歌手をおよびして、さまざまな歌曲を皆さんに紹介してゆけたらと思っています。今年2月には、音楽だけではなく映像とコラボレーションしたコンサートもやらせていただきます。日本では外国語の歌曲を歌われる際に、聴き手にダイレクトに伝わりにくいという問題があります。今回は舞台上に映像を流して、歌曲の世界を耳だけではなく、眼からも楽しんでいただこうという企画です。またヨーロッパでは、さらに引き続きリーダーアーベントをすることができたらと思っています。

Image-主催されているコンサートは、東京で開催ですか?

外川  今回は初めて東京でさせていただきます。以前から、そういうコンサートをやりたいと思っていたのですが、今回、共催してくださることになった会社が、演奏者を募っていて、それに応募して採用していただいたのです。それ以外は私の故郷である岩手でもコンサートをさせていただいてます。

-最後になるんですが、海外で勉強したいなと考えている人にアドバイスをお願いします。

外川  自分なりの目的を持って留学をすることが大事だと思います。みんながプロを目指さなきゃいけないというのではなく、「ヨーロッパを見に行きたい」っていう理由でもいいと思うのです。目的は持っていなければ、時間とお金の無駄になります。過ごしていく上で、目標が変わっていってもいいと思いますが、とにかく目的や目標がないと、外国に行く意味がないと思います。自分を見失わないように、という点から言っても大事なことだと思います。

-何か一つ強い信念を持ってないと、ということですね。

外川  あとは言葉!誰でも最初はできないので、勇気を持って望むことです。語学に関しては、できるだけ勉強しておいた方がいいです。音楽留学の前に、一度語学留学だけをしてもいいと思います。特に歌の場合は言葉がなんと言っても重要で、いくら声が素晴らしくても言葉ができないと評価されません。大学の先生もそれに関してはよくおっしゃいますね。大学に入りたい人は、ドイツ語が無理なら、最初のうちは英語でもかまわないので、何かしら先生とコミュニケートできる手段を持っておいたほうがよいです。

-今日は長い時間、貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。

 
Image-----外川千帆さんのコンサート情報-----
ソノリウム「映像と音楽」共催シリーズ2011参加企画

ラファエル・ファブル&外川千帆 リートデュオ・リサイタル[歌曲の響]vol.3
「ハイドンとシューマンの歌曲」~写真家・山本英人氏とともに~

本場ドイツをはじめ、ヨーロッパ各地で注目を集める、ラファエル・ファブル(テノール)&外川千帆(ピアノ)の二人による、繊細で洗練されたリートデュオを、ドイツの風景映像を背景にご堪能いただきます。耳と目で、ドイツリートの心をお楽しみください!

 <プログラム>
ハイドン作曲「さすらい人」「彼女は決して愛を語らず」
シューマン作曲「リーダークライス op.24」「6つのレーナウの詩による歌曲とレクイエム op.90」

<出演>
ラファエル・ファブル(テノール)
外川千帆(ピアノ)

開催:2011年2月27日(日) マチネ 14時  
ソワレ 18時30分
入場料金 4,000円
 会場/ソノリウム Tel: 03-6768-3000
168-0063 東京都杉並区和泉3-53-16 FAX 03-6768-3083
http://www.sonorium.jp/index.htm

【チケット取り扱い・コンサート詳細】
カノン工房
このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。
Tel:03-5917-4355(平日10-17時)  fax:03-5917-4356
 http://www.atelier-canon.jp/ (サイトからもお申し込みいただけます)
 

吉田智晴さん/オーボエ/ケルン放送管弦楽団/ドイツ・ケルン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はドイツの名門オケ・ケルン放送管弦楽団オーボエ奏者でご活躍中の吉田智晴(ヨシダトモハル)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学をすること」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2006年6月)


ー吉田智晴さんプロフィールー

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

横浜生まれ。高校卒業後、渡独。ハンブルク国立音楽大学卒業。ヨエンスー市立管弦楽団、ヒルデスハイム市立歌劇場、ホーフ交響楽団を経て現在ケルン放送管弦楽団でオーボエ、イングリッシュホルン奏者。ケルン放送管弦楽団の木管五重奏団、ケルン放送交響楽団の木管八重奏団のメンバーとしても活躍中。これまでに小島葉子、河野剛、W.リーバーマン、R,ヘルヴィッヒ、I.ゴリツキ各氏に師事。



—  ドイツでの簡単な履歴を教えてください。

吉田 ハンブルグ国立音楽大学で勉強しながらブレーメンのオーケストラで演奏させて頂きました。その間にドイツのオーケストラのオーディションをいろいろ受けてヒルデスハイム市立歌劇場に入団しました。ハノーバーの近くにあるものすごく小さなオーケストラです。1年位そこにいてその後バイエルンにあるホーフ交響楽団に入団しました、そこに4年間いまして、その後たまたま招待状を頂いたケルン放送管弦楽団に入りました。オーケストラを転々としていますね。

—  高校卒業してからすぐにドイツに行かれていますが日本で音大は受験しなかったのですか?

吉田 最初に京都芸大を受けました。ピアノを始めるのが遅くて東京芸大の試験を受けるのにはピアノの腕がおいつきませんでした。京都芸大は当時、ピアノの試験がものすごく簡単だったんです(笑)。今でもそうかは分からないですが(笑)。ただ単に受けに行ったので一次で落ちました(笑)。それで1年間浪人してピアノを練習して、次は東京芸大を受けようと思いました。東京芸大を受けるために1年間師事した当時の先生がドイツのデトモルトで勉強されたご経験がありました。先生はハンブルグのオーケストラでも吹いた事があって、その関係でハンブルグのオーボエ奏者をご存知だったんです。結局、芸大を受けてダメだった後に、ハンブルグの先生が日本に偶然来まして、じゃあ先生の前で吹いてみろ、ということで吹きましたら付いてこいということになり、その年の10月にハンブルグに行くことになりました。

—  もともと海外に留学しようという思いはあったのですか?

吉田 あんまり考えてなかったですね。芸大に入れれば芸大にずっといたんじゃないかと思います。

—  たまたまという事ですね。

吉田 たまたまですね。というか芸大がダメだった時に、以前そういう形でドイツに行かれた方がいらして、その話をうちの父親が聞いていましたので、「お前もそういう風にドイツに行けるんだったら行けばいいじゃないか」みたいな感じで後を押してくれました。僕は深く考えずに日本にいてもしょうがないと思い、2年目も浪人する気はなかったのでドイツ行きを決心しました。

—  ドイツ語は勉強していましたか?

吉田 ドイツ行きが決まってから日本で少し勉強しました。でもやっぱりあまり役に立たなかったですね。ドイツに来て語学学校に行きましたけど、ドイツ人の音大友達と話しているうちにだんだん覚えていきました。僕の場合、日本で音大を出ていませんので、ドイツで基礎科目も取らなきゃいけなかったんです。そのおかげもあってドイツ語をどうしても勉強しなければいけない状況でしたので頑張りました。尻に火が点かないとやはりやらないですよね(笑)。

—  やらざるを得ない時が一番やりますよね(笑)。

吉田 ドイツ語ができないと単位が取れないんで(笑)。

—  音楽に興味を持ったきっかけを教えて頂いてよろしいですか。

吉田 もともとブラスバンドでオーボエを始めたんです。

—  中学校ですか?

吉田 中学です。ブラスバンドがとてもうまかった学校で入学式の日に演奏してくれたんです。その演奏がものすごくうまくて、同じ中学生でなんでこんなにうまく出来るんだろうと思ったのがきっかけです。親父が高校の時にブラスバンドをやっていてその関係でフルートが家にありました。それでフルートをやろうと思っていたら、親父に「フルートはきっと人も多いだろう。オーボエというのはいい楽器だから、オーボエが学校にあるんだったらオーボエをやりなさい」と言われたんです。それでブラスバンドに入部した時にオーボエを希望したのですがやはり僕1人でした。トランペットやフルートはものすごい人が多かったですね。

—  小さい頃から音楽はやっていたのですか?

吉田 音楽を聴くのは好きでしたね。名曲アルバムなどをよく1人で聴いた記憶はあります。

—  子供の時からピアノを習っていたというわけではないんですね。

吉田 英才教育ではありませんでした。父親に連れられて小学生の頃、何回かクラシックの演奏会に行った記憶は今でもありますけど、先を考えてした行動ではなかったと思います。

—  オーボエを中学校からやる人は珍しいですよね?

吉田 あまりいないのかもしれません。今考えると楽器の調節も無茶苦茶だったし、リード自体もとんでもないものだったから、音を出すこと自体が何かもうきついっていう記憶は未だに残っています。

—  オーボエを教えてくれる方はいらしたのですか?

吉田 1歳年上の先輩しかいませんでした。女性の先輩で、その方自身もオーボエを吹いて1年になっていない訳です。悪条件で始めたので目眩がしましたからね(笑)。楽器も調整されてないしリードも悪いしきつかったですね。

—  それがいまだに続いているんですからオーボエに取りつかれたんですね(笑)

吉田 そうですね。実は中学の時に、オーボエだと人数的に少ないので吹奏楽コンクールに出れませんでした。それでクラリネットだったらコンクールに出れるというので中学2年から1年半ぐらいクラリネットを吹いていたんです。クラリネットの方がオーボエに比べると音を出すこと自体はそれほど難しくなかったのでクラリネットが結構うまくなりました(笑)。コンクールが終わったらオーボエに戻ろうと思っていたんですけど、先生が「お前はクラリネットとして必要だ」と言ってくださいました。それで、そのままずるずるとクラリネットをやっていたんですが、高校に入ったのをきっかけにオーボエに戻りました。自分が本当にやりたい楽器はオーボエなんじゃないかと思ったんですね。楽器を持っていなかったので神奈川県青少年オーケストラという楽団に所属したらオーボエを借りられるということで青少年オーケストラに入りました。それがオーケストラを経験した最初です。そこで楽器をずっと使わせていただいて大学受験の時にオーボエをようやく買ったんですよね。

—  それまではどうしていたのですか?

吉田 ずっと借り物でした。親としても本当にやるかどうか分からなかったと思いますから。

—  もともとプロの音楽家としてやろうと思っていたわけではないですもんね。

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

吉田 高校3年の時になるまで音楽大学は考えていませんでした。だから普通の大学を受験すると思っていたんです。でもよく考えてみたらもともと勉強が好きなほうじゃないし、自分には音楽しかないのかなと思うようになったんですね。

—  ピアノはいつから始めたんですか?

吉田 高校3年の時です。

—  高校3年生ですか!

吉田 音楽大学を受験するにはピアノが必要という事になりました。高校のブラスバンドの先生がたまたまピアノも教えていらしたので、その先生にピアノを習い始めてそこで長音とか受験に付随する科目を習いました。

—  指は動くんですか?そのぐらいの年齢から始めても。

吉田 ものすごいスピードで練習しましたからね。何とか、何ヶ月かで弾けるようになりましたね。でも、小さい頃からやっていませんので1回ピアノをやめちゃうと全く弾けなくなっちゃいます。聴くのは好きですけど、弾くのは本当にあんまり好きじゃないんです(笑)。

—  ところで、音楽を勉強するためにドイツの良い点、悪い点はありますか?

吉田 ドイツの音楽大学の場合は、例えばオーケストラでやりたい、音楽院などで音楽理論を教えたい、音楽を使ったセラピーを専門にしたい、など自分の目的がはっきりしている人にはすごくいいと思います。卒業する前に方向を決めるのではなく、学校に入る時点である程度自分の方向性を決めないといけないんです。悪い意味だと入ってからは軌道修正がしにくいんですね。これはドイツの小学校、中学校のシステムについても言えるんです。ある程度、目的意識を持っている人にとっては将来職業として必要とされるものがかなり集中してやれる環境ですので、そういう意味では無駄な事をしなくていいのでそのシステムはすごく僕はいいと思うんです。それに国立音楽大学に関して言えば授業料がないということは素晴らしい事だと思います。悪い点は自分が違うことやりたいと思った時に、その他の学科への編入がかなり難しいということでしょうね。

—  そうですよね。

吉田 大学では学習環境がよく整備されていますし、教鞭を執っている方はいい先生が揃っています。例えばハノーファー音楽大学は練習室が数多くあります。自宅で練習して大きい音を出さなくても学校に行けば休日以外はほとんど開いていましたので、朝から晩まで練習していましたね。

—  ドイツは法律で何時まで練習していいよと決められているんですよね?

吉田 夜は10時までです。

—  オーボエの場合、部屋で練習すると近所からクレームはきましたか?

吉田 あんまりこなかったですね、オーボエの場合は。それほどうるさくないみたいです。

—  基本的に部屋の中で練習されている方が多いのですか?

吉田 部屋の中で練習できる楽器は、多分部屋で練習されていると思います。金管楽器ですとみんな学校に来て練習していますけれども。

—  これからドイツに行きたい方にとって、最も重要と思われる事はなんでしょうか?

吉田 自分がどういう事をしたいかという事が明確に分かっていないと道を選ぶ上でも少し困難だと思います。例えば、どうしてもこの先生に付きたいという意識があるのでしたら、学校も決まってきます。漠然とドイツに行くと決めた場合、焦点を非常にしぼりにくい。人気のある先生のクラスに入りたいと思った場合は倍率がかなり高いです。しかし倍率の低い大学に入った場合は相当のデメリットが待ち構えています。ドイツに行きたいという理由だけで大学を選択した場合でも、多分運が良ければどこかしらの音大に入れるかも知れません。でもどうしてその音大の先生の弟子が少ないのか、どうしてその音大の受験倍率が低いのか、を考えてみた場合、答えが分かると思います。オーケストラが応募者に招待状を出す場合に、どこで勉強したか、どの先生に付いたかをよく見ます。その時にその楽器の権威とかいい弟子をたくさん出している先生に付いている事はある程度選択条件になります。もちろんいい先生でも、それほど名前の知られていない方はいらっしゃいます。ただネームバリューというのは選考の際、結構重く見られる場合が多いです。

—  ドイツでオーケストラに入る場合、大学を卒業していないといけないのですか?

吉田 いや、それは全然ないです。学生が在学中にポンと入っちゃう人もたくさんいます。

—  実力が優先されるんですね。

吉田 当日オーディションで一番うまく吹けばいい訳で、根回しはあまり必要ないんじゃないかと思います。

—  実力だけで勝負できるという事ですよね。ドイツで音楽をやる上での良い点でもありますね。さてドイツでオーケストラやソロ活動をする場合、日本人が有利な点、不利な点はありますか?

吉田 不利な点はオーケストラのオーディションになかなか呼んでくれないことですね。ドイツの失業率はかなり高いですので、まずはドイツ人が優先されます。ただ現実的に最近の傾向としては、例えば音大などでもドイツ人の割合がすごく低いんです。

—  そうなんですか。

吉田 ドイツの音楽大学は、いい先生がたくさんいて学費がいらない、などのことからロシア、韓国、中国からたくさんの学生が来ます。ドイツに来る方は基本的に音楽レベルの高い国でさらにある程度弾ける方が多いので、ドイツのペースでぬくぬくとやっているドイツ人だと最初から外国人と勝負にならないんです。先生としてはいい弟子を取りたいでしょうから、結果としてドイツ人の学生が減少しています。

—  感覚的に何%が外国人なんですか?

吉田 感覚的に言うと40%ぐらいになるんじゃないでしょうか。

—  そんなに高いんですか!

吉田 高いと思います。最近学生さんと交流があってファゴットはケルン音大のレベルは高いんですけど外国人がやっぱり過半数です。それは僕の学生時代でも言えた事です。20人位いたんですけども、そのうちの半分以上は外国人でした。イタリア人、台湾人、イギリス人、オランダ人、日本人でしたね。

—  オーケストラもそうですか?
 

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

吉田 うちのオーケストラ(*ケルン放送管弦楽団)は15カ国、16カ国ぐらいの国籍ですね。ベルリンフィルでは今13〜15%ぐらいだと思います。ベルリンフィルは比較的ドイツ人が多いオーケストラだと思うんですけど、他のオーケストラになると、外国人の占める割合の方がドイツ人より多いというオーケストラはずいぶんありますね。

—  そうなんですね。

吉田 妻はアメリカ人でホルンを吹いているのですが彼女もドイツに仕事をしに来た人間です。

—  アメリカからですか?

吉田 そうです。アメリカは、オーケストラの1つのオーディションに300人ぐらい来ちゃう国じゃないですか。枠が狭くてレベルが高いし、金管楽器の場合非常に難しいですからね。アメリカにいたら就職する確率がものすごく低いので仕事をしにドイツに来たんです。

—  そういう意味ではドイツの方が就職しやすいんですか?

吉田 そう思います。やはりこれほどプロのオーケストラが密集している国はヨーロッパの中にもありません。ですから受け皿が広い分、入れる確率も高いのではないかと思います。フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国に比べますとドイツでは外国人の枠が一番広いです。ドイツのオーケストラとしては外国人が入団する場合、ドイツ人の音楽家をとらなかった理由が必要らしいのです。役所に提出するのに会社ではどうしてこの外国人を採用したのかを言わないといけないそうです。ドイツ人の応募者の中で、自分たちの求めるレベルに達している者がいなかったという断り書きが必要なんですね。ですからドイツ人を最初に招待し、それで誰もいなければ外国人というように枠が広がっていくんですね。

—  分かりました。

吉田 例えば、うちのオケでもバイオリン、チェロなどで過去何ヶ月かにオーディションをやりましたけどドイツ人でまともに弾ける人は少ない。うまいな、と思うとやっぱり外国人だったりします。

—  そういうものなんですか。

吉田 教育システム自体を見直していかなきゃいけないと思います。特に弦楽器だとある程度早くから始めないと難しいですよね。

—  そうですね。

吉田 ドイツみたいに個人主義だと自分がやりたきゃやれ、みたいなところがあるので子供の時から叩き上げるという事はあまりしないと思うんですよね。でもそれをしないとやはり、特に弦楽器の人なんか育たない。ほんとにレベルアップを考えているならもっと早くから始めて行かないといけないですね。

—  なるほど。

吉田 鉄は熱いうちに打たないと硬くなってしまいますから。

—  ドイツはそういう状況なんですね。

吉田 もちろん僕一人の意見ですけど、ある程度的を得てると思います。僕も今年でドイツに21年目で、20年以上ここに住んで、自分の目で見て肌で感じてきたことやオーディションを見て思うんですけどドイツ人のレベルはちょっと….。ものすごくうまい方はいらっしゃるんですけれども平均して見るとやっぱり外国勢に押されているんじゃないかと思います。

—  意外ですね。

吉田 日本の相撲でも同じことだと思います。外国勢の方がかなり頑張ってらっしゃいますよね。外国人がドイツに残ろうと思った場合は、学生のままでいるか、就職して仕事を取る以外にここに居残る道がない訳です。そうするとやはり火事場のくそ力じゃないですけど、力を出すと思うんですよね。

—  分かりました。吉田さんにとってクラシック音楽とはどういうものですか?

吉田 クラシック音楽は人間が今まで創造してきた芸術の中でも一番頂上にあると思います。でもジャズもよく聴きますし、ジャズもすごいなって思いますよね。

—  ジャズは演奏もするんですか?

吉田 ジャズはまだやってないですね。そのうちやりたいなと思うんですけど、ジャズのアプローチの仕方はクラシックとは全く違いますので。

—  オーボエって、ジャズにそんなにないですよね。あるんですか?

吉田 ないですね。有名なのだとアメリカに「オレゴン」というバンドがあるんですけど、そこの人がサクスフォンと一緒にオーボエを吹きます。

—  オーボエのジャズは聴いたことないのでいまいちイメージしにくいですね。

吉田 オーボエは音域もそんなに広くないし、ジャズの楽器としてはちょっとフレキシビリティに欠けているのかもしれないですね。やれない事はないと思いますけど。そのうち挑戦してみたいなと思います。オーケストラは長い間やっていますので室内楽なり、ジャズなり即興なんか出来たら本当に楽しいだろうなと思います。

—  今後はオーケストラより独自の活動も行うのですね。

吉田 オーケストラにいれば、音色なり自分のテクニックなりこれからもどんどんどんどん改善を進めて行くと思うんです。ただそれと平行して室内楽で求められるような音楽なり技術を磨いていくというのは、ここ5年10年の自分の目標ですね。

—  吉田さんはプロの演奏家としてドイツでご活躍されていますけれども、活躍できなくて日本に帰ってくる日本人もたくさんいると思うのです。実際に活躍できた条件や理由はあるとお考えですか?

吉田 もちろん運もものすごくあると思うんです。ただ運を掴むためには本人の努力なしでは不可能です。学校を選ぶ時に申し上げましたが目的意識、つまり自分が何をどういう風にしてどういう事をしたい、という事をはっきりと描いた時点で、これを現実化させるためには何をどういう風にしたらいいか、それに付随する細かい事をどこまでやれるかというのが、成功につながっていくと思うのです。

—  なるほど。
 

ドイツ・ケルン放送管弦楽団吉田智晴さん
吉田智晴さん

吉田 例えばオーケストラに入団したい場合、ある程度履歴、経歴が関係してきます。本当にオーケストラに入ろうと思った場合、この先生に付いた方がオーケストラに入れる、招待状なりもらえる確率が上がるとなった場合、倍率の高い音楽大学に入らないといけないという事で、その倍率の高い音大に入るためにはどうしたらいいか、どんどん遡っていくと今の時点で何ができるかというのが明確に見えてくる。漠然とうまくなろうというのはものすごく難しいと思うんです。実際に具体的に何をしたらいいんだろうとなって来た場合に自分の質というのがはっきり見えてくる。

—  そういう事を考えないで大学に入った人が多いんですか?

吉田 僕なんかほとんど何も考えないで来ちゃったんですが(笑)。こちらに来てだんだんやってくうちに見えてきたところがありますよね。就職しなければという事で一足飛びに入れるオーケストラを考えましたし。ベルリンフィルなりバイエルン放送響なりすごくレベルの高いオーケストラにポンと入れる人はそれ程いないと思うんですよね。

—  そうですよね。

吉田 僕みたいにごく普通の才能しか持っていない人間は下からどんどん積み重ねていく以外にないと思うんです。どこまで地道な努力を続けられるかということで人生が変わってくると思います。やはり積み木と一緒で、下のほうが地盤になります。建物と一緒だと思うんですけど、基盤がちゃんとしてないと、いくら高く上げようとしても崩れてしまう。やはり基本的なテクニックなりをしっかりとやるというのは急がば回れですね。無駄に思うような努力、例えばロングトーンなんかは、すごく単純で退屈な練習だと思うんですけども、逆に言うと1つの音をまっすぐ伸ばす、これ一番難しい事だと思うんですよね。正直言ってプロの中でもこれができる人ってあんまりいないんじゃないかと思いますね。

—  そうなんですね。

吉田 厳密な意味でですよ。ものすごく厳密に1つの音を例えば10秒なり伸ばしたとして、それが本当にまっすぐ音を出すというのは多分あんまりできないと思うんです。よっぽどうまい人じゃないと。特に管楽器の場合は、息の流れがものすごく音のでこぼこに影響しますから音をまっすぐ出すのは難しいです。ここ何年かで僕も気がついたんですけど、これほど難しい事はないなと思いました。そこを飛ばして指が早く回るとか、技巧ができるとかあんまり意味がないんじゃないかと思います。

—  技巧的なところばかり目がいって基本がなくなっているんですね。

吉田 僕も学生だった時はそういう傾向ありましたから。周りにテクニック的にものすごく華のある人を見ちゃうと、やっぱり指が早く動くのはすごいな、と。テクニックを持っているという事はもちろん大きな利点になると思いますが、実際にオーケストラで要求される事は、テクニックよりも如何にしていい音を出すか、短いフレーズの中でどれだけの事を凝縮して表現できるかという点におかれますね。そうしますとやはり、音色の大切さがものすごく重要になってくると思います。

—  今後プロを目指す方は、そこの部分をきっちり仕上げて行った方がいいわけですね。

吉田 そうですね。皆さん焦る気持ちや早くうまくなりたいと思う気持ちも良く分かりますが、天才と言われている人以外は基本的な技術をなるべく時間をかけてマスターしていく事が逆に近道なんじゃないかと思います。

—  海外で実際に勉強したいと考えている読者にアドバイスがあれば、今の条件も含めてお願いしてよろしいですか。

吉田 何度も言いますがやはり自分が何をしたいかを明確に自分の中で描くべきなんじゃないかと思います。それを持たずにはその先に進めないような気がします。ただ単にアメリカに行きたいとか、イタリア、フランスで勉強したいなど、そういう事もモチベーションとしては悪くはないと思うんですが、留学後の事を考えるとやはりそれなりのリスクもある程度ありますので、その先の身の振り方をある程度考えて行動した方がいいと思います。最近は音大の外国人の占める割合が高くなってきたという事で、例えば外国人の入れる年齢制限が引かれたり外国人枠も出てきています。入学時にドイツ語の試験がある学校も増えてきています。だんだん入り口が狭くなって来ていますから、それこそきっちり考えて行動された方がいいと思います。

—  ありがとうございました。


布谷史人さん/ソロマリンバ奏者/アメリカ・ボストン

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はアメリカ・ボストンでソロマリンバ奏者としてご活躍中の布谷史人(ヌノヤフミト)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2006年11月)


ー布谷史人さんプロフィールー

マリンバ奏者
布谷史人さん

秋田県生まれ。山形大学教育学部総合教育課程音楽文化コースを経て、ボストン音楽院修士課程マリンバ・パフォーマンス科修了。アーティスト・ディプロマ科マリンバ専攻修了。ボストン音楽院でナンシー・ゼルツマン、パトリック・ホーレンベルクに師事。その他、岡田知之、目黒一則、須藤八汐、三村奈々恵、池上英樹の各氏に師事。Ima Hogg 若手音楽家のためのコンクール(テキサス州ヒューストン)1位。世界マリンバコンクール(ドイツ)、The National Young Artist Competition(テキサス州オデッサ)、The Eastern Connecticut Symphony Young Artist Competition(コネチカット州ニュー・ロンドン)、Percussive Arts Society国際マリンバコンクール(アメリカ)等で入賞。大曲新人音楽祭コンクール、クラシック音楽コンクール・打楽器部門最高位(日本)。ヒューストン交響楽団、Di Pepercussio Ensemble、東方コネチカット交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演。現在ボストン在住。



―  簡単な略歴を教えていただいてよろしいですか?

布谷 7歳からピアノを始めました。小学校の時に学園祭でマリンバを初めて見たのですが、それ以来マリンバに憧れがありましたね。その後、中学校からずっと打楽器をやり、17歳からマリンバを本格的に勉強しています。

―  その後はマリンバだけをお続けになっているのですか?

布谷 大学は音楽大学ではなく、教育科のある山形大学に行ったのですが、その時は打楽器も勉強しなければいけなかったので、打楽器もマリンバも両方均等にやっていました。アメリカの学校ではマリンバ科がありそこに入学したので、留学後はマリンバを主に勉強しました。

―  アメリカに留学しようと思ったきっかけはありますか?
 

ボストン・マリンバ奏者
日本人マリンバ奏者と

布谷 留学というか、マリンバを勉強する引き金になった先生(大学2年頃から学外で習っていたピアノの先生)がいるんです。山形大学のカリキュラムでは、打楽器専門の先生が年に4回しか来ません。それだけだとあまりにもレッスン数が少ないと感じたので、大学2年の終わり頃に思い切ってそのピアノの先生にマリンバを教えてくださいとお願いしたんです。先生はそれを快く引き受けて下さいました。そこからは常に新しいものの発見でした。音楽というもの、音楽をすることの喜び、苦しみ、深さ。本当にいろいろなものを学びました。その先生との出会いで、真剣に音楽を勉強しようと決めたと言っても過言ではないですね。そしてマリンバの世界に目を向けるために、世界で活躍している何人かのマリンバ奏者に出会う機会があり、その方々から色々と海外のお話しを聞いていくうちに、海外に興味を持ち始めました。

―  アメリカやヨーロッパ、アメリカの中でも西側、東側がありますが、ボストンに留学先を決めた理由は何かありますか?

布谷 ヨーロッパでは、オーケストラ奏者になるためのプログラムが主流で、ソロでマリンバのみを勉強することはまず不可能だと聞きました。自分としてはマリンバのみを勉強したかったので、大学3年生頃からお世話になっていた三村奈々恵さん(注:マリンバ奏者)からお話をいろいろ聞き、マリンバ専攻で修士課程が取れる大学ということで、三村さんが通っていたボストン音楽院に行こうと、大学4年の夏に急に考え始めました。

―  ボストン音楽院に行かれてどうでしたか?

布谷 アメリカ留学を急に決めたので、英語を準備する時間はほとんどありませんでした。最初は英語が全然出来なかったので、英語の授業から受講しました。その英語のクラスでは、いろいろな国の人と友達になり、ボストン探索をしたり、協力したり、毎日いろいろな発見があって楽しかったです。プライベートレッスンは、英語があまり達者でない留学生を教えるのに慣れている先生でしたので、英語が出来なくても身振り手振りと簡単な単語で何とか教えてくれました。

―  ボストン音楽院は、入学時にTOEFLは必要ですか?

布谷 僕はスコア自体を持っていましたが、恥ずかしながら入学するための点数には達していませんでした。多分、その当時はそんなに重要視されていなかったのだと思います。今は必要みたいですね。

―  オーディションはテープですか?

布谷 テープでもいいし、もちろんライブオーディションでも良かったです。僕はあまりよく分からなかったのでテープで出しました。ただ、自分の担当になる予定の先生に自分の事を知られていないのであれば、直接来てオーディションを受けたほうがいい印象を与えられると思います。奨学金の額も変わってくると思います。

―  初年度から奨学金はもらえますか?

布谷 優れている人には多少なりともちゃんとくれます。ただ、奨学金は主にオーケストラの楽器の専攻生に多く振り分けられるので、マリンバ専攻生は高額な奨学金をもらうのは難しいと聞きました。僕の場合、修士課程の時は多少もらっており、その後のアーティスト・ディプロマでは全額奨学金を得ることができました。

―  マリンバ科は何人いたのですか?

布谷 修士課程は、三〜四名です。学校自体がそんなに大きくはないので三〜四人でも結構多いほうだと思いました。

―  ボストンは、治安などいかがですか?

布谷 場所によってですが、アメリカでは比較的良いほうだと思います。何区域か危ないと聞いています。危ない区域は決まっているのでそこに行かない限り大丈夫だと思います。
 

マリンバコンサート
マリンバのコンサート

―  音楽をアメリカで勉強することで良い点・悪い点はどのような事がありますか?

布谷 アメリカは、国自体が本当に自由だと思うんです。いろいろな人がいるし、いろいろな演奏方法もあるし、いろいろな音楽もある。それが刺激になっていいなと思います。逆にいろいろありすぎて広く浅くになりがちな部分もあるような気もしますね。ただ、ボストンやニューヨークなどの東海岸側は、地理的にもヨーロッパに近く、たくさんの音楽家がヨーロッパから渡ってきます。そのおかげで、クラシックの本場の音楽を聴く機会もありますし、クラシックの勉強を本場の人から習う事も可能だと思います。そして、マリンバという楽器自体が珍しく、アメリカは珍しいものが好きなところがあるので、作曲専攻の生徒や作曲家の先生方がマリンバを使った室内楽曲やソロの曲を書いてくれますね。その曲を演奏するチャンスがありますし、マリンバの作品を書いてくれる作曲家の方と、マリンバの可能性や、その作曲家の書いた曲の意図等のお話をする機会がありますね。

―  アメリカでもマリンバはあまり知られていないのですね?

布谷 そうですね。演奏会をすると「今までマリンバを聴いたことがなかった」という人はたくさんいます。コンサートマリンバの歴史は浅いので、仕方がないと思いますが。でも、中にはマリンバをジャズで聞いた事があるとか、昔メキシコで聞いたとか、そういう人がいて僕も驚くことがあります。

―  アメリカに留学されて一番大事な事はなんですか?

布谷 目標みたいなものはしっかり持って勉学に励む事が大事だと思います。そして、留学は親等からの金銭的・精神的サポートが必ず必要だと思いますので、そのサポートをしてくれている方達への感謝の気持ちも忘れてはいけませんよね。また、ボストンは日本人が多いので、日本人とばかり遊んだりせず、いろいろな人と交流を持っていろいろな文化や経験をしていく事も大事かなと思います。

―  学校を卒業後、アメリカでいろいろな仕事をなさっていると思いますが、アメリカで仕事をする上で日本人に有利な点・不利な点があるとお考えですか?

布谷 それはまだ、感じたことはないです。ただ英語がアメリカ人みたいに流暢に話せないことが不利というか、思ったことがすぐに英語に出てこないことがストレスになることはありますけどね。

―  東海岸、西海岸の都市部では、言葉がある程度できれば、あとは実力で仕事をもぎ取っていけるという事ですね?

布谷 そうだと思います。

―  クラッシック音楽というのは、布谷さんにとって何ですか?

布谷 自分と向き合う鏡みたいなものですね。音も音楽性も感受性もほとんど人間性から来るものだと思っています。人間性を磨いてこそ音楽が高まっていくとも思います。音楽は心のよりどころですね。

―  そのときの自分の状況が音に反映されるという事ですか?

布谷 ほとんどそうだと思います。

―  ロックとかポップとかそういうジャンルには興味が無いのですか?

布谷 そういうジャンルの影響を受けて作られたマリンバの作品がありますので、そういうのは何曲か演奏したことあります。でも、そういう音楽は、自分は聞くほうが好きですね。あとは、ジャズを六ヶ月くらい勉強した事はあります。でも、何かしっくりこなかったですね。クラッシックの演奏とジャズの演奏とでは頭の使い方が全然違うので、今からもう一度一からジャズを勉強するよりは、今はクラッシックの方に時間を費やしたいと思っています。でも余裕が出てきたら、いつかはちゃんとジャズを勉強したいと思っています。
 

ソロマリンバ奏者
ソロマリンバ

―  今後の音楽的な夢があれば教えていただいてよろしいですか?

布谷 マリンバでクラシック音楽を演奏することがまだあまり世に浸透していないので、まずマリンバという楽器があることを世の中に確立して、その上で、マリンバで奏でる音楽、そしてその良さを世間に広めていきたいと思っています。曲も、マリンバのオリジナル作品はまだそれほどありませんので、僕が尊敬する作曲家の先生に委嘱していき、後世に残せる作品も作って行きたいですね。そしてマリンバで奏でる僕の音楽を通して、いろいろな人がいろいろなことを考えられるような、感じられるような、深い音楽を創って行きたいと思っています。ピアノやヴァイオリン奏者の方は、そのような演奏をされる方はたくさんいますが…。要するに音で勝負できる音楽家になりたいということです。最近、マリンバの演奏自体がエンターテイメントになりがちな事が多いと思いますので。

―  エンターテインメント的というのは?

布谷 奏者がマリンバから出る音をよく聴かずに、体の動きのみを考えて演奏する事です。それがいいと思ってやっている人はもちろんいいと思うのです。マリンバを演奏する事は、やはり動きを伴いますし、そういう体の動きに自分の思考が働いてしまうことは仕方がないと思うのです。でも僕は「動き」を第一に考えた音楽ではなくて、自分の奏でるマリンバの音に対してもっと敏感に耳を働かせてよく聴き、作曲家の書いた音符を深く追求して、その作曲家の意図を理解し音楽を創っていけるような音楽家、マリンバ奏者になりたいと思っています。

―  アクションっぽくなる、見られがちということですか?

布谷 そうですね。「見ていて綺麗だね」とか「手が早く動いて凄い」と言われるよりは「音楽が深いね」と言われるほうが嬉しいですよね。でも実際問題、マリンバを演奏することには大きな動きが伴うので、難しいですけどね。

―  マリンバの演奏は、ソロとオーケストラの両方になりますか?

布谷 オーケストラの中でマリンバを演奏する事もあるのですが、それはオーケストラの打楽器奏者がマリンバを演奏することになります。マリンバ奏者がそのような仕事に雇ってもらえる事は稀でないでしょうか。マリンバ奏者は、主にソロのコンサート、ソリストとしてオーケストラをバックに演奏、室内楽で演奏、BGMで弾く、レセプションで演奏することがほとんどだと思います。

―  マリンバというのはいつ頃から登場した楽器なのですか?

布谷 コンサート楽器としてある今日のマリンバの原型が登場してから80年くらいです。マリンバは、アフリカが起源だと言われているのですが、確かではありません。その起源と言われるアフリカのバラフォンという楽器が南アメリカのグアテマラやメキシコに渡り、すべて木で作られているマリンバが出来たのがマリンバの始まりと言われていますね。そして80年ほど前に、とあるアメリカの楽器会社がその南アメリカのマリンバを発見して、今のマリンバ(共鳴管が鉄製)の原型を作りました。そこからいろいろ楽器会社が開発して、今僕が使っているような5オクターブの楽器がおおよそ30年程前に出来ました。
 

マリンバ奏者
ソロマリンバ奏者

―  布谷さんは、アメリカで演奏家として活躍されているわけですが、マリンバ奏者を目指す方がアメリカで音楽家として活躍する秘訣はありますか?

布谷 まずは技術的にも音楽的にもあるレベルに達していることが必要だと思います。そして、人間的にも、音楽家としてもバランスが取れていることも大事だと思いますね。活躍する秘訣ですか・・・あったら自分も教えて欲しいくらいですね(笑)。マリンバ奏者として生きていくのは、引かれていないレールの上を歩くのとほぼ一緒と言っても過言では無いくらいですので、強い精神力で頑張っていかなくてはいけないと思います。それでご飯を食べていかなくてはいけないですし、生きるためにお金をどうやって稼ぐか考えていかなくてはいけません。でもお金の事だけを考えていては、良い音楽は創れません。だからといって家にこもって練習ばかりしていたって、ご飯は食べれませんし….。そのバランスも難しいですよね。自分の優れているところを見つけて「自分はこういう事が出来るんだ、こんなことをしてきたんだ」と、アピールしていくことが大切だとも思いますね。

―  アピールの仕方はどういうふうにされましたか?

布谷 一番いいのは演奏をたくさんの人に聞いてもらうことだと思います。演奏を聞いてもらう上で履歴書が印象的だと良いと思いますので、コンクールで賞に入っているとか、自分にしかないレパートリー・プロジェクトがあるとか、そういうものを全面的にアピールしていくといいと思います。アメリカと日本では人のつながりが少し違いますしね。

―  どういう意味ですか?

布谷 日本の場合、横のつながり(師弟関係)で仕事を頂く事が多いと思うのです。そのつながりが無いと仕事が出来ないという話も聞いた事があります。アメリカでももちろん先生のツテでお仕事をいただくという事もあるのですが、日本ほど師弟関係の有無で厳しい思いをすることは無いと思います。アメリカの場合は、知らない誰かが「いいな」と思ったら、その人と少し話しをしただけで、「僕の息子の結婚式で演奏してくれる音楽家を探していたところなのだけど、君の連絡先を教えてくれないか」と話をしてくれたり、「君の経歴、面白いこと書いているね」と興味をもって話しかけてくれる人などがいます。コンクールで多数の入賞経験があるとコンサートを運営しているグループから演奏会の依頼があったりします。面識の無かった作曲家の先生でも演奏を気に入ってくれると「君のためにマリンバの曲を書きたいのだけど」と言ってくれる方もいましたね。本当にいろいろなチャンスがアメリカには転がっている気がします。ですので、たくさんの方に演奏を聞いてもらう事が一番大事だと思います。

―  コネクションがなくても実力次第で、仕事のチャンスが生まれてくる可能性があるのですね。

布谷 あると思います。だから僕もここにいれると思うのです。

―  海外に音楽留学をしたい方が日本にはたくさんいらっしゃいます。そういう方にアドバイスをいただけますか?
 

マリンバフェスティバル
マリンバフェスティバル

布谷 海外留学は、人生経験にもなりますし、自分を知ることが出来る良い機会だと思います。ただ先程も言いましたが、留学をする事は精神的にも金銭的にも大変ですし、それをサポートしてくれる人たちに対して感謝することを忘れず、一生懸命死ぬ気で頑張ってもらいたいなと思います。日本人は他の国の方に比べて金銭的に恵まれていると思います。恵まれているからこそだと思うのですが、「海外にいる」というステータスに満足して、遊んで終わったり、音楽留学で来ているはずなのに語学をちょっと勉強して帰国する、という方がいるので、そういうことのないようにして欲しいなと思います。アメリカにいる日本人がそういう目で見られるのは恥ずかしいと思いますので。もちろん死ぬ気で頑張れとは言ったのですが、息抜きも大事ですよね。自然を見たり、美術館に行ったり、映画を観たり、美味しいものを食べたり…。ストレス発散のためにパーッと遊ぶことも大事だと思います。また、アメリカでは一つの観念が通用しないことも多いので、頑固に物事を一つの側面から捉えず、何事に対しても受け入れられるような寛大な気持ちを持つ事が大事だと思います。アメリカは、日本で常識なことが常識でなかったりする国です。最初は、びっくりするかもしれないし、ストレスになるかもしれないのですがそれも世間勉強ですのでしっかり受け入れる用意が必要だと思います。

―  いろいろとありがとうございました。

布谷 ありがとうございます。


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石川政実さん/ジャズギタリスト/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はアメリカ・ニューヨークでジャズギタリストとしてご活躍中の石川政実(イシカワマサミ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2008年3月)


ー石川政実さんプロフィールー

ジャズギタリスト石川政実
ジャズギタリスト石川政実

1965年東京都出身。11歳で、はじめてギターを手にし、ロック、フュージョンを経て、大学時代に、ジャズ演奏を開始。1990年、ニューヨークのニュー・スクール大学ジャズ&コンテンポラリー・ミュージック科に留学、ジム・ホール、レジー・ワークマン、ジョー・チェンバース、ジョン・バッシーリらに師事。その後、ニュー・スクール、ジャズ科のファウンダーでもあるアーニー・ローレンス・グループに起用される。自己のグループでも55バーや、アングリー・スクワイア等に出演、NYのローカル・シーンで注目される。1993年に一時帰国、自己のグループ、井上信平、岩瀬竜飛らとも首都圏のライヴ・ハウスを中心に演奏をした。2000年、再度ニューヨークにて活動を再開する。現在、ゴスペル・シンガー/ピアニストのL.D.フラジァーのグループ、ロニー・ガスペリーニのグループ、田井中福司トリオなどを中心に活動しており、2007年12月に発表されたロニー・ガスペリーニのニュー・アルバム「North Beach Blues 」(Doodlin Records www.doodlinrecords.com)における演奏が好評を博している。



—  石川さんとジャズの出会いを教えてください。

石川 大学時代にジャズ研に入り、ジャズを始めました。卒業後、1990年に趣味が高じてニューヨークに渡り、ニュー・スクール大学というジャズプログラムのある学校に入学しました。

—  そこでジャズを学ばれたんですか?

石川 ニュー・スクールでは、ギターはジム・ホール、セオリーはケニー・ワーナーやギル・ゴールドスタインといった有名な先生からジャズの基本的な教育を受けました。結局、4年間のコースのうち2年間通って大学は中退しまして(笑)、その後1年間くらい、ニューヨークで演奏をしていました。学校を辞めたあとにニュー・スクールを創ったアーニー・ローレンスという人のバンドに誘われてそこで演奏しをしていたんです。その後、1993年に一度帰国しました。

—  帰国後、再度渡米されるまでどのくらい日本にいらっしゃったのですか?

石川 5、6年活動していました。演奏ではなかなか食べられなかったので、教えて生活をしているところがありましたね。

Image —  その後、またニューヨークに?

石川 ええ、1999年にまたニューヨークに戻り、それからはこちらを拠点に活動しています。

—  ニューヨークに戻られたきっかけは?

石川 実はあまり深くは考えてないんです(笑)。正直にいうとかっこ悪いんですが、女房が留学したいといったのがきっかけだったんです。当時は、だらだらとですが、教えることで生活できていたので、ニューヨークへ戻るのということは批判的な気持ちのほうが強かったんですね。ニューヨークで音楽で食べていくのは大変だし……、と思っていたので。でも、配偶者ビザが取れるということもあって、じゃあ、また行ってみるかなくらいの軽い気持ちでした。ところがニューヨークに戻ってみると、やはりこっちがいい、と思ったんです。忘れていた血が騒ぎ出したといいますか、音楽をやる気になったんです。

—  ニューヨークのほうが音楽ができると思われたんですね。

石川 昔の知り合いからトラの仕事をまわしてもらって、到着2日目くらいから病院のギグなどをさせてもらいました。これがすごく楽しくて、やはりこっちでやろう、ニューヨークでやっていこう、と思いましたね。

—  ところで、日本での大学は音楽の学科ではないですよね?

石川 ええ、慶応大学の法学部法律学科です。

—  優秀な大学ですよね。そのままいけばエリートになれる可能性もあったと思うんです。それでも音楽を選んだのには何かあったんですか?

石川 好きだったんでしょうね。でも、実は1年間だけサラリーマンをしたことがあるんです。大学卒業後、印刷会社に勤めました。大学卒業のときに、ジャズギターなんかで食べられるわけがないと思って、諦めて就職したんです。でも、忘れられなかったんでしょうね。それで会社を辞めたんです。

—  周りからの反対はありましたか?

石川 はははは、そうですね(笑)。でも、もともとミュージシャンになりたかったのに、親の反対もあって就職したんです。それでも働いてみたら、やっぱり無理だったんですね。

—  自分の魂が捨てられなかったんですかね?

石川 そうですね。音楽ってやっぱりそういうところがありますよね。一回やってしまうと、やめられなくなってしまう。非常に危険だと思いますよ。危険な人、いっぱい見ています(笑)。日本のミュージシャンの中にも、大学でジャズ研の盛んなところ出身の方は多いですよね。東京大学、一橋大学、早稲田大学、といったところの人もたくさんいますよね(笑)。

—    そもそも石川さんは音楽への興味は大学に入る前からあったんですか?

石川 ええ。子供のときから音楽は好きでした。小学生くらいからロックを聞くのが好きで、ギターを買ってもらったのが小学5年生、11歳くらいのときです。

—  ロックとジャズというのは、似て非なるものだと思うのですが、大学時代にジャズに傾倒していったのはどうしてですか?

石川 楽器を始めたのが人より早かったこともあって、うまい!なんて周りから持ち上げられてね(笑)、ギターを弾くのは好きだったので、「これを究めていこーう!」と思ったら、難しいことをしてみたいとおのずとジャズに興味を持ち始めました。それにロックだとどうしても歌の伴奏をするような形になると思うんですが、そうではなく楽器をメインにした音楽へと自然に流れていった感じです。

Image —  楽器をメインにしたジャンルといえば、クラシックやフラメンコなど他にもあると思うのですが、そこでジャズだったのはどうしてですか?

石川 そうですね。急にジャズを始めたわけではなくて、高校生くらいのときにインストゥルメタルのフュージョンをやり始めたんです。フュージョンというのはジャズっぽい要素もありますから、そういうのを演奏しているうちに元のジャズのほうをきちんと勉強したほうがいいかなと思ったんですね。

—  アメリカでジャズをしてみて、日本と違う良い点、悪い点はありますか?

石川 ジャズの表面的なテクニックというのは、日本でも勉強出来るし、日本のミュージシャンもそうやって演奏していると思うんです。でも、アメリカに住んで、黒人の人、いわゆるオールドスクールの人たちに接することで、ジャズのルーツの部分であるブルースやゴスペルを肌で感じることができるし、黒人の人たちのライフスタイルも学んでいくことができます。

—  やはりライフスタイルからなんですね。

石川 多分、そうだと思います。だから、アメリカ、特にNY以外で本当の意味でジャズを勉強するのはある意味難しいのではないかと。。表面上のテクニックは身につけることができても、ジャズ独特のフィーリング、ブルース、ソウルを身につけるっていう意味では、ここで学ぶことは幸せな事だと思います。

—  やはりフィーリングがないと自分のやりたいこととは……。

石川 まったく別のものになってしまう。口ではなかなかうまく説明できないんですが、そこが重要ですよね。

—  例えば、ボストンにはバークリーなど有名な学校がありますが、そういう街ともニューヨークは違うものですか?

石川 ニューヨークにいれば、例えばそのへんにいる楽譜も読めないミュージシャンたちと一緒に演奏して肌で接して、身につけていける部分が非常に大きいんです。

—  楽譜が読めない人とでもジャズでは会話ができる、ということですね。

石川 本来のジャズは聞いて耳でとらえて演奏するという音楽だったので、そういう部分が非常に大切だと思うんです。

—  ちょっと学術的な感じになってしまっているということですか?

石川 そうなんですよ。だからジャズが本来もっているエネルギーが失われつつあると思います。

Image —  アメリカでもそういう傾向が見られるということですか?

石川 見られますね。

—  どういうところに行けば、そういうソウルを感じられる演奏を見ることができますか?

石川 現在、非常に少ないと思います。ベテランのミュージシャンたちが次々と亡くなってしまっているので。だから、最近の売れている人たちの演奏を聴くよりは、ベテランの人たちの演奏を聴くのがいいと思います。日本ではあまり有名ではない人とかね。あとは、僕はまずはゴスペル・チャーチに行くことをお勧めします。

—  ゴスペル・チャーチですか?

石川 そこでルーツを感じることができると思います。黒人の人しかいないようなゴスペル・チャーチに行ったら、ものすごいエネルギーを感じて、衝撃を受けると思います。ハーレムとかブルックリンとか、ブロンクスとかですね。僕はそうでした。昔のミュージシャン、例えばセロニアス・モンクにしてもゴスペル・チャーチ出身ですし、そういう人たちは根本的に違うと思います。

—  ジャズミュージシャンというのは、もともとはそういう人ばかりだったんですよね。

石川 本来はそういうところから来ているものですからね。僕は、ゴスペルの人たちと演奏していて非常に厳しく教わったんですよ。“Young jazz musicians are missing something”って。彼らは演奏中に叫んでいるんです“Feel,You gotta feel more!”って。だから、上っ面で弾いたりしたら、怒鳴りつけられる。そういうのはやはり学校ではできない経験ですよね。日本でも“feeling”とか“feel”っていうけれども、なかなか本当の意味がわからなくてね。それはやはり口ではなかなか説明できないんですけれど、そういう独特の部分がジャズという音楽の力になっている。原点ですよね。

—  そのフィーリングというのは、だいたいどれくらいでわかってくるものでしたか?

石川 それは……。いや、まだわかってないかもしれないですね(笑)。それは、一生をかけてどんどんどんどんより深めていかなければいけないものだと思いますし。

—  現実的なことをお聞きしたいのですが、アメリカで仕事をするときに日本人に有利な点、もしくは不利な点はありますか?

石川 普通の仕事であれば、日本人は真面目で時間に対してきちっとしているので、信頼される部分はあるかもしれません。でも、もう少し高いレベル、例えばジャズクラブで仕事をしていこうとすると、同じ実力であれば日本人であるということで偏見の目で見られることはありますよ。

—  なるほど。

石川 日本人がジャズをやっているということが向こうの人にとってどういうことかといえば、アメリカ人の寿司職人のところにわざわざ食べにいくか、という話ですよ。だから、よほど実力をつけて質の高い演奏が出来なければいけないと思います。こっちでやっている日本人はみんなそうやって頑張っていると思いますね。

—  日本で頑張る以上のことを求められているわけですね。

石川 日本には日本人しかいませんからね。ニューヨークは本当にミュージシャンが多くて、世界中から集まってきていて、とにかく数が違いますから。こっちでやろうと思ったら大変ですし、とても鍛えられます。

—  石川さんにとってジャズとは何でしょうか?

石川 ジャズとはですか……、うーん、難しいですね(笑)。やはり、パッションとかそういうことになると思います。

Image —  身体の内にあるものということでしょうか?

石川 そうですね。学校では、いかにクリエイティブになるかという話が中心であったように思います。そういうアイデアは、ジャズを面白くするための1つの要素として取り入れるべきものですが、それだけではないと思います。

—  それよりも大事なことがあると。

石川 一番大切なのはフィーリングですよね。ジャズの元をたどれば、アフリカの奴隷たちがアメリカに渡ってきて、最初はほとんどリズムだけで鼻歌を歌っていたわけです。それに西洋のハーモニーを少し取り入れて、それがだんだんと洗練されておしゃれになってきたわけです。つまり、西洋のハーモニーを取り入れたというのは、あくまで付随的なものですから、いかにクリエイティブにやったところで、クラシックの完成度にはかなうわけがないんです。即興でやっているわけですから。

—  なるほど、なるほど。

石川 ですから、ジャズ特有のリズムがジャズという音楽の命、力の源になっていると思うんです。それが表現されていれば、質の高いクラシックにも負けない芸術性の高いものになると思います。だから、ジャズは根本的にクラシックと違うものとして、聴かなければいけないし、演奏しなければいけないと思っているんですよ。それがいま、世界的に誤解されているので、そこと戦っていますね。一番大切なことはそこではないということを伝えたいですよね。いかにフィーリングを感じ、こめるか、そこが大事ですよね。

—  技術的になってしまって、元の本質を忘れていってしまうということはありますよね。

石川 ええ。ジャズに限らず、フィーリングが失われているとは思いますね。やっぱり音楽というのは時代を反映しますから、デジタル〜、デジタル〜(笑)となってくると、やっぱりみんな忘れてしまうんです。フィーリングの深いところを求めなくなってしまう。iPodで音楽を聴いて、と、世の中とにかく簡単になりすぎちゃっているから、創られる音楽も演奏される音楽もそういうものになってきてしまっていると思います。そこにいかに立ち向かうかというのが僕の使命だと思っています。

—  石川さんはそういった想いで演奏されていて、やはりお客さんの反応は違うと思いますか?

石川 やはりぜんぜん違うと思いますよ。先月も日本に帰って三重県で演奏したのですが、すごく喜んでもらえたと思います。ジャズを余り聞いたことがない多世代の人達が手拍子をしてくれてね。ドラムの人は田井中さんといって、もうこっちで25年くらい黒人の中にまじって演奏してきた人なんですが、その人がまたみんなにわかりやすい、みんなが感じられる演奏をするんですよ。それはジャズを知っているとかではないんですね。知らなくても聴けば分かることなんですよ。

—  知っているかどうかなんて関係ないんですね。

石川 ええ。そこで、もし上っ面の演奏をしていたら、ジャズって難しいんだな、ふーん、で終わってしまうと思うんですよ。コードとかアイデアとか、アルペジオとかね(笑)。そうすると、みんなやっぱり聴かなくなってしまいますよね。

—  そうですね、クラシックを聴いているのと、同じ感じになってしまいますもんね。

石川 かといって、本物のクラシックのような完成度はない。中途半端な音楽になってしまう。力の弱いものになってしまうんですよ。

—  本来はもっともっと力強い土着の音楽だったのに。

石川 ええ、みんなが感じられる。それが私の目指すところです。みんなをハッピーにすることが私の目標です。

—  次に音楽的な目標を聞かせてください、と言おうとしたんですが、今ので十分ですね。

石川 そうです、そうです(笑)。そういうことです。

—  アメリカでプロの音楽家として活躍する秘訣、成功する条件はなんでしょうか。

石川 これは、成功してないだけに難しいですね(笑)。最近痛感していることは、ビジネスといい音楽をするっていうことは、まったく別のことだなということです。別の才能がいるんです。例えば同じミュージシャンでも、メールやホームページの更新にやたらと時間をかけたり、電話をかけることに命をかけたりと一生懸命売り込んでいる人がいます。僕自身、本当はそういうことにも時間をかけなければいけないんだろうけど、やっぱりそれよりも音楽のことを考えたり、楽器の練習に時間をかけてしまいますね。でも、一生懸命やっていれば、最低限の仕事は入ってきますよ。それは成功とは言えないかもしれませんが(笑)。

—  きちんと音楽で食べていけるということですよね。でも、そこが難しいところですよね。

石川 そうですね。やっぱりニューヨークは厳しいと思います。人に呼ばれて演奏することが多いんですが、やはり自分がバックアップに入ったからよくなったっていう状態にしないと、次に仕事は来ませんよね。様々なスタイルの人たちを上手に伴奏することは、経験も必要だし、非常に難しい。だから、僕はひたすら練習して、いい演奏ができるようにしていますね。

Image —  最後にジャズを勉強したい人やニューヨークに行きたい人にアドバイスをお願いします。

石川 いままでのことと重なるんですが、あまり理論にこだわらないことです。例えば、音を間違ったなんて気にすることないんです。ジャズはクラシックと違って、そういう音楽ではないんですよ。基本的にジャズに間違ったことなんてない。それよりももっと大切なフィーリングをつかんでほしいと思います。

—  それはやはりニューヨークに行って、感じたことですか?

石川 そうですね、オールドスクールの方から得るものが大きかったです。レコードを聴くにしても、さかのぼって昔のジャズやブルース、ゴスペルを聴いて参考にしたほうが、いまの難しいことをやっているものを聴くよりは、いい結果が得られると思います。

—  今日は本当にありがとうございました。

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