松村かのんさん/チェロ

松村かのんさん/チェロ松村かのんさん プロフィール2004年神奈川県生まれ
3歳よりチェロを始める
第4回および第6回全日本芸術コンクール
チェロ部門本選第一位受賞
第16回エウテルペ国際音楽コンクール(イタリア)
弦楽ソリスト部門カテゴリーB
最優秀賞受賞
-この度はまず、おめでとうございます。ご本人様も喜んでいらっしゃいますよね?
松村(お母様) ありがとうございます。とても喜んでおります。
-満点でしたもんね。
松村(お母様) そうですね。満点を取れたのはほんとにとても嬉しかったみたいですね。
-良かったです。これからもいろいろと頑張ってというお気持ちも強くなってらっしゃいますか?
松村(お母様) そうですね。良い経験になりましたし、励みになったと思います。
-良かったです。毎日、また練習を頑張ってらっしゃるんですか?
松村(お母様) そうですね。以前と変わらず、平日だと2時間半~3時間ぐらいは。
-学校から帰ってきて?
松村(お母様) そうですね。
-嫌になったりもせず、ずっと今までも続けてらしたんですか?
松村(お母様) 勿論、弾くこと自体が嫌ということはないんですけれども、その時間帯の中で、あまりにも同じ部分を弾いたり、なかなか出来ない部分とかをやる事に対して嫌になることはありますけど。練習自体は決まっていることなので、特に嫌ということはないんですね。
-最初にお伺いした事なんですけど、チェロは始められたキッカケとかからお伺いしても宜しいですか?
松村(お母様) はい、3歳になるちょっと前に、私が何か音楽をさせたいとは思っていたんですけれども、チェロがいいかなと思いまして、普通にインターネットでお教室を探して、それで、連れていってみたんですね。
3歳の誕生日になったぐらいに連れて行って、先生が面白い先生だったんですけれど、「やってみる」っていう感じで、見学で何回か行かせて頂いて、その内、本人が「やる」と言わないと出来ないので、先生が何回か意思確認みたいな事をして、本人が「やる」って言ったので始めたんですけれども。
-ほんとに最初からチェロだったんですね。
松村(お母様) そうですね。家にピアノはあって、チェロを始める前からピアノの先生には来て頂いてはいたんですけれども。
-3歳より以前から、ピアノはなさっていたという事なんですか?
松村(お母様) そうですね。ほとんど楽譜は見れないような感じだったので、リトミックみたいな感じで来て頂いて一緒にお歌を歌ったりとかっていう感じだったんですね。
ピアノも3歳になってから楽譜を見始めたというか。
-チェロが始めたのと同じぐらいの時だったんですね?
松村(お母様) そうですね。同じぐらい。
-今もピアノは続けていらっしゃるんですか?
松村(お母様) 続けてます。
-両方なさってるんですね。大変ですね。
松村(お母様) そうですね。でも、ピアノはコンクールに出たりとかしないので。音感の為に、やはり和音とか音をとったりするのに、ピアノは分かり易い音なので。
-そんな小さい頃からチェロを始めるお子さんというのもなかなかいらっしゃらないですよね?
松村(お母様) そうですね。一般的にはいないのかもしれないしれないんですけども、鈴木メソードで始めたので、たまたま探して一番近くのお教室が鈴木メソードだったというだけなんですけども。
鈴木メソードだと、チェロを始めてる小さい子が沢山いるんですよね。
-3歳ぐらいでチェロというお子さんも結構いらっしゃるんですか?
松村(お母様) います。それで、楽器のサイズも10分の1からあるので。
-体の大きさに合った物をちょっとずつ大きくしながらという感じで?
松村(お母様) はい。
-最初に始められた時というのは、将来的に何か音楽家にさせたいとかって、そういうお母様の意思とかおありだったんですか?
松村(お母様) いえ、ないです。
-全くなかったんですか?
松村(お母様) ないです。私は音楽が好きだったんですけれども、「趣味としてというか楽しみとして、やっていけばいいのかな?」という風には思っていたんですね。
3歳だとそんな分からないですので、本人がその気にならないと、プロの音楽家にはなれないですから。最初から音楽家にしたいとかは思ってはなかったです。
-今はどうですか?
松村(お母様) 今は、本人が「その道に進みたい」と言っているので、是非、なってもらいたいと思います。
-お母様としては、ご本人の希望を叶えてあげたいと。
松村(お母様) 全く私自身も音楽家ではないですし、周りもそういう親戚もいないので、特にこだわってはいなかったんですよ。
やってみたら、とても音感が伸びて育っていったので、「いいのかなあ」と思って。娘にとって、今はチェロが一番得意というか出来ることになりました。
-お嬢様としても楽しくなさってるということですね?
松村(お母様) そうですね。楽しくというか、目指しているものになる為に、頑張っているという感じです。
-やっぱり、しっかりしてらっしゃいますね。
松村(お母様) しっかりしているとは思わないです。夢を見てるというんでしょうかね。現実になればいいなという。
目標・夢としてチェリストになりたい。結構、今も人前で弾く機会もあるので、そういう風に、ずっと生きていくと思ってるんだと思います。
-もう自然にこれからもチェロを生活の一部としてという事ですよね?
松村(お母様) そうですね。
-今までに日本でいくつかコンクールは受けてらっしゃったんですよね?
松村(お母様) はい、そうなんです。幼稚園の年長さんの時に、初めて全日本芸術コンクールというのを知って、チェロはなかなか小さい子から受けいれるのがなかったんですね。
それで、そのコンクールが幼稚園から出られるという事だったので応募してみました。
-それで、賞をとってらっしゃいましたよね?見せて頂いて。
松村(お母様) はい。その時に本選で一位を獲得したんですけれども。その時は信じられないというか。
でも、コンクールを受けるということで、すごく練習をしたんですよね。
やっぱり、目標を持つというか、コンクールに出るとか人前で演奏をするという日にちが決まっていると、練習に身が入るというか。
目標を持つということが練習に繋がって、それが実力を付けるということに繋がっていくので、全くコンクールとかを経験しないでいくという方もいらっしゃるとは思うんですけど、うちの子の場合は、そういう目標があった方が練習にも身が入りますね。それで、かなり力が付いて。
その一回目の時も、目を見張るような成長があったんですね。
次に受けたのが小学校二年生の時で同じコンクールなんですけど、その時もまた本選で一位だったんですけど、その時もやっぱり凄い目を見張る成長だったんです。
-コンクールに出ると格段に上達が見込まれると。
松村(お母様) はい。
-最初、幼稚園の時にコンクールを受けられたキッカケというか、なぜコンクールをその時に思われたのですか?
松村(お母様) お教室に1枚ペラっと机にチェロのコンクールのチラシが置いてあったんですよ。コンクールというのは、チェロの場合はもう少し大きくならないと。
その時、小学校4年生の時からというのが国内では早かったんだと思うんですけど、幼稚園はないんだろうなあと思っていたので、それを見て、幼児部門というのがあるのを発見して、「幼児部門というのがあるんだったら、うちの子も出れますか?」って、その時にすぐ先生にご相談してみたんですよ。
そしたら、「できますよ」と言って下さったので、「では、応募しようかな」という感じで。
-そのペラっと1枚のチラシがキッカケだったんですね。
松村(お母様) そうです。
-それから何回かコンクールも続けて受けてらして。
松村(お母様) そうですね。年長さんに1回、そして小学校二年生で1回受けただけですね。三年生は受けなくて、今回、四年生で海外に行ってみようという事になったんですけど。二年生に受けた時というのが、小学校三年生までのカテゴリーで一位になったんですよ。なので、一度その括りで受けているので三年生は受けれないんです。
-今回、海外に挑戦なさったということで。なぜ、海外だったんですか?日本では他になかったんですか?
松村(お母様) 日本ではあるんでしょうね。本人に、もっと大きな視野でいろいろ経験が出来るんじゃないかなという事で、「海外に行ってみるのもいいよね。」
みたいな事を言っていて、それで「コンクールを今度受けるとしたら、外国のを受けてみたい?」と聞いて、それで「受けてみたい」という事は言っていたんですけど。
それが、いつっていう具体的にはなってなかったんですけど、探しているうちに、「4年生になる頃にあるんだな」というのが分かって、「本当に挑戦してみるかどうか考えてみて」って言って2週間ぐらい猶予を与えたんです。
-2週間だったんですか?
松村かのんさん/チェロ松村(お母様) はい。それで準備とかも始めないといけないと思って、2週間自分でいろいろ考えて、2週間経った日に聞いてみたら「挑戦する」って言ったんです。
-それは、いつ頃の話だったんですか?
松村(お母様) それは3年生になったばっかりくらいだと思います。
-コンクールのちょうど一年ぐらい前?
松村(お母様) そうですね。
-それからいろいろとご準備なさってのぞまれたわけですよね?
松村(お母様) そうですね。ちょっと前だったかもしれません。2年生から3年生になる春休みぐらいだったかもしれません。
-ある程度、やっぱりお嬢様ご自身の意志で、「今回は海外」という風にそういう事ですよね?
松村(お母様) はい。本人がやる気がないとどうしようもないというか、連れて行く意味もないと思うので。
-お嬢様は今回初めての海外だったんですよね?
松村(お母様) そうなんです。
-その辺りは、何か不安とかはなかったんですか?
松村(お母様) ありました。まず、一番は体調管理だったんですけど、そんなに体の強い子ではないので体調管理の部分で、「飛行距離の移動とか大丈夫なのかな」っていう事が一番でしたね。
車酔いもするので、それが一番心配でした。
-飛行機は大丈夫でしたか?
松村(お母様) 大丈夫でした。酔い止めを飲ませて行ったんですけれども、思ったよりも全然体調は良くて、「よく頑張ったなあ」と思ったくらい。
-やっぱり初めての土地でとなると、風邪を引いたりということもよくありますのでね。
松村(お母様) と思いますね。疲れとかストレスがあると、やっぱり免疫が落ちるので、すぐに菌をもらっちゃったりとか。
-普段からそんな感じですか?
松村(お母様) そうですね。
-今回はそういう事にもならず、ほんとに良かったですね。
松村(お母様) ほんとに良かったです。
-不安材料としては、その辺が一番ありましたか?
松村(お母様) そうですね。子どもに関しては、食べ物とかもやっぱりちょっと不安でしたけれども。体調だけですね。
演奏は、音楽に関しては、特にそんな日本と変わらないと思っていたので、何も心配はしてなかったんですけれど。
-体調が悪かったら、やっぱり実力発揮どころじゃないですもんね。
松村(お母様) そうですね。
-何か特別に対策として、体調を管理する為にされたことはありましたか?
松村(お母様) 日本からしていったって事はないんですけど、心配だけはしていたという感じです。
-「気をつけて」という感じで。
松村(お母様) はい。日本食は持って行きましたけれども、レトルト物とか持って行きましたけれども。ほんとに元気で最後まで行ってくれれば、もう万々歳だなあっていう。体調だけが良ければいいと祈るだけでした。
-お母様としてはそうだったんですね。
松村(お母様) 結局、体調は大丈夫だったんですけど、時差が一番辛かった。途中で眠くなってしまうという。2週間の生活の中で、常に時差ボケになっていて、それが、体調は大丈夫だったんですけど、眠かったりボーっとしたりとかっていうのはあったなという風に思います。
-そんな中でも実力を発揮して頂いて、満点というのは凄かったんですよね。
松村(お母様) 凄かったですね。現地時間がちょうどお昼から演奏だったので、日本でいうと午後7時ぐらいだったので、時差を考えても夜7時には寝ませんので。
-まだ、ちょうど大丈夫だった時間帯だったんですね。
松村(お母様) そうですね。
-お嬢様は、なんかその辺で辛いとか眠いとかボーっとして辛いというのは仰っていましたか?
松村(お母様) 特に、辛いとかではなく、「眠いんだけど、今寝ていいのかなあ」みたいな。何事も、特に動じないという感じでしたね。一つ一つの事にもっと驚くのかなあと思ったんですけど、全然驚かなかったです。
-外国の人がいっぱいいるとかって事も全然大丈夫でしたか?
松村(お母様) 大丈夫でしたね。イタリア語の響きが面白かったり、なんか結構騒がしかったりする事に対しては、いろいろ言ってましたけど。動じている感じはなかったです.
-ちょっと興味を持っているという感じですかね?
松村(お母様) 面白がっている感じでした。
-お買物とか行かれた時とかはどうでした?
松村(お母様) 観光地ではなかったので、ドイツ経由で行ったんですけど、ドイツではミュンヘンだったので、外国人が相当いると思うので大丈夫だったんですけど、コラートという所に行ってからは、日本人が珍しいみたいで、スーパーとかに行くと、周りのイタリア人がジロジロジロジロ見てくるんです。話しかけたりして。
-イタリア語でですか?
松村(お母様) イタリア語だったり、普通に挨拶で「ボンジョールノ」とか言ってきたりもするんですけど。片言の英語だったり、「イタリア語で「何しに来てるの?」みたいな事を多分言ってるんだろうなあ」と思ったりして、一応、こっちは英語で答えたら、なんか分かってくれたりしてとてもフレンドリーでした。
-ちゃんと意思の疎通はできたんですね。
松村(お母様) 毎日、同じお店に行ったりとか。常連になって、とても楽しくて、最後は、「明日帰るんだね」みたいな感じで抱き合ったりとかして。
-ちゃんともうお友達のようになって?
松村(お母様) そうですね。3つくらいのお店に、よく顔を出してお友達になって。よく言葉は通じないんですけど、楽しくみたいな感じで。
-やっぱり、向こうの方の人柄とかっていうのもあるんでしょうね。
松村(お母様) そうですね。とてもフレンドリーでしたね。
-怖い思いもなさらずに大丈夫でしたか?
松本(お母様) 怖い思いも全然しなくて。逆に田舎すぎる所が良かったのかも。そういうギャングみたいな人はいなかったですね。人がもともと少ないというのもあるかもしれないですけど、全然いないですね。
ほんとに皆さん大らかに過ごしているみたいな。観光客が珍しいみたいな感じですね。
-本当に地元の人しかいない街みたいな感じなんですね?
松村(お母様) そうですね。でも、コンクール自体はとても有名みたいで。言った瞬間に、音楽ディレクターの方の名前を言われて、「あのコンクールね」みたいな事を仰って、国際コンクールのポスターも街中に貼ってあるんですよ。
なので、皆さんがお店の人とかに言っても、「ああ、あのコンクールね」みたいなのがあって。「有名なコンクールなんだ。ここでは大ごとなんだ」と思って。
-街をあげてという感じなんでしょうね。
松村(お母様) そうですね。街をあげてだったと思います。
-いろんな方がいらっしゃると思うんですけど、それでも観光客みたいな方は珍しいんですよね?
松村かのんさん/チェロ松村(お母様) そうですね。多分、その期間だけ外国人がいるみたいな感じだった。
-年に一回という感じなんですね。
松村(お母様) そうだと思います。ピアノの方とかは、もしかしてずっと部屋の中で練習してたんじゃないのかなと思って。私達は毎日、街にくりだしていたんです。
-他の方は街に出ないという可能性もあるんですね。
松村(お母様) そうですね。はい。日本人は、誰一人見なかったです。
-コンクール自体には、日本の方はいらっしゃいましたか?
松村(お母様) いました。ほとんどピアノなんですけど、バイオリンの方もいらっしゃってたけど、コンクール参加リストを見ると、「結構、日本人いるなあ」と思ったんですけど、街の中では一度も見なかったんですよ。
それで、ファイナルコンサートで日本人のピアニストの女性の方が山本ミキさんという方だったと思うんですけど、その方も出演されて、その時初めて日本人を見たっていう感じでした。
その会場で、もう一人審査員の方がピアノの日本人の方が一名いらして、その方も見たので、二人見ただけだと思ったんですけど。他には会わなかったですね。
-名前はあったけど会いはしなかったという。
松村(お母様) 会わなかったですね。
-そうなんですね。皆さんこもって練習派だったんですかね?
松村(お母様) かもしれないですね。
-いろいろ街の中とかも満喫なさいました?
松村(お母様) しましたね。小さい街なので、ほんとに全部歩いて、端から端までいけるぐらいなんですけど。お昼とかは、お店が閉まっちゃうんですよね。
お昼寝の時間がかあるんですよ。人っ子一人歩いてなくて、また夕方に開き始めると、その辺にあるベンチは全員お爺さん達が座って。。
それが、凄くほのぼのとしていて、とてものんびりしているお爺さんのグループがあるんですよね。ベンチずつに分かれて、それがとても可愛くて印象的でした。
-日本ではなかなか見れない光景ですよね。
松村(お母様) 見れないと思いますね。
-そういう様子も見て、お嬢様もキリキリせずにほのぼのしてのぞめたというのもあるんですかね?「頑張らなきゃ」っていうストレスが、コンクールの独特の雰囲気ってありますもんね。やっぱり、みんなカリカリ練習をしてとかっていうのを見てると、自分もストレス溜まってきてとかっていうのがあると思うんですけど。
松村(お母様) 全くなかったです。早く弾きたいっていう感じで、早く弾いてしまいたいっていうか。責任感だけを感じてるっていうんですかね。自分の2つの仕事。
1回目の審査と、あと最後のファイナルコンサートっていうのをちゃんと努めないといけないっていう。それだけがあって、もう早く終わってしまいたいっていう感じではあったんですけど。
-そこまで、やっぱり気が張ってらしたんですね。
松村(お母様) そうですね。「それが終わったら楽なんじゃないかな」っていう風には思っていたと思います。ただ、いつもの生活ではほんとに玩具屋さんとかに毎日楽しく通って。
-玩具屋さんがあったんですか?
松村(お母様) 玩具屋さんありました。
-どんな玩具売ってるんですか?
松村(お母様) 人形のような物もありますし、絵本とか置物とかいろんな物があるんですけど、一番楽しみにしてたのは、日本にもあるんですけどゲームのカードなんです。
-集めるようなカードみたいな?
松村(お母様) はい、そうです。それで、イタリア語版にちゃんとなっていて、とても珍しいので、それを毎日1パックずつ買うみたいな。それを楽しみに。
-知らない土地で楽しみがあって良かったですね。
松村(お母様) そうですね。あと、毎日、ジェラート屋さんに行って食べて帰ってくるというのをやってました。
-結構、いろいろ楽しい事もあったんですね。
松村(お母様) そうですね。日常の中で小さな楽しみを見つけて頑張っていたという。
-ほんとに最初の海外のコンクールで楽しい思いがあったというのは、多分これからも残って、いい事なんじゃないかなと.最初に大変な思いをしてしまうと、やっぱり「もう海外は嫌だ」とかっていう風にもなってしまいかねないので。
松村(お母様) 食べ物に関しては、ちょっとそういう所はありましたね。「今度行く時には、もっと日本食を持って行く」って言ってるんで。
-どんな食べ物があったんですか?
松村(お母様) 私にとっては美味しいんですけれども、本場過ぎると言うんですかね。イタリアンでも、本格派のイタリアン過ぎるっていう。子どもっぽいお子様ランチプレートみたいなのはないので。
ほんとに大人にとっては美味しいとは思うんですけれども、子どもにとっては、なんかいつものやっぱりお母さんの料理が一番美味しいという、そんな感じになってしまいました。
-日本食は持っていっておいて本当に正解でしたね。
松村(お母様) 良かった。お湯でも水でも戻せるにぎりとかがあったんですよ。日本でもいろいろ震災があったりとか、保存食とか沢山出回っているんですけど、
そういう非常食っぽい物を沢山持って行ったんです。それは、とっても美味しく食べてました。助かりました。
-日本食は大事なんですね。
松村(お母様) 大事ですね。
-それがなかったら多分、体調を崩してしまったりとかいうこともあったのかもしれないですね。
松村(お母様) あったもかもしれないですね。やっぱり、食べ物は精神的なもので出てしまうので、大事だと思います。
-コンクールの流れとしてはどういう感じだったんですか?
松村(お母様) 5月26日が本番だったんですけど、5月23日にイタリアに入って、5月24日は何もなくて、5月25日がピアノと音合わせの日で、初めて伴奏の方にお会いして何回か合せて、とっても相性が良かったので、「明日も宜しくお願いします」みたいな感じで、
次の日は、「あなたは〇時だから〇時に来てね」みたいな風に言われて。
特に、1時間前とか2時間前から行くということもなくて、ほんとに、ステージ用のきちんとした洋服を着たまま、本番直前の時間に行ったんですよ。
カテゴリー毎に時間で割り振られてて、一人一人「〇時までに来てね」みたいな事を言われていて、入ったら、待ってたのが自分の2つぐらい前の人だったと思います。「もうすぐなんだなあ」と思ったんですけど。
本番になって名前が呼ばれて、準備して上にあがったらピアノの伴奏者がいなくて、「あれ?」と思って困ったんですけど、すぐに「ピアノ必要な方でしたよね?」みたいな感じに言われて、「そうです」と言って、しばらく待ったらすぐ来てくれたんですよね。
「はい、じゃあお願いします」という感じで。観客はほとんどいなくて、審査員だけがいたという感じです。そのファイナルコンサートをやった会場と同じステージでやったんですけども。
-審査自体は公開で、誰でも見れるようにはなっているんですか?
松村(お母様) なってるはずです。
-お客さんはあまり居ずと。
松村(お母様) いなかったですね。ほとんど、いなかったと思います。朝から晩までという感じで、ほんとにいろんなカテゴリー毎もそうなんですけど、ピアノだったりとか声楽とか凄いスケジュールがいっぱいなんですね。
私達は全然、見学にも行かなかったんですよ。自分の時だけで、あとは街に出て。
-弾いたら、その後にすぐに発表があるんですか?
松村(お母様) はい。弾いて、カテゴリーの方達が全部終わって、何個かのカテゴリーあわせて審査でした。
例えば午前中で、最初はその2つのカテゴリーとか、3つのカテゴリーを全部審査してて、「一時間後ぐらいに発表があります」みたいな感じで一旦解散して。
その時も英語じゃなくてイタリア語で話されるので、「ああ、なんかみんな帰っていくねえ」みたいな感じで、「きっと審査がこれからあるんだよ」みたいな感じで、「じゃあ、一回出ようか」という感じで会場を出て、それで、いつ発表になるか分からないので、ずっとロビーで待ってたんですけど。
-一時間ぐらいですか?
松村(お母様) そうですね。一時間ぐらいだったのでしょうかね。
それで、またドアがバアッと開いて、みんながゾロゾロ入っていったので、「じゃあ、発表なんだね」みたいな感じで入っていって。その審査の時に、CDに一人一人の演奏を録音もして下さったんですよ。
それを帰りに渡してくれて、日本に持って帰ってきたんですけれども。
-お母様は聞いてらして、どうでした?
松村(お母様) 良かったんでしょうね。いつも練習で何百回も聞いているので、今日は良かった、今の演奏はいいなとか、ここちょっとダメだったなっていう感じで。
「ちょっとここは変だったな」という所には気づいていたので、帰ってきて聞いてみても完璧ではないんですが、チェロの先生に聞いて、「とても響きが良くて凄く良かった」と言ってたので、「これは良かったんだ」と思って。
-周りの評価でようやく分かったという。
松村(お母様) 分かりましたね。勿論、大人ではないので、楽器も小さいので、ほんとにプロと同じに弾けたわけではないんですけど、その10歳以下というカテゴリーであれば、満点もらっていいんだなっていう事だったと思います。
-演奏した後は、ご本人は満足なさってました?
松村(お母様) 満足してました。やりきったという感じで満足してました。
-その後に、みんなで審査の結果を聞きに、また中に入って。
松村(お母様) 中に入って、入賞者の方が一人ずつ呼ばれて、賞を受け取って写真を撮って戻るみたいな感じで。
-写真に載ってたのは、壇上でトロフィーか何かを渡してる?
松村かのんさん/チェロ松村(お母様) そうですね。優勝カップを頂いたのは、6月1日のファイナルコンサートでなんですよ。
-あれは、また別の写真なんですね?
松村(お母様) はい。5月26日の審査でもらったのは、メダルと賞状だけだったんですね。6月1日のファイナルコンサートは凄い観客もいっぱいになるし、テレビ局とかそういうのも入るちゃんとしたコンサートなので、
その時に、トロフィーを渡すので、その時までになくしては困るので渡さないという事だったんですよ。
-なくしちゃう人もいるんですかね?
松村(お母様) ホテルに忘れてきちゃったりとかもあると思うので。それはまだ渡さないという事で、メダルと賞状だけ頂いてホテルに戻ったんですけども。 その時に、「最優秀賞の人と審査でとてもいいと評価された人だけがファイナルコンサートに出れますよ」という事をその場で言われて、「〇時に来て下さい」とかそういう事を言われてホテルに戻りました。
-そこからファイナルコンサートまでには、コンクール的には何もないんですか?
松村(お母様) ほんとにピアノの合わせも何もないんですよ。
-ほんとに何もないんですね?
松村(お母様) もう一回くらい本番の前に合わせたいぐらいです.そういうのもなくて、「合わせないんだあ」みたいな。「当日行って、はいって感じで弾くんだあ」と思って。
だったので、その後は、近くに観光地がないかなと思ったら、世界遺産があったんですよ。カステル・デル・モンテというお城なんですけど。ホテルの人に聞いたら、車で30分以内で行けるって言って。コラートの中にはタクシー業者というのがいなくて、
個人でそういう仕事をたまにしてるとか、あとバーリとかから来るのかなっていう感じだったんですけど、呼んで下さったので、タクシーに乗って行きました。
-タクシーの運転は荒くなかったですか?
松村(お母様) タクシーの運転は、空港に迎えに来た方は凄い荒っぽいというかスピードが超速くて、「怖いなあ」とか思ったんですけど。それはホテルの送迎バスみたいなやつで、
とても日本では走ってないような古い感じの大きい車だったんですけど、「こんなのに乗って、娘がビックリしただろうな」って心配をしました。
-ビックリなさってました?
松村(お母様) 大丈夫だったみたいです。その世界遺産に連れて行って下さる時のタクシーは、ほんとに凄くいい車で、運転手さんも紳士的な方で、とても良かったです。
-そのタクシーで遺産まで行って。
松村(お母様) はい、そうですね。帰りの時間も決めていたので。
-迎えに来て。
松村(お母様) 迎えに来てもらって、それに乗って帰りました。
-お城の所とか観光の方は沢山いらっしゃいました?
松村(お母様) 日本人はいなかったんですけど。
-やっぱり、そこにもいないんですね。
松村(お母様) いなくて。観光客は沢山いました。
-さすが世界遺産ですね。
松村(お母様) お互いに英語でしゃべってる方もいたので、ヨーロッパ、イギリスとかアメリカかもしれないんですけど、そういう方とロシア語も聞こえてたので、ロシアとかヨーロッパでしょうね。
近くの方じゃないと来れないのかなあと。わざわざここには来ないだろうなあとか思いましたけど。
-ついでか近くか、どっちかですよね。
松村(お母様) そうですね。
-そのお城をご覧になって、お嬢様はどうでした?喜んでらっしゃいました?
松村(お母様) 喜んでました。凄く古いお城というか、昔の物とかに結構興味がある娘なので、それで、行く前にガイドブックとかを見せてたんで、そのカステル・デル・モンテは読んで行っていたので、「これが大理石で盗まれた部分がある。ここかなあ?」とか、
あと、階段の数を数えたりとか、あと、お金を投げるような。池にはなっていないんですけど、みんなが記念みたいな感じでコインを下に投げてる場所があったんですよ。なので、そのお城の中にある階段の下みたいな所の、昔は水があったのかもしれないですけど、そういう所にコインを投げてお願いをしてみたりとか。
-そこはお願いが叶うんですかね?
松村(お母様) 分かんないんですけど。何も書いてはなかったですけど、みんな投げてるから、投げてみようかみたいな感じで。
-コンクール以外にもいろいろとなかなか出来ない体験をなさって。
松村(お母様) あの世界遺産は、もう二度と行けないと思います。
-お嬢様も興味がある分野の物がちょっと見れて良かったですね。
松村(お母様) そうですね。古い物は見れて良かったです.
-コンクールのその審査とファイナルコンサートの間は、そういう風にちょっと観光なさったりして過ごして。
松村(お母様) はい。
-今まで日本で経験なさったコンクールと、今回の海外のコンクールって、何か特別に違うなって感じた事とかってありましたか?
松村(お母様) いいえ、ないですね。
-あまり変わらないですか?
松村(お母様) 音楽って凄いなあっていう、国境はないんだなあという風に思いましたけれど。今回は25か国が参加したそうなんですよ。なので、ファイナルコンサートに出てきた方も、いろんな国から来てらしたんですけど。
私は会場にいたんですけれども、凄いやっぱり同じく音楽に感動して、うちの子が弾き終った後とかにも、「凄い凄い」って言って握手に来て下さったりとか。そういう所は日本では全然ないんですけど。そこが一番違ったかもしれないですね。
帰りとかも写真を撮られたりとか、「あなたが一番良かったわ」とか言われて握手を求められて、「今度も期待してます」みたいな事を言ってたりとか。
審査員も凄いフレンドリーだったので、そこが違いましたね。日本だと審査員の先生方は終わった後に、「君凄いよ」なんて言いに来ないじゃないですか。
-違う世界にいる感じですもんね。
松村(お母様) はい。歩いてきて、ニコニコして頬を撫でるぐらいな感じで、とてもフレンドリーでした。違いはそういう所でしょうかね。
ただ、ピアノと当日合わせがないという事は違いますけど、前日には合わせはありましたし。終わって審査を待って、審査の結果発表に出てっていう流れは同じなので、戸惑うとかそういう事はなかったです。
-また、「どこか受けに行きたい」とかって、おっしゃってますか?
松村(お母様) そうですね。今の所は、「何年後とかには行きたい」みたいな事で。
-食事もありますしね。
松村(お母様)今は、年齢ごとのカテゴリーで、いい評価を得ているというだけなので、やはり、年齢制限なしとか、一番上のカテゴリーで受けてみるという事になるんでしょうね。
上まで受けなきゃいけないと思ってるので、想像しながら、「いつ、そういう風になるのかなあ」って。
-チェロだと、やっぱり楽器の大きさとかも大きい方に交じってとなると大変ですからね。お母様が見てらして、今回のコンクールに出てやっぱり自信になってるように思いますか?自信がついたというか。
松村(お母様) そうだと思います。自信はもともとあるというか。本人には、「自信はある」みたいなんですけど、証明してもらえたっていう感じなんでしょうかね。
-自分の持ってるものを形として。
お母様 評価してもらう場所がやっぱり他にないので、ただ、「弾けるよ」って言っても、プロになったり出来るわけじゃないので。「これで一位なんだよ」「パーフェクトなんだよ」っていう、その100点満点をもらえたっていう事で、納得したというか。
ほんとに喜んでました。自信がついたというよりも、ほんとに嬉しいという。そういう印象です。
-「これからも、またいろいろと演奏の機会もある」と、お母様おっしゃってましたよね。もう夏休みですけれども、頑張ってやってらっしゃいますか?
松村(お母様) そうですね。いつも通りというか、変わらず同じような感じでやってはいますね。また、新しい曲に挑戦するのが楽しいみたいです。いつも、次弾く曲というのを凄く楽しみにしていて、
大体、楽譜というよりも耳で覚えるというか、CDに合せて弾いてみるとか、そういう事を楽しくやっています。
-これからどんどんレパートリーも増えていって楽しみですね。
松村(お母様)はい。
-ちょっとアンケートに書いて頂いていた事でお聞きしたかったのが、楽器のケアっていう所。どんな感じだったんですか?
松村(お母様) そうですね。行く直前になって、向こうの気候がちょっと乾燥しすぎてるかもしれないという事があったんですけど。
それで、いつも日本にいるので湿気のことばかりで、乾燥させることばっかり考えていたんですけど、乾燥しすぎてダメかもしれないという事で、チェロの先生に「そういう装置みたいな物があるんだ」って言われたんですけど、行く直前だったので、用意する時間もなく、ちょっと心配してたんですよね。
例えば、どこかが割れちゃうとかそんな感じになっちゃうとか。音が全然変わっちゃうとか、そういう事もあるのかなと思ったんですけど。事前に、そういう情報とかが知りたかったですね。スポンジを何かに包んでとかいう、そういう方法もあったみたいなんですけど。
それを楽器の中に入れておくみたいな、そういうのを私は知らなかったので。なので、もしそういう情報があれば事前に知りたかったなみたいな。
もし、楽器に何かがあったら、その楽器屋さんとかでお願いするとこが先に分かってれば安心できますので。飛行機の圧力とか変わってきちゃったりとかも、もしかしてあるのかなっていう。
-実際に乾燥しすぎたりとかって事はありましたか?
松村(お母様) それが乾燥して、とてもいい音が出てたみたいなんですよ。
-今回はちょうど良く働いたんですね。
松村かのんさん/チェロ松村(お母様) 今回は、逆に良かったんじゃないかっていう。とても楽器が響いていたみたいですね。
-その辺は今後も情報収集しつつ、また皆様に情報をお伝えできるように頑張ります。
松村(お母様) はい、ありがとうございます。
-何か他に特に気になった事とか、これは伝えておきたいっていう事がありましたら何か教えて下さい。
松村(お母様) そうですね。このコンクールを受ける方だったら、ホテルが一応、私が自分で選んだんですけど、コンクールのサポートをしてくれてるホテルが幾つか書いてあるんですけれども、その中では、会場と一番近いホテルだったとは思うんですけど、実際はそんなに近くはないんですね。
-結構、距離が歩いてある感じでしたよね。
松村(お母様) なので、楽器を持たないピアノだとなんとかなると思うんですけれども、「楽器を持って歩くのはちょっとかなあ」って思うんですけれども。ホテルの方はコラートのホテルは英語が通じる方が一人とか二人とか。エアコンが壊れたんですよね。「直してくれるよ」って言ったんですけど、結局、直らなかったんです。その後、全然暑い日が無かったので、よかったんですけど。
-それは不幸中の幸いっていう.
松村(お母様) そうなんですね。なので、設備とかの事を考えても、ここのホテルはそんなにお勧めしないかな。朝ご飯が全然ダメだったんですよ。食事を頼んでいたので、勿体ないので1日行ってみたんですけど、あまり食べられるものがなかった。
大人だったらいいのかもしれないんですけど、子供は食べれなくて、それで、その後一日も行かず、10日間泊まってたんですけど、朝食は行かなかったんです。なので、ホテルとしてはお勧めはしないです。
-ホテルとしてはお勧めはしないということですね。
松村(お母様) ただ、フレンドリーではあります。誰もかれもが、ホテルのスタッフもフレンドリーなので。
-ここの場合はホテルは中で練習が出来たんですね。
松村(お母様) ホテルで、最初、隣の部屋に誰もいないとか、お昼まで全員どこかいっちゃってるっていう時は、「部屋で弾いてもいいよ」って言う時もあったんですけど、3時間ぐらい弾く事もあったんですけど、一回、隣に女子のバレーボールチームの合宿の人達が来て、その時に、お昼間とかもいるとかいう時があったので、それからは、ほとんど使っていないオフィスを「いつでもいいよ」って言ってくれて、行ったら鍵を貸してくれて、入って練習、終わったら鍵を返してっていう感じで、毎日使わせて頂きました。
-そのホテルには、コンクールで他に参加してる方も結構、お泊りだったんですか?
松村(お母様) それは、よく分からないです。「ピアノの人がいるよ」みたいな事をイタリア語で言ってるんじゃないかなっていうのはあったんですけど。去年優勝した人達が、今年のオープニングコンサートで、そのホテルのパーティールームみたいなとこで、演奏はあったみたいですね。なので、一応このコンクールに関連してる施設です。
-練習するエリアさえ確保できれば、ここじゃないホテルの方がいいかもしれないという感じですかね?
松村(お母様) はい。
-アドバイス頂いてありがとうございます。あと、気になった事とか何かありますか?
松村(お母様) そうですね、特にあとはございません。ありがとうございました。
優勝者演奏会ガラコンサート:
http://youtu.be/vAhTX1qpdWY

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